2009/07/01

涼味が夏を呼ぶ~09年6月の「赤坂璃宮」銀座店の3

 そして「例湯」。と思いきや「家郷小炒皇/五目炒め」が登場。
 「色合いが綺麗!」
 「見るからに旨そうな色合いですね」
 「素材が艶々としていて、炒め物なのに見た目がさっぱりというか、脂ぎっていないし、余計なとろみもついてないしね」
 「それより素材のひとつひとつの切り揃え、見事ですね。ほら、幅も、長さもぴったし同じだもの!」
 あ!それって私が言おうとした台詞ですけど。先に横取りされちゃいました。
 皆さんの目の付け所は鋭い。言ってみればなんてことない肉と野菜の五目炒め。ですが、素材は同じ幅、同じ長さに切り分けられてます。それぞれ色合いが違って、その存在を主張。それだけじゃなくって素材の分量、その按配、加減、バランスの妙も見事。見た目は派手じゃないのに、食欲をそそるものがある。

 この種の料理、普通は、材料をふんだんに使って、たっぷり、こんもりに盛り付けするのが中国料理、中華料理ならではと思われがち。ですが、それって日本のスタイル。香港でも、中国本土でも、ひと皿に盛る分量って、宴会料理だけに限らずカジュアルに食べる小菜だって、不文律でもないですけど、適切な分量、按配、加減があってそれを遵守。日本の中国料理では意外に見逃されがちなところです。そう、ラーメン中華の肉野菜炒めの大盛り、とはまるで一線を画す品格があります。

 「家郷」というのはこれまでにもふれてきたように「郷土料理風味」。香港や広東地方では家常菜、つまりは、家庭のお惣菜風、という意味がないでもない。田舎料理という解釈も間違ってはいませんが、田舎料理にしろ、郷土料理にしろ、日本でだとなんだか「芋の煮っ転がし」風の醤油たっぷり砂糖で味付けした濃くて甘辛い「お袋の味」的なイメージが濃厚になっちゃうのが、やっかいな所です。
 「小炒皇」というのは素材いろいろということで、各種の素材を取り混ぜたもの。日本風に言えば「五目」ってことになりますが、中国だと「五寶」、あるいは「八寶」と、縁起のいい数にちなんで素材の数を揃える。それが、日本だと「五目」ってことで、もとは陰陽五行説に由来したもの。ですが、なんでもかんでもごちゃ混ぜなのが「五目」というイメージ、今や圧倒的ですから。
  それで「五寶」でも「八寶」でもなくって「小炒皇」なのは、素材の数が「五種」、「八種」だけに止まらず、ってこともあるのと、「皇」の一文字が鍵を握る。つまりは吟味、精選された素材を各種みつくろい、炒め合わせた料理、って意味ですから、たとえば、美味しい旬の素材を取り揃えることもあれば、高価で贅沢な乾燥素材だけを取り揃えるなんてこともある。

 ちなみに今回の「小炒皇」。素材は豚肉、豚背脂、葉ニンニク、黄ニラ、赤と黄色のパプリカ、セロリの細切り。それに干し蝦の「蝦米」やピーナッツの「花生」も。味付けは塩だけ。それにだしですね。ともかく、幅、長さを切り揃えた2種類の肉と旬の野菜の数々を塩味で炒めあわせただけの料理です。
 それが、甘い。野菜特有の自然な甘さが一致団結、全体を支配して、甘い。しかも、素朴で自然な甘さが浮かび上がる。口の中で一杯になる。それだけじゃなくって、それぞれに青かったり、ほろ苦かったり、エグ味があったりなどなど、素材のひとつひとつの持ち味がくっきりと浮かびあがり、それぞれに存在を主張。存在を主張するのはその色合いだけではなかったのありました。しかも、それらがひと皿の中でひとつの味を形成、というのが見事です。

 素材ひとつひとつの持ち味、個性を引き出した火の入れ方、つまりは、鍋の扱いの巧みさに関心。まさに、鍋の気「鑊気」がありますから。それとともに皆さんの目を釘付けにした素材の切り分け、下拵えの見事さも。それが、鍋の技、火の通し具合を決める要因にもなってますから。

 袁さんの要求に応えて素材の切り分けをはじめ、入念な下拵えを担当する料理人は、橋詰太郎さん。大藤さんに尋ねてその名を知りました。日本の中国料理の料理人で、板の技に優れた料理人、何人か知ってます。しかも、板の技を徹底的に仕込まれた人ほど、名をなした料理人、多いんですが、それは知る人ぞ知る話。橋詰さんのこれからが楽しみです。

2009/06/30

涼味が夏を呼ぶ~09年6月の「赤坂璃宮」銀座店の2

 「蜆介炸魚丸/魚のすり身の揚げもの蜆介醤添え」の「(酥)炸魚丸」の「魚丸」。香港や広東地方では淡水魚で鯉科に属する「鯪魚」を素材にするのが一般的。 広東料理店、小食堂だけじゃなく、粥麵店で揚げた「炸魚丸」を看板にしてる店もあります。中でも有名なのが中環に店を構える「羅富記」の「小欖炸魚球」。

 揚げるんじゃなくて、粥の具にして炊き込んだものもある。 「鯪魚球」を具にした粥は、粥麵店の定番的な一品ですが、中でも評判なのは上環の「生記」のそれ。

 鯪魚をつみれ状にした「鯪魚球」の料理は、中国本土、南方は言うに及ばず北方にだってあります。しかも、調味、料理方法は様々で多岐にわたる。まず、つみれ状の団子をそのまま揚げたのが「(酥)炸鯪魚球」で、英語名クラムソースの「蜆介醤」を添えて食べる。

 それ以外に、茹でるか、煎り焼きにして、土鍋炒め煮込みにした「鯪魚球煲仔」なんてのもある。その場合も「蜆介醤」で味付け、風味付け。香港の福臨門の九龍店の小菜のメニューには、レタス、豆腐と一緒に炒め煮込みにした「生菜鯪魚球豆腐煲」があります。

 すり身を団子状にはせず、豆腐に乗っけ、蒸したり、煎り焼きにすることも一般的。そういえば半分に切ったピーマンに詰めたり、茄子で挟み揚げにしたりする。順徳地方の名物料理の「順徳三寶」の一品だったりすることもありますから。もっとも、その「順徳三寶」、店によって、素材、詰める具は様々ですが。

 さて、日本では「鯪魚」の入手が難しい。「鯉」で代用というのも悪くないかも。でも、まだ試した機会がありません。それに日本の鯉、独得のくせがありますから。そんなことから「鯪魚」を海鮮の魚に置き換えるしかない。ということで思いつくのは「あいなめ」か「すずき」、ですよね。

 それが、今年の初め、袁さんの新年を祝う「圍村大盆菜」の中に「魚丸」が。 これがなんと「すずき」を素材にしたものでした。
 「あ!「すずき」でこんな「魚丸」を作れるんだ。だったら、揚げた「炸魚丸」にして、「蜆介醤」を添えて食べる。もしくは「蜆介醤」風味の炒め土鍋煮込み「蜆介魚丸煲」が出来るんじゃないか!」。

 そんなことで、すずきを素材につみれの団子状にした料理の数々を譚さん、袁さんにリクエスト。その中の一品ががいよいよ、登場と相成ったわけであります。   
 

 からり揚がった「炸魚丸」。香ばしい匂いが鼻腔をくすぐる。その皮、というか表面は「酥」のさくさく感よりも「脆」のぱりぱり感。それをぐっと噛み締めるとジューシーな肉汁がほとばしる。身はやわらかい。
 すずき特有のくせのある味に加えて、香味野菜、香辛料のあれこれがふわっと顔をのぞかるあたりが憎い。いつもの袁さんならではの技と工夫があります。

 ところで、以前、触れたことですが、こうした魚のつみれ類。作るにあたっては、身を叩き潰した後で、香辛料、香味野菜なども加えて練り合わせる。その際、練り合わせる方向は一定のまんま。絶対に、逆に返したりはしない。そうすれば味が落ちる、純な味ではなくなってしまう、というのがその理由。まぜっかえしにはしないのが鉄則です。素材を切り分け、準備する「板」担当の料理人の涙ぐましい努力と執念があってこそ、この美味が生まれるわけです。

 「あのう、エージさん、そういう場合、日本だと擂り鉢と擂り粉木を使うでしょ?中国料理だと、擂り鉢とか擂り粉木、使うんでしょうかね?」
 なんて、鋭い質問に私はたじたじ。
 「粥麵店で、大きなボウルに材料入れて、かき回してるのは目撃したことがあるけど。擂り鉢に擂り粉木、ね~。見たことありません。今度、袁さんに尋ねておきます」
 なんて、その場をしのぎます。

 それにしてもつみれの団子の「魚丸」の味付け、その風味に感心しました。
 今年の初めの「圍村大盆菜」で登場した時に魚丸、茹でてありましたが、それよりも、こうやって揚げる方が、素材、つまりは、すずきの持ち味が引き立つ感じ。しかも、香辛料の加減、按配が見事。

 あまりに美味しいんで、一個、そのまま食べちゃって
「あ' いけない!残るはあと2個じゃないか!」
 残る2個の一個目、添えられた「蜆介醤」を付けて食べます。

 右上の隅っこ写ってるのが「蜆介醤」。
 それが、「炸魚丸」と並んだ「蜆介醤」に興味をそそられたらしい仲間のYさん。
 箸先にちょびっと「蜆介醤」をつけてひと舐め。
 「う~ん、これは良いわ!」と、ひと唸り。

 「この味、奥床しいのね。美味とか、旨いんじゃなくて、奥床しい!」
 なんて話に座が盛り上がる。
 「いや、ほんとにそうですね。これ自体が珍味というか、味わい深い。こうやって揚げたすり身の団子と一緒に食べると、日本にいることを忘れさせますよね」
 そんな感嘆、絶賛の声が上がります。
 揚げたすずきのすり身の団子と「蜆介醤」の絶妙の組み合わせに誰もが感動。

 その「蜆介醤」、以前にもふれましたが、英語名はクラム・ソース。ということなら「はまぐりの塩漬け」ってことになります。烏賊だとか、あみだとか、塩辛の一種、とも言えるわけで、塩漬けにして寝かせてありますから、醗酵味が加味されて、旨味を増している。ヒネた味もする。しっかりくせのある味、だから後引き。

 問題はその正体。英語表記に準じれば「はまぐり」ですが、「はまぐり」にしては小ぶり。むしろ「浅蜊」の感じ。ところが「浅蜊」、どうやら日本だけの表記、通称のようで、香港や中国あたりでは「はまぐり」の一種ってことになるらしい。私は小ぶりの「はまぐり」というよりも「浅蜊」じゃないかと思うんですが。その謎の解明、どなたかにご教示願いたい!

 ともあれ「蜆」、「浅蜊」、「蛤」話で盛り上がりながら「蜆介醤」の「奥床しい美味」、それをつければ味がひきしまり、なおかつ素材の美味が浮かび上がる「炸魚丸」の話題でもちきりとなったのでありました。

 すずきはこれからが旬。板担当の料理人には面倒をかけますけど、絶対一方向オンリーですずきのすり身を練り合わせてもらって、つみれの団子状にした「(鱸)魚丸」の料理の数々、そのバリエーションの登場、楽しみにしたい。

 なんて思ってたら「赤坂璃宮」銀座店の「今月のおすすめ」の「家郷菜コース」の一品に「椒塩攘豆腐/豆腐と魚すり身の香り揚げ」なんてのがある。おまけに「豉汁醸三宝/ 海老のすり身詰め三種豆豉煮込み」って、先の「順徳三寶」のバリエーションだ。リクエストしたい料理が早々と登場なんてあたり、これまた憎い。

「赤坂璃宮」銀座店の郷土料理の数々のチェック、怠れません!

2009/06/29

涼味が夏を呼ぶ~09年6月の「赤坂璃宮」銀座店

 あわや!と思いましたが、今月もセーフ。なんとか月末に間に合った月例の「赤坂璃宮」銀座店報告。
 まずは「羊城焼味盆/前菜の盛り合わせ」。
 あれれ、大藤さん!今月の前菜の頭の紹介は「羊城」ですか。 「羊城」というのは広州の別称、愛称で、かつて飢饉に襲われた広州に五人の仙人が5匹の羊にまたがって訪れて民を救った、なんて故事にちなんだもの、だったはず。

 ともあれ、広州式前菜ということで、右から咸水鴨(塩漬け風味の家鴨)、手前が焼肉(皮付きばら肉の焼き物)、奥が豉油鶏(伊達鶏の醤油漬け)、次いで叉焼。左の赤と黄色のボールは杏仁露酒に漬け込んだトマト。

 今月は「咸水鴨」がグッド。今度、厚めの切り方にしてもらって、前菜でたっぷり食べたいと思った次第。加えて、先月に続いて登場したトマトの「杏仁露酒」漬けが大評判。

 「これ、やってみたくなりますね、でも、ほんとに一晩、トマトを漬けただけでこんなになるのかしらん」
と、声も上がる。
 「問題は皮、じゃない?皮、そのまんまだと、こんな風な出来上がりにはなりそうにないし」
 「トマトって、皮の裏、美味しかったりするだけど。ほら、トマトを丸ごとオーブンで焼いたりすると、そんな感じでしょ?でも、トマト・ソースを作る時にには、皮を湯煎して剥いちゃってからでないと、なんだか、旨くないのはどうしてなのね」
 話はいつのまにかイタリアンのトマト・ソース話に。

 そして「蜆介炸魚丸/魚のすり身の揚げもの蜆介醤添え」の登場!
 「これこれ、この料理!なんとか袁さんに作ってもらえないかって、かねてより大藤さんを通して、譚さん、袁さんにリクエストしていた料理です!」と、私は興奮を隠せない。

2009/06/28

新世代の料理人のあれこれ~その4

そんな大阪の食事情、独得の風土、環境、歴史を背景に(ってオーバーですけど)登場した「一碗水」の料理内容、素材の扱い、味付け、調理方法は、従来の中華料理のイメージを覆すものだった、ようです。

 旬の野菜や魚介を素材にした前菜の数々。揚げ物、炒め物なども、素材の組みあわせ、調味、味付けに特徴があったこと。煮物などに加え、蒸し物が充実。スープ類も工夫とバラエティーがある。その料理手法、調味は、ほとんどが中国本土、香港や台湾のそれに倣ったもので、おまけに「咸魚」、「蝦醤」、「腐乳」、「XO醤」など、これまで滅多に表立って使わず、最近になってその存在が一般的になってきた調味料、香辛料がしっかり顔を覗かせ、強い印象を与えたこと。そんな物珍しさもアピールした、ってことじゃないでしょうか。

 おまけに味は淡白で清淡(それこそさっぱり)な料理があり、一方で、中国料理でお馴染みの揚げ物、炒め物などは脂ギトギトのこってり味ではなく、メリハリの利いた明快なものだった、ってことでしょう。毎月「一碗水」の料理を取り上げているらんぶろさんの「L'AMBORISIE+++PLUS」を見れば、それが即座にわかります。

 そんな南さんの料理内容や構成は、かつて東京の吉祥寺で「竹爐山房」の山本豊さんが供し始めた二人から楽しめるコースを思わせます。つまり、小皿盛りの前菜何種かに、乾物や魚介のメインの料理。炒めもの、揚げ物、煮込みものに、蒸し物を組み合わせ、スープと面・飯で締めくくり。あっさりした味とめりはりの利いた味の対比、組み合わせ。

 かつて「竹爐山房」のコースは話題を集め、東京の中国料理に新風を送り込みましたが、「一碗水」も同じように大阪の中華料理に新風を送り込んだ、ということだったのではないでしょうか。先にふれたらんぶろさんの毎月の「一碗水」レポートがそれを如実に物語る。

 南さんの料理を写し出した臨場感のある画像と、らんぶろさんによるシンプルで簡潔なコメントが、素材、その組み合わせ、調味、味わいの意外性、新鮮な驚きを雄弁に物語る。それまでらんぶろさんが体験し、イメージしてきた中国料理、中華料理のイメージを打ち破るものだったことは、想像に難くない。南さんが「竹爐山房」で修行していたことに加え、らんぶろさんのレポートがあってこそ「一碗水」、そして、南さんの料理に、並々ならぬ関心を抱くきっかけになりました。らんぶろさんに感謝!

