2007/02/28

蟹黄魚翅撈飯(34)

 桂林から広州に戻ってすぐさま、夜遅くまで開いているというので西貢に出向いた。海鮮料理を看板にする店が並んでいるところである。

 海鮮料理の店、料理を紹介してほしいとは編集部の意向のひとつでもあったから、前述の通り、広州に到着早々、地元の観光局の方の案内で目ぼしい店をチェックしていた。まず、日本の雑誌で紹介されている店は避けたくてパス。他に色々な店に案内されたが、今ひとつノレない。触手をそそるものがない。


 実際に調理の技術、味を見るには、試食しかないが、それ以前の段階でセンサーが働いて、潔しとしないのである。 実は、私、こと食に関して、観光ガイドやコーディネイターの言に耳は傾けるが、そのすべてを鵜呑みにはしない。自分の目、舌で確かめないと納得できない、という自己中心的わがままで困ったちゃんな性格の持ち主である。いや、慎重で頑固なだけなのだ、と自分では思っているのだが。


 香港の食事情調査、フィールドワークなどもそうである。これまで雑誌や拙著「香港的達人」紹介した店、料理は、ガイドブックを手がかりにすることもあるが、料理などは自分で探し出したものがほとんどだ。実際に足を運び、目、舌で確かめたものである。雑誌などで紹介するにしても、店に通い、馴染みになり、知己を得て取材を申し込む、という手順を踏んだものだ。中には取材を通して知己を得た店もないわけではない。


 取材にあたってはそれなりの準備をし、自分で料理を選択してきた。たとえば「香港的達人」で紹介した地方料理ごとのコースの設定、料理の選択は、すべて自分でやったものである。

 雑誌などで店、料理を紹介する際も、その選択は自分でやってきた。にもかかわらず、たとえば「香港的達人」など、読者の中には、通訳、コーディネイター氏にすべてをゆだね、おんぶにだっこ状態で取材、執筆したものと理解された方もいたようだ。ネットでそうした書き込みをみつけたこともある。それにはいたく失望した。


 どうやら「香港的達人」の最後に通訳を務めてもらった人々への謝辞としてその名を書き連ねたこと、その中にコーディネイターとしてその名を知られる人もいたのがその理由のようだ。

 現実は、あくまで通訳をお願いしてだけのことだ。しかも、実情を明かせば、通訳を担当してくれた彼らは、中国料理に関しては通り一遍な知識しか持たず、仔細な内容については、用語を理解することは出来なかったし、その実態などには詳しくない。素材、調味料、調理方法など、日本にないもの、紹介されてないものもあった。そして、素材の日本名、よりどころになる学名、さらに調味料のその内容、調理方法、など、知る由もない。それを日本に持ち帰って調べたのだが、資料は限られていた。香港や中国で入手した書籍ともとに、改めて日本で資料をあたる、といった作業を必要としたのである。
 それでも、通訳を務めてくれたことに敬意を表し、謝辞とともに彼らの名前を挙げただけのことだったのだが、それが、思わぬ誤解をまねくとは、思いもよらなかった。



 話を戻そう。どんな海鮮料理の店を取り上げるか、ということで実際に出向いてみたところ、香港資本が介入した店は、目新しさばかりが目立った。当時、広州で一番話題の店(として日本の雑誌に紹介されていた)にも行ったが、素材の扱い、調理がいささか香港のそれとは異なる。


 調理方法が違っても、料理そのものがよければも問題はないし、むしろ広州式香港風海鮮料理としての面白さをみつけだせるかもしれない。が、出来栄えを知るには試食する以外にないし、そのための時間、ゆとりもない。


 店を巡りながら海鮮素材の素材の扱い、その調理、味付けを聞き込んだ。さらに、メニューを丹念に調べ、どのような素材を扱った郷土料理があるか、ということをよりどころにした。

 太良/順徳の鳳城風味、もしくは、広州の羊城風味、郷土料理が充実し、しかもその店にしかないような特別な料理、珍しい料理があれば、やはり興味をそそられる。



 ようやく見つけ出したのが「多利來海鮮酒家」だ。白灼(湯通し)、清蒸(蒸す)、炒(炒める)、焗(蒸し焼きにする)などの調理方法、それに調味、味付けなど、海鮮料理の基本を押さえた料理があったこと。同時に、淡水魚、地元ならではの素材を使った料理があったこと。例湯(日替わりのスープ)はじめ、スープ類の種類が豊富で、伝統的な郷土料理の数々があったからだ。



 その夜、試食したのは以下のメニューだ
 「姜葱焗肉蟹」(青蟹の雄の葱、生姜炒め)
 「蒜茸中蝦」(蝦のにんにく味付けの蒸しもの)
 「豉汁炒海柱」(まて貝の辛味みそ炒め)
 「豉油王鮑魚」(とこぶしの醬油味の蒸し物)
 「紅炆花錦鱔」(大うなぎのしょう油煮込み)
 「清蒸紅斑」(はたの蒸し物)
 「蒜茸炒塘菜」(いぬがらしのにんにく味付けの炒め物)
 「例湯(塘葛菜煲生魚)」(いぬがらし、らい魚のスープ)


 ちなみに、塘菜とは塘好菜、どうやら「いぬがらし」にあたるようで、菊菜のような形状、味わいだった。
 
 以上、すべてOK、ということで、紹介するのはこの店にした。もっとも、実際に雑誌で紹介し、撮影する料理については、店の人と相談して再吟味、再検討。我ながらしつこくて、くどいと思います。が、今だにその性格は、変わらないようで、、、。

2007/02/26

閑話休題~マカオ・香港の旅(14)


 「鏞記」には「焼鵞」にうってつけな「瀬粉」がある。円形の細長ビーフンだ。それに前述の通り「雲呑麵」も素晴らしい。美味である。麵の旨さ、具のよさ、按配だけでなく、スープ、だしが良い。
 「瀬粉」、「雲呑麵」など「鏞記」の麵料理、それもスープ類の麵料理に使われているだしは共通のものだが、独自の工夫がある。「鏞記」のだし、さらには料理については、改めて触れるつもりだ。
 
 そして、「陸羽茶室」。下に紹介した「粉麵飯品」のメニューを見れば、種類、内容の豊富さが一目瞭然だ。
 「陸羽」といえば飲茶の点心が素晴らしい。今だ頑なに伝統的な手法、味を守り続けている。ことに「蝦餃」「燒賣」、「叉焼包」などの基本的な点心が素晴らしい。最新流行の店の話題の点心などに比べれば、人によっては古臭く思えるかもしれない。しかし、たとえば「蝦餃」の蝦の擂り身の擂り潰しよう、豚肉とのバランスなど、見事である。
「陸羽」の夜の食事も、素晴らしい。ことに「鳳城風味」、太良/順徳の名菜に出会えるのが貴重である。
 そして「陸羽」の麵。ガイドブックなどではあまり触れられてこなかったことだが、これが良い。知る人ぞ知る話だと言えるかもしてない。
 「陸羽」の清々しい早朝の「早茶」、喧騒が天井にこだまする昼時の「午茶」。いずれも他の店とはいささかに趣が異なる。が、「陸羽」の良さ、その真髄を味わえるのは、人気もなく静寂に包まれた3時頃から5時頃にかけて。その味わい、風情、佇まいは格別だ。「陸羽」だけのもの、「陸羽」にしかないものである。
 そんな時間を見計らい「陸羽」に出向くことがある。本格的な飲茶の流儀である「一盅両件」に倣って、お茶と二種の点心を味わう。
 とはいえ、ざら半紙に赤字で印刷された「星期点心」、週代わりのメニューを眺めまわすうち、未知の点心を見つけ出すと、「両件」だけでは収まらず、点心の数がふえることになる、というのもままあることだ。
 ともあれ、「一盅両件」にならって点心の数を控えめにした時など、「粉麵飯品」の菜単を頼み、麺類を注文する。いや、麺類、あるいは、飯類だけを食べたくて、遅い午後に「陸羽」に出向くことすらある。

