2008/01/30

冬の風物、野味宴(6)


 さて、福臨門の猪肉の料理。それより、香港で猪を食べるのかどうか。その点を香港生まれのミッシェルに尋ねたら、彼女、これまで一回も食べたことがない、話にも聞いたことがないという。
 ネットで調べてみたところ、雲南あたりでは猪を食べ、ことに頭が好まれる、なんてのを見つけました。ところが香港では、新界に野豬が出没し、農産物に被害をもたらす、なんてニュースがほとんどで、料理に関することは見つけられない。
 日本の福臨門の総料理長の呉さんも、猪を料理にするのは初めだそうで、思案にくれた様子です。
 料理方法として考えられるのは「果子狸」や今回の「梨子鹿」の胸肉の部位の料理と同じく、柱候醬で調味し、二湯(二番だし)で煮込む野味素材特有の伝統的な料理手法と味付け。ことに赤身のこくのある肉質はそれ向き。ですが、先に「梨子鹿」をその料理方法でと決めていたので、今回はパス。
 となると豚の料理から猪向きにアレンジ。ということで、提案があったのが、大根と人参、もしくは、タロ芋との炒め煮込み鍋。それとも、漬物の「梅菜」を使って「梅菜扣肉」風に、というアイデアもあり。
 その「梅菜扣肉」風に俄然興味を覚え、リクエスト。
 というのも、猪肉の味、風味の魅力のひとつは脂にあり。そう、牛、豚、羊、子羊の料理では、それぞれが持つ脂こそが、味、風味を引き立てる。それぞれがもつ脂をどうやって生かすかが料理の決め手、出来栄えを決めるからです。呉さん、まずは猪の肉を「煎」、つまりは焼付け、紹興酒などを調味料に、二湯で煮込んだそうな。ともあれ、猪の脂と赤身、その持ち味、資質をどうやって生かすか、ってことが課題になった様子。
 さて、仕上がった「梅菜扣野豬」、猪の脂、それに赤身の味、風味を巧みにいかしたものでした。おまけに「梅菜」の甘味、醗酵味の酸味、旨味も効果的。「牡丹鍋」もいいですけど、味噌味仕立てでは途中で飽きる。そんな鍋仕立てとはまったく発想のことなる広東料理の伝統的な料理手法を踏襲した一品。お代わりしたくなるほどでした。
 これなら、猪を豚肉同様に、蒸したり、煮込んだりもできるはず。しかも、広東料理ならではの料理手法、調味で、猪特有の味、風味、クセをいかした料理が出来ると私は確信。
 ですが、猪を素材にした料理に、香港の人が関心を持つかどうか。日本の人が広東料理式の調理、味付けによる猪の料理に関心を持つかどうか……。
 ともあれ、大分、日田市産の「梨子鹿」、それに「野猪」は、日本でしか味わえない。しかも、広東料理の手法による調理、調味によるもの。日本でしか味わえない広東料理による「野味宴」に、大いに盛り上がった私でありました。

 画像は「梅菜扣野豬」です。

2008/01/28

冬の風物、野味宴(5)

 大分の日田産の鹿の美味。
 「冬筍炒梨子鹿片」と「紅炆梨子肉」、どっちがいいの?って尋ねられたら「どっちも!」ときっぱり答えます。久々の鹿肉との出会いもさることながら、その肉質、おまけに部位によって味、風味がビミョーに異なる。

 かつて香港で食べたことがある鹿の料理といえば「黄猄」を素材にしたバーベキューと煮込み鍋。大分の日田産の「梨子鹿」は仔鹿でも「黄猄」よりも幾分か成長している様子。肉の柔らかさ、味、風味がそれを物語る。それに、福臨門ならではの伝統的な広東料理の「野味」の料理の手法を踏襲した洗練の美味だったってことも見逃せません。

 そんな「梨子鹿」とともに、同じ大分の日田で収穫した「猪」が銀座の福臨門に届いているという話に、色めき立った。
 奇しくも昨年の暮れ、宮崎在住のかみさんの友達から「猪」が贈り届けられた。

 脂と肉の比率が半分ずつ、牛や豚で言えばロースと思しき部位の冷凍物。牡丹鍋のことを思い浮かべて、思わず涎がこぼれたほど。一体、こいつをどうやって食べようかと冷凍庫を開ける度に思案を重ねていたところです。

 そこに福臨門に猪が到着という話。しかも、生肉だと知って、日和りました!
 そりゃ、冷凍よりも、生肉でしょう!

 猪と言えば、思い出すのは牡丹鍋。もっとも、最初に食べたのは、我が家流。本格的なそれを食べたのは、それからずっと後になってから。

 我が父、親父は銃砲取り扱いの免許を所持し、冬には狩猟にも出かけてました。そんなことから、冬場になれば親父の収穫物、猟友会の仲間から届く野鳥、猪、鹿肉などがいつもありました。台所の横の物置きに、新聞紙にくるまれた野鳥がぶら下がっていたりしたものです。収穫してもすぐにはさばかず、肉を蒸らし、寝かせていたわけです。で、捌くとなると、羽むしりから。というわけで、雉や野鴨の毛むしりを手伝わされました。

 雉や野鴨はたいてい場合、親父の好みもあってすき焼き風か七輪を取り出して焼き鳥風、つまりはバーベキュー。 「これでいいの?ね、ね?」などと親父にお伺いを立てながら、雉や鴨も焼いたこともあります。
 猪の肉は親父の収穫ってこともありましたが、たいていは猟友会の仲間からのおすそ分けだったようで。ともかく、親父が肉の塊をそぎ切りにし、ダシに味噌仕立ての鍋にして食べました。というのが、私の牡丹鍋との最初の出会い。

  ある時、鍋にしても有り余るほどの猪の肉が我家に到来。猪だと牡丹鍋風に味噌味仕立て。ですが、毎日、牡丹鍋と言うのも飽きるもので、そこで我が母親、鍋で食べきれない猪肉の塊で、ハムもどきをこしらえた。猪の肉を茹でてから、燻すなどして見よう見真似でこしらえた物です。

 それまでに牛の舌を煮込んだり、塩漬けにして茹でて作ったコンタンもどきがなかなかの味、だったからじゃないかと思います。牛舌を煮込んだり、茹でたりするのも七輪で。七輪の火を起こしたり、火加減を見るのは、最初は母親、やがて私の役割になりました。

 猪の肉の塊でハムもどきを作った、とはいっても、昔のことですから、香味野菜といえば生姜に葱。スパイスも山椒、白胡椒ぐらいなもの。もちろん、市販の粉末のもの。粒胡椒なんかではありません。
 そう、黒胡椒はおろか、気の利いたスパイス類、ハーブの類など我家には皆無。当時、昭和20年代後半から30年代にかけて、一般の家庭には、そんなものはありませんでした。
 いや、もしかして、ベイ・リーフぐらいはあったかも。

