2007/03/27

閑話休題~マカオ・香港の旅(20)


 香港の粥麵事情のおさらいをするうち、以前紹介した蔡瀾さんの「香港美食大神」の「好旺角」を紹介した項目で、興味深い記述を見つけた。
 「好旺角」の「牛腩撈麵」と「牛筋撈麵」について「ここのは旨い」とほめたあとで「いまだに、広東人が作った「牛腩撈麵」と潮州人の作った「牛腩撈麵」がよくわからない人がいるが、実際にはとても簡単で、食べればすぐにわかる。またはタレを見ただけでわかるはずだ。広東人は味噌っぽい「辣椒醬」を使い、潮州人は、唐辛子をから煎りにした「辣椒油」(ラー油)を使う。この二つは決して一緒くたのものではない」、というものだ。
蔡瀾さんは「料理の鉄人」で審査員を務め、辛口の評で日本でもその存在を知られるようになった。これまでふれてきたように、ブルータスの96年12月1日号の香港特集で香港の食について語りあったこともある。また、映画人としての足跡については「香港音楽大全」(ミュージック・マガジン社)」で話を聞き、紹介してきた。
 香港を拠点に活動している香港人だが、生まれ、育ちは香港ではなく、シンガポール。潮州系の中国人である。幼い頃、映画館の上に住んでいたことから、映画館に出入りして映画の魅力にとりつかれ、その後、日本に留学。日大の芸術学部で学んでいた頃、当時、香港や東南アジアで人気のあった日本映画の輸出や翻訳の仕事にかかわり、やがては香港を本拠に、映画界で活躍。食へのあくなき興味、関心もあって、新聞などでも執筆するようになった文化人、という経歴の持ち主だ。
  「香港美食大神」はじめ、地元の新聞、雑誌で執筆しているコラムなどでは、辛辣な食批評、店紹介をしながら、時に、潮州人としての顔をのぞかせる。シンガポール出身の潮州人、つまりは、外国人として香港の食事情を捉える冷静な観察眼があり、また、潮州系の料理、店に関しての記述においては、その真髄を紹介すべく熱弁をふるう。
 先のコメントにも明らかなように、「潮州料理」は、「広東料理」の系列に組みいれられるが、実際には独自の食文化をもつものであり、「広東料理」とは一線を画すものである、という熱い主張がある。
 それが、蔡瀾さんのコメントの面白さ、魅力なのだ。が、「香港のほんとうの美食ガイド」(幻冬舎)では、単に「食文化評論家」として紹介されているだけで、そのあたりの蔡瀾さんの鋭い見解を日本の製作者、翻訳者は理解できなかったようだ。
  さて、蔡瀾さんの語る、広東系と潮州系の店における「牛腩撈麵」の違い。それは牛のばら肉の煮込みである「牛腩」そのものの調理方法が、広東系と潮州系ではまったく異なる、と言うことからも明らかだ。
 広東系の「牛腩」はじめ、各部位や臓物の煮込みには「柱候醬」などの調味料を使う。一方、潮州系のそれは「清湯」、つまりは、茹でて、アクをとり、煮込み続け、澄ましスープ仕立てにする。香港には茹でた牛ばら肉の煮込みの「清湯牛腩」を看板にする小食店がある。また、潮州系の「粉麵店」のメニューにある「牛腩」のほとんどは、その種のものだ。しかし、広東系の「粥麵店」、料理店でお目にかかれるそれは、「柱候醬」などで煮込んだものなのである。
 さらに「牛腩」につけて食べるタレ、というよりも、調味料だが、それは蔡瀾さんの記述通り。そうしたことからも、広東系の「粥麵店」と潮州系の「粉麵店」はまったく異なるもの、ということが理解できるのだ。
  「清湯牛腩」を看板にする店、しかも、評判の高い店の数は限られている。それにくらべて多いのが「牛什」、つまりは牛の内臓類、さらには豚肉の内臓類の煮込みを看板にした小食店、小販、つまりは手押し車式の移動屋台だが、その多くは、実は潮州系だったりするものだ。
  文藝春秋臨時増刊号でも紹介した鏞記の「清湯牛爽腩」。社長の甘健成さんの話によれば、アイデアは潮州式の「牛腩」のそれ。が、「潮州式の「牛腩」の煮込みとは違って、部位を限定して作った」、というのがご自慢だ。
 その部位とは、日本では「はらみ」、涎掛けとも称される横隔膜の肉だけを使い、じっくり煮込んだものだ。部位の入手が難しく、数が限られることや、作るのに手間隙かかることから、鏞記の「清湯牛爽腩」は、数量が限定された特別メニューになっている。
 