 ところで、香港の人たちの「飲茶」事情は、人によってそれぞれ異なる。
 下町の大衆的な茶樓や飯店での「早茶」、つまりは朝の飲茶は、老人、ごく普通の勤め人、腹ごしらえが目当ての労働者などが中心である。昔ながらの点心で、鶏のぶつ切り肉に鹹蛋入りの「鶏球大包」などもあったりする他、各種の「飯品」が用意されている。茶碗よりも大きく、茶碗の1・5か2杯ほどのご飯が入りそうな鉢に様々な具が載ったもので、まさに丼である。
 もっとも、「陸羽」で「早茶」を味わっている客の多くは、それこそ「一盅両件」の流儀そのまま、点心の数は少ない。お茶を味わう、といった趣だ。「陸羽」の顧客は中国人の上流、もしくは中上流階層がほとんどであり、その種の人々にとってのいわば社交クラブな店である。しっかり腹に収まる丼飯を朝食べてひと働き、といった労働者階層とは無縁の店である。
 そんなこともあって「陸羽」で「粉麵飯品」が用意されるのは午前11時を過ぎてからのことなのだ。 「陸羽」に限らず、昼の飲茶のスタイル、様式にも関係してのことである。
 昼の飲茶の「午茶」を、一人で楽しむ人がいないわけではない。
 が、多くの場合は、連れ添う仲間がいる。平日などは、仕事仲間か、あるいは、仕事相手との語らいだったりするようだ。それが週末になると、家族の集いが中心になる。その様子は、手に取るようにわかる。
 そんな「午茶」の飲茶は、点心を何種類かと、野菜の炒めもの、煮込みものなどに、「粉麵飯」から何か一品、というのが至ってオーソドックスな料理構成である。日本のガイドブックなどでは、点心ばかりがずらり、というのがほとんどだ。
 飲茶は点心だけを食べるもの、と理解する向きもあるようだが、実情は違う。「陸羽」の「粉麵飯品」が午前11時から用意される理由もそんなところにある。
 さて、「陸羽」の麵類だが、麵の種類は「生麵」、「伊麵」、幅の異なる「辦麵」が2種。ビーフンは細い「米粉」、幅広の「河粉 」がある。
 サイズは「窩」、土鍋入りのものと、「碟」、ひと皿ということだがゆうに3~4人分はある。そして「碗」。ひと碗、一人用のものである。
 まず「窩麵」のメニューは七品。その最後に「免治牛肉窩麵」というのがある、のが面白い。
 次いで、皿盛りの麵がずらりと並んでいるが、そのほとんどは炒麵で、とろみあんかけのものが多い。その中には「星州米粉」、シンガポール風のビーフンや、「干炒牛河」、牛肉と幅広ビーフンの炒めもの、なども含まれる。
 悔しいことに私はまだ「麵品」のメニューのすべてを踏破しておらず、何品かを食べたことがあるだけだが、いずれも失望したことがない。
 たとえば具沢山の「八珍炒麵」。それとは対照的にいたってシンプルな「鮮菇蝦仁辦麵」など、素材の新鮮さ、調理、味付けの巧みに目を見張ったものだ。なんてことないのに、旨い、のである。
 さらに、碗盛、一人用のスープ仕立ての麵料理が25品。その最後から2品目にあるのが「京醬肉麵」。さきにもふれてきた「京都炸醬面」である。
 が、「陸羽」の「京醬肉麵」は、実際には汁なしで「炒麵」式か「撈麵」式のもの、汁ありの「京醬肉麵」がある。さらに、その麵を好みに応じて変えられるのだから、全部で8種、ビーフン2種を加えれば10種の「京醬肉麵」があることになる。もっとも、基本的には、麵の注文が多く「米粉」、「河粉」で注文する人はそういないようだ。
 「陸羽」の「京醬肉麵」を初めて食べたのは、初めて「陸羽」を訪れた時のことだった。飲茶のメニューにその名があったからだ、と思うが、頼んだところ目の前に現れたのが、汁なしのそれだった。甘味、辛味が一緒くたになった濃厚でいて、なんだか懐かしい味がしたのを覚えている。その懐かしさは、今から思うに「酢豚」の味付けに似ていた、からではないかと思う。
 そして知ったのが、汁ありの「京醬肉麵」。それはスープ入りの麵とともに「炸醬」の具が別皿で添えられているものだ。その具をスープ入りの麵に注ぎいれて食べるのである。
 
 スープ、というのは「二湯」だが、「陸羽」のそれは独自の工夫がある。汁なしなら「炸醬」の具をそのままに味わうことになるのだが、汁、つまり、スープ入りの麵に「炸醬」の具を注ぎ入れると、甘味、辛味が和らぎ、ほどけて、まろやかな味、風味になる。鋭い辛味で刺激が欲しければ、広東人好みの「辣椒醬」を加えればいい。
 「陸羽」の「京醬肉麵」は、顧客の間でリクエストの多い人気メニューのひとつ、だそうである。
 実際に食べれみれば、その理由に納得がいく。
 懐かしさがこみあげてくる味だ。老舗の風格、気品、洗練がそれから汲み取れる。
 同時に、時代から取り残され、しかも、ひなびた趣がある、というのにも惹かれる。
 香港の歴史が刻まれた味、といえるだろうか。
 画像は、その「京醬肉麵」の使用前、使用後、である。

2007/02/25

閑話休題~マカオ・香港の旅(13)


 「京都炸醬麵」という麵料理がある。
旺角にある「好旺角」のそれが有名だ。蔡瀾さんが前出のブルータスの96年12月号での私との対談、さらに「香港美食大神」や、名前は逸したが幻冬舎から出ていたガイドで紹介されていたからご記憶の方もいらっしゃるだろう。
 「炸醬麵」とはいっても「これは北方のそれとはまったく違う広東人の「炸醬麵」で、麵自体に歯応えがあってよい。柔らかい北方の麵とは違うのである」と、蔡瀾さん。けど、味については「炸醬が小さな皿に分けられて運ばれてくるので、甘すぎたり、から過ぎたりするのが嫌な人は、これを好きな風に味付けできる」としか触れられていないから、甘くて、辛い、ということが想像できるだけである。
 ちなみに「好旺角」の麵は2種類。ひとつは幅広の辦麵風のもの、もうひとつは生麵である。他に蛋麵、また米でできた幅広ビーフンの河粉、細めの米粉などもある。蔡瀾さんの好み麵は、生麵のようだ。
 
 確かに「好旺角」の「生麵」は腰があってうまい。もっとも「炸醬麵」との相性ってことになると「辦麵」も悪くない。 で、ここの「炸醬」の味、簡単にいえば、豚肉の甘辛炒め、ということになるのだが、その甘さ、辛さ、みその味がポイント、なのだ。
 甘さは「酢豚」の甘さに近い。そう、酸味もあって、火を通した醋の甘味、旨味が感じられる。で、辛味だが、たとえば日本なら「(辣椒)豆板醬」とは味も風味もことなる広東風の「辣椒醬」の味、なのである。
 もしかして、辛味味とみそ味を加味した「酢豚」のタレの味、という表現がわかりやすいかもしれない。酢豚ほどに酸味が利いていない分、みそのこくのある味、風味がする。
 ともあれ、その甘さ、辛味、というのは広東人好みのもの。伝統的な広東料理にでも特徴的なものなのだ。だから、蔡瀾さんは「広東人の「炸醬麵」」と触れているわけである。
 その「炸醬麵」、街中にある「粥麵店」、それも広東系の店、それに、中式西食を看板にする「餐廳」のメニューにあったりもする。ことに「餐廳」でのそれの、甘さ、濃さ、そのくどさ、しつこさを、試してみるのもおもしろい。そう、突然思いあたったのは、本来は薄味、さっぱり味好みであるのにもかかわらず、その対極に位置しながら、愛してやまない関西人の語る「コテコテ」に、通じるものだ。
 そんな広東人好みの「炸醬麵」、ということであれば無視することができないのが、な、なんと、陸羽茶室の「京醬肉麵」なのだ! 画像は陸羽茶室の「粉麵飯品」のメニューである。

2007/02/19

蟹黄魚翅撈飯(33)

 桂林への旅はたった1日。駆け足で観光名所を巡り、2日目の夜には広州に戻っていた。が、その内容、ことに食に関しては大いに収穫があった。

 桂林に到着した深夜、出迎えてくれたのは地元の観光局の女性だが、なんと、遼寧省から、新しい仕事を求めて桂林にやってきたという。桂林は山間部の盆地にあるから夜もぐっと冷え込む。北から来ましたから寒さには慣れてますが、でも、桂林の冬は苦手なんです、という。どうしてまた?と尋ねたら、北の冬は乾いていますが、ここは、湿度が高くて、寒さが凍みますから、と。


 翌日、朝食もそこそこにざっと市内を回ってロケハンし、桂林観光の目玉である漓江下りの船に乗り込んだ。その景観もさることながら、船上での昼食に大いに盛り上がった。 花より団子である!
その時の料理内容は以下の通りだ

四小碟(前菜、四皿)

 香酥吹喜/タロ芋の揚げ物
 西芹豆腐/干し豆腐とセロリの和え物
 油炸花生/落花生の揚げ物
 油泡川蝦/川蝦の唐揚げ物


 豉汁炒田螺/たにしの豆豉炒め
 油炸鶏/鶏の唐揚げ
 時菜木耳炒肉/ブロッコリー、きくらげと豚肉の炒め物
 時菜炒旦/青菜と卵の炒め物
 炒油菜/菜心の炒め物
 清蒸草魚/そう魚の蒸し物
 三鮮粉絲煲湯/鯪魚のつみれと春雨のスープ


 炒め物、揚げ物のオンパレードだが、どの料理も素材を生かした惣菜的な味付けで、シンプルだし、素朴な味わいだが、すっきりとしていて無理がない。あっさりした軽い味付けのもの、調味料を適度に按配よく使い、メリハリを利かせた濃い味のものもある。川蝦、それに、魚の蒸し物が、「鯇魚」「そう魚」だったり、スープの具が「鯪魚」のつみれだったりするのが、いかにも中国、それも南方の地方色を感じさせる。日常的な惣菜をもとにした、もてなしの料理、メニュー構成である。ひなびた風情もあって、それがまたほほえましく、好感を覚えずにはいられなかった。

