2008/10/29

広東地方の郷土料理シリーズ、遅ればせながらの2008年「夏の巻」の8

 そして中国オリーブを乾燥させた「欖角」を使った一品は、豚のスペアリブを煮込んだ「欖角炆排骨」に決定。
 中国オリーヴ、とはいっても地中海原産のモクセイ科のそれとは異なり、インドシナ、中国南方などで繁茂しているカンラン科の橄欖の実で、その実がオリーヴに似ていることから中国オリーヴと称され、また、本来のオリーヴ及びその実が橄欖と称されるようになった、という経緯があります。
 橄欖の実の果肉を「欖角」と称し、その実はナッツのような独得の味、風味があることから「欖仁」として、炒め物などに使われる他、「月餅」の具などにも使われます。

 「欖角」は、以前、ここで紹介してきたように、肉、魚を主素材にした料理のいわば調味料として使われ、微塵切りにして素材とあわせ、蒸したり、煮込んだりする。もっぱら蒸し物に使うのが一般的、というのは「その2」で触れてきた通り。料理のバリエーションは豊富です。それに、今回の料理の組み立てからすれば「蒸」の料理がなかったことから、蒸し物で、と考えていた次第。

 他に「欖角」と併せ、客家独得の漬物の「梅菜」もあって、それを肉、魚とともに蒸しものにする、という考えもありました。「梅菜蒸排骨」や「梅菜蒸斑球」は、香港人、というより広東人好みの惣菜です。

 もっとも、メンバーの数、それに、今回はしっかりした味、風味の料理を、ということから「欖角」を使うにしろ「梅菜」を使うにしろ、煮込みの「炆」では?というのは料理長からの提案。そんなことから「欖角炆排骨」となった次第。

 













 これが、案外、予想以上にウケました。「この煮込み物の味付け、中国オリーヴの味、風味がいいですね。煮込みなのにスペアリブのくどさ、しつこさを感じないし。ご飯がほしくなるお惣菜みたい!」と、青木さん。

 中国オリーヴの「欖角」とスペアリブの組み合わせ、というよりも「欖角」の独得の味、風味にすっかりとりこになってしまった様子です。独得のくせのある醗酵味、旨味のある調味素材、というか、香味素材の「咸魚」や「蝦醬」がお気に入りの青木さんは、「欖角」に魅せられた様子でした。ということなら、次回は「欖角」を使った、魚、肉の蒸し物の料理をコースに組み入れるのもいいかも。

 それに続いて「鹽焗鶏」が登場。鶏を丸ごと一羽、塩で包み込み、蒸し焼きにした料理です。もともと客家地方の伝統的な料理で後に広東料理店のメニューにも加わるようになりました。

 もっとも伝統的な「正宗鹽焗鶏」をそのまま再現するには手間隙がかかる。そんなことから、塩分過多を敬遠する人などもいて、調理、味付けを工夫した「鹽焗鶏」が生まれ、さらにはそれを簡素化したバリーエションも生まれ、調理方法もいろいろ変化。店ごとに工夫があったりします。中でも多いのは、蒸し焼きのプロセスを簡素化し、鶏を取り出し、最後に油をかけて仕上る、なんて方法もあります。

 ですがやはり「正宗鹽焗鶏」の調理法で食べたいとリクエスト。すこしばかり火が入って皮の色合いは濃い目のダーク・ブラウン。しかし、皮の裏の脂がじりじりと皮や身を焼いた形跡はしっかりありました。

 肉は歯がすっと入る柔らかさと噛み応えありで、塩味が染みこんだ肉が実に旨い。燻製した鶏肉、茹でた鶏肉、揚げた鶏肉とは明らかに異なる歯触り、質感、肉のしっとり具合や、肉を噛み締めた時のメリハリのある味わい、浮かび上がる風味に「鹽焗鶏」の旨さを堪能しました。

2008/10/24

広東地方の郷土料理シリーズ、遅ればせながらの2008年「夏の巻」の7

 「確かに、これは魚の唐揚げ。だけど、こんな魚の唐揚げ、食べたことがありませんよ!」と青木さん。
 「そうそう、ほら、ひれの部分とか、ばりばり食べられちゃうじゃない。けど、身のところは柔らかくって、しっとりした感じで。あの、この醬油味のたれも、いいね。なんだかすごく上品な唐揚げだ」と斉藤さん。

 そうなんです。ひれの部分が食べられるぐらいしっかり揚げてある。なのに、身の表はぱりさくの歯触り。身は歯がすっと入るしっとり加減で、緻密で繊細な身の肉は、滑らか。しゅわしゅわと舌の上でほぐれていく。

 「老虎魚」の身の緻密さが、良いかな。けど、極上の「老虎魚」の入手がむずかしい。「かさご」は、身が少し固くて、ほろっとはがれるような感じだし、「きじはた」、「あら」に「くえ」でもいいけど、やはり身が固い。身がしっとりと緻密、ってことなら「あいなめ?」。でも、蒸し魚の「清蒸魚」や煮込みの「紅炆」で゙食べたことがあるけど、唐揚げの「油浸」にはたして向いているかどうか。
 けど、案外、「あいなめ」のしっとり加減からすると、いい感じに仕上がるかも、なんて、あれこれ想像をめぐらせました。
 結果、「あいなめ」の入手が可能ってことで、GO!















 大成功でした。
 魚そのものの質、味わい、旨さ、風味ということなら「老虎魚」に軍配があがりそう。純な味わいで、しかも、濃密だったりしますから。凛とした羽織袴の出で立ちの武士の風情。

 それからすると「あいなめ」は、気取りがなくて、ざっくばらん。衿を抜いた着こなしの遊び人の風情がある。しっとり加減の身の緩さ、こそがその身上。なんて趣の「あいなめ」の持ち味が、「油浸」の調理で際立ってみえました。

 揚げた「あいなめ」に、醤油にだし、つまりは「上湯」を加味したたれが、味、風味を引き立てる。ひれまでばりばり食べられる揚げ方、調理の見事さもさることながら、たっぷりの油で揚げてるのにもかかわらず、くどさ、しつこさ、重さなど微塵も感じられません。

 唐揚げ、揚げ物というのは、一般には、どちらかといえばゲスな味、風味が魅力のはずです。ほら、肉屋の揚げたてのコロッケ。それにソースをだぷだぷの感じとか、塩味が利いていていてこその鳥の唐揚げとか、そうじゃないですか?

