2009/05/31

郷土料理が旨い~09年5月の『赤坂璃宮』銀座店の2

 2品目、「家郷蓮藕餅/蓮根と豚挽肉の煎り焼き」の登場です。 かねてより「袁さんに頼んでやってもらえませんか?」と、依頼していた料理の一品。

 「蓮藕餅」、直訳すれば「蓮根餅」ってことになります。 なんていうと「蓮根の挟み揚げ」を思い浮かべる人も少なくない。和食、居酒屋の一品、それに、天麩羅の店で見かけることもあります。TVの主婦向けの料理番組でも見かけたことがあります。それから、創作的な料理をメインにする中国料理店などでも。
 
 「「蓮藕餅」?、あ!それならウチでもやってます!」となんてとある中国料理店の料理人の話に、内容、詳細を尋ねたところ、要は薄切りにした蓮根の間にえびや豚肉を擂り身にした餡をはさんで、揚げたものだったりしました。
 
 「蓮藕餅」は広東地方の代表的な家郷菜の一品で、お惣菜として家庭でも頻繁に作られる一品。豚の挽き肉に「慈姑」、「榨菜」を混ぜあわせたり、「いか」、塩漬け魚の「咸魚」をトッピングして蒸した「蒸肉餅」、円形の小ぶりのハンバーグのパティ風にして煎り焼きにする「煎肉餅」、牛肉に陳皮を風味付けにした「陳皮牛肉餅」に似た料理です。
 
もっとも、煎り焼きの「香煎蓮藕餅」はこれまで色々なところで何度も食べましたが、蒸した「蒸肉餅」には出会ったことはなし。でも、どっかにありそうな感じがしないでもない。

 で、「蓮藕餅」、「蓮根のはさみ揚げ」と違うのは、蓮根自体、ザクザクの賽の目切りにしたり、あるいは、擂り潰す。そこに、豚肉、えび、魚のすり身を加え、味付けして、ミニ・ハンバーグさながらの円形状にまとめ、煎り焼きにしたもんです。

 おもしろいのは、店によって、家庭によって、蓮根の切り分け、下拵えが違うってこと。それに、一種にあわせる具材、それぞれ違います。そのうち、魚の擂り身ですが、広東地方、香港の場合、圧倒的に多いのは淡水魚の「鯪魚」。

 これまで食べてきた「蓮藕餅」、全部、作り方、仕上がり、味、風味、違いました。以前、福臨門での青木宴で「蓮藕餅」、頼んで料理してもらいましたが、それもこれまでに食べたことのあるものとは違いました(07/11/10日、「秋の味」その5)。

 というわけで「赤坂璃宮」銀座店の料理長、袁さんの「蓮藕餅」は一体、どんなものか。
 見た目はこれまでに食べてきた「香煎蓮藕餅」と変わりなし。煎り焼きにされ、焼き色のついた「蓮藕餅」が醸し出す香ばしさが鼻腔をくすぐります。
 「なるほど、これは、蓮根の挟み揚げとは違いますね!」なんて声も上がる。

 焼けてあつあつ「蓮藕餅」、ハフハフの感じで頬張って、ひと齧り、いきなり「ザク!」の感触!
 そうか「蓮根」、小ぶりの賽の目に切り分けられていて、「蓮根」のあの「バリ!ボリ!」の触感、そのまま残して、この「蓮藕餅」の味わいところのひとつにしてあるという按配。憎いですね。

 噛みしめれば、つなぎの具、というか擂り身の餡は、潰してすり身したえびの味わい、風味もあり。えびのすり身入りの具、なんですね。と、同時に、舌の上をざらっとした触感が。しかも、ほのかに泥臭さ、えぐみらしきものが感じられる。

 「ン!?、もしかしてこれ、擂り下ろした蓮根?」。「そうみたい!これ、えびのすり身だけじゃないみたい」なんて声もあがります。
 蓮根のさくさく、ばり、ぼり感だけじゃなくって、外は焼き色がつきながら、噛み締めるとジューシーな肉汁がほとばしり、なおかつ、押し付けがましくない旨味がじんわり滲み出ます。浮かび上がります。