 画像は、蔡瀾さんの著作。内容充実、香港の食に関心のある人なら、必読の一冊です。

2007/03/26

閑話休題~マカオ・香港の旅(19)


 文藝春秋の臨時増刊号「黄金の10年へ」がこの22日、発売となりました。
 「夫婦で行く香港・マカオの旅」、ご高覧いただければ幸いです。
 ビジュアル主体なもので、執筆量にも制限がありました。それに、紹介した香港の店、香港リピーターにとってはおなじみの店がほとんどですが、メニュー、コース紹介はちょっとばかりひねり、工夫を凝らした。で、いよいよ発売となりましたので、これからは裏話など、ご披露したいと思っております。

 さて、前回の書き込んだ「潮興魚蛋粉」について、色々とご質問が。いきなり「旨いんですか、あの店?」という突っ込みに、思わずどぎまぎ。
 
 いや~、正直言っちゃえば、並の店、一応、アベーレージは保っているが、これぞきわめ付けってわけでもない。湾仔の軒尼詩道と盧押道が交差するあたり2軒あります。どうやらチェーン店らしい。一軒は軒尼詩道、「永華雲呑麵家」の並び、もう1軒は盧押道、軒尼詩道と荘士頓道の間、修頓運動場に面したところにある。

 金鐘や湾仔のホテルに滞在時、小腹が空く遅めの「下午茶」として、あるいは、夜の食事が満たされなかったりしさ際の「宵夜」、つまりは夜食目当てに湾仔探索を試みた時に見つけたものだ。

 ここで紹介したのは、メニューを見ればお分かりの通り、潮州系の「粉麵店」としては、品揃えが豊富で、味もそこそこだからだ。それに潮州式の「粥」、「泡粥」もある。ここまで品揃えが豊富な店は、香港でもなかなか見つけられない。

 たとえば「肉丸」。黒胡椒風味の「黒椒肉丸」、普寧地方風味の「普寧肉丸」、干し貝柱いりの「瑶柱肉丸」、魚の浮き袋入りの「花膠肉丸」の4種がある。
「牛丸」も、黒胡椒風味の「黒椒」、手打ちの牛つみれ団子の「手打牛丸」2種。

 さらに、魚のつみれ団子の「魚蛋」、魚のすり身麵の「魚麵」があって、いずれも手打ちだ。魚のすり身を広げて伸ばして巻いた「魚扎」は「潮安」風味。「魚餃」は汕頭風味。メニューを見ているだけでも、胸が躍る。潮州系の軽食類を知るには格好の店なのだ。

 もっとも、そうした魚のつみれ類、すみいかの団子の旨さ、真髄を味わうのなら、やはり香港仔の「山窿謝記魚蛋」でしょう。拙著「香港的達人」では、街歩きのガイドの香港島島巡りの中に、その店の紹介を忍ばせた。

 「謝記」の魚つみれ類の「魚蛋」、「魚片」は、すっと歯が入るしっとりした柔らかさがありながら、噛み締めるとしなやかな弾力がある。歯ざわり、噛み応えが良い。しかも、しっかりとした味わいで、風味もある。ことに「魚扎」は、しっとりした質感と味わいがある。店の看板料理で、香港中で評判なのもうなずける。
 他に「牛丸」、それに「牛腩」などもあるが、やはり目当ては魚のつみれ類。