 ところが、この「油浸什斑」、あいなめの唐揚げは、ひれまでばりばりの揚げ方、なのに、ぱり、さくの衣、身はしっとり。それに、上品で洗練された味、風味。それもまた、大きな驚きでした。

広東地方の郷土料理シリーズ、遅ればせながらの2008年「夏の巻」の6

 そして「油浸什斑」。今回のメンバーに紹介し、なんとしてでも食べてもらいたかった一品です。

 広東地方の海鮮を中心にし宴会料理で魚を素材にした料理、ことに魚を丸ごと一匹使った料理は主要な「大菜」であり、宴会の華。ことに蒸し魚の「清蒸魚」は、「魚」という言葉の音にちなんで縁起を担ぎ、宴席の締めくくりの料理として欠かせない、とは昔から語り継がれてきたことです。

 香港で海鮮料理に出会い、その虜となった語る多くの人がまず挙げるのは茹で海老の「白灼蝦」、渡り蟹の一種とされる雄の肉蟹を素材にした「姜葱焗肉蟹」、蒸し魚の「清蒸魚」。中でも「清蒸魚」は、日本でも広東料理店の定番的なメニューになるほど広く浸透し、親しまれるようになりました。

 香港では「はた/石斑」の類や「蘇眉」、「青衣」など南方ならではの魚が中心。日本では最近になって「はた」の類などが用いられるようになりましたが、沖縄近海のものが大半だそうで、海が違うせいか、肉質などいささか異なります。

 「あこう」の名で知られる「きじはた」や「あら」、「くえ」の類などもありますが、やはり、持ち味が異なる。むしろ「かさご」などが用いられることが多いのは、それを煮魚にするなど、日頃馴染みがあってのことでしょう。

 そういえば、これまでにここでふれてきた「老虎魚」を「清蒸魚」というのは、香港ではごく一般的。ところが日本ではあまりみかけない理由は、どういうことに起因するんでしょうか。

 ともあれ香港、あるいは広東地方の海鮮料理の「清蒸魚」は日本でも一般的になりましたが、「はた」の類の切り身の炒め物の「炒斑球」や揚げ物の「炸斑球」、丸ごと一尾煎り焼きにして煮込む「紅炆海斑」、大振りの「はた」の砂擦り、背ヒレ、尾ひれの部分を煎り焼きにして煮込む「紅炆斑翅」などが用意されている店は、まだまだ少ない。一部の店に限られるようです。

 さらに「油浸」、広東料理の唐揚げの料理、ってことになると、ほとんど皆無と言ってもいいのではないか、と思うぐらい、滅多に見かけたことがない。
 もっとも、先に「8月の「赤坂璃宮」銀座店」で紹介した「椒鹽九肚魚」、本来は「てながみずてんぐ」を使うところ、日本での入手は難しいことから素材を「めひかり」に置き換えた「めひかりのスパイス揚げ」などのように、衣を付けて油揚げにする料理はあります。

 それに、上海料理を看板にする店では「まながつお」などを醤油などの漬け汁に浸して揚げたり、燻製にする「燻魚」などもあります。

 それより、日本でも魚の唐揚げは一般的、というか日常的。そんなこともあって「魚の唐揚げ」にいささか、懐疑的だった様子の青木さん。それも、広東料理の唐揚げの手法である「油浸」で調理するにあたって、どんな日本の魚がその調理にふさわしいのか、ネチネチと執念深く検討、追求する私に、思案気どころか、ついには「お好きなように!」と呆れた様子だった青木さん。
 そんな青木さんも、食べて納得。

2008/10/20

広東地方の郷土料理シリーズ、遅ればせながらの2008年「夏の巻」の5

続いて「紅炆水魚」。すっぽんの醤油煮込みです。
先の「夏の味」の時もそうでしたが天然のスッポンの入手が可能、ということでその好機を逃せない。
 養殖物のスッポンとは味、風味が違って、肉に締まりがあり、独得の香り、風味があります。漬物はじめ各種の具材とともに蒸す「八寶蒸水魚」も考えましたが、少しばかり凝りすぎ、行き過ぎかな?と躊躇して、オードックスで重厚な趣の「紅炆水魚」に決定。

 「まる鍋、と言うか、だし仕立てのスッポン鍋は食べたことがあるけど、こうやってぶつ切りを煮込んである、ってのははじめて、なんか豪快だね」なんて声も聞かれます。

 「香港じゃスッポン、それも「水魚」よりも大きな「山瑞」ですが、冬の野味の代表的な料理。日本だと、と言うか関西では暑気払いの料理、という感じなんですけど。でも、やっぱ、冬の料理ってイメージなのかな」と、私。

 骨付きの身、小骨のある手足にむしぶりついて、すっぽんの肉の独得の味、風味、くせのある旨さを堪能。しかし、なんといっても裙邊/縁側のペロペロ。コラーゲンの塊で、そのエッセンスをまんま味わう感じ。触感はとろとろというよりも、ぷりっとした弾力があります。身も、縁側も、最後の最後までしゃぶりつくしました。旨い。美味です。


 「あれ、この柔らかいの何?ぐじゅとした感じで、甘くて、美味しいんだけど!」なんて声が。
 「ン!? 大蒜の塊、じゃないですか?」と私。
 「そう言われれば、肉の硬さじゃないもんな。でも、大蒜って煮込むとこんな感じになるんだ。柔らかくて、甘い!」
 「生だと、舌を刺すひり辛の味ですが、煮込むと全然違う味になっちゃいますから。こういうスッポンとか羊とか「果子狸」、「ハクビシン」のことですけど、野味類の煮込み物には、大蒜の塊は欠かせないみたいですね。煮込むとトロトロ。ひり辛の味より、甘味がぐっと出て、思わず食べちゃいますよね」と、私。

 大蒜のほかに干し椎茸も。これがまた、滋味深くて旨い。ですけど、やっぱりスッポンの肉、それに、何よりも縁側が旨い。しかも、思いのほか量はたっぷり。昨年は相次いでスッポンの蒸し物を食べる機会に恵まれて、夏らしい一品と思いましたが、こうやって煮込みの「紅炆水魚」にして食べると、がっしりと重厚な趣で、煮込みもいいなあ!ともあれ、本日のコースで「冬瓜盅生翅」と並ぶ「大菜」。値段の点も含めてのことで、今回のコースの組み立てが予算オーバー。そんな理由のひとつになった料理でもありました。

2008/10/19

広東地方の郷土料理シリーズ、遅ればせながらの2008年「夏の巻」の4

 本格的な宴会料理のコースなら、前菜に続いて「ふかひれ」はじめ干貨素材を素材にした大菜が登場。次いで干貨素材を素材にした煮込み物の料理を用意し、その宴会の「格」を誇示し、アピールというのが通例のようです。

 もっとも「青木宴」の場合には、あくまで広東地方の郷土料理を主体にしたコース展開を、というのがその趣旨。そこに、贅沢な宴会料理を組み入れて変化をもたせる。ということから、今回は「冬瓜盅」。それもふかひれの質、旨さをグレード・アップした「冬瓜盅生翅」を組み入れた次第。

 そんなことから今回のようなコースの場合、続くメニューとして考えられるのは海鮮を素材にした料理。それについては先に触れてきたように、白身の小魚、小ぶりの根魚類を素材に、広東地方の郷土料理の再現をなんとか実現したい。そう考えていたものの仕入れ、調達などの厄介な問題もあって今回はあきらめました。

 ということなら、やはり「海老」の料理、活きのいい「才巻き」、「車海老」の類を素材にした料理です。 最もシンプルな調理方法は、茹で海老の「白灼蝦」か、蒸籠(セイロ)で蒸篭で蒸した「蒸籠蝦」。
 ですが、生意気な話、日本で、東京で、ゲット、いえいえ、調達可能なその種のえび、新鮮なだけでなく、よほどの上物ではない限り、極上の「白灼蝦」、「蒸籠蝦」には出会えない、というのは私の体験談。

 もとより、日本のその種の蝦、香港などで食べるそれとは持ち味、資質が異なるようで、単に茹でたり、蒸したりするの料理には向いてないのではと思えます。素材の持ち味を生かした調理方法、その工夫や技が必要なのでは? というのが私論、あ、私の持論って言うんですね。

