2007/12/22

中国料理におけるメニューの選択、コースの組み立て(その9)


 横道にそれた「干焼蝦仁」の話。
 もうひとつ「エビチリ」で書くことを忘れてました。
 トマト・ケチャップを使った「エビチリ」。
 日本には良質の豆板醤がなく、自家製のものだったこと。それに、日本人の好み、趣向に合わせ、辛味控えめ、トマト・ケチャップのの甘味を生かして、同料理を日本に紹介した陳建民さんの発案。というのが定説です。
 ところが、ですね、川蝦を使い、トマト・ケチャップを使った料理が、上海に存在した。それは「エビチリ」ではありません。
 「香甜爆蝦仁」というのがそれで、戦前の上海料理の宴会料理の一品として人気があったらしく、それが、戦後、香港に持ち込まれ、一時、話題や評判にもなり、一般にも知られるようになった、という事実もある。

 陳建民氏の「さすらいの麻婆豆腐」(88年、平凡社)では、四川省の宣賓の出身で、各地の料理店を渡り歩き、上海を経て香港、さらには日本にやってきた氏の足跡が記されている。
 日本に豆板醤が無かったことから、自家製のものを作った話。また、日本人の嗜好にあわせて「雲白肉」に野菜を添え、「麻」の痺れ味を抜いた「麻婆豆腐」誕生のいきさつも触れられている。が、「エビチリ」についての言及なし。
 もっとも、武漢の「蜀珍川菜館」に勤務時代、同店には正統派の四川料理「道地四川菜」と、道地よりも辛くない「海派川菜」があり、やがては経営者から後者の「海派川菜」をするように依頼された、という話が興味深い。
 「海派」とは、すなわち「上海派」。ということからすれば「上海派」の四川料理、さらには、上海系の料理とも接点があった、と想像をたくましくすることも出来る。
 上海料理が確立されたのは、20世紀初頭で、都市としての繁栄を背景に、食事情も急速に発展し、上海周辺の地方料理を下敷きにした料理だけでなく、独自の独創的、創作的な料理が生まれ、宴会料理の華となった、とは広く知られている話。もとより上海人は進取の気性に富んでいて、外来の産物を受け入れてきた。宮廷に献上されたワインやブランディーの類はじめ、外来の稀少な産物は上海を経由してのもの。サラダのドレッシング、マヨネーズなども、まずは上海に上陸して、中国に広まっていった、というのはこれまでにも語られてきたこと。イギリスにその植民地の産物として持ち込まれたケチャップが、アメリカに渡り、トマトケチャップが生まれた、とのことですが、それが上海に持ち込まれ、それが、やがて中国料理にも用いられるようになった、という足跡もあるようです。
 それとも、陳建民氏は、香港に辿りついて銅羅湾の「新寧招待所」に勤務して、それを知ったのかも。
戦前、戦戦後の混乱、また、中華人共和国の成立の前後、多くの上海人が香港に移住した。上海の資産家、富裕階層が香港にもたらした20世紀初頭から半ばにかけて誕生、成立した上海料理を持ち込んだ。陳建民氏が香港にたどり着いた頃の香港では、まさに上海料理が最新のトレンドであり、華開いていた時期です。
 ということから、戦後香港に持ち込まれた上海料理と氏がなんらかの接点を持ち、トマト・ケチャップを使った料理に出会った。そんなことに、ヒントを得たのでは?というのも、私の想像。
 しかし、今ではそれを確かめる述がない。
 画像は今は亡き「銀座芝蘭」の「芝蘭辣子蝦/刺身用蝦の炒め揚げ」。
 「エビチリ」ではありませんが、火を通した新鮮なえびのぷりっとした触感、ほとばしる甘味に、唐辛子の鮮烈な辛味とフルーティーな甘味が織り成す美味、風味が素晴らしい。
 油の扱い、素材に火が通るタイミングの捉え方が見事、、、仕上げの油の扱いが巧みで、風味が豊かな一品です。