 しかし、場所は香港島の南側の香港仔で、足の便が悪い。中環はじめ島の北側などからだと、タクシーかバスで出向くことになる。
 もっとも、ウチのかみさんは、香港仔の近くにファクトリー・アウトレットの集合ビルが出来て以来、その帰りに立ち寄るが楽しみになったという。そんな目的でもなければなかなか出かけられないのが難点だ。

 足の便ということであれば、もともとは、何文田の窩打老道にあったが、現在は油麻地の新填地街の駿發花園に場所を移した「夏銘記」が便利だろう。残念ながら私はまだ新填地街に移転後の「夏銘記」には行ったことがない。
 窩打老道にあった頃、旺角に出かけたついでに何度か立ち寄った。 雲呑麵で評判の店で、麵も、雲呑も旨い。が、だしについては、う~ん、ちょいMSG、ってか、化学調味料が入ってる?な、感じなのだが、決して悪くはない。
 それより、この店の雲呑麵を食べたとき、一緒に「紫菜」が添えられていたことから「あれ!この店って潮州系?」と、思ったのだった。

 それより、雲呑麵を目当てにでかけたのが、店のメニューには「魚餅」、「魚片」、「魚餃」、それに「魚四寶」まであるではないか。ということは、紛れもなく潮州系の「粉麵店」である。そして、雲呑麵に添えられていた「紫菜」こそ、水戸黄門の葵のご紋の印籠ではないが、潮州系であることを自ら宣言しているようなものだ。

 「夏銘記」は雲呑麵も旨いが、それにも増して魚のつみれ類が旨い。
 ここでも、生のものを茹でたもの以外に「炸」したものがあって、これが滅法旨いのだ。

 最初に「夏銘記」に出かけたとき、雲呑麵だけでなく「四寶」を思わず追加注文。その時、店にいたのは私だけだった。で、私のテーブルに「四寶」を運んできた主人と思しき人が「これをつけて食べるといいよ」と、指差したのは「辣椒油」だった。

 早い話が「辣油」である。くすんだような赤い色あいで、みるからに辛そうだ。実際、ヒリリとしている。さらに、唐辛子を油で焦がした風味がある。

 我が家で麻婆豆腐を作る際、熱した油(花生油)に、唐辛子をわしづかみにして放り込み、即席の辣油を作る。あのこげ味に似ている。「夏銘記」の「辣椒油」が気に入った私は、早速、一瓶、購入した。
確か「謝記」でも「辣椒油」を売っていたはずだ。
 そういえば「麻婆豆腐」。名著「食は広州にあり」を記された邱永漢さんが毎年開かれている誕生日会でお目にかかり、知己を得た東山堂ベーカリーの原田一臣さんから四川旅行のお土産に頂戴した「陳麻婆豆腐」の即席パック。
 豆腐、葉ニンニク、擂り潰した花椒を用意し、あとは手順に従って調理するだけ。これがかなりの優れモノだったのに、驚いた。しかも、この種の即席の素にありがちな味精はなし。その分、塩味がしっかり利いている。正直言って、塩分が苦手な私には強すぎる。
 もっとも、地元四川では、おそらくこの匙加減なのに違いない。チャイニーズレストラン直城の山下直城さんの話では、近頃、塩加減が薄めになったとはいえ、四川での塩味の強さは日本のそれをしのぐそうだ。
 
 ともあれ、この即席麻婆豆腐の素の味はしっかり、風味も豊かだ。日本の麻婆豆腐の即席の素(試したことあるんです、一応!)なんて足元にも及ばないぐらい、素晴らしい。なんといっても、香りが豊かです。
 豆腐以外に、茄子、それに、きゃべつ(もちろん、東松山の農業、加藤紀行さんのものなら、文句なし!)の炒めものに、使ったりもしてます。画像は、原田さんに戴いた即席麻婆豆腐です。