 「なことないじゃん。寿司ダネの海老、ちゃんとした店にいけば、美味しいだけじゃなくって、極上のがあるじゃん」と、突っ込まれそう。私も、都内某所の寿司屋で極上のえび、食べたことがあります。
 ですが、その海老、素材の吟味、茹で方とか、扱いに、その店ならではの「技」がありました。

 他の店で食べた海老、ただ、茹でただけ、というのもいささか乱暴ですが、海老の甘味が感じられませんでしたから。そういえば寿司ねたの「海老」で、「おぼろ」を忍ばせる、というのがありますが、あれなんか「海老」を美味しく食べさせる「工夫」と「技」なんじゃないでしょうか。

 つまりは、海老の扱い、調理に「技」がある。茹で海老にしても中国料理、ことに広東料理を下敷きにした香港のそれと、寿司屋さんのそれは異なる。長年受け継がれてきた伝統の技、手法があって、日本の海老の持ち味を生かす工夫がなされているってことです。


 日本で収穫された日本ならではの持ち味のある「海老」を、中国料理の手法で極上の味、風味を味わうには、やはり、それなりの「工夫」と「技」が必要。それも、茹でたり、蒸したりするより、むしろ殻つきのままで炒める「炒」、強火で炒める「爆」、煎り焼の「煎」、味付けにして蒸し焼きの手法も施した「焗」、あるいは揚げる手法の「炸」が向いているんじゃないかと、私は思います。

 海老の殻の旨味のエッセンス。それに、火を通したときに生まれる独得の風味を生かす、ということでは、茹でる場合には紹興酒や玫瑰酒などの中国酒で茹でる。 蒸す場合には、大蒜の微塵切りなどと蒸す。そうすれば、旨さ、風味を増します。9月の「赤坂璃宮」銀座店での「香蒜蒸海蝦(蒜茸蒸中蝦/車海老のガーリック蒸し」などその最たるもの。

 それよりも殻の旨さ、香り、風味を味わうには、煎り焼きの「煎」か蒸し焼きの「焗」がうってつけではないでしょうか。たとえば、中国醤油の「生抽」、たまり醤油の「老抽」(これが料理名になると豉油皇と表記されます)で煎り焼きの「煎」にする。それとも、塩、胡椒味で辛味を付けて蒸し焼きにした「焗」にする。

 しかし「煎」にしろ「焗」にしろ、その料理方法には「工夫」と「技」が必要なようです。醤油の「生抽」、「老抽」で煎り焼きにするには、火を強くした鍋に注ぎ入れ、味付けするなんてことはない。そうすれば醤油の味ばかり立ち、強火であれば、焼け焦げた味になる。あまりにも醬油味が直接的で、下品、下種な味になる。ということで、そうした方法を避ける。

 もっとも、醤油の焼け焦げの香り、というよりも「匂い」は、日本人には堪らない。というより郷愁、懐かしさを誘い、親しみを覚えるものがある。屋台店のヤキソバのソースのあの「匂い」というわけです。いわゆるラーメン中華の店などでの「ニラレバ炒め」や「野菜炒め」の類、それにまさに「焼き飯」というふさわしい「炒飯」に特徴的なもので、それはそれで魅力的ですが、中国料理というには・・・首を傾げます。

 たとえば「だし」を張った鍋に、醤油を入れ、そこで煎り焼きに仕上る。だしの味も加味された醤油の味で、殻を煎り焼きにする。それが「工夫」です。醤油の味付けでなく、塩、胡椒の味付けの場合も、同様のプロセスがある。

 殻に火が通り、香り、風味が立てば、それで充分。殻はしっかり火が通って、その味、香り、風味を満喫。ところが「海老」の身は、レアな火加減。とろんとした触感があり、なおかつ、甘味が立っている。そんな火加減で止め(とどめ)を刺してある。というのが「技」。調理、鍋の「技」の見せ所です。

 殻に火が通った証でもある紅色の照りのある色合い。和らいだ醤油の香りが鼻腔を刺激します。

 「ね、これ、殻も食べられるの?殻も一緒に食べちゃっていいの?」と斉藤さん。

 「もちろんもちろん。あ、別に食べなくってもいいですが。でも、むしゃぶりつきだくなるでしょ? 殻の味、風味、旨いですから。それに殻つきのままむしゃぶりつかないと、醤油を絡ませた殻の味、旨味、風味、味わえませんから!」と、私 

 「わ、何、これ! 身はレアじゃない!」と斉藤さん。
 「そうなんですよ。そこがポイント。技あり、でしょ?」と、料理したわけでもないのに自慢したりする私です。

 殻はぱりっとした歯触り、噛み応え。なのに、身はとろん、ぷるんの滑らかさ。生そのままというわけでなく、かといって火をしっかり通したぷりとした張り、弾力のある噛み応えでもなく、その一歩手前、際の感じ。身を噛み締めれば、海老の身の甘さが、しっかり浮かび上がる。

 殻つきのままで食べれば、殻に絡んだ醤油の味と、身の甘さが口の中で合体。旨さ、風味が、ますます際立ちます。 醤油味にするか、それとも、塩、胡椒の味付けにするか。どっちを選ぶか、そこが。コースを組み立てる際の思案のしどころ。

 味付けだけでなく、殻つき、というのが、大きなポイント。つまりは、歯触り、触感を考慮してこそ、この日のコースの3品目に選んだわけがあったのでした。 「冬瓜盅生翅」の「だし」の旨さ、ふかひれの「生翅」のぷり、ぷちの触感や味、風味に押し黙ってしまうぐらい「うっとり」だったことをすっかり忘れ、殻つきの海老の旨さ、風味に夢中の斉藤さん。

 「豉油王煎圍蝦」を3品目に選んで大成功でした。

2008/10/15

広東地方の郷土料理シリーズ、遅ればせながらの2008年「夏の巻」の3

「これ、やっぱり旨いよね!」と、「金銭鶏肝」を食べて青木さん。
「金銭鶏肝」はこれまでに何度か紹介してきましたが、肝心なのは鶏の肝、豚の背脂、金華火腿を漬け込む「たれ」。海鮮醬、芝麻醬、麻豉醬、砂糖、塩、醬油などで作ったもので、各種の醬類の配合加減に味の秘訣あり、なのは明らかです。

 麦芽糖の水飴を使う、というのも味の決め手のひとつ。しっかりの塩味ですが、同時に甘味、こくのある旨味がある。塩味と甘味の対比、さらには旨味が味わいところ。さらに「金華火腿」の醗酵味、旨味、風味が利いてます。

 ついでながら、麦芽糖の水飴、蜂蜜の類。それ以前に砂糖を焦がし、いわゆるキャラメリゼ(でしたっけ?)状態にして、味付けにするのは、広東料理だけに限らず、上海周辺各地区、四川料理などでも使われます。それに、確認の要ありの話ですが、甘味は砂糖から、というのは日本の中国料理の一般的な共通認識、概念でもあるようです。

 ところが、たとえばチャイニーズ・レストラン直城の山下直城さん。四川で学んだ「砂糖」の使い方というのは、甘味のためではなく、様々な味を馴染ませる、ひとつの味にまとめる「和」の効果がある、ってことだったそうです。

