2007/12/22

中国料理におけるメニューの選択、コースの組み立て(その9)


 横道にそれた「干焼蝦仁」の話。
 もうひとつ「エビチリ」で書くことを忘れてました。
 トマト・ケチャップを使った「エビチリ」。
 日本には良質の豆板醤がなく、自家製のものだったこと。それに、日本人の好み、趣向に合わせ、辛味控えめ、トマト・ケチャップのの甘味を生かして、同料理を日本に紹介した陳建民さんの発案。というのが定説です。
 ところが、ですね、川蝦を使い、トマト・ケチャップを使った料理が、上海に存在した。それは「エビチリ」ではありません。
 「香甜爆蝦仁」というのがそれで、戦前の上海料理の宴会料理の一品として人気があったらしく、それが、戦後、香港に持ち込まれ、一時、話題や評判にもなり、一般にも知られるようになった、という事実もある。

 陳建民氏の「さすらいの麻婆豆腐」(88年、平凡社)では、四川省の宣賓の出身で、各地の料理店を渡り歩き、上海を経て香港、さらには日本にやってきた氏の足跡が記されている。
 日本に豆板醤が無かったことから、自家製のものを作った話。また、日本人の嗜好にあわせて「雲白肉」に野菜を添え、「麻」の痺れ味を抜いた「麻婆豆腐」誕生のいきさつも触れられている。が、「エビチリ」についての言及なし。
 もっとも、武漢の「蜀珍川菜館」に勤務時代、同店には正統派の四川料理「道地四川菜」と、道地よりも辛くない「海派川菜」があり、やがては経営者から後者の「海派川菜」をするように依頼された、という話が興味深い。
 「海派」とは、すなわち「上海派」。ということからすれば「上海派」の四川料理、さらには、上海系の料理とも接点があった、と想像をたくましくすることも出来る。
 上海料理が確立されたのは、20世紀初頭で、都市としての繁栄を背景に、食事情も急速に発展し、上海周辺の地方料理を下敷きにした料理だけでなく、独自の独創的、創作的な料理が生まれ、宴会料理の華となった、とは広く知られている話。もとより上海人は進取の気性に富んでいて、外来の産物を受け入れてきた。宮廷に献上されたワインやブランディーの類はじめ、外来の稀少な産物は上海を経由してのもの。サラダのドレッシング、マヨネーズなども、まずは上海に上陸して、中国に広まっていった、というのはこれまでにも語られてきたこと。イギリスにその植民地の産物として持ち込まれたケチャップが、アメリカに渡り、トマトケチャップが生まれた、とのことですが、それが上海に持ち込まれ、それが、やがて中国料理にも用いられるようになった、という足跡もあるようです。
 それとも、陳建民氏は、香港に辿りついて銅羅湾の「新寧招待所」に勤務して、それを知ったのかも。
戦前、戦戦後の混乱、また、中華人共和国の成立の前後、多くの上海人が香港に移住した。上海の資産家、富裕階層が香港にもたらした20世紀初頭から半ばにかけて誕生、成立した上海料理を持ち込んだ。陳建民氏が香港にたどり着いた頃の香港では、まさに上海料理が最新のトレンドであり、華開いていた時期です。
 ということから、戦後香港に持ち込まれた上海料理と氏がなんらかの接点を持ち、トマト・ケチャップを使った料理に出会った。そんなことに、ヒントを得たのでは?というのも、私の想像。
 しかし、今ではそれを確かめる述がない。
 画像は今は亡き「銀座芝蘭」の「芝蘭辣子蝦/刺身用蝦の炒め揚げ」。
 「エビチリ」ではありませんが、火を通した新鮮なえびのぷりっとした触感、ほとばしる甘味に、唐辛子の鮮烈な辛味とフルーティーな甘味が織り成す美味、風味が素晴らしい。
 油の扱い、素材に火が通るタイミングの捉え方が見事、、、仕上げの油の扱いが巧みで、風味が豊かな一品です。

2007/12/21

中国料理におけるメニューの選択、コースの組み立て(その8)


 たとえば「エビチリ」。中国語の料理名は「干(乾)焼蝦仁」。 
 座右の書の一冊(というにはでかすぎますけど)「中国食文化事典」(中山時子監修、角川書店)によれば、「むきえびを油通しし、唐辛子ソースで煮からめたもの」とある。さらに「特徴は、第一に、材料は炸、煎、炒など、油を用いて熱処理をする。第二に、調味に必ず刻んだとうがらし(四川泡辣椒、とうがらしの漬物が本格的)か豆板辣醤を加え、とうがらしの辛味があること。油も濃厚で、したがって色彩が鮮紅色に仕上がること。第三に汁は吸収され、煮つまって、赤く染まった油はとろりとしていても、できあがった料理の皿に汁が流れてない。これが「干(乾)」を字を使う大きな特徴で、紅焼と区別される理由である。煮るときに加えるスープは少量である」とある。 
 あ、まずいか、またまた無断引用しちゃったので、後で削除かもです。
  「干(乾)焼」は、簡単には煮汁を煮詰めて煮含めたもの。四川にはその手法による料理が多い。「干焼魚翅」はその代表的な一品で、しっかり煮汁を含んだふかひれの味わいは格別だ。
 もっとも、私が体験したの同料理は、その昔、赤阪にあった「上海錦江飯店」(現「上海錦江飯店」にはあらず)、及び、上海での同店でのこと。その手法を受け継いで、アレンジしたものが、六本木の角、誠志堂上にあった「錦江飯店」(だったか、もしかして違っているかも)、紀伊国屋奥の「オウ・セ・ボヌール」を経て、赤阪の「メゾン・ド・ユーロン」に受け継がれた。要は、かつての赤阪の「上海錦江飯店」のマネージャーーを務めた鈴木訓さんが、店を変わるたび、四川料理の流れを汲んだ「上海錦江飯店」の同料理にほれ込んで、継承し続けたわけです。
 話戻して、四川での「干焼蝦仁」、先の「中国食文化事典」にもあるように、刻んだ唐辛子、もしくは、泡辣椒、豆板醤を使い、辛味があり、なおかつ赤い色がその特徴とある。実際、銀座の「趙楊」の「エビチリ」は、豆板醤だけを使って辛味、赤い色を出し、ケチャップは使わない。
 「チャイニーズ・レストラン直城」でのそれも同様だったはず。ケチャップなどは使わず、「豆板醤」、それに四川の「干焼蝦仁」にならうように「泡辣椒」も加味している。そう、地元、四川の「エビチリ」は、実は「干焼」というより「魚香」こそふさわしい、という話もあるそうで。
 それ以外に「ケチャプ」、「豆板醤」ではなく、えびの「みそ」を生かし、その旨味、さらには赤い色合いを生み出した「干焼明蝦」がある。「蝦仁」ではなく「明蝦」。当然、「有頭」のえびです。

 日本で「明蝦」とされるのは、在来種の車えび、もしくは、大正えびの通称で知られる高麗えび。で、「車えび」ではなく、みその量が多くて調理すればコクのある高麗えびのを使って濃厚なみその味がふんだんに味わえる「干焼明蝦」に出会えるのが、神田の龍水樓。
 もちろん、旬の時期に入荷した時だけ味わえるものですが、これが絶品。しかし、ここずっと高麗えびの確保が難しい、ということでありつけることは滅多にない。 ちなみに、龍水樓では、他の良質の有頭蝦が入手した時には、同様の料理を提供してくれることもあるらしい。
 もっとも、その龍水樓、「厨房の人手不足・店主の老齢化の為、2007年9月より営業形態を大幅に変更いたしました」ってことで、アラカルトメニューがなしになっちゃった!(愕然)。
 コースを頼んで、その一品に加えてもらうしかない。しかも「高麗えび」の入手、ほとんど見込みなし、なんて「幻のメニュー」と相成りました。
 ついでに、とろりとろける有頭えびのミソを生かした「干焼明蝦」、及び、それに類似した料理が食べられるのは、かつて赤阪、今、四谷の「済南賓館」、それに赤阪の「函梅舫」。
 そういえば、四川といえば海から遙か遠い陸の奥地にある。なのに「干焼蝦仁」はえびの料理。淡水の河蝦がもともとの素材だった、というなら、話にも納得。しかし、四川に「干焼明蝦」、つまり、海水の中ぶり、大ぶりのえびを使った料理が、あったのかどうか、というのは素朴な疑問、として当然でしょう。 
 そう、海水の蝦を、かつて、どうやって四川まで運んだのか!
 最近、この十年ほど、経済成長を遂げ、消費が盛んな四川の成都では、流通が整備されたこともあって、中国の沿岸部はもとより、中国南部、東南アジアから新鮮な海鮮の魚介が運びこまれ、盛んに消費されている、ってことです。恐るべし、中国の経済発展。
 ですが、遠い昔の四川では考えられない話です。
 もっとも、龍水樓の「乾焼明蝦」、店主の箱守さんは湯島聖堂の中国料理研究部の出身。清代の料理を中心に、中国の文献をもとに、それを具現化してきたところです。
 それに「済南賓館」の料理のルーツの多くは山東省の「魯菜」。赤阪の「函梅舫」も「魯菜」をルーツのひとつにする北京の宮廷料理が看板。いずれも、あのあたり、かつて高麗えびが収穫された渤海の近く。ということからすると、高麗えびを素材に「干焼」、つまり、煮含めて煮詰める、という料理方法もとにした「干焼明蝦」が生まれた、という話にも納得。
 また、話が横道にそれちゃって、、、、、
 画像は「龍水樓」のコースメニューの締めくくりに登場する「杏仁豆腐」。
 素材の「杏仁」、中国アーモンドの持ち味を生かした、素朴で力強い純な味わい、風味が満喫できる。奥深い美味。ざらっとした触感も堪らない。これぞ正真正銘の杏仁豆腐。滋味豊かな一品です。

2007/12/20

中国料理におけるメニューの選択、コースの組み立て(その7)


 そう、昼時の中国料理店のランチでのメニューの選択、気の置けない仲間同士なら、選ぶ料理に工夫を凝らしたりしませんか? ってことでした。
 「俺はエビチリ」。
 「なら、俺は麻婆豆腐」。
 「そしたら俺は酢豚にするワ」、と言った按配で!
 以上の選択なら、素材は「エビ(海鮮)」、「豆腐(+豚肉)」、「豚肉(+野菜)」ってことで、重ならない。
 問題はその次。中国料理のメニューの選択、コースの組み立てにあたっては、素材とともに「調理方法」と「味付け」が重ならように選ぶ、というのがその基本。
 その「味付け」ということでは、「エビチリ」、「麻婆豆腐」、「酢豚」ぐらいなら、とっくにその味になじみがあるはず。
 一般的にランチ・タイムの「エビチリ」は甘味に辛味の甘辛味。「麻婆豆腐」は辛味。「酢豚」は甘味に酸味の甘酸っぱ味。中にはランチ・タイムでも、ケチャップ味の甘味、色づけじゃなくって、甘味は葱などの香味野菜のそれを生かし、漬け込みが浅く、色合いの赤い1年もの程の豆板醤をふんだんに使い、辛味を生かした「エビチリ」もある。
「麻婆豆腐」も、本場の四川の「陳麻婆豆腐」に倣って、豚肉ではなく牛肉を使ったり、「花椒」、中国山椒をふんだんにふりかけて、痺れ味たっぷり。それこそ、「麻辣」の味をしっかり利かせたものがある。
「酢豚」も「黒醋」を使って、酸味だけでなく、こく、旨味を加味。パイナップルはもとより、椎茸、筍、ピーマンなどの茸、野菜類も取っ払って、豚肉だけを黒醋で調理、調味した「黒醋の酢豚」を用意している店もある。
 もっとも、そんな本場、本格化風のものでも、味に関しては、想定内の範囲、もしくは、多少はみだしている、という程度のものだから、安心もできる。冒険も安全圏の範囲内、じゃないでしょうか。それに、本場物、本格派好みの人なら、文句はないはず。
 ところが、「エビチリ」、「麻婆豆腐」、「酢豚」の調理方法は?なんて言われても、即座には思いつかない。それが普通の現実、じゃないでしょうか。
 自分で作った経験があるにしても、例えば「エビチリ」。
 あれは、えと、エビを油通しして、それから、にんにく、ねぎを炒めてヒリ辛味と甘味を出し、豆板醤を加え、スープを少々注いで煮たたせて、油通ししたエビを鍋に戻し、味を煮含め、最後にとろみつけだよな。とまあ、いつの間にか遠い目になって、料理のプロセスを思い浮かべ、ようやく納得、ってところでしょ。
 エ?ケチャップ入れ忘れ?う~ん、ケチャップもいいけど、なんだか、お子ちゃま味になりますから。
 エ、エ?そか、出来合いのあわせ調味料パックで作りますか?
 馴染みの料理だってそんな按配。ですから、いきなりメニューを手にし、どれにしようか、なんか旨そうな料理ないかな、なんて探しても、中国語の料理名はさっぱり。日本語のメニュー紹介で、なんとなくは想像出来る。
 が、実態は掴みにくくて、想像を逞しくするしかない。ハズれは避けたいしなあ、とばかりあっちこっちと目移りして、優柔普段、じゃなかった不断、のまま、なかなか決められない。
 そんな時、やはり、雄弁なのが中国語の料理名です。ところが、その解読、ってのが実に厄介で、面倒。知識がなければ不便この上ない。

 「なの、簡単だろ? 素材の名前は、ほぼ日本と同じじゃない?それに「片」は薄切り、「絲」は千切り、「丁」が賽の目きり。料理方法だって「炒」は炒める、「爆」は強火炒め、「炸」は揚げ物、「燜」は煮込みで、「紅焼」は醤油煮込み。漢字をみれば、料理の素材、味付け、調理方法、その内容がわかるじゃん!」と、豪語してキッパリ言い切る輩もいる。
 私の知人、フォト・ジャーナリストの森枝卓士も、なんかの本でそんなことを触れてました。「真っ当な」が口癖、書き癖で、1頁に2~3回登場が常の森枝氏。案外、アバウトなとこ、あるんだよなあ。
 そういえば、在宅主婦向けの高級婦人誌の中国料理特集などでも、どっかの片隅に、中国料理用語入門、とばかり、そんな紹介が必ずあるもんです。
 そのつもりで、雑誌の中国料理特集は言うに及ばず、料理本、専門誌なども読み漁り、一時、中国料理用語を覚えました。30年以上も昔の話です。ところが、香港に初めて出かけたとき、役立ったのはその一部。しかも、ごくごく一部だった、というのが現実です。

 ま、日本の中国料理用語のほとんどは、北京、四川、上海系のそれに準じたもの。香港は、広東料理が主流だからじゃないの?という声もありそうです。
 が、日本で紹介されている広東料理の用語でも、まったくおぼつかない。初めて陸羽茶室に訪れた際、ザラ半紙に赤字で印刷された飲茶の点心や、昼食むけのメニューを見たとき、思わず目が点になりました。
 判明したのは「叉焼包」、「燒賣」、「春巻」ぐらいのもの。「麵」と「飯」の字があって「麵飯類」とはわかっても、その内容、味付けは皆目さっぱり。うろたえました。
 以来、一年、じゃない、一念発起で、香港の広東料理、飲茶の点心、それに「麵飯類」の解明をはじめたものです。
 ちなみに、中国本土に出かけるようになって、かつて日本の雑誌の料理特集、料理本、専門誌で覚えた用語が、役にたったのかといえば、香港ほどではないにしろ、そうじゃなかった、という痛い現実を、散々、味わってきました。
 画像は「銀座芝蘭」の「麻婆豆腐」。
 ちなみに「銀座芝蘭」は休業中。この程、「神楽坂 芝蘭」が開店。同店で、四川料理の伝統と現在を日本に伝える気鋭の料理人、下風慎二さんの男気あふれる料理が、食べられる様子。
 そのうち、調査してきます!

2007/12/17

中国料理におけるメニューの選択、コースの組み立て(その6)


 話を戻して、昼時の中国料理店のランチでのメニューの選択。 1品か2品で、スープ、ご飯付き。なんて時、気の置けない仲間同士なら、選ぶ料理に工夫を凝らしたりしませんか?

 「俺はエビチリ」。
 「なら、俺は麻婆豆腐」。
 「そしたら俺は酢豚にするワ」、と言った按配で!
 
 素材は「エビ(海鮮)」、「豆腐(+豚肉)」、「豚肉(+野菜)」ってことで、重ならない。ついでにいえば、青菜など野菜の炒め物でもあれば、文句なしの選択。って、別に、食事診断してるわけじゃない。全体のバランスを考えての話です。

 そういえば、北京にしばらく滞在していた折り、日頃、ランチを食べる食堂に案内してもらった時のことを思い出しました。

 主菜の選択などは、先にもふれたような日本のランチでのものと変わりない。めいめいが好みの料理を選びながら「あ、それにする? なら、俺はこれ!」といった按配です。
 もっとも、日本の場合だと、選ぶ料理は、日頃、馴染んだ中華の定番的な料理が中心。店が用意しているのも、その種のものがほとんどですから。しかし、北京などでは、やはり旬の素材を使った惣菜的な料理を選びます。

 それから、野菜。北京での場合、炒めものなどをとるよりも、前菜として生野菜を味付けしたものをめいめい好みで選んで、同席した連中に勧めたりする。パリの中華料理の食べ方とは異なります。
 たとえば、胡瓜の和え物やセロリの辛し和え、トマトそのまんまなどを。それがずらりと食卓に並ぶ。その種の前菜、食堂の店先のガラス・ケースに作り置きのものが並んでいたりする。ない場合は、店の人に口頭で頼んだりする。それから、日本のようにランチはスープ付きではないので、皆で相談して、選ぶこともある。

 「あの、料理、味精(化学調味料)を抜いてもられるのかな?」と、連れて行ってもらった地元に人に私が言うと、そのまま店の人に尋ねてくれて、「いいですよ!」と店の人。「抜いてくれるって!」と地元の知人、なんてことが、ほとんどでした。
 北京の街中の食堂、私が行ったところのほとんどは、そんな風に対応が柔軟。なんでも要求に応えてくれる様子でした。それって、北京郊外の北戴河で飛び込んだ店、それに、上海、南京なんかでもそうでした。

 その点、日本の中国料理店では、昼時にはなかなか難しい。
 混雑してるもので、そんな要求には応えられません、というのがミエミエの感じで面倒くさそうに「はい、一応、伝えておきますが~」と、つっけんどん。
 もっとも、親切な店もあるもので「あのう、そうしますけど、(化学調味料抜いたら)味がなくなっちゃいますが、それでもいいですか?」と、ウエイトレス嬢に言われて、絶句!
 一瞬、ポカンとなって我に返り、「いいです!」なんて、返事したりして!
 浜松町の某店での話です。

 香港のランチの場合、好奇心から工場街の食堂のあちこちに出かけた時には、一汁二菜、というのがほとんどでした。店頭にでかい蒸篭があって、出来合いのおかずが並んでいる。それから2品ってこともあったし、店内の壁にはってあるメニューから2品、ってこともありました。
 それから、スープ。街中の料理店のような本格的ものではないにしろ、ハト麦とかの穀物などを主体にした「例湯」、日替わりのスープあり。日本の中華料理店のように定食についたスープとは違います。
 そんなこと以外で、ランチを共にということで誘われ、出かけた時には、広東系、上海系の人間では、それぞれ料理の選択が違いました。社員同士、連れ添っての昼食ってのが、案外多くって、ご相伴に預かった次第です。
 仕事との兼ね合いのランチ・ミーティング、なんて時には高級店で、それこそ「商務昼餐(ビジネス・ランチ)」として用意されてるコースそのままか、夜の宴会コースを省略、ミニチュア化した豪華判メニューというのがほとんど。しかし、会社の仲間同士での食事となると、ランチ・ミーティングの時とは違って、さあ、昼飯!なんて感じで、気取りがなく、ざっくばらん。