 さて、我が母親がこしらえたハムもどき。猪の肉は旨いものの、香り、というよりも匂いが強烈。それが食卓に上った日の夜、一応は誰もが口にした。しかし、それ以後は誰も口にしない。私といえばそのクセのある味、香りというよりも匂いのする猪肉のハムもどきに病みつきになって、毎日、ひたすら食べ続け、すべてを平らげました。

 そういえばNHK-TVの「男の食彩」のキャスターを務めていた頃、陶芸家の鯉江良治さんのご自慢料理を紹介した際、近隣の方のおすそ分け、という猪肉の鍋を御馳走になったこともありました。

 画像は親父(左)と仕事仲間だった井上さん。親父の足元のポインターは、確か、この写真を撮った猟友会の人のもの。一時、我家にいたこともあります。その後、我家で飼っていたのはアイリッシュ、次いで、ゴードンのセッター。

 犬の散歩、それに、犬の食事の担当は私でした。
 生骨、生肉は猟犬には食べさせられないので、骨や筋肉を煮込んで犬の餌を作ります。
 私、牛の筋肉が何よりの好物なのですが、実は、犬の餌のために煮込んだ筋肉を、しょっちゅうつまみ食い。で、牛の筋肉の煮込みの病み付きになった、という次第であります。

2008/01/27

冬の風物、野味宴(4)


 日本で話題になり、実際に食べることが出来る中国料理の「野味」といえば、多くは「満漢全席」に登場する素材、料理がほとんどのようで。熊の掌、駱駝のこぶ、象の鼻や足、鹿のアキレス腱などです。

 熊の掌、象の鼻や足はともかく、駱駝のこぶや鹿のアキレス腱の料理は、上野毛の「吉華」はじめ、いくつかの店で食べたことがある。北京の北海公園にある彷膳飯店で開かれた、地元の知人の結婚式の祝宴でも、いずれの料理とも登場。
 それに比べ、広東地方で冬場に盛んな「野味」の料理が日本で食べられないのは、その存在があまり日本には知られていないこと。素材の調達が難しい、ってことがその理由にあげられるんじゃないかと思います。

 広東地方、広州や香港では、鮮度重視で、冷凍ものなどには目もくれない。生きた物を絞めて、即調理。もしくは、それなりに寝かせる。エイジング、ですね。広州の清平市場に出かければ、その光景を目の当たりにすることができます。
 日本でも広東地方の「野味」の料理を再現するにあたって、SARSの一件までは現地から調達可能なものもあった。が、SARS禍以後、ほとんどの物がダメ。以後、冷凍物が中心となり、検疫検査済のものだけでそれに対処、という店もあったようです。
 そういえば、昨年の暮れ間近、銀座の「麒麟」で「果子狸」に久々にご対面! といっても、柱候醬を使わずに「紅焼」式の調理方法で。
 「麒麟」の総料理長の松島徹さんは、もともと上海料理畑の出身ですが、中国各地の地方料理にも関心を持つ研究熱心で意欲的な料理人。実は、とある月例の会議の場所が「麒麟」。というわけで、毎月、松島さんの料理を食べ続けてるわけですが、毎回、必ず意表をついた料理が登場。そんな一品だったのが「紅焼果子狸」。なんと豪州産を入手したそうで、懐かしい「果子狸」とのご対面に盛り上がりました。が、同席の方々、「旨い!」とはいいつつも、あたまの上には「?」という感じでした。

 日本で入手可能な「野味」の素材といえば、すっぽん。それ以外では、エゾ鹿がある。が、私が出会ったものは、肉の味、風味がいささか野生ぽいクセがあり、肉質もいささか硬かった。フレンチ、イタリアンでのジビエ的調理に比べ、素材重視の調理による広東式の調理では、いまひとつの印象。
 鹿肉といえば、食べることと音楽の趣味が私とぴったりなショーン&宏美のローソン夫妻、ハンティングが趣味のショーンが以前送り届けてくれた収穫物の鹿の腿肉が、たまらない美味でした。肉質は緻密で繊細。舌にとろけるように柔らかい。といって、脂肪分は皆無。肉そのものが、やわらかく、草や果実を食んだグリーンでフルティーな味、風味がする。カルパッチョにしたら実に旨かった。

 そんな若い鹿肉の美味、風味を久々に堪能しました。美味しい鹿肉の料理が福臨門で食べられるから、と教えてくれたのはミッシェルです。
 香港でも冬場には鹿を食べます。もちろん「野味」の料理の一品として。といっても、東京などに届く野性的なクセのあるエゾ鹿のように大ぶりなものではなく、仔鹿の「黄猄」が中心。そのフィレ肉、アバラ肉を焼烤、つまりはバーベキュー風に調理したり、伝統的な料理手法で煮込んだものが、「広東新派」が流行した80年代半ばから90年代初頭までの香港で食べられました。
 そして今回の福臨門の鹿は大分の日田市の産。どうやら、日本鹿らしい。が、仔鹿ほどの大きさ、だそうで。なんでも、草や木の芽だけでなく、梨を食って育った、という話です。
 そのフィレ肉を素材に、筍と炒め合わせたのが「冬筍炒梨子鹿片」。やはり、肉質は緻密で繊細。すっと歯が通る柔らかさ。しかも、すんなり噛み切れる。噛み締めれれば、クセがなく清廉で、フルーティな味わい、風味が浮かび上がる。その鹿の心臓と肝臓の薄切りの炒めものをつまみ食いしましたが、これがまた繊細な美味でした。

 同じ鹿の肉でも、部位の異なる鞍下から胸バラのあたり。それを素材に柱候醬で調味し、煮込んだのが「紅炆梨子鹿肉」。鹿肉の塊の断面はルビー色。鴨や鳩肉のよう。が、血の気、血の味の濃さを感じない。フィレよりもしっかりした肉質。しかし、やはり繊細で緻密。がその部位の調理、味付けは「紅炆果子狸」のそれと同じ。
 「果子狸」の美味、風味を思いだしながら、けど、肉の質、味、風味は違う。やっぱり、鹿肉。繊細で緻密でしっとり。噛み締めれば、弾力がありながら、ぬめっと柔らかい。純で潤いのある肉の味、風味、洗練された調理の美味に、頬がゆるみっぱなしでした!