 言われてみてば、その話に大いに納得。砂糖って使いすぎると味が均一、というか、甘味一辺倒、しかもベタ味になって、素材の持ち味、味付けが損なわれえることになりかねない。ということで、甘味は、素材の持つ甘味を引き出す。あるいは、砂糖ではなく、砂糖から作った蜜汁、蜂蜜、さらには「蜜棗」がまさに好例なように、蜜汁付けの果実、あるいは、干した果実を使う、なんてのが一般的。というあたり、実はフランス料理、イタリア料理でも一般的。共通するところがあるわけです。

 「金銭鶏肝」は何度食べても美味しい。美味しくって、なんだか懐かしい味がする。 この塩味、甘味、こくのある旨味の組み合わせこそは、紛れもなく広東地方の郷土料理の伝統の味。福臨門のはそれを洗練させた上品で奥行きの深い味、風味があります。

 香港に通いはじめた最初の頃、街中に焼き物専門の「焼臘店」があり、店の横、あるいは、奥にテーブルがいくつか並べてありました。看板の「焼味」をそのまま食べさせる軽食堂の趣、佇まい。どの店もタイル張りのフロアーだった記憶があります。

 「焼臘店」で私の一番のお気に入りだったのは中環の「華豊」。ところが「焼臘」販売の専門店で、食堂はなし。仕方なく「焼味」の何品かを買ってホテルの部屋に持ち帰り、酒のつまみにするだけでは収まらず、ルームサービスにご飯、あるいは、雲呑麺を頼んで、その具にした、なんて、ほんと馬鹿なことを散々繰り返しやりました!

 前菜に続いて、今回の「宴」のハイライトの一品で「大菜」でもある「冬瓜盅生翅」が登場。冬瓜を器仕立てにして「だし」張り、具を入れ、蒸した「冬瓜盅」は、夏になると欠かせない。
 「夏の味」で、伝統的なスタイルを下敷きにした各種の具入りの「八寶冬瓜盅」は、すでに味わい済み。私の好みとしては、伝統的なスタイルを踏襲した「八寶冬瓜盅」もさることながら、ふかひれを具にした「冬瓜盅魚翅」により惹かれます。

 問題は具にするふかひれの種類。ふかひれの種類には執着せずリーズナブルな値段で、ということなら「荷包翅」。その形、日本で「姿煮」として定着している扇方のものです。
 日本の中国料理店で一般的にふかひれの尾びれ、背びれの姿を残したものとして使用されているのは「よしきり」あるいは「もうか」のそれ。これまでにも触れてきたように特有のクセ、匂いがあって、原ひれの戻しの際の処理に工夫が必要です。
 
 「ウチは原ひれから戻してますから」と語る「wakiya一茶樓」の脇屋さんなどを除けば、ふかひれを収穫し、工場で生産加工処理した製品化された「ふかひれ」を使用、という料理店がほとんどですから。しかも、天日干しの作業を省いて下処理をし、そのまま冷凍化した製品があるそうで。もっとも、福臨門でふかひれの姿の形を残した「荷包翅」は、種類も違い、特有のクセ、匂いもありません。

これが「荷包翅」。
とはいえ「荷包翅」は、ふかひれの繊維が細く、尾ひれの姿そのままの塊ですから、舌触り、噛み応えの滑らかさに欠ける。もっとも、この春の「青木宴」に登場した干しなまことふかひれの煮込みの「婆参荷包翅」なんかにはうってつけ。

 昨年食べた料理の中で私のベストだった鳩肉にふかひれを詰めて鮑汁などで煮込んだ「仙鶴神針」なども、ふかひれの質、滑らかさ、太さ、味わいとなるとやはり「生翅」ですが、「荷包翅」でも悪くない。鮑汁など、ふかひれにしっかりした味を染みこませる調理による料理は向いているんじゃないでしょうか。


 若い童鶏にふかひれを詰めて、上湯で湯煎蒸しの「燉」で煮込む「鳳呑翅」のような料理にも向いているようです。つまり、「だし/上湯」味がしっかりふかひれに染み込む、ってことですね。

 しかし、「冬瓜盅魚翅」のふかひれは、繊維が太いほうがいい。唇や舌触りの滑らかさ、ぬめり感、それに、ぷち、ぷりっと弾ける噛み応え、ということになるとやはり「生翅」。極上のふかひれ「海虎翅」の胸ひれ、ってことになります。
                               
これが「海虎翅」の「胸ひれ」の「生翅」。
ところが・・・・・・値段もそれなり、です!
 「荷包翅」の倍の値段はしますから、予算超過という現実が待ち構えてます。

 日頃、私がコースを組み立てるにあたって、予算の半分は「ふかひれ」はじめ、高価な素材を使った料理にあて、残る半分の予算で他の内容をあれこれ工夫する。なんてこと考えても「海虎翅」の胸ビレの「生翅」を使えば、美味なのはわかっていても。。。。。


 世知辛い話ですが「荷包翅」に比べて「生翅」の値段は張ります。普通のふかひれの料理ではなく、今回のような「冬瓜盅」の場合には、冬瓜そのものも味わう。つまり、冬瓜の果肉の量もたっぷりある。そんなことから「ふかひれ」の分量を加減する方法もあります。その経済的な効果が大なのは言うまでもありません。

 今回は「荷包翅」よりも「生翅」。
 「ふかひれ」の質、その美味(まじ、滑らかさ、舌触り、ぷり、ぷちの噛み応えがもたらす美味的効果、絶大!)てことから、「生翅」で、行っちゃえ、行っちゃえ!
 そんなことから「冬瓜盅生翅」でGO!

 その甲斐がありました。
 なんといっても「だし」、スープが旨い。鶏肉、豚の赤身、なによりも「金華火腿」が醸し出すこくのある旨味、独得の風味が堪らない。リッチな旨味、こくがあるだけでなく味わいの奥深さに、くらくらっと酩酊状態。

 実際、同席した誰もが「このスープ、旨いワ!」と、思わずひとりごち状態。すっかり「上湯」のだしの旨さ、奥深さの世界にはまった様子で、テーブルの脇を天使が通った状態。
 そそ、以前にもふれたことがありますよね。賑やかな会話が一瞬途切れ、訪れる沈黙の間合いのこと。蟹を食べてる時、だれもが押し黙るあの間合いです。

 そんな沈黙があってこそ、誰もがふと我に帰る。
 「ね、このふかひれ、太いよね」と、斉藤さん。
 ようやく「生翅」の舌触りの滑らかさ、噛み締めた時のぷち、ぷりの繊維の太さ、噛み応えが認識されるに至った、ってことです。
 「荷包翅」じゃなくて「生翅」にしてよかったとつくづく思いました。

 画像は「冬瓜盅生翅」です!