 そういえば、かつて九廣鉄道で、広州に何度か旅したさい、食堂車が備え付けられていた。ものは試しと、出向いて何品か食べたことがある。船上の料理は、料理内容、味、風味、いずれの点においても勝っていた。


 漓江の船下りは、全コースを踏破するには時間を要する。そんなことから、途中の陽堤で下船し、桂林の街に戻ることにした。その途中に目の当たりにした光景が忘れられない。私にとっては漓江下りの景観などより、はるかに刺激的だった。


 真っ平らな田圃のど真ん中に、三角おにぎりのような岩山がそこかしこに散在していたのだ。山、といえばなだらかな傾斜がふもとからはじまり、丘がつならり、やがて、険しい峰々がつななる。そんな光景を思い浮かべる。ところが、桂林の郊外で目の当たりにした岩山は、真っ平らな田圃のど真ん中に、ふもとのなだらかな傾斜もなく、いきなりぬっと頭をもたげているのである。壮観、というのだろうか。何かしから心突き動かされるものがある不思議な光景、奇景だった。


 桂林の街に戻ってからは、観光名所を再び巡り、そして、食探索。街中の店の何軒かに飛び込んで、地元の食を試し、楽しんだ。

 なかでも印象に残っているのは「米豆腐」。米をつぶし、炊いて、冷やし固めたものだ。ツルンとした触感で、舌にのせて、口中で押しつぶすとぶちゅっと潰れて、米の味がする。しかも、酸辣の味付けなのだ。酸味は漬物の「酸芥菜」、辛味は唐辛子。漬物の乳酸の味、風味が、すっきりとして爽やかで、旨味もある。それに、唐辛子が旨い。フルーテイーな甘味が潜んだ唐辛子だったのだ。

 「桂林魯菜粉」、「桂林魯菜湯粉」、「桂林三鮮炒粉」などにもトライした。
 
 「粉」というのは、いわば幅広ビーフンだが、「河粉」ほどに幅は広くなく、その半分ほどだ。それに「桂林三鮮炒粉」の「粉」は「切粉」といって、その形状がまた違った。ともあれ、「酸芥菜」と唐辛子、それも唐辛子ミソが、味の決め手だ。「「酸芥菜」を使うのは、漬物の発酵した酸味、旨味を生かしたものなんです。「醋」の酸味だと、どうしても自然な味ではなくなるし、すっきりとした味にならないんで」とはお店の人に取材して聞いた話だ。そして、辛味と同時に甘味が潜んだ桂林の「辣椒」、唐辛子も、味の決め手、ということだった。


 実は、私は「桂林辣椒醤」を愛してやまない人間である。四川の「豆板辣椒醤」などよりも辛味が利いている。それでいて、旨味がある。もちろん、四川の「豆板辣椒醤」の、ひねた味のものも好みで、四川風を再現してみたい時には活用している。が、「桂林辣椒醤」は、それとはまったく、味、風味の異なるものなのだ。日頃愛用しているのは、香港産のもので「冠益食品」のものだ。

 そんなことから、なんとか本場桂林の「桂林辣椒醤」を入手したいと思い立ったのだが「それはないです。だって、店でも家庭でも、それぞれに工夫して作ってますから。市販のものもありますが、お勧めはできないです!」と、キッパリ。

 当然、その店特製の「辣椒醤」を何とか入手したいと思ったのだが、それもあっさり断れた。なら、唐辛子の良いものを見つけるしかない。


 そうなのだ、アジアの国々に旅するようになって、土産物として入手してきたのは、訪れた場所の「塩」と「唐辛子」、及び唐辛子の加工品である。 店の人に教えられた唐辛子の専門店で、桂林の唐辛子を購入。もちろん、粉砕加工したものだが、驚いたのは唐辛子の種まで入っていたことだ。

 
その際、購入した桂林の唐辛子、アジアの各国で手に入れたものとは、味、風味が違った。桂林にもう一度旅したいと思うのは、あのおにぎりにょっきりの岩山の光景をもう一度確かめたいのと、桂林ならではのビーフンもさることながら、桂林産の唐辛子をなんとか、入手したい。その思いでいっぱいになる。

2007/02/17

閑話休題~ヴァレンタイン!





 ヴァレンタインの素敵な贈り物が届いた。
幼い頃からの知り合いで、今は東京でいわばマネージング・デイレクターとして勤務にあたっているMichelleからの贈り物である。
 伝統的な広東料理を紹介した「伝統粤菜~精華録」、伝統的な広東料理を踏襲した香港のそれを紹介した「古法粤菜新譜」の2冊だ。
 陳夢因の「特級校對《食經》」をもとに江獻珠が選んだ料理、さらには広東料理の名菜、郷土料理、また、様々な故事が紹介されたものだ。
 同著では広州の名店とされた文園、南園、西園、大三元の名菜も紹介されている。しかも、大三元の名菜として紹介されているのは「紅焼大裙翅」。「伝統粤菜~精華録」の裏表紙の上に紹介されているのが、それである。

蟹黄魚翅撈飯(32)

 広州に到着したのは昼過ぎ。その夜、桂林に向かうことになっていた。

 その間、市内各所を巡り、撮影の下見をした。茶館などにも案内されたが、驚いたのは年代物の「普洱茶」の値段の高さだった。その状態、また、香りからすれば、高価であるのも納得できたが、香港と広州の物価費の差などからすれば、べらぼうに高い。明らかに観光客目当てとしか思えなかった。「菊花香片」、「頂凍烏龍」などもあったが、いずれも「今いち」、「雰囲気だけの店」と、当時、記したノートにある。すんません、正直で、率直なもので!


 桂林の出発前に、観光局の人の案内で打ち合わせを兼ねて食事に出かけた。
 記憶によれば、広州の最新のトレンドの店、たとえば他誌で紹介されいた南海漁村、それに、西崗漁村、香港仔などの店の名を教えられたが(ノートにその記述がある)、どうも乗り気がしなかった。それよりも伝統的な広東料理が食べられる店、ということから、その両方を兼ね合わせた店、として案内されたように思う。

 その名はなんと「福臨飯店」。マカオに「福臨門」という店があって、ガイドブックの中には香港の「福臨門」と関係があるような記述があるが、まったく無縁であることはいうまでもない。それに比べれば「飯店」という名の方が、まだ愛嬌がある?それも、料理人が「番禺」の出身だと聞いて、え!と唸った。福臨門の徐維均さんの父君、徐福全さんの出身地と同じではないか。


 その夜、食べた料理は以下の通りだ
 「拼盤/焼鴨、叉焼」「高湯雙頂裙翅」380rmb
 「菜膽屯鮑翅」180rmb
 「福臨脆皮鶏」60rmb
 「魚茸煎旦角」36rmb
 「清蒸桂魚」
 「白灼菜心」

 rmbというのは、人民元、つまりは値段である。
 
 「高湯雙頂裙翅」、「菜膽屯鮑翅」ともに1位用、一人用のものだった。「雙頂裙翅」、「鮑翅」の名をメニューに見つけて頬が緩んだに違いないが、なんのコメントも記してないことからすると、並か、それ以下だったか。
  「脆皮鶏」も「龍崗鶏」ということだったのだが、どうもピンとこなかった。

 それより「清蒸魚」が「桂魚」だったことに興奮した。これまで、触れてきたように、中国の淡水魚、川魚の中で王者とされる「けつ魚」である。

 その店に行くまでに、先に名前を触れた「南海漁村」など、地元で評判だという最新のトレンドだという「港式」の海鮮料理の店の何軒かを見て回った。


 そういえば、福臨門の羅安さんの弟子に霍錦常さんという人がいた。福臨門の出身で、文華酒家の「文華」、ついで日航酒家の「桃李」の料理長を務めて後、広州の店に移ったという話を聞いていた。「文華」、「桃李」ともに霍錦常さんの料理に出会い、感動したことがある。そんな霍錦常の店をさぐりあてたい、という目的もあったことを、思い出した。

 話を戻して、最新のトレンドだという店を見て回るうち、驚いたのは生簀に香港の海鮮料理店と同様、多くの海水遊魚が泳いでいたことだ。

 「石斑」の「紅斑」、「星斑」、それに「青衣」。青蟹の一種の「肉蟹」、「膏蟹」等とともに、香港ではほとんど潮州料理店でしか見ることのない「花蟹」までいた。茹でて、冷まして、店先にぶら下げられている「凍蟹」ではない。生きたまま生簀にあった。 台湾産の「鮑魚」、つまりはとこぶしもあった。それに「澳州」、つまりはオーストラリア産の伊勢えびまでもあった。なんという流通の発達、とその時、正直思った。国交のないはずの台湾からの海鮮の輸入が行われていたのだから。それ以前に広州で「花蟹」にお目にかったことに驚いた。おそらく新鮮な魚介は、珠江をさかのぼって届いたのにちがいない。

