つい最近、とあるコンサートで久々にあったH紙のT君から電話があったのは22時32分。
あれ、どうしたんだろうといぶかる私に「あの、忌野清志郎さんが亡くなられたんです」という話。
「エ!?、なんだって?」と、その話が信じられずに聞き返しました。
「清志君が亡くなった?どうして?」、と。
つい先頃、あがた君でのコンサートでのこと、清志君のマネージメントを手がける相沢さんに出会った際、清志君、昨年の復活ライブ以後、再び入退院を繰り返しているという話を耳にしていたんで「清志君、どうなの?大丈夫」と尋ねたら「大丈夫、元気でいるから」という話に、安心したものですが。
20年前のことになりますが、清志君とロンドンでしばし一緒に過ごしたことがあります。アルバム『RAZOR SHARP』の制作時のことで、その時のことは『忌野旅日記』にも記されている通り。
過激で大胆で向こう見ず、といった印象の清志君。ロンドンのとあるレストランでちょっとした出来事があって、アテンダントから「オー、ノー、ノーティ・ボーイ!」なんていわれて、それから「ノーティ・ボーイ」という言葉がお気に入り、なんてことがありました。
「ノーティ・ボーイ」ってのは、いたずらっこ、腕白坊主ってことですが、まんま清志君にあてはまりそう。ですが、その実、清志君、繊細で、人を気遣う細やかさを持った人物だってこと、ロンドンで共に過ごした一月あまりの日々に知ったのでした。
清志君のご冥福を祈ります。