 「蓮藕餅」をそのまんま一個、なんもつけずに味わったあとで、ふと「もしかして、リーペリン・ソースとの相性、バッチリじゃないか?」、と。

 そう、日本で飲茶の点心もの、揚げ物にしろ、蒸し物にしろ、溶き芥子に醤油というのが一般的ですよね。ですが、私の好みからすれば、醤油よりも、ソース。それもリーペリン・ソース。

 酸味がたっぷりで、匂いを嗅毛ば思わず「グフ!」とむせちゃうぐらい、酸味の強烈なリーペリン・ソース。それが、飲茶の点心、ことに揚げ物類にはうってつけ。餃子、それも水餃子にしろ焼き餃子にしろ、醤油じゃなくって、醋、できれば黒醋に辣油を少々、なんてのがすっきりさっぱり、なのと同じ要領。
 
 「どう?リーペリン・ソース、ちょいとつけて試してみません?」なんて私の提案に、最初はいぶかしがっていたメンバーです。全員、最初はリーペリン・ソースの酸味の強烈さに「グフ!」と咳き込みながらちょいと浸して、ひと口。

 「うん、これいい!この強烈な酸味が「蓮藕餅」にぴったり」。
 「そうか、醤油だと、旨味が邪魔しちゃって、なんでも醤油の味になっちゃうけど、このリーペリン・ソースの酸味とだと「蓮藕餅」の旨さ、ますます引き立てる感じなんですね。それに、芥子とか辛味の醤とかもないほうがいい感じ。そういうの付けると、その味になっちゃうから!」なんて声も。

 考えれば、要は蓮根のすり身をいれたハンバーグ、みたいなもんですよね。もちろん、肉をつなぎにした時には。それを、えび、魚のすり身に置き換えることもできる。
 実は蓮根が余ってるとき、我が家ではこれを作ります。けど、難しいのは蓮根の下拵え、それに、具材の味付け。

 袁さんの「蓮藕餅」を食べながら「これは叶わないプロの技!」、なんて思いました。
 この「蓮藕餅」、間違いなく「赤坂璃宮」銀座店の「家郷菜」シリーズのグレイテスト・ヒッツの一品。
 香港の味、風味、がそのまま味わえます。

2009/05/29

郷土料理が旨い~09年5月の『赤坂璃宮』銀座店の1

 おっといけない。危うく今月の『赤坂璃宮』銀座店報告、月越えになっちゃうところでした。
 この連載シリーズ、今回で2年目に突入。ということで副題の5月に09年を追加。そして今回は家郷菜ならではの料理がずらり。おまけに一周年を記念して、なんてわけでもないでしょうが、宴会料理の花、豪華な魚料理が登場というビッグ・サプライズも!

 まずは前菜、今月は(というのも、なんでだか前菜の中国表記名、毎月、変わるもんで)「広東焼味盆/前菜の盛り合わせ」は、「鶏肝」、「叉焼」、「焼鴨」、「牛展」。醋漬けの野菜は「蕪」、それに赤と黄色の「パプリカ」。

 「鶏肝」は、甘味たっぷりの濃厚な味わい。普通、香港じゃ「麦芽糖」を使ったりするんですが、火が入った砂糖の蜜のじゅくっとした甘味、「鶏肝」のねっとりの触感に見事にマッチング。その少量ながらもそのこってり感、コクのある濃厚な味わい、風味がたまらない。

 そうそう、このこってり感、こくのある濃厚な味わいこそ、関西方面で長年、伝統的に語られてきた「まったり」感、というにふさわしいもの。「エ!まじ?」なんて声も聞こえてきそう。

 私の知る限り「まったり」というのは、こくがあって濃厚でこってり、ずしんとした手応え、しかも、舌に重くのしかかるような味わい、悪魔的でもう後戻りは出来ない魔境、けものみちに入り込んだような状態で、身も心もすべてお手上げ。なんてのが私なんかが意味するところの「まったり」。

 ところが、近頃は、その言葉が使われる本場、関西でも、かつてはそのニュアンス、表現、違ってきたみたいですね。なんだか、ぬくぬく気分で放心状態的気分に陥った時の表現、なんてことで頻繁に語られるようになっているみたいです。

 そういえば、大阪発の「あまから手帖」を紐解いていたりすると、店紹介における料理についての記述で、ライターの人の表現や形容、大阪、あるいは、関西圏共通の表現、語り言葉が使われていながら「あれ?これ、どういうつもりで書いてんの?」。「まったり」という表現に限らず、その嗜好、私がかつて神戸にいて、関西文化圏にどっぷりだった時代とは違ってるみたい、なんて思いますから。