2007/03/22

閑話休題~マカオ・香港の旅(18)

「麵」と言えば「小麦」。「麵粉」と言えば「小麦粉」だ。文字の順序を入れ替えると「粉麵」になる。中国本土では使われない、というか普通語にはない言葉のようだが、香港ではその言葉を頻繁に見かける。

 「米」を素材にした各種の「麵条」の形態である「粉」と、「麵」を素材にした各種の「麵条」の麺類を合体させた「米粉麵条」をひっつめた簡略的な表現である。ちなみにグーグルの辞書で調べたところ、繁体字→英語の翻訳で「noodle」と出ました!「麵類」の総称ということらしい。

 「粉麵」という言葉の前後に「粥」もしくは「飯」を付け加えることもある。たとえば、先に紹介した陸羽茶室の「各種粉麵飯品」のメニューなど、その典型的なものだ。さらに「粥粉麵飯」という表現もあって、料理本などの項目になっている。

 陸羽茶室のメニューにも明らかなように、香港の広東系の料理店では「飯」を使った各種の炒飯、あんかけ飯などとともに「粉麵」類も各種あり、「粉」、「麵」が各種常備されているものだ。 ちなみに福臨門にも「飯」、「麵」、「粉」に「粥」の各種の料理を紹介したメニューがあるのだが、見たという人は少なく、その存在はあまり知られてはいないようだ。

 潮州系の料理店でもそれらが常備されている。
 ところが、北京、上海、四川系の店では、「飯」、「麵」はあるが、「粉」をみかけることはほとんどない。しかも、「麵」の種類が広東系、潮州系の店とは異なる。

 さて、粥麵店。前述のように、広東系と潮州系がある。残念ながら香港のすべての「粥麵店」を制覇したわけではなく、私が体験してきた範囲での結論、というより、中間報告になるのだが、「粥麵」と看板を掲げている店の多くは広東系のそれ、と言っていいようだ。

 そのほとんどの店では「生麵」、「伊府麵」もしくは「全蛋麵」が常備されいる。「粗麵」といって、太めの麵を用意している店もある。また、細めの生ビーフンの「米粉」、幅広の生ビーフンの「河粉」も常備されている。

 そして、「粉麵店」と看板にあれば、ほとんどの場合、潮州系と言っていいようだ。 そういえば潮州には独特の「粥」があるが、潮州系の「粉麵店」では滅多に「粥」にお目にかかれない。潮州式の「粥」に出会えるのは潮州系の料理店、もしくは、潮州系の一部の「小食店」でのことだ。が、潮州系の「粉麵店」では「粥」がない代わりに、「粉」の種類が多くなる。

 「米粉」、「河粉」の他に「米線」がある。
 「米線」は「米粉」よりも細く、断面が円形状のものだ。「鏞記」などでお目にかかれる「瀬粉」に似ているが、それよりも細い。「瀬粉」は広東省の中山で生まれたものだから、潮州系の店にはない。その代わりに、潮州系の「粉麵店」には極細のビーフンの「米線」がある。生ビーフンだ。乾燥させた「米線」もあるが、「粉麵店」では置いてないようだ。

 さらに、イタリアのショート・パスタ風の生ビーフンの「銀針粉」がある。「銀針粉」という名称は、形状がもやし似ていることに由来するようだ。が、実際にはもやしよりも太い。 その「銀針粉」を、「龍髭粉」だったか、そんな名称で呼ぶことがあるようで、たとえば九龍城市にある「黄明記粉麵店」などがそうだったような覚えがある。「黄明記」のそれは、馴染み客には評判のものだが、数が限られていて、昼時になくなってしまうことが多い。

  潮州系の「粉麵店」では、牛肉、豚肉、魚のつみれが必ずある。牛肉のつみれの牛丸には、牛肉だけのもの、筋肉を使ったものなど、種類がいくつかある。店ごとに自慢のものがあって、牛丸を看板にしている店も少なくない。