2008/10/14

広東地方の郷土料理シリーズ、遅ればせながらの2008年「夏の巻」の2

 はたしてどんなメニューを選び、コースを組み立てるか。
 そんなところに朗報が。以前に「夏の味」でも紹介し、編集のMさん、食べて4時間後に「効果有り」なんて話だった大分産の天然物のすっぽんの入手が、可能かもしれないという話。香港や広東地方では、大振りのすっぽんの「山瑞」を素材した料理、滋養供給や精力増強だけでなく、なによりも体を熱くする、温めるってことから冬の料理、野味料理の代表的な料理というイメージが定着しています。

 日本ですっぽんの鍋、たとえば丸鍋など、一般的な認識がどうなのかわかりませんが、私にとっては暑気払いに食べるもの、夏の風物、という印象が濃厚。うなぎよりもすっぽん。なんせ、土用の丑の日にうなぎ、なんて習慣、東京にやってきて、知りましたから。もっとも、大分産のすっぽんを素材にした「紅炆水魚」は、「夏の味」でしっかり味わったばかり。私としては他の調理方法で食べたい、とまあ手前勝手な欲望が頭をもたげます。

 たとえば、スッポンを蒸すという料理方法もある。
 様々な具材とともに蒸す「八寶蒸水魚」。洗練されていて、なおかつ滋味深い味わいは忘れ難い。
 ことに「裙邊」、すっぽんの縁側、ペラペラの触感、味わい、風味、コラーゲンそのものですけど、醤油煮込みなどの調理とは違って、純な味、風味が堪らない。しゃぶりついて、とことん食いつくしたくなります。


これは昨年の夏、何回か食べた「八寶蒸水魚」 。

 蒸す料理方法以外には、すっぽんを細切りにして、各種の具材、それも榨菜や大頭菜など、漬物類と一緒に炒めあわせる、という方法もあります。

 そうだ、すっぽんを「燉盅」と呼ばれる容器に入れ、湯煎蒸しのスープ煮込みの「燉」にする料理も各種ある。
 山芋の一種を干した「淮山」、それに「杞子(くこの実)」、冬瓜とすっぽんを加え、上湯を注ぎ入れ、蒸し容器の「燉盅」で湯煎蒸しにした「淮山杞子冬瓜燉水魚」などその代表的な料理です。

 そこにふかひれを加えるという方法も悪くない。さらに、干鮑、干貝柱、鹿筋などを加えれば、かの「佛跳牆」というころになる。 ことに天然もののすっぽんは余計な脂肪分がなくって肉質もしまり、味わいも純、ピュアですから、だしの味、風味も格別。

 ですが、冬瓜を器仕立てにして、ふかひれを具にして蒸す「冬瓜盅魚翅」と、すっぽんをスープ仕立てにした「淮山杞子冬瓜水魚燉魚翅」なら、調理内容が重複する。
 「冬瓜盅魚翅」にするか、それとも「淮山杞子冬瓜水魚燉魚翅」にするか。それとも、去年、何回か食べたすっぽんと各種具材の蒸し物の「八寶蒸水魚」にするか。

 そんなところに、香港から極上の咸魚、中国オリーブの「欖角」、甘味のある芥子菜の漬物の「梅菜」が、到着。それを使った各種の料理も可能、なんて話に、舞い上がりました。

 「欖角」は魚と一緒に蒸し物にする。香港の家庭では川魚の「鯪魚」と蒸すのが一般的。お惣菜の定番にもなっています。それに豚挽き肉の蒸し物の「蒸肉餅」に使われることもある。「咸魚」との組み合わせなどもあります。煎り焼きの「煎肉餅」の場合には、具に入れ込みます

 「梅菜」は、芥子菜の一種を塩漬けにし、天日干しにして後、再度漬け込んだもので、塩味が利いているだけでなく、独得の甘味、旨味、風味があります。広東省東部の山間部に位置する東江地方一帯に多く居住する客家系の人々が作るそれが絶品とされます。

 中でも有名なのが皮付きのバラ肉と煮込んだ「梅菜扣肉」。もちろんスペアリブと煮込んでもよし、蒸しても良し。「肉餅」にも加えます。鶏肉との煮込み料理なんてのもあります。魚の蒸し物にも使います。
「欖角」にしろ「梅菜」にしろ、広東地方の郷土料理、ことに家庭料理の惣菜には、味付けには欠かせない。

 ということで、肝心の旬の素材の調達には難渋しながら、宴会料理の華となる豪華で贅沢な素材、料理が候補に並び、一方で、郷土料理、お惣菜的な料理も各種実現可能。はたしてどんなメニューを選び、コースを組み立てるか

 今回のメンバーは総勢7人。料理の数は10品揃え、とりあえず、前菜を用意することにして「金銭鶏肝」に決めました。鶏の肝、豚の背脂、金華火腿をたれに漬け込み、焼き上げたもの。青木さん、藤原君にとってはおそよ1年ぶりのはず。
 「あれ、いいよね!」と青木さんも大乗り気。
 残る4人、斉藤さん、景山さん、海津さん、新参加の元EMIの下河辺さんは初体験です。

2008/10/13

広東地方の郷土料理シリーズ、遅ればせながらの2008年「夏の巻」の1

 昨年の夏に始まり、季節ごとの恒例行事となった広東地方の郷土料理シリーズ。クリエイティヴ・プランナー/ディレクター、デザイナーでもある青木さん、BMGのちょいわる親父こと藤原君を中心に、毎回、様々なゲストを迎えることになった通称「青木宴」ですが、今年の夏の巻、諸々の事情から8月には開催できず、9月に入ってようやく実現と相成りました。

 まずは素材の調達で難渋しました。
 たとえば旬の野菜。今年の夏、埼玉の東松山の農業、加藤紀行さんの各種の茄子、胡瓜の類はOK。ところがそれ以外に栽培を依頼した各種の瓜の類が今年は発育不全のまま、充分な成果を得られませんでした。加藤さんが作る野菜は、野菜そのものが自力で育つのを待つ。しかも、自然にまかせた栽培ですから、天候にも左右される。

 人間だって、野菜だって、同じ生き物。季節の移り変わり、気候の変化をそのまま受けとめ、生きている、育っていくんですから。そうです、地球の温暖化現象を肌で感じているのは、人間ばかりじゃない、ってことですから仕方がない。
 「育ってくれるのを待つしかないんです」と、加藤さん。

 そんなことから夏の旬の野菜の調達は、他に委ねるしかない。福臨門の夏の野菜を尋ねたところ、先に「夏の味」で紹介してきた時とほぼ変わりなし。「夏の味」で、最も印象に残ったのは「八寶冬瓜盅」。今のところ、今年であった美味では三陸シーファームの「ばふんうに」に続く、今年出会った美味、ナンバー2に揚げられます。 その理由は先に紹介してきたように、「昨年は沖縄でしたが、今年は愛知産のものでして。それに、下拵の方法を変えたましたので」とは福臨門の八尾さんの話(そうそう、八尾さん、福臨門を退職しました)。

 「青木宴」は季節の郷土料理、家庭料理が中心。そこに干貨素材を使った料理、宴会料理の華となる豪華な素材による「大菜」的な料理を組み入れるのが恒例です。ということでは「冬瓜盅」は、旬の素材、それに、宴会料理の華。しかも、具材豊富で正統的、オーソドックな「八寶冬瓜盅」もいいですが、具をふかひれだけにした「冬瓜盅魚翅」などは「青木宴」にはうってつけ。実際、青木さんに話を持ちかけたら、大乗り気でした。

 加藤さんの野菜でも、茄子は夏のお薦め料理の素材に使われてるってことで問題なし。「青茄子」と「加茂茄子」です。が、私としては加藤さんの今年の「真黒茄子」、例年と違って、煮込むと甘さが際立つのに惹かれていたこともあって、なんとか「真黒茄子」を素材にした料理を組み入れたいと思った次第。
















 問題はそれ以外の夏野菜です。「「白瓜」、「節瓜」があります。青菜では「莧菜(ひゆ菜)」がありますが」との話でしたが、「夏の味」で試した「莧菜」は、今ひとつ。

 「白瓜」、「節瓜」も、産地、配給元を教えられて思わず「う~ん」と唸りました。いや、他のところで食べる機会があって、なんだかいまひとつ。福臨門ならきっちり調理してくれそう。とはいっても、素材自体、香り、風味に乏しい感じ、だったもんで。生意気言ってすんません!