 画像は、2種の鹿の料理。「冬筍炒梨子鹿片」と「紅炆梨子肉」です。

2008/01/26

冬の風物、野味宴(3)


  私が香港にのめりこみ始めた80年代、香港では「新派広東」が食の最新のトレンドでした。

 今、手元になく、表題を失念ましたが、周富徳氏の監修のもと香港の食の最新事情を紹介した「専門料理」の別冊号がそれらを大々的に紹介。それをよりどころに色んな店にでかけ「新派広東」の実状をフィールドワークしたもんです。

 当時の「新派広東」にも色々な傾向があった。
 そのひとつは、仏伊を中心とした西洋料理、それに日本料理の素材をとり入れたもの。仏伊はじめ西洋料理の素材を積極的に取り入れた料理を相次いで生み出し、センセーションを呼んでいたのが、当時「凱悦酒店」にあった「凱悦軒」の料理長だった周中師傳。
 実状を明かせば「凱悦軒」のキッチンと、「凱悦酒店」の西洋料理部、及び西洋料理の「AMIGO」のキッチンは隣合わせ。ボス、つまりはホテルのオーナーから新しい料理を考案するよう言い渡され、興味をそそられる面白そうな素材を隣のキッチンから頂戴し、新しい料理を工夫、考案というのがそもそもきっかけ、だったそうな。

 一方、日本料理の素材の起用に積極的だったのが東海、利苑など、街中に誕生し、話題を呼んでいた料理店。しかも、日本の素材を起用、といっても、ししゃも、蟹かま、たくあんなどのお漬物の類、だったのには目を丸くしたもんです。

 折りしも香港では音楽、ファッションはじめ日本ブームがブレイク。食に関しても、ラーメン、炉端焼き、回転寿司が相次いで香港に紹介され、一挙に日本食ブームが到来。それまで日本料理といえば、日本人の経営、日本人の料理人による高級店が中心で、香港の一般庶民には手の届かない高値の花だった。

 それが、香港資本、香港の経営者によるラーメン、炉端焼き、回転寿司の登場が相次いで、一挙に大衆化。そうした背景もあって、新しい素材を求めていた広東料理店の経営者、料理人が、炉端焼きのメニューに並ぶ日本の料理、その素材に注目!というのが、要因だったのでは?と私はにらんでます。

 西洋、日本の素材を取り入れた新傾向と同時に、伝統的な広東料理が見直されるようになったことも「新派広東」では見逃せない。それも、前回触れてきた通り、香港の経済的な繁栄を背景に、消費熱が盛んとなり、とりわけ食への関心が持たれ、かつて富裕層を中心とした特権階級の口にしか入ることのなかった高級食材を素材にした料理が、脚光を浴びるようになった。

 まずはふかひれはじめとする干貨素材。それに、流通が整備され、供給が盛んになった新鮮な魚介による海鮮料理もそう。

  同時に、広東地方独特の伝統的な郷土料理、しかも、大半が稀少で貴重で高級な素材による「野味」料理が、脚光を浴び、もてはやされるようになった。
 先にふれた周富徳さんの「専門料理」の別冊号でも大きく取り上げられてました。それをたよりに、色んな店を訪ね、いろんな料理を食べました。

 沙田の「雅苑」では、店内の一角で生きたままの「野味」を檻で囲って飼育、なんていう「野味動物園」さながらの光景を目の当たりにしたもんです。また、同誌で、最新の店として紹介されいたのが「東海海鮮酒家」や「利苑」。

 「東海」はその後いくつかの支店、さらにはより大衆的な「鴻星」、高級志向の「海都」などを開店し、事業を拡大。「本地伝統新派」を看板に、広東料理の伝統料理、さらには中国各地の地方菜を積極的に取り入れた新しい料理を開発、提供し、現在に至ってます。「利苑」もその企業規模を拡大し、とくにここ数年は、伝統的な広東料理、昔懐かしい「懷舊菜」を現代化した料理で、若い人々の間で人気、評価を獲得。香港の最新の食事情を紹介した日本のガイドブックでも必ず取り上げられています。
 それにしても、当時、「果子狸」はじめ、「新派広東」で甦った伝統的な「野味」の料理、いったいどれぐらい食べたことやら。
 そんなことから、84年だったか85年だったか「BRUTUS」誌での香港を紹介した記事を手伝った際、「果子狸」などを紹介。
 その時、一緒だったのが、カメラマンの三浦憲治。毛をむしりとられ、下拵えをほどこした褐色の「果子狸」を目の当たりにして、目が点になったのを、私は見逃さなかった。三浦憲治はその体験を、後日、ブルータス誌で明かしたものです。
 色んな店で食べた「野味」の料理では、だんとつに素晴らしかったのは福臨門の「紅炆果子狸」と「紅炆花錦鱔」。凱悦軒の「古法扣果子狸」。素材の吟味と調理、味付けが、他の店とは異なり、群を抜いていました。
 今、手元にある当時の福臨門の冬の小菜のメニューを見れば「野味」として紹介されているのは「菊花會五蛇羹」、「淮杞花膠燉蜆鴨」、「蒜子火腩紅焼山瑞」、「焼焗 禾花鵲」などです。メニューにはないものの、素材の入荷があれば顧客に伝え、供していたのが「紅炆果子狸」、「紅炆花錦鱔」や「羊腩煲」。

 「凱悦軒」では、80年代の後半から、毎年冬になれば「野味宴」を開催。周中師傳としては「野味宴」にはあまり乗り気ではなかったものの、ボスの命令には逆らえない。とはいえ、「新派広東」の先鋭的存在だった周中だけに、伝統的な手法を踏襲しながら、創意や工夫を凝らしていました。

 それに、中国各地から「野味」の素材を調達し、他の料理店とは一線を賀していたものです。「凱悦軒」の「野味宴」は私の冬の楽しみのひとつで、毎年、正月には必ず仲間を集って楽しんだものでした。それを紹介したしたのが「GULIVER」誌の「香港上級案内」(90年12月13日号)。
 以下がその時のメニューです。
吉林山鶏五蛇羹(吉林産の鶏と五種の蛇の羹)
醬爆野兎(野兎の焼き物)
畔塘水魚絲(すっぽん、蓮根、きくらげなどの細切り炒め)
家郷堀啄木鳥(きつつきの炒め煮込み)
川椒茄汁羊柳(ラム肉の四川風味)
京葱黒椒梅花鹿(日本鹿と葱の炒めもの、胡椒風味)
珊瑚八珍珠蛇(蛇肉入り腸詰の蟹みそあんかけ)
古法扣果子狸(ハクビシンの煮込み)
天麻燉夜遊鶴(天麻とこうのとりのスープ)
画像は、その時の記事です。

2008/01/25

冬の風物、野味宴(2)


 香港で蛇の羹の「蛇羹」は、私の知る限り香港では至極一般的。
 もっとも、蛇の炒め物や各種の料理になると「野味」としての趣が強くなる。一般の料理店でも「蛇羹」はメニューにあっても、炒め物や各種の料理を見かけることは少なくって、その種のものを食べるなら蛇を扱う専門店で、ということになります。そこまで出かけるのは、やはり、蛇好きな好事家ってことになるようで。
 