 その前後、上海に音楽関係の取材で何度が旅したことがあった。初めて上海に行ったのは80年代半ばのことである。以来、10年あまりを経た上海の食の様相はすっかり変わり、浦東にはまさに「港式」の海鮮料理を看板にする店がいくつも誕生していて、それらが最新のトレンドであることをつぶさにしたことがあった。もっとも、上海での海鮮の魚介の種類は限られていた。やはり淡水魚が目だって多かった。

 それに比べ、広州のそれは、香港とほぼ変わりなかった。 と、同時に最新の「港式」の海鮮料理を看板にする一方で、それらと隣りあわせで「桂魚」、「生魚」さらには「大鱔(花錦鱔)」などの淡水魚が泳いでいた、というのがいかにも広州らしい。さらに、菜譜には「鯇魚」、また「鯪魚」の料理が載っていた。

2007/02/15

蟹黄魚翅撈飯(31)

 広州に出発する前、あらかじめプランを立てていた私は、事前にそれを地元のコーディネイターに伝えていた。なんとか「大三元」、「大同酒家」、「沙河大飯店」を取材したいこと。飲茶の点心の取材は「泮渓酒家」で、と連絡しておいた。

 が、現地に到着してみると「大三元」、「大同」ともに、取材は難しいという。「沙河大飯店」も、取材に非協力的、とのことだった。

 私が広州に出かけた前後、私同様、JASの関空発広州便の開通に関連して雑誌などから依頼され、先に現地に向かい、すでにいくつかの雑誌などで広州の食事情が紹介されていた。その中に、私の知人である、大阪で門上武司の主宰するジ・オードのスタッフだった藤木縁、フォト・ジャーナリストを自称する森枝卓士などもいて、二人からも情報を入手していた。が、いずれも広州の最新食事情の紹介が中心で、伝統的な料理や点心を看板にする店も紹介されていたものの、私自身はすでに体験済みで、悪い印象こそないが、触手をそそられるほどでもなかった。

 実際に現地に到着し、コーデイネイター、地元のいわば観光局のスタッフだったのだが、担当氏を直接話をしてみて、日本からの取材陣が紹介する店が似通っているいる理由も判明した。どの雑誌も広州の最新の食事情を紹介することに主眼が置かれ、地元のスタッフもその要求に応じてのもの、というのがその理由のひとつである。
 

 おりしも広州では、香港資本が積極的に進出し、中国との共同資本による新たしい店が相次いで開店し、香港式の海鮮料理、香港式の広東料理を紹介し、評判を得て、最新のトレンドとなっていた。また、西貢などにもそれに倣った地元資本の海鮮料理店が相次いで開店し、賑わいをみせていたのである。

 一方で、地元、広州で名店、老舗として語られている店も賑わいを見せている店もあったが、それらには取材を歓迎する店がある一方、非協力的な店もあり、それを突破するのは難関である、とのことだった。
 

 私としては、最新のトレンドにも関心がなかったわけではない。それも、香港式の海鮮料理が最新のトレンドだということであれば、その実情を知るのも面白い。
 

 話は前後するが、90年代初頭以来、中国本土では「港式」の「海鮮料理」が、最新のトレンドとして中国の各都市で流行にもなっていた。面白いのは「港式」あるいは「港風」は、食事情だけに限らなかったことだ。しかも、その最大の要因となったのが、他ならぬ香港の最新のポップス、香港の歌謡/ポップス系の歌手達の存在だ。中国本土を凌駕してしまった、と言う表現も決して過言ではないほど、香港の歌謡/ポップス系の歌手達は絶大な人気と評判を獲得。彼らの装いがそのまま最新のファッションとして受け入れられるということもあった。

  ことに若年層の支持を得て、香港の歌謡/ポップス系の「追っかけ」なども出現して、社会問題にもなったほどである。
  香港の歌謡/ポップス系の歌手のほとんどは、当初は広東語で歌っていた。80年代、それも80年代半ばから90年代半ばかけては、それら香港の歌謡/ポップス系が広東語で歌ったCANTO-POPSが、最盛期をきわめて時期である。が、香港の音楽市場は狭い。ということから、彼らは音楽著作権が整備され、市場規模の大きい台湾にターゲットを絞って北京語/普通語で歌いはじめ、台湾を制覇する。それが台湾から上海へと飛び火したのだ。

 1978年以後、市場開放政策を実施するようになった中国で、最初に受け入れられた外国の音楽は、欧米のポップスもさることながら、北京語/普通語で歌う、台湾の最新の流行歌/歌謡曲である。その最大のヒロインだったのがテレサ・テン。もっとも、当時、中国でヒットした「何日君再來」が、中台の政治の渦に巻き込まれ、発禁処分の憂き目にもあう。

 そうした事態などを経ながら、かなりの間、中国の流行歌の最新のトレンドを占めてきたのは台湾の歌謡曲/ポップスだったのだが、そこに、北京語/普通語による香港産の歌謡曲/ポップスが登場し、たちまち、台湾のそれを凌駕することになる。


 食事情にも同様のことがあった。香港式の海鮮料理が、中国で最初に取り入れられるようになったのは、香港に近く、また、香港の投資家にとって同じ広東文化圏にある広東省、その州都である広州だ。しかし、中国全土に及ぶほどの影響力は持たなかった。中国全土に影響力を持っていた流行の発信地は上海である。上海で流行した「港式」の「海鮮料理」の流行は、北京にもたどりつき、最新のトレンドにもなる。さらに、それは四川の成都にも及ぶことになった。

 ともあれ、経済的な発展途上にあった中国の地方都市において、食の最新流行は「港式」の「海鮮料理」である。荻昌弘さんに誘われて参加した、千葉の知味斉を本拠にしていた「知味の集い」での南京、揚州への食の旅以来、久々に訪れた南京、それは、中国を代表するロックバンド「黒豹」のコンサートを見るためにでかけたものだったが、その際にも「港式」の流行を知ったものである。


 そうした事情を踏まえた上で「港式」が最初に受け入れられた広州の最新の食事情、そのトレンドを知るのも悪くはない。とは思ったものの、広州の老舗、名店の名菜にであいたい、という気持ちを抑えることはできなかった。

2007/02/14

蟹黄魚翅撈飯(30)

 95年11月、広州、桂林の取材旅行に出かけた。今は無くなってしまった学研の「ラ・セーヌ」誌から依頼によるものだった。同じく今は無くなってしまったJASの関空と広州を結ぶ空路が開通したのがきっかけだった。一緒に出かけたのはフォトグラファーの菅洋志さん。長年の知りあい、というよりも家族付き合いのある友人のひとりである。

 菅さんは、アジアの風景、そこに暮らす人々や生活を撮った数々の写真集を出版し、これまでに土門拳賞はじめ数々の受賞歴を持つ。ちなみに、私が最も愛してやまない菅さんの写真集は「博多祇園山笠」(95、海鳥社)だ。

 菅さんには撮影に専念してもらう一方、私は、取材先の選択や決定、実際的な取材収集などの編集業務のすべて、料理撮影時のアシスタント、さらにはモデル!を務め、執筆も担当した。


 取材にあたって現地にはコーディネイター、ガイドが用意されていたが、観光案内は彼らにお任せにするにしても、食の案内に関しては、彼らにすべてを任せ、その情報をそのまま紹介する、というおざなりなものはしたくなかった。すでに何回か広州に旅した経験もあり、香港の知人を通じて様々な情報を得ていたから、ひとひねり工夫を凝らした案内を試み、それを実践したかったからだ。

 初めて広州に旅したのは80年代初めの頃である。広州は、中国南部では最大の都市、とはいえ、当時、市中の道路はまだ十分に整備されていなかった。車やトラックが猛スピードで突っ走り、しかも、信号無視などは当たり前。先行する車両を追い抜くためには対向車線にずかずかと入り込んでいく。あわや!という場面に何回もでくわし、肝を潰したことが何度かあった。

 一番の繁華街である沙面近くの百貨店に入ったが、香港の中国系のデパートでの物資の豊富さなどとは対照的で、品数も少なく、素朴で質実そのもの。カミサンなどは、必死になって品物を吟味する地元の人たちの間に分け入ってまで、買い物はしたくないと、品物を眺めるだけだった。

 おまけに「六二三路」周辺は、ブロックごとに物乞いが立ち並んでいて、観光客の姿を見届けるとつきまとう。物乞いのテリトリーは厳密に管理、区分されているらしく、ブロックごとに顔ぶれが入れ替わる。そんな有様だったから、かみさんは広州への旅はこりごりだともらしていたものだ。

 が、私としては香港では入手が難しかった食関係の書籍などが入手出来たことから、広州に旅することはいとわず、何度か出向いた。かみさんも否応なしに同行したものである。


 そんな時代を経て、出かけた広州はすっかり様変わりしていた。道路は整備され、街の様子も明るくなっていた。食事情も大きく変化していた。ことに目立ったのは香港から食関係の企業が数多く進出し、中国との共同資本による新しい店が相次いで生まれ、香港式の海鮮料理、あるいは、香港式の広東料理が、最新の流行になっていたことだ。