 広東人系の人たちが中心だと、やはり、飲茶。もっとも、頭数が揃ったときの話で、週に2回ほど、あるか、ないかという感じ、と教えられたものです。
 そんな時には、まず、家鴨、皮付きバラ肉、鵞鳥、叉焼などの焼き物、白切鶏などの前菜をとって、飲茶の点心を。もっとも、手当たり次第、なんでもかんでも、というわけではなく、2~3品、あるいは、4~5品、相談しながら選んで注文。その選択も、蒸し物、煎り焼、揚げ物、煮込みものなど、バランスよく工夫する。というより、自然にそんな風に選んでしまう様子でした。
 それから「例湯」、日替わりのスープ。さらに、旬の素材を使った「小菜」を選び、野菜料理を一品か二品。野菜料理というのは、たいていの場合、青菜の炒め物。生野菜を素材にした前菜を選ぶ、北方、北京の昼食とは、その点が違いました。それから、締めくくりに、飯か麵を選ぶ。 飯の場合は炒飯。麵の場合は、炒麵だったり、汁麵だったり。それに河粉か米粉の炒めもの、という構成。
 上海系の人たちの場合、出かけるのは上海系のレストラン。ですから、広東系の料理店の飲茶のように点心が豊富にあるわけでもない。もちろん、生煎包や小籠包など、点心がまったくないわけではないですが、そいうのにはあまり手をださない。
 紹興酒で漬け込んだ鶏肉の「酔鶏」や、香港で生まれた上海系の料理である「乳鴿」を紹興酒漬けにした「酔鴿」はじめ、上海料理独特の前菜類。それから、炒め物、煮込み物などを並べ、あわせて「菜飯」を頼み、料理をおかずにして食べる、という按配。どっちかといえば、昼、夜、見境無しの料理の選択。
 とはいえ、さすがに豚の後ろ足の膝肉の煮込みの「紅焼元蹄」など、しっかり、どっしり、こってりの料理を注文することはしませんが、上海風味を堪能。野菜料理も、上海系の野菜の炒め物だったりしたものです。
 話がますますそれちゃいましたね。
 画像は、最近、見つけたお気に入りの「麻婆豆腐」。世田谷、経堂の「彩雲瑞」の「麻婆豆腐」です。

2007/11/28

中国料理におけるメニューの選択、コースの組み立て(その5)


 中国料理のメニューの選択、コースの組み立ては難しい。ですが、とっくに日頃、意外なところでそれを実践していたりするものです。
 昼時の中国料理店のランチがそれ。小ぢんまりした店なら、一人用の定食ランチ・セットがある。それに、本格的な中国料理店などでも、1品か2品で、スープ、ご飯付き。ご飯のお代わり自由っていうのもある。

 話がちょっとずれますが、そのランチの定食コースでおもしろく、興味深い話がある。 我が兄弟(広東語ではへんたい、といいますが)の周中師傳が、日本のホテルの中国料理店に招聘され、フェアーをやったときの話です。夜には周中のスペシャリティを何品も織り込んだいくつかのコース料理を用意。で、昼にもランチ・コースを作成。

 同時に、1人用のセット・メニューのプランの要請もあった。なにしろ、香港で他の誰よりも早く、ホテルの料理店で、1人用のコースを提供してきた人物です。周中スペシャリティを織り込んだ一人用のランチ・セットを考えた。
 ところがです。そこで、日本側から注文があった。料理はおまかせします。しかし、生野菜を使ったサラダを必ず付け加えて下さい、というのものです。「野菜?肉や家禽に組み合わせれば、いいんじゃないの?だめ?単品で? それなら、青菜の炒め物か、煮浸しで!」というのが周中の考え、提案でした。が、それは日本側から見事に却下。サラダはランチ・セットでは必須のメニュー。それも、生野菜のサラダじゃないと、ダメ!というのが日本側の言い分。結局。周中は匙を投げ、生野菜のサラダは日本側にまかせた。

 という話は、周中に呼び出されてそのフェアーの昼食に行った際 「生野菜のサラダ付き? すご~く、変。なんで?他の料理と全然あってないし、セットにあるのが変!」と率直に私が質問したところ、周中が苦虫を噛み潰したような表情で、明かしてくれたことでした。さらに、付け加えて「生野菜のサラダがないと、女性に受けないし、ランチが出ないんだって!」、と。 生野菜のサラダよりも青菜の炒め物、煮浸しの方が、たっぷり野菜もとれて、栄養分があるのに。なんてことは、ランチを求める人には、無関係な話なのですね。

 話、戻して、日本の中国料理店での昼のセット・メニュー。料理を1品か2品選べて、スープ、ご飯付き。それに、箸休めの漬物も、ですか。
 その1品か2品、頭数が揃ってれば、目の前に色んな料理を並べて、ミニ・コース的な展開も可能。そそ、ポイントはそこにあります。

 昼食ってことで、中心は、案外ご飯だったりする。エネルギーの確保です。で、選ぶ料理は、ご飯のおかずにうってつけなもの、ってことじゃないですか? とはいっても、一応は名の通った中国料理店でのランチなら、家で食べる時のおかず、お惣菜とは違った、よそ行き気分織り込まれ、その期待もあるはず。

 ところがです。私もその種のランチ・メニューを試したことがありますが、昼と夜では同じメニューでも、味付け、風味が違う、異なるってことが少なくない。昼でも夜でも、おなじ味付け、風味がある料理を食べられる店、というのは高級料理店しかない。それも、ランチに用意されたものではなく、アラカルト・メニューから選んだ物に限られる、というのが、ほとんど。というのは紛れもない事実のようです。

 それは店が手を抜いている、ということでも、客の足元を見ているわけでもない。むろん、営業方針、政策によるものなのは明らかですが、多くの場合、ランチ・タイムに用意される料理のは、より幅広い万人の「口」にあわせる、ということに由来するようです。という話は、これまでそうした店に取材した際、料理店から聞いた話です。

 ネットの食ガイドの一般投稿、批評に多いのが、というよりもほとんど占めるのは、ランチ・メニューの体験、その評価に基づく物。評判の店、噂の店にランチに行ってみたものの、がっかりってやつです。そんな人は、おそらくは先のような事情をご存知ないのでしょう。昼、それも、アラカルトは別ですが、昼食向けの料理、コースで、その店の評価は下せない。

 またもや話が脱線。
 そう、昼のランチ・セット、コースで、お惣菜感覚で何品か、という方法、スタイルこそは、夜の食事でのメニューの選択、コースの組み立ての基本、あるいは、その入り口になるものです。

 とはいうものの、昼じゃなくて、夜。それも、しっかりした食事を楽しみたい、ってことなら、ランチのセットに登場するような惣菜的なメニューはパス。もしそうなら、たとえば「麻婆豆腐」は、牛肉仕立てで花椒の痺れ味が利いたやつ。それにエビチリの「干焼明蝦」も、ケチャップじゃなくて、蝦のみそ、それに葱の甘味、風味を生かした本場風じゃないと、ってことになるんじゃないでしょうか? それが、正解。

 ところがですね、宴会でもなく、気の置けない仲間同士での食事でも、しっかり味わいたい、楽しみたいって時には、ランチにはなくってちょい豪華な料理を、ってことになるはず。

 たとえば「ふかひれ?う~ん、いや、それはパス。けど、なまこの料理ぐらいは食べたいな。それよりも、北京ダックかな?でもま、とりあえずは「前菜」!」ってことになる。

 ほら、ほら、いつもの習慣が頭をもたげます。
 で、北京ダック以外の料理ってことになると、メニューをあれこれ見ても、美味しそう、食べたい。けど、どうしようかな?と優柔不断。

 同席の人たちのリクエストに応じながら、メニューを決定。で、すべてを食べ終えても、満足したような、してないような。

 そこで、締めくくりは、やっぱり炒飯ですか? 
 それとも、麵とデザートは別腹ってことで、麵。

 とまあ、それもまた、いつもの習慣が再び頭をもたげてくる。

 そうです、前菜と、締めくくりの炒飯、もしくは、麵。そいつが鍵を握る。中国料理のメニュー選び、コースを組み立てるときには、宴会でもない限り、前菜と、締めくくりの炒飯、麵の料理のことは、いっそのこと忘れちゃう、捨てちゃったら? というのが私の提案です。

画像は豚と牛の脛肉の前菜。ま、こんな前菜なら、グッド。
まさにアミューズって感じで、量も少なく、食欲をそそり、メインの料理への期待が膨らみます

2007/11/27

中国料理におけるメニューの選択、コースの組み立て(その4)

 たとえば、私が出会った香港人(主に広東系、潮州系、上海系、客家系、福建系の中国人ですが)と一緒に食事をってことになった時、それも、宴会料理なんかじゃなくて、普段の食事のまんまのスタイルでなんて時、それぞれメニューの選択、その方法が違ったのが面白かった。
 人数は4人から6人ぐらい。コースを組むというほどの皿数、品数が並ぶわけでもない。中でも念入りなのは、食べることにうるさい広東人。私は彼らから多くのことを学びました。

 メニュー選びの面倒を避けるのなら、店が用意した少人数用のコースをとるのが一番。のはずですが、食べることにうるさい人、いや、そうでなくっても、店が用意したコースには目もくれない。一瞥をくれるどころか、さっさとテーブルの脇に寄せてしまいます。メニューを手にするとしても、季節、旬の素材の料理を並べた「小菜」のものぐらい。それもざっと目を通すだけ。いや、メニューには目もくれず、いきなり、店の人に注文、ってのがほとんどでした。とはいえ、そんな人たちのメニューの決め方、コースの組み方っていうのは、ほぼ同じ。

 まず最初の選択は「湯」、スープです。「有冇例湯?」(例湯は、有や無しや?有なら、何?)と尋ねる。
「例湯」というのは、いわば日替わりのスープ。淡水の魚、豚肉や内臓類、家禽類、その内臓類を、青菜か根菜などと煮込んだもの。そこに、「准山」と呼ばれる干した山芋や、干した広東白菜が使われることもある。

「杏仁(中国アーモンド)」、北方か南方の「棗」などの漢方素材なども加えられていることもある。季節に応じて、滋養にとみ、体にもいい「湯」が用意されている。といって、よほど食べることにうるさい人じゃない限り、店の人の説明を受けても「?」だったりしますが、それでも、ほぼ無条件に「例湯」を選ぶ。

 ふかひれのスープは選らばないにしても、「韮黄瑶柱羹」や「西湖牛肉羹」なんて、しっかりした「湯」がある。が、それも宴会のコース用のもの。第一、葛引きがかかってるし、というのが彼らの言い分。
 なるほど「例湯」のほとんどは、鍋に素材を入れて長時間ぐつぐつと煮込んだだけのもの。スープが濁っていたりすることもありますが「打獻」、つまりはとろみ付けなんかしないままの「素」の味わいのもの。澄まし仕立てではありませんが、とろみつきじゃないスープもの、ってことです。

 それに「例湯」には、具を掬い取って別皿にそれを並べるというものもある。つまり、素材のエキスをたっぷり含んだ「湯」と、その素材、具を別皿にわける。で、まずは「湯」を味わい、その一方で、別皿に取り分けた素材の具は、老抽(たまり醤油)などをつけながら食べる。といったように「例湯」をとれば、そこで2品、ってことにもなるわけです。

 「湯」を決めた後は、選択が分かれるところです。
 女性の場合に多いのは「有冇菜?(野菜は有や無しや、有るなら、何?)」というわけで、野菜の有無と種類を尋ねる。
 その場合「菜」ってのは、青菜系のそれ、ってことが多いようです。

 え!?、食べることにうるさいのなら、旬の野菜は把握してるはずなのに、どんな野菜があるか尋ねるのは変だって? でも、それが店においてあるかどうかは、わかりませんから。

 ともあれ、どんな野菜、ことに青菜の類があるかを尋ねる。素材によって、それを単品の料理にして頼むか、その場合、どんな調理方法にするか、また、どんな味付け、他の香味野菜や調味料と組み合わせるかを考える。
 それとも、素材によっては、他の素材との組み合わせにするか考える。そこで、他の素材を使った料理を思い浮かべる。野菜と組みあわせるか、それとも、他の素材は別の料理にするか、といった按配で。

 そこで、女性の場合、やはり、選択は海鮮の魚介類、となるようです。それも、海鮮の魚介というのは、ほとんどが時価。無難なところで、蝦や貝柱を素材にした料理ってとこでしょうか。
 さらにもう一品となると、肉ではなくて、やはり、家禽類を選びます。
 しかし、家鴨の料理は選ばない。やはり、鶏か鳩。潮州料理の店なら、鵞鳥のタレ汁煮込みを頼むかもしれない。

 私の出会った香港人、それも広東系の女性の場合、昼の弁当でたまにローストした「焼鴨飯」を食べることはあっても、普段の食事で「家鴨」を選ぶなんてことはない、とほとんどキッパリ意見でした。
 ま、それには理由もあるのですが、それは後日。

 「湯」、それに「野菜料理」を思案し、蝦や貝類の料理。肉なら家禽。それとも、魚介か家禽に旬の野菜を組み合わせ、炒め煮込みにした「煲仔」。そこに春雨の「粉絲」を加えた「粉絲煲」を選ぶ、なんてのが多い。

 そこで、食事に男性が同席、となると香港では余程の例外でもない限り勘定は男性持ちですから、そこで海鮮の魚料理を注文ってことになる。高価な「石斑」とはいかないにしても、海鮮の魚の種類は案外豊富ですから、そこそこの魚を「清蒸」で、つまりは蒸し魚、って展開も有り得る。

 以上のようなメニューの選択、コースの組み立ても、男性の場合には事情も違ってくる。
 「湯」を決めたあと、海鮮の魚介あり、肉、家禽の料理あり、いろいろ選んだ最後に「野菜、食べなきゃ!」ということになって、シンプルな炒めものを注文。というのが、これまで私が出会った人々の典型的なメニューの選択、コースの組み立てでした。

 女性主体、男性主体では、メニューの選択も変わります。ですが、共通しているのは、素材、調理、味付けが、重なることがない。料理をあれこれ検討しながら、そうしたことへの目配りを怠らない。ある料理を思い浮かべて、次に別の料理を思い浮かべた時、素材、調理、味付けが重なっているかどうか瞬時に把握。おそらく、体験、経験で蓄積されたものだと思いますが、その辺の瞬時の判断、決定の手際のよさは、見事というよりほかない。そんなメニューの選択を目の当たりにし、学んできました。

 けど、連中の店の人への注文は、実にいい加減。キチンと料理名なんか覚えてやしない。
「ほら、蝦、醤油で炒めたやつ。え?煎り焼き? あ、それそれ!
 それから小魚、蒸したやつ、ほら、漬物と一緒に。塩味炒めのやつじゃないよ。
 で、鶏肉。ほら、蝦醤で炒めたのあったでしょ。
 それに、豆腐の煮込み。えと、蝦子のやつ」
 なんて具合です

2007/11/26

中国料理におけるメニューの選択、コースの組み立て(その3)、ついでに、ミシュランガイド東京版「ミシュランガイド東京2008」(その1)

 香港の料理店にも少人数向けのコースがある。
 その昔、いや、今でもそうかも、上海系の大衆的な店には「客飯」と言って一人用のいわば定食メニューがあった。それに、九龍の工場街の近くの大衆的な小食店では昼も夜も、「湯」に料理2品、ご飯付き、なんて定食セットもあった。

 で、高級料理店などで少人数向けのコース料理が提供されるようになったのは、80年代の半ば過ぎからのこと。そのきっかけを作ったとも言えるのが、今ななき凱悦飯店の2階にあった「凱悦軒」でのことで、なんと、一人用のセット・メニューを用意。

 それ以後、一流ホテル内の中国料理店で、社用族の昼食目当てに「商務套餐」、つまりはビジネス・ランチってことで2~4人用のコース料理が用意されるようになった。さらに、街中の料理店で「二人世界」など、2人用のコース料理も登場。

 香港の人たちの中にも、メニューを選んでコースを組むのが面倒だ、って人がいるからこそ、登場したもの、じゃないでしょうか。それに、香港人だからって、誰もがメニューを簡単に選べ、コースを組み立てられるわけでもない。旨い物、美味しい物を知ってるわけでもない。 香港には旨い店もあれば、まずい店もある。口にあった料理があるってことだけで、それ以外はあえてコメントはしないのが香港人。

 そんな1人用のコース、それに「商務套餐」にしろ「二人世界」にしろ、やはりその基本は、宴会用のコース料理の縮小版。それも、店の看板料理が必ず組み込まれている、ということからすると、店の事情に詳しくないビギナーや観光客にはうってつけ。

 しかし、看板料理や、ふかひれや干貨素材を使った料理じゃなく、もうひとひねりのコース設定はないかな、という人も多いんじゃないかと思います。が、その場合には、やはり、自分でメニューを選んで、コースを組み立てるしかない。いや、その「コースを組み立てる」っていうこと自体が、問題というか、厄介で面倒なんでしょう。

 そういえば、人伝えに聞いたフランス人、それも中国料理、中華料理に出かけた際のメニューの選択、コースの組み立てっていうのが、おもしろい。

 まずは、前菜、メインという組み立てがその基本。日頃の食事の習慣にならってのことです。それに、日本人にしろ、本場の中国の人にしろ、店にまで食べにでかけ、何人かと料理をとるとなると、それぞれめいめい好みの料理をあげながら、皆で分け合ったりするのは、ごく日常茶飯ですよね。

 それが、さすが個人主義の発達した国、フランス、ことにパリあたりだと、自分が注文した料理は自分が食べるだけ。他人に分けたり、他の人の料理に手を出す、なんてことは滅多にしない、ってことです。前菜にこれ、メインはこれと決めたら、一人で最後までその皿、料理を食べ続ける。

 いや、噂には聞いていたことですが、それが真実に近い話だと知ったことがありました。
 私の知人でフランス在住の料理研究家。東京に戻ってきた際、「北京ダック」にぴったりなワインを持って帰ってきたから「北京ダック」の美味しい店を紹介してよ、と言う話に、一応はセッティングしたのですが、その「北京ダック」の食べ方を知ってびっくり。

 餅で包んだ北京ダックがずらりと並んだ一皿を、そのワインとあわせてひたすら食べるって、ことでした。
 普通、日本でなら、それに、本場の中国だってそうですけど、「北京ダック」を食べるといってもせいぜい1人で2~3包み。欲張って5~6包みってとこでしょうが。
 5~6包みも食べるのは、私以外に滅多にいないって!
 けど、フランス、パリの中国料理店では、それが当たり前、というのですね。
 しかも、一皿ですから、5~6包みだけじゃないようで。

 さすが、私の知人は日本人ですから、同席した人と一緒に食べるってことでしたが、普通はそうじゃないらしい。
 前菜はこれ、メインはこれと決めて、それらの料理をひとりで最後まで食べつくす。
 というフランス式中国料理の食べ方の美学。パリに行ってその実態を確めたいと思います。

 そうか、今、街中で噂の「ミシュランガイド東京2008」の覆面審査員も、そうやって東京の中国料理店を審査したのかも。いや、日本人の審査員もいたそうで。ってことからすると・・・・・・

 「あ、私、コースにします!」と日本人の審査員。
 「あ、そ、なら、私はアラカルト」と、フランス人の審査員。
 「あ、それうまそうですね」と日本人の審査員
 「だめ、これ私がとった料理なんだから!」とフランス人の審査員。
 な、ことがあったりして!
 というのは私の想像!

 で、その結果が、あれ! ってわけですか?

 ン!? 味で評価? 
 なら、なんであの店が入ってなくて、この店が?