 一般の料理店のメニューに並ぶ冬の代表的な料理、それも「野味」ってことになると、その最たるものが羊のバラ肉を煮込み、腐乳風味のタレで食べる「羊腩煲」。ポカポカと体が暖まります。
 稀少なことから値段も張り、高級店のメニューでしか見かけないのが、スッポンの一種の山瑞。山間部の湖沼に長年生息した大ぶりのもの、特に梧州産のものが最上とされる。「紅焼山瑞」はその代表的な料理。それから、珠江に生息する大ぶりの河鰻の「花錦鱔」。
 ちなみに「花錦鱔」、部位によって値段が異なります。まずは頭部、それから尻尾。ついで、ヒレのついた部分といった按配。頭も場所によって値段が異なる。身がたっぷりな胴の部分はさほど値打ちなし、というのがなんとも面白い。いずれも秋が深まり始めるとともに、メニューに登場し、冬に入って最盛期を迎えます。
 ところで、香港で「野味」と言えば、「味の濃さ、香りの強烈さが堪らない!」と、誰もが口を揃えてその筆頭に挙げるのが「狗」。もっとも、長く英国の統治下にあった香港では「狗」を食べることはご法度、違法です。
 「ほんと、旨くて堪らない、あの味、香りが堪らない!」と、その味、風味を思い出し、涎をこぼさんばかりに「狗」の美味を讃える人に、「どうやって、どこで食べたの?」と尋ねると「いや、こっそり中国から持ち込んだのを料理してもらって!」と、プライベートでシークレットな「野味宴」だったり、「狗」を食べるだけのために深圳や中山まで出向いた、ってことでした。
 かつての国境、今では、香港特区の境界線を越えれば、野味料理はなんでもあり。野味好きにとっては桃源郷というにふさわしい「野味的天堂」。とはいうものの、SARSの一件以来、取り締まりが厳しくなったようで。とはいえ、そこは中国のことですから、闇のマーケットが存在する、ようで。
 いつだったかネットであれこれ調べていたところ、野味を扱う闇の業者を取材した記事があって、掲載されていた「野味」というのが以下の数々。
 「野豬、箭豬、梅花鹿、黃猄、銀狐、狗狸、白麵狸、果子狸、靈貓、水貂、野兔、芒鼠、鼯鼠、水雞、雪雞、斑鳩、鷓鴣、鸕鶿、青頭鴨、禾花雀、水律蛇、烏砂蛇、大王蛇、過山峰蛇、眼鏡蛇、榕蛇、洞庭湖野生水魚」。
 う~ん、思わず涎がこぼれます!
 あのSARS禍で、香港で食べられなくなった野味がいくつもある。たとえば、秋の実り、稲穂をついばんで南方に飛来する「禾花雀」。それから、SARSのウィルスを撒き散らした根源とされた「果子狸」のハクビシン。果実や木の実を餌にして育ったけがれのない肉の美味が語られる。もっとも、近年はその養殖が盛んに行われるようになった。やがて、その養殖舎で飼育された「果子狸」が、SARSの根源、ウイルスを撒き散らすことになった、なんて話だったはず。
 「果子狸」はもともと冬場の「野味宴」に欠かせない一品、ということで「中国名菜譜~広東編」にも紹介されてます。
 香港でも昔から「野味宴」には登場。それが、80年代を過ぎて香港で一躍脚光を浴びることになった「新派広東」の看板メニューとして登場し、香港でも広く知られるようになった。香港の経済的な発展を背景に、食への関心が高まり、かつては特権階級だけのものだった「野味」が、一般化するようにもなった。
 先にもふれてきたように「果子狸」の養殖化が盛んに行われるようになったのは、80年代から。という背景には、香港での「果子狸」の需要と、密接な関係あり、なんじゃないでしょうか。
 そう、「新派広東」というのは、西洋や日本の素材、料理手法を取り入れるということだけでなく、伝統的な広東料理の今日的再現、つまりはネオ・クラシック的な趣向も重要な要素だったのであります。
 フルーツを使った料理が「新派広東」 てわけじゃないんですよ。広東料理でフルーツを使うの昔から、ですからね!婦人誌、食べ物雑誌のフードライター、編集者諸氏。
 あ、いかん、しつこいか!
 画像は陸羽茶室の冬の小菜のメニュー。「三蛇宴」が紹介されてます。それに、各種の煲仔飯。メニューを裏返すと「羊腩煲」 、「大鱔魚」等の料理ずらり紹介されています

2008/01/23

冬の風物、野味宴(1)

 寒いですね。
 寒い夜は鍋に限ります、なんていうのは香港などでも変わらない。

 TVの天気予報で寒波がやってきたことを知れば「今夜は鍋!」と気もそぞろ。冬が短い香港では寒波がやってくる日々を待ちわび続けるお洒落な若者が少なくない。

 というのも、その日の為にわざわざ買い込んだダウンのパーカやコートに袖を通し、見せびらかせるから、っていうのが一番の理由。そう、リッチなマダム、マドモアゼルなら毛皮のコートを颯爽と着込み、背筋を伸ばして買い物やパーティーにお出かけです。

 ともあれ、寒波が訪れた日の夜は、鍋の専門店が大盛況。「寒い、寒い!」を声高に連発しながら鍋の専門店に足を運んで「火鍋」を囲みます。

 「火鍋」でも、昔ながらの鍋が「打邊爐」。ここ最近は、鍋の真ん中に仕切りがあって「清湯」、辛味味の「辣湯」など、2種のだしを用意した鴛鴦式が一般的。

 「火鍋」じゃないなら料理店で、体をぽかぽか暖めてくれるこ時期ならではの料理を食べます。大衆的な食堂風情の店なら、やはり煲仔飯。客寄せもあって店頭に小さなコンロをずらりと並べ、土鍋を乗っけて色々な煲仔飯を炊いている光景は、香港ならではの風物。

 煲仔飯の種類も色々ありますが、最も一般的なのが、豚肉の腸詰の「臘腸」、家鴨のレバー、血入りの「潤腸」、塩漬けの豚ばら肉の「臘肉」、塩漬けにして干した家鴨の「油鴨」等を具にした「腊味煲仔飯」。

 料理もこの時期ならではのものがある。
 タロ芋の「荔芋」と皮付きの豚ばら肉を炊き合わせた「荔芋扣肉」、「荔芋」に「油鴨」をココナッツ・ミルクで炊き合わせた「荔奶鴨煲」などはその代表的なもの。いずれも「中秋」が開けてからしばらく、季節の料理を紹介した小菜のメニューに登場します。

 本格的な料理店での冬の料理は「野味」。
 中でも「三蛇」、「五蛇」の蛇の葛引きの羹(あつもの)の「蛇羹」はその最たるもの。若い連中はさほど関心もないようですが、食にうるさい人、ある程度の年代の人なら滋養供給の意味もあって口にすることが多いようです。それぐらい「蛇羹」はごく一般的、日常的な一品で「野味」という認識など、さほどない様子。

 もっとも「秋風が立てば、蛇は肥え~」と語られるように、蛇が登場し始めるのは中秋を過ぎてから。冬眠を控えて滋養をつけた蛇の料理が店に並びはじめます。
 私も遅い秋から冬にかけて香港に出向いた時など、まず口にするのが「蛇羹」。というのも、香港に出向くとなると、たいていの場合、出発間際まで仕事に追われ、徹夜同然で体力も消耗。そこで、香港に到着するや否や、遅い午後の飲茶に駆け込んで、まずは「蛇羹」を一碗。鼻筋がすっと通って、みるみる元気になりますから。疲労回復にはもってこい。