 もっとも、「竹爐山房」で山本豊さんのもとで修行した南さん、そこで学んだすべて、まんまの料理を提供、ってことではなかったようです。中国本土の各地、香港の郷土料理、その歴史にも関心がある様子で、文献を紐解いてその再現を試みる。そればかりか、一人ぶらり旅を重ねて出会った料理、その味の再現、実践を試みる。意欲的です。先の「腌篤鮮」などはその一例として挙げられるものでしょう。 さらに、独自の工夫、スタイルで完成させたいくつかの料理がある。

 前菜に出てきた「酔鶏/紹興酒付けの鶏」など、その最たるもの。 舌の上でとろりとろけるゼリー状の煮凝りに包まれた鶏肉。滑らかで、しっとりとした触感。噛み締めれば、鶏肉の旨味、漬け込んだ紹興酒の風味が浮かび上がるという按配。

 聞けば、その作り方、従来の一般的なそれとは異なる、独自の調味、料理方法を思いつき、試みを重ねてのもの、だそうで。これまで食べた「酔鶏」では五指に数えられるもの。「でも、まだまだ、工夫の余地、やれる可能性はあると思うんですけど」と、謙虚ながらもその目線は意欲的。

 もう一品、今回、感心したのは「小豆菜の煮浸し」。「小豆菜」というのはユリ科の「雪笹」。茹でると小豆の香りがするから「小豆菜」なんだそうで。そんな「小豆菜」を炒めて、だしで煮浸しにした一品です。

 そんな「小豆菜の煮浸し」、そのだしにねっとり、べったり、舌にまとわるものがある。「小豆菜」とは異なる甘味、旨味。脂の甘味、旨味ですね。しかも、ゼラチン、コラーゲン質な感じ。てことは、「「鶏油」使ってる?」と尋ねたら「いえ、使ってません」。炒め油なら、こんな風にならないはずだし、だったら、だしそのものが濃密で濃厚ってことか。

 「ね、だし、去年と同じ作り方?それとも、変えた?」と私。「いえ、基本的には同じですけど。清湯をとるときには~」なんて話を聞きながら、去年とのだしとの明らかな違い、見逃せませんでした。

 「一碗水」。話題、評判を呼ぶ一方で、批判の声もある。その中に「あっさりしぎて、物足りない」なんてのがあったのに、大いに納得。脂こくって、こってり、ギトギト、味の濃い中華を求める人には、物足りないかも。「過大評価だ!」なんて声もあって、それもそんな意見に関係ありかも。ま、それだけじゃなくって、南さん、まだまだ色々と課題を抱えているのは事実ですから。

 ですが、南さんの目線、料理にかけるひたむきな意欲、努力、その実践に、興味と関心を抱かないではいられない。南さん、頑張って!

新世代の料理人のあれこれ~その3

 「一碗水」の「腌篤鮮」。
 たまたま隣合わせになった二人組みの女性客、何度も「一碗水」を訪れてるそうですけど、ちらちらと覗かれたんで「これ、食べたことあります?」と尋ねたら「初めて!こんな料理、ここで見たことないし、食べたこともない!」、と。それより「毎月、通ってるんですけど、ここでは初めて出会う料理ばっかり。大阪にこんな店、他にないんです!」、なんてことでした。

 「一碗水」の料理、コース設定、その調理、味付けや内容は、現在でこそ同種の料理店がいくつか登場ってことですけど、「一碗水」が登場して以来、話題、評判を呼んだ最大の理由は、その点にあった様子。つまり、大阪の従来の中国料理のイメージを覆すものだったから、というのはどうやら間違いのない事実のようです。

 もう随分前のことになりますが「あまから手帖」で大阪、京都、神戸の当時最新の話題の中国料理店をレポートする機会を得ました。本誌に掲載した店以外にもあれこれ教えられた店をリサーチ。その後、機会があれば追っかけてきましたが、やっぱり、地元の人間じゃないんで、その実態はつかみづらい。

 ですが、面白かったのは大阪、神戸、京都の中国料理は、料理人の個性、持ち味だけでなく、それぞれ土地柄、風土、なによりも地元の人の嗜好を反映していたこと。その3都市に限っても、それぞれ一線を画する特徴があるのを発見!

 ことに大阪の中国料理。脂こっくって、味が濃いという日本特有の中華料理のイメージが一般的。そこんところは、全国共通、多くの日本人が思い描く、また、求める中華料理の味、認識です。
 大阪といえば、一般的にはなんでもかんでもこてこて!「こってり味」というイメージ濃厚。ということであれば、脂っこくて味が濃い中国料理、中華料理はうってつけなはず。ところが、さにあらず。私の知る限り、出会った限りの大阪人、こてこてのこってり、濃厚な味が好みのようでいて、その実、本音は「やっぱり、さっぱりしてるのがええワわ!」といった「さっぱり嗜好」を隠せない。

 たとえば大阪の「ポン酢」にかける執念こそはまさにその典型。それぞれのひいきの「ポン酢」のブランドがあって、その執着たるや並のものじゃない。そればかりか「ポン酢」の自作派の存在を見逃せない。“どう?俺のポン酢、試してみいひん?”と、くったくなく薦めてくれるようでいて、その眼差しは真剣どころか、否応なしに肯定の意見しか受け付けないような鬼気迫る気迫の勢い。「これがあかんちゅうんやったら、おつきあいお断りや!」と、顔に書いてあります。
 目がそれを物語ってます!なんてたじたじの体験、何度したことか。

 中華料理は「脂こくって、味が濃い」ものだと納得し、その味を求めながらも、そこに「ポン酢命!」的「さっぱり感」、「さっぱり味」がないと納得できない、収まらない、というのが、大阪人に共通した嗜好じゃないでしょうか。

 かつての「あまから手帖」の取材の際、料理人の方に色々と話をうかがった際、「大阪の中国料理の料理人が抱えるテーマ」のひとつがまさにそれでした。
 「ええ、ですから、脂っこくて、濃い味付けですけど、どうやってさっぱりした味にするか。そう、心がけてますし、さっぱりしたもんをお出しするようにしてます」
 そんな話、料理人から何度耳にしたことか。

 そういえば、お粥や家庭料理が旨いと地元で評判の神戸のとある店の紹介を書いた際、私の味覚だけじゃなく、日頃接してきた中国料理に比較しても、味が濃い。それも、塩味が強い。広東地方でも広州の都市部や順徳ではなく、その周辺部の郷土料理に特徴的なもので、塩味を強くして旨味を強調。
 そんな話にもふれながら、郷土料理、というよりも田舎料理的な素朴でひなびた味つけ、塩味の濃さが特徴的だったことから「味が濃い」、「塩味が強い」と率直に書いたところ、店からその記述にクレームが!なんてこともありましたっけ。

 「味が濃い」、「塩味が強い」と触れられるのは、店側にとっては大いに不都合な様子。それが事実であったとしても、直接的な表現はタブーなんですね。そんなこと、思いもしませんでした。
 味は濃くてしっかり、それとも、味はこってり、なんて書いた後で
 「ですが、さっぱり!」とすかさずフォローして、締め括る。 それが、フード・ライターとして生き残る処世術だと、知った次第です。

 食雑誌の店紹介、料理紹介における「さっぱり!」には要注意!

2009/06/27

新世代の料理人のあれこれ~その2

 「腌篤鮮/塩漬豚ばら肉、豚ばら肉、筍、百頁(押し豆腐)の煮込み」は上海の郷土料理、家庭料理の一品で、冬筍に次いで春筍が出回る頃に作られる料理です。もともとは浙江省の杭州の料理のようです。確か香港の「天香樓」、「上海一品香菜館」、「老正興」のメニューにもあったはず。というのも「腌」と言う言葉、その意味を知ったのはそれらのメニューからでしたから。

 「腌篤鮮」の「腌」は塩漬け、塩蔵の意味で、「鮮」は新鮮な豚肉。つまり、塩蔵の肉と新鮮な豚肉とともに、旬の味の「筍」、押し豆腐の「百頁(百葉)」を「篤」、つまりは煮込んだ料理です。ことに筍、春の筍だけじゃなくて、野生の筍が出回る頃に、その味、風味、さらには触感を味わう料理でもあります。

 もっとも「腌篤鮮」、日本、東京では滅多に見かけたことがない。それが、ここ10年、東京で一挙に増殖中の中国本土からやってきた料理人を抱える店にはあるようで、ネットで紹介されているのを見かけたことがあります。

 今回の「一碗水」の「腌篤鮮」は、香港や広州、江蘇/浙江省、北は北京周辺など中国本土に一人ぶらり旅の多い南さんが、現地で出会ったのがきっかけかだったのかも。それとも、どこかのレシピを見つけたんでしょうか。

 で、「腌篤鮮」。普通、上海、及びその周辺の江蘇/浙江省の家庭としては、塩漬け肉、新鮮なバラ肉を組み合わせ、筍と一緒に煮込むのが一般的。南さんの場合には自家製の塩蔵した豚ばら肉に、新鮮な豚肉、バラ肉と脛肉だったような覚えあり。さらに、杭州式に倣ってなのか金華火腿も加えてある。「百頁」は出来合いのものを調達したそうで。

 塩蔵肉を使ってあるだけあって、塩味しっかり。私には塩味が立った味付けの印象。しかし、きりりと引き締まった印象で、爽快で清々しく、若々しくて溌剌気分。まんま南さんの若さを物語るような味付けです。加えて、素朴でひなびた感じがする。

 それより、その塩加減、味わいからすると、杭州の料理というより寧波の郷土料理のような印象。私が出会った寧波の料理って、上海の醤油味、甘味味に比べ、塩味が立っていて、素朴、朴訥な印象で、それに似てたからです。南さんの「腌篤鮮」も、素朴で朴訥。心和むような穏やかさ、優しさが汲み取れる。ほのぼのとしたのどかな田舎料理の味、といったところです。

 新鮮な豚肉の旨味、塩蔵の豚肉、及び、金華火腿の醗酵味、ひね味が相まって、旨味が加味され、こくを増している。そんな塩味の立ったスープの味わい、風味が、この料理の味わい所、決め手のひとつなのは確かです。さらに、旬の味、筍の触感、さくさく感と、えぐ味をほんのり残した春筍の爽快な味、風味、それこそが肝心な素材。

 そんな南さんの「腌篤鮮」、ほのぼのとしたひなびた味は中国本土に食探訪に出かけた南さんのお土産料理、素朴で朴訥が持ち味の郷土料理、家庭料理が狙い目ってことなら、面白しくて、楽しい。それに、日本じゃ滅多に出会いないってことを含めて合格点。ですが、一品の料理としての完成度ということでは、まだ課題あり、というか、工夫の余地がありなんじゃない?というのが正直な感想です。

 う~ん、なんだろう? 塩漬けと新鮮な豚肉、金華火腿を加味していながら、今ひとつ旨味が物足りない。出しの弱さ、その力強さが、不足気味な印象。それに、キリリの塩味はともかくとして、新鮮な豚肉の旨味、そこに塩漬け豚肉や火腿の醗酵味、ひね味、旨味が加味されるなら、より緻密で洗練された味、風味も可能なはず。そんな味、風味の深み、奥行きが今ひとつ、というのが惜しい。

 そう、杭州料理に特徴的な気品のある洗練や風格ですね。多分、南さんの狙い目は、寧波料理のような素朴さ、朴訥さじゃなくって、実はそこにあったんじゃないか、なんて思ったからです。火腿がその証。そんな南さんの目線が面白い。それに、南さんの心意気、本土の郷土料理への取り組み、その意欲が汲み取れます。

2009/06/24

新世代の料理人のあれこれ~その1

 怒涛のような、って鳥越祭の本社の千貫御輿だけではなく、一時、相次いだコンサート通いも、しばしひと段落。と、思いきや厄介な原稿やら早急に片付けや解決の処理を必要とする出来事が重なってアップアップ。そんな間隙を縫って、ひとりで、あるいはツレを見つけては、気になる店に出かけてみるようにしています。

 そもそもは昨年末、オールド・ボーイズ向けPOPEYE「OILY BOY」で、東京の若い新進気鋭の料理人をレポートしたのを発端に、新進気鋭の若手料理人がオーナー・シェフを務める店、中国本土からやってきた料理人が料理長を務める店に関心を持ったのがきっかけです。

 いずれ、東京の最新の中華料理事情、もしくは、日本の最新の中華料理事情をレポートしてまとめたいという意思があってのことですが、出来れば中国料理に限らず、新世代の料理人を追っかけてみるのもおもしろいかも、なんて思いはじめたからです。

 とはいうものの、なかなか時間が見つけられない。時間を見つけて出かけてみたところで、福臨門や「赤坂璃宮」銀座店のようにどの料理もレベルが高く、なおかつコースとしての構成、その緩急の妙や味、風味の変化を楽しめるのは、やはり難しいといのが現実だったりします。

 それにこのブログ、香港の広東料理、あるいは中国料理の知られざる実態やその奥深さ、その背景にあるものを紹介したいというのが本来の趣旨、目的。それに関連して食の文化比較というのが根底のテーマですから、そうしたことに関わる何かを見つけないことには話も弾まない。小言ぢぢいの本領の発揮のしがいがない。

 もっとも、興味をかきたてられた店、料理がないわけではありません。
 たとえば、大阪の「一碗水」がその1軒。もはや旧聞に属する話題ですけど、この4月、大阪の新歌舞伎座に五木ひろしの公演を見に出かけた際、帰りに久々に立ち寄りました。

 「一碗水」、大阪では予約が取れないと評判の店。そんな大阪での人気、評価の実態、かつてdancyu誌の創刊200号記念の特集「日本一旨い店を集めました」で同店を紹介した大阪の門上武司さんに尋ねましたが、忙しい身ということもあって返事はまだ戴けず。

 その代わりに届いたのが「神戸元町別館牡丹園」の王泰康さんと息子の文良君の「父子鷹」を紹介した「魔法のレストラン」のDVD。こいつが面白かった。
  あ、門上さん、「一碗水」のご返事、待ってますから!

 私が「一碗水」、オーナー&シェフの南茂樹さん、それに彼の作る料理に興味深々なのは、彼の目線、意図するもの、姿勢の面白さにひかれてのことです。吉祥寺の「竹爐山房」の山本豊さんのもとで修行し、薫陶を受けた一人だってことも理由のひとつ。

 最近でこそオーナー&シェフによる新趣の店が大阪、神戸、京都に相次いで登場。その話題の店の数々の情報、耳に届きます。そんな新潮流の突破口のきっかけになったのが「一碗水」、というのはどうやら誰もが認める話のようですね。

 例えば、今回出会った「腌篤鮮/塩漬け豚肉、豚肉、筍、百頁(押し豆腐)の煮込み」に、南茂樹さんの熱い気概、意気込みを感じました。

2009/06/22

鳥越祭 本社御輿渡御 2009の3

 初めて御輿を担いだのはイラストレイターの矢吹申彦さんに誘われ、北沢八幡大祭の東北沢の町内御輿でのことでした。30年以上も前のことです。遡れば子供の頃、神戸の生田神社の子供御輿、なんてのもありましたけど。

 ともあれ、御輿を初めて担いで御輿にはまった私は、北沢八幡大祭の東北沢の町内御輿には毎年参加。しかも、それだけでは収まらず、ツテを探し出してあっちこっちの御輿担ぎに進出したもんです。  

 仕事仲間にも御輿好きを見つけました。それが、なんと御輿の同好会に入ってるという。ポパイなんかで写真を撮ってたカメラマンで、一時、三社祭のオフィシャル・カメラマンだったこともある小川よしのぶ君がその人。今では同好会も止め、御輿担ぎもやめちゃって撮影一筋、なんていいながら、三社祭でばったり出会ったりするとしっかり半纏を脇に抱えているような御仁ですから。御輿って、一度、味を占めちゃうとやめられないんです。反対に、一度きりでこりごり、なんて人もいるにはいます。

 ところが御輿の同好会、ほとんどが毎週、週末に参加が必須の条件と聞かされ、当時の私には到底無理なことでしたから同好会への参加は諦めました。以来、知人、友人の地元で祭、御輿が出ると聞きつければ、半纏のゲットを依頼。どこでも地元の半纏がなければ御輿は担げませんから。

 しかし、地元の方のご好意で半纏をゲットしても、世話してくれた方、その一家は御輿には参加せず。なんてのはよくあることで、御輿を担ぎに行っても、どこでも、ツレ、仲間なしのひとりぼっち。そんなことに慣れっこになっちゃいました。

 ことに一人ぼっちの御輿担ぎ人はすぐにわかるもんで、なんだか共感を覚え、いきなり打ち解けて親しくなったりします。何度も同じ御輿を担ぎに出かけるようになれば、助っ人の同好会の人間でもないのに地元の人と馴染みになって「いつも担いでる地元の人の顔!」になっちゃうのが私の取り柄!