 サーヴィスで評価?
 なら、この店、料理のサーヴィス、見栄え重視、というわりに、器は貧弱。
 取り分けの皿は冷めてるし、なんでも皿に取り分けりゃ、いいってもんじゃないし、
 汁ものを皿に取り分けりゃ、料理が冷めるってこともわかんないの?
 
 独創性?
 あれ、れ?
 ここの看板の料理、他の店で食べたことのあるコピー じゃ・・・・
 
 そうか、和風中華にアレンジ、という独創性か!
 そこまで見抜くとは、さすが、ミシュランの覆面審査員!

 とまあ、その辺の話は、後日また!

中国料理におけるメニューの選択、コースの組み立て(その2)

 とある料理ライター/フードジャーナリストが、東京に出店した香港の著名な料理店に初めてその店を1人で訪れた時の話。
 ふかひれなど干貨素材の料理で有名なその店で、とりあえずふかひれの料理を食べることだけは決めていた。しかし、それだけですませられない。とはいっても、ふかひれの料理以外、どんな料理を食べていいものか皆目わからず、料理も選べじまい。結局はメインにふかひれ料理、前菜から1品。もう1品は、その店の看板にもなっている炒飯を注文した、というものです。

 簡潔で簡単なメニューの選択です。が、正直言って驚きました。もっとも、誰にだって有り得る選択のようにも思えました。決して悪くはない選択ですが、中国料理の認識、知識不足を物語るものでもあり、もっと他に方法があるのにと、余計なお節介は承知の上で思ったものです。

 同じような話を、香港に出かけた知人からも聞きました。ひとり身だったものの、どうしても香港で有名なその店で食事をしたい。で、結局、選んだのは「白灼蝦(茹で蝦)」、「紅焼魚翅(ふかひれの醤油煮込み)」、「咸魚鶏粒炒飯」だったそうです。

 酒のつまみとして前菜を取る。しっかりした料理、しかも、その店の看板料理でその名を知られた逸品といことでふかひれの料理にする。で、締めくくりは炒飯か麵料理という考えも悪くはない。
 しかし、酒ではなく料理をメインに考えれば、私なら前菜はパス。せっかくの豪華なふかひれ料理を味わうには、いきなりのほうがいいと考えます。それに、ふかひれの料理を食べたのなら、それにふさわしいもう1品か、2品を考えて選びたい。

 肉、家禽、魚介類に、野菜の料理。もしくは、肉、家禽、魚介類に野菜を組み合わせ、味付けや調理方法の違った料理を選びます。それに、炒飯をとるよりも、ご飯にする。ということで、1品はご飯のおかずになるような料理を選びます。

 そこんとこ、すでにひとつ教訓があります。
 ポイントは「前菜」に「炒飯」。
 街中の大衆的な店での話ならいざ知らず、本格的なふかひれ料理が食べられる中国料理店に出かけるとなると、前菜を注文して、締めくくりは炒飯か麵料理。

 とまあ、中国料理の宴会のコース料理を思い浮かべ、それに倣ったやり方でメニューを選ぶことになるようですね。そんな儀式じみた刷り込み、思い込みこそが、メニーの選択、その幅を狭める理由、要因のひとつになっているんじゃないでしょうか。
 陥りやすいワナのひとつです。
 ともかく、前菜や締めくくりの炒飯や麵料理のことは、とりあえずは忘れる。

 ところで、中国料理における宴会料理のコースの組み立ては、昔ながらの伝統様式、スタイルがあります。宮廷での宴会料理を基盤に発達し、その影響下に形成された北方や、豪商等の富裕層の存在を背景に形成された江南南方のそれ。また、南部の広東省でのそれは、いささか異なります。さらに、香港などの場合には、もともとは広東省の広州をその源流としながら、流通の発達、整備を背景に、干貨海鮮だけでなく、新鮮な海鮮の魚介を素材にした料理がもてはやされるようになった、ということもあります。

 北方や江南、さらには南方での宴会料理の基本構成は、まず宴会の華、前菜に続いて最初に登場する主要な料理の「大菜」を中心に構成される。その「大菜」の素材として選ばれるのが「燕窩」、「魚翅」、「海参」。次いで、「熊掌」、「鮑魚」、「魚肚」。というのは『中国食文化事典』(中山時子監修、角川書籍)などでも記されていること。他に「全豬席」、「全羊席」、「全鴨席」など、いわば豚、羊、家鴨の三昧料理などもあり、ってことだそうです。

 もっとも、南方では干貨素材の順列は異なります。特にここ最近の香港における値段に準じた価値順列は、「鮑魚」、「魚翅」、「燕窩」、「魚肚」、「海参」、ってことだそうで。たとえば「鮑魚」、かつて貴重視された「窩麻」ですが、ここずっと品質の低下をいなめず、「吉品」と価値、値段の順序が入れ替わったそうです。
 それに、以前は「海参」に続く存在だった「魚肚」が、近頃はその入手が難しく、より稀少なものとなって値段が高騰。といったように、その順列は刻々と変化しています。

  さて、日本の中国料理の宴会のコース、そのメニューの選択は、北方や江南のそれにほぼ準じたもの。どうやら、大正時代から昭和初期にかけての中国料理への関心の高まりをきかっけに、宮廷料理を下地にした宴会料理が紹介されたこと。さらには、20世紀初頭に上海との文化交流が盛んになって以後、(当時)最新式の宴会様式として日本に紹介されたものが、基盤になった様子です。
 それをもとに、日本式に簡略化。ということで、まずは前菜が登場。、次いで、主要な「大菜」(当初はふかひれのスープ、後には、ふかひれの姿煮)をメインに据え、あと、調理、味付けを変化させた料理が並び、スープが用意され、魚料理で締めくくられる。

 そういえば、子供の頃、地方から我家に訪れた親戚、知人のもてなしは中国料理店での宴会料理というのがほとんどでした。その同席を許され、中国料理を食べるのが楽しみでした。その最後に決まって登場するのが鯉の料理、丸ごとの鯉一匹を使った甘酢のあんかけの「糖醋鯉魚」。

 とはいうものの、それまでに前菜をたっぷり食べ過ぎ、次から次へと登場する料理に手を出して、宴会の半ば過ぎには満腹状態。それでも卑しかった私は、満腹なのにもかかわらず、それが食べたくてしょうがない。

「食べ残しはご法度」と小さい頃から言い渡されていたものの、我慢しきれずに「食べられる!」と言い張って、分けてもらい、味わった甘酢あんかけの美味。結局は、すべてを食べきれずに、お小言を食らった思い出がある。それからも中国料理の宴会料理を食べに行っても、最後の料理の「鯉の甘酢あんかけ」にたどり着くまでに満腹になり、「鯉の甘酢あんかけ」を満足に食べ、味わえなかった恨み、つらみ、執念は、私の懐かしい思い出です。

 80年代後半以後、日本でも、オーナー/シェフの店を中心に、少人数、それも、二人からでも食べられるコース料理が紹介されるようになりました。その先駆者的存在とも言えるのが吉祥寺の竹爐山房の山本豊さん。
 
 同店での「おすすめコース」、「竹爐コース」などは、中国料理、それも北方や江南地方の宴会料理のコースに準じたもの。前菜に次いで、コースのメインの料理が登場。そのあと、炒め物、揚げ物、蒸し物など、肉、家禽、魚介に野菜、それも旬の素材を使った料理が並び、スープで締めくくられる。人数が多い宴会コースになると最後は魚で締めくくり。その前にスープが出てくるあたりに、本場の宴会料理を下敷きにしたコース設定の意図が汲み取れます。

 とまあ、日本での中国料理店でのコース設定は、本場の宴会料理に準じたものがほとんどです。コースには決まってふかひれをはじめとする干貨素材を使った「大菜」風、あるいはそれ仕立てのメインの料理が組み込まれている。

 そういうんじゃなくて、ざっくばらんに食事を楽しめるコース設定。しかも、お目当ての料理が組み込まれているコース料理には、日本の中国料理店ではほとんどお目にかかれない。あれって、どうしてなのか、どういう理由によるものなのでしょうか。

2007/11/25

中国料理におけるメニューの選択、コースの組み立て(その1)

 そう、中国料理のコースの組み立てってややこしくって面倒だ。
 私の場合、昔も今も、それが唯一の趣味、息抜きです。もしかして、老後の一番の趣味になりかねない。とっくにじじいじゃん、という声も聞こえますが(プンプン!)。

 誰だってそうだと思うのですが、中国料理を食べたい、中華を食べたいと思い立って店に出かけるとき、すでに頭には思い描く料理がある。中国料理だけに限らず、フレンチ、イタリアンの店に出かける時もそうじゃないでしょうか。

 例えば私の場合、フレンチの店に出かけるとなると、まず思い浮かぶのは、前菜にパテ。メインは内臓の料理か牛肉以外の肉料理、家禽類、ゲーム類。メインで牛肉を取るといのはほとんどありえない。バヴェット・ステーキ、それも、草を食み、土も一緒に食ってる牛の「涎掛け」なら触手もそそられる。が、米国の輸出政策にまんまと乗っかり、とうもろこし育ちで、火を通すと匂いふんぷんの脂、刺しの入った肉には手がでません。ブランド物の牛に限ってそういうの、多いと思いませんか。

 ともあれ、パテ、内臓、牛肉以外の肉、家禽類、ゲーム類を思い浮かべながら、店に到着後、メニューを点検して、素材、調理、調味を確かめ、軌道修正しながら、その日のメニュー、コースを決定。イタリアンの場合だと、前菜にパテはないからハム、ソーセージ類。パスタは手打ちか料理方法や素材に凝ったリゾット。メインはやはり牛肉以外の肉料理、内臓類、家禽類、ゲームの類。で、フレンチだと、前菜にメインを1種か2種。イタリアンだと、前菜、パスタかリゾット、メインといった基本構成。しかも、たいていの場合、選択肢が限られていたりするもので、メニューも選びやすい。

 ところが、中国料理の場合、フレンチやイタリアンのように、前菜、メイン、もしくはメイン2種であるとか、前菜、パスタ、メインといったコースが用意されていて、それぞれ選択というような按配にはいかない。

 最近でこそオーナー/シェフが看板の店で、2人から楽しめるコース料理を用意している店がある。しかも、小皿中心で、フレンチやイタリアンなどより、品数、皿数重視の傾向が強い。面倒な時にはそんなコースにするなんてことも可能です。

 とはいっても、目当ての店にでかけるには、必ず目当ての料理があるもので、それがコースに含まれてないと、なんだかなあ、どころか愕然となったりすることもありうる。
 それに、中国料理店のほとんどで用意されているコースは、最低でも8人頭数がひつような宴会用のメニュー、だったりするものです。

 ふと思いついて中国料理って場合、いきなりの話になりますから、まずは2人。集められて4人。6人ということになると、やはり前もって日を決めて約束、ってことになります。

 2~4人で、中国料理を食べるでかけるとなると、そのメニュー選び、コースの設定は実に厄介。食べたいものがあってこそ出かけたはず。が、その料理、1品だけで済ませられるわけがない。

 結局、目当ての1品か2品、それ以外に何か美味しいもの、目新しいものが食べたい、とメニューをにらんでも、選択肢の多さ、それに、料理内容や実態がまったく不可解で想像がつかず、手が出せない。ということから、結局、味を知った、あるいは馴染みの料理で、お茶を濁すという破目に陥る。

 フレンチやイタリアンのコース料理だと、前菜、メインの選択肢が明確、だったりするのに対して、中国料理の選択肢は、膨大で未知。というのは、案外、中国料理に身近な親近感を覚えながら、実はその実態を把握出来ないまま、狭義な知識、認識しかないことを物語っているのではないでしょうか。

2007/11/23

秋の味(その9)

 「夏の広東地方の郷土料理パート②」で紹介した青木さんからのリクエストをきっかけに実現することになった続編の「秋の広東地方の郷土料理」。
 メインの料理は鳩にふかひれを詰め、鮑汁で煮込んだ「仙鶴神針」に決定。それに、本来のテーマである秋の素材の「栗」、「芋頭」を素材にした料理を考え、料理を考え、コースのプランを設定。 とはいうものの、そこで厄介な問題が持ち上がった。

 実は「栗」にしろ「芋頭」にしろ、脂肪分はなし。その持ち味、素材を生かすには、油脂を使うか、肉や家禽類と一緒に調理して、その旨味、風味を煮含めて味わう。というのが広東人、多くの中国人が考えるところなのだそうで。

 石川芋を蒸して、塩をまぶして食べる衣かつぎ、というのは日本人ならではの趣向なのですね。それに、昆布、鰹節のだしで里芋を煮込んだりしますが、それでは、中国の人にはなんだかひと味物足りないってことになるらしい。それを「寡」って言います。

 そういえば、芋の煮っころがし。東京にやってきて、初めて芋の煮っころがしを食べた時、愕然としました。カルチャーショックを味わったものでした。

 芋、って里芋ですが、それまでは蒸すか、だしで煮炊きしたものしか食べたことがなかったからです。煮た芋を、砂糖と醤油で甘辛く煎りつけ、絡めたもので、芋は芋の素朴な味だけ。それを甘辛まぶしにしただけのような物にしか、思えませんでしたから。

 言わば、里芋の照り焼きという趣。野趣ではあるけれど、芋の滋味は感じられない。実は、今に至っても、苦手な食べ物のひとつです。やっぱ、芋は、昆布、かつお節のだしで煮含めたものじゃないと、、、関西人だからでしょう。

 そんな私の頑な思考と似たものが、広東人、中国人にはあるらしい。
 栗や芋の類を「瘦物」だと、香港、中国の人は言います。栗や芋だけでなく、茄子や青菜、茸の類について、そう呼ばれることが多い。中でも澱粉質を含んだ栗、芋、蓮根などの根菜類は、肉類、家禽類の肉と調理して、その味を煮含めて、素材の持ち味、風味を引き立てる、というのが、基本的、ごく当たり前の考え、思考だってところが面白いで。

 なんてこと、日本で中国料理を紹介した料理本、書籍で語られているのを見かけたことはありません。

 ともあれ、栗にしろ、芋にしろ、鶏、家鴨、豚の「五花腩(三枚肉)」や「排骨(スペアリブ)」と組み合わせた料理がほとんどです。「芋頭」や「荔芋甫」の場合には、蒸すなり、茹でるなどして、擂り潰し、鶏や家鴨に貼り付けたり、臘腸(腸詰)と料理したりなど、肉、家禽類との関係は密接です。

 それからすると、青木さんのリクエストの「秋の広東地方の郷土料理」。、栗の料理といえば、やはり「栗子炆鶏」、栗と鶏肉の煮込みだ。「排骨」と煮込んだ「栗子炆排骨」というチョイスもあり。
 
 となると、芋の「芋頭」をどうするか。
 この季節、冬場を迎えて香港の街中にあふれるのが、家鴨を塩漬けにして干した「油鴨」。その「油鴨」とタロ芋の「荔芋」と煮込み「椰汁(ココナッツ・ミルク」で味付けした「荔芋椰汁油鴨煲」は、思わず涎がこぼれるほどの一品。

 ところが、メイン・ディシュが鳩。栗を素材にした「栗子炆鶏」は鶏。そこで、芋を素材にした料理を「荔芋椰汁油鴨煲」にするとなると、コースで家禽類の料理が3種類も登場ってことになる。

 しかも「荔芋椰汁油鴨煲」は、「油鴨」自体が塩漬けで、旨さ、風味は格別なものながら、味はしっかり濃くて、(塩味が)重い。

 メニューの選択、コースの設定が思案のしどころ。食べたい料理ばかりを並べてコースを組み立てる、好き勝手に楽しめればいいんじゃないの? なんて声もきこえてきそうですが、実は、そこにこそ落とし穴がある。

 中国料理を心地よく楽しむのには、やはり、無理なく、無駄なく、慎重にメニューを選び、コースを組み立てる。

 ということで、次回からは、中国料理のメニュー選び、コースの作り方ってのをやってみようかな、と思っております。

2007/11/21

秋の味(その8)

 ようやく、ややこしい仕事がひと段落。画像を掲載し、料理を紹介ということでお茶を濁してきましたが、手抜きはやめろ!との非難、ご批判メールを頂戴し、本格復活です。
 コメントへの書き込み、メールを頂戴し、有難く思っております。ですが、コメント、ハンドルネームだけでなくメールアドもご一緒にお願いできれば、有難く存じます。
 戴いたメールで最も反応があったのが、11月2日に画像を紹介した「鮑汁乳鴿醸生翅」、鳩のふかひれ詰めの鮑汁の煮込み。 「仙鶴神針」という料理名で、一時、香港で流行していたことがある。香港で出会った、という方もいらっしゃるでしょう。それが、日本デビュー(のはずなのですが)を果たすに至ったのには、裏話もある。

 そもそもは、この8月、「夏の広東地方の郷土料理パート②」を紹介するきっかけになったクリエイティヴ・プランナーでディレクター、デザイナーでもある青木保夫さんからその続編の「秋の広東地方の郷土料理」のリクエストがあった。
 「夏の広東地方の郷土料理」のテーマになった素材に「冬瓜」に「苦瓜」の2種の「瓜」と「青茄子」。そんなことから思いついたのは、秋ならではの素材の「栗」と「芋頭」。

 「芋頭」は基本的には里芋のことですが、タロ芋の「荔芋甫」を含めて語ることがある。それも香港では中秋の名月の夜に、月餅とともに「芋頭」を食べるのは昔からの慣わしだ。私も子供の頃、お月見の日は、月見団子と里芋、それも衣かつぎを食べた思い出がある。
 「栗」の料理なら「栗子炆鶏(鶏と栗の煮込み)」か「栗子排骨(栗とスペアリブの煮込み)」ってことになる。「芋頭」の料理もいろいろある。そういえば「蓮藕(れんこん)」が旬の時期だ。しかし、その3種、野菜でも根菜類で、澱粉質がたっぷりだ。なら、青菜を何か入れるのがいいのだが、あれば豆苗だろうか。
 季節の旬の素材を使った広東地方の郷土料理、家庭料理、いわゆる「小菜」を思い浮かべながら、コースを組み立てるのに何か「大菜」的なものはないだろうかと思案した。
「夏の広東地方の郷土料理」の時には鳩料理の「脆皮焼乳鴿(鳩の丸揚げ)」と魚料理の「茄子炆紅斑(青茄子と揚げた紅はたの煮込み)」があった。
 もっとも「大菜」となるとやはり鮑翅燕参肚(干し鮑、ふかひれ、燕の巣、干しなまこ、魚の浮き袋)といった干貨海鮮素材を使った料理ということになる。
 かつては「瑶柱(干し貝柱)」もその仲間に加えられたが、最近ではいささか見劣りもする。が、春節になると、その時期ならではの伝統の一品の重要な素材になる。
 それに、家禽類をどうするか。
 「栗」の料理は「栗子炆鶏」にすると「鶏」の重複はまずいから、鶏料理はその一品だけ。残るは「鳩」か「家鴨」。「家鴨」の「小菜」も色々ある。しかも、一羽丸ごとを使った料理であれば「大菜」とはいわないまでも、コースのハイライトにもなる。
  しかし、今回の会食のメンバーは4人。
 ということでは「家鴨」一羽の料理は、量が多すぎる。人数から言えば「鳩」の料理。
 前回の「脆皮乳鴿」以外に、鳩の料理は各種あるから、それにしようか。
 「いや、まてよ!」と思い立ったが、かつて潮州料理の店で何度か食べた「鴿呑燉翅」に「鴿呑燉燕」。鳩にふかひれ、もしくは燕の巣を詰め、「燉」、つまりは湯煎蒸しにした料理である。贅沢な料理。が、香港の潮州料理店で食べたそれらは、田舎っぽい素朴さをむき出しにしたものだった。おまけにだしの「上湯」が貧弱な上に、化学調味料がふんだんに使われていたのである。

 「そうだ、福臨門なら出来る!ふかひれを詰めた鳩のスープ仕立てが!」と、「上湯」のだしの旨さ、風味豊かな香りを思い浮かべながら、そのアイデアを福臨門のスタッフに持ちかけた。
 その話が、香港の徐社長にまで伝わった。ところが、社長曰く、日本で入手できる鳩の質、持ち味からすれば、スープ仕立てはあわないだろう、と。
 社長の提案は、日本で入手できる鳩のしっかりした肉質、野生味のある濃厚な味、風味からすれば、「鮑汁」(、干し鮑の戻し汁である)を使って、ふかひれを詰めた鳩を煮込むのがいいのでは、とのことだった。
 その話に、乗りました。日本の福臨門ではやったことのない料理である。
 その出来栄えは素晴らしかった。実に見事な一品でした。
 旨味、コクのある濃厚な「鮑汁」が、野生味があり、しっかりした鳩の肉に染み込み、しかも、鳩肉の旨味、風味、ことに野生味を引き立てる。
 さらに、ふかひれ(生翅(海虎翅、いたちざめの胸びれ)も、よりブラウンがかった濃いあめ色で、鮑汁の旨味、風味をたっぷり吸い込んでいる。澄まししたての「清湯」、醤油煮込みの「紅焼」などよりも、一層、旨味、コクがある。

 リッチでゴージャスな一品です。中国料理、広東料理の干貨海鮮料理の奥深さ思わずにはいられない。旨味、コクがあり、それでいて、洗練されていて、上品な味わい、豊かな風味がある。
 フランス料理の鳩の煮込み料理、といっても、おかしくはないほど。と言うよりも、中国料理、フランス料理といったジャンル、カテゴリーをはるかに超越した極上の料理、至福の美味。
「鳩一羽、4人で分けただけの量じゃ、(物)足りない!もっと食べたい! 鳩一羽、二人で分けるのが、ちょうどいいぐらいだ!」、と青木さん。
「一期一会」を気取るわけではないですが、美味しい料理に出会っても、滅多にもう一度食べたい、という気分にはならないこの私も、「もう一皿、食べ直したい、もっともっと、永遠に食べ続けていたい」と、心底思いましたから。
 
 で、画像は再び「仙鶴神針」です!