 それから、魚介類。夏らしい魚介、ということでは、これも「夏の味」で堪能した「老虎魚」があります。長崎から直送ものってことでしたが、その手配がなかなか厄介で、収穫次第とのこと。
 関西なら、地元で「夏のふぐ」として親しまれている「あこう」こと「きじはた」のいいのが入手できそうだ。揚げたり、煮込み物にするなんて、様々な調理が可能です。ところが、東京の築地に「きじはた」はありだそうですが、関西のそれに比べると・・・・なんてことで。

 それより、東京だと「あいなめ(あぶらめ)」の質が、安定してるように思えます。もちろん、私が出会った限りの話ですが、悪い印象を覚えたことがない。福臨門も銀座に開店当初、魚の料理は「あいなめ」を中心に扱っていました。後に、各種の「はた」の調達が可能になり、様々な調理方法で食べる機会がありました。

 もっとも、私自身の好みからすると、蒸し魚、煮込みの「紅炆」にしろ、「あいなめ」がベスト。というのも「きじはた」、「あずきはた」、「あら」、「くえ」とされる「はた」の類、香港のそれに比べると、生息する海が違うせいか、身が締まっている感じです。それが「あいなめ」だと、しっとり身が潤んでいます。蒸し物にしろ、煎り焼き煮込みにしろ、はらり、ほろりと身が崩れながら、しゅわっとした緻密な触感がある。そこんとこが私にとっては肝心なポイント、味わいところです。

 「あいなめ」を素材に、蒸し物の「清蒸」でもなく、煎り焼き煮込みの「紅炆」でもなく、他に何か出来ないか。なんていいながら、実は「あいなめ」を素材に、広東地方の郷土料理の料理手法の「油浸」、早い話が、唐揚げに出来ないのだろうか、などと思っていたわけです。

 「あいなめ」の調達が難しいってことなら、「きす」、「めごち」など、天麩羅でお目にかかる白身の小魚、根魚を素材にして、塩、胡椒風味で味付けにして煎り焼きにする「椒鹽」か、漬物の「冬菜」を使って、蒸して調理する、なんてのは出来ないのだろうか。

 とどのつまり、頭の中で大きく膨らむのは「九肚魚/てながみずてんぐ」のこと。
 詳しくは8月の「赤坂璃宮」の銀座店の2を是非ご参照を。 譚さんの頭にも「九肚魚」があったものの、日本では調達が不可能。なんか似たもの、置き換えられる魚ってことで、探しだしたのが「めひかり」だった。なんて風に、白身の小魚、小ぶりの根魚類を素材に、広東地方の郷土料理の再現をなんとか実現したい、ということで頭が一杯。かように、メニュー選び、コース作りは、私のなによりもの楽しみです。

 画像は昨年の暮れに食べた「はぜ」の胡椒、塩味風味の煎り焼き、というか揚げ物です。小魚を広東地方の郷土料理のスタイルで、という思いが募ります。

2008/10/08

辻芳樹著『美食のテクノロジー』の2

 京都「瓢亭」の十四代目にあたり、四百年という伝統を受け継ぐ高橋英一さんが、幼い頃から将来当主となる道を歩む環境にあったことや、ミシェル・ブラスの母親が小さな食堂の料理人だったということを例外とすれば、残る4人は料理人の家系に生まれ、育ったわけではありません。

 ミシェル・ブラスにしても、子供の頃は科学者になりたかった。しかし、母親が病い倒れ、調理場に立つことになった。サンテ・サンタマリアの場合には、農家の一人息子として生まれ、画家になることを夢みていたものの両親の反対にあい、繊維工場に就職してインダストリアル・デザイナーの道を歩み、24歳の時、「失われたカタルーニアの伝統文化を見直そうという熱気の中で、趣味だった料理に通してカタルーニア文化の復興に役立てるに違いない」と、料理人になった。それも、料理修業の経験なしに、たったひとりで店を始めた、と同著で紹介されています。

 デヴィッド・ブーレイの場合には、カナダの大学で経営学を学ぶ学費を稼ぐため、15歳の時にレストランのアルバイトを始めたのが、料理人になるそもそものきっかけだった。和久田哲也の場合には、ともかく海外に出たいということからオーストラリアに渡り、英語を学びたいと思い、ギリシャ人の不動産屋から「僕たちの英語の学校は、レストランなんだ」と教えられ、皿洗いの仕事を得たのがそのそのもきっかけだった、というから面白いものです。

 もっとも、高橋さんは例外として、5人のいずれとも子供の頃に出会い、覚えた味覚、つまりは母親、あるいは祖母が料理を得意とし、それが味覚の原点になった、という共通項があります。そんな、それぞれの足跡、料理哲学については、是非とも、本書を手に取り、ご覧いただきたいところです。

 中でも私が興味をそそられたのは、サンティ・サンタマリアが語る生まれ育ったカタルーニアとの深い関わり、郷土への熱い思いです。いや、彼ばかりか6人の料理人の誰もが、生まれ育った故郷、あるいは、修行先で出会った土地、風土、文化、歴史に深い関心を抱き、深い関わりを持ち、料理に取り組むに当たって、その原点にしていることが本書では明らかにされています。

 そのキーワードとなるのが「テロワール」。本書でも頻繁に登場し、語られます。私はその厳密な意味は知りません。が、それぞれの土地、風土に根ざすもの、として理解しました。「瓢亭」の高橋さんを含め、6人の料理人の誰もが、それぞれの土地、風土との関わりについて触れています。

  さらに、料理技術の実践、まさに「テクノロジー」を実践する料理人としての基本的な姿勢として、素材そのものを重視し、優れた素材を選び、素材本来の持ち味をどうやって引き出すか、と言う点に着目し、それを心がけている、という共通点を見出せます。

 「料理は、六十五%が素材、二十五%が料理人の技術、残りの十%が料理人の天賦の才能で決まる」という本書に紹介されたアラン・デュカスの言葉は、簡潔、明瞭にして、雄弁です。その彼が「素材本来の持ち味を引き出すには厳格な決まりがある」という料理哲学をアラン・シャペルから学び、徹底的に仕込まれたというエピソードは、私自身、アラン・シャペルに深い関心を抱いていることもあって、興奮を覚えずにはいられませんでした。

 もうひとつ、私が興奮を覚えたのはミシェル・ブラスが素材について語った件です。
 北海道の洞爺湖の「ザ・ウィンザー・ホテル・洞爺」に支店を持つ彼は、日本の素材を使おうと考えたそうです。ところが、同じ野菜でもフランスと日本では味の特徴が違う。そんなことから、一種類ずつ、リストを作成して旬の時期、調理の仕方をデータ化し、食材を使い分けた。そればかりか、彼は日本の種をフランスに持ち帰り、育てた。

 日本の野菜をフランスで植えてみて、どうなったのか。その差異について触れ、フランスで育てた日本の野菜が、フランスで受け入れられるようにするには、どう対処すべきか。もっとも、その実践、具体例については明らかにされず、ほんのわずかな言及が紹介されているだけにすぎません。しかし、ミシェル・ブラスの日本の素材への関心、フランスとの比較、その背景にあるものへの洞察、そして結果として得た素材を自身の料理にどう反映させるか。そんな可能性の探求の姿勢は明らかであり、料理人としての意欲、熱意に打たれます。