 話を戻して「鶏肝」。甘味のあるこってり味、ねっとりの触感で、風味が豊か。中国産のスピリッツ、広東料理なら米からできた焼酎なんかがほしくなります。それに、叉焼の旨さも、格別。

 ところが、今月の「焼鴨」、いつものに比べ、味、風味いまひとつ。素材自体、時期を過ぎちゃった感じで、風味が乏しい上に、焼き加減もちょいと過ぎた感じで、皮のつや、肉もぱさつき加減。ま、こういうこともたまにありかも、なんて思いました。

 そして、登場したのが今回のヒット作の一品、しかも「赤坂璃宮」銀座店の「家郷菜」のグレイテスト・ヒッツの一品にあげられそうな料理です。「袁さんにやってもらえませんか?」と、かねてより依頼していた料理なんですが、その願いが実現しました。

弁天山 美家古寿司の2

 私は寿司屋では「お好み」、ネタ一種に二貫というのが基本です。1人前(「お決まり」って言うんですか?)とか「おまかせ」にはいささか、というよりかなりの抵抗があります。

 好みのものをその日の気分、体調にあわせて、というのが(大げさですけど)私の流儀。好みのものを食べながら、その日のネタのあれこれ、親方に尋ねて、軌道修正なんてのもよくあること。旬の味との出会いを楽しみに出かけるわけですから。

 日頃、フレンチにしろイタリアンにしろ中国料理にしろ、おまかせとかコース仕立ては苦手で、アラカルト主義で自分でコースを組み立てます。

 それが、四代目の榮一親方の握る寿司、でっかいもんで2貫ずつ食べてたら、次第にお腹が一杯になって、食べるネタの種類も限られてきます。 なんていっても、四代目が健在の頃、それに、五代目に代わってしばらくは、店にあるネタのほとんど、食べてました。大食漢、だったのであります。

 それだけじゃなく、お酒を頼むとつまみが出てくる。あ、お通し、っていうのかな。魚介のあれこれを仕込んで、味付けしたもので、これがまた滅法旨くって、あれも、これもと食べたくなる。

 いつもの居場所だった神保町では元親方(それに現親方のみっちゃんも)「何か切りましょうか?」と尋ねられ、「じゃ・・・」なんてのが、寿司を食べる儀式のはじまりでした。ところが「美家古」では、季節に応じた色々なつまみ、お通しの数々が。まさにアミューズ、ですね。寿司と同じくらい楽しみです。

 もっとも、仕事の関係で外食に制限がかかるようになって以来、「美家古」には三社祭の時にでかけられるぐらいだけになっちゃいました。
 「小倉さんに言っといてください、三社の時以外にも、おいでくださいって」
と、四代目の後を次いで下拵えを担当し、夜には五代目の脇に立つ大ちゃんが、私の知人に伝言。
 
 すんません!
 それに、日頃、おまかせはパスのはずの私ですけど、三社の時の「美家古」では、おまかせだけになっちゃって。なんだか、彼岸の折、浅草寺参りの帰りに「美家古」に必ず立ち寄る老婦人、みたいだな。でも、三社祭がある限り、私の「美家古」通いは廃れませんから!

2009/05/26

弁天山 美家古寿司

 三社祭があると立ち寄るのが弁天山の「美家古寿司」。
 「美家古寿司」に通うようになってから一体ってどれぐらいになるのやら。
 山本益博、それに当時益博さんの奥さんだった麗子夫妻に案内されたのがそもそのものきっかけでした。

 そういえば「三社祭」の宮出しに連れて行ってくれたのも、当時の山本夫妻。宮出しを見終えた後で横浜に直行し「謝甜記」、「鳳城酒家」などをはしごしたのは懐かしい思い出です。

 その後、年に何度か折りを見て訪れ、先代の四代目の内田榮一さんの握る寿司を食べながら、昔話を色々。その横に立っていた五代目の内田正さんは美味しいものが好きで、食べ歩きにも熱心。店を改装する間(って、去年じゃなくって、先の際)長期休業した折りに、正さんご夫妻と香港にご一緒したこともあります。