 画像は「蛇羹」。ちょっとわかりづらいですが、ふかひれ、それも「海虎翅」の「生翅」入りです。

2008/01/20

中国料理におけるメニューの選択、コースの組み立て(その13)


 ここでおさらい。
 「エビチリ/干焼蝦仁」は、蝦を油通し(泡油)、もしくは湯引きか茹でて(汆水)、香味野菜を炒め、調味料、少量のだしを加え、蝦を戻して煮る(焼)。調味料入りのだしを煮詰め、蝦に煮絡める(干)。
 「麻婆豆腐」は、香味野菜と豚肉、もしくは牛肉をしっかり炒め(炒)、調味料、さらにはだしを加え、豆腐を入れてじっくり煮込む(焼)。
 「酢豚/咕嚕肉」は、主素材の豚肉を揚げ(炸)、湯引きか茹でる(汆水)、もしくは油通しした野菜などを炒め合わせ、くずあんをかける(溜/獻)。
 とまあ、野菜の和え物の前菜など以外、ほとんどの中国料理はいくつかの調理、調味過程を経て出来上がり。縁起を担いだ料理名、曰く言われのあるもの以外、中国語の料理名にそれが記されていますから、調理方法、味付けのあらまし、およその内容は解読、把握が可能です。が、「炒」、「炸」、「焼」といった用語一文字だけでは料理内容、調理方法や調味の解読は難しい。

 たとえば「炒」にも色々あります。「清炒」なら、たいていの場合、塩味の炒めもの。とはいえ、仕上げにだしを加え、煮含めるというのが一般的。「滑炒」なら、炒めた後で仕上げにくずひきあんでとろみをつけ、滑らかな舌触り、歯触りに仕上るという按配。
 「焼」(煮る)にしても、あらかじめ「炒」、「炸」「煎」、「煮(水煮)」、「汆水(湯引き、茹でる)」といった調理で下拵え。次いで「紅焼」ならたいての場合、醬油で味付けしただしで煮る。それが「干焼」の場合には、調味しただしは少量で、煮汁を煮詰め、煮含める、煮絡めて仕上る、といった按配ですから。
 さらに、香港、台湾、さらには中国本土と日本のそれを比べると、いささか事情が違ってくる。
 そう、決定的に違うのは、最後の仕上げのくずひき、とろみの付け加減です。
 私自身の体験に基づいた話ですが、香港、台湾、中国本土の北京、長江下流周辺では、それぞれの料理ごとにその加減、按配は見事に違います。素材の持ち味、調理、調味を生かしたもの。
 ところが、日本の中国料理のほとんどは、いかにものとろみの付け加減。これでもかとばかり言わんばかりに、みっちり濃厚。
 味の濃さ、脂っこさと共に、しっかりのとろみ加減があってこその中国料理、中華料理、というのは日本の中国料理、中華料理の長年の伝統であり、特徴でもありますから。日本の多くの中国料理店でのメニュー選びでは、その点を常に念頭に置いておかないとコースも組み立てられません。

 ということで、いよいよ次回からは「中国料理におけるメニューの選択、コースの組み立て」の実践編のはじまりです。
 で、画像は「清炒日本菠菜」。ほうれん草の炒めもの。ですが、ほうれん草は葉っぱの丸い西洋種とは違って、ぎざぎざの剣葉で桃色の根っ子が旨い日本ほうれん草。ほくほくの根っ子が旨い。その根っこを残して、軸付きの葉っぱそのまま、炒めたもの。
 目の前に運ばれた時、思わず、目が点になりました。香港などでは根っ子はもとより軸も切り落として葉っぱだけを調理というのが一般的、あたりまえですから。日本ならではのほうれん草の炒め物。いやはや驚いた。もちろん、ほうれん草の味の濃さ、甘い味わい、風味の豊かさにも、です。
 

2008/01/18

中国料理におけるメニューの選択、コースの組み立て(その12)


 で、「酢豚」。
 「咕嚕肉」という中国料理語の料理名には、調理方法や調味のついての記述はなし。
 そこで、いつもの「中国食文化事典」(角川書店)を引っ張りだす。するとありました。曰く、溜、あんかけ料理のひとつ「焦溜」によるもので「炸溜」、「脆溜」、「焼溜」とも言うそうです。
 つまり、下拵えした素材を揚げて(「炸」)、くずあんを絡める(「溜」)というふたつの調理プロセスがある。しかも、色よく、カリカリサクサクの状態に揚げてあって、「脆」の歯触りを持っていること。なおかつ、くずあんは素材を冷まさない保温性があると同時に、滑らかな「滑」の舌触りを持っているのが必須の条件。
 ということからも明らかなように主素材の豚肉の「脆」と「滑」の触感、歯触り、舌触りこそが、料理の決め手。さらに、酢豚」は「溜菜」、「焦溜菜」の代表的なもの。また、くずあんの甘酢は醤油、醋、砂糖の甘酢味、そこにケチャップを加えたり、山査子餅(さんざしの実の汁を平ったく餅状に固めたもの)を溶かした甘酢味、などとあります。
  う~ん、その紹介、揚げた豚肉を包んだあんかけのとろ味の滑らかさ、噛み締めた時の衣のパリサクの歯触り。すっと歯が入って、肉を噛み締めた時の柔らかさ、ほとばしる肉汁、なんてのが肝心なポイントだってわかります。そう、かつて「珉珉」で出会ったごつごつの衣、がしがしの揚げた豚肉とは大違い。
 けど、ちょい、疑問なのは「焦溜」という料理方法には納得するものの、あんかけの「溜」という表現は、なんだか中国本土、それも北方や江南の料理を主体にした表現じゃないでしょうか。そう、香港の広東人なら「溜」とは言わずに「獻」と表現するはず。
 ま、その辺り、日本の中国料理研究や探求では、中国本土の料理、しかも、山東料理を背景にして生まれ、同時に、宮廷料理が生まれた北京を中心とした北方の料理こそが最上のもの。上海はじめ、長江下流周辺料理や西の四川、南の広東などは単なる地方料理、と言う認識にもとずいてのもの。ましてや香港の料理なんぞ、広東料理の傍系、亜流にしか過ぎない新参者、といった認識が日本の中国料理関係者の間で持たれ続けてきたからじゃないかと思います。
 実際には、戦後、ことに70年代以後の経済的な繁栄を背景にした香港の広東料理が、かつて広東料理の本場とされた広州のそれを凌駕するようになった、とは広東省出身者、食に従事する人たちの多くが認めてきたこと。しかも、78年の改革開放政策以後、かつて広東料理の本場とされた広州では、伝統的な広東料理を継承する一方で、海鮮料理などの新潮流については、香港、及び、台湾の資本導入、参加の結果、大きく変化してきた、というのもまた、多くの人が認めるところです。
  ところで、「酢豚」といえばパイナップル入りなんてのもあって、そのほうが馴染み深いって言う人も多いはず。最近ではパイナップルをキウイに代えたものもあるようで。
  ともあれ、パイナップルの場合には、甘味、酸味だけでなく、豚肉との相性のよさ、ことに消化酵素があることがうってつけ、なんていわれます。パイナップルだからって、お子ちゃまメニューでもないわけですね。
 パイナップルに限らず、中国料理、ことに広東料理では、もともと果物を使った料理が多い。婦人誌、食の雑誌でご活躍のフードライター女史などに限って、果物を使った料理を見ると、必ずと言っていいぐらい「新派」と書き添える方がほとんど。あれ、なんとかならんのでしょうか。あ、いかん、いかん!
 これまでにも触れてきましたが、広東料理で果物がふんだんに使われるのはその甘味、酸味、香り、風味を見極め、生かしてのことで、ことに火を通せば、旨味を増す、という効果、利点を生かしたもの。で、パイナップルが「酢豚」に使われるようになった。
 しかも、結構、昔からあった、というから驚きです。
 もっとも、パイナップルよりも、先にもふれた山査子餅を使ったものこそが伝統的で本格的。というわけで「懷舊菜」、昔懐しい味が人気を呼んでいる香港では、山査子を使った「山査咕嚕肉」を看板にしている店もあります。 
 日本では黒醋を使った「酢豚」が通好みとして大流行。香港では山査子を使った「山査咕嚕肉」が最新のトレンド、しかも、通好みの一品。その違いがおもしろい。
 で、またまた「酢豚」の画像はなし。
 ということで、「甘酢」味の一種、「梅子醤」を風味付けにした、豚のスペアリブの「排骨」とタロ芋を組み合わせ、春雨と炒めて煮込んだ「梅子芋頭排骨粉絲煲 」。
 いささかこじつけが強引すぎますが……なかなかの美味です!