 一方、かねてから存在していた広州の料理店、茶樓なども、経済的な繁栄を背景に、賑わいを見せ、活気づいていた。

 その取材時、なんとか実現したかったのは、香港の広東料理店における宴会料理、さらには広東地方の郷土料理、家庭料理の源流をさぐること。さらには、香港と広州とのそれらの差異や現状を探り、確認したかった。


 そして、郷土料理、家庭料理に関しては、素晴らしい店を見つけ出した。もっとも、それは香港の友人、作詞家として知られる潘源良から教えられたものだ。

 その店については後に改めて詳しくふれるつもりだが、香港で言えば、かつての「叙香園」、その流れを汲む「酔湖」とほぼ同じだ。旬の素材を生かした「湯」、「小菜」の類が実に豊富で、明らかに順徳/太良地方の「鳳城風味」によるものだった。
 
 素材の生かし方が素晴らしく、口あたりがさっぱりした料理もあれば、適度の調味料を生かしたメリハリのあるきりっとした味わいのあるものもある。最も印象に残ったのは旬の素材を使った「例湯」。それに「蓮藕餅」だった。

 それまで食べてきた「蓮藕餅」といえば、ひとかじりすれば、ぱり、さくっとした噛み応えのあるものだった。それがその店の「蓮藕餅」は、口当たりはしんなり。しかもしっとりとしとしていて、味わい深い。後にも先にも、そんな「蓮藕餅」には出会ったことがない。今だ、その印象は強く残っている。


 そして、伝統的な広東料理。目当ては「紅焼魚翅」だった。

2007/02/12

閑話休題~マカオ・香港の旅(12)


今回の超過密ハード・スケジュールによるマカオ・香港取材を敢行しながら、その間隙を縫って、香港の「粥麵」事情のフィールドワーク!を再開したのにはわけがあった。
 そもそもの発端は、昨年、5月、藤田恵美の香港、上海公演の取材を依頼された際、久々に湾仔のホテルに滞在。暇な待機の時間、湾仔界隈を散策。小食店、粥麵店の変貌ぶりを目の当たりにし、刺激を受け、これは再調査の要あり、と思い立ったのだった。
 以来、かねてよりストックしてあった粥麵店、粥麵事情を紹介した新聞、雑誌記事のクリップ・ファイルを再整理し、再検討。「新・香港的達人」のために準備していたものである。

 
 今回、マカオに到着した日の夜、滞在したホテルの広東料理店で、寝ぼけたような家郷菜を味わい、マカオらしさ、マカオならではの広東料理を再認識しながら、やはり、満足感を得られずにいた。で、ホテルの部屋には私好みの「酒」、「水」がなかったことから、夜の街に買出しに。
 7/11を見つけたものの、その商品構成がこれまたマカオ的、なのである。長洲の裏通りにある雑貨屋に匹敵するほどその内容は乏しい。しかも、実にいなたい、のである。思わず店の人に、近隣にスーパーは?と尋ねたら、英語が通じない。広東語で「超級市場は、有りや?なしや?」と尋ねたら、ついその先だというではないか。が、それもゆるくていなたい「超級市場」でありました。
 
 その帰り道、とある小食店の前を通った。なんだか「匂う!」ものがあった。飛び込んだことはいうまでもない。 店内に入りあたりを見回すと、ほとんどのテーブルの上にあるのは、麵料理と思しき品々と、小菜の皿々。壁のメニューを見て「雲呑麵」が看板だとわかり、早速、注文。
 「だし」は、いたって普通。並である。鶏ガラや豚骨などをベースにしたものだろう。「大地魚」や「蝦子」の風味もある。が、味は押し付けがましくなくて、穏やかだ。「雲呑」の具も「蝦」と「豚肉」のバランスが取れている、はみ出すものがない。いたってオーソドック、というより、ひなびた趣さえある。「雲呑麵」まで、マカオらしいのに思わずにんまり。
 やがて「あ、これって、昔、香港の「粥麵店」で食べたことのある味!」と思いあたった。懐かしい思いにかられた。
 その翌朝、滞在先のビュッフェで「雲呑?」を見つけ、食べた話は前述の通りだ。そうなのだ。眠っていたものに火がついたのだ。
 香港に到着した日、取材の関係からホテルから外に出られず、昼食に取ったのがルーム・サーヴィスの「叉焼雲呑麵」だ。
 
 「だし」は上品で、明らかに「二湯」が使われている。「雲呑」の蝦は新鮮で、ぷりぷりとした噛み応えのあるぶつ切りの身を混ぜ合わせてある。80年代半ば以後の、ホテルのルーム・サービスの「雲呑麵」に特徴的なものである。
 但し、叉焼は、今、ひとつ。焼きが足りず、香りが乏しい。厚切りだったのも、全体のバランスからすれば、につかわしくなかった。
 そういえば、かつては滞在先のホテルのルーム・サーヴィスやコーヒー・ハウスの「湯麵」や「炒飯」を必ずトライしたものだ。急いで食事を済まさねばならないこともあったからだ。
 といって、不味いものは食いたくない。その為に、あらかじめ怠り無く下調査していたのである。
 ちなみに、コーヒー・ハウスでは「湯麵」や「炒飯」よりも、「海南雞飯」を目当てにしていた。とはいえ、そのほとんどが「並」の味、アヴェレージだったのだが、案外、好んで食べていたのが、今はなきハイヤット・リージェンシー・ホテルのコーヒー・ハウスのそれである。
 香港に到着した日の夜、「生記飯店」での食事に不満が残っていた。そして、カミさんが寝静まったのをみはからい、近くの7/11に雑誌やらあれこれの調達にでかけたところ「羅富記」の軒尼詩道店が開いているを見つけ、思わず飛び込んだ。「雲呑麵」を注文したことはいうまでもない。以後、連日「雲呑麵」を食べ続けたのであった。
  香港を経つ最後の日、ぎりぎりまで取材で昼食もままならず。空港に向かう道すがら立ち寄ったのが、これまた「羅富記」。もっとも、私は「雲呑麵」ではなく「牛腩撈麵」。ついでに「浄鮮蝦水餃」にした。というのも、最後の楽しみにとっておきたい「雲呑麵」があったからだ。
 「羅富記」に立ち寄ったがために、空港の到着はチェック・インぎりぎりの時間。そして駆けつけたのはキャセイパシフィック航空のラウンジである。そこに「麵」のコーナーがあるのだ。
 メニューは2品。上海風の「擔々麵」と、広東式の「雲呑麵」。 「擔々麵」は、具にしっかりと味がつき、いきなり食べてガツンとくるインパクトがある。が、私には味がちょっと濃い感じだし、いきなりガツンの味も、そのうち飽きる。で、パス。そう、一応、試したことがあるのです。
  「雲呑麵」は、「麵」、「だし」、具の「雲呑」のいずれともスッキリとしていて、上品で、洗練されている。街中の粥麵店のように「大地魚」や「蝦子」を味の要にしたものではなく、料理店で出会える「二湯」をベースにした「だし」である。
  具の「雲呑」も、蝦と豚肉、それに調味のバランスがとれている。街中の粥麵店での「雲呑麵」とは明らかに趣が異なるもので、そのインパクトにはいささか欠ける。味の濃さを求める人には不満なのに違いない。蔡瀾さんなら、きっと文句をつけるに違いない。今度あったら、聞いてみることにしょう。私はOK。「口」にあってますから!
  そのラウンジの「麵」コーナーだが、「文華酒店」、マンダリン・ホテルの食品部によるものだってことを、今回、初めて知りました。 画像はその「雲呑麵」です。

2007/02/11

閑話休題~マカオ・香港旅行(11)


 湾仔の軒尼詩道と盧押道が交差するあたりから銅羅湾に向かう地域の周辺には、粥麵屋や小食店が立ち並んでいる。かつて「酔湖」(現在「生記飯店」があるところだが)に頻繁に通っていた頃、通りすがりにあっていつも気になっていたのが「永華雲呑麵家」だった。



 ある時、時間の余裕があって飛び込み、食べたのが「鮮蝦雲呑麵」。まずは「だし」に驚いた。それまで香港の粥麵店で食べてきた「雲呑麵」の「だし」だが、私には塩味が強く感じられ「濃い」という印象があった。その理由の根源は「蝦子」にあり、とにらんでいた。



 それが「永華雲呑麵家」のだしは、すっきりとして軽い。おそらくは「大地魚」を多く使って、旨味を出しているのに違いないと思った。さらに「麵」。それも「生麵」だが、しっかりした腰がありながら、スっと歯が入って噛み切れるサクサク感があり、おまけに「麵」、つまりは小麦粉の旨さもある。