 改装前の「美家古寿司」は、創業が慶応2年という老舗ながら下町の寿司屋独得のくだけた雰囲気、風情がありました。玄関入ってすぐのところ、付け板の一番端っこに、先代、10代目の馬生さんがひとり手酌で楽しんでいらしゃる姿を一度ばかりか何度も拝見。

 日曜日、休日の昼に訪れると地方からお見えになったと思しき年輩のご婦人、その家族が和やかに寛ぐなんて光景も。
 「うちにはね、彼岸の度にお寺(浅草寺)参りして、帰りに寄ってくださる。そんな長年のお客さんが多いんですよ」なんて、先代の榮一さんの話が懐かしい。

 その先の改装以後、五代目の正さんが表に立って、四代目は裏に回って上でもっぱら下拵えに。なんていっても、たまに下に降りてきて、懐かしい顔を見つければテーブルに居座って昔話に花が咲く、なんてこともこれまた懐かしい話。

 そうそう、先の際の改装で変わったのは店がこざっぱり。同時に、狭くなったこと!
 それから、握りのすし飯、ご飯の量が変わりました。ものによってはネタの切り方、厚みをビミョーに変えたりしながら、すし飯の量は、加減、少なめに。

 四代目の内田榮一さんの握りはすし飯自体が大ぶりで、時にネタからはみ出していることも。どっしり、ぼってりの按配で、寸胴の体躯が足元に向かってスソ広がりにふくらんでいくような言わばペンギン体型。でも、すし飯の分量、しっかりだったのはいまだ記憶に残ってます。

 そういえばJCだかBCだかフード・ライターの案内本に「美家古寿司」が紹介されていて、「昔にくらべすし飯(あ、もしかしてしゃりって書いてあったか)が大きくなった」なんて記述に?
 先代、4代目の頃に比べると小ぶりになったのに、なんで?

 「あれ、ご覧になりました?昔、って先代の頃の寿司、食べたことないのかな?」
 正さんに話をむけても、正さん「ふふふ」と笑うだけ。
 「ま、食味評論の方やフード・ライターの方は、お好きにお書きになりますから!」

2009/05/13

坂本龍一 グルーヴの躍動~ピアノデリック/PIANODELIC

 そして、坂本龍一の「Ryuichi Sakamoto Playing The Piano 2009」(4月29日、昭和女子大・人見記念講堂)が大きな収穫でした。新作「Out of Noise」は、最初の曲と最後の曲がお気に入り。もしかしてライヴでこそ本領を発揮なのでは?という期待を見事にかなえてくれました。

その2曲、「hibari」、「composition 0919」、めくるめくグラス的ミニマル展開の妙はエッシャーの騙し絵さながら。旋律が螺旋状に果てしなく、止め処なく繰り返されるミディ・ピアノとの連鎖、快感、心地よさに、ナチュラル・ハイを覚えたものです。 当人の「いつ、一体、どうやって終わるのやら」なんてコメントも笑わせます。

 当日のプログラムは気分次第ってことで「composition 0919」についで、いきなりコンサートの終わりを告げるかのような「koko」。それに似た作品ってことで「Aqua」のさわりも。といって、コンサートは終わりませんでした。

 以後、演奏が繰り広げられる中、端整な演奏のメロディそのものが次第にグルーヴ感漂うものとなって行く。時にブルース風、あるいはゴスペル風になり、やがてタメを利かせたリズム・タイミングによるグルーヴ感溢れるビートが高揚感を生み出していく。そんなメロディとリズム、ビートの重層的なグルーヴの妙に自然に身体が揺れました。

 アメリカやイギリスでなら、中南米、アフリカでの公演なら、間違いなく手拍子が巻きおこりそう。ですが、回りを見渡せば背筋すっくという観客が大半を占め、身体を揺れす気配すらうかがえない。なにしろ、咳きには冷ややかな視線。ま、当然な話ですが。そういえば、子供の泣き声?らしきものも聞こえてきたりして。それより、演奏終わりの拍手もお行儀良く簡潔に、なんていうのが暗黙の了解のようで。歓声をあげたり、拍手を長くしようものなら疎まれる気配が濃厚で、支配的。

 そんな次第ですから、手拍子なんてもってのほか。そういや、坂本君、どっかの会場で手拍子が巻き起こったのに「拷問だ。手拍子、やめてほしい!」なんてコメント書き込んでましたっけ。でも、そんなかしこまったり、杓子定規な感じじゃなく、らく~に楽しみたいなんて思いながら、私は身体を揺さぶり、存分に楽しんだのでありました。そして、締めくくりは「戦場のメリー・クリスマス」。