 それに、馴染みになれば青年部の世話役さんがハナ棒に引っ張り込んでくれたりするわけですが、「いいです、いいです、お構いなく」と、面倒はかけずに担ぎます。というか、あくまでマイ・ペース。自分のやりたいようにやる、という性質なもんで。

 そういや今年の三社の雷門中部ですっかり顔なじみになった青年部の方から、要領よく美味しいところを好き勝手に担ぐマイ・ペースぶりを「年をとった親父の賢くて美味しい担ぎ方、楽しみ方ですね」なんて感心されて、ハナ高々。なんて言われても、ただの御輿好きなおやじだけのことなんです。私ってほんと、馬鹿ですよねえ。そうだ、去年、出会った岡本さんも「御輿好きの人の良いおじさん!」というのが私の印象だったそうで。
 
 ともあれ、岡本さん、昨年の鳥越祭で御輿デビュー。しかも、ひとりぼっちで、ツレ、仲間なし、なんてことに親近感を覚えて私はお節介。その岡本さん、話を聞けば母方の父親、つまりはお祖父さんが小島町に住んでらしたことから、引っ越してきたのが14年前。私だったら「わ、すげえ、毎年、千貫御輿を担げる!」と、それだけて盛り上がります。

 そして、岡本さん、小島町に引越してきた翌年の鳥越祭の本社御輿の町内渡御で、玄関の引き戸のガラスが割れる災難に。

そうです、鳥越の本社の御輿の町内渡御は、引渡しこそ大通りですけど、すぐさま町内の狭い路地に入り込む。狭い町内の路地に千貫御輿とそれを取り囲む怒涛の人並みが一気に押し寄せるわけですから、何も起こらないわけがない。玄関前に並んだプラント・ケースは踏み潰される。無残に跡形もなく蹴散らされる!

 それより、狭い路地で千貫御輿が左右に揺れて、通りに面した玄関の引き戸や窓のガラスが割れる、なんてのはよくあることです。ですから、本社の千貫御輿が通ることになった小路に面した家の玄関や窓は、その昔、台風の来襲に備えたそのまま、ガラスの入った引き戸や窓に板を貼り付けて防御。それも鳥越祭の本社御輿渡御がある日ならではの街の風情のひとつです。あの台風がやってくる日の胸のときめき、ざわざわ感がよみがえったりしますから。

 小島町に引っ越してきて、翌年の鳥越祭で、ご自身は不在時にそんな被害にあった岡本さん。でも、災難じゃなくって「縁起がいいなあ!」って思った、と言うんですから度量があるというか心が広いというか、御輿への敬意、愛着がうかがえて頼もしい。それからも、そんな災難、じゃなくって「縁起のいい出来事!」が、何回かあったそうです。なのに鳥越祭の日は御輿を担ぎたいと思いながらやり過ごし、宴会をやるだけで過ごした年月、あっと言う間に10年以上!なんて話を聞いて「ああ、もったいない!」と私はため息。

 それが一昨年、ご長男に「パパは御神輿を担がないでずるい!」と言われてグサり! それに昨年は本厄だったことから、厄払いのつもりで一念発起!そんな岡本さんに宵宮の小島三町会の連合渡御で1年ぶりに再会しました。

 そして、翌日の本社の千貫御輿を待つ担ぎ手の中に、岡本さんの姿は見当たらない。どうしたんだろ?なんて思ううちに、本社の千貫御輿の渡御は開始。岡本さんと出会ったのは午後の町内御輿での渡御でのこと。本社の千貫御輿、ギリギリで間に合って、やっぱり今年も帯の締め方がわかんなくって、世話役の人に頼んだそうで。

 それから、いざってことで千貫御輿、脇の後ろにくっついてたら、送りこんでくれる世話役の人がいて、何度が担げたそうです。でも、暑さにやられてヘトヘトになって、本社のあとはバタンキュー状態。誰しも同じだったわけですね。

 今年の鳥越の本社の千貫御輿渡御は、ほんとに暑かった。くたばってしまうぐらい暑かった。けど、担がないではいられません。そんな鳥越祭、終わってしまえば「あ~あ、あと364日か!」と精気が抜けて、ため息ばかり。

 鳥越祭が終わって梅雨の日々を抜ければ、夏がやってきます。

2009/06/20

鳥越祭 本社御輿渡御 2009の2

 今年の鳥越祭の御輿は町内御輿も本社の千貫御輿渡御も見学だけのつもりでした。長年お世話になってる越村さんちで、昨年、不幸があり、神社の神事、祭りには不参加という事情があってのことです。身内ではありませんが、身内同様、面倒をみてもらってましたから、今年は担ぐのはお休みにするつもりでした。

 しかし、担がないから鳥越祭の日に越村さんちに伺わないのは、これまで散々お世話になってきたのに礼を欠く。それに、もしかして越村さん、寂しがってるかも。それよりも、ずっと越村さん同様、ずっと面倒を見てくれた故人の仏前にお参りもしたい。なんてことで、思い立って越村さんちを訪ねたのが宵宮の日の夕方。

 越村さん、とても喜んでくれました。それも越村さん、5月の末から入院し、退院したのが祭りの2日前。なんて話には驚きましたが、そんな風には見えないぐらい元気な姿にひと安心。
「いやあ、今年は喪中だしね。でも、近所のお稲荷さんの世話役の代表もやってるから、喪が明けてから家族一同、鳥越神社でお払いは受けたんだけど。でも、ま、今年は祭りはお休みってことで。それに、入院して、戻ってきたのが二日目だったから、いろんな方に連絡も出来なかったんですよ。誰にも連絡はしなかったんだど、誰か見えないかなあって、心待ちにしてたところなんで、嬉しいなあ。いや、兄貴も昌平君も、それに昌平君の仲間も来ててね。町会の御輿の渡御がはじまるんで、さっきでかけたばっかり」と、越村さん。

 兄貴というのは神田の嶋倉さん。息子の昌平君は地元神田の神田祭の青年部ってことから、神田祭では御輿の面倒を見るばかりで担げない。そんなことから、毎年、鳥越にやってきて、存分に担ぐのがなによりも楽しみ。嶋倉さんも昌平くんも、年に一度、鳥越祭の日に、越村さんちで顔をあわせるわけで、3年前に結婚した前後から今ではかみさんになった智子さんも御輿に参加。今年は神田祭の仲間も一緒でした。

 そして、小島三町会の連合渡御が始まるというんで見学に。 そしたら越村さん「上に半纏、あるから着替えたら!そんな格好じゃ小倉さんらしくないよ!」なんて、いきなりの話に担ぐつもりじゃなかった私は、しどももどろ。
「え!でもあの、今年はやっぱり遠慮しますよ。身内ってわけでもないですが、お世話になってきたんで」
 と返事したものの
「いいからいいから、祭りの日にいろんな人がきてくれるの楽しみにしてたのは、故人なんだから。供養にもなるからね!」
なんて話に
「はい、わかりました!」と、私。 素直、っていうよりも遠慮がないんですね。とは言うものの、御輿を担ぐ用意なんかせずに伺ったもんで、ダボなし、半纏を素肌の上に着込んで、町内御輿、3町連合渡御に参加。
  
 それともうひとつ、昨年、本社渡御で知り合いになった岡本祐司さんのことが気がかりでした。

 岡本さんと知り合ったのは去年の本社渡御でのこと。前の町会からの引き渡しの前に担ぎ手は待機。なんて時 「あのう、帯ってどうやって締めればいいんでしょうか?」 と尋ねられたのがそもそものきっかけ。口で教えるより、締めて上げる方が手っ取り早い。

 話を聞けば小島1丁目の住人になって13年。鳥越祭を楽しんできたものの、本社渡御はもちろん、町内御輿を担ぐのも初めて!

「初めてでハナ棒を担ぐのは、う~ん、ちょっと厳しいかも。みんなハナ棒を担ぎたがるから。けど、脇の真ん中のところなら、人の輪も少ないし、後ろの脇なら、後ろについてれば、送り込んでくれるから!」なんて、訳知り顔でお節介を買って出た次第。

「う~ん、なら、出来る限り傍にいてください!引っ張り込むか、入れ替わるから!」ってことで、怒涛の本社の千貫御輿の渡御が始まった。私はいつも通り、担ぎ手が群がり、ひしめきあう御輿をとりあえずは観察。御輿が上がった途端に、御輿を取り巻く人垣を掻き分け、比較的人垣の薄い脇の真ん中に潜り込んで、御輿に歩調を合わせながら、担ぎ棒に手が届く隙間を見つければ、一気に肩から割って入って、担ぎ棒にしがみつく。

 担いでしばらく、ふと見ると、御輿に並んで脇を取り囲む二重ほどの人垣の中に岡本さん。右手を上げて岡本さんに合図を送り、なんとか近づいてきた岡本さんと入れ替わり。そんな風に、繰り返し担ぎ棒にしがみついてた間、岡本さんを見つければ、引っ張り込んだり、入れ替わったのが3回、4回、ぐらいかな。御輿デビューで本社の千貫御輿を担ぐのは、ほんと至難の技だったりしますが、ともあれ、岡本さんの御輿デビューの手伝いを果たしたのでありました。

2009/06/14

鳥越祭 本社御輿渡御 2009

 いやあ、暑かった。今年の本社の千貫御輿渡御は、ほんとに暑かった!!
 熱中症って経験がないんですが「もしかしてこれ?」なんて思うぐらい、暑さにやられてヘトヘトになりました。 夏の真っ盛り、そのど真ん中の8月15日、かんかん照りの日に富岡八幡宮の御輿を担いだことがありますが、そん時の方がまだまし!なんて思ったぐらいの暑さでした。

 (桂)枝雀じゃないですが「お陽いさんが、カァ――!」状態。照りつける陽射しは頭皮を突き抜け、脳ミソを直撃!煮えくり返って沸騰寸前!なんて按配でしたから。おまけに、もしかして前日までの雨で濡れていた道路の水分が、照りつける日差しで蒸発し、湿気を帯びたムンムンの暑さになっちゃたこともへとへとのへたれになっちゃった要因、だったのかも。

 小島一丁目の今年の本社の千貫御輿渡御、鳥越1丁目からの受け渡しは、予定では10時40分。それが、13分早まったと後で知りました。午後に担ぐ本社御輿の渡御に比べれば、人数、なんだか少ない印象で。ですが、町内御輿に比べれば担ぎ手の人口密度は尋常じゃない。

 担ぎ棒の周りには、虎視眈々と担ぎ棒にくらいつくつもりの人波が幾重にもびっしり。
 もっとも中棒のあたりは取り巻く人波の輪も薄め。そこに要領よく紛れ込み、担ぎ棒にほんのわずかでも隙間をみつければ、ひょいと担ぎ棒に手を差し伸べ、身体を真横にして、ぐぐぐ~いなんて感じで、担ぎ手の間に割り込みます。ですが、前と後ろの担ぎ手にはさまれて胸が締め付けられ、呼吸困難、酸欠状態に陥りそうになることなんかザラですから。

 しかし、担ぎ棒にしがみつけたら、後はもう担げる限り担ぎ続けます。
 そう簡単に担ぎ棒から離れない!
 「ねね、おじさん、そろそろ代わってやったら!」
 なんて言われてチラっと見るとどうやら今年初めて小島1丁目の本社渡御に参加の助っ人の若者のリーダー格の様子でした。

 もう何年も担いでますから、町内の睦、世話役の方、常連の方とは顔なじみ。
 それが、毎年、入れ替わり立ち代り、御輿の同好会の連中なのか、助っ人の新顔が入り混じり、その手のリーダー格が、なんでだか御輿の中棒の脇について、担ぎ手をミョーに仕切りたがる。引き連れてきた仲間、ことに女の子を担ぎ棒に入れたがる。よくあることです。

 「え!?おれ?おれがおじさんかい?」と、しらんぷり!
 けど、もしかして「おじさん」じゃなくって、「おやじさん」なんて言われりゃ
 「は~い、はい!」なんてすんなり入れ替わってあげたかも、です。
 そのあたり実にビミョーな(年季の入った御輿)オヤジの心理です!

 意地を張ったわけじゃないですし、ま(年季の入った御輿)オヤジとしては、しっかり自己管理。前と後ろの担ぎ手に胸を圧迫され、呼吸困難に陥りそうになりなりがら、自分の按配見計らい、たまに抜け出して水分と酸素の補給を怠らず、今年もしっかり担ぎました!

2009/06/08

郷土料理が旨い~09年5月の『赤坂璃宮』銀座店の6

 そして今月の締めくくりの「面・飯」は「咸魚生菜炒飯/塩干し魚風味レタスチャーハン」。「赤坂璃宮」銀座店のグランド・メニューの「粥・面・鍋耙」のメニューに紹介されてる一品です。が、私、初体験。
 なにしろ、炒飯の種類、バリエーションは実に豊富。「赤坂璃宮」銀座店のグランド・メニューに紹介されている炒飯は6種。しかも、その一部にしか過ぎません。ということから、「赤坂璃宮」銀座店で出来る炒飯のすべてをすべて踏破するには、やっぱり毎日通わんと、ね。

 さて、「咸魚生菜炒飯」。
 「この干したような魚の身が?」
 「そうそう、そうです「咸魚」。塩漬けの醗酵させた魚です」 
 「くせがあって、風味がたまらないですね」
 「これだけで、ご飯、何杯も食べられちゃうますね」
 「でも、私、鶏肉の賽の目切りと一緒に炒めたのは食べたことがありますが、レタスとの組み合わせははじめて!」
  「レタスのシャキシャキ感とかさっぱり感がいいなあ。その、えとなんだっけ「咸魚」?のくせ、風味を抑える感じで!」
 「うん、レタスを炒飯に入れたことがあるんだけど、火が通り過ぎて、くたくたの感じになっちゃって。でも、これ、しゃきっとしてて、やっぱり最後にあわせてさっと炒めるのかな?」
 「そのレタスの触感とさっぱり感が面白いよね、この炒飯」
 「いや、レタスにしろ、青菜にしろ、私は、しゃき感よりもしっかり火が通ったくたくたのが好きなんですが。炒めものにしてもね。でも、この炒飯の場合は、しゃき感、さっぱり感がポイントだね」
 なんて、話がはずみます。

 私の個人的な感想としては、レタスのしゃき感、さっぱり感はグッド。ですが、それに対して、たとえば「咸魚」と鶏肉の賽の目やあら微塵の炒め物との組み合わせからすると、どうやら「咸魚」の分量いつもより控え目な感じ。

 ですが、それでもやっぱりレタスよりも味、風味が勝っちゃう感じ。「咸魚」の存在感、でかいですから。それからすると「咸魚」にはその存在感に匹敵する鶏肉、あるいは牛肉、豚肉などとの相性がいいのかも、などと思った次第。

 そういえば、レタスを使った炒飯では「レタスと牛肉の炒飯」といのが一般的。日本の広東料理店でも定番的なメニューのようで、今までにも何回かであったがあります。中でもいまだ忘れ難いのは(って、随分、ご無沙汰ですので)尾山台の「華門」の「牛肉とレタスの炒飯」。
 
 もとホテルの中国料理店出身の御主人の自慢の一品、しっかりの味付けの牛肉とレタスのしゃき感、さっぱり感のバランスが取れていて、なおかつ洗練された上品な味わいで、風味があり。「華門」にはまたでかけなくっちゃ。
 そしてデザートには皐月の季節らしく涼風を感じさせる一品が。
 名前は逸しましたが、小豆を素材にした冷製の甜品。ひとさら3切れってことですが、う~ん、食べたいけど、それ一品きりでおしまいなのはしめくくりのデザートには物足りない!