 香港の「粥麵屋」に飛び込んで「雲呑麵」を頼んだものの、ただただゴムのように硬いだけという「生麵」に出会って、ひどい目にあったこともある。


 そして「具」。皮の「厚み」、というか皮の「薄さ」。それに、皮に対する「具」の分量、また「具」の中身の「蝦」のすり潰しようや、中身の按配、味付けもよく、しかも、「麵」、「だし」とともに「三位一体」のバランスを保っている、というのに驚いた。その「麵」が、機械打ちではなく、「竹」の棒をつかって、コネコネ、というのは後に資料を調べて知ったことだった。
 

 私が香港で最初に惹かれた「雲呑麵」は、佐敦にある「麥文記」だった。その近くにある「禰敦粥麵」も魅力的だった。

 が、いずれも「だし」が私には濃い目に感じた。「蝦子」を使っているせいだろう。そして「具」そのものでいえば、やはり威霊頓街にある「麥奀雲呑世家」のそれである。


 「雲呑」の「具」はおおきくはあるべからず、という店の信条を物語るのが屋号にある「奀」の一文字。

 小ぶりで、しかも、「具」自体、さらにはわたしには少々濃い目に感じる「だし」とのバランスからすればなるほどと思う。


  ちなみに上環の永吉街の「忠記」、それに、銅羅湾にある「池記」は、「麥奀」の親類関係にある。が、先代は店の企業秘密の全てを、彼らには明かさなかった、という話もあるのがおもしろい。


 そして「麥奀」のほぼ真向かいに雲呑の大きさを売り物にした店が開業し、香港でも話題になったのだが、単に「具」の大きさを誇示するだけで、「麵」、「だし」は、いまひとつだから、バランスにかける。その店は、日本のガイドブックに紹介されているのだが「雲呑が大きくて食べ応えあり!」、なんて「をいをい」というような紹介がなされている。



 「雲呑の「具」は、皮が薄くて、「金魚」の「尾」のようにひらひらとしてること。「具」の中身は、やはり「蝦」だけでなく「豚肉」が入ってなければ「旨味」を出せないからね。それに「蝦」と「豚肉」の分量の比率も、ポイント。昔は「蝦が3、豚が7」というのが一般的だったが、近頃は「蝦が9、豚が1」というのが一般的なようだね。それに豚肉も、肉の身と脂のバランスというのも肝心なところ、なんですよ」と語るのは「鏞記」の甘健成さんだ。


 「鏞記」の「雲呑麵」は、同店の名物料理のひとつである。むろん、「麵」はもとより、「具」、それに「だし」に工夫がある。 今回、久々に「鏞記」の「雲呑麵」を食べて、旨さを再発見したのでありました。

2007/02/07

閑話休題~マカオ・香港旅行(10)

香港にも、粥、麵にうるさい人がいる。粥通、麵通がいる。
 そうした人々がまず口にするのは、あそこのあれ、ここのこれが「旨い、美味しい」ということよりも、まずは「自分の口にあってるかどうか」ということだ。あくまでも自分の「舌」が中心、主体であり、すべての価値判断のもとになっている。

 自分の口にあった味を求める、というのは至極当たり前のことだ。そして、自分の口にあってこそ、旨い、美味しい、ということになる。香港人が語る「旨い、美味しい」という言葉の背景には、そうした事実、現実があることを見逃せない。
 たとえば「美味しい粥、麵屋はどこ?」という質問を投げかけたとする。粥通、麵通を自称する人なら、即座に店の名前を挙げるに違いない。それを語るのが自慢だったりするものだ。
 さらに、その理由を挙げてくれるはずである。と、同時に逆に問い返されるはずだ。
 「で、あなたは、どういう麵、出し、具が好みなの?」と。
 その答え次第で、さらに詳細な回答や説明が返ってくることもある。
 あるいは、「そうか、なら、どうだろうね」という答えが返ってくるはずだ。

 粥通、麵通でなくとも、好みの店があれば、教えてくれることがある。
 が、やはり、一般的には、その人が語る「旨い店、美味しい店」あるいは「旨い麵」というのは、彼の口にあったものであり、絶対的な価値観によるものではないことが明らかになる。

 そして、粥、麵通でもなく、ごく普通の人に同様の質問を投げかけた時、「う~ん、○○、かな」と、いささか消極的な答えが返ってくることが多い。圧倒的多数を占めるといってもいいだろう。というのは、私の体験に基づく話である。
 
 そうした人々に、「じゃ、普段、粥、麵を食べるなら、どういう店で?」と追求すると、たいていの場合、返ってくる答えは 「う~ん、近所の店」である。
 なら、なんで「○○」と店の名を口にしたのか。
 その場合、その人が実際に行った体験がある場合もある。が、たいていは、耳にした評判をもとに教えてくれたりするものだ。
 
 さすれば、どうして近所の店と言う答えなのか、問い詰めれば、「いつも行ってるしね・・・」と、答えはあいまいになる。
 さらに、話を問い詰めれば、要はなじみの味、そして、安心できる味だから、といのがその理由だったりする。
 もっとも、その「近所の店」というのも、不特定なものなのか、といえばそうではない。
 何軒か試して、行きつけの店になった」というのが大半を占めるのだ。
 そう、自分の「口」、「舌」にあった味を捜すプロセスを経て、立ち寄る「近所の店」なのである、という事実が判明してくるのである。
 たとえば、香港の麵通は「麵」、「だし」、「具」にうるさい。
 それも、当然、自分の口にあっているか、好みのものであるかどうか、といういことを基準にしての話だ。

 それは、日本のラーメン事情、ラーメン通が吟味するところとかわりない。そのままである、とも言える。
 香港の麵で最も一般的なのは「生麵」である。小麦粉が主体で、かん水が使われている。家鴨の卵も加えられている。
 香港の麵通が問題にするのは、その製造過程である。つまりは麵の打ち方だ。
 かつては、太い竹の棒で混ぜ合わせた粉をのしたものだ。が、今では機械打ちが主流となった。
 そして、生麵以外に、鶏卵をつなぎにした「伊府麵」がある。また、細めのもの、幅広のものと2種ある「辧麵」がある。
 もっとも、粥面店で多いのは、「生麵」と「伊府麵」だ。ほかに、米の粉を素材にした幅広ビーフンの「河粉」、細めのビーフンの「米粉」がある。

 
 そして「だし」。これは店によって異なる。だからこそのおもしろさなのである。
 「粥麵店」の「だし」は、経済性から言っても一般の料理店とは異なるのは当然な話だ。
 一般の料理店が「上湯」をとるように「老鶏」、「痩肉」、ましてや「火腿」を使うことなどありえない。
 基本は鶏がら、豚骨などだが、豚骨の使用については慎重な店もある。
 それよりも、「大地魚」(干したひらめ、時には、干したかれいをふくもこともあるようだ)、それに「蝦子」(蝦の子を乾燥させたもの)が使われることが多く、その使用量、扱いの按配が味の決め手になる。
 店によっては、地元産の小魚を煎り焼し、煮出してとっただしを使う店もあるようだ。そこが工夫のしどころである。
 と言う話など、昆布やだしじゃこなどの海産物を、だしに加えるか否か、という日本のラーメンの出しの話にも通じる。
 
 しかし、香港の麵店の「だし」は、濁っていたり、白濁させることはない。ということから、豚骨の使用は加減する、ということになるようだ。
 
 そして「具」。最も一般的なのは雲呑、蝦餃である。
 ことに雲呑が最も好まれているわけだが、まず、雲呑の大きさ、その形態、皮の食感、具の蝦と豚肉の比率、及びその味付け、がポイントである。
 それぞれ店ごとに独自の工夫がなされている。客はそれが自分の口にあっているかどうかを問題にする、という次第なのである。
 私の好みですか?今のところ、麺、出し、具のバランス、味わい、風味からいえば、粥麺屋では湾仔の「永華雲呑麵家」の「雲呑麵」ってことになります。画像がそれです。

2007/02/06

蟹黄魚翅撈飯(29)

 「中国名菜譜~南方編」(柴田書店、73年)に紹介されている「大三元」の「紅焼大群翅」では、日本語の料理名は「ふかひれの丸煮込みしょうゆあんかけ」となっている。その最後に「銀針」、つまりは緑豆もやしの炒め物の存在と、その調理方法が紹介されている。「大三元」では「銀針」もラードで炒める、と記されているのが興味深い。

 実は、福臨門はじめ、香港の高級海鮮料理店で「紅焼魚翅」を注文すると、必ずその「銀針」が添えられている。広州の「大三元」の「紅焼大群翅」にも明らかなように、伝統的なスタイルであり、香港でもそれにならってきた証といえるものだ。ここ20年来になるだろうか、「銀針」とともに「韮黄」、黄韮の炒めものも添えられるようになった。「火腿」の細切りが添えられていることもある。

 それにしても何故に「銀針」が添えられ、また「韮黄」も加わることになったのか。

 たとえば赤坂の「樓外樓」の「菜心扒翅」など、青梗菜などが添えられているが、それと同じく、ふかひれ料理に野菜を添える、ということに由来するようだ。
 もっとも、葉野菜、茎野菜などではなく、何故に「銀針」なのか。それは「銀針」の太さ、触感、味わいに関係がありそうだ。

