2008/01/14
幻のタルトタタン
焼き菓子が好きです。ミルリトン、アマンディーヌは私の大好物。いくつだって食べられます。しかし、一番好きなのはなんといってもタルトタタン。
今はなき赤坂のビストロ山王のタルトタタンが、その最初の出会い、だった覚えがある。 焼け焦げのキャラメルソースと、林檎の酸味、風味が入り混じった濃密な味、風味がたまらなく素晴らしかった。
テリーヌかパテ、それに腎臓のマスタードソース風味を食べて、締めくくりはタルトタタン。魚料理もうまかったですが、やっぱり、子羊か腎臓のマスタードソース、というのがビストロ山王の我が思い出。
そして、タルトタタン。そのビストロ山王のそれをしのぐタルトタタンに出会ったのは、25,6年前、だったか。いつのことだったかははっきりと思い出せない。しかし、その時味わった旨さ、風味だけは鮮明に記憶に残っています。以来、それをしのぐタルトタタンには出会ったことがない。
それを焼いたのは料理研究家の山本麗子さん。彼女の著作「山本麗子のおしゃべりなお菓子」(講談社)に、タルトタタンにまつわる話が紹介されてます。
同著によれば、タルトタンこそは彼女がお菓子作りをはじめたそもそものきっかけ。そのお菓子の創作者、タタン姉妹の話を雑誌で読んで、作るのを思い立った。そして、材料を買い込み、パイ生地を作り、リンゴを切り揃え、砂糖で煮込んで、準備万端。ところが、それを焼くオーヴンがない!
というあたり、思い立ったら後先省みず、即座に行動に移さないではいられない、という常に前向きで意欲的な彼女の性格を物語る。たくましくて、頼もしい。おまけに面倒見がよくって、頼りがいがある。が、同時に、せっかちであわて者という一面もある。
しかし、その時、ふと中華鍋とガスコンロが2台ずつあるのに気づき、咄嗟に即席のオーヴンを仕立てあげた。そんな機転の利かせようもまたいかにも彼女らしい。
それも、コンロに載せた中華鍋に、もうひとつの中華鍋を重ね合わせ、かぶせた中華鍋の上にもうひとつのガスコンロを逆さまに置いて上火にし、どうにか焼き上げた、というのだから怖れいります。後にも先にも、そんな焼き方をしたのはその時限り、一度きりだったそうです。
「あの時のタルトタタンを思い出して、あれはおいしかったと言ってくれる友人がいます」と、その時の思い出をふれていますが、その友人とは、かくいう私のことです。 中華鍋を重ね合わせ、ガスコンロをその上に載せて、という経緯とその発想には、ただただ驚くしかなかった。しかも、タルトタタンの出来栄えは、それは見事というより他なかった。
砂糖で煮込み、あめ色、という以上に焦げるぐらいに際まで色づき、キャラメルにくるまれたリンゴの味、風味。酸味が利いていて、それ以上に、しっかり、こってりの濃厚な甘さ、香りの豊かさは、悶絶するぐらいに旨かった。タルトタタンの旨さ、素晴らしさを思い知った。以来、それが私のタルトタタンのスタンダードになってしまったのであります。
リンゴが出回る季節になると、買い置いて、暇を見つけては麗子さんの真似して、何度か試みようとしたものの、うまくいった試しがない。麗子さんに電話し、コツを尋ねたのも、一度や二度だけのことではありません。
結局のところ、リンゴを焦げる寸前まで煮る、というよりも焼き付けるようにするだけの、なんちゃってタルトタタンの手前止まりなのですが、それだけでも、なかなか美味しくて、いけるもんです。
ともかく、こってりの甘さがたまらない。甘さ控え目のケーキなんて、問題外!
つい先日、麗子さんから届いたクロネコの冷凍便を開けて吃驚!
な、なんと、タルトタタン!
それを見つけた途端、嬉しくって嬉しくって、はしゃぎまわりました。
一月早い、ヴァレンタインの贈り物、ってことでしょうか。
いつも甘いものは食事の後に決めてますが、その日に限っては三時のおやつにタルトタタン。懐かしい思い出が甦りました。
確かあの日、フランスからのお土産というラミルイのフォアグラのパテをディケムを開けてたっぷり、たらふく食べたあとで、麗子さんお手製のタルトタタンを味わったような・・・・
アレ? 思い出がごっちゃになってるのかな・・・