 どうしようか、なんて思ってたら「私、3切れは食べられない!」なんて、救いの手!
 なんてことで、一切れおすそ分けしてもらいました。
 これが、なかなかぐっど。かなり、ぐっど。
 年代ものの「普洱茶」もいいですが、それよりも緑茶、それも「龍井茶」が欲しくなりました。

2009/06/06

郷土料理が旨い~09年5月の『赤坂璃宮』銀座店の5

そして野菜料理の「生熟蒜蒸勝瓜/十角瓜のガーリック蒸し」が登場。
 「十角瓜」というのは石垣島産のものだそうです。
 「赤坂璃宮」銀座店の5月の「今月お薦め&家郷菜~精選推介」に、この「十角瓜」を素材にしたいくつかの料理が紹介されていました。
 ということなら今月のメニーに「十角瓜」が登場しそうとにらんでましたが、はたしてどうな料理で登場するか、興味津々。
 それがこの「生熟蒜蒸勝瓜」、ガーリック蒸しだったという次第。
 それより「今月のお薦め」では石垣島産ってことと「旬」の味、なんて紹介されてました。うん、沖縄は南国ですから、もはや「旬」なんてことなんでしょうが、本土からすればまだまだ「走り」の産物。

 そうです、「瓜」が登場ってことで、夏の気配を感じる。もっとも、それよりも先に「梅雨」が控えてますから、夏はまださき。でも、夏の風味、こんなに早くに味わえるのは嬉しいですね。

 この「十角瓜」、香港、広東地方で「絲瓜/勝瓜」と称されているもの。それで中国料理名は「生熟蒜蒸勝瓜」なんだと納得。 「絲瓜/勝瓜」は「糸瓜(へちま)」の一種。なんて思ってましたが、今回、「十角瓜」を検索してみて、「へちま」と「おくら」を掛け合わせてできたものだと知った次第。

 ぼってりとした瓢箪型の「へちま」とは違って濃緑色。しかも、細長くて稜角があり、その数10本、なんてことから「十角瓜」と呼ばれてる、なんてことをしりました。ちなみに「辻調おいしいネット」の連載コラム「好吃~中国料理」で「中国料理の伝道師」こと松本秀夫先生が「絲瓜/勝瓜」について紹介。要チェックです。

 濃緑色の皮は厚みがあって、皮自体は苦味、えぐみもあり。ですが身のほうは瑞々しくって、爽快感あり。しかも、へちまにくらべれば甘味がある。それを大蒜を乗っけて蒸してあるので、皮は苦味、えぐみよりも青さがうんと引き立ってる感じ。
 おまけに、身はジュクジュクでトロトロの触感で、甘味がじんわり浮かび上がる。もしかして「走り」の若い「十角瓜」の持ち味なのかも、なんて思いました。それで、生湯葉との上湯ソース仕立てや鮑汁(干し鮑を戻した汁です)仕立ての一品があったわけだと納得。
 ほかに「十角瓜とえびすり身あわせの煎り焼き」(というのは「煎百花醸勝瓜」ってことかな~?)なんてのもあり。そいうのもいいですけど、この「十角瓜」、生のえびでもいいですが、ぐっと家庭料理、お惣菜ぽく干しえびの「蝦米」、春雨の「粉絲」なんかと一緒に炒め煮込みした「勝瓜蝦米粉絲煲」なんか、これからの季節ならではの「煲仔」ですから。来月、リクエストしちゃおうかな。
 
 それより、調理、味付けはおまかせにして、どんな「十角瓜」を素材にした料理に出るか、楽しみにするのがいいかも。
 ともあれ、これからの季節、「十角瓜」に限らず、「瓜」の料理の数々、その登場が楽しみです。

2009/06/03

郷土料理が旨い~09年5月の『赤坂璃宮』銀座店の4

 そして「豬肝滑鶏煲/伊達鶏と豚レバーの土鍋煮込み」が登場。
 テーブルに置かれてなお、土鍋の中で「じゅうじゅう」と音を立てながら煮えたぎる鶏肉や豚のレバー。湯気が立ち昇り、あたり一面に漂う香ばしい匂い。醤油や味噌が熱々の火に焼け焦げていく時のあの香り。その香りからして、味の濃厚さが伝わってきます。
 取り分けられた皿から、まずは鶏肉に食らい付くと、まだ熱々のまんま。唇にふれるのは濃厚なミソの味。噛み締めると鶏肉は柔らかくてジューシー。純な鶏肉を包み込むたれの味は、メリハリが利いていて、こってりと濃厚な味つけ。

 いつもの袁さんの料理、ほとんどは優しくて上品であっさりした清淡な味付け。ですが、この料理はまるで対照的。がつんとくる、(あ、そか、がっつり、って言うんですよね)パンチの効いたパワフルな味、風味。めちゃくちゃインパクトがあります。白いご飯がほしくなる味!

  豚のレバーは鶏肉よりも柔らかくって、ねっとりの触感。ですが、それ以上にめりはりの利いた味付け。レバ炒めを通りこしたインパクトのある味付けで、パンチが効いています。これまた白いご飯が食べたくなる味。

 その味、風味、土着的。気取りがなくって、直接的。ほら、関東地方以北で一般的な、里芋を醤油と砂糖で煮付けた「芋の煮っころがし」などにも通じる世界。いや、「芋の煮っころがし」よりも味はいささか複雑。塩味、醤油味に甘味だけじゃなて複雑な旨味、こくがあります。 料理としてビシっと止めを刺してあるのは、それこそ袁さんの技。

 こんな風にメリハリの利いたこってり、濃厚な味付けの料理も、広東地方の郷土料理にはあります。惣菜、ご飯のおかずにはうってつけ、ですから。そうだ「家郷菜」を訳せば「田舎料理」ってことになるわけで、それからすると、この料理は、イメージそのまま、ぴったりな一品といえるかも。

 この料理「豬肝滑鶏煲」なんてよりも「滑鶏煲」ってことで一般的。冬場の広東料理店の「小菜」のメニューでは「啫啫滑鶏煲」なんてことでメニューに載っています。ちなみに、「啫啫滑鶏煲」の「啫啫」は、熱々の土鍋で煮えたぎる素材が「じゅうじゅう」と焼ける音を形容した表現。
 それに、街中にある大衆的な食堂で、各種の「煲仔飯」を看板にする店、たとえば九龍城市の「添樂園」などその代表ですが、そんな店の「小菜」の店で常備されてる一品です。

 それより、この「豬肝滑鶏煲」、メリハリの利いた濃厚な味付けの元が気になってしょうがない。これまで食べた「啫啫滑鶏煲」よりも、こくがあって旨味が濃厚。 そういえば「酒」、「醤油」、「油」を同じ分量使って炒め煮込みした「三杯鶏」を思い出す。が、それよりも、旨味は重層的。ヒリリの辛味なんか頭を覗かせる。

 わからないことは、袁さんに尋ねるのに限ります。なんてことで大藤さんに頼んで、味付けの調味料、尋ねてもらいました。
 「え~、調味料は「柱侯醤」、それに「蠔油」、「オイスター・ソース」、それに「豆板醤」も少々、ってことです。味噌味したて、ってことですので!」、と。

 なーるほど、「柱侯醤」。それが複雑な旨味、こくを生んだ鍵のひとつですね。味噌味の効果を発揮。さらに「蠔油」ってことで、甘味、それに旨味とこくをます。旨味が重層的でこくがあるのはそんなわけ、ですか。

 ひりりの辛味は「豆板醤」。「啫啫滑鶏煲」で「豆板醤」を使うことがある、なんて知ってましたが……、あ、そか、もしかしてヒネ味の「郫県(ピーシェン)豆板醤」なら、辛味だけじゃなくって、旨味、こくをさらに増す。

 うーん、めりはりが利いていて、パンチのあるパワフルな味。それだけじゃなくて、重層的な旨味、こくの秘密はそんなところにありってことでした。
 「この料理って、ビールが欲しくなるよね~!」。
 「うん、うん、それも言える!!」

2009/06/02

郷土料理が旨い~09年5月の『赤坂璃宮』銀座店の3

  そして「鮮魚二食」の2品目の「油泡球/ハタ切り身の炒め」。
 「はた」の切り身の炒めもの。料理名からすると「油通し」ってことになります。
 この料理、これまでなかなか注文する機会がなく、食べそびれなんてことがほとんど。
 というのも、「はた」を食べるなら一匹丸ごと「清蒸海斑」にするか、上湯で煮浸しにした「上湯浸海斑」、もしくは醤油煮込み料理の「紅炆海斑」、中国式唐揚げの「油浸海斑」ってことになります。それとも「斑腩」の部位を醤油煮込みした「紅炆斑腩」か「油浸斑腩」なんて風で。

 以上、上げた「はた」の料理からも明らかなように、「はた」の切り身、もしくはぶつ切りを炒めた(油通し)した「油泡斑球」の順位はうんと後ろの方。なかなかその出番は回ってはこない。なんて方、私以外にも多いんじゃないでしょうか。ことに香港での滞在日数や訪れる店も限られたりすると、絶望的、だったりしますから。

 それでも、なんでだか日本の広東料理店のメニューに「はた」に限らず魚の切り身の炒めものが、結構、定番的なようで見かけることが多い。人気があるんでしょうか?
 私は、2度ばかり試しましたが、いずれも散々な目にあって以来、注文したことがありません。

 実は魚の切り身の炒め物、簡単そうでいて、技が物言う調理の難しい一品。 そうです「鍋」の技こそがその出来上がりのすべてを決める、といっても過言ではないかも。

 「油泡斑球」は香港でも一般的で、これまでに何度か食べた経験あり。ですが、これぞ!というのには、滅多に出会ったことがありません。
 まずは、魚の素材自体の問題。それに、下拵えと鍋の技、ことに「鑊気」鍋の気の有、無しで料理の出来栄えが決まっちゃいますから。

 素材で言えば、やはり「はた」。
 譚さんのおっしゃる通りです。異議なし! 
 次なる問題は下ごしらえ、つまりは魚の切り分けと下味、衣つけ。
 それから、如何にして調理するかという鍋の火の扱いの問題。油を媒介にするわけですから、その沸点の見極めもね。そして、素材の火の通し方、そのタイミングの見計らいに経験と技を要します。

 これが「えび」あたりだと、そこそこの技術でも一応のものが仕上がったりする。ところが、「帶子」、つまりは生の帆立、それに魚、ことに「はた」の切り身となると、火の通し方、ビミョーです。そう、火の通りの按配を見計らうタイミングの見極めが肝心。なんて、自分でやれるわけもなく、食べるだけなのにねえ!とわかっていながら、オヤジ(私、です)はほざきます。

 私にとって「油泡斑球」が魚料理の順番の後方で、なかなか注文しない訳も、その辺にあります。香港でも「油泡斑球」を自分で注文して食べるとなると、店がきまっちゃいますから。

 なんて、長い前置き。
 はたして「赤坂璃宮」銀座店の「油泡球」の出来栄えや、如何に。
 日本で食べた「油泡斑球」では間違いなくベスト。
 なんて、袁さんが料理してんですから、香港の味、風味まんまなわけで、日本のそれとは比較するのが間違ってますよね。

 まず、感心したのは、魚の身の切り方。
 魚の身は腹から尾に向かって狭まっていきます。その身を半分にして、腹半ばあたりは2センチ弱ほどの厚さ。で、尾に近い身は、幅たっぷり、つまりはぶつ切り。画像でそれがしっかり確認できます!
 「はた」の下拵え、素材のそのままの感じで、すっきり、さっぱり。日本の広東料理店なら、一歩はみだし目の下味付けというのが一般的だと聞きました。というのも、多くの客にとって納得の行く「中華料理」らしい「濃い味」にはならないからだそうです。

 「はた」の身はみっちり肉厚。火を通すと肉厚の身が「はらり」とはがれ落ちる感じ。しかも、ほろほろの触感あり。蒸した「はた」なら、ほろほろの感じに、しゅわ感が入り混じる。それが、油を通した「はた」の身は、ほっくり感がむき出しになる。だからこそ、その切り身は程々の厚み、もしくは、ぶつ切りがぴったしなんだと、納得できます。
 もちろん、その炒めかた、油通し、火の通り加減がジャスト!だからこそ、その触感を生み出せることは言うまでもありません。そのタイミング、火のとおりの加減の見極めに、技があり。余熱の火も計算ずく、なんでしょう。

 最初、まんま、何もつけずに食べると、素材のよさ、持ち味がしっかりわかる。腹半ばの部位の身はともかく、尾に近い身のぶつ切りはほんのり油がベタな感じ。 あ、そか!それなら「蝦醬」か「蠔油(オイスターソース)」をちょっぴりつけて!
 なんてことで、アテンドの山下さんに早速「蝦醬」と「蠔油」をお願い。
 「あ、これ、いい!これ、何だっけ?「蝦醬」っていうの?これ、ちょっぴりつけると味が引き締まる感じ。わかります、エージさんの言う「はらり」の感じの身の旨さ!」なんて声が上がります。
 
 「オイスター・ソースだと、オイスター・ソースそのものの味が濃厚だし、べったりオイスター・ソースの味になっちゃうから、もったいないね。でも「蝦醬」の方が塩分濃厚なのに「はた」にぴったり、なのが不思議ですね。もっとも、ちょっぴりでいい感じ!」なんて声も上がります。
 なんたって「はた」ですから、贅沢この上ない。
 ごっつあんです、なんてよりも、ナンマンダ、ナンマンダブ!
 その美味を存分に味わったのでありました。

2009/06/01

郷土料理が旨い~09年5月の『赤坂璃宮』銀座店の2

 そして「鮮魚二食」ということで「頭腩豆腐湯/ハタのあらと豆腐のスープ」、「油泡球/ハタ切り身の炒め」の2品が登場。

 「鮮魚二食」(もしくは「鮮魚两吃」だったか)というのは、丸ごと一匹の魚を2種の料理方法、味付けで調理、ってことです。たとえば、魚の半身を炒め物に、半身を蒸し物にしたり、煮込みものにする。高級な宴会料理なんかだと「石斑」、「はた」の類がその素材になります。

 そういえば、魚で一番美味しいのは頭と砂ずり、ひれのついた縁側のあたり。なんていうのは、香港、広東地方だって同じこと。日本と変わりありません。たとえば、陸羽茶室など伝統的な広東料理店、高級な海鮮専門の店のメニューにある「紅炆斑腩」はその典型的な料理。大ぶりの「はた」のひれの付いた砂ずりあたりを煮込んだ料理です。「はた」ですから、時価で、値段もそれなり、ってことがほとんどです。

 今回の「鮮魚二食」は、「頭腩」、つまりは、頭の部分、それに、砂ずりの部分やヒレ、中骨でスープを作り、残る身を炒めものにしたもの。「油泡」ってありますから「油通し」ってことになります。

 そんな「鮮魚二食」の登場を喜びながら、素材が「はた!」と知って、驚きました。びびりました。予算オーバーな素材ですから。
 「あの「はた」……ですよね!」と私。
 「はい、いえ、あの、この料理は「やっぱり「はた」じゃないと」と、譚が申しまして!」と、大藤さん。

 確かに。「はた」じゃなければ、この料理の真髄、味わえない。
 ですが……、なんて恐縮しながら、そうだ今回は「赤坂璃宮」銀座店での会食、2年目に突入の1周年記念、だもんね!と、手前勝手な厚かましい解釈。
 すんません!ご好意に預かります!と、すんなり受けちゃうあたり、美味の誘惑に勝てない食い意地の張ったオヤヂです。

 最初に登場したのが「頭腩豆腐湯/ハタのあらと豆腐のスープ」。

 スープ、それにその具は別皿に。じっくり素材をとろ火で長時間煮込んで、味、旨味、風味を引き出す「老火湯」を食べる時のスタイル。  

画像をご覧の通り、白濁、というよりもいくらか薄茶色がかったスープに、豆腐がぷかぷか。




 

 

これがスープの具材。 「はた」の頭や砂ずりなど、あらの部分は「煎」、つまり、煮込む前に煎り焼きにした形跡あり。広東系のこの種のスープで魚を使う時、煮込む前に魚を煎り焼きするのは基本のルール。それ以外に豆腐、広東白菜。それに「皮蛋」まで並んでいたのに驚きました。

 「そうか「皮蛋」、こんな風にして使うこともあるんだ!」とひとりごち。
 お粥の具に皮蛋なんてのはありますが……
 「そうだ!「鯪魚」に「香菜」を煮込んだスープに「皮蛋」が入ってった!」と、九龍城市にあるタクシーの運転手のたまり場になってる食堂での「例湯」のことを思い出しました。

 話がずれますが、徹夜明けに「香菜」たっぷりのスープ、なんてのは香港人がよく言うこと。「香菜」には「気」を鎮める効果がある、からなんだそうで。だから、煙草の吸い過ぎなんかにも、ぴったりだと。

 話戻して「頭腩豆腐湯」、いつもの「老火湯」同様に基本的には穏やかで優しい味。
 ですか、塩味がいつもより利いてる感じ。川魚を素材にした時特有の泥くささとは対照的に「海」の味、「磯の香」がするのは、やはり「はた」だからでしょう。それに、この手のスープに欠かせないのが「広東白菜」。自然な甘味と爽快な味、風味は、間違いなく「広東白菜」のそれ。
 それより、この手のスープ、日本で食べるとやたら生姜の味が濃厚だったりするんですが、そんな感じ、微塵もなし。香味野菜、ふっと、鼻先かすめる感じでどこへやら。そうだ、どんな香味野菜を使ったのか、聞きそびれました。

 それに、穏やかで優しいだけじゃなくて、味わい、緻密で濃厚。
 「はた」を素材にした贅沢な「老火湯」、なんてよりも豪華な一品。
 シアワセな気分になりました!