 中でも有名なのは旺角にある「樂園牛丸王」だ。牛肉丸、牛筋丸の2種を常備している。尖沙咀の北京道と海防道の間、九龍公園径沿いにある海防道街市の中にある「徳發」も、牛丸、牛筋丸で有名だ。60年の歴史を持つ店である。

 魚のつみれ類の種類が豊富なのは潮州系の店ならではのものだ。
 それには、魚のつみれ団子の「魚丸」もしくは「魚蛋」。魚のすりみをかまぼこ状にした「魚片」もしくは「魚餅」がある。いずれも蒸したものだが、それを「炸」、つまりは揚げた「炸魚丸/炸魚蛋」、「炸魚片/炸魚餅」もある。

 さらに、薄く幅広い魚のすりみを巻いた「魚扎」があり、それにも「炸」した「炸魚扎」がある。
 また、魚のすり身を皮にした「魚餃」がある。「魚餃」は、店によっては「魚皮餃」という名称だったりする。

 紛らわしいのは「炸魚皮」というのがあることだ。それは魚の皮の揚げ物で、「粥麵店」、もしくは「粥」を専門にする店にもある。もっとも、広東系の「粥麵店」、「粥店」では「鯇魚」、つまり「そう魚」の皮がほとんどだが、潮州系の店では魚の種類が違うことがある。

  また、「墨魚丸」、すみいかのつみれ団子も潮州系の「粉麵店」、さらには小食店には必ずある。  それに潮州系の「粉麵店」では、「紫菜」、海苔を添え物にすることが少なくない。それは広東系の店ではありえないことで、潮州系の店ならではのものだ。

 画像は、湾仔の「潮興魚蛋粉」のメニューである。

2007/03/12

閑話休題~マカオ・香港の旅(17 )


 マカオ・香港の旅話が、なんだか横道にそれてしまった。が、この機会を利用して、香港の「粥麵」事情話をしばし拡大継続したい。

 香港に通い始めるようになってしばらく、知り合ったのが李添だ。もともとはミュージシャンで、レコード会社に入り、ディレクターを務め、林憶蓮/サンディ・ラム、などを手がけてきた人物だ。福建系の中国人で、父親は確かシンガポールの出身。彼自身は香港で育ち、イギリスのエセックス大学に留学という経歴の持ち主である。ところが、もっぱら英語で教育を受けてきたため、日常語の広東語、それに北京語を話すことはできるが、中国語の読み書きはどうも不得手なのである。料理内容、素材などに興味を持って彼に「漢字でなんて書くの?」と尋ねても、漢字で書けない。書けたとしても音が同じ文字をあてはめたあて字だったりする。そんなことがほとんどだった。

 一緒に食事に行っても、メニューを見ることはほとんどない。漢字のメニューだと理解しづらいらしいのと、好みの料理のメニュー名を覚えていたりはしないからだ。店の人と会話を交わし、料理の素材、調理方法など内容や特徴を伝え、店の人の言葉に「あ、それそれ!」とうなずくか、「あ、ちょっと違うなか」といった具合である。そうやって店の人に料理名を確かめ、私に伝えてくれる。私は、漢字表記のメニューなら料理内容を理解できるから、それを見て、彼に確認する。「どうする?頼む?」、と二人して相談し、ゴーにするか、ノーにするか、というのがいつもだった。

 李添は地元の庶民の間で評判の安くて旨い店、いわばB級グルメに詳しく、多くのことを教えられた。沙田の駅前のたまり場の「焼鴿(鳩のロースト)」、「雞粥(鳥肉入りの粥)」、深井の「焼鵞」、西貢の「海鮮料理」などだ。ことに西貢の「海鮮料理」が面白かった。