 これまでふれてきたように、香港のふかひれ料理ではふかひれの一本一本の繊維の太さが問われる。そして香港の「銀針」は、日本のそれに比べれば細い。その太さは極上のふかひれである「裙翅」、あるいは「生翅」の太さに準ずるが、もしくはそれよりも細い。

  さらに、それらふかひれの「翅針」が持つ膠質特有のつるんとした滑らかな舌触り、ぷりっとした歯触りとは対照的に、「銀針」にはぱりっとした舌触り、さくっとした噛み応えがある。そんな舌触り、歯触りの対比。さらには、上湯を含んだ「翅針」の味わいと対照的に、「銀針」は、ほとんど無味にちかく、くせのない「清淡」な味わい、風味を持つ。「口を変える」には格好なものだ。

  また「韮黄」には、独特のくせ、風味があるのだが、それでいてふかひれの味わいを邪魔しない。それもまた「口を変える」には格好なものなのだ。

 日本の「もやし」の多くが、太く、また、水っぽく、独特の土臭さを持っているため香港の高級海鮮料理店で「紅焼魚翅」に添えられている「銀針」を実現するには、それなりの工夫が必要なのだが、残念ながら、福臨門以外、お目にかかることはない。

 それよりも、「もやし」を添え物として用意するのではなく、「紅焼魚翅」にあらかじめ入れたまま出す店がある。それでは「もやし」の持ち味、舌触りや歯触りが損なわれてしまう。おそらくは香港での様式を模しただけのことだ。しかも、そうした店に限って本場式に倣ったと自慢し、頑なに添え物として用意しない。あきれるより他ないのだが、高級店とされる店ですらそうしたことがあるのだから、救いようがない。 

   さて、「銀針」、「韮黄」の炒めものとともに添えられるものに「紅醋」あるいは「浙醋」と呼ばれる「赤酢」がある。香港で入手した本によれば「芥子」を添える、ということもあったようだ。「芥子」はさておき、「紅醋」がふかひれ料理に添えられるのは「紅焼魚翅」、あるいは「蟹黄生翅」など、濃く味付けされたものに限られる。「清湯魚翅」や「羹」の類に用意されることはない。

 その用途は、もともとはふかひれを戻す技術が充分ではなく、磯臭さを残し、あるいは、滑らかさに欠けるといった場合、消化の目的もあって、使用されたという。もっとも、そうした問題が解決されていれば不必要ともいえるものであり、むしろ、多量に使用することによって、上質なふかひれ、さらには上湯の味、風味を損ねてしまいかねない。現在では「紅醋」を添える、という形式をそのまま継承しているのがほとんどのようだ。

 といえば明らかなように「紅醋」はどぼどぼと注ぎいれるものでない。少々「紅醋」を、たとえばレンゲで掬ったふかひれに少量たらすといったように、先の「銀針」同様、「口を変える」ほどの量にとどめておくのが相応しい。上質の「紅焼魚翅」では必要のないものである。


 そういえば、かつて大きな鍋によそわれたふかひれの醤油煮込みや澄まし仕立てに、ブランデーを注ぎかけるという儀式が盛んに行われたことがあった、という話を耳にしたことがある。その役割を担うのは、客を迎えたホストであり、ブランデーの品種を吟味し、自慢げにその儀式を行った、という。が、それは、高級料理店ではなく、中流、及び大衆的な料理店での宴席の話だ。

 それらの料理の仕上げが充分なものでなかったことがそもそもの発端であり、いつしか儀式として浸透したのではないか、というものだった。福臨門はじめ、香港の高級海鮮料理店では決してみかけることのない光景である。

2007/02/04

閑話休題~節分





 今日、2月3日は節分の日である。我が家では正月に次いで重要なイヴェントが行われる日である。神戸にいた子供の頃には、その間の小正月も、我が家で重要なイヴェントだった。松飾りを外し、どんとを焼く。そこに割った鏡餅を投げ入れて焼く、と言うものだ。

 我が家では1日、15日はお赤飯の日、と決まっていたが、正月だけは例外だった。元旦はお節と雑煮。小正月には、とんどで焼いた鏡餅の雑煮を食べたものである。もっとも、東京にきて、結婚してから、小正月の儀式はやらなくなった。東京では松の内は7日までで、松飾りを外す。それに、鏡餅も小さいもの簡略してしまったから、雑煮にするほどの量もない。

 その代わり、節分のイヴェントが重要なものになった。今では全国的に知られるようになった恵方巻きの太巻きをこしらえ、鰯を焼いて食べ、豆まきをする。 恵方巻きの太巻き、海苔巻きは、スーパーやコンビニでも売られているのだが、ぎょ!と驚くことが多い。

 日頃、太巻きとして売られているものがそのまま売り出されているのはともかく、海鮮巻きをはじめ様々な種類があるからだ。チラっとのぞいて見える干瓢など、真っ黒けだ。味が濃そうである。それに、甘そうだ。

 我が家の恵方巻きの具は、出し巻き玉子以外はすべて精進ものである。干椎茸、かんぴょう、高野豆腐に三つ葉、という内容である。海苔は伊勢、答志島産の干し海苔。男海苔である。 例年、我が家のものだけでなく、姪っ子一家や友人にも配り歩くから、かなりの量を巻く。太巻きを巻くのと、出し作りのためのおかか削りが私の担当だ。が、今年はかみさんがパリとロンドンで開催されている展覧会に出品し、出席することになって私ひとりで恵方巻きの太巻きを作った。

 昨夜から漬け込んだ昆布、それにおかかを削って出しをとる。その傍ら、高野豆腐、干瓢、干し椎茸を戻す。出しをとってから、酒を煮立たせ、薄口醤油と砂糖で味をつけ、高野豆腐と干瓢を煮る。干し椎茸は戻し汁を入れてたく。すべて味つけは薄味仕立だ。

 煮込む間に、出し巻き玉子を焼く。米を洗い、昆布を浸して炊き、蒸らした後で酢飯を作る。その間に、具を切り刻んでおいて、準備万端。

 そして恵方巻きを巻いたのだが、ひとりですべてをやりこなすには、ことのほか時間がかかった。そして、いつもなら鰯の丸干しを焼くが、今年は目刺しにした。すべてが出来上がってから、今年の恵方、北北西をにらんで、一本丸ごと無言のまま、恵方巻き、それに鰯の目刺しに頭からかぶりついたのでありました。さて、これから、豆撒きであります。

2007/02/03

閑話休題~マカオ・香港旅行(9)

 画像を見て、首を傾げられる方も多いことだろう。
私も目の前にした時、驚いた。そして、思わず爆笑した。

 周中の「周菜」での料理は、文春臨時増刊号の発売までお預けなのはなんとも残念だが、いたし方ない。そして、料理の撮影、取材を終え、試食後にテーブルに運ばれたのがこれである。

 番外編の料理、裏メニューってことになるだろうか。その名は「上湯公仔面」。そう、「出前一丁」の面を使い、周中お手製の「上湯」で仕上げたものだ。

 上に載っかっているのは「煎蛋」、玉子の両面焼きである。おまけとして別皿で周中お手製の「XO醤」が小皿に添えられていた。

 今回の旅行のコーディネイターを務めてくれたJOYCEと周中はいつも冗談を言い合うほど仲がいい。「兄弟(とは私のことである)にはちゃんと料理を用意するけど、君には別の料理をしとくから」というやり取りがあったそうだ。そしてJOYCEのために用意されたのがこの「上湯公仔面」。

「火腿」をふんだんにつかった周中お手製の極上の「上湯」は、しっかり塩味が利いている。しかも「火腿」独特の醗酵した旨味、風味もある。それにくらべて、面はいささかぱさつき気味だ。インスタントのそれ、独特のものである。

 ところが「煎蛋」を箸でつつくとドロりと流れだす卵黄が「上湯」に混じり、「上湯」の塩味を中和し、スープは格別な味わいのものになる。

 それがぱさつき気味の面に絡みつく。そこに、ぶつ切りの「瑶柱」をふんだんに使った周中お手製の「XO醤」を加えれば味が引き締まり、風味が増す。JOYCEが狂喜したことは言うまでもない。極上の「上湯公仔面」、だったのでありました。

 周中は、頑固な料理人だが、こんなユーモラスな一面もある。「美女厨房」で評判を得た理由も察せられる。

 なにしろ、香港では今や「明星」の仲間入りを果たしたスーパー・シェフの周中である。

閑話休題~マカオ・香港の旅(8)