2007/11/18

う~ん、これはやっぱり秋の味(その8)かな


炒飯です。米はインディカ米で、パラパラの状態。
その具ですが、生姜の微塵切りと卵白。
その名も「姜米蛋白炒飯」。
上海蟹を食べる時、体を冷やす性質を持つ上海蟹ですから、食後に、生姜と砂糖で甘味仕立てにしたものを飲んだりします。
それだけじゃ、ってことで、上海蟹を食べた後、念押しに食べるというのがこの炒飯。
生姜のひりひりがさりげなくその存在を主張、というのが実にニクい!
上海蟹を食べた後の締めくくりの炒飯、ってことですから、やっぱり、秋の味、ってことになりますね!

たまたま秋に食べた味(その3)


清炒豆苗、豆苗の炒めものです。豆苗というのはエンドウの若芽、というのが一般的。で、蝶々が羽を広げるように、軸に左右対称の葉っぱがついたもの。その軸が柔らかい部分だけを使って料理したもの。
 豆苗に限らず、青菜の炒めものは、素人には至難のワザ。日本の中国料理店で、これぞ!という青菜の炒めものには、滅多にお目にかかれない。熱した鍋に油を注ぎ入れ、煮立った油の沸点を見極めながら、青菜を放り込み、一瞬にして青菜に火を通す。さらに、上湯などのダシを注ぎ入れ、青菜にだしを煮含めて、素材の青菜の持ち味、風味を引き立てる。と、口でいうのは簡単ですが、油の沸点の見極め、しかも、青菜を放り入れ、一瞬、温度が下がる油の状態を見極めながら、青菜に火をとおす。その後にダシを煮含ませる作業がある。ということから、最初の炒め加減の按配も必要。行き過ぎると、こげちゃうし、温度が低いと、べたっとした油っこさが残る。
 ダシを入れるのは、味を引き立てるためじゃなくて、炒めすぎだったり、炒めた油の油っこさを洗い流す為、って思ってんじゃないの?というような、調理に出くわすこともあります。というか、日本の中国料理店の青菜の炒めものって、ほとんどがそんな感じで。そう思いませんか?
 ともあれ、青菜炒めは、青菜に火を通す油の種類、温度の見極めが肝心。火が入りすぎて、青菜の持ち味、風味を損なわないための、一瞬のワザ。それが、広東料理の炒めものの極意、「鑊氣」を生み出す。直訳すると「鍋の気」、ってことになります。
 油を媒介に、一瞬にして素材に火を通し、その持ち味、風味を引き出す。活気にあふれた味、風味を物語る表現です。ついでに、火の扱い、その調節、見極めを表現した言葉が「火路」。
 画像の「清炒豆苗」、有鑊氣、見事に活気にあふれ、素材の味、風味を引き出した一品でした。

2007/11/17

たまたま秋に食べた味(その2)


 これ、なんだと思います?油浸石頭魚。
 オニオコゼの唐揚げです。香港では石頭魚が好まれていますが、収穫量が少ないのか、稀少な魚ということで、店に石頭魚が入荷しているのを知れば、すぐさま注文する人が少なくない。
 一時、この石頭魚を常備し、各種の料理を看板にしていた海鮮料理店がありましたが、それ以外の料理は並。意表をついただけの料理がほとんどで、旨さも風味もいまいち、ということから、結局、その店には出かける気をなくし、試しませんでした。
 私が、食べたのは、魚の吟味で信用できる店でのことで、何回か食べたことがあります。稀少な素材らしく、入荷があると教えてくれるので、それを知ると即座に注文したものです。
 《清蒸》、つまりは蒸し物で食べるのもグッドなら、《椒鹽焗》、つまりは、塩、胡椒味の炒め蒸しもグッド。それに《油浸》の唐揚げがなかなか。根魚独特の泥臭さがありますが、その身、白身で、唇に触れ、舌を撫でる感じの柔らかさ、それでいて肉質は緻密。この種の根魚、シュワシュワの触感を特徴としていますが、それよりも身が締まってして、ホロリ、ハラリと身が崩れる感じ。ということでは、石斑の肉質に似ているかも。
 日本でも、オニオコゼ、ということで、収穫があるらしいのですが、場所が限られ、旬は夏、ってことらしい。
 実は香港の石頭魚は、ダルマオニオコゼ、だったか、まるでダルマのようなぼってりの感じ。日本のそれは、一応、魚に似て細長の感じ。肉質も、香港のものよりも緻密な感じ。
 久しぶりのオニオコゼとの再会。香港のそれとは肉質、味、風味は異なりましたが、再会にめちゃくちゃ感激!旨かった。稀少な魚ですから、それだけでも、盛り上がっちゃいます。
 そんなオニオコゼに出会って、感激の秋の一夜でした。

2007/11/16

たまたま秋に食べた味(その1)


なんだと思います?はぜ/沙魚です。はぜを使った酥炸沙魚。
 香港には九肚魚ってのがある。和名はテナガミズテング、だったはず。小ぶりの白身魚で、根魚独特の泥臭さがある。ということから、汽水域に生息、なのかもと思います。
 香港では潮州料理、それに、伝統的な順徳料理を看板にする店で、各種の料理があります。

 その九肚魚 日本にはないんで、似た魚はないだろうか。ということで、思い当たったのが、ハゼ。

 メゴチやキスの白身の肉、風味の感触もそれに近いが、もっと、身がシュワシュワとしていて、とろけるように柔らかい。生のメヒカリやゲロゲンゲなんか、近い線かな。

 ともあれ、ハゼを広東地方の海鮮料理風に、というのが、この一品。
 パリッとした揚がり具合で、サクっとした歯触り、噛み応え。が、身はシュワシュワ。
根魚独特の風味、味わいもグッドです。
 ってことは、このはぜ、冬菜などの漬物と一緒に蒸す、なんてのもいけるんじゃないか、っと思いました。
 次回、注文して、試してみます。

2007/11/15

秋の味(その7)


 やっぱり「秋の味」っていうと、これ、ですか?
毎年、この季節、この蟹が気になる。とはいっても、ワケアリで、しばらく遠ざかってましたが、誘われてついつい。もちろん、雄です。やっぱ上海蟹はこんぐらいの大きさじゃないと、食べた気がしない。茹で上がった上海蟹、褌を外して、カッパと腹を開き、ガニをとり、足をバキっとはずして、身をガキっと半分に割り、ミソにくらいつきました。旨かった。

2007/11/12

秋の味(その6)


この季節、冬に向かってまっしぐら。ということで、見逃せないが、生炒糯米飯。蝦米(干し蝦)、瑶柱(干し貝柱)などの乾貨素材に、、臘腸(腸詰)などを加えて具にした糯米の炒飯です。
 パラパラの糯米。その一粒、一粒が、モチモチの触感。そう、まるでお餅を食べてるみたい。(もち)米の一粒が「まるでお餅」!という寸法、です。
 作り方は、糯米を一晩水に浸し、水気を切って蒸します。だいたい20分ぐらい、ですかね。
 蒸しあがって、いい感じ、になったら、蒸し器から取り出し、水洗いして、糯米の粘り気をとってしまう。
 それから具材を用意。蝦米(干し蝦)、瑤柱(干し貝柱)はぬるま湯か水にひたして戻しておく。瑶柱は蒸して戻すと、さらなる美味と芳香が得られますから。
 そこに、私はスルメのもどしたのや、干し椎茸を戻したものも使います。それに、臘腸(腸詰)、あれば、潤腸(家鴨の血入りの肝臓の腸詰)。いずれも、きっちり丁寧にみじん切り。乱雑に切っちゃうと触感のよさをなくすのと、味がバラバラになる要因にもなりますから。
 そこで、葱頭(ベルギー・エシャロットがいいです)をみじん切りにし、落花生油で炒める。サラダ油は合成油がほとんどで、ケミカルな加工をほどこしたものもあり、また、沸点が低めで安定しない。ということから、油こく、べたつきやすい。ということでは純正の植物がベスト。
 そこに具材を混ぜ併せ、炒める。花彫酒で風味づけなども!炒めたら、別鍋か別皿かとる。
 そして、蒸して、水洗いして、水気を切った糯米を、落花生油で炒め、具材を併せ、さらに炒める。
 そこの上質のダシ(固形や顆粒の中華だしはダメです!入れないほうがいいぐらい)を適宜入れ、炒めて水気を飛ばす。で、出来上がりというわけです。
 糯米ですから、結構、腹持ちがよくって、少々でもお腹一杯。なのに、さらに食べたくなります。
 この季節ならではの糯米の炒飯です。

2007/11/11

秋の味(その6)




















 荔芋(タロ芋)を素材にした料理には、こんなのもある。これは「梅子荔芋排骨粉絲煲」
タロ芋とスペアリブ、春雨の梅子醤風味の炒め煮込み。みかけ、こってり濃厚味のようでいて、実はすっきり、さっぱり。というのも、梅子醤の酸味、それに、スペアリブって火を通すと脂がおっこちて、豚肉の旨味がしっかり味わえますから。美味です。それに実に香りが豊かです。

2007/11/10

秋の味(その5)



これは蓮藕餅。擂り潰した蓮根にひき肉を混ぜあわせ、煎り焼にした料理です。広東地方の家常菜、お惣菜の一種で、通年、食べますが、この時期、気候の変わり目に風邪を引くなどした時の解熱など、蓮根の薬効を活用します。あくまで蓮根が主体ですが、豚のひき肉だけでなく、淡水魚の綾魚、あるいは白身の魚、それに蝦米(干し蝦)などの乾貨素材を使うなど、具の組み合わせ、種類は豊富。おまけに、しっかり噛み応えのある硬い作りのもの、反対に柔らかいものなどもあります。しゃきしゃき、しゃりしゃりの蓮根の歯触り、触感が特徴です。

2007/11/09

秋の味(その4)


前出と同じく栗子炆鶏、栗と鶏肉の煮込み。季節料理、秋の味です。が、前出の料理と調理、味付けは同じですが、素材が違います。そうです、これは兵庫県の丹波産の栗(2L)を使ったもの。同じ料理でも、素材の産地、持ち味が違うと、出来栄えも印象も変わるもんなんだ、ということを改めて納得。詳細は後日!

2007/11/06

秋の味(その3)


またまた画像だけ、先にアップします。料理は栗子炆鶏、栗と鶏肉(龍崗鶏)の煮込み。私の大好きな広東料理の秋の味の一品です。澱粉質がとろけ出す栗。ですが、栗そのものの味は、ほくほくとしていて、しかも、噛み締めると、栗の風味が際立つ、という一品。ちなみにこのときの栗は、東松山の農業、加藤紀行さんのもの。ほかに、かの!丹波栗を使った同じ料理も味わいました。

2007/11/04

秋の味(その2)



とりあえず、画像だけ先にアップです。料理は京芋、唐芋の小芋と皮付きばら肉の南乳風味煮込みです。

2007/11/02

秋の味(その1)


わお!
2ヶ月もほったらかしで、すんません
と言うわけで、秋の味
なんていいながら、とりあえず、画像だけアップ
料理は鮑汁乳鴿醸生翅
鳩のふかひれ詰め、鮑汁煮込み
リッチ、ゴージャス、エレガント&ディープな一品でした
ちなみにこの料理、香港で食べた!
とおっしゃる方がいらっしゃるでしょうが、日本初デビューのはず、なんですが、、、、


2007/09/03

香港の料理店事情、あれこれ②


 高校卒業後、料理人として歩むべく廚藝學院の全日制コースで学び、現在は、四川料理店に勤める李文金さん。現在のポジションは、四鑊、つまりは、炒めものなどを担当する鍋ふりの4番手。
 VTRでは割愛されてたかもしれませんが、店の総料理長の話では「まだ、ちゃんとした料理は作れないので、今は炒飯などを担当」なんだそうです。 話としては、まだ調理、調味ができないので、店の看板の料理は作ってないってことなんでしょう。

 それにしても、四番手でもっぱら「炒飯担当」と言う話が面白い。いや、実は中国料理の厨房では、よくある話、よく聞く話。
 たとえば、dancyuの取材で赤坂璃宮の譚総料理長を取材した際「炒飯?おれなんかが作るより、3番鍋のやつのほうが上手いよ。だって、一日中、炒飯作ってるんだし、たまにびっくりするぐらい旨い炒飯を作るから!」、と。

 ところで、意外に知られていないのが、中国料理における厨房事情、その組織、職能分布のようです。ちょうど1年前、dancyu誌10月号で「香り立つ旨い中華は、「板」と「鍋」で成り立っている」でその一部を紹介しました。

 中国料理といえば、燃え上がる炎に鍋をかざし、油を注ぎ入れ、素材を放り込み、一気呵成に調味、調理、というイメージ、誰もが持ってます。火と油が織り成す一瞬の技の妙、なんてのもよく語られる話。TVで中国料理を特集するとなると、必ず目にする場面です。

 ですが、鍋を振る職人がその技を発揮するには、それなりの周到な準備が必要。
 つまり、中国料理の「炒」など、油脂を媒介にして、瞬時に調理、調味する料理です。それ以外に「蒸」、煮込み物の「炆」などありますが、その際も、素材の下拵えは重要な仕事です。
 ということでその役割を担うのが「板」、香港で言えば「砧板」です。

 今回のNHK-BSの「アジアクロスロード」での打ち合わせの際、

「香港の料理人事情ってことですが、海外への流失や、料理人のヘッドハンティング事情もそうですけど、厨房事情などについてはあまり知られてないんですが、それを紹介しなくていいんですか?」と私。

「というのも、中国料理では、鍋をふる料理人ばかり注目されますけど、そのための準備をする「板」というか、包丁仕事に専念する人、部門があって、実はその存在なしに「鍋」をふる人間も技量を発揮できないことがあるんですが」、とさらに私。

「エ!?、料理の下拵え?包丁仕事は、下っ端、新入りの仕事だって、聞きましたが」

「ン!? (と、一瞬の沈黙。をいをい!と言いたいのをこらえて、冷静に、丁重に)なこと、ありえないんですが」と続けて私。

「通訳の人がそういっていました!」と、きっぱり!
 後日、担当氏の再調査の結果、通訳の勝手な解釈による返答と判明。
 ま、食の分野での取材で通訳を介して料理人に質問しても、通訳が充分な知識を持っているというのは実に稀なことですから、その返事もたいていは、自分で勝手に解釈したり、自分の知ってる範囲の答えを返してくる、というのはよくあることです。特に香港、中国本土では。

 ともあれ、そんなやりとりから、ここ10年の香港の食事情を探る、という話は縮小され、香港における料理店、ことに広東料理店における一般的な職能分布を紹介、と相成ったわけです。

 なにしろ「麻婆豆腐に北京ダックというのが、TVをご覧の視聴者にとっては一般的な中華料理に対する認識ですから、その本場の料理が香港で食べられるってことを入り口に番組を始めたいんですけど」、と、なんだかトンチンカン!最初はそんな具合だったんですが、急転直下、いきなりの超マニアック、専門的展開になったのに、私自身、「エ!?」とばかり、驚きました。

「いや、ほとんどの方、そういう料理店の厨房事情、ご存知ないですし、それを紹介しましょう。みんなきっと驚きます、おもしろい話ですから!」と、担当氏。
 ま、確かにそうですが・・・・そうか、ニュース番組だし、知識欲も旺盛で、ということで納得。

 そんなことから番組で紹介したのが、以下のような香港の広東料理店における一般的な組織図、職能分布図です。

○炒鑊(埋便) 炒め物、煮込み物などの調理を担当 トップに位置するのは頭炒鑊(もしくは頭鑊)で、以下、二鑊、三鑊から尾鑊へと続く

○砧板(開便) 素材の用意、包丁による加工、素材の配合など、調理のための下拵えを担当。頭砧板、もしくは 頭砧を筆頭に、以下、二砧、三砧から尾砧へと続く。 なお、頭砧は、素材の仕入れなど、厨房での管理業務を担うこともある

○打荷  炒鑊と砧板、厨房とホールの橋渡し役を担当。 サービスから受け取った客からの注文をもとに、砧板に素配合、下拵えを伝え、炒鑊に渡すなど、厨房の司令塔にあたる。客に出す料理の調理、配菜の順番を決める役割も担う

○上什 蒸し物、土鍋煮込み担当。 干し鮑など、乾燥海鮮素材の戻し、また、調理の下拵えも担当する
○水台 海鮮の魚介の下拵えなどを担当。 干し鮑など、乾燥海鮮素材の戻しを担当することもある
以上が、いわば調理部門の主要な職能分担
さらに
○点心 飲茶の点心作りを担当 点心の料理長を筆頭に、以下の職能区分がある

  ○按板 各種の餡入りの点心作りを担当

  ○撈咸 点心の餡の下拵えを担当

  ○熟籠 点心の蒸し物の調理を担当

  ○煎炸-点心の煎り焼、揚げ物などを担当

○燒味 仔豚、家鴨、鵞鳥などの丸焼き、叉焼などの焼き物や、たれ仕込みによる鶏料理などを担当

といったような次第です。


あ、画像は本文とは関係なし、夏の郷土料理の一品、ということで、欖仁涼瓜炒蛋白蝦仁

2007/09/01

香港の料理店事情、あれこれ①

 この22日、NHK-BS1の夕方のニュース番組「アジアンクロスロード」に駆り出されました。
 現地在住の特派員、それに番組スタッフが取材した「アジア街角レポート」というコーナーがあって、そのゲスト・スピーカーの役目を仰せつかったもの。