 アンコールでは思わず「イエイ!」と叫びたくなる「チベタンダンス」。それに「ビハインド・ザ・マスク」に「千のナイフ」まで。そう、この日の坂本龍一はあの「テクノデリック」のグルーヴをほうふつさせるソロ・ピアノによる「ピアノデリック/PIANODELIC」さながら。グルーヴの躍動に思わず興奮。

 それだけじゃなくって、そこに坂本龍一という生身の人間、人となり、人間像が垣間見れたこと。それも、生、LIVEならではのもの。といって、それは単なる臨場感ということじゃありません。自身、そして、人、つまりは演奏者と聴衆としての対話。さらには、現代社会、人間社会、人類の、自然界の、この地球の、過去、現在、未来。その演奏が、自身とそれぞれとの関わり、対話、対峙の様を浮き彫りにするものだった、なんていうあたりがライヴならでは、なんてことです。だからこそ、グルーヴの躍動が生まれたのだと。

 「すごいグルーヴ感だったね。特にアンコールからすごかったね。それまでもメロディ自体、グルーヴある感じの演奏になっていって、それから、リズム、ビートのグルーヴ感を増していって重層的なグルーヴが生まれるところが面白かったし、楽しかった!」
 「そうでしょ?ファンキーだったでしょ?去年のYMOあたりからあの感じなんだよね、バンドのノリっていうか、細野さんもユキヒロもそうだし」
 「そうそう、ロンドンとスペインのYMOのライヴ、良かったよ。年くったし、お互い張り合う感じとか、無駄なもんスッパリそぎ落として、ラク~な感じ、そのまんまの演奏ってこと?」
 「そうそう、そうなんだよね」
 「そういや、今日は『テクノデリック』を思い出したりして、私、あのアルバム大好きなもんで!」

 そうです、人見記念講堂での一夜は『テクノデリッック』ならぬ『ピアノデリック』さながら、グルーヴの躍動がなによりも魅力的でした。今、一番、聴きたい音、音楽がそこにありました。
 
 画像は内容充実のツアー・ブックレット。コンサートで演奏したい作品を収録した2枚のCD付きです。これがなかなかの聞き物!  

2009/05/07

小坂忠&Soul Connection at BILLBOARD LIVE

そういえば30日の夜、9時半からのステージを見た小坂忠のライヴ。
 懐かしいアルファ時代の「ありがとう」、「放浪」、「風来坊」、中でも「機関車」のソウルフルな歌唱が良かった。そんな小坂忠のMC、時折、現役の牧師として顔が覗きます。
 画像は勝手に拝借
 バックを務めていたSoulConnectionのリズム・コンビを務めていたのは高橋幸宏と小原礼。いずれもモータウン、スタックス、ハイ、フィリー・サウンド、さらにはアトランティック系のNYのソウル・セッションのリズム・コンビをほうふつさせるプレイを随所に。それにDr.kyOnはニューオルリンズのピアノ・ブギ・フレイズをバリバリ弾きまくる。

 バンド・マスターの佐橋佳幸はアラン・トゥーサンのサポートを得たジョン・サイモンばりのアレンジ・ワーク(ホーン・セクションの二人が特別参加)とともに、曲ごとに「あれれ!」、「おやおや」なんて思わず顔がほころぶ様な有名どころのギタリストのリフ、フレーズをそこかしこに。八面六臂の活躍ぶりです。

 おまけに、とある曲のワン・フレーズの「音」のために、フェンダーのストラトをグレッチに替えるなんて「趣味人技!」が佐橋君ならでは!「だって、エージさんの書いてきたもんばっかり見てきたんだから、そうなんのも当然でしょう!」だって。はい、はい、恥ずかしい昔話です。

 そういえば佐橋君、小坂忠&SoulConnectionと前後して山下達郎のツアーでもバリバリとギター弾きまくり。まるで《エンサイクロペディア・オブ・(ボーカル&インストルメンタル)ロック・ギタリスト》さながら、山下君の歌、曲のツボを心得た「あんなフレーズ、こんなフレーズ」を次から次へ。

 そんな中、とある曲でエレクトリック・シタールの調べが流れてきたのに思わず「わお!」。ところが、山下君、佐橋君の手元を見ても、聞こえてくるフレーズを弾いてない!「なんでまた!」というその秘密、聞いちゃいました!