2009/05/31

郷土料理が旨い~09年5月の『赤坂璃宮』銀座店の2

 2品目、「家郷蓮藕餅/蓮根と豚挽肉の煎り焼き」の登場です。 かねてより「袁さんに頼んでやってもらえませんか?」と、依頼していた料理の一品。

 「蓮藕餅」、直訳すれば「蓮根餅」ってことになります。 なんていうと「蓮根の挟み揚げ」を思い浮かべる人も少なくない。和食、居酒屋の一品、それに、天麩羅の店で見かけることもあります。TVの主婦向けの料理番組でも見かけたことがあります。それから、創作的な料理をメインにする中国料理店などでも。
 
 「「蓮藕餅」?、あ!それならウチでもやってます!」となんてとある中国料理店の料理人の話に、内容、詳細を尋ねたところ、要は薄切りにした蓮根の間にえびや豚肉を擂り身にした餡をはさんで、揚げたものだったりしました。
 
 「蓮藕餅」は広東地方の代表的な家郷菜の一品で、お惣菜として家庭でも頻繁に作られる一品。豚の挽き肉に「慈姑」、「榨菜」を混ぜあわせたり、「いか」、塩漬け魚の「咸魚」をトッピングして蒸した「蒸肉餅」、円形の小ぶりのハンバーグのパティ風にして煎り焼きにする「煎肉餅」、牛肉に陳皮を風味付けにした「陳皮牛肉餅」に似た料理です。
 
もっとも、煎り焼きの「香煎蓮藕餅」はこれまで色々なところで何度も食べましたが、蒸した「蒸肉餅」には出会ったことはなし。でも、どっかにありそうな感じがしないでもない。

 で、「蓮藕餅」、「蓮根のはさみ揚げ」と違うのは、蓮根自体、ザクザクの賽の目切りにしたり、あるいは、擂り潰す。そこに、豚肉、えび、魚のすり身を加え、味付けして、ミニ・ハンバーグさながらの円形状にまとめ、煎り焼きにしたもんです。

 おもしろいのは、店によって、家庭によって、蓮根の切り分け、下拵えが違うってこと。それに、一種にあわせる具材、それぞれ違います。そのうち、魚の擂り身ですが、広東地方、香港の場合、圧倒的に多いのは淡水魚の「鯪魚」。

 これまで食べてきた「蓮藕餅」、全部、作り方、仕上がり、味、風味、違いました。以前、福臨門での青木宴で「蓮藕餅」、頼んで料理してもらいましたが、それもこれまでに食べたことのあるものとは違いました(07/11/10日、「秋の味」その5)。

 というわけで「赤坂璃宮」銀座店の料理長、袁さんの「蓮藕餅」は一体、どんなものか。
 見た目はこれまでに食べてきた「香煎蓮藕餅」と変わりなし。煎り焼きにされ、焼き色のついた「蓮藕餅」が醸し出す香ばしさが鼻腔をくすぐります。
 「なるほど、これは、蓮根の挟み揚げとは違いますね!」なんて声も上がる。

 焼けてあつあつ「蓮藕餅」、ハフハフの感じで頬張って、ひと齧り、いきなり「ザク!」の感触!
 そうか「蓮根」、小ぶりの賽の目に切り分けられていて、「蓮根」のあの「バリ!ボリ!」の触感、そのまま残して、この「蓮藕餅」の味わいところのひとつにしてあるという按配。憎いですね。

 噛みしめれば、つなぎの具、というか擂り身の餡は、潰してすり身したえびの味わい、風味もあり。えびのすり身入りの具、なんですね。と、同時に、舌の上をざらっとした触感が。しかも、ほのかに泥臭さ、えぐみらしきものが感じられる。

 「ン!?、もしかしてこれ、擂り下ろした蓮根?」。「そうみたい!これ、えびのすり身だけじゃないみたい」なんて声もあがります。
 蓮根のさくさく、ばり、ぼり感だけじゃなくって、外は焼き色がつきながら、噛み締めるとジューシーな肉汁がほとばしり、なおかつ、押し付けがましくない旨味がじんわり滲み出ます。浮かび上がります。

 「蓮藕餅」をそのまんま一個、なんもつけずに味わったあとで、ふと「もしかして、リーペリン・ソースとの相性、バッチリじゃないか?」、と。

 そう、日本で飲茶の点心もの、揚げ物にしろ、蒸し物にしろ、溶き芥子に醤油というのが一般的ですよね。ですが、私の好みからすれば、醤油よりも、ソース。それもリーペリン・ソース。

 酸味がたっぷりで、匂いを嗅毛ば思わず「グフ!」とむせちゃうぐらい、酸味の強烈なリーペリン・ソース。それが、飲茶の点心、ことに揚げ物類にはうってつけ。餃子、それも水餃子にしろ焼き餃子にしろ、醤油じゃなくって、醋、できれば黒醋に辣油を少々、なんてのがすっきりさっぱり、なのと同じ要領。
 
 「どう?リーペリン・ソース、ちょいとつけて試してみません?」なんて私の提案に、最初はいぶかしがっていたメンバーです。全員、最初はリーペリン・ソースの酸味の強烈さに「グフ!」と咳き込みながらちょいと浸して、ひと口。

 「うん、これいい!この強烈な酸味が「蓮藕餅」にぴったり」。
 「そうか、醤油だと、旨味が邪魔しちゃって、なんでも醤油の味になっちゃうけど、このリーペリン・ソースの酸味とだと「蓮藕餅」の旨さ、ますます引き立てる感じなんですね。それに、芥子とか辛味の醤とかもないほうがいい感じ。そういうの付けると、その味になっちゃうから!」なんて声も。

 考えれば、要は蓮根のすり身をいれたハンバーグ、みたいなもんですよね。もちろん、肉をつなぎにした時には。それを、えび、魚のすり身に置き換えることもできる。
 実は蓮根が余ってるとき、我が家ではこれを作ります。けど、難しいのは蓮根の下拵え、それに、具材の味付け。

 袁さんの「蓮藕餅」を食べながら「これは叶わないプロの技!」、なんて思いました。
 この「蓮藕餅」、間違いなく「赤坂璃宮」銀座店の「家郷菜」シリーズのグレイテスト・ヒッツの一品。
 香港の味、風味、がそのまま味わえます。

2009/05/29

郷土料理が旨い~09年5月の『赤坂璃宮』銀座店の1

 おっといけない。危うく今月の『赤坂璃宮』銀座店報告、月越えになっちゃうところでした。
 この連載シリーズ、今回で2年目に突入。ということで副題の5月に09年を追加。そして今回は家郷菜ならではの料理がずらり。おまけに一周年を記念して、なんてわけでもないでしょうが、宴会料理の花、豪華な魚料理が登場というビッグ・サプライズも!

 まずは前菜、今月は(というのも、なんでだか前菜の中国表記名、毎月、変わるもんで)「広東焼味盆/前菜の盛り合わせ」は、「鶏肝」、「叉焼」、「焼鴨」、「牛展」。醋漬けの野菜は「蕪」、それに赤と黄色の「パプリカ」。

 「鶏肝」は、甘味たっぷりの濃厚な味わい。普通、香港じゃ「麦芽糖」を使ったりするんですが、火が入った砂糖の蜜のじゅくっとした甘味、「鶏肝」のねっとりの触感に見事にマッチング。その少量ながらもそのこってり感、コクのある濃厚な味わい、風味がたまらない。

 そうそう、このこってり感、こくのある濃厚な味わいこそ、関西方面で長年、伝統的に語られてきた「まったり」感、というにふさわしいもの。「エ!まじ?」なんて声も聞こえてきそう。

 私の知る限り「まったり」というのは、こくがあって濃厚でこってり、ずしんとした手応え、しかも、舌に重くのしかかるような味わい、悪魔的でもう後戻りは出来ない魔境、けものみちに入り込んだような状態で、身も心もすべてお手上げ。なんてのが私なんかが意味するところの「まったり」。

 ところが、近頃は、その言葉が使われる本場、関西でも、かつてはそのニュアンス、表現、違ってきたみたいですね。なんだか、ぬくぬく気分で放心状態的気分に陥った時の表現、なんてことで頻繁に語られるようになっているみたいです。

 そういえば、大阪発の「あまから手帖」を紐解いていたりすると、店紹介における料理についての記述で、ライターの人の表現や形容、大阪、あるいは、関西圏共通の表現、語り言葉が使われていながら「あれ?これ、どういうつもりで書いてんの?」。「まったり」という表現に限らず、その嗜好、私がかつて神戸にいて、関西文化圏にどっぷりだった時代とは違ってるみたい、なんて思いますから。

 話を戻して「鶏肝」。甘味のあるこってり味、ねっとりの触感で、風味が豊か。中国産のスピリッツ、広東料理なら米からできた焼酎なんかがほしくなります。それに、叉焼の旨さも、格別。

 ところが、今月の「焼鴨」、いつものに比べ、味、風味いまひとつ。素材自体、時期を過ぎちゃった感じで、風味が乏しい上に、焼き加減もちょいと過ぎた感じで、皮のつや、肉もぱさつき加減。ま、こういうこともたまにありかも、なんて思いました。

 そして、登場したのが今回のヒット作の一品、しかも「赤坂璃宮」銀座店の「家郷菜」のグレイテスト・ヒッツの一品にあげられそうな料理です。「袁さんにやってもらえませんか?」と、かねてより依頼していた料理なんですが、その願いが実現しました。

弁天山 美家古寿司の2

 私は寿司屋では「お好み」、ネタ一種に二貫というのが基本です。1人前(「お決まり」って言うんですか?)とか「おまかせ」にはいささか、というよりかなりの抵抗があります。

 好みのものをその日の気分、体調にあわせて、というのが(大げさですけど)私の流儀。好みのものを食べながら、その日のネタのあれこれ、親方に尋ねて、軌道修正なんてのもよくあること。旬の味との出会いを楽しみに出かけるわけですから。

 日頃、フレンチにしろイタリアンにしろ中国料理にしろ、おまかせとかコース仕立ては苦手で、アラカルト主義で自分でコースを組み立てます。

 それが、四代目の榮一親方の握る寿司、でっかいもんで2貫ずつ食べてたら、次第にお腹が一杯になって、食べるネタの種類も限られてきます。 なんていっても、四代目が健在の頃、それに、五代目に代わってしばらくは、店にあるネタのほとんど、食べてました。大食漢、だったのであります。

 それだけじゃなく、お酒を頼むとつまみが出てくる。あ、お通し、っていうのかな。魚介のあれこれを仕込んで、味付けしたもので、これがまた滅法旨くって、あれも、これもと食べたくなる。

 いつもの居場所だった神保町では元親方(それに現親方のみっちゃんも)「何か切りましょうか?」と尋ねられ、「じゃ・・・」なんてのが、寿司を食べる儀式のはじまりでした。ところが「美家古」では、季節に応じた色々なつまみ、お通しの数々が。まさにアミューズ、ですね。寿司と同じくらい楽しみです。

 もっとも、仕事の関係で外食に制限がかかるようになって以来、「美家古」には三社祭の時にでかけられるぐらいだけになっちゃいました。
 「小倉さんに言っといてください、三社の時以外にも、おいでくださいって」
と、四代目の後を次いで下拵えを担当し、夜には五代目の脇に立つ大ちゃんが、私の知人に伝言。
 
 すんません!
 それに、日頃、おまかせはパスのはずの私ですけど、三社の時の「美家古」では、おまかせだけになっちゃって。なんだか、彼岸の折、浅草寺参りの帰りに「美家古」に必ず立ち寄る老婦人、みたいだな。でも、三社祭がある限り、私の「美家古」通いは廃れませんから!

2009/05/26

弁天山 美家古寿司

 三社祭があると立ち寄るのが弁天山の「美家古寿司」。
 「美家古寿司」に通うようになってから一体ってどれぐらいになるのやら。
 山本益博、それに当時益博さんの奥さんだった麗子夫妻に案内されたのがそもそのものきっかけでした。

 そういえば「三社祭」の宮出しに連れて行ってくれたのも、当時の山本夫妻。宮出しを見終えた後で横浜に直行し「謝甜記」、「鳳城酒家」などをはしごしたのは懐かしい思い出です。

 その後、年に何度か折りを見て訪れ、先代の四代目の内田榮一さんの握る寿司を食べながら、昔話を色々。その横に立っていた五代目の内田正さんは美味しいものが好きで、食べ歩きにも熱心。店を改装する間(って、去年じゃなくって、先の際)長期休業した折りに、正さんご夫妻と香港にご一緒したこともあります。

 改装前の「美家古寿司」は、創業が慶応2年という老舗ながら下町の寿司屋独得のくだけた雰囲気、風情がありました。玄関入ってすぐのところ、付け板の一番端っこに、先代、10代目の馬生さんがひとり手酌で楽しんでいらしゃる姿を一度ばかりか何度も拝見。

 日曜日、休日の昼に訪れると地方からお見えになったと思しき年輩のご婦人、その家族が和やかに寛ぐなんて光景も。
 「うちにはね、彼岸の度にお寺(浅草寺)参りして、帰りに寄ってくださる。そんな長年のお客さんが多いんですよ」なんて、先代の榮一さんの話が懐かしい。

 その先の改装以後、五代目の正さんが表に立って、四代目は裏に回って上でもっぱら下拵えに。なんていっても、たまに下に降りてきて、懐かしい顔を見つければテーブルに居座って昔話に花が咲く、なんてこともこれまた懐かしい話。

 そうそう、先の際の改装で変わったのは店がこざっぱり。同時に、狭くなったこと!
 それから、握りのすし飯、ご飯の量が変わりました。ものによってはネタの切り方、厚みをビミョーに変えたりしながら、すし飯の量は、加減、少なめに。

 四代目の内田榮一さんの握りはすし飯自体が大ぶりで、時にネタからはみ出していることも。どっしり、ぼってりの按配で、寸胴の体躯が足元に向かってスソ広がりにふくらんでいくような言わばペンギン体型。でも、すし飯の分量、しっかりだったのはいまだ記憶に残ってます。

 そういえばJCだかBCだかフード・ライターの案内本に「美家古寿司」が紹介されていて、「昔にくらべすし飯(あ、もしかしてしゃりって書いてあったか)が大きくなった」なんて記述に?
 先代、4代目の頃に比べると小ぶりになったのに、なんで?

 「あれ、ご覧になりました?昔、って先代の頃の寿司、食べたことないのかな?」
 正さんに話をむけても、正さん「ふふふ」と笑うだけ。
 「ま、食味評論の方やフード・ライターの方は、お好きにお書きになりますから!」

2009/05/13

坂本龍一 グルーヴの躍動~ピアノデリック/PIANODELIC

 そして、坂本龍一の「Ryuichi Sakamoto Playing The Piano 2009」(4月29日、昭和女子大・人見記念講堂)が大きな収穫でした。新作「Out of Noise」は、最初の曲と最後の曲がお気に入り。もしかしてライヴでこそ本領を発揮なのでは?という期待を見事にかなえてくれました。

その2曲、「hibari」、「composition 0919」、めくるめくグラス的ミニマル展開の妙はエッシャーの騙し絵さながら。旋律が螺旋状に果てしなく、止め処なく繰り返されるミディ・ピアノとの連鎖、快感、心地よさに、ナチュラル・ハイを覚えたものです。 当人の「いつ、一体、どうやって終わるのやら」なんてコメントも笑わせます。

 当日のプログラムは気分次第ってことで「composition 0919」についで、いきなりコンサートの終わりを告げるかのような「koko」。それに似た作品ってことで「Aqua」のさわりも。といって、コンサートは終わりませんでした。

 以後、演奏が繰り広げられる中、端整な演奏のメロディそのものが次第にグルーヴ感漂うものとなって行く。時にブルース風、あるいはゴスペル風になり、やがてタメを利かせたリズム・タイミングによるグルーヴ感溢れるビートが高揚感を生み出していく。そんなメロディとリズム、ビートの重層的なグルーヴの妙に自然に身体が揺れました。

 アメリカやイギリスでなら、中南米、アフリカでの公演なら、間違いなく手拍子が巻きおこりそう。ですが、回りを見渡せば背筋すっくという観客が大半を占め、身体を揺れす気配すらうかがえない。なにしろ、咳きには冷ややかな視線。ま、当然な話ですが。そういえば、子供の泣き声?らしきものも聞こえてきたりして。それより、演奏終わりの拍手もお行儀良く簡潔に、なんていうのが暗黙の了解のようで。歓声をあげたり、拍手を長くしようものなら疎まれる気配が濃厚で、支配的。

 そんな次第ですから、手拍子なんてもってのほか。そういや、坂本君、どっかの会場で手拍子が巻き起こったのに「拷問だ。手拍子、やめてほしい!」なんてコメント書き込んでましたっけ。でも、そんなかしこまったり、杓子定規な感じじゃなく、らく~に楽しみたいなんて思いながら、私は身体を揺さぶり、存分に楽しんだのでありました。そして、締めくくりは「戦場のメリー・クリスマス」。

 アンコールでは思わず「イエイ!」と叫びたくなる「チベタンダンス」。それに「ビハインド・ザ・マスク」に「千のナイフ」まで。そう、この日の坂本龍一はあの「テクノデリック」のグルーヴをほうふつさせるソロ・ピアノによる「ピアノデリック/PIANODELIC」さながら。グルーヴの躍動に思わず興奮。

 それだけじゃなくって、そこに坂本龍一という生身の人間、人となり、人間像が垣間見れたこと。それも、生、LIVEならではのもの。といって、それは単なる臨場感ということじゃありません。自身、そして、人、つまりは演奏者と聴衆としての対話。さらには、現代社会、人間社会、人類の、自然界の、この地球の、過去、現在、未来。その演奏が、自身とそれぞれとの関わり、対話、対峙の様を浮き彫りにするものだった、なんていうあたりがライヴならでは、なんてことです。だからこそ、グルーヴの躍動が生まれたのだと。

 「すごいグルーヴ感だったね。特にアンコールからすごかったね。それまでもメロディ自体、グルーヴある感じの演奏になっていって、それから、リズム、ビートのグルーヴ感を増していって重層的なグルーヴが生まれるところが面白かったし、楽しかった!」
 「そうでしょ?ファンキーだったでしょ?去年のYMOあたりからあの感じなんだよね、バンドのノリっていうか、細野さんもユキヒロもそうだし」
 「そうそう、ロンドンとスペインのYMOのライヴ、良かったよ。年くったし、お互い張り合う感じとか、無駄なもんスッパリそぎ落として、ラク~な感じ、そのまんまの演奏ってこと?」
 「そうそう、そうなんだよね」
 「そういや、今日は『テクノデリック』を思い出したりして、私、あのアルバム大好きなもんで!」

 そうです、人見記念講堂での一夜は『テクノデリッック』ならぬ『ピアノデリック』さながら、グルーヴの躍動がなによりも魅力的でした。今、一番、聴きたい音、音楽がそこにありました。
 
 画像は内容充実のツアー・ブックレット。コンサートで演奏したい作品を収録した2枚のCD付きです。これがなかなかの聞き物!  