 私自身、大げさながら食文化比較をテーマに、とりわけ中国料理にテーマを絞り、中国本土のそれと日本のそれとの比較に並々ならぬ関心を持っていますが、ミシェル・ブラスの言葉から共通するテーマのひとつを見つけ出せます。ミシェル・ブラスだけでなく、本著で取り上げた料理人の言葉、また、著者の観察、視点の端々から、同様のことが浮かびあがってきます。 私にとって興味が尽きず、面白い著作であるばかりか、辻芳樹著『美食のテクノロジー』に親しみを覚えずにいられないわけは、そんなところにあります。

 いわばビジネス・モデルとして様々な範例を紹介する一方で、料理人はどうあるべきかを問いかけ、その基本的な姿勢、あり方について、示唆するところの多い著作です。そればかりか、外来の食文化と日本のそれとの関わり。外来の食文化の洗礼や影響を受け、学び、実践しながら、育まれ、形成された日本の食文化。はたして、日本の食とはどういうものか。また、その独自性はどうやって形成されてきたのか。そんなことへの関心を抱かずにはいられません。そうしたことを改めて考えさせられるきっかけを与えてくれる著作でもあります。

辻芳樹著『美食のテクノロジー』の1

 今年出会った食に関わる書籍の中で最も興味深く、面白かったのは辻芳樹著『美食のテクノロジー』(文藝春秋社)です。

 発刊は今年の1月。読み始めてたちまちの内に虜となり、そのテーマ、深く掘り下げられた内容もあって、じっくり読み込んでから拙ブログで紹介するつもり。だったところが、その機を逸し、今に至ってしまいました。

 同著は、辻芳樹氏が世界の名だたる6人の料理人を取り上げ、取材し、記したもの。
 取り上げられた6人の料理人は、ニューヨークの「ブーレイ」はじめ4軒を運営するデヴィッド・ブーレイ。オーストラリアのシドニーの「TETUYA'S」の和久田哲也。スペインのバルセロナの「エル・ラコ・デ・サン・ファバス」のサンティ・サンタマリア、フランスの中南部オーブラックのライオールで「ミシェル・ブラス」を運営するミシェル・ブラス。モナコの「ルイ・キャーンズ」、パリの「アラン・デュカス・オ・プラザ・アテネ」など世界中で様々な店舗を運営展開しているアラン・デュカス。それに京都の「瓢亭」の高橋英一。

 どうしてその6人なのか。 それについては文藝春秋社の以下のサイト、「本の話」での著者インタビューで紹介されています。
http://www.bunshun.co.jp/pickup/bishoku/bishoku01.htm

 著者によれば 「おいしい料理を作る料理人はほかにもたくさんいます。料理技術が優れている、あるいは技術的にもっと最先端をいく料理人も実際にはいます。しかしながら、この六人ほど、食べ手に「幸せと喜び」を提供する場を完璧に作り上げている人たちはほかに見当たらないと思っています」、と語ります。

 あわせて、取り上げた6人の料理人が運営、展開する店は「料理人が主役となった「パフォーミング・アーツ」の世界を楽しむための場ではなく、そこに集う客たちが主役になっている空間を作り上げている」からであり、「美食の世界は、この「パフォーミング・アーツ」を楽しむ世界もあれば、社交的な場を楽しむこともあるという具合に、両方存在していていいと思います。今回この本で取り上げたのは、後者の社交的な空間を完璧に作り上げた料理人たちだといえるかと思います」、と。

 さらに「その料理人たちの成功の秘密が、本のタイトルにもなっている「美食のテクノロジー」ということになります。そして、読者の皆様には今回ご紹介している「美食のテクノロジー」を読み解くことで、現代の頂点をきわめた美食の世界を少しでも垣間見ていただくことができればと思っています」、と著者は語っています。

 「テクノロジー」という言葉から「科学技術」ということしか思い浮かばなかった私は、当初、その表題に首を傾げたものです。それが、本書を読み進むうち、先のインタビューで著者が触れる本書での「テクノロギー」という言葉の意味、それが、本著で取り上げた料理人の自身の独自のスタイル、方法論の確立、多方面から得た評価、同時に商業的な側面を含めた成功を生み、成功を導くに至る秘密、要因を意味する言葉であると理解できました。

 もっとも、6人の料理人が高い評価を得た言わばスペシャリティについての紹介や解説、また、それらが生まれた経緯などが触れられてはいるものの、美味批評的なものではなく、それぞれの店についての紹介こそあれ、レストラン批評的なものでもありません。

 むしろ6人の料理人について、その生まれ、育ち、料理人になったきっかけ、その足跡、歩み、様々な成果、その人となりについての紹介が大半を占めています。私が本書に興味や関心、興奮を覚えたのは、そうしたことについて触れられていたからです。
 料理を前にして、そのひと皿から浮かび上がる様々な事柄。料理が生まれた背景や料理から浮かび上がる料理人の人となりに常々関心を持つ私にとって、まさに格好な著作であり、それを明かしてくれるものでした。

2008/10/01

秋の訪れ~9月の「赤坂璃宮」銀座店の5

 丸ごと一匹、ハタの蒸しものが登場!
 予想外のゴージャス、デラックスな展開に、興奮を抑えられない。
 そして、登場したのが「白果腐竹菜 青菜と湯葉、銀杏のスープ仕立て」。















 いちょうの木に実る銀杏が落ちこぼれるのは晩秋の風物。ということからすると、走り物の「銀杏」ってことになります。が、乳白色の湯葉の間から顔を覗かせる黄緑りがかった「銀杏」銀杏は、すっかり秋の訪れを告げる風情があります。

 銀杏の殻を割り、実を取り出して串刺しにし、炭火焼きにした時の香ばしさ、ほくほくの触感。青臭さ、苦味、えぐ味がまじった独得の味、風味も格別です。が、青菜、湯葉とともに、だしで煮浸しにした「銀杏」というのも、乙なもの。ぎゅっと噛み締めると、弾ける銀杏の味、風味。くせのある苦味、えぐ味が、だしの味になじんで、甘味が顔を覗かせる。それでいて、やっぱり青々しい精の強さを感じさせるところが、銀杏です。

 青菜は台湾のA菜。どうやら、萵苣薹(ちしゃとう)の若い青菜。なんてことからすると、レタスの一種ですね。レタスに比べて葉っぱは濃厚な緑色。特有の青臭さ、ほろ苦さ、えぐ味があるのと、火を通して煮込んであっても「しゃき感」というか、繊維質があるのが特徴のようで、独得の噛み応え、触感があります。日本でも最近、中国料理店で見かけるようになりました。

 青菜をはじめ葉物の野菜は、日本では一般的に歯触り、噛み応えのある「しゃき感」を残した調理が好まれてるようです。大蒜の微塵などで香りを出して炒め、だし、さらにはオイスターソースでとろみのある味付け、なんてのが多いようです。
 
 私としては葉物、茎物は、くたくた、ヘロヘロ、トロトロでも構わないぐらい。繊維質を柔らかくしたがの好み。生で食べるより、おひたしがいい。ということでは、中国料理、広東料理なら、青菜の炒めものより、一番だしの「上湯」で煮浸しにした「上湯浸」を選びます。