 小原礼も曲に応じてベースを取っ換え引っ換え。ですが、基本はドスコイでガツンの小原ならではのフレーズと「音」。
 「いや、そうなんだけどさ。ほら、中華なんかで料理によって調味料、ビミョーに使い分けるでしょ?あの感じ、あのノリだよ、がはは」と、豪快に笑って屈託がない。なんて、昔から変わらないまんま、オヤジになってもロックンロールの小原君。

 そうそう、小原礼のかみさんの尾崎亜美が当夜のゲスト。アンコールに登場してオルガンの前に座った彼女、(スティーヴン・)スティルズ顔負けの豪快なフェイクをぶっ飛ばす、なんて夫唱婦随、あれ、もしかして婦唱夫随?

 (高橋)ユキヒロも「こんなにドラムを叩くことになるんて、ほんと久しぶり。ここまでやるとは自分でも思わなかったよ!」というほどの健闘ぶり。スネアのキメ、スマートでダンディなフィルイン、2/4のタムのかませ方など、ユキヒロらしさがそこかしこ。「あの頃」が甦ります。

 そういえば70年代のフィリーやモータウン、それにスライの『暴動』から『フレッシュ』あたりまでやニューヨークのソウル・セッションのグルーヴ、ノリの再現、近頃、再び耳にすることが多いのが面白い。
 ドリカムの新作も、かつてのフィリーや70年代のその種の「音」がそこかしこ。シェルリ・リンのあの感じ再び!なんてところが面白かったのですが、その雰囲気、気分はともかく、肝心の曲と歌詩がなんだかなあ、だったのですが……。

2009/05/06

五木ひろし 45周年感謝祭 なんばファイナル!歌・舞・奏スペシャル

 中野サンプラザでの山下達郎(+竹内まりや)の「PERFORMANCE 2008-2009」に続いて、渋谷AXでのMOONRIDERSは他にライヴがあって見逃しました。それから大阪の新歌舞伎座で「五木ひろし45周年感謝祭 なんばファイナル!歌・舞・奏スペシャル」。翌日には大宮のソニック・シティで松任谷由実の「YUMI MATSUTOYA CONCERT TOUR 2009 TRANSIT」。
 
 日曜日には国際フォーラム・ホールCで中村中の「異常気象」。 一日置いて世田谷・太子堂の昭和女子大人見記念講堂で坂本龍一の「Ryuichi Sakamoto Playing The Piano 2009」。その翌日には六本木のBILLBORD LIVEで小坂忠&Soul Connection。

 でも「なんでまた、五木ひろし?」という突っ込みがありそうで。
 過日、あの秋元順子の「愛のままで」のオリジナルを越える大物歌手のカバーを耳にした触れた大物歌手とは、他でもない五木ひろしのことでした。五木ひろしの「コットン・クラブ」でのライヴを見てのことで、過日、朝日新聞のステージ評で取り上げました。

 その「コットン・クラブ」でのライブ、今年の2月、五木ひろしがオリジナル作の『江戸の夕映え』とともにあわせて発表された『アメリカン・ポップス&スタンダード~テネシー・ワルツ』、『哀愁のヨーロピアン・ワールド~雪が降る』にちなんでもの。いや、そもそもは「コットン・クラブ」でライブが決まり、結果、その2枚を制作、というのが話の筋道だったなんて話も聞きました。

 「コットン・クラブ」でのライブでは懐かしい日本語のカバー・バージョンによる往年のロカビリー・ヒットやロッカ・バラード、英語そのままのスタンダード、さらにはアダモのヒットなどを披露。そのどれもが拳を握り締め、身体でリズムを取りながらの五木節。英語の歌も、フランス、イタリア、ポルトガル語の歌も、演歌の心で取り組み、あの五木節が全開。和やかな雰囲気で盛り上がります。

 そんな後に「やっぱり、最後は日本人ですから、お茶漬けの味で!」なんてことで、日本のカバー曲を。まずはギターの弾き語りで杉本真人の「吾亦紅」。その曲で、空気一変、次いで歌った「愛のままに」がすごかった。