2009/05/07

小坂忠&Soul Connection at BILLBOARD LIVE

そういえば30日の夜、9時半からのステージを見た小坂忠のライヴ。
 懐かしいアルファ時代の「ありがとう」、「放浪」、「風来坊」、中でも「機関車」のソウルフルな歌唱が良かった。そんな小坂忠のMC、時折、現役の牧師として顔が覗きます。
 画像は勝手に拝借
 バックを務めていたSoulConnectionのリズム・コンビを務めていたのは高橋幸宏と小原礼。いずれもモータウン、スタックス、ハイ、フィリー・サウンド、さらにはアトランティック系のNYのソウル・セッションのリズム・コンビをほうふつさせるプレイを随所に。それにDr.kyOnはニューオルリンズのピアノ・ブギ・フレイズをバリバリ弾きまくる。

 バンド・マスターの佐橋佳幸はアラン・トゥーサンのサポートを得たジョン・サイモンばりのアレンジ・ワーク(ホーン・セクションの二人が特別参加)とともに、曲ごとに「あれれ!」、「おやおや」なんて思わず顔がほころぶ様な有名どころのギタリストのリフ、フレーズをそこかしこに。八面六臂の活躍ぶりです。

 おまけに、とある曲のワン・フレーズの「音」のために、フェンダーのストラトをグレッチに替えるなんて「趣味人技!」が佐橋君ならでは!「だって、エージさんの書いてきたもんばっかり見てきたんだから、そうなんのも当然でしょう!」だって。はい、はい、恥ずかしい昔話です。

 そういえば佐橋君、小坂忠&SoulConnectionと前後して山下達郎のツアーでもバリバリとギター弾きまくり。まるで《エンサイクロペディア・オブ・(ボーカル&インストルメンタル)ロック・ギタリスト》さながら、山下君の歌、曲のツボを心得た「あんなフレーズ、こんなフレーズ」を次から次へ。

 そんな中、とある曲でエレクトリック・シタールの調べが流れてきたのに思わず「わお!」。ところが、山下君、佐橋君の手元を見ても、聞こえてくるフレーズを弾いてない!「なんでまた!」というその秘密、聞いちゃいました!

 小原礼も曲に応じてベースを取っ換え引っ換え。ですが、基本はドスコイでガツンの小原ならではのフレーズと「音」。
 「いや、そうなんだけどさ。ほら、中華なんかで料理によって調味料、ビミョーに使い分けるでしょ?あの感じ、あのノリだよ、がはは」と、豪快に笑って屈託がない。なんて、昔から変わらないまんま、オヤジになってもロックンロールの小原君。

 そうそう、小原礼のかみさんの尾崎亜美が当夜のゲスト。アンコールに登場してオルガンの前に座った彼女、(スティーヴン・)スティルズ顔負けの豪快なフェイクをぶっ飛ばす、なんて夫唱婦随、あれ、もしかして婦唱夫随?

 (高橋)ユキヒロも「こんなにドラムを叩くことになるんて、ほんと久しぶり。ここまでやるとは自分でも思わなかったよ!」というほどの健闘ぶり。スネアのキメ、スマートでダンディなフィルイン、2/4のタムのかませ方など、ユキヒロらしさがそこかしこ。「あの頃」が甦ります。

 そういえば70年代のフィリーやモータウン、それにスライの『暴動』から『フレッシュ』あたりまでやニューヨークのソウル・セッションのグルーヴ、ノリの再現、近頃、再び耳にすることが多いのが面白い。
 ドリカムの新作も、かつてのフィリーや70年代のその種の「音」がそこかしこ。シェルリ・リンのあの感じ再び!なんてところが面白かったのですが、その雰囲気、気分はともかく、肝心の曲と歌詩がなんだかなあ、だったのですが……。

2009/05/06

五木ひろし 45周年感謝祭 なんばファイナル!歌・舞・奏スペシャル

 中野サンプラザでの山下達郎(+竹内まりや)の「PERFORMANCE 2008-2009」に続いて、渋谷AXでのMOONRIDERSは他にライヴがあって見逃しました。それから大阪の新歌舞伎座で「五木ひろし45周年感謝祭 なんばファイナル!歌・舞・奏スペシャル」。翌日には大宮のソニック・シティで松任谷由実の「YUMI MATSUTOYA CONCERT TOUR 2009 TRANSIT」。
 
 日曜日には国際フォーラム・ホールCで中村中の「異常気象」。 一日置いて世田谷・太子堂の昭和女子大人見記念講堂で坂本龍一の「Ryuichi Sakamoto Playing The Piano 2009」。その翌日には六本木のBILLBORD LIVEで小坂忠&Soul Connection。

 でも「なんでまた、五木ひろし?」という突っ込みがありそうで。
 過日、あの秋元順子の「愛のままで」のオリジナルを越える大物歌手のカバーを耳にした触れた大物歌手とは、他でもない五木ひろしのことでした。五木ひろしの「コットン・クラブ」でのライヴを見てのことで、過日、朝日新聞のステージ評で取り上げました。

 その「コットン・クラブ」でのライブ、今年の2月、五木ひろしがオリジナル作の『江戸の夕映え』とともにあわせて発表された『アメリカン・ポップス&スタンダード~テネシー・ワルツ』、『哀愁のヨーロピアン・ワールド~雪が降る』にちなんでもの。いや、そもそもは「コットン・クラブ」でライブが決まり、結果、その2枚を制作、というのが話の筋道だったなんて話も聞きました。

 「コットン・クラブ」でのライブでは懐かしい日本語のカバー・バージョンによる往年のロカビリー・ヒットやロッカ・バラード、英語そのままのスタンダード、さらにはアダモのヒットなどを披露。そのどれもが拳を握り締め、身体でリズムを取りながらの五木節。英語の歌も、フランス、イタリア、ポルトガル語の歌も、演歌の心で取り組み、あの五木節が全開。和やかな雰囲気で盛り上がります。

 そんな後に「やっぱり、最後は日本人ですから、お茶漬けの味で!」なんてことで、日本のカバー曲を。まずはギターの弾き語りで杉本真人の「吾亦紅」。その曲で、空気一変、次いで歌った「愛のままに」がすごかった。

 きっちりとした人間描写で、熟年の人生模様を丹念に、リアルに描き出す。秋元順子のオリジナルは普遍的。「実はちょっと浮気しかけたことがあるんだけど亭主は知らないはず」なんて、ほのぼのとした井戸端会議的な俗っぽさがあり、ですよね。五木ひろしの歌の解釈、表現はそれはとは対照的に人生の歩み、道程、今、これからを明確に浮き彫りにしたもの。

 そして、オリジナル「凍て鶴」。その最初の一声で、深閑とした厳寒の雪原の光景が目の前に浮かび上がる情景描写に、思わずぶるっと身震い、鳥肌が立ちました。
 そんな五木ひろしの新歌舞伎座での今回の公演。

 画像は勝手に拝借!

 その2部で、自身が歌謡界にデビューしてからの歩み、デビュー前後からの戦後昭和の歌謡曲の歴史を重ね合わせ、当人の年齢にちなんでメドレー61曲で足跡を振り返るという趣向がおもしろい。しかも、自身のヒットに、70年代、80年代のフォーク・ヒットがかなり織り込まれるという趣向。おまけに、ゲストはフォーク/ニューミュージック畑の歌手が出演という構成。私が見た日は杉田二郎でした。

 そういえば昨年来話題の秋元順子の「愛のままで」、さらには異色の?演歌歌手JEROのヒットの背景に、70年代、80年代のフォーク/ニューミュージックの影が見え隠れ、というのは大いに気になっていたことです。というのも、いずれもそのオリジナル、ニューミュージック畑、フォーク歌謡の出身の手によるもの。それに、70年代、80年代にかけ歌謡曲、アイドル歌謡の担い手だった人物もいます。

 そして五木ひろしの「凍て鶴」も、曲は三木たかしですが、作詞はかぐや姫のヒットを手がけた喜多條忠。その曲を収録したオリジナル・アルバムで江戸時代の市井をテーマにした『江戸の夕映え』も、実は歌謡曲畑とニューミュージック畑出身者による作詞、作曲家の作品が混在、というのがその面白さのひとつ。今の時代の「歌謡曲」を物語るものだといえましょう。

 で、つい最近耳にした面白くて、興味深い話。
 「70年代、80年代の歌謡曲に興味があるんですよ」という若者の話に
 「一体どういう歌が?」と尋ねたら
 「さだまさしとか松山千春、かぐや姫とか中島みゆき」という答えが返って。
 「え!それってフォークじゃない!」とその話を耳にした人、聞き返したところが
 「そうなんですか?」と、意に介さない風だったそうで。
 ちなみに「ユーミンは?」と尋ねたら「あれは、ポップスですよ」ときっぱり。

 なんて話と昨今の歌謡曲事情やら、五木ひろしの公演のことが頭の中でミックス・シャフル、つながる線が見えてきます。

2009/05/03

訃報 忌野清志郎

 つい最近、とあるコンサートで久々にあったH紙のT君から電話があったのは22時32分。
あれ、どうしたんだろうといぶかる私に「あの、忌野清志郎さんが亡くなられたんです」という話。
 「エ!?、なんだって?」と、その話が信じられずに聞き返しました。
 「清志君が亡くなった?どうして?」、と。

 つい先頃、あがた君でのコンサートでのこと、清志君のマネージメントを手がける相沢さんに出会った際、清志君、昨年の復活ライブ以後、再び入退院を繰り返しているという話を耳にしていたんで「清志君、どうなの?大丈夫」と尋ねたら「大丈夫、元気でいるから」という話に、安心したものですが。

 20年前のことになりますが、清志君とロンドンでしばし一緒に過ごしたことがあります。アルバム『RAZOR SHARP』の制作時のことで、その時のことは『忌野旅日記』にも記されている通り。

 過激で大胆で向こう見ず、といった印象の清志君。ロンドンのとあるレストランでちょっとした出来事があって、アテンダントから「オー、ノー、ノーティ・ボーイ!」なんていわれて、それから「ノーティ・ボーイ」という言葉がお気に入り、なんてことがありました。

 「ノーティ・ボーイ」ってのは、いたずらっこ、腕白坊主ってことですが、まんま清志君にあてはまりそう。ですが、その実、清志君、繊細で、人を気遣う細やかさを持った人物だってこと、ロンドンで共に過ごした一月あまりの日々に知ったのでした。

清志君のご冥福を祈ります。

2009/04/28

やったね!「蝦醤鶏」~4月の「赤坂璃宮」銀座店の8

 そして、今月の「麵・飯」は「閩南糯米飯/海鮮入りもち米蒸しご飯」。
 蒸した糯米の上に「えび」、「貝柱」、「いか」のぶつ切りがのっかってます。
 言わば「海鮮おこわ飯」。
 私、糯米の炒飯の「生炒糯米飯」は、何度も体験あり。冬場には干しエビ、するめ、腸詰の「臘腸」「潤腸」、たまに干し貝柱なども加えた「糯米飯」は頻繁に作ります。ですが、新鮮な魚介を具にして蒸した糯米に乗せたこの「閩南糯米飯」は初体験。

 「閩南」ってことは福建、それも漳州あたりの伝統菜、なんでしょうか?そういえば「閩南」の食文化の影響下にある台湾でも各種の「糯米飯」がありますが、そのひとつなんでしょうか?

 それにしても「えび」、「貝柱」、「いか」のぶつ切りが、なんとも豪華、贅沢でリッチな感じです。で、面白いのはこの「閩南糯米飯」のたれ。ニンニク、醤油の味、香りにプラスして、甘くてコクのある濃厚な味、香りを放つものがある。それも「脂っぽい」。
 
 確実に醤油と脂が入り混じった味、香りです。こってり、というまでいきませんけど、独得のこくがある。なんてことから思いつくのは「ラード?」。でも「これ、ラードじゃないなあ!」。
 その正体を知りたくて大藤さんを経由して袁さんに質問。

 そしたら、たれは「海鮮豉油」ってことで、水、生抽、砂糖、老抽、芫茜、なんだそうです。
 「ン!? ニンニクも脂ぽいものもなし?」、なんて思ったら
「蒸した糯米、バターとニンニクで炒め、別鍋で焼いた茸、海鮮を載せて、再び、蒸す」
 なんてことで「そうか!」と納得。

 そうです「バター」。それこそ、脂、甘味、コクのもとだったわけですね。残ってるご飯をバター、ガーリックで炒めたガーリック・ライス、頻繁に作るのに、その味、わすれてるなんて、私も大ボケ。
 ともかく、バター、にんにく、生抽、老抽などで調味したたれの味、風味は大いに食欲をそそります。それに、えび、貝柱、いかなどの海鮮の具材にもぴったり。

 締めくくりの「甜品」は「元朗水果涼粉/フツーツ入り仙草ゼリー」。画像でご覧の通り、果物たっぷり。それに、仙草ゼリーのほろ苦さがマッチングという爽やかなデザート。その料理名に「元朗」、すなわち、香港の新界にある町の名が!なんてのがにくい。
 そうです、今回は料理の内容、素材、調味料にちなんだ「大澳」、「東麗」、「閩南」、「元朗」と、地名を織り込んだ料理がずらりだったのでありました。

やったね!「蝦醤鶏」~4月の「赤坂璃宮」銀座店の7

 そして「南乳温公齋/各種野菜の南乳風味土鍋煮込み」。
 日本語の料理名にある通り、各種野菜の炒め煮込みです。「南乳温公齋」の「齋」という言葉が物語るように「精進仕立て」、つまりは肉っ気なし。

 野菜は白菜、筍、しめじ、ミニ・コーン、慈姑(くわい)。さらに、干椎茸、雲耳(きくらげ)、腐竹(干し湯葉)、どれに粉絲(はるさめ)を加え、「南乳」の風味で炒め煮込みした料理です。
 「南乳」は塩漬け醗酵の「腐乳」に紅麹を加味したもの。乳白色の「腐乳」とは異なり、赤い色あいなのが特徴。旨味、こくをつけるのには格好な調味料で、その用途は多種多彩。広東料理でも頻繁に使われます。

 「温公」とは「南乳」の別名というか通称名、ってことです。で、その「温公」、もとを正せばどうやら北宋の儒学者の司馬光の異名、というか尊称、だそうで。それがいつの頃から「南乳」のことを「温公」と称するようになったのか、定かではありません。

 そして「温公煲」誕生の由来については、諸説あり。たとえば、その「温公」がとあるところで出会った「南乳」で味付けした野菜の炒め煮込がいたく気に入り、野菜だけでなく乾燥させた金針菜や雲耳など、野菜よりも高価で旨味、風味のある乾燥野菜素材、さらには茸類などを加えた料理をお抱えの料理人に命じて作らせたのが「温公煲」のそもそもの起源だという説。

 それから、70年代、華僑日報の社長がとある店の料理長に野菜の料理を注文したところ、料理長が作ったのが「南乳」風味のこの料理。社長の名前が「温」だったのにちなんで「温公煲」と呼ばれるようになった、なんて話もあるそうで。

 中国料理で野菜の料理といえば、まず思い浮かぶのが青菜の炒め物というのが一般的じゃないでしょうか。茄子や瓜の類、大根、人参、蓮根、芋などの根菜類も野菜ですが、やはり青菜、葉物のイメージ濃厚。そういえば最近は「通菜(空芯菜)」を「腐乳」風味で味付けした「腐乳通菜」が人気の一品だそうで。そんな青菜の炒め物もいいですが、葉物は白菜のみ。他は、根菜類、乾燥野菜や茸類を加え、「南乳」で味付けし「だし」を加えて炒め煮込みしたのがこの「南乳温公齋」。