2008/01/16

中国料理におけるメニューの選択、コースの組み立て(その11)

 さて「酢豚」。いやはや「酢豚」と耳にしただけで甘酸っぱい味が口中に広がり、思わず生唾をゴックン!大好きです「酢豚」。なにしろ「ガツンとくる中華を食べたい!」なんて時、まず一番に思い浮かべるのが「酢豚」、ですから。

 初めて「酢豚」に出会い、その存在を知ったのは、遠い昔。大学1年の時。高校時代に世話になった体育の先生に連れられていった神戸、三ノ宮の「珉珉」でのこと。子供の頃から中国料理といえば、馴染みがあったのは宴会料理ばかり。祭事や田舎、地方から親戚の人がくれば、出かけるのは中国料理店、ということでそのお相伴に預かってきたわけですが「珉珉」に連れて行かれるまで「酢豚」はもとより「餃子」の存在も知らなかった。

 そういえば、ラーメンも長い間母親が作ってくれたそれらしきもの(支那そばと母親は申しておりました!)と、当時、流行し始めたばかりの即席ラーメンしか知らず、家以外ではじめてラーメンを食べたのは大学生になってから。それも芦屋の駅前近くに夜な夜な出現して評判を呼んでいた屋台店で食べたのがはじめてのことでした。

 そうだ! 即席ラーメンといえば、当時は日清のチキン・ラーメン。ですがある時、盆と暮れに我家に立て続けに届いた箱入りの「クリームファット」というブランドの即席ラーメンに夢中になったものです。日清のチキン・ラーメンに比べてさっぱり味だった、というのが夢中になった理由で、今だ記憶に残ってます。確か、神戸の灘か東灘で作られた製品だったような。ご存知の方、ご記憶の方はご一報を。

 話戻して「珉珉」の「酢豚」。「餃子」もさることながら「酢豚」は衝撃の一品でした。「鶏の唐揚げ」や「豚肉の唐揚げ」は宴会料理のコースに組み込まれていて、ことに「豚肉の唐揚げ」は好物でした。

 そうです、「豚肉の唐揚げ」は、関西の中国料理店の宴会コースや大衆的な中国料理店、早い話がラーメン中華の店では定番のメニューのひとつでした。その名残りは、神戸や大阪にある昔ながらの中国料理店や大衆的な中国料理店のメニューにもありますから。

 おそらくは「スペアリブの唐揚げの塩、胡椒風味/椒鹽排骨」が元、なんでしょうが当時「排骨」の入手が難しかった、ってことから、まんま豚肉を唐揚げにしたんでしょう。 それが「酢豚」では豚肉の唐揚げに、甘酢あんがからめてある。

 もっとも「珉珉」の「酢豚」、今だに記憶にあるのは甘酢あんの味、風味よりも、噛めばバリッ! と音を立てそうな、豚を包んだ揚げたガッシリの衣の分厚さ、豚肉のボリューム感。その印象が強烈でした。そう、だからこそ、旨かった。

 その「酢豚」、中国語の料理名は「咕嚕肉」。もしくは「咕咾肉」、「古老肉」。それを知って思わず「ン!?」って人も多いでしょう。その料理名、「麻婆豆腐」と同じく昔ながらの言われにちなんだもの。料理名に、素材、調理、調味についての記述はなし。

 言われといのは「咕嚕」というのが(甘酢の香り漂う酢豚を)頬張って、噛み締めるときの「ウゴウゴ」、「モグモグ」の擬態語で、おまけによだれがこぼれちゃう、ってことなんだとか。それに、昔ながらの味、といった意味もあるそうな。

 代表的な広東料理の一品で、その昔、広州に外国人居留地があった時代、お抱えの料理人となった
中国人がそれを作ったところ、欧米人に大いに受け、やがて世界中に紹介されていった、という逸話もある。

 もっとも、甘酢の味付けによるその料理、長江東部周辺や中国の北方にもある。その場合の表記は「糖醋肉」。それも長江周辺では、肉の部位は骨付きの豚のばら肉の「排骨」。というわけで、圧倒的に多いのが「糖醋排骨」。北方では、ヒレ、腿肉など脂身の少ない部位を素材にすることが多いようです。

 そういえば、ここ最近、日本でも人気爆発!なのが、黒醋を使った酢豚。かつて日本ではあまり馴染みがなかった中国の黒醋が一般的に広まったのは、確か90年代、それも半ば過ぎからのことだったはず。その黒醋の本場、鎮江の伝統的な料理のひとつなのが「鎮江排骨」。「排骨」を煮込んで、黒醋を使った甘酢あんでからめたもの。

 その鎮江近くにある無錫にも「排骨」を素材にした「無錫排骨」がある。これまた「糖醋排骨」のひとつ、ってことですが、甘酢味、よりも、たまり醤油の「老抽」が味つけ、調味のポイントで、近隣の鎮江の黒醋を使うものもあれば、使う物ものなし。「酢豚」というよりも甘味の強いたまり醤油味の料理で、ほのかに酸味が、というのが特徴。もっとも、そのたまり醤油をメインにした味、風味こそが、黒醋の酢豚の源流のひとつになった、とは、よく言われる話です。