 今回は香港の食事情、香港の料理人事情を探るというテーマ。「香港の飲食業界のこの10年の変化」ということで、特に97年の中国への回帰前後から目立って多くなった香港の料理人の海外流失、その現状を探るってことがそもそものきっかけだったようです。で、今回は、香港政府が後ろ盾になって開校した調理人育成の為の中華廚藝學院で学んでいる学生にスポットを当てたVTRを紹介。そして私が香港の料理人事情を紹介、というものでした。

 VTRでクローズアップされたのは李文金さん(23歳)。潮州の生まれ、育ちで、両親は彼と妹を潮州に残して先に香港に出稼ぎに。16歳の時、両親のいる香港へ移住。香港では高校に通いながら飲食店でアルバイト。その勤め先が四川料理店だったことから四川料理に興味を持ったとか。
 高校卒業後、厨藝學院の全日クラスで学び、卒業後、新派四川を看板にする「亮明居」に勤務しながら、現在も週一回、現役シェフ対象のクラスを受講中。将来ファイブ・スター・ランクのホテルのレストランのシェフになるのが夢、だそうです。

 そんな話を耳にしただけでも色々と興味をそそられる。話題に事欠かないテーマです。

 まず、香港における調理師専門学校の存在。
 香港の食に興味を持って入手した飲食関係の専門誌にその紹介や広告が掲載されていたことからその存在を知りましたが、地元の知人たちにその存在意義、認識を尋ねても、一般人にはむろん無縁な存在。料理人志望なら調理師学校に通うより、料理店で職を見つけて技術を覚えるんじゃないかな、ってことでした。
 とはいえ、料理人を目指し、料理店に就職したとしても、下働きからというのは日本の料理店での料理人修行とほぼ同じ。日本と少しばかり違うのは、よほどの小規模の店でもない限り皿洗いをはじめとする雑用係が存在することもあって、下働きはあくまで料理に関わることに限られるようです。

 私が香港に通い始めた80年代、香港の住民の中には97年の中国への回帰、返還を控え、海外への移民を真剣に考え、最大の関心事となっていたものです。
 海外への移民にはいくつかの方法があり、移民の手段や海外の国々のパスポートの入手方法を模索。そのひとつに特殊な技能、手に職を持った人を対称とした資格移民というのがありました。投資移民になるだけの資金力が無い人はその手段に頼るしかなかった。それには料理人も含まれていたそうで、技術を取得するには時間のかかる料理店への就職より、料理の心得があれば短期間に資格を得られることから、当時、にわかに注目されたのが料理人としての資格を得られる調理師養成の専門学校の存在。もっとも、料理学校の認定書がどれほどの効力を持っていたのか定かではありません。  

 実際、香港の中国への回帰、返還の時期、料理人の海外への流失が話題になったことがあります。もっとも、その後、海外に流失、とされた料理人が香港に戻るというようなこともあった。さらに、時を経て、中国本土で香港式の料理、ことに海鮮料理が話題を集めるようになって以来、香港の料理人が中国本土に進出。といった事情から、ここ最近香港の料理人の流失が再び話題になりつつある。それについては、また改めて触れたいと思います。

 それにしても、VTRで紹介された李文金さん、潮州出身なのに、バイト先が四川料理の店だったことから四川料理に関心を持ったというのが面白い。
 というのも、日本で四川料理といえば、中国料理のひとつという認識が大半でしょう。ところが、潮州を含めた広東人にとって四川料理は、遥か遠い北の国の外国料理、というのが一般的な認識だからです。
 それは、日本における関東、あるいは関西と、北海道、沖縄といった地域差、差異、存在認識などとは異なるものです。例えれば、日本と東南アジア各国との隔たり、つまりは和食とタイ料理の間の差異を思い浮かべてもらうのが格好かもしれません。

 そうした中国の地方料理に対する認識は、香港のフードガイドにおけるカテゴリー分類からも明らかです。中国料理としてまとめられることはなく、地元の代表的な料理である広東を筆頭に、上海、北京、四川など、地方の主要な料理ごとに区分されているのが実情です。
 それに、同じ広東省でも、潮州料理は広東料理とは別個に紹介されているのが一般的。また、上海料理の源流のひとつである杭州料理店なども上海料理とは別個に紹介されているが普通です。
 次いで、日本、韓国などを筆頭にアジア各国の料理店、さらに、フレンチ、イタリアン、といった按配です。

2007/08/27

不時不食、素材がすべての中国料理、その④



「加茂茄子」は収穫の端境期だったために呉さんは試食、賞味できず。その代わり、運よく呉さんの手元に届けることができたのが「はぐら瓜」。

 7月7日に紹介した加藤さんの「夏野菜」の画像の中央、「青茄子」と「加茂茄子」にはさまれて横に寝そべっているのが「はぐら瓜」。

 ネットでいろいろ検索してみましたが、どうやら白瓜の一種。ところが、加藤さんのはネットで見つけた白瓜、はぐら瓜をうんと生育させたもの。最低でも25センチ、時には30センチ程の大きさ。

 薄緑の皮をむき、中の種をとってかぶりつくと、水気あり。なのに、噛み締めると水っぽくなく、清廉で無垢な青い甘味がある。

 小ぶりの白瓜なら、子供の頃、さかんに食べたものですが、それよりもでかい。なのに、果肉が甘く、噛み締めるとジューシー。生のまま、なんもつけずにポリポリ食べちゃいました。

 なんでも、もともとは収穫してお漬物に、というのが伝来の調理方法で、ネットで調べると「はぐら瓜」を使った漬物はわんさか出てきます。そういえば、奈良漬にも使われるらしい。
 そんなことを知って塩を振り、一晩寝かせて、浅漬けにしました。甘さと清涼感があって、なおかつ旨味がうんと引き締まった感じだ。さらに、冬瓜同様、和風、中国料理風、いろいろ試してみましたが、火を通すと、何といってもつるんと滑らかな触感が堪らない。

 この「はぐら瓜」こそ、広東料理の手法で、いろいろ調理できるのではないか!との狙いもあって、呉さんにそれを依頼しました。
 私の狙いは、冬瓜の早生の「節瓜」に似ている様子なので、「節瓜」の料理の数々は?と、呉さんに提案、というか、願い出た次第。ただ、果肉の肉質は「節瓜」に似ていても「はぐら瓜」の味、風味は「節瓜」に比べ、青臭さはともかく、甘い。そこが工夫のしどころかも。

 はたせるかな、呉さんが用意してくれたのは「勝瓜雲耳炒圍蝦」の「勝瓜」を「はぐら瓜」に置き換えた「白瓜雲耳炒圍蝦」。はぐら瓜、きくらげと蝦の炒め物、です。

 それが実に素晴らしかった。ことに「はぐら瓜」が素晴らしかった。
 火を通した5ミリほどの薄さのはぐら瓜は、半透明の薄緑。つるんと滑らかで、まるでビロードのような歯触り、舌触り。その質感、洋梨のスライスをバターでソテーした時の感じにも似ている。が、それよりも粘着的な歯触り、弾力があって、噛み応えもある。
 しかも、噛み締めれば、フルーティーな青い酸味、潤いのある自然な甘さが、じんわりと浮かび上がる。繊細で、きめ細かで、気品のある甘味、旨味が頭をもたげ、清涼感あふれる香りが口中に漂う。おまけに、しなやかで力強い。
 加藤さんの「はぐら瓜」も凄い。その持ち味を最大限に引き出した呉さんの手腕も素晴らしい。

 「白瓜雲耳炒圍蝦」は、今年食べた料理の中で、だんとつの旨さ、風味でした。
 先にもふれてきた「茄子炆紅斑」、さらには「梅辣青茄子粉絲煲」の加藤さんの「青茄子」の美味もさることながら、それを超えてました。
 
 その「はぐら瓜」、収穫期は7月半ばから8月半ばにかけて。9月前、名残りの最後の収穫があるかもしれない、とのこと。なんとかゲットしたいと願ってます。

 画像は「白瓜雲耳炒圍蝦」。その美味と再び出会うには、来年まで待つしかない。
 いや、加藤さんの野菜は、毎年、味、風味が微妙に異なります。
 そう、加藤さんの野菜だけに限らず、野菜も生き物。その年の天候に左右されますから。
 ということでは、今回の「白瓜雲耳炒圍蝦」は、まさに一期一会の味、風味。
 その美味、風味、旨さ、一生忘れません。

不時不食、素材がすべての中国料理、その③


 加藤さんの「青茄子」を、揚げたはたと煮込んだ「茄子炆紅斑」は、ほろり、はらりと身が崩れる紅はたとは対照的に、青茄子はだしをしっかり吸い込みながら、煮崩れず、しっとりとした舌触りと優しい歯応え。そんな両者の触感の対比が面白い。

 さらに「青茄子」は、だしを含みながら、フルーティーな酸味、甘味があって、持ち味、個性をしっかりと主張。

紅はた、青茄子のだしを含んだ甘味、旨味に加えて、隠し味の「陳皮」のほろ苦さと醗酵味がこくを生み出す。そんな重層的構造による、旨さ、風味こそが味わいどころ。しかも、優しくて気品があり、穏やかで軽く洗練された福臨門ならではの味、豊かな風味が特徴です。

 調理を担当したのは張漢華料理長。めりはりの利いた明解な味付け、ぎりぎりの塩加減、張りのある味わいは、張さんの個性、そのままを物語る。同時に、料理方法、味付け、風味など、香港島の福臨門ならではの手法、持ち味、スタイルを踏襲したものだったこともわかります。

 一方の「梅辣青茄子粉絲煲」。
 青茄子、豚ひき肉を炒め合わせ、春雨を加え、梅子醬、豆板醬で調味し、二湯を足して煮含めたもの。だしの旨さを含みながら、「青茄子」そのものの旨さ、しっとりした触感など、青茄子の持ち味、特性が際立った一品です。 何よりも青茄子の旨さ、風味、と同時、力強さ、しなやかを感じます。

 みかけは無骨でも、根は頑丈。大地の恵みの味、風味がする加藤さんの野菜の特徴、持ち味をそのままに物語る収穫物のひとつ、ですから。

 調理したのは総料理長の呉さん。優しくて、気品があって奥床しく、洗練された味、風味は、呉さんの人柄がそのまま滲み出たもの。

 さて、今回、呉さんに加藤さんの野菜の調理をお願いしたものの、「加茂茄子」だけは収穫の端境期だったことから、呉さんは味わえず。
 そんなこともあって、呉さんの調理した「加茂茄子」の料理が味わえなかったのは残念。その代わりに
と、徐さんが加藤さんの「加茂茄子」の緻密な肉質、スムーズな歯触り、舌触りから思いついたという「金銀蒜蒸茄子」を、「真黒茄子」で。

 茄子を柔らかくなるまで蒸し、揚げたニンニクのスライス、みじん切りを載せ、醬油、熱した油をかけて仕上た一品。小口切りの葱がのっけられてます。

 冷の性質を持った茄子に熱の性質をもった生姜を組み合わせる、というのは、和食にもあるごく自然で、あたり前の組み合わせ。冷と熱のバランスを考慮したもの。その生姜をニンニクに置き換え、醬油味のだし、熱した油を一気にかけまわす。その最後の仕上げの際の「ジャ~!」って音が、思い浮かぶような一品です。
 酒のつまみ、惣菜としても格好です。ご飯の上にのっけて、かっこみたくなる。
 熱いだしを注いで、上湯茶漬け仕立てというのも、ありかもですね。

 ですが、正直に感想を述べれば、「加茂茄子」の肉質の緻密さ、甘さ、風味があってこその一品らしく、「真黒茄子」では、醬油ベースのだし、かける油の加減、按配が難しい、というのが現実。
 そう、少しばかり、醬油と油の分量が茄子に対して多すぎ、私には、味が濃かった。
 けど、若い人なら、また、この濃い味こそが、受けるかも。 なんせ、私は塩分控えめ、薄味好みの少数派(オヤヂ)、ですから!

 それより、驚いたのが「青瓜炒滑牛肉」の、四葉胡瓜の旨さ、呉さんの調理の技。
 四葉胡瓜は、もともとは華北産のものだとか。前出、加藤さんの夏野菜の項目で、それが見られますが、その色は深緑。白い棘が噴き出していて、かなり胴長。

 日頃親しんだ浅緑で表面がつるんとした胡瓜とは、見かけがまるで異なる。 水気が少なく、果肉は頑丈で、バリ、ボリっといったしっかりした噛み応え。ほろ苦さ、甘さがあって、何よりも瑞々しさがほとばしる。
 かなりの長期保存も可能で、その瑞々しさを保ち続ける根性の座った胡瓜です。

 その見かけは、香港の市場で見かける2種ある糸瓜(へちま)のうち、深緑色で、線状の突起のある細長い勝瓜/絲瓜に似ています。が、勝瓜/絲瓜に比べると、ほろ苦さと甘味、爽やかさ、それに旨味がある。味、風味が異なります。 
 
 もっとも、四葉胡瓜、もしかして、広東地方の郷土料理、それもお惣菜としてふんだんに使われる勝瓜/絲瓜の各種の料理に置き換えられるのでは?
 というのは、加藤さんの四葉胡瓜を入手した何年も前から狙っていたこと。そういえば、酢豚に胡瓜ってありますよね!あれも試しましたが、それもなかなかのもんで、油との相性もぴたりです。

 ともあれ、徐さんが教えてくれたメニューに、勝瓜/絲瓜を四葉胡瓜に置き換えた「洋蔥青瓜木耳炒圍蝦」というのがあって、私の着眼は間違いなし、思わずほくそ笑んだものです。
 ところが、加藤さんの「四葉胡瓜」を手にし、味見した呉さんが用意してくれたのは「青瓜炒滑牛肉」。米沢牛のフィレ肉との炒めものです。

 「四葉胡瓜」を5~6ミリ程にスライス。それを油泡、油通ししたものですが、油で火を入れてあるにもかかわらず、「四葉胡瓜」のフレッシュな味、風味。バリ、ボリ、ではなく、パリ、サクの噛み応え。

 で、噛み締めると「四葉胡瓜」のほろ苦さ、甘味、旨味、風味、清涼感が、見事に浮かびあがる!
 素材の持ち味、風味を生かした、抜群の調理、その見事な技に、ぐうの音もでず。

 新鮮な「四葉胡瓜」のバリ、ボリの歯応えのある瑞々しい旨さもさることながら、素材に火を一瞬、通しただけで、その新鮮さはもとより、「四葉胡瓜」の持ち味、旨味、風味を見事に凝縮した「四葉胡瓜」の旨さ、風味。そして、呉さんの技の凄さに、参りました!

2007/08/26

不時不食、素材がすべての中国料理、その②


 広東料理だけに限らず、中国料理はそもそもは素材ありきなのだってことを改めて認識させられる出来事がありました。
 そもそのも発端は以前、ここで紹介した過日の斎木さんとのファミリー・ディナー、夏の広東地方の郷土料理のパート①でのこと。

 私の提案で「豉汁涼瓜炆紅斑」をメニューに組み込んだところ、それを知った福臨門の徐さんから「涼瓜もいいけど、揚げた魚の煮込と茄子の料理もいいもんだよ!」との話が伝わってきた。その話に俄然興味を持って、なんとしてでもそれを実現したかった。

 そして、茄子といえば「夏野菜」で紹介した埼玉県東松山で農業を営む加藤紀行さんの茄子三種の「真黒茄子」、「加茂茄子」、「青茄子」。

 ことに「青茄子」は、フルーティな酸味、甘味があり、なおかつ、繊細で緻密な肉質ながら、煮崩れない頑丈さがある。それは私自身、他の料理でもいろいろ試し済み。加藤さんの「青茄子」なら間違いないく揚げた紅はたの煮込みの「紅炆紅斑」にはうってつけなのに違いない。
 ということで、青木氏との夏の広東地方の郷土料理のパート②で、それを実現。これがなんとも美味でした。
 あわせて、大阪の福臨門が場所を移し、そのオーニングの為に日本にやってきた徐維均さんが、東京に立ち寄って香港に帰る、という話を聞きつけ、徐さんに加藤さんの夏野菜をプレゼント。加藤さんの茄子、それに夏野菜の数々を試食してもらい、その印象を尋ね、また、広東料理の手法で、どんな料理が可能かを伺うことにした次第。

 はたせるかな徐さんは加藤さんの夏野菜の数々を絶賛し、その出来栄え、美味、風味の豊かさを高く評価。
 中でも徐さんが注目したのは「加茂茄子」。舌触りがスムースで、緻密な果肉、芳醇な味わい、甘さがある、とのこと。それに「青茄子」は、果肉の繊細でフルーティでありながら、煮込んでも煮崩れせず、ダシなどの旨味をしっかり吸い込みながら、青茄子本来の持ち味を失わない力強さ、しなやかな個性があるのに驚いた、ってことでした。

 茄子3種以外にも、、四葉胡瓜、万願寺唐辛子、日光青唐辛子を試食し、広東料理の伝統、手法に倣ってどんな料理方法があるか、即座にその数々を挙げ、教えてくれました。
以下がその料理の数々です
まずは茄子3種
涼拌茄子、茄子の蒸し物、ごまたれ風味

金銀蒜蒸茄子、茄子の蒸し物、揚げた薄切りにんにく、醬油たれ風味

咸魚雞粒茄子豆腐煲、塩漬け醗酵魚、賽の目切りの鶏肉、茄子の炒め煮込み

梅辣茄子煲、茄子の炒め煮込み、梅子醬、豆板醬風味

煎釀茄子 豚挽き肉はさみの茄子の煎り焼海味粉絲煲 野菜と春雨の炒め煮込み

茄子炆紅斑 茄子と揚げ魚の煮込み
四葉胡瓜については
洋蔥青瓜木耳炒圍蝦、胡瓜、たまねぎ、きくらげと海老炒め
万願寺唐辛子、青唐辛子については
新鮮な魚介(海老、貝柱、伊勢海老)もしくは鶏肉、牛肉とともに、豉椒、つまりは、醗酵黒大豆を使った豉汁風味で炒める

 たとえば、茄子。中国料理で茄子を使った料理といえば、即座に思い浮かべるのが麻婆茄子。
 それに、茄子は油との相性がいいし、たっぷりの油で下拵えしたあとに、干海老や咸魚で風味をつけて、炒めて仕上る。それとも、中華風味のタレ、あんかけにする。

 加茂茄子などは、しっかり油で揚げてから、和食の田楽風、あるいは、揚げ出し風にして中華風の味で仕上る、ってのが日本の中華料理、中国料理における茄子の料理方法ではないかと思います。
 そう、中華、中国料理の茄子の調理方法、様式は、あらかじめ決まっていて、それに即して調理。
 あるいは和の手法を取り入れてアレンジ。
 ところが、徐さんの教示してくれた広東料理の伝統、手法に倣った茄子の料理。まず、素材そのものの持ち味、特徴、性質を見極めてから、調理、調味をする、という料理のプロセスが明確に汲み取れる。
 まさに、目うろこ!
 そのことをつくづく思いしらされました。

 加藤さんの「真黒茄子」や「加茂茄子」の、果肉の繊細で芳醇な甘さを生かすには、揚げるよりも蒸す。持ち味、資質を損ねない最良の調理手段です。
 それに、「青茄子」。その緻密な肉質、フルーティーな風味、油で揚げてもへこたれない頑丈さがあって、だし、旨味を吸い取りながら、自己の味を主張ということから、煮込み料理が最適、という見極めがあってのこと。

 実は、四川料理には、茄子椒麻だったか、蒸した茄子に、花椒をふんだんに使って醬油などをあわせて作ったたれをかける料理があります。茄子を蒸すっていうのは他の地方でも惣菜的な料理に活用されることが多い。蒸して、冷やすってわけです。

 そういえば、日本だと焼茄子がある。焼いた茄子を冷水につけるか、冷まして、生姜仕立ての醬油たれで食べる。が、焼くとやはり、焦げの味がつく。それが、風味を増すのも事実だが、素材の生かし方が少しばかり、違ってくる。

 ともあれ、中国料理では、茄子は揚げるだけでなく、蒸して、いろいろ活用する。しかも、徐さんはそれぞれの茄子の持ち味、資質を見極めて、調理、調味を工夫、ということに感心しました。

 そう、まずは素材ありき、なのだと。
 なんて、いわれても、実際に食べてみないことには、って思いますよね?