 くせのある味、風味の「南乳」がだしの味にこくと風味をプラス・アルファ。その使い方、量の加減、按配も程々で、むしろ「醤油」の味、風味が表立ってる感じで「だし」の旨さが光ってます。それにほんのり甘口。こんな野菜料理、野菜の炒め煮込みをコースに加えるのも一興。広東料理、家郷菜の代表的な野菜料理、精進料理で、家庭でも作られることの多い一品です。

2009/04/26

やったね!「蝦醤鶏」~4月の「赤坂璃宮」銀座店の6

 そして「東麗蒸鮮魚/アイナメの冬菜のせ蒸し」の登場に思わず「ぎょ!」。  口をぱっくりあけたあいなめに驚いたわけじゃありません。贅沢で豪華な一品、だったものですから。けど、嫌いじゃないです。というより、大好きです。

 それより料理名にある「東麗」に「はて!」。 東麗って「東レ」の中国名ですが、この料理とは無関係なことは明白。そうだ、深圳に「東麗」という名の保養地があることを思い出した。なんてことで検索してみたら、相次いで出てくるのは「天津」の「東麗」。

 「ン!?、この料理、広東料理のはずだから「天津」でもないだろし……」ということで「どうして「東麗」なの?」と大藤さんを経由して袁さんい問い合わせ。そしたら「「天津」の「東麗」です。「天津冬菜」を使っておりますので」という返事に「成る程!」と納得。

 そうか、迂闊でした。「東麗」は「天津冬菜」の本場だ、ってことですよね。「冬菜」のことを調べた際、そんなことが触れられていたのをすっかり忘れてしまっていたのに愕然。

 「天津冬菜」は細長い形状の「天津白菜」をニンニクと一緒に塩漬けにしたもの。もともとは白菜の塩漬けだったものが、他に香辛料を加味するようになったとか。それもニンニク入りのものが評判を呼び、北方から南方の広東地方、東南アジアの華人社会に広まっていった、といった歴史もあり。そういえば、四川にも「冬菜」がありますが「白菜」ではなく「芥菜/からし菜」を素材にしたものです。
 さて「東麗蒸鮮魚」、白菜の漬物の「冬菜」と共に蒸したもの。「冬菜」の醗酵した酸味、ひね味に、ニンニクの甘味、風味が加味された旨味が味わい深く、風味も格別。しかも、魚は「あいなめ」。

 香港の広東料理店で海鮮料理の「清蒸魚」と言えば、その最上位にランクされるのが「石斑」、乱暴に言い方になりますが「ハタ」の類。日本の広東料理店でも「石斑」の類、珍しくなくなりました。ことに「清蒸魚」にした時のほろり、はらりと身が崩れる肉質の旨さは格別です。

 ですが、日本で「清蒸魚」をやるなら「あいなめ」も悪くない、というのが私の持論。その肉質、しっとり潤んでいて、緻密で繊細。「ハタ」類の「ほろり」、「はらり」の感じとは違って「しゅわ」としていて「じゅくじゅく」、脂がのったものなど舌にとろけるねっとり感もあるところが私にはたまらない。そう、「蘇眉」の触感に似たものがある。

 この「東麗蒸鮮魚」、そんな「あいなめ」の「しっとり」感、「しゅわ」感といった触感と味わい、旨味が実に生きてます。しかも「天津冬菜」のひね味、旨味、風味が合体。さらに、生の赤唐辛子をまぶしてあって、そのひり味もアクセントに。

 「旨い。この緻密で繊細でとろけるような味がいいですね。それに、漬物の味も利いていて、香りがいい。それより、これ、油を使ってあるのに、くどくないのね」
 「あ、油って、広東料理の蒸し魚ってほとんどそうなんだけど、蒸してから、最後の仕上げに熱したたれ入りの油をかけまわすんだよね。だから、その「油」じゃないかな」と、私。

 「私の好みからすると、ちょっと油、加減、多目な感じもするけど、でも、全然、くどくはないよね。油の滑らかさ、甘味とかに「冬菜」のひね味、旨味が加味されて効果的だし。それより「あいなめ」が旨いです!持ち味生かした料理、だよね」と、感心しきりの私です。

 ハタの類はじめ、魚を丸ごと一匹、そのまま蒸した「清蒸魚」もいいですけど、今回のように「冬菜」、それに、中国オリーブの塩漬けの「欖角」、それに黒豆醗酵ミソの「豆豉」などと共に蒸すのもなかなかのもの。

 香港の家庭で作る蒸し魚の料理はこうした漬物などの調味料を使うのが一般的。それに、料理店で家族、親族、友人たちと惣菜の類を食べる時にも、この種の料理を食べます。なんといっても、魚は時価。ことに「石斑」、「ハタ」の類は高価ですから、それよりも値段が手頃で、それぞれに肉質、持ち味の異なる魚を素材して、この種の料理をコースに加えます。

 そういうことでは「あいなめ」は、その肉質、持ち味からいって、この種の料理にぴったり。さらに、広東料理式の唐揚げ料理の「油浸」なんかにもうってつけ。「あいなめ」に限らず、日本近海で収穫される魚を使って広東料理のいくつかの手法で調理する魚料理、もっと日本で広まると嬉しいんですが。

2009/04/23

やったね!「蝦醤鶏」~4月の「赤坂璃宮」銀座店の5

それから「腰果鮮珍肝/鶏の腎臓とカシューナッツの炒め」。
 「砂肝」、「カシューナッツ」、それに赤と黄色のパプリカ、アスパラ、筍、セロリの炒め物。塩味炒めで、日本の広東料理店のこの種の料理にありがちなたっぷりのとろみ付きの仕上がりじゃなく、素材の持ち味を生かした味付け、調理なのが嬉しい。

 野菜の切り分け、ざっくり、ざっくばらんなようでいて、その寸法、それぞれの素材の持ち味、触感を見極めた切り方。しかも、ひとつひとつ、素材の持ち味を生かした火の通し。そのあたり、下拵えの「板」と、火を入れる「鍋」の技、息がぴったり。

 「アスパラにしろ、パプリカにしろ、それぞれの味がしっかり、際立っているんですね。素材のひとつひとつの味がわかるもの!」なんて声が上がります。「うん、ひとつひとつの持ち味、旨味、香り、しっかり生きてますよね。それでいて、全部でひとつの味にまとまってる」
 
 「それより、この砂肝、感心!砂肝って炒めるのがむずかしくて、どうしても火が通りすぎて固くなっちゃうのよね。でも、これ、火が通ってて、なおかつ、柔らかいし、食べやすくて美味しい。それに、砂肝ってくせがあるのに、全然、そんな感じがしない!」なん声も上がる。

 砂肝、野菜の下拵え、加えて、炒め方、火の通りの按配。美味しくって風味がある。なんてことないような炒め物ですけど、まさしく「板」と「鍋」のプロの「技」が発揮された一品でした。

 やっぱり、プロにはかないません。

2009/04/22

やったね!「蝦醤鶏」~4月の「赤坂璃宮」銀座店の4

 「例湯」は「鮮百合豬展湯/豚スネ肉と百合根のスープ」。
 「百合根」というのが嬉しくなります。日本では秋すぎから冬にかけてが旬。我家でも椀物、茶碗蒸しなんかに使います。ですが、香港だと春前後、海鮮との炒め物なんかに使われていた覚えあり。我が兄弟の周中の百合根の使い方が絶妙だったもので、その印象が強烈に残ってるという次第。

 「百合根」は香港のみならず中国でも盛んに食べられていて、ネットを検索すれば即座にわかることですが、その料理いろいろ登場。秋の終わりから春まで、いろんな料理に使われてます。

 「百合根」は肺をきれいにする効果ありってことで、咳き込んでいたりするときにはうってつけ。おまけに「養顏的效用」の効果もあり。なんて、女性には見逃せないところでしょう。そんな「百合根」と豚のすね肉の「豬展」に、「陳皮」と「蜜棗」を加えて長時間煮込んだのが「鮮百合豬展湯/豚スネ肉と百合根のスープ」。

 いつもの「例湯」と同じく、スープと具は別皿に盛られて登場。白濁したスープは「杏仁」と豚の肺の「豬肺」を煮込んだ「杏仁豬肺湯」を思わせます。  れんげでスープを掬うとお碗の底に寝そべっていた「百合根」が顔をのぞかせる。口に含めば甘い味、それも、くどくなくてスッキリの甘味のあるスープとともに、ぐちゅぐちゅになった「百合根」のざらっとしていてねっとり、ほっくりほくほくの触感が舌にぐんとのしかかる。

 そうです、「百合根」は澱粉質のそのもの、なんてのを実感。しかも、ぼってり感もある。でも、面白いのは、こってりの甘さじゃなくって、すっきり。甘味と同時に、ほろ苦さがあって、「百合根」のこくのある甘さを浮き彫りにしながら、くさどを感じさせない。さらには、すっきり感の甘さには、フルティーな風味も潜んでいる。

 ホロ苦さのもとは間違いなく「陳皮」。このスープの具を並べた皿には、その陳皮も。しかも、案外たっぷり使われてるのが意外でした。このあたり、そう、陳皮の使い方、その分量、しっかり計算ずく。それもレシピ通りじゃなくって、長年の経験による勘が働いた、って感じの細やかさと鷹揚さが同居、なんて感じです。

 そうだ、日本だと「ぜんざい」、あ、そか、東京、関東地域は「お汁粉」ですね。それに、おはぎなんかにしても、小豆に砂糖だけでなく、塩をひとつまみ(って例えですから)で、甘さ、旨味を引き立てる。隠し味の塩使いってわけですが、「陳皮」の効用は、同じ要領。広東地方ならではのものです。

 しかも、日本の「ぜんざい」、「お汁粉」に「おはぎ」の類は、やっぱりこってりの甘さこそが味わいところ。それが、香港、広東人の嗜好だと、こってりじゃなくて、すっきりの甘さってことになるわけです。だから「陳皮」なんですね。

 それに「蜜棗」の効用、効果と言うのも見逃せない。棗そのものはすっきりした甘味、と同時に酸味、それに、苦味やえぐ味もある。それが干したり砂糖漬けにすると、渋味、えぐ味が薄れて酸味を含んだ、だからこそ、すっきりの甘さが引き立ちます。

 というわけで、「百合根」のこってり、ぼってりの甘さとは対照的。なんてところが、この料理に使われている理由じゃないでしょうか。

 「例湯」についてはいつもながらの表現ですが、この「鮮百合豬展湯/豚スネ肉と百合根のスープ」も優しくて、穏やかです。自然で素朴な味、風味、ことに甘味が印象的。、ほのぼのとしていて、心和む「湯」であります。

2009/04/20

やったね!「蝦醤鶏」~4月の「赤坂璃宮」銀座店の3

 さて「蝦醬鶏」。「酔湖」の「蝦醬碎炸鶏」は料理名の「炸」の一文字が物語るそのまま「唐揚げ」そのもの。下拵えした鶏肉をしっかり揚げてあって、「ぱり」とした脆い感じよりも「ばり」としたざっくりとした粗い触感、噛み応えなのが特徴です。どちらかといえば「乾炸」もしくは「脆炸」に近い感じですね。で、噛み締めると「蝦醬」の風味がストレートに浮かび上がる、という按配。

 「赤坂璃宮」銀座店の「大澳香酥鶏」は「香酥」という言葉がすべてを物語る。厳密に言えば「香酥炸」、つまりは唐揚げの調理法の一種なのですが「ざく」ではなく「さっくり」の「酥」の感じ。「ばり」ではなく「ぱり」の脆い触感で、鶏肉にはしっとり感もある。歯がすっと入る柔らかさと同時に、歯を少しばかり跳ね返すしなやかな弾力感もあり、というあたりが絶妙です。

 「香酥」は素人は言うに及ばすプロの料理人でもなかなか手に負えない厄介な調理方法です。というのも、下拵えの「板」と揚げ方の「鍋」の「技」が一体化してこそ、完成されるものですから。つまり、素材の味付け、素材を包む衣の加減が難しい。衣が重く、厚くなると、ぼってり状態。

 衣が厚くて、ぼってり状態だと、その分、火を通す時間も長くなり、結果、焦げる一歩手前のチキン・バスケット状態。その為には、薄く、しかも、火を通してさっくりの状態にするための衣作り、下拵えが必要です。かといって衣が薄すぎると、表面こそぱり、さっくりの状態でも、中に火が通っていないまんま、なんてこともありうる。

 さらに、揚げるにあたって、表面さっくり、肉は柔らかく、ジュシーに揚げるには、油の温度の加減、火の扱い、さらには、油から取り上げるタイミングの見極めが、なかなかに難しい。というわけで唐揚げといえば、しっかり揚げられ、衣はぼってり、がっしり。ジュシーな肉汁よりも揚げ油が滴り落ちる、なんてのに出くわすことがほとんどです。

 「赤坂璃宮」銀座店の「大澳香酥鶏」はそうした問題点、課題をすべてクリアー。下拵えと揚げ方の技の見事さに感心します。衣は薄く、さっくりしていて、肉は柔らかく、ジューシー。噛み締めれば旨味がじわじわ滲み出る。そして、風味が立つ。それも独得の風味。なんだかくせのある風味が、喉奥から鼻腔に抜けていく。《芳香》が立ち昇る。

 見かけは唐揚げ。食べて見ると、さっくりの噛み応えで、しっとり感あり。噛み締める内に「これ、なんだか普通の唐揚げじゃない唐揚げだ!」ってことがじわじわと浮かび上がる。思わずこぼれる「これ、美味しい!」のひと言。お互い、顔を見あわせて「うん、うん」とうなずく様が物語るのは、誰もが同じ思いをした証、じゃないでしょうか。

 「ね、ほら、このこくのある味、香り。独得のくせ、風味があるでしょ?」
 「うん、うん。そうだ、そう、そう!」
 「「蝦醬」ですよ「蝦醬」。先月の「大馬站煲」、皮付きバラ肉と豆腐の煮込み鍋、で使ってたのとれと同じ調味料。でも、最初、そうだって気づかないでしょ?」
 「うん、うん、そうそう。食べてみて、わかる感じ」
 「まさしく、そこんとこ。「蝦醬」の使い方、按配がいい感じ。見事ですよね」と、調理したわけでもないのに、ついつい自慢顔の私です。
 
 「蝦醬」については、先月の「家郷小菜と香港炸醤面~3月の「赤坂璃宮」銀座店の6/7」の「大馬站煲」の項目で触れてきた通りです。アミを素材にした醗酵調味料で、味にはくせがあり、匂いも強烈。その好き嫌い、はっきり別れます。

 好きな人はくせのある味、匂いが「たまらない!」。それも病みつきになって「もっと、もっと!」と、分量の加減多目が好みになり、ますますエスカレート。反対に、くせのある味、なによりも匂いが「たまらない!」、つまりは「我慢できない、耐えられない!」。なんてことで、日本では後者が圧倒的多数を占めるようです。

 それからするとこの「大澳香酥鶏」。どちらかといえば控え目な「蝦醬」の分量。その加減、按配は日本人の嗜好、好みを考慮したもの?なんて風にも受け取れる。いやあ、そうではありません。素材自体の持ち味、同時に、特有のくせ、匂いを放つ「蝦醬」の味、風味を生かした味付けと調理による一品。しかも、軽くて、上品で、洗練された美味がここにある。そんな素材と調味料のバランス、調理の技の妙は見事。調味料の按配を加減した料理人の工夫と技の産物、成果なのは明らかです。料理人の技量、手腕、なによりもセンスの良さを物語ります。

 そうか。もしかして「蝦醬命!」なんて人には、この「大澳香酥鶏」での「蝦醬」の分量が物足りないかもしれないですね。たとえば、アジアの食は屋台にありと信じてやまないバック・パッカーやその予備軍、B級グルメ的美食探求に余念がない人々の多くが求める「ひと口食べて、いきなりがっつり!」の味からすると、手応えが乏しく、インパクトに欠けるかも。

 あ、私もB級グルメ大好き人間。ですけど、安くて旨い料理というのは妄想と観念の産物、工夫と努力による結果であって、絶対的な美味的観点からすればハンディを背負っているのがほとんどというのが現実。料理の本質よりも経済的価値観、観点が重視されたもの、なんじゃないかなんて思うことがしばしばですから。そう、その際の料理の本質というのも、絶対的な美味という観点からではのものではなく、それぞれの実体験に照らし合わせた極私的価値観によるもの、なんてのが顕著な感じです。

 「高くて旨いのは当たり前!」と値段の高い高級料理、高級料理店は一刀両断、なんてことが多いですが、やはり、問題は「素材」。料理によっては「だし」の存在を見逃せない。さらに中国料理は「板」と「鍋」の課題をクリアーしてこそ、美味は生み出されるのものですから、高いのにはそれなりの理由がある。ですが、その点は無視されがちなんですね。