 今回の取材は3月発売予定の文藝春秋の臨時増刊号のためのものだった。
 50歳前後の人々を対象にしたシニア向けのムック、ということで、マカオ、香港の旅案内を仰せつかったのである。実は、私の周りにも50歳を越えるカップルの香港リピーターは少なくない。
 買い物や食べ歩き三昧よりも、ホテル・ライフを楽しみながら、街散歩やフェリーに乗り込んで足を伸ばして島巡り。食事も粥面屋、小食店、香港の中国式西洋料理を提供するいわば洋食屋の「餐庁」に飛び込んで手軽にローカルな「午餐」や「下午茶」を楽しみ、夜はしっかり贅沢な食事、といった趣のものだ。香港ならではの楽しみ、リピーターならではの香港の楽しみ方である。
 今回、私は、食にしろ、食べ歩きにしろ、懐かしいマカオや香港の面影を探る、さらに、懐かしい料理を振り返り、新しい食との対比を紹介したい、というテーマを思い浮かんだ。
 とはいえ、新しい店の紹介は、新しいガイドブック、それに、ネットのガイドに任せることにした。
 香港の最新のガイドの食案内をみると、その事情は日本の、たとえば東京の食ガイドとほぼ変わりない。目新しさやニュース性が重視され、ともかく、今まで紹介されなかった新しい店、新しい料理の紹介が目白押しである。そうして紹介されている店、料理の写真を見たところで、触手も出ない。
 新しい料理として紹介されているものなど、よくよくみれば伝統料理の焼き直し、今日版ってことがわかるからである。
 そんなこともあって、今回、香港で取材した店のほとんどは、すでになじみの店ばかり。私が香港にでむけば、必ず訪れる店である。もっとも、その分、料理の紹介についてはひねりを利かせた。詳細は、発売までお預けだが、その裏レポートを紹介しないではいられない。
 たとえば、今回、編集部から私家房、私房菜、いわばプライベート・レストランをなんとか取り上げたという要請があった。即座に思い浮かべたのは、香港での我が兄弟、周中の「周菜」である。
 86年、今はなきハイヤット・リージェンシー・ホテルに誕生した中国料理店「凱悦軒」の登場は、実にセンセーショナルなものだった。
 20~30年代の上海の茶室をモデルにしたモダンで斬新なインテリア。それにもまして、料理内容、そのプレゼンテーションが斬新だった。その担い手だったのが周中である。
 彼の料理に初めて出会った時、アレ!と思った。そのプレゼンテーション、料理の取り組みにどこかで出会った覚えがあったのだ。
 
 果たせるかな、周中は、80年代半ば、インテリア、サービス、料理内容、そのプレゼンテーションで香港に新風をもたらした「麒麟閣」、それをさらにグレードアップし、斬新でモダンなものにした「麒麟新閣」、ついで香港ホテルの「麒麟金閣」を生んだ「麒麟閣」グループ出身の料理人で、ことに「麒麟新閣」、「麒麟金閣」の斬新な名菜を生んできた人物だと知ったのである。
 
 「凱悦軒」の料理長となった彼の仕事を日本に最初に紹介したのは「an an」での香港特集での食案内における小さな記事だ。そこで「凱悦軒」のランチ・タイムの「1位用」、つまりは一人用のセット・メニューを紹介した。むろん、それまでに「凱悦軒」に通い、出会ったコース・メニューであり、だからこそ紹介したくなったものである。以後も「凱悦軒」に通い、周中の手になる創作的な料理に挑戦し、それらを試して後、雑誌などで紹介してきた。そのつど「以前に紹介した料理はパス!新しい料理をたのんます!」と依頼し続けたものである。
 周中は、西洋料理の素材なども積極的に取り入れ、斬新で創作的な料理を生み出してきたが、その基盤にあったのは伝統的な中国料理、それも、広東地方の宴会料理、郷土料理の数々にあった。アイデアの源はそこにあり、その素材を新しいものに置き換えたものだったのである。さらに、味付けの基本も、伝統的な広東地方の宴会料理、郷土料理にあった。
 「清淡」とした中に、広東地方の宴会料理、郷土料理に特徴的な「甜味」が常に潜んでいた。最上の
ダシである「上湯」の作り方に工夫を凝らしていた。また、素材の持ち味を引き出す術を工夫し、そこに調味料の生かし方を工夫して、最新の創作的な広東料理を生み出していたのだ。つまり、彼の料理はすべて、広東地方の伝統的な宴会料理、郷土料理を踏まえたもの、だったのである。
 「凱悦軒」は、ハイヤットリージェンシー・ホテルの結束とともに閉店した。そしてはじめたのが「周菜」、自身の私家房、プライベート・レストランである。上環のビルの1室にあり、8~12人用のテーブル、2~4人用のテーブルがあるだけだ。1日、2テーブルのみの客だけを受け付けている。
 自身のプライベート・レストランを営む一方、昨年、地元のTV番組「美女厨房」に出演。話題の美女が作る料理を評する審査員、コメンテイターを務めた。ざっくばらんで実直で正直でユーモラスなコメントが評判を呼び、たちまち話題の人となった。そして、2冊の料理本を出版。その内容は濃く、充実している。
 そんな彼の著作に、周中と食事を楽しむ私の写真が!(ギョ)。志木駅そばにある中国料理店で、周中を敬愛してやまない料理人の小林晋さんが経営する「チャイナドール」を訪れた際のものだ。
 そこには、今、話題の新進の料理人、三田の「桃の木」のオーナー&シェフである小林武志の顔も見える。周中に憧れる彼を私が誘い、同行したものである。

2007/02/02

蟹黄魚翅撈飯(28)


 呉昊著「飲食~香江」に掲載されている氏の入手した「南園」の菜譜のをさらにひもとくと、ますます興味をそそられる。画像がそれだ。
 先に紹介した頁では、ふかひれ、干し鮑、さらには魚類、そして家禽類のいわば大菜が紹介されていたが、続く頁では小菜の数々が紹介されている。酢豚なども見られるのが面白い。
 そして、右頁、上段、右から4品目に「窩貼石斑」、さらに、下段、右から2品目に「滑石斑球」があるのが目を惹く。
 「石斑」、すなわち「はた」の類だが、当時から、それが用意されていた、ということなのだろか。
 それに続いて「原盅補品」、広東地方の郷土料理に欠かせない湯煎蒸しによるスープの類がずらりと並んでいる。
 そして「外江鹵味」。主に内臓類を、漬け込み汁、あるいは煮込み汁である「鹵汁」で調理したものだ。それをあえて「外江」としてあるのは、そのほとんどが潮州料理を元にしていることに由来するのかもしれない。
 そして、最後は「焼烤」類。焼き物である。その最後に「焼金銭鶏」とあるのは、鶏肉の肝臓を蜜汁で焼いた鶏肝だろうか。今も懐かしい郷土料理としていくつかの店で出会える一品である。
 ともあれ「南園」の菜譜は、香港の広東料理の原点、源流が広州のそれにあったことを如実に物語るものだ。もっとも、残念なことに「南園」の菜譜から、料理名を知ることはできても、その料理方法や味付け、風味が不明である。
 そこで参考資料となるのが「中国名菜譜~南方編」(柴田書店、73年)であり、先に触れてきた広州の名店の名菜が紹介されている。
 なかでも興味をそそられるのは「大三元」の「紅焼大群翅」である。同著ではその料理方法が詳しく紹介されている。
 最も注目すべきは、ふかひれを戻し、煮込んで味付けした後の最後の仕上げだ。
 「強火でラードを熱し、酒を振りいれ、頂上湯を注ぎ、煮立たせ、化学調味料、上質しょう油、胡椒を入れてから、水で溶いたかたくり粉を加える。とろみがついたら「鶏油」をたらし、皿にもったふかひれにかけて出来上がり」、とある。
 まず「頂上湯」だが、老鶏、豚の赤身肉、火腿などで作ったもの。今の上湯と同じである。
 そして、調理の脂だが、ラードが使われている。また、調味料のうち、「上質のしょう油」は、原文では「老抽王」、つまりは塩分が少なく色の濃いたまりしょう油である。
 問題は「水で溶いたかたくり粉」の「かたくり粉」だ。原文では「生粉」とある。それは、厳密には「かたくり粉」ではなく、豆のでんぷん質のことなのだ。そして、日本で「かたくり粉」といえば、一般的にはかたくりからとれたものではなく馬鈴薯、つまりはじゃがいもの澱粉なのだ。
 「かたくり粉」の話は、後述することにしよう。
 ともあれ、調理にはラードが使われ、中国たまりしょう油で色あいと味がつけられ、さらに、仕上に「鶏油」が使われる。
 ということからすれば、現在の香港の一般的な「紅焼魚翅」に比べれば、脂っこく、濃厚な味、が想像される。
 そう、現在、香港の料理店では、ラードの使用は避けられ、花生油、ピーナッツ・オイルがもっぱら使われている。ラードが使われるのは、その味、風味が必要なときに限られる。もっとも、点心などでは今も使われることが多い。
 そして、仕上げの「鶏油」、それはおそらく、料理の照り、また、コクのある味、風味を出すためのいわば「化粧油」だが、それも避けられていることが多い。
 とすれば、「大三元」の「紅焼大群翅」は、濃厚でコクもあるしっかりした味わい、風味を持つふかひれのしょう油煮込みだったのではないか、と想像されるのである。