2009/07/01

涼味が夏を呼ぶ~09年6月の「赤坂璃宮」銀座店の3

 そして「例湯」。と思いきや「家郷小炒皇/五目炒め」が登場。
 「色合いが綺麗!」
 「見るからに旨そうな色合いですね」
 「素材が艶々としていて、炒め物なのに見た目がさっぱりというか、脂ぎっていないし、余計なとろみもついてないしね」
 「それより素材のひとつひとつの切り揃え、見事ですね。ほら、幅も、長さもぴったし同じだもの!」
 あ!それって私が言おうとした台詞ですけど。先に横取りされちゃいました。
 皆さんの目の付け所は鋭い。言ってみればなんてことない肉と野菜の五目炒め。ですが、素材は同じ幅、同じ長さに切り分けられてます。それぞれ色合いが違って、その存在を主張。それだけじゃなくって素材の分量、その按配、加減、バランスの妙も見事。見た目は派手じゃないのに、食欲をそそるものがある。

 この種の料理、普通は、材料をふんだんに使って、たっぷり、こんもりに盛り付けするのが中国料理、中華料理ならではと思われがち。ですが、それって日本のスタイル。香港でも、中国本土でも、ひと皿に盛る分量って、宴会料理だけに限らずカジュアルに食べる小菜だって、不文律でもないですけど、適切な分量、按配、加減があってそれを遵守。日本の中国料理では意外に見逃されがちなところです。そう、ラーメン中華の肉野菜炒めの大盛り、とはまるで一線を画す品格があります。

 「家郷」というのはこれまでにもふれてきたように「郷土料理風味」。香港や広東地方では家常菜、つまりは、家庭のお惣菜風、という意味がないでもない。田舎料理という解釈も間違ってはいませんが、田舎料理にしろ、郷土料理にしろ、日本でだとなんだか「芋の煮っ転がし」風の醤油たっぷり砂糖で味付けした濃くて甘辛い「お袋の味」的なイメージが濃厚になっちゃうのが、やっかいな所です。
 「小炒皇」というのは素材いろいろということで、各種の素材を取り混ぜたもの。日本風に言えば「五目」ってことになりますが、中国だと「五寶」、あるいは「八寶」と、縁起のいい数にちなんで素材の数を揃える。それが、日本だと「五目」ってことで、もとは陰陽五行説に由来したもの。ですが、なんでもかんでもごちゃ混ぜなのが「五目」というイメージ、今や圧倒的ですから。
  それで「五寶」でも「八寶」でもなくって「小炒皇」なのは、素材の数が「五種」、「八種」だけに止まらず、ってこともあるのと、「皇」の一文字が鍵を握る。つまりは吟味、精選された素材を各種みつくろい、炒め合わせた料理、って意味ですから、たとえば、美味しい旬の素材を取り揃えることもあれば、高価で贅沢な乾燥素材だけを取り揃えるなんてこともある。

 ちなみに今回の「小炒皇」。素材は豚肉、豚背脂、葉ニンニク、黄ニラ、赤と黄色のパプリカ、セロリの細切り。それに干し蝦の「蝦米」やピーナッツの「花生」も。味付けは塩だけ。それにだしですね。ともかく、幅、長さを切り揃えた2種類の肉と旬の野菜の数々を塩味で炒めあわせただけの料理です。
 それが、甘い。野菜特有の自然な甘さが一致団結、全体を支配して、甘い。しかも、素朴で自然な甘さが浮かび上がる。口の中で一杯になる。それだけじゃなくって、それぞれに青かったり、ほろ苦かったり、エグ味があったりなどなど、素材のひとつひとつの持ち味がくっきりと浮かびあがり、それぞれに存在を主張。存在を主張するのはその色合いだけではなかったのありました。しかも、それらがひと皿の中でひとつの味を形成、というのが見事です。

 素材ひとつひとつの持ち味、個性を引き出した火の入れ方、つまりは、鍋の扱いの巧みさに関心。まさに、鍋の気「鑊気」がありますから。それとともに皆さんの目を釘付けにした素材の切り分け、下拵えの見事さも。それが、鍋の技、火の通し具合を決める要因にもなってますから。

 袁さんの要求に応えて素材の切り分けをはじめ、入念な下拵えを担当する料理人は、橋詰太郎さん。大藤さんに尋ねてその名を知りました。日本の中国料理の料理人で、板の技に優れた料理人、何人か知ってます。しかも、板の技を徹底的に仕込まれた人ほど、名をなした料理人、多いんですが、それは知る人ぞ知る話。橋詰さんのこれからが楽しみです。