 ということで、呉総料理長に御願いして、料理してもらった一品が、加藤さんの「青茄子」を使った「梅辣粉絲煲」。

 青茄子のぶつ切りを豚のひき肉と炒め、「梅子醬」という甘味もあるみそ、辛味のある豆板醬で調味し、戻した春雨を加えて、2番だしで炒め煮込みした煲仔料理。くたっとした茄子を噛み締めると、だしの旨味、だけでなく、青茄子のフルーティな風味、酸味、甘味が、じんわりにじみ出てくる。

  梅子醬の酸味、甘味、上品なこく、豆板醬のピリ辛の風味。加藤さんの「青茄子」の旨さ、その持ち味、風味を生かした呉総料理長の手になる「梅辣茄子粉絲煲」の穏やかで洗練された優しい味、風味に、うっとりとなったのであります

2007/08/14

不時不食、素材がすべての中国料理、その①

「日本で広東料理のフェアーをやるんで、招待されてるんだ」
なんて話、香港で知り合った著名な料理人、取材で訪れた店から聞かされたことが何度もあります。 日頃、香港で評判の腕、味、料理を日本で紹介できると大張り切り。

 そうした話を耳にする度
「お、いいじゃない、頑張って、香港の味を紹介してね」
と、口では言いながら、暗雲立ち込める思いに陥った。
というのも、はたして香港と同じような素材が日本で入手できるかどうか。
他人事ながら気になり、親しい料理人は日本での素材事情について説明もしました。

 ことに80年代後半から90年代はじめにかけて、広東料理のだし作りに欠かせない中華ハムの「火腿」の調達が日本では不可能だった。
なにせ、80年代には日本の中国料理の料理人がだし作りに「火腿」を使うってことはほとんどなかった。その証となる雑誌の記事もあります。

 その後「火腿」は、まずは台湾産、ついで本土産のものが日本でも入手出来るようになり、今では中国料理におけるだし作りの必須の材料のように語られています。
 その突破口になったのが、福臨門の日本への進出がきっかけだったのは明らかですが、日本の中国料理人はそれをなかなか認めたがらない。

 それより日本の中国料理界で「火腿」の使用が当たり前、一般化するようにはなったものの、その使い方、使用方法については、まだまだというのが現状です。
 が、それについてはまたの機会に。

 ところで、日本から招待を受けた香港の料理人から
「これってどういうことなんだろ?」
と尋ねられた興味深いことがあります。
それは招待した側のコーディネイター、仲介らしき人物からの連絡で
「素材は日本で調達できます。ただ、広東料理に使う調味料は日本での調達は難しいことと思いますので、その手配、準備、どのようにすればよいのかお知らせください」
といった内容のもの。

「これってどういうこと?」
と、香港の料理人。なんて、私に質問されてもわかりません。
が、ふと、思いついたことがありました。
 ある時期、意欲に燃える若い料理人と知り合った際、四川料理店に勤める若い料理人から、
「広東料理って、調味料の組み合わせとその扱いが特別なんですよね。
あわせ調味料をあらかじめ作っておいて、仕上げにそれを使うんでしょ?」
との話に、私はン!? 
その話に疑問を覚えたのは、香港で取材した広東料理店で目撃してきた事情と大いに違ったからです。

 四川料理店で修行中だった若い料理人の話によれば、日本の四川、北京、上海では、それぞれに特有、独特の調味料の組み合わせがあって、それが各地方の料理を特徴づけている。
 ことに広東料理には広東料理独特の調味料があり、日本では入手不可能がものがほとんで、それがなければ広東料理たりえない、というような話でした。

 言われればなるほど、広東料理には独特、特有の調味料があるのは事実。 蝦醬や咸魚などがそう。他にも探せばいくらだってある。
 さらに、広東料理の一端を担う潮州料理では、広東料理の系列に属しながら、広東料理には使われない調味料の数々が存在する。潮州地方独特の漬物などもその最たるもの。

 が、先の若い料理人はそこまでの知識もなく、広東料理といえば、独特のあわせ調味を使って仕上るもの、という程度に認識しかないことも、その時に知りました。

 どうやら、香港の料理人を日本に招待するコーディネイター、仲介の役目を担った人も広東料理についてその若い料理人同様の知識しかなかったようです。
 それとも、日本に存在し、一般的に認知されている日本式の広東料理をもとに、先のようなことを香港の料理人に伝えたのかもしれない。
 そんなことについて触れた、つまり香港の料理人との仲介を買って出た経験のある人の体験談を記した著作を読んだ覚えもあります。

 そんな話を私に持ちかけた香港の料理人は
広東料理に特有な調味料の調達よりも、日本で入手できる素材を見なければ
調理方法も決められない。それにどんな調味料が必要なのかもわからない
というのが言い分で、なんで調味料のことを先に尋ねてくるのか
とまあ本末転倒とでもいいたげな口ぶりでした。

 つまり、日本に行って、素材を手にして見なければ、何も始まらない、と。
 その香港の料理人、日本に来てみて、香港で入手できる素材の質とは
まったく異なるのに愕然とし、どうやって処置しすべきかと、思い悩んだそうです。

 まず、文句なしに使えると思ったのは牛肉。
水牛系の硬い肉とはいわないでも、中国産の牛肉は貧弱で、へたすると輸入物に頼らざるをえない。そんな香港の牛肉事情からすれば、はるかに質が高くて、種類も豊富。

 ところが、料理の基本のだし作りに欠かせない鶏肉、さらに、豚肉の赤身などに関しては、味が無くって、香りがしない。
 仔細を尋ねれば、どうやら、水っぽくって味がしない。香りは皆無ということでした。

 「火腿」の調達以前の問題だ、とのことで、頭を抱えてしまったそうです。
それに、日本の中国料理では、鶏がらでだしを作る、というが一般的だと知って、驚いたとも。
 彼にとって、だしをとるには鶏を丸ごと一羽、というのはあたりまえだったのですから。

「なこと、ないよ。日本にだって良質の豚肉や地鶏だってあるから」
と、その料理人をけしかけ、いろいろ情報を伝えました。
もっとも、仕入れ値段の点で折り合わず、その入手は難しい、
ってきっぱり伝えられたり、
それ以前に、豚肉はともかく、生きた鶏を入手できない、ということに驚いた
ってことでした。

 鶏や豚肉だけでなく、野菜類なども、全体、水っぽくて、味がしない。香りがない。
 ともかく、調味料の調達以前に、優れた素材を入手出来ず、入手できる範囲の素材をいかに活用するか、頭を悩ませた、という話でした。

 そう、広東料理、だけに限らず、中国料理は、そもそもは素材ありきなのです。それからすべてが始まったってことを端的に物語る話、ではないかと思いました。

2007/08/11

夏の広東地方の郷土料理のパート②の④


 さて、鳩料理とともに当夜のメイン、ハイライトとなったのが「茄子炆紅斑」。この料理に決定するまでに、色々とわけがありました。
 過日の斎木さんとのファミリー・ディナー、夏の広東地方の郷土料理のパート①で、私の提案で「豉汁涼瓜炆紅斑」をメニューに組み込んだ。それを知った福臨門の徐さんから
「涼瓜もいいけど、茄子と一緒に料理するのもいいもんだよ!」
との話が伝わってきた。その話に俄然興味を持ったわたしは、なんとしてでもそれを実現したかった。
  ン!? そうだ!茄子といえば、「夏野菜」で紹介した埼玉県東松山で農業を営む加藤紀行さんの茄子三種「真黒茄子」、「加茂茄子」、「青茄子」だ! ことに「青茄子」は、フルーティな酸味、甘味があり、なおかつ、繊細で緻密な肉質ながら、煮崩れない頑丈さがある。
 実は、タイ、及び、インディアン・スタイルで茄子のカレーというのも旨いし、にんにく、赤唐辛子の香りをつけたオリーヴ・オイル、もしくは塩漬けの豚のあばらにく(なんちゃってパンチェッタ!)でソテーし、しんなりさせてから、アンチョビ・ペーストもしくは蝦醬で味、風味をつけて、チキン・スープ・ストックで煮込んで、パスタの具に、なんてのは試し済みで、いずれも大成功。
 なら、加藤さんの「青茄子」で「揚げ紅はたと茄子の煮込み」を!と、考えた次第。
 併せて、大阪の福臨門の移転新装開店の帰りに、徐さんが東京に立ち寄ると知って、徐さんに。加藤さんの茄子や野菜をプレゼントし、試食してもらおうとも思い立った。
 そして、登場したのが「茄子炆紅斑」。
 それにしても、どうやって茄子を調理?その味付けは?と、あれこれ想像。
 苦瓜の時のように醗酵黒大豆の「豆豉」をベースにした調味料の「豉汁」で?
 いや、どうもそうではないらしい。
 目の前に現れた「茄子炆紅斑」、表面には白髪葱、
 というには少々太めだが、葱の細切りがひと山たっぷり。
 
 その周りに「青茄子」が煮崩れないままにある。そして、紅はたの頭と尻尾。
 見かけからすると揚げた紅はたを煮込んだ「紅炆紅斑」を基本に、茄子を加え、葱の細切りをたっぷり。
 で、食べました。揚げた魚に、別途、炒めた野菜、今回は茄子が中心で、二番だしの「二湯」を加え、醬油、オイスター・ソースなどで味付けをしたもの。甘味が利いた、煮込み料理の特有の味付けだ。
 で、茄子を食べます。しんなり、くたっとした茄子は、だしを含んでいる。味付けと、茄子自体のもつ甘さが2重構造になっている。それに、ひりからの葱の細きり。
 ン!? と思ったのは、ほろ苦さが口内に!その、ほろ苦さ、直接的ではなく、まろかやさと、醗酵味のような酸味、旨味がある。
 なんと、蜜柑を干した「陳皮」でした。「陳皮」の苦さ、「涼瓜」つまりは「苦瓜」の苦さの代わりですね。
 ところが、「涼瓜」のような青くささがなく、旨味、こくを醸しだす雰囲気。そこに葱のひり辛、また、味付けと「茄子」の甘さが入り混じる。
 さらには、火を通せば、はらりと身がくずれる紅はたの、ゆる~くで滑らかで、柔らかな触感。ダシ、味を含んだ身の旨さも格別だ。そんな旨さ、風味、五味の重層構造と見事な一体化状態に
「こんなの、あり?」、
という以外に、旨さ、風味の素晴らしさを語れない。
「あり、ありです、現にここにあり、なんだから!」と。
 揚げた紅はたと、青い苦味のある「涼瓜」の組み合わせの、直球勝負の爽快な旨さ、風味。
 「涼瓜」が「青茄子」に代わると、茄子と紅はたの触感の変化、甘味、旨味、隠し味の「陳皮」の苦さ、こくがうみだす、重層的構造による、旨さ、風味。
 ほんとの話、紅はたもさることながら、「青茄子」の旨さ、紅はた以上に際立ってました。加藤さんの「青茄子」は、旨い。タフでがっしりしていて、旨くて、すごい。
 そして、締めくくりはレタスの細切りと塩漬け醗酵魚の「咸魚」の「生菜絲咸魚炒飯」。
 「鳩や肉などいろいろ食べたし、塩漬け魚の「咸魚」だけで」
 と青木さんのたってのリクエスト。
 「咸魚」の塩辛さもあって、レタスの細切りがふんだんに使われている。
 張さんの炒飯、火の勢いがあって、香りが豊か。まさに「鑊氣」があります。
 とはいえ「咸魚」がたっぷりで、レタスがあっても、少々塩辛かった。
 最後のデザート。これがなんと、冷たいキッズ・デザート、でも、温かいアダルト・ディザートでもなくて、青木さんご持参のソーテルヌ。
 甘美で濃密でフレイヴァー豊かなスュデュイローを味わいました。

夏の広東地方の郷土料理のパート②の③




 
 
 さて、いよいよ鳩料理の登場。
「鳩は香港で食べたことがあるけど、東京ではまだ。香港で食べてるのも、ほら、dancyuに載ってた「豉油皇乳鴿」。あんな風に煮込んだ鳩なんですけど」と青木さん。
「なるほど、なら、鶏もいいですけど、鳩ってことで!
フランス原種で日本で飼育した鳩が入手出来るようになったし。
香港の鳩とは肉質、肉の味が濃い。その比較ってのも面白いし。
それに総料理長の呉さんは、今、大阪で、料理するのは張さんなんですが、
張さんは揚げ物が得意だし、今回は「脆皮焼乳鴿」でどうですか?」、
とますます強引な私です。というのが、当日までのやりとり。
「これって、しっかり下拵えの塩味、利いてるんですね」と青木さん。
「あ、それならこのレモン・ソルトを適宜。それでも、濃く感じるなら、たっぷり。肉の味、風味自体、香港の鳩に比べて味が濃くて、濃密な感じがしませんか。
香港の鳩もいいけど、鳩の好きな私には、嬉しくてたまらない」と ワインを一口。
 私が用意したのはローヌのグラムノン。が、なんだか、「脆皮焼乳鴿」には少々軽い。
そして、鳩を食べましょうとの私の言葉にジビエというイメージが頭の中を駆け巡ったという青木さんが用意したのは、ラ・ミション=オ=ブリオン。
 しっかり、がっしりの血の気の多い濃厚な味、風味で「脆皮焼乳鴿」との相性が良い。
しかも、香港産よりも濃い血の味がする鳩にぴたりとはまり、塩味の利いた調理にもあっている。
 ついで登場したのが「榨菜蒸肉餅」。
 これは、揚げ物のあとで、料理の流れ、口の中の味を変えたいってことから
「何か、蒸し物を」
 というのが私のプラン。
 鶏肉と金華火腿の蓮の葉包み蒸しを思い浮かべたものの、ありきたりだし、日本では鶏肉を蛙の腿肉の田腿に代えることもできない。
 なら、張さんにおまかせ。ということで登場。
 叩き潰した豚肉の包丁技の見事さ、はらりと崩れる肉質。
それでいてジューシーで、しかも、上品な味付けだ。
 ポイントはやはり榨菜。僕の好みは、豚肉のきめ細かさとのバランス、肉餅の舌触りなどからすれば榨菜がも少し細かな微塵切りのほうが良い。
 それでも、榨菜の爽やかな酸味、醗酵味の旨さが光る。ことに酸味の爽やかさもあって、夏向けの味、料理、というのがよくわかる。
 そのあたりが、張さんの狙い目だったのは、明らかです。
 そして、「海味雑菜粉絲煲」。
 これは野菜料理を何か一品ということから。
 今の時期、夏野菜が旨い。当然、旬の野菜を考えました。
 ですが、塩味炒めの「清炒」では、なんだか味気がない。
 かといって、腐乳や蝦醬で味をつけて、となると、今度は野菜の種類が限られてくる。
 香港なら、芥菜の茎の芥胆を蟹肉のとろみあんかけの「蟹肉扒芥胆」ってことも可能だが、それはないものねだり。
 青菜の炒めものではなく、上湯で煮浸す「上湯浸」という料理方法もあるが、これまた野菜の種類が限定される。
 ということから思い立ったのは、野菜の炒め煮込みか具の中味、組み合わせに工夫を凝らした春雨の炒め煮込み。
 「温公斎煲」という野菜ばかりの精進の炒め煮込みという手もある。
 紅麹で漬け込んだ南乳を風味に使うこともある。
 だしを多目にして煮込み仕立てにすることもある。
 自分では決められずに、野菜入りの春雨炒め煮込みを張さんにリクエスト。
 そして登場してきたのが「海味雑菜粉絲煲」。
 広東白菜などの野菜に、えのき茸など茸類の炒め煮込み。
 しかもその味付け、なんと戻した干し貝柱の「瑶柱」。
 贅沢な五百野菜炒め煮込みになりました。
 「瑶柱」の旨味、風味、それに、醬油味ベースだが、オイスター・ソースの蠔油が隠し味に忍ばせてあって、甘味とこくが、ほんのり、じんわりと浮かび上がってくる、というのが見事なプロフェッショナルの技。
 「これ、おかず、惣菜なんでしょ?けど、ご飯のいらない上品なおかずだね!」とまたまた関心しきりの青木さんでした。
 画像は「榨菜蒸肉餅」と、「海味雑菜粉絲煲」。「脆皮焼乳鴿」は先に紹介済みなんで、今回はパスです。

2007/08/07

夏の広東地方の郷土料理のパート②の②

















 冬瓜を素材にしたスープが、大脷蓮藕鱆魚煲豬爭(蓮根、干したこ、豚肘肉、豚舌のスープ)へと変更。
 そうそう、豬爭、厳密には「筝」の左に「足」偏がつく。一般には「肘子」と呼ばれる部分で「前肘子」と「後肘子」があって、中国や香港、欧米では料理方法も異なる。 日本では後ろ足の腿肉の下部を「どんぶり」と称することもあるそうで。そう、アイスバインに使われる部分です。が、前足部分も後足部分も「脛肉」と称するのが日本では一般的、なんだそうです。

 話を戻して、蓮藕鱆魚煲豬爭。広東地方西南部、順徳地方の代表的な煲湯のひとつ。ということもあって一挙に盛り上がったのは、やがて登場してくる仔鳩の料理である「脆皮焼乳鴿」と、同じ地方で生まれた料理。もしかしてそれを考慮して用意してくれた煲湯ってことになりますから。
 胸がときめきました。

 そして、涼瓜炒帶子蝦球(貝柱、蝦、苦瓜、黒大豆みそ炒め)についで登場してきたのが、冬瓜火腩炆腐件(冬瓜、焼肉(皮付き豚あばら肉の焼き物)、板湯葉の煮込み)。

 これも夏の季節にはうってつけの料理。香港の夏、広東人にとっては欠かせないお惣菜。郷愁を覚える味、風味です。が、福臨門ですから、技がある。上品で洗練された味、風味。料理として完成された一品です。

 冬瓜の果肉そのものは無垢で淡白。それこそ清廉な味わいです。水分をたっぷり含有してることから、長期保存も可能で鮮度が落ちにくい。が、その分、調理にあたって、どれだけ果肉の水気を抜くかというのが、下拵えの重要なポイント。調理した後の果肉の透明感、滑らかな舌触りがないと、冬瓜を食べる意味がない。そう、 冬瓜そのものの下処理、下拵えが難しい。
 そのプロセスを経た後は、冬瓜にいかにだしを煮含めさせるか。
 ってことは、だしそのものの質が問われるわけです。それが旨さの決め手のひとつになる。
 が、その点は申し分なし。というよりも、完璧と言っていいほど。だしの旨さ、煮含めの按配が見事です。

 それに、この料理に欠かせない火腩です。皮付き豚のあばら肉の焼き物の「焼肉」。
 日本の福臨門の焼蝋、焼もものの技のすごさ、味、風味の旨さは格別です。
 かつての銀座店や二子玉川の高島屋でテイク・アウト。暖かいご飯にのっけて、たれを工夫し、焼蝋飯に。そして、表面はパリパリとクリスピー。脂身と肉がサンドイッチ状になった皮付きの豚ばら肉の焼肉は、豆腐と煮込み蝦醬で味をつけて煮込む「大馬站煲」には欠かせないものでした。



 冬瓜、焼肉の旨さもさることながら、目を見張ったのは生湯葉の揚げ物。生湯葉をミルフィーユ状に重ねて揚げたもの。最初はさくとした舌触り。噛み締めるとミルフィーユ状に重なった湯葉は、チュウイーな触感。と同時に、味付けされただしが口中にほとばしるという寸法。

 歯触り、舌触りの触感の快感だけでなく、ほとばしる味のついただしの旨さに
「何、これ!この旨さ!」
と漏らして、後は絶句。その余韻をしっかり味わいました。
 その下拵え、調理、味付けは、プロフェッショナルな技を見事に発揮したもの。


「あのう、これ、おかず、なんでしょ?普通なら、ご飯がほしくなるおかずでしょ?
なのに、ご飯なんかいらないし、ご飯と一緒に食べるのがもったいなくなるぐらい、旨いですね。
極上の、雲上の料理だ!
 こんなおかず、家で作れるわけないし、食べてる人間なんていっこないでしょ?」
と、福臨門製の「おかず、お惣菜」に感心しきりの青木さん。
「う~ん!」とうなりながら、しっかりたいらげてました!