 中国料理だけでなくアジア各国の料理なども、やはり「素材」、加えて「だし」の存在は重要ですが、現実問題としては経済的な制限が足枷になっているのが大半です。東京や横浜で、香港の味、あるいは中国本土、現地の味を再現、なんて評判の店がありますが、多くはそうした問題、課題を抱えています。

 厄介なのは現地特産の調味料を最大限に活用すれば現地の味が再現できるという極端な思い込み、安易な発想、思考が存在することです。実際、現地特産の調味料を最大限に活用すれば、現地の味が再現できると思い込んでる人、意外に少なくありませんから。

 そう、現地そのままの調味料をふんだんに使っても「素材」、「だし」がしっかりしてなければ美味は生まれない。現地の味は再現できない。現地云々よりも、絶対的な美味的観点からしてば、及第点すら満たしていない、なんて例がほとんどです。

 もちろん、「赤坂璃宮」銀座店では「「蝦醬」たっぷり、くせの強い味つけで!」というリクエストは可能です。それも、その分量に応じたバランスのとれた味の妙と技を見せてくれるはず。それって「客の口にあわせる!」ということなんですが、それこそは香港の、さらには中国本土の高級料理店における絶対的な評価を決定づける、必須の条件ですから。

 それより調理方法こそ違え「酔湖」の「蝦醬碎炸鶏」の味付け、「蝦醬」の分量、実はそんなに多くはない。私は「大澳香酥鶏」の味付けに大いに満足。さっくりの歯触り、肉はジューシー。すっきり軽くて、洗練されています。

 やったね!「赤坂璃宮」銀座店の「蝦醤鶏」。

2009/04/19

やったね!「蝦醤鶏」~4月の「赤坂璃宮」銀座店の2

会議は続く。というのも、いつもとは違う新たな別件の議題が持ち込まれたからで、日頃のリラクスムードとはうって変わって議論白熱。

 そんな最中に「大澳香酥鶏/伊達鶏の蝦醬風味揚げ」が登場。待望の「蝦醬鶏」の登場であります。その《芳香》に吸い寄せられて「あれ?何言おうとしてたんだっけ」と、話してた意見、中折れ状態。
 やばい!  それにしても料理名、まんま「蝦醬鶏」じゃなく「大澳香酥鶏」と言うのが泣かせます。素敵な、いや、「粋」な料理名だ。

 「大澳」というのは香港の西、現在、空港のあるランタオ島(大嶼山)南西部にある漁村で、明代の頃に中国本土からの移民が住み着き、漁村として栄えたところです。 その「大澳」の名物、名産なのが「咸魚」と「蝦醬」。

 ことに大澳産の「蝦醬」、それも固形状の「蝦膏」は、飛び切り上質ってことで知られてます。つまり「大澳」の名があるってことは、同地の名産の「蝦醬」を使ってるってこと。もしくは、それにちなんで「蝦醬」を使って味付けであることを意味するわけです。

 さらに「香酥鶏」とあるのが、ますますニクい。その言葉からは袁さんがこの料理に凝らした「工夫」と「技」、料理人としての心意気が汲み取れるからです。そんなことで、ますます盛り上がります。

 この料理「蝦醬鶏」、日本でその存在を知られるようになったのは今はなき香港、湾仔の「酔湖」の看板料理だったのがきっかけ、じゃないでしょうか。ちなみに「酔湖」での料理名は「蝦醬碎炸鶏」。

 手前味噌な話になりますが、私の知る限り「酔湖」、それにいくつかの看板料理を雑誌で紹介したのは私が最初、だったはず。その最初の取材で通訳をお願いしたのがTさんです。コーディネイターを務めてるもんですから、当人が依頼された他の雑誌の香港取材でばんばん紹介。そればかりか、後に出た香港の食案内の著作本で、自分が見つけてた長年の懇意の店風な口ぶりの紹介に、目が点!に、なったことも。

 Tさん以外に「酔湖」を紹介したサイト、ネットで見つけましたが、お気に入りの店でしたから、その名前、広まるのは嬉しいなと思ったものです。しかし、とあるサイトに私がそのTさんに「酔湖」を教えられた、なんて勝手な想像、書かれていたのにはさすがの私もうんざりするだけじゃなく、怒り心頭。すぐさま、抗議、訂正依頼のメールを出したものです。

 ともあれ、香港ではメニューに「蝦醬鶏」を乗せ、しかも、看板料理していたのも「酔湖」だけだったはず、って私の知る限りの話ですけど。いや、裏メニューにあり、というか頼めば即座に作ってもらえました。

 というのもこの料理、香港では手羽先を素材にした家庭料理として一般的。一般の広東料理店で手羽先を素材にした料理は、前菜する焼味の一品としてタレの「滷水」に漬け込んだものや「南乳」の風味で味付けしたもの。もっとも、餐廳や咖啡舗、たまに粥麵店で「炸鶏翼」、手羽先の唐揚げというのがありますが、そんな時、風味づけに「蝦醬」が使われていたりします。

 そんなことから、広東料理店でこの料理を頼めば、手羽先じゃなくて骨付き、もしくは骨を外した鶏肉を素材にするのが一般的。「酔湖」の「蝦醬碎炸鶏」が評判を呼び、名物にもなったのは、「鶏翼」、つまり、手羽先を使った昔ながらの庶民の味を、鶏のぶつ切り肉を使って再現してみせたところにあったのは事実です。

 そんな「酔湖」の「蝦醬碎炸鶏」に魅せられたのが吉祥寺の竹爐山房の山本豊さん。それを日本に持ち帰って、独自の工夫を凝らしてそれを再現。というわけで、山本豊さんの薫陶を受けた料理人はそれを受け継いでます。経堂の「彩雲瑞」の千秋君、大阪の「一碗水」の南君もやってます。

 そういえば、南君「ビールにあうアテ、なんかない?」という顧客の要望から思いついたのが「蝦醬鶏」。それも手羽先を使って、つまりは香港庶民の味を再現。その評判が広まって「一碗水」の知る人ぞ知る一品に。

 これが「一碗水」の「蝦醬鶏(翼)」。「ラ・ベカス」の渋谷さん、香港の食については詳しくてうるさいって話、伺ってますが、そのお墨付け得たのが評判を呼んだそもそものきっかけだった、なんて話も聞きました。

2009/04/18

やったね!「蝦醤鶏」~4月の「赤坂璃宮」銀座店の1

 コンサート通いが続いています。
 昨日は中野で山下達郎。東京ではもう1回追加公演ありとなりましたが、本来はラスト公演。なんてことでアンコールには竹内まりやも登場。歌ったのは・・・やめときましょう。

 それより、開演6時36分。終了したのが10時過ぎという長丁場。存分に楽しんだ後で、中野なら蔡さんの店に行ってみよう、なんてことでラスト・オーダー前に「蔡菜食堂」に到着。したものの、満席の賑わい!蔡さんに挨拶しただけで、涙を飲みました。

 そう、コンサートにでかけると、終了時間は9時から10時。それからどっかで食事なんて時、新宿あたりならまだしも、たいていの場合、ラスト・オーダー間際のきわどい時間。中途半端な食事は苦手、なんてことから諦めちゃうケースがほとんど。その点、蔡さんの店、ラスト・オーダーが22時45分と実に好都合だったものの、満席では致し方ない。dancyuなどで紹介される前からその人気と評判、聞いてましたが、その実態目の当たり。

  そして、明日からもまたコンサート通い。なんてことで、ブログ・アップ滞らないようにと、今月の「赤坂璃宮」銀座店報告、早々とアップしておくことにしました。
 題して、「やったね!「蝦醤鶏」」。そうです、リクエストしていた「蝦醬鶏」が遂に登場。詳しい話は後にまわして、まずは前菜「粤菜焼味盆/前菜の盛り合わせ」。

 あれ?大藤さん、今月は「璃宮焼味盆」でも「香港焼味盆」でも「広東焼味盆」でもなくって、「粤菜焼味盆」?

 成る程、目の前に現れた前菜を見て納得。その内容、いつもとは少しばかり違いました。右から「牛展」、「鶏肝」、「叉焼」に「白菜」の漬物。「赤坂璃宮」銀座店の「牛展」は初めて。牛スネ肉の冷製です。
 香辛料を使っての下拵えはしっかり。ですが、肉が乾いていてぱさつき気味。ということで、風味が少々乏しい。私はも少ししっとり加減が好みです、それに、この状態ならも少し薄目に切リ分けた方が味、香りがたって良かったかも、というのが私の印象。

 それから「鶏肝」。鶏の肝の焼き物。会議に夢中だったもんで、最初、チラっと目をやった時、その形状から「家鴨の舌?にしては大きいし・・・」。

 会議の話の途中に、口に運んだら滑らかな触感。唇に触れた甘味(麦芽糖?)のあるタレに驚いて、思わず口篭り。噛み締めるとねっとりの触感、こくのあるこってりの甘味が舌にのしかかる。そして、濃い血の味がする!

 「レバーじゃん、これ!こういうの大好き!」と、頭に思い描きながら、そのことは口にせず、議題に戻って話を再開。もっとも、その間にも、ねっとりの触感、こってり濃密な味の余韻が頭の中を駆け巡る。

 「過日の「金銭鶏肝」も良かったけど、こうやってこってり濃厚な甘味のタレで焼いた「肝」を食べるのも良いなあ。ほんとに、これ、相当イケる前菜、アミューズだ! そういえば「ブータン・ノワール」みたいなもんか。すると、蜂蜜やらベリーのジャムと一緒に食べたら、もっと旨いかも。

 そうだ、香港の焼き物の前菜に「ブータン・ノワール」はないから、そういうの今度、焼き物の担当の人にリクエストしてみようか」なんて思い浮かんだりして。

 いかん、いかん、会議に集中せんと。いやはや、実に罪作りな焼き物だったのでありました。

2009/04/15

立春宴~早春の広東地方の郷土料理の10

 締めくくりの甜品。
私は「杏仁」と「胡桃」のお汁粉をミックスした「鴛鴦」。
 今回の「青木宴」。中でも印象に残ったのは「肘子燉生翅」。しっかりの塩味で男性的、なのに荒々しくはなく、清々しく溌剌とした爽快感があったこと。「荔蓉香酥鴨」の芋のさっくり、ねっとりと、家鴨の皮のパリっと肉のジュシーな歯ざわり、触感、味、風味の対比。芋のこくのある甘味、家鴨の野性味を生かした洗練の技。

 豬の煮込みの軽くて上品な味わい。その「雙冬炆野豬」の「筍」、あるいは「咸魚炒蜜豆」の「蜜豆」の素材の持ち味の生かし方。いずれにしろ、調理のスタイル、味付け、技、味の決めは、香港島と九龍の福臨門の特徴、良さが混在。どちらかといえば、香港島の福臨門寄り、かも。羅安さん直系の呉錦洪さんの繊細さとはまた違ったきめの細かさや洗練。張漢華さんの鮮烈な「鑊気」あふれる鍋使いとは異なるしなやかな力強さ、溌剌とした若さ、爽快感がありました。

 料理人の名は胡福春さん。銀座店にいた袁さんと入れ替わり、名古屋の福臨門から銀座の福臨門へ。というわけで、張さんは現在、丸の内店に勤務中。福臨門の料理人、スタッフは、色々と店を入れ替わります。

 その胡さん、羅安さんの弟子という話を耳にして経歴を尋ねたところ、14歳の時、最初に勤めたのは鴻福門、次いでホテル日航の「桃李」へ。なんて話に「もしかして、霍錦常さんと一緒に働いてた?」と尋ねたら、なんと、霍さんが最初の師匠。霍さんとずっと行動をともにしてきた、なんてことが判明。

 霍錦常さんは福臨門の九龍店の総料理長の羅安の弟子のひとり。日本の福臨門の総料理長で現在休養中の呉錦洪さんとともに、その才能を高く評価していた料理人です。つまり胡さん、羅安さんの孫弟子に当たるわけです。

 そういえば、霍さん、福臨門から一時、マンダリンホテルの「文華」の総料理長を務めていたこともありましったけ。その後、鴻福門、そして、ホテル日航の「桃李」に移り、次いで、深圳、広州へ、なんてことでした。

 胡さん、霍さんと行動を共にし、後にマカオの店などで勤めて後、福臨門が出張料理専門だった頃に腕を奮っていた「肥佬祥」こと祥さんと出会い、台湾へ。その祥さんから、出張料理時代に端を発し、後に洛克道に店舗を設けるようになった香港島の福臨門スタイルの料理を習得。

 羅安さん直系の霍さんから習得した九龍の福臨門のスタイルだけでなく、祥さんから教わった香港島福臨門のスタイルの両方を学んできた、というのが実に興味深い。胡さんの作る料理の背景には、そんな理由があったとわかりました。実際、今回、胡さんの料理を食べれば、そんな印象でしたから。そして、香港に戻り、福臨門に入って日本にやってきたのが12年前。なんて、料理人の足跡をたどってみるのも面白い……ですけど、あまりにも超マニアックすぎる話、かもですね。

 そして、お汁粉と一緒に出てきた「千層糕」。ピーナッツをまぶした「麻沙滋」。いずれも美味でした。
 というわけで今回の「立春宴」、実施までの時間、ゆとりがなく、素材の調達、基本的なコースの組み立ては福臨門におまかせ。多謝!
 次回は素材の調達、コースの組みたて、入念に行うことにいたします。

立春宴~早春の広東地方の郷土料理の9

そして「お粥」。「青木宴」の当日の午後、突如、青木さんが思い立って注文したもの。
ということで、急遽しつらえた上湯仕立ての「上湯白粥」。同時に、お粥の共がずらりとテーブルに並びました。「腐乳」、「皮蛋」、「榨菜」、「炸雲呑皮(雲呑の皮を揚げた物)」。それだけじゃなくって「ロックフォール」に「ウォッシュ」のチーズ2種!
「わお、チーズ!なんでまた?」と、思わず目を丸くした私です。
「「腐乳」が合うから、チーズも合うかな、と思ってね!」と、お茶目な青木さんであります。

2009/04/13

立春宴~早春の広東地方の郷土料理の8

 それから野菜料理。「通菜/空芯菜」の良いのが調達可能という話に、それなら「蝦醬」か「腐乳椒絲」でという心積もり。味付けは当日の気分で決めることにしていました。 ところが、最後のしめくくりの面飯、当初「菜粒雲腿帶子炒飯」の予定でしたが、青木さん、突如としてお粥が食べたくなった、なんてことで当日の午後、メニューを変更。
 食事のはじめにそんな事情を教えられ、なら、野菜料理、通菜の炒め物は止めて急遽「咸魚炒蜜豆」に変更。

 もっとも「雪菜蚕豆魷魚圍蝦」がありますから「豆」の料理が重なります。しかも、調理方法は同じく「炒」。ですが、味付けが異なる。それに「咸魚」の味付けなら、お粥の共としてもうってつけなはず。おまけに青木さん「咸魚」好き。豆料理が「雪菜蚕豆圍蝦魷魚」になったのが残念そうでしたから。

  その「咸魚炒蜜豆」。お粥の共にするはずだったのが、そんなこと忘れてしまうぐらい美味でした。「砂糖さや」を炒め「咸魚」で風味付けといういたってシンプルな料理です。家庭でだってやれそうな料理です。が、そこはそれ「福臨門」ならではの「技」があった。それは見事としか言いようのない「技」でした。 我家では塩をひとつまみ入れた熱湯を沸かし、花生油をひと垂らししてから「砂糖さや」を投げ入れて、茹で上げます。その茹で加減、マヨネーズなんかで食べるときには、噛み応えのあるほどほどの硬さ、しんなり感を残した感じ。胡麻和えや、オイル&ビネガーで食べるなら、柔らか目に茹でるのが好みです。

 ところが「咸魚炒蜜豆」の「蜜豆」、しっとり、おまけに、噛み締めるとねっとり感もあり、というのに驚きました。しかも、ねっとりの触感とともに、豆の青い清々しさ、爽快感、甘味が浮かび上がる。素材の持ち味を巧みに生かした火の通し加減に目を見張りました。さらに上湯で煮含めてある感じ。ですが、たっぷりのそれじゃない。

 「蜜豆」のしっとり、ねっとりの甘さに、焦げる一歩手前ぐらいまで火を通した「咸魚」の香ばしさ、塩味、火を通した「咸魚」が生み出す香ばしが加味され、絡み合って、甘さ、鹹さが一体化。素材の持ち味を生かした料理って、こういうものなんだと思わずため息。

 素材の持ち味を引き出し、味、風味を加味する「上湯」。それに、火の扱い、つまりは「鍋」の技の見事さ。「こんなの家でなんか作れこない!」と、思い知ったのであります。