2008/10/08

辻芳樹著『美食のテクノロジー』の2

 京都「瓢亭」の十四代目にあたり、四百年という伝統を受け継ぐ高橋英一さんが、幼い頃から将来当主となる道を歩む環境にあったことや、ミシェル・ブラスの母親が小さな食堂の料理人だったということを例外とすれば、残る4人は料理人の家系に生まれ、育ったわけではありません。

 ミシェル・ブラスにしても、子供の頃は科学者になりたかった。しかし、母親が病い倒れ、調理場に立つことになった。サンテ・サンタマリアの場合には、農家の一人息子として生まれ、画家になることを夢みていたものの両親の反対にあい、繊維工場に就職してインダストリアル・デザイナーの道を歩み、24歳の時、「失われたカタルーニアの伝統文化を見直そうという熱気の中で、趣味だった料理に通してカタルーニア文化の復興に役立てるに違いない」と、料理人になった。それも、料理修業の経験なしに、たったひとりで店を始めた、と同著で紹介されています。

 デヴィッド・ブーレイの場合には、カナダの大学で経営学を学ぶ学費を稼ぐため、15歳の時にレストランのアルバイトを始めたのが、料理人になるそもそものきっかけだった。和久田哲也の場合には、ともかく海外に出たいということからオーストラリアに渡り、英語を学びたいと思い、ギリシャ人の不動産屋から「僕たちの英語の学校は、レストランなんだ」と教えられ、皿洗いの仕事を得たのがそのそのもきっかけだった、というから面白いものです。

 もっとも、高橋さんは例外として、5人のいずれとも子供の頃に出会い、覚えた味覚、つまりは母親、あるいは祖母が料理を得意とし、それが味覚の原点になった、という共通項があります。そんな、それぞれの足跡、料理哲学については、是非とも、本書を手に取り、ご覧いただきたいところです。

 中でも私が興味をそそられたのは、サンティ・サンタマリアが語る生まれ育ったカタルーニアとの深い関わり、郷土への熱い思いです。いや、彼ばかりか6人の料理人の誰もが、生まれ育った故郷、あるいは、修行先で出会った土地、風土、文化、歴史に深い関心を抱き、深い関わりを持ち、料理に取り組むに当たって、その原点にしていることが本書では明らかにされています。

 そのキーワードとなるのが「テロワール」。本書でも頻繁に登場し、語られます。私はその厳密な意味は知りません。が、それぞれの土地、風土に根ざすもの、として理解しました。「瓢亭」の高橋さんを含め、6人の料理人の誰もが、それぞれの土地、風土との関わりについて触れています。

  さらに、料理技術の実践、まさに「テクノロジー」を実践する料理人としての基本的な姿勢として、素材そのものを重視し、優れた素材を選び、素材本来の持ち味をどうやって引き出すか、と言う点に着目し、それを心がけている、という共通点を見出せます。

 「料理は、六十五%が素材、二十五%が料理人の技術、残りの十%が料理人の天賦の才能で決まる」という本書に紹介されたアラン・デュカスの言葉は、簡潔、明瞭にして、雄弁です。その彼が「素材本来の持ち味を引き出すには厳格な決まりがある」という料理哲学をアラン・シャペルから学び、徹底的に仕込まれたというエピソードは、私自身、アラン・シャペルに深い関心を抱いていることもあって、興奮を覚えずにはいられませんでした。

 もうひとつ、私が興奮を覚えたのはミシェル・ブラスが素材について語った件です。
 北海道の洞爺湖の「ザ・ウィンザー・ホテル・洞爺」に支店を持つ彼は、日本の素材を使おうと考えたそうです。ところが、同じ野菜でもフランスと日本では味の特徴が違う。そんなことから、一種類ずつ、リストを作成して旬の時期、調理の仕方をデータ化し、食材を使い分けた。そればかりか、彼は日本の種をフランスに持ち帰り、育てた。

 日本の野菜をフランスで植えてみて、どうなったのか。その差異について触れ、フランスで育てた日本の野菜が、フランスで受け入れられるようにするには、どう対処すべきか。もっとも、その実践、具体例については明らかにされず、ほんのわずかな言及が紹介されているだけにすぎません。しかし、ミシェル・ブラスの日本の素材への関心、フランスとの比較、その背景にあるものへの洞察、そして結果として得た素材を自身の料理にどう反映させるか。そんな可能性の探求の姿勢は明らかであり、料理人としての意欲、熱意に打たれます。

 私自身、大げさながら食文化比較をテーマに、とりわけ中国料理にテーマを絞り、中国本土のそれと日本のそれとの比較に並々ならぬ関心を持っていますが、ミシェル・ブラスの言葉から共通するテーマのひとつを見つけ出せます。ミシェル・ブラスだけでなく、本著で取り上げた料理人の言葉、また、著者の観察、視点の端々から、同様のことが浮かびあがってきます。 私にとって興味が尽きず、面白い著作であるばかりか、辻芳樹著『美食のテクノロジー』に親しみを覚えずにいられないわけは、そんなところにあります。

 いわばビジネス・モデルとして様々な範例を紹介する一方で、料理人はどうあるべきかを問いかけ、その基本的な姿勢、あり方について、示唆するところの多い著作です。そればかりか、外来の食文化と日本のそれとの関わり。外来の食文化の洗礼や影響を受け、学び、実践しながら、育まれ、形成された日本の食文化。はたして、日本の食とはどういうものか。また、その独自性はどうやって形成されてきたのか。そんなことへの関心を抱かずにはいられません。そうしたことを改めて考えさせられるきっかけを与えてくれる著作でもあります。