私にとってもこの日のハイライトだった一品です。

2007/08/05

夏の広東地方の郷土料理のパート②の①




 
 
 
 
 
 思いがけず、夏の広東地方の郷土料理を食べる一夜が、再度実現。
 3年前だったか松任谷由実の香港公演を取材した際、知り合ったのがクリエイティヴ・プランナー、ディレクター&デザイナーの青木保夫さん。無類の広東料理好き、と私が勝手に決め付けてしまうのは、香港で食事をご一緒して以来、東京でお目にかかる機会があったのはいずれも広東料理店でのことばかり。そんなことが重ねれば単なる偶然とも思い難い。
 話を伺えば、基本は和食好き。ついで中国料理だそうだ。食事をご一緒しましょ、という話がようやく実現。
 仲を取り持ってくれたのは、香港で一緒だった元EMIで現BMGの藤原クン。かつて空手青年だった、なんていうといかついガタイでスポ刈りのガニ股男を思い浮かべそうだが、そんなイメージとは程遠い。波打つロマンス・グレー・ヘアーに銀縁眼鏡、という面持ち。そこはかとなくちょい悪おやぢ系の面影も、というやさ色男風、である。

「お店、メニューは小倉さんにまかせますから」とのことで、旬の素材を使った広東地方の家郷菜、家常菜を中心にしたコースに決定。ということなら福臨門以外、それに応えられる店は東京にはない。
 いくつか青木さんからのリクエストもあり、福臨門のスタッフにも相談して内容を任せたメニューも含め、当日並んだ料理は以下の通り。
①雲腿金銭鶏肝、中国ハムと鶏の肝、豚肉、豚背脂の重ね焼き
②老火湯(大脷蓮藕鱆魚煲豬爭)、蓮根、干したこ、豚肘肉、豚舌のスープ
③涼瓜炒帶子蝦球、貝柱、蝦、苦瓜の醗酵黒大豆みそ炒め
④冬瓜火腩炆腐件、冬瓜、焼肉(皮付き豚あばら肉の焼き物)、板湯葉の煮込み
⑤脆皮焼乳鴿、鳩の丸揚げ
⑥榨菜蒸肉餅、榨菜入りの豚のひき肉の蒸し物
⑦海味雑菜粉絲煲、干貝柱、するめいか、野菜と春雨炒め煮込み
⑧茄子炆紅斑、青茄子と揚げた紅はたの煮込み
⑨生菜絲咸魚炒飯 塩漬け醗酵魚とレタスの炒飯

 ①は、先に夏の広東地方の郷土料理、dancyuの8月号でも紹介してきたもの。青木さんのたってのリクエストです。
 それで、今回のコースのメイン(大菜)は鳩と紅はたの揚げ煮込みってことになる。
 人数が多く、本核的な宴会用のコースなら冬瓜盅を用意。それも八寶冬瓜盅ではなく、ふかひれ入りの魚翅冬瓜盅にすれば豪華な一番の大菜になる。ですが、いかんせんメンバーはわずか3人。冬瓜盅を食べ切れる人数ではない。ということから、冬瓜を使った湯(スープ)か、何か夏向けの煮込みスープの煲湯をリクエスト。
 実は、神戸に生まれ育った私は、ご飯に味噌汁というのが苦手です。というより、物心つく頃からご飯と一緒に食べるのはもっぱら澄まし仕立てのおつゆ、でした。赤出しを知ったのは、子供の頃の外食のハイライトのひとつだったとんかつを食べるようになって知ったぐらい。そのとんかつも、子供の頃はひれオンリー。ロース(とん)カツ旨さを知ったのは、東京に来てからのことでした。と、話が横道にそれました。
 ともあれ、香港には、私が子供の頃、ご飯と一緒に食べたおつゆに通じるものがある。
 例湯です。
 だしの素になるのは煎り焼きにした川魚の生魚、豚の赤身肉、脛肉。家鴨の新鮮な砂肝や干した砂肝などです。
 乾物を使うとしたら、せいぜい蝦米(干し蝦)ぐらいで、瑶柱(干し貝柱)は贅沢な高級品だから滅多には使わない。鶏肉も高価で贅沢だから使わない。家鴨肉を用いることもあるが、皮裏の脂肪分が味を濃厚にしてしまうこともあるから、湯などよりも煮込み料理に使われる。
 牛なら、脛肉かばら肉か腹身肉。ですが、牛肉には独特のクセと香り、というよりも特有の匂いと味があるから、牛関係の部位はそれだけで調理、というのが一般的。
 そこに新鮮な旬の野菜、青菜や根菜、さらに干した根菜などをふんだんに使い、棗や杏仁(杏仁豆腐になる中国アーモンド)や漢方素材などを適宜組み合わせて、とろ火で延々煮込む、というより、煮出し続ける。ですから「煲湯」というだけでなく「老火湯」とも言います。
 夏場には、冬瓜、早稲の冬瓜である節瓜を使った例湯が登場。そんなつもりもあって冬瓜を使った例湯だが、福臨門の張漢華料理長が用意してくれたのは、②の大脷蓮藕鱆魚煲豬爭。蓮根、干したこ、豚肘肉、豚舌のスープでした。
 蓮藕鱆魚煲豬爭は私の好物のひとつ。
 豚の肘肉、干したこが旨いだしを作り、そこに蓮根の甘味、香りが加味される。
 この煲湯には、赤い棗の紅棗、それに、隠し味に陳皮を加え、だし、ことに蓮根が生み出す甘味を引き立てるのがその特徴。自然で無理のない味、香り、風味があります。
 そこに、なんと豬脷が!
 というのははじめての体験。いや、サービスの人が言うには、牛舌ですってことだったし、見かけはその感じ。ところが、食べてみると、牛舌にしては脂肪分が多い感じだ。それに、基本のだしとの組み合わせから考えても、牛関係の肉、部位、内臓を加えると、クセのある特有の味、香りのせいでだしの味をそこねない、はず。
 旨い!なんて思いながら、その一方で「これって、豚の舌じゃないかい?」なんて自問が続きました。後で尋ねたら、案の定、豚舌の豬脷でした。
 そして、③の涼瓜炒帶子蝦球、貝柱、蝦、苦瓜の豆豉(醗酵黒大豆みそ)炒め。
 正直いって、料理は冷め加減。私が画像を撮ってる間に、冷めたのかも。
 ところが、貝柱の表面にはしっかり火が通っているのに、噛み締めるとすっと歯が入る柔らかさ。しかも、ジューシーで甘味が立っている。
 一緒に食べたのが苦瓜。火の通りが抜群で、ほろ苦さと青い爽やかさ、それに、甘味がある。さらに、細かにみじん切りにされた(その切り方の技が見事)豆豉が生み出す発酵味、細切りの赤唐辛子が生み出すほんのりのピリとっした辛味、そう、スパイスの効いた味わいなども入り混じったもの。
 貝柱、苦瓜、それに豉汁の味、風味が織り成すハーモニーは実に見事。蝦の火の通しかたも抜群で、ぷりっとした触感だけでなく、日本の蝦とは思えない甘味があって、豉汁それを引き立てる。
 銀座福臨門の料理長の張さんの技はすごい。
 画像は、大脷蓮藕鱆魚煲豬爭。あ、具の豚舌がみえません。それに涼瓜炒帶子蝦球。美しいです。

2007/07/29

旧友再会~Van Dyke Parks



「ヴァン・ダイクが本日来日します。エージさんに連絡を取りたいとのことですので、改めて連絡します」とのメールが長門君から届いたのは23日のお昼。
 
 突然の話に、え?!と驚きながら、そうだ、「細野晴臣と地球の仲間たち」~空飛ぶ円盤飛来60周年!夏の音楽祭~にゲスト参加の為だったのだと思いあたった。25日に再会を約束。ところが、メールが届いた翌日、青木啓さんが亡くなったとの訃報を受け取った。そして、ヴァン・ダイクには、25日の夜に営まれた通夜に出席後に再会。
「お!太っちゃって、顔色も艶々してるし、若々しいじゃない。元気そうで嬉しいな」、と私。
そしたら
「オー・ダーリン!そんな風に見えるかい!」と、ニコニコ顔。
沖縄料理を食べながら、話が弾みました。
 
「あのね、これ、ゴーヤっていうんだけど、えと、英語だと、ビター・メロン。これを食べると火照った体の熱を下げてくれるわけです。で、ね、この茄子、すりおろした生姜が添えられてるでしょ?茄子も体の熱を下げる性質を持った野菜なんだ。だから茄子だけだと体が冷えるから、体を暖める熱の性質を持った生姜を添えてバランスをとってるわけ」、と説明すると、
「なんだか、食べ物の話に熱心だね。エージのそいうとこが好き。けど、食べ物の話ばっかりじゃないかい?」と突っ込まれました。

 そんなヴァンダイクに「ね、チーズ、好き?」と尋ねると、
「好きだね、ロックフォールとか、羊乳の濃いやつ」っていうことなんで、
「おっし、なら、沖縄にグッドな豆腐チーズがあるから、食べてみる?」。
「豆腐チーズ?何それ」ってことで、豆腐ようを注文。
添えられた爪楊枝にちょこっとだけ突き刺し、薦めたところ
「これはすごい!旨い!」
と、それからは小皿に入った豆腐ようを一人占めして誰にも食べさせない。
「これって、洞窟で熟成させてるわけかな?」
と、尋ねてくるあたり、かなりの年季入りのチーズ好き、と見ました。

 で、肝心の音楽の話。
 
「全然、新作、出ないんだけど、どうなってるの?」と、突っ込んだら
一瞬、躊躇して
「う~ん、6曲は終えてるんだけど、あと、3曲、、、」。
「ってことは9曲入りなの、今度の新作?」
「いや、ストリングスのアレンジ、それにレコーディングとかまだだし、う~ん、そうだな、うまくいけば、来年の3月かな、、、、」。
「来年の3月?それまで待たなきゃなんないの?
それよか、ヴァン・ダイク・パークス・コンプリート・ボックス、まだなの?だめなの?
 ほら、MGMからの「ナンバー・ナイン」とか、ワーナーの「イーグル・アンド・ミー」、それにダットサンのCM。そうだ「ハイ・コイン」のデモとかもあるんじゃない(と、私は「ハイ・コイン」のさわりを歌っちゃいました)。

そしたら、一瞬はニコニコ顔。
けど
「ダメ、昔の仕事には興味ないから!」ときっぱり!

 さて、「細野晴臣と地球の仲間たち」~空飛ぶ円盤飛来60周年!夏の音楽祭~では、まずはとっぱなに登場。サンディに歌をまかせた「イエロー・マジック・カーニバル」のアレンジは、やはりヴァン・ダイクならではのもの。

 優雅で華麗なストリングスが、竜巻みたいに渦を泣きながら空中に舞い上がっていく様、かと思えば、キック・ドラムスによるブーン、ブーン・ドラムのビートの要のツボ押さえに、独自の個性を発揮。
 ついで、エンディング間近には「フォー・ミルズ・ブラザース」で、歌も披露。
 やっぱ、いいわ。ヴァン・ダイク・パークス。コンプリート・ボックスをなんとかせんと、いかんワ。

 そのヴァン・ダイクの演奏、歌もさることながら、大いに盛り上がったのが東京シャイネスからワールドシャイネスへとバンドを一新した細野晴臣の歌と演奏。カントリーです。それも、昔懐かしい40~50年代のカントリーを独自の解釈で今に蘇らせるスタイル。その雰囲気、イメージは、夜のしじまに包まれた荒野のハィウェイを突っ走ってる感じ。そして、ラジオから流れてくるのはロイ・オービソン。そう、「ブルー・バイユー」、とかあの辺りの雰囲気!
 ヴィム・ヴェンダーズやデヴィッド・リンチの断片、その背景にのぞく世界を髣髴させるところもある。
「う!? あれって、UFO?」 といった思いにも駆られるあたり、まさにSFカントリーとでもいえる趣の演奏とサウンド展開。クラフトワークもテクノもいいけど、カントリーもね、というわけで面白かった。存分に楽しみました。

 画像は、日比谷野音のバック・ステージのヴァン・ダイクのスナップ・ショット。そして、打ち上げのパーティーでヴァン・ダイクに高田漣くんを紹介して、親子の縁のつながり話で盛り上げりました。そんときの高田漣くんとのツー・ショットです。


2007/07/21

dancyuの8月号~その後の②

 香港や中国本土の中国料理店と、日本の中国料理店のテーブルの高さが何故に違うのか、という解答のひとつが、生活慣習に由来するものではないか、というのは前述の通り。

 で、日本の中国料理店では、スープ、羹などを除いて、小碗があまり活用されず、もっぱら小皿が用意され、料理内容に関係なく小皿に取り分けられる。それがいつの頃から定着したのか、大いに興味があるところです。 

 もっとも、前述のように、長江周辺、及びその以北では、主に平皿での取り分けが中心、のようです。それが、南方の広東省、それに香港などでは小碗がしきりと活用される。という背景には、北方の麵食、南方の米食という主食の差異も大いに関係あるのでは、と思います。

 日本の中国料理史を紐解けば、広東料理の影響大。長崎の卓袱は福建料理の影響大とのことですが、明治以後、まず日本に浸透したのは香港を経由して日本にやってきた広東系の料理。簡単な日常惣菜が中心だったようですが。

 その後、20世紀初頭になって北京料理、厳密には山東料理、それに上海料理、厳密には江南地区の地方料理が日本に紹介されるようにもなった。日本で中国料理の宴席の様式が紹介され、定着し始めたのはその頃のはず。日本に誕生した中国料理店のテーブルが方形だったのか、円卓だったのか。日本で回転卓が考案された、という事実からすれば、円卓が多勢をしめていたのかも、です。 で、平皿、小皿での取り分け方も、その時期に紹介され、定着したのではないか、と。


 問題はその次。日本で小皿を手にして食べるようになり、それが定着するようになったのか。
 それは、やはり、もともと日本では座して膳で食事を取る、という長年の習慣があり、しかも、小皿を手にするのはマナー違反ではなく、そうすべきものという慣習、通念によるものではないでしょうか。

 実は、日本の中国料理店に限らず、料理店一般におけるテーブルの低さは、膳、次いで卓袱台へと変化してきたこれまでの日本人の食における生活習慣からすれば、およそ違和感のないものではないのか、というのが私の見解であります。

 今、都市生活を営む人のほとんどは、テーブルに椅子という食事形態が一般化。ですが、親から子へと受け継がれているマナー、暗黙のルールは、座して膳に向かう懐石、会席、宴席料理などに準じたもの、だったりしますから。

 それとは別に、美味しく食事をする、という観点からすれば、食器の存在、料理と食器との関わりを見逃せない。

 ことに私が首を傾げてしまうのは、先にもふれた80年代以後、日本に相次いだオーナー・シェフによる中国料理店でのこと。

 モダンな内装同様、料理を盛りつける器に凝り、作家物の陶器、磁器、なかには、西洋のブランドものの食器、さらにはカトラリーを用意、って店もある。西洋料理の要素、エッセンスを食事の形態にも取り入れた、ってことですね。その手の知識に疎い私でも「お、これは!」と感心する器に盛られていたりすることがある。

 それが、ひと皿、あるいはひと碗、一人用のものなら、文句なし。
 問題は、人数分大きく盛られた大皿、深い鉢はともかく、それに添えられた取り分けの食器のことで、それらについては、案外、脈絡なしや無関心だったりするのが、案外多いものです。

 いや、作家物の小皿が用意されるなど、それなり吟味されていたりすることもある。ところが、汁気が多い料理を深鉢に盛り付ける周到さがありながら、用意されるのは小皿、なんていうのがざら、だったりします。小鉢じゃなくて、なんで、小皿なのか?箸で食べにくい上に、スープを味わうには、れんげも使いにくし、その前に料理が冷めていく。なんてことには気がまわらないんでしょう。

 さらには、汁物、汁気のある料理を作家物の凝った鉢によそいながら、添えられるれんげが、これまた作家物で、口当たりの悪い厚手の陶器のもの、あるいは、凝ったデザインのごっつい金属製のものだったりする、っていうのもざら、だったりする。

 デザインや見栄えばかりに着目し、重視。いかに美味しく食べさせるかということにまったく関心はない様子。いっそのこと、上質のブランド物のスプーンやれんげにしてくれれば、口当たりも良くって、料理を美味しく食べられるのですが。 ことにデザートに使われる器、添えられているれんげなどに、目だって多かったりする。

 いくら自慢の腕を奮ってくれても、そういうところが抜け落ちていると、がっかりします。
 隅々にまで細やかな神経を張り巡らせ、いかに旨く、美味しく食べるかということについて、工夫を凝らし、努力するか。それこそ、サーヴィスの基本、その良し悪しを決めるものだと私は思います。
 旨い料理、美味しい料理を味わうために、肝心な、また、必須の条件のひとつですから。

dancyuの8月号~その後の①

「読みました、7センチ!」という電話、メールをいろんな方から貰いました。

 それにしても「テーブル高7センチ差の気配り」というタイトルのインパクトは恐るべし。みなさん「7センチ」話で盛り上がり、驚きを隠せない様子でした。

 実際、福臨門だけに限らず香港や中国本土の高級料理店のテーブルは日本よりも高い。日本でも老舗の中国料理店などは、香港や中国本土ほどではないにしても高い。ところが一般の中国料理店になると、テーブルの高さは低くなる。

 さらに、80年代以後、オーナー・シェフによる新しい店が相次いで登場した際、内装に工夫を凝らすようになり、西洋的な要素も取り入れ、テーブル、椅子がよりモダン化し、以来、テーブルの高さが低くなっていった、といったこともあります。

 私はたまたま香港、台湾、中国本土で食事をする機会が多く、高いテーブルに慣れ、体に馴染んできました。高いテーブルの方が食事しやすく、ゆったり食事が楽しめるという利点もあるし、前述の通り、現地の人の食べ方に倣い、失礼のないようにするには格好な高さであることも理解していました。
 ですから、日本の中国料理店、ことにモダンな内装による店はテーブルが低く、なんだかしっくりこないし、落ち着かない。食事に夢中になれない、ということもある。 フレンチやイタリアン、それも、グラン・メゾンや高級店では、それなりの配慮がされています。とはいっても、一般に日本の料理店のテーブルは低いように思えます。
 
 それより、居心地の良さということでは、テーブルの高さよりも、むしろ座る椅子についてより関心が高く、話題になることが多いようです。居心地の良さと座り心地の良さが、同義にみなされているからでしょう。