画像は、、、ってさがしても「酢豚」の画像がないんで、ちょいまちです。あした作って、アップしようかな

2008/01/14

幻のタルトタタン

                                                                         
 焼き菓子が好きです。ミルリトン、アマンディーヌは私の大好物。いくつだって食べられます。しかし、一番好きなのはなんといってもタルトタタン。

 今はなき赤坂のビストロ山王のタルトタタンが、その最初の出会い、だった覚えがある。 焼け焦げのキャラメルソースと、林檎の酸味、風味が入り混じった濃密な味、風味がたまらなく素晴らしかった。
 テリーヌかパテ、それに腎臓のマスタードソース風味を食べて、締めくくりはタルトタタン。魚料理もうまかったですが、やっぱり、子羊か腎臓のマスタードソース、というのがビストロ山王の我が思い出。

 そして、タルトタタン。そのビストロ山王のそれをしのぐタルトタタンに出会ったのは、25,6年前、だったか。いつのことだったかははっきりと思い出せない。しかし、その時味わった旨さ、風味だけは鮮明に記憶に残っています。以来、それをしのぐタルトタタンには出会ったことがない。

 それを焼いたのは料理研究家の山本麗子さん。彼女の著作「山本麗子のおしゃべりなお菓子」(講談社)に、タルトタタンにまつわる話が紹介されてます。
 同著によれば、タルトタンこそは彼女がお菓子作りをはじめたそもそものきっかけ。そのお菓子の創作者、タタン姉妹の話を雑誌で読んで、作るのを思い立った。そして、材料を買い込み、パイ生地を作り、リンゴを切り揃え、砂糖で煮込んで、準備万端。ところが、それを焼くオーヴンがない!

 というあたり、思い立ったら後先省みず、即座に行動に移さないではいられない、という常に前向きで意欲的な彼女の性格を物語る。たくましくて、頼もしい。おまけに面倒見がよくって、頼りがいがある。が、同時に、せっかちであわて者という一面もある。
 しかし、その時、ふと中華鍋とガスコンロが2台ずつあるのに気づき、咄嗟に即席のオーヴンを仕立てあげた。そんな機転の利かせようもまたいかにも彼女らしい。

 それも、コンロに載せた中華鍋に、もうひとつの中華鍋を重ね合わせ、かぶせた中華鍋の上にもうひとつのガスコンロを逆さまに置いて上火にし、どうにか焼き上げた、というのだから怖れいります。後にも先にも、そんな焼き方をしたのはその時限り、一度きりだったそうです。

 「あの時のタルトタタンを思い出して、あれはおいしかったと言ってくれる友人がいます」と、その時の思い出をふれていますが、その友人とは、かくいう私のことです。 中華鍋を重ね合わせ、ガスコンロをその上に載せて、という経緯とその発想には、ただただ驚くしかなかった。しかも、タルトタタンの出来栄えは、それは見事というより他なかった。

 砂糖で煮込み、あめ色、という以上に焦げるぐらいに際まで色づき、キャラメルにくるまれたリンゴの味、風味。酸味が利いていて、それ以上に、しっかり、こってりの濃厚な甘さ、香りの豊かさは、悶絶するぐらいに旨かった。タルトタタンの旨さ、素晴らしさを思い知った。以来、それが私のタルトタタンのスタンダードになってしまったのであります。

 リンゴが出回る季節になると、買い置いて、暇を見つけては麗子さんの真似して、何度か試みようとしたものの、うまくいった試しがない。麗子さんに電話し、コツを尋ねたのも、一度や二度だけのことではありません。
 結局のところ、リンゴを焦げる寸前まで煮る、というよりも焼き付けるようにするだけの、なんちゃってタルトタタンの手前止まりなのですが、それだけでも、なかなか美味しくて、いけるもんです。
 ともかく、こってりの甘さがたまらない。甘さ控え目のケーキなんて、問題外!

 つい先日、麗子さんから届いたクロネコの冷凍便を開けて吃驚!
 な、なんと、タルトタタン! 
 それを見つけた途端、嬉しくって嬉しくって、はしゃぎまわりました。
 一月早い、ヴァレンタインの贈り物、ってことでしょうか。
 いつも甘いものは食事の後に決めてますが、その日に限っては三時のおやつにタルトタタン。懐かしい思い出が甦りました。

 確かあの日、フランスからのお土産というラミルイのフォアグラのパテをディケムを開けてたっぷり、たらふく食べたあとで、麗子さんお手製のタルトタタンを味わったような・・・・

 アレ? 思い出がごっちゃになってるのかな・・・

2008/01/06

中国料理におけるメニューの選択、コースの組み立て(その10)


 さて、横道にそれてばかりの「エビチリ/干焼蝦仁」話の復活、続編です。

 「エビチリ」といえば即座にその内容ばかりか、味もおよその想像はつく。しかし、中国語の料理名の「干焼蝦仁」だと、即座にはその内容、味はわかりづらい。
 そこで、先の森枝卓士流や婦人誌などでの料理用語集に準じれば、「焼」の一文字から「煮る」ってこと、「蝦」って文字から「えび」が素材だってことは確かにわかる。
 かく言う私も「香港的達人」で似たような料理用語紹介をやってました。というのも、香港に旅行するまでに日本で勉強していた「中国料理(解明の)基礎用語」が、香港では一向に役立たずだったという苦い経験をもとに、香港の広東料理店での「菜単」、つまりはメニューや、中国本土の北、東、西各地の地方料理の料理本、文献の類を香港、広州で入手。中国本土への旅行体験、同時に入手した料理本、文献なども参考にしながら作成したものです。
 なんせ、中国本土に実際に旅して、日本で勉強した料理用語がさほども役に立たなかったという体験もあってのことでした。