 この「白果腐竹菜/青菜と湯葉、銀杏のスープ仕立て」は、言わばA菜、湯葉と銀杏の煮浸し。ってことは「上湯浸白果腐竹A菜」。 だしを加え、塩で味をつけただけのさっぱり味の煮浸し。口にすれば生姜の香りがふっと鼻をさす、なんてところが憎いです。 しかも、だしの旨さ、味わい、風味の余韻がしっかり残る、なんてところがもっと憎いです。

 そして、今回の締めくくりは「南瓜蝦乾飯 干し海老入り蒸しごはん南瓜の器」。
 南瓜、つまりは「かぼちゃ」を器にして、干しえび、干し椎茸などを具にしたご飯を蒸したもの。
 そのご飯、「蒸しご飯」と表記されていたもんで、糯米(もち米)と早とちりして、勘違い。普通の粳米でした。

 それにしても、干しえびや干し椎茸を具にして、新米の粳米、糯米を蒸す料理は知ってますが、南瓜、かぼちゃを器に仕立て、ご飯、それも粳米を蒸す、なんていうのは、私は初体験。香港や広東料理でも出会った事がありません。

 「いやあ、俺のオリジナル!香港にも、広東料理にもないよ。かぼちゃを器にして、ご飯を蒸したらどうかなって、考えたんだよ。いろいろ工夫してやってみてね。今のやり方が上手くいったんで」と、譚さん。
 そういえば、譚さんの料理を紹介した雑誌で見かけたことがありました。

 そのサイズ、メンバーそれぞれの分量に応じて、ということで超大盛り、大盛り、普通盛りと、それぞれに南瓜の大きさ、違いました。
 その違いは・・・・・

画像は「超大盛」と「普通盛」。

「実は、案外、大変だったんです。大きさ、サイズの違うかぼちゃを用意するのが!」と、大藤さん。

 器のかぼちゃ、種の部分、中心部は削り取られてます。皮についた身を味わうことも出来ます。しっとり、ほくほくの触感で、甘味がある。そして、蒸しご飯が旨い。
 その具、ことに干しえびがでっかい。リッチな濃い味、風味を醸し出してます。干し椎茸も旨味たっぷり。魚介にしろ、茸類にしろ、天日干しや自然乾燥したものって、旨味、風味が濃厚。ひと味もふた味も違った味になります。そんな干貨類の旨味、エキスを吸い込んだご飯が旨い。

 実は私、新米の粳米をゲットすれば、必ず作るのが、魚介、茸の干し物を具にした炊き込みご飯の「煲仔飯」もどき。 新米の糯米なら、具を糯米に混ぜて蒸すか、具も糯米も炒めあわせ、最後は蒸して仕上る「糯米飯」。「おこわ飯」のようなもので、中国の「粽」の中味を想像ください。

 魚介の干し物と言っても、干し海老、するめ、干し椎茸が主素材で、たまに贅沢して干し貝柱の「瑤柱」を使いますが、それも、身が崩れたものばかりです。
そうか、「煲仔飯」もどき、「糯米飯」を作る時、かぼちゃを器にする。譚さん、アイデア戴くことにしました。で、画像は私の「大盛り」です















 そして甜品、締めくくりのデザートは、今回も、暖かい汁物でした。
 「蕃薯煲湯丸/白玉入りさつまいものデザート」。
  薩摩芋を素材に、じっくり煮込んだ「糖水」です。

 薩摩芋の甘味、ホクホク味、素朴な風味。そこに、生姜のひりり味、辛味が利いていて、ぴしっと味を引き締めていたのが印象的。甘酒に生姜のひり味、なんてのに通じます。
 里芋やタロ芋には出会ったけど、薩摩芋って、香港でみかけたことないなあ、なんて人案外多いようです。ところが、案外、食べられてるもの。

  「蕃薯煲湯丸 白玉入りさつまいものデザート」は、伝統的な糖水。
 白玉入りなのは、料理店が作る「甜品」ですから。普通の家庭では、白玉なし。薩摩芋を砂糖きびの甘蔗から作った砂糖で煮込んだりします。そこに、生姜を入れてと一緒に、というのがポイント。

 ほのぼのとしていてなんだか懐かしい、素朴で純な味、風味。ほっとひと心地ついて、心が和むデザートです。



 こんな伝統的なデザート、湯水に出会えるのも「赤坂璃宮」ならでは。譚さんが、広東料理の根っ子にあるものをしっかり見届けてるから、ではないしょうか。

秋の訪れ~9月の「赤坂璃宮」銀座店の4

 そして「松茸蒸斑球 ハタと松茸の蒸しもの」。
 料理名を見て、思わず「ドキッ!」。
 まずは「松茸」に過敏に反応。当然、でしょう。
 おまけに「ハタの蒸しもの」ってある。
 関西では「あこう」の名で知られる「きじはた」?
 「あかはた」?「あずきはた」?それとも「あら」?、あるいは「くえ」?

 「いずれにしても、どうしょう、すげえ、あ、いけない、すごい豪華版。でも「斑球」ってあるから、切り身ってことですけど、しかし、なんせ「はた」の切り身ってことですから、贅沢この上ない。」なんてこと思い当たったとたん、胸の動悸が収まらない。

 はたして、目の前に現れたのは!

 「ハタ!」。
 それも、まるごと一匹を蒸した料理です。
 当然、尾頭付き!
 どうやら「あかはた」らしい。

 たしかに「斑球」とあるように、ハタは切り身。
 それも、腹側から身を開いて、切り身を入れた「麒麟」スタイルでの蒸し魚です。

 突然、あの「ヘイフンテラスの謎と不思議」での、腹を開いただけ、皿の上で腹ばいのまま蒸された魚のことが甦る!

  「ワッ!どうしょう! こんなの予算超過のメニューです!」と、焦りました。
 「あ、そうか。今日は、人数がひとり増え、おかず系の料理が続いて・・・・」 なんてこと考えてもです。

 旨い!「ハタ」の身が旨い!文句なしに旨い。
 「ハタ」の切り身は、ぼってり、厚みがある。
 唇に触れる「ぎと!」っとしたぬめり感。脂が乗ってる証拠です。
  噛み締めれば、舌の上でゆるゆるの身が、はらり、ほろりと、崩れていく。
 舌を撫でるぎとぎと感。濃厚で濃密な味、リッチな風味が口中に広がっていきます。
 そのとろける感じがたまらない!















 なんといっても、魚の蒸し加減が素晴らしい。
 「ハタ」の身の上には、厚く切った松茸のスライスが。ですが、走り物の松茸の香りを越えるハタの身の旨さ、重厚さに参りました。醤油、だし、油を合わせて作ったに違いない仕上げのたれの味加減も、脂の乗ったハタの切り身とぴったり。

 それぞれに切り身が行き渡った後で「これもどうぞ!」と、大藤さんが円卓の上に乗っけたのは、ハタのお頭!
ハタの赤い皮から、頬肉の白身がむき出しになっている。
もう、見るからに美味!
しかも、大振りなハタだけに、頬肉もたっぷり。
頬のところが、ぷっくり、ふっくら。
一番、美味しいところです!
その行方は、仲間の二人に。
二人はナイフとフォークを手に、頬肉をこそぎとって、ご満悦。 

もう大満足。それにしても、なんという贅沢。
譚さんに感謝です!