 が、椅子とテーブルの高さには密接な関係があって、座り心地が良くても、テーブルが低ければ、やはり食事はしづらい。料理が良い、旨いと評判でも、街中の喫茶店とほぼ変わりない内装で、テーブルが低く、椅子も座り心地が悪い、といった店があります。私はどうも落ち着かなくって、料理の魅力、旨さ、半減させてるようにしか思えません。

 香港や中国のテーブルが高いのは、長年、テーブルと椅子で食事をしてきた生活慣習に関係してのことでしょう。

 もともとは方形のテーブルが中心で、正式な宴席は八仙卓子、つまり8人掛けの正方形のテーブルが使われ、その席次も決まっていた。円形のテーブルになったのは清代末期になってから、のことだったはず。さらに、中国料理店でおなじみの回転卓は日本独自の発明であり、本土、香港などがそれを取り入れるようになったものだ、そうです。
 
 方形にしろ円卓にしろ、中央に料理が置かれる。それを取り分けるのはホストですが、サービスにあたる人間を置いて、その役目を任せることもある。

 食事のために用意される食器、テーブル・セッテイングは、右に縦置きで箸、その左横にれんげ、中央に平皿、脇に調味料を入れる小皿。さらに小碗というのが基本で、酒盃も用意される。長年の歴史を経て定着したものです。

 それが、香港の宴席など少しばかり異なる。
 右に箸を縦に置くのは同じ。が、その左横にはれんげではなく「分羹」とよばれる料理を取り分けるための匙が用意される。また、SARS以後、取り分けるための箸も用意されるようになりました。さらに、小碗(香港では「碗仔」、「翅仔」と呼ばれる)の下には「骨碟」と呼ばれる小皿が下に置かれている。さらに、調味料を入れるための小皿ではなく、そのための専用の円形、もしくは中が二分された方形の小皿が用意されている。

 そして、小碗。スープ、羹を入れるためのものですが、汁気の多い料理にも使われる。その点が、日本とは異なる。つまり、日本の一般的な中国料理店では、小碗はスープ、羹を取り分ける時に使われるだけで、それが終われば後は卓上から消える。

 それに、香港では飲茶の点心なども含め、多くの料理は小碗に取り分けることが多い。れんげも頻繁に使う。料理内容に応じ、小碗で取り分けづらいものは、平皿を使う、というのが一般的、です。

 もっとも、本土ではいささか事情が違ってくる。

 80年代半ば、荻昌弘さんに誘われ知味の会の揚州、南京、上海の旅に同行し、著名な料理店に出向いた際、基本的なテーブル・セッティングは同じでしたが、平皿は2枚用意され、調味料を入れる小皿がなかった。また、箸の左横に置かれていたのは、れんげでも「分羹」でもなく、西洋料理で使われる大きなスプーンでした。
 
 そして、揚州飯店でおこげ料理が出ました。多少、汁気もありで、香港あたりなら小碗に取り分けられる。日本でも汁気が多いと小碗が用意されることがある。 その時、おこげ料理は、平皿に取り分けられた。ですが、汁気はおこげに絡まる程度のほどほどのもの。むしろ、平皿に取り分けて箸で食べるのがふさわしく、また、美味しさを感じました。

 「分羹」代わりのスプーンはあまり上質なものではなく、なんとなく付け焼き刃?と言う印象でしたが、おこげ料理の取り分けのサービス、なおかつ旨かったことに感心し、そんな印象も帳消しに。

 同席していた地元のおえらいさん方、全員、平皿を持ち上げることなく、テーブルに皿を置き、お箸でおこげ料理を食べてました。で、わが日本側一行のほとんど方といえば、しっかりお皿を手におこげ料理を食べていたものです。

 その後、中国の上海、北京の高級料理店を訪れた際のテーブル・セティングは、先に揚州や南京でのものとは異なり、伝統的な様式に習いながら、器などはより洗練されていました。しかも、香港のそれとは異なるものでした。

2007/07/18

夏の広東地方の郷土料理の④


 すべての料理が登場し、後はデザートを残すのみ。
 ここで、いつもなら私は温かい甜品を選びます。
 杏仁豆腐も口がさっぱりしていい。ですが、その冷たさが胃に刺激を与えすぎる感じです。福臨門のマンゴプディングがリッチなフレイヴァーなのだってことも知ってます。が、やっぱり、胃には刺激的すぎる。
 というより、あれってスィーツ好きなお子ちゃま向けのもの、キディ・スィーツだ!と、それを好んで食べるミッシェルやうちのかみさんをからかいます。
 ま、美味しいのは事実ですが。

 
 ところが、今回、デザートにウルトラ級スィーツが登場。
 でっかいスイカの身をくりぬき、そこに、球形のスイカ・ボール、さらには燕の巣をふんだんに入れた「官燕西瓜盅」には、思わず目が点になりました。
 旬の果物を使った、キディ&アダルト向けの超ゴージャス!なデザート、でした。スィーツにうるさいミッシェルのアイデアです。

 
 ところで、今回のメニュー、コースの組み合わせ。
「福臨門に行くんだけど、どんな料理、コースにしたらいい?」と、尋ねられた際、夏ならではの素材を使った広東地方独特の郷土料理を中心にしたもので、何人もの友人、知人に薦めてきました。

 要は「冬瓜盅」と「豉汁涼瓜炆紅斑」に、野菜の料理。
 「冬瓜盅」も、先に触れてきたとおり、ふかひれ、それも「生翅」か「荷包翅」を入れた「魚翅冬瓜盅」にすれば豪華になります。値段も張ります。
 それに、季節の野菜、瓜類の料理を組み入れる。
 瓜類は、冬瓜、苦瓜外に、香港なら冬瓜の一種で若い節瓜、それに糸瓜などもあります。
 節瓜、糸瓜は、それぞれ、各種の料理がある。
 野菜も、前述のとおり、柚皮、芥胆、莧菜、通菜(空心菜)。
 西洋菜、クレソンというのも、案外、清涼感と苦味があってグッド。炒め物、煮込み物、どっちも旨いです。

 そこで、やっぱり蝦、蟹がほしい、ってことなら、前菜代わりにスタートは「白灼基圍蝦」、蝦の湯通しにする。
 春から秋にかけては「基圍蝦」が旨いですから、文句なし。
 蟹なら、青蟹の雄の「肉蟹」を葱と生姜で炒めた「姜葱焗肉蟹」にとどめを刺す。
 以上は、香港での話し。
 日本の福臨門で、ということなら、前菜は、叉焼、焼鴨、焼肉、などに、牛すね肉のよせ物や、豚のすね肉のよせものなどの、焼物の組み合わせにする。
 それから「冬瓜盅」。その種類は、お好みで。
 ついで、鳩料理なら、前述の通り。
 鶏料理なら、基本は「脆皮雞」。
 ですが、紹興酒煮込みの「花彫焗鶏」という手もある。
 さっぱり味で、火腿と一緒に蓮の葉に包んで蒸した「荷葉雲腿蒸鶏」というのもある。
 新生姜の出る時期に登場する「子姜炆滑鶏」も、甘味、酸味、ヒリ辛味が、爽快です。

 その次には、豆腐料理、それに、野菜料理。
 最後に魚料理にして、炒飯か麺類で締めくくり。
 以上が、私の夏のお勧めのコース。
 秋、9月の終わり頃までなら、大丈夫です。
 実は、麺類にも夏向けのものがありまして、、、と言う話は、また、次回。
 画像は「官燕西瓜盅」。

夏の広東地方の郷土料理の③











 
⑥の百花蒸醸豆腐 蝦のすりみ載せ豆腐の蒸し物は、私のアイデアです。

 今回は夏の広東地方の郷土料理、「家郷菜」を中心にというのがテーマ。しかも、本格的で豪華な宴席でもなく、家族、友人など気の置けない仲間が集まってのもの。 それならコースにお惣菜的な料理を組み入れるのも悪くない方法。
 そこで思いついたのが豆腐料理。もしかして斎木一家にもなじみありじゃないかとミッシェルと相談していた通り、
「あ、これ、私、作ったことある!」
と、斎木夫人の起久子さん。
 本格的な宴会料理なら琵琶型に作った「琵琶豆腐」もいい。
 家庭惣菜風なら「紅焼豆腐」だが、どちらかといえば冬向きの料理になる。
 少し工夫を凝らしたものなら、豆腐をつぶし、すり身かほぐした白身魚を混ぜて蒸した「老少平安」がある。が、シンプルな内容。しかも、蒸し物でさっぱりということになり「百花蒸醸豆腐」に決定。
 それから野菜料理。欠かせないのが野菜料理です。
 今の時期、香港なら文旦に似た「柚皮」、芥子菜の茎の芥胆、ヒユ菜の莧菜がある。
 が、日本では調達が不可能。あるのは通菜(空心菜)ぐらいなもの。
 そこんところ、ミッシェルが洒落たアイデアを提供。
 さっと炒めたアスパラガスに「火腿」の薄切りを揚げたもの、さらに、なんと鳩の卵を茹で、添えた一品。
 なんともお洒落な一品。グッドなアイデアでした。
 食用鳩だけでなく、香港では鳩の卵も料理に使われます。燕の巣の周りに茹でた鳩卵を配した官燕鴿蛋はその代表的なもの。
 とはいえ、鳩は基本的には雄雌の番、つまりは一夫一妻のため、産卵数も限られ、ことに食用鳩自体、入手が難しい上に、鳩の卵となるとそれ以上ということになる。
 ということで、はたして鳩の卵を使った料理が定着するかどうか。
「これって、一緒に食べるの?それとも、別々に?」
そんな斎木夫人の一言をきっかけに、話題になったのは、鳩の卵を半熟、もしくはその手前、黄身をトロトロ状にして、アスパラ、揚げたハムをそれに浸して食べるのはどうだろうか、というアイデア。
 イタリアンにありますね、そういうのって。次回、試そう、ということになりました。
 ⑧葱花皮蛋炒滑蛋蝦 ピータンと卵とエビの炒め物は、番外の私のリクエスト。
 ミッシェルが小さい頃から家族、また、親しい仲間との食事に食べていた惣菜的な料理で、イギリスへの留学時代、香港に戻れば必ず食べていたそうです。
 実は、蝦、蟹に鹹蛋を絡めて炒めた「鹹蛋蟹」、「鹹蛋蝦」というのがある。もともとは揚州の料理だそうで、上海を経由して香港に到着。その間、内容が少しずつ変化という事態もあったようですが、一時、香港で大流行。「一笑美茶樓」の脇屋さんが着目し、てトゥーランドットの看板料理にしていたこともあります。
 ミッシェルの話から、てっきりそれかと思いこんでたら、違いました。 鹹蛋なし。皮蛋と鶏卵のみ。三蛋、ではなく、雙蛋です。
 蝦は「基圍蝦」を使うのが必須の条件という。汽水域で養殖した蝦で、ぷりっとした触感のある肉質、甘味の味がその特徴。が、日本では入手は不可能。
 で、日本の小ぶりの蝦を使って調理した「葱花皮蛋炒滑蛋蝦」。確かに蝦は、新鮮でぷりっとはしていても、甘味不足。それより、火を通した皮蛋、特有の臭み、においが消えている。触感は煮こごりのよう。それでいて卵ならではのコクがある。この料理、心安らぐ家庭の味、という趣。
 そうか、ここに鹹蛋を入れると味がより濃厚に、さらには重くなって、秋、冬の料理になってしまいそうだと、納得した次第。

 さて、締めくくりは「麵?それとも、炒飯?」。
 ゲストの斎木さんのご意向を伺うと
「さっき、張さんの炒飯が美味しいって話、でてたじゃない。だったら絶対に炒飯!」。
 とはいえ、さて、一体どんな炒飯にするか。
「う~ん、なら、やっぱり「鹹魚雞粒炒飯」!」と、ミッシェル。
 そして登場した「鹹魚雞粒炒飯」が旨かった。
 という以上に、すごかった。
 これまで銀座の福臨門で食べてきた「鹹魚雞粒炒飯」では、ベスト、でした。
 味、香り、風味の豊かさに目を見張りました。
 なによりも「鑊氣」がある。活気にあふれ、香りが立っている。
 味わえば、力強く、しかも、気品がある。
 福臨門はすごい。名人が何人もいるんですから。
 画像は「百花蒸醸豆腐」、「焼雲腿鴿蛋露筝」、「葱花皮蛋炒滑蛋蝦」、「咸魚雞粒炒飯」。

2007/07/17

夏の広東地方の郷土料理の②




 さて、④の脆皮焼乳鴿/鳩の丸揚げも、ミッシェルのアイデア。
 以前、日本の福臨門には香港から広東地方新會産の仔鳩が届いたことがありました。
 福臨門だけでなく東京の一部の広東料理店では、合法非合法、冷凍物などを使った鳩料理が一時話題になったことも。が、その後、鶏ウィルスの一件で香港からの輸入は途絶えた。
 それが、最近になって福臨門では日本で飼育されたフランス産の供給ルートを確保。 種鳩はフランスのグリモール社の供給によるフランス南部のナント産のユーロピジョンのミマス。どうやら広東産とは品種が異なるらしい。それに、香港で消費されるのは、もっぱら生後5~6週間の仔鳩。
 ところが、日本で入手できるミマス、生後6~7週間のものが中心で、骨も肉も成長。ただし、成長している分、肉がしっかりしていて、味も濃く、野性味があり、風味が豊か。あの血の味、鉄分の味の濃さ、風味。赤ワインがほしくなるやつです。
 日本の福臨門ではその点を見極め、肉質、味、風味を生かしながら、いくつかの料理を提供。広東料理特有の料理方法ですから「家郷菜」とも言えます。
 鳩にはいろんな料理方法がありますが、代表的なものが丸揚げの「脆皮焼乳鴿」。湯通しした仔鳩をたれ汁に漬け込み、さらに中国たまり醤油で煮込んだのが「豉油皇乳鴿」。他に紹興酒で煮込んだもの、オイスターソースで煮込んだもの。また、身をそぎ切りにして、中国ハムの「火腿」と炒めたものなどもあります。
 dancyuで紹介したのは、油を一切使わない「豉油皇乳鴿」。中国たまり醤油の味、風味が、しっかり強くて濃い鳩の肉の味と合って鳩肉の持ち味、香りを引き立てる。
 今回、ミッシェルがリクエストしたのは「脆皮焼乳鴿」。
 テーブルに運ばれた丸揚げの仔鳩を見て、納得。
 「これって、5週間くらいの仔鳩じゃない?」、と私。
 「そうそう、だからロースト・ピジョンの「脆皮焼乳鴿」がいいんじゃないかと思って」、とミッシェル。

 美しい色艶、照り、揚がり具合。皮の裏についた皮下脂肪もしっかり揚がっていそうです。
 頬張ると「脆皮」という料理名通り皮はパリパリ、さくさく。肉を噛み締めると、やはりフランス産ってこともあって、鳩肉の味は濃く、強い。見事な自己主張。
 そこで、塩を溶いたレモン汁のタレに身をさっと浸してたべると、塩気とレモンの爽やかな酸味が脂っ気を抑え、なおかつ酸味が身に馴染んでさっぱりとした印象になる。それより、素材は日本で育ったフランス原産の鳩。なのに、調理法、味付け、出来上がった料理の味、風味は、まさしく香港ローカルの「脆皮焼乳鴿」だったのに、感心しました。
 懐かしい香港の仔鳩料理の味、風味です。旨かった。実に旨かった。
 ちなみに、料理人は張漢華さん。福臨門の社長の徐維均さんのお弟子さんで、大阪の福臨門にいたことがある人物。一時、大阪の福臨門の「脆皮雞」、炒めものは「鑊氣」があってすごい!と評判を呼んだことがありますが、張さんこそまさにその人。
 ⑤の豉汁涼瓜炆紅斑、苦瓜と紅はたの煮込みは私の提案。
 この時期、苦瓜が旨い。冬瓜などと同様に、体の熱を下げる効果があります。
 ご飯のおかずにうってつけな家庭料理なのが「豉汁」、醗酵大豆味噌、にんにくなどで作ったあわせ調味料で牛肉を炒めた「豉汁涼瓜炒滑牛肉」。鶏肉を使った「豉汁涼瓜炒雞」もごく一般的。

 ひとひねりすれば「鶏肉」を蛙に代えた「豉汁涼瓜炒田雞」ってことになる。さらにダメオシでもうひとつ。それは、豚の胃の先端部の「肚尖」と炒め合わせたもの。良質な「肚尖」は稀少な素材ってことから、宴会料理の一品に並ぶこともあります。が、残念なことに「田雞」も「肚尖」も、日本では入手が不可能。

 そこで、まてよ!と思い立ったのが「豉汁涼瓜炆海斑」。
 基本は「紅炆海斑」。揚げ魚の煮込み、です。
 魚を煎り焼きにし、別途豚肉の細切り、干椎茸の細切りなどを炒めあわせ、煎り焼の魚とともに二番だしの「二湯」で煮込んで醤油などで味付けしたもの。
 以前、魚のことで触れてきたとおり、魚はそれぞれに肉質、味、風味が異なる。香港でも蒸し魚の「清蒸魚」に使われるのが「石斑」、ハタの類。肉質は緻密でしっかり。しかも、はらりと身が崩れる。そんな「石斑」の素材そのものの良さを味わうには「清蒸魚」よりも、揚げて煮込んだり、「上湯」で煮浸しのほうがいい、というのが私の考え、私の好み。
 ことに大ぶりの「石斑」の砂ずり、鰭つきの部位を揚げて煮込んだ「紅炆斑翅」は、大好物です。
 しかし、「紅炆海斑」にしろ、「紅炆斑翅」にしろ、味がしっかりしていて、体を温めくれますから、秋冬の料理という印象が強い。 そこで、冷の性質を持った「涼瓜」を組み合わせて、バランスをとる。
 夏向けの料理になる。宴会料理の華にもなる。
「豉汁涼瓜炆海斑」ってのはどう?と、ミッシェルにメールしたら
「とてもおいしそう!」と、大乗り気。

 以前、銀座の福臨門が開店当初、「石斑」の入手が難しかった頃、あいなめを「什斑」と命名して使っていたことがありました。
 あいなめのあの身の緩さ、はらりと身がくずれ、しかも、ダシをしっかり含みながら、存在を主張という「紅炆什斑」は、俄然、私のお気に入りの一品となり、何人もの友人に勧め、喜ばれたものです。
 現在では流通のルートがしっかり確保され、この夜、紅はたにめぐり合った次第。上質のはたです。
 この夜の「豉汁涼瓜炆海斑」は、先の「脆皮焼乳鴿」と並ぶハイライト。
 しかも、その味、風味、洗練された味わいだけでなく、すっきりとしていて、シャープで鮮烈な力強さがある。
 日本ではこれまで食べたことがなかったというミッシェルも、大感激。
 その「豉汁涼瓜炆海斑」を食べながら、「あれ、これって?」と思い出したのは、福臨門の香港島の店に特徴的な味、風味、スタイル。
 日本の福臨門を統括する総料理長の呉錦洪さんが料理すれば、よりきめ細かで洗練した優しい味になる。その呉さんは九龍の福臨門の総料理長である羅安さんの愛弟子で、ふかひれ、あわび、燕の巣などの乾燥素材の料理の腕は、羅安さんが大いに信頼を置いている人物。
 一方、今回の料理人の張漢華さんは、徐維均さんの愛弟子。 いわば香港島の福臨門の直系の味、風味、スタイル。そんな両者の調理の味、風味の対比が面白い。
 そう、福臨門は香港島、九龍にあって、その2店、それぞれに特徴があって、味、風味がビミョーに異なります。という話は、いずれまた。 ともあれ、日本の福臨門の料理人の層の厚さを再認識した次第です。

 画像は「脆皮焼乳鴿」と「豉汁涼瓜炆紅斑」です。