 もっとも、後になって「炒」、「炸」、「炆」といった一語だけでは中国語のメニューの解読はいさかか厄介。むしろ「清炒」、あるいは「紅焼」、「紅炆」といったいわば熟語による表記を理解してこそ、その内実が理解しやすいという事実、現実を認識するにいたったからです。
 たとえば「エビチリ」。中国語名「干焼蝦仁」にも明らかなように「焼」の上に「干(乾)」がある。前述したように「干焼」というのは少量のスープを加えて「焼(煮る)」したもの。実際には煮る、煮込むというよりも調味料と共に煮含める、といったニュアンスが濃い。
 それまでに主素材のえびは、味付けをし、卵白、もしくは片栗粉をまぶして油通し、もしくは、湯通し、といった下拵えの作業がある。そして、香味野菜を炒め、豆板醤、あるいはトマト・ケチャップ、少量のだしを加え、下拵えしたえびを鍋に戻し、だしの入った調味料を煮詰めながら、とろみ付けを施し、仕上る、という行程を得て完成。
 「干焼」という2文字は、そうした調理、調味、仕上げの作業を物語る、というわけなのです。
 もっとも、が、料理人やマニアックな中国料理愛好者でもない限り、即座には理解しずらい。
 メニューを選ぶ時にそこまで考えたりはしないですよね。
 ともあれ、「焼」という一文字だけでは、味付けや調理方法、料理内容は判断しずらい。それには「焼」だけでなく「干焼」を理解していれば、その味付けや調理方法がわかるという寸法。面倒ですけど、それが現実です。
 そして「麻婆豆腐」。
 「麻婆豆腐」ついては、中国語の料理名を見ただけで、その味、料理内容を即座に把握。もやはそれぐらい馴染みがあるんじゃないでしょうか。
 日本で一般的なのは、豆板醤、甜麵醬を味付けの基本にした日本化されたそれ。さらに「麻婆豆腐」の前に「陳」の字が加わった「陳麻婆豆腐」なら、唐辛子の「辣」の味に、中国山椒の「花椒」の痺れ味の「麻」が利いた「麻辣」味、つまりは本場仕立ての調理、味付けによるもの、ってことも、すでに広く知られてます。
 その料理名の由来ですが、清代の頃、四川、成都で、材木運びの労働者に、有り合わせの素材をもとに作ったのが最初とされ、しかも、それを調理したおばあさんが、あばた面だったことから「麻婆」と呼ばれた。あるいは、たっぷり「花椒」の「麻」の味を利かせてあっことから「麻婆」と呼ばれた、という説もある。
 つまり、その料理名は、その創作者、及び、味に由来するもので、中国語の料理名には、調理方法についての言及はない。なんてことも、中国料理の料理名にはよくあること。
 「中国食文化事典」(中山時子監修、角川書店)によれば「麻婆豆腐」の調理方法、「家常焼」の一種ってことになるらしい。その「家常焼」、同書によれば「四川地方の特色をもった味の焼法~豆板醬を用い、その風味を充分に出した四川独特の調理方法」ってことで、「麻婆豆腐」もその料理のひとつとして紹介されてます。
 で、その調理。まずは生姜やにんにくの微塵切りなどの香味野菜を炒め、香りを出してからひき肉、もしくは、微塵に叩き潰した肉を加え、炒める。肉も本場式なら牛肉。で、肉は(肉の脂が透き通りぐらいまで)しっかり炒める(のがコツのひとつ)。そこに、豆板醬、甜麵醬を加えて炒め、だし(スープ)を加えてひと煮立ちさせてから、豆腐を加えて、じっくり味をなじませる。
 豆腐は絹、木綿と、好みによって違います。で、木綿の場合、弾力をつけ、味の馴染みをよくするために、あらかじめ湯通しを、と教える料理人が多い。
 そういえば、本場四川のそれ、豆腐は日本の木綿をさらに硬くした弾力のある中国ならでは豆腐だそうだが、近頃、日本の絹、木綿豆腐が四川の成都にも進出。その柔らかさがもてはやされて、日本式、日本風の豆腐を使った「麻婆豆腐」が評判を呼び、人気を得て最新のトレンドにもなっている、というから面白いもんです。
 話、戻して、豆腐に味をしっかり、じっくり煮含めてから、水溶き片栗粉を何回かに分けて入れ、さらに油を加えて、強火にして再加熱(というのが、2番目のコツ)。
 強火の再加熱の理由のひとつは、豆腐をとろみでしっかり包み込むため。さらに、注いだ油が豆腐を包み込み、同時に沸点を上げて豆腐の水分の乳化を促進し、柔らかな弾力のある触感を生み出すから、だそうです。プルンプルンのあの感じ、ですね。
 そう、「麻婆豆腐」は、油の使い方、油がもたらす効果を生かした料理、ってことになるわけです。
 話がまた飛びますが、銀座の「趙楊」では、趙楊さんが「おそらくは「麻婆豆腐」の原型になったのに違いない」と語る料理が、裏メニューにあります。ご飯の上に、豆腐をのっけ、その上に「麻婆豆腐」の豆腐抜き、香味野菜と肉を炒め、豆板醬などで調味した具をかけたもの。つまり、豆腐は、調味しただしで煮含めたものじゃなくて、まんまの豆腐。
 ほら、ご飯の上に豆腐をのっけ、おかかや葱の微塵をさらにのっけ、醬油をかけて、食べたことありませんか?
 そうです。言ってみれば「豆腐のぶっかけがちゃ飯」。それを麻婆風味にしたもの。これが、滅法旨い。豆腐そのものの純な味に、豆板醬や甜麵醬味つけの肉の具が入り混じり、醸し出す味、風味は「麻婆豆腐」とはひと味違って、素朴、なんだけど、パワフルなインパクトがあります。

 画像は「チャイニーズレストラン直城」の「麻婆豆腐」。本場仕込みの味、風味は、格別ですから!

2008/01/02

謹賀新年


 明けましておめでとうございます。
 年の暮れに、今年食べた料理のナンバー1をアップするつもりがなんやかやで慌しいまま、大晦日を迎え、新年に突入。
 今年も元旦の日、最初に食べたのはおせちとお雑煮。
 お雑煮は、澄まし仕立て、だしに鶏だしを加え、煮餅に具はほうれん草と金時人参。今年も、東松山の加藤紀行さんが特別に作ってくれた丸餅、それに、ほうれん草、金時人参も加藤紀行さんのものでした。
 今年の餅は格別に旨かった。昨年までの餅は滋味豊か。今年の餅は、餅の旨さを味わった。
 それにほうれん草も今年のは格別に甘かった。剣葉の日本ほうれん草で、桃色がかった根っ子のほくほくとした美味に、心和みました。
 年末の慌しさの一員は、暮れから新年にかけて香港を訪れるという友人、知人からの依頼で、せっせとお勧めの料理店、メニュー選択、コース設定にかかりきりになってしまったからです。自分がでかけるわけでもないのに、メニュー選び、コース設定に夢中になりました。
 ついでとばかり、これまで香港で食べた料理の数々のデータベースを作り始め、時間を取られちゃいました。そのうち、ブログで紹介します。
 そういえば、一昨年の暮れからはじめたこのブログ。あっちこっちと寄り道ばっかで、未完のシリーズ連載ばかりがふえていきます。それも、早いうちに解決しないとね。なんとかすべて、仕上げるつもりですから、お楽しみに とりあえずは新年のご挨拶。本年もよろしくお付き合いください。
 画像は3度目の登場。昨年食べた料理のナンバー1。
 昨年だけに限らず、これまで食べた料理の中でも、ナンバー1のひとつです。
 美味しいものに出会っても、すぐには「もっぺん食べたい」なんてことは滅多にない私が、こればっかりは心底打ちのめされ、すぐにでも「もっぺん食べたい」と思いました。
 鳩のふかひれ詰め、鮑汁煮込みの「仙鶴神針」。
 今月、また、食べることになりそうです。