 きっちりとした人間描写で、熟年の人生模様を丹念に、リアルに描き出す。秋元順子のオリジナルは普遍的。「実はちょっと浮気しかけたことがあるんだけど亭主は知らないはず」なんて、ほのぼのとした井戸端会議的な俗っぽさがあり、ですよね。五木ひろしの歌の解釈、表現はそれはとは対照的に人生の歩み、道程、今、これからを明確に浮き彫りにしたもの。

 そして、オリジナル「凍て鶴」。その最初の一声で、深閑とした厳寒の雪原の光景が目の前に浮かび上がる情景描写に、思わずぶるっと身震い、鳥肌が立ちました。
 そんな五木ひろしの新歌舞伎座での今回の公演。

 画像は勝手に拝借!

 その2部で、自身が歌謡界にデビューしてからの歩み、デビュー前後からの戦後昭和の歌謡曲の歴史を重ね合わせ、当人の年齢にちなんでメドレー61曲で足跡を振り返るという趣向がおもしろい。しかも、自身のヒットに、70年代、80年代のフォーク・ヒットがかなり織り込まれるという趣向。おまけに、ゲストはフォーク/ニューミュージック畑の歌手が出演という構成。私が見た日は杉田二郎でした。

 そういえば昨年来話題の秋元順子の「愛のままで」、さらには異色の?演歌歌手JEROのヒットの背景に、70年代、80年代のフォーク/ニューミュージックの影が見え隠れ、というのは大いに気になっていたことです。というのも、いずれもそのオリジナル、ニューミュージック畑、フォーク歌謡の出身の手によるもの。それに、70年代、80年代にかけ歌謡曲、アイドル歌謡の担い手だった人物もいます。

 そして五木ひろしの「凍て鶴」も、曲は三木たかしですが、作詞はかぐや姫のヒットを手がけた喜多條忠。その曲を収録したオリジナル・アルバムで江戸時代の市井をテーマにした『江戸の夕映え』も、実は歌謡曲畑とニューミュージック畑出身者による作詞、作曲家の作品が混在、というのがその面白さのひとつ。今の時代の「歌謡曲」を物語るものだといえましょう。

 で、つい最近耳にした面白くて、興味深い話。
 「70年代、80年代の歌謡曲に興味があるんですよ」という若者の話に
 「一体どういう歌が?」と尋ねたら
 「さだまさしとか松山千春、かぐや姫とか中島みゆき」という答えが返って。
 「え!それってフォークじゃない!」とその話を耳にした人、聞き返したところが
 「そうなんですか?」と、意に介さない風だったそうで。
 ちなみに「ユーミンは?」と尋ねたら「あれは、ポップスですよ」ときっぱり。

 なんて話と昨今の歌謡曲事情やら、五木ひろしの公演のことが頭の中でミックス・シャフル、つながる線が見えてきます。

2009/05/03

訃報 忌野清志郎

 つい最近、とあるコンサートで久々にあったH紙のT君から電話があったのは22時32分。
あれ、どうしたんだろうといぶかる私に「あの、忌野清志郎さんが亡くなられたんです」という話。
 「エ!?、なんだって?」と、その話が信じられずに聞き返しました。
 「清志君が亡くなった?どうして?」、と。

 つい先頃、あがた君でのコンサートでのこと、清志君のマネージメントを手がける相沢さんに出会った際、清志君、昨年の復活ライブ以後、再び入退院を繰り返しているという話を耳にしていたんで「清志君、どうなの?大丈夫」と尋ねたら「大丈夫、元気でいるから」という話に、安心したものですが。

 20年前のことになりますが、清志君とロンドンでしばし一緒に過ごしたことがあります。アルバム『RAZOR SHARP』の制作時のことで、その時のことは『忌野旅日記』にも記されている通り。

 過激で大胆で向こう見ず、といった印象の清志君。ロンドンのとあるレストランでちょっとした出来事があって、アテンダントから「オー、ノー、ノーティ・ボーイ!」なんていわれて、それから「ノーティ・ボーイ」という言葉がお気に入り、なんてことがありました。

 「ノーティ・ボーイ」ってのは、いたずらっこ、腕白坊主ってことですが、まんま清志君にあてはまりそう。ですが、その実、清志君、繊細で、人を気遣う細やかさを持った人物だってこと、ロンドンで共に過ごした一月あまりの日々に知ったのでした。

清志君のご冥福を祈ります。