 80年代の初め当時、日本のガイドブックなどで紹介されていた海鮮料理の穴場(?)は、香港島の「アバディーン/香港仔」、九龍の「レイユーモン/鯉魚門」、新界の「ラウフーシャン/流浮山」、「ラマ島/南Y島」か「長洲島」ぐらいのものだ。西貢は地元ではすでに評判だったが、日本のガイドブックではさほど紹介されずにいた。

 もっとも、西貢の「海鮮料理」が面白かったのは、日本のガイドブックには紹介されない穴場だったからではない。漁船の船着場、水揚げ場所の近くに、店頭に生簀を並べ、「蝦」や「蟹」、貝類に「石斑」やベラ類など、海鮮の魚介を売る魚屋があり、その近くにそれらを料理してもらえる店があるのは、他の所とかわりない。

 ところが、西貢の魚屋、料理店には、近海の海鮮の魚介だけでなく、地場物の小魚などが豊富にあった。それらを「炒」、「炸」にするか、「煎」にしてからスープ仕立てするといった料理もいろいろあった。「海鮮料理」だけでなく、広東地方の郷土料理も豊富にあるなど、以前、紹介した湾仔の「生記飯店」が荘士頓道にあったころのメニューや料理内容にも通じるところがあった。

 油麻地の「麥文記」の「雲呑麵」も李添から教えられた。
 そんな彼が「魚のつみれの皮で作った餃子で「魚餃」っていうのがあるんだが、食べてみたい?」と言う。 連れられて行ったのは金巴利道と柯士甸道の境目、天文台道近くにあった小食店である。残念なことに、今はもうない。 店頭にはガラス張りの調理場があった。その佇まい、見かけは「粥麵屋」風だが、それまで知っていた「粥麵店」とはどことなく雰囲気が違う。

 メニュー内容もいささか違った。「雲呑」や「鮮餃」ではなく「魚丸」などの魚のつみれ類、「牛丸」、「肉丸」など、肉のつみれ団子を具にしたメニューが並んでいたのである。

 その「魚餃」。幻冬舎の蔡瀾さんの「香港ほんとうの美食ガイド」によれば「魚の餃子」として紹介されている。その訳からすると、魚を具にした餃子、と理解されてもしょうがない。実際には魚のすり身を皮にしたもので、具の餡に魚が入っていることもあるようだが、主に豚肉、野菜などが主体である。豚肉、それに、背脂などを使うのは、旨味、コクを出すためのものなのは明らかだ。さらに、太地魚、つまり、干しひらめ、もしくは干しかれいの粉末が風味付けに使われていることがある。青味の野菜も何か入っていて、それが清涼感を醸し出し、また、風味付けにもなっている。

 「ね、ここってさ、普通の「粥麵店」と雰囲気が違うね。メニューも違うし」と、私。「そういわれてみればそうだね。けど、そう言われるまで、あまり気にもしていなかったよ」と、李添。
 「いや、ほんとうは、香港仔に「魚餃」の旨い店があるんだが、今日は車じゃないし、遠出になるからね。でも、この店、尖沙咀じゃ、一番いいから。たまにここに立ち寄るんだよ」と、李添。

 魚のつみれで作った皮。といえば、日本人が想像できるのは、はんぺんの餃子仕立て、もしくは、かまぼこの薄切り包みの餃子、といったところだろうが。さにあらず、「魚餃」は、粉をつなぎにしてあり、しかも、皮が薄い。普通の餃子の皮の触感がある。たとえば焼き餃子の皮は、ぱり、さくっとしていって、むちっとした噛み応えがある。水餃子なら皮も厚く、もちもちとした触感、噛み応えがあるものだ。「魚餃」の皮は、歯触りは柔らかいが、軽い弾力、噛み応えがある。かまぼこやちくわのようにしっとりとした粘着質に近い触感や、魚のつみれの味、風味も残している。が、さくっとした噛み応えがある。

 後に、魚のつみれを平ったくのばし、細く「麵条」に切り分けた「魚麵」の存在も知ることになる。九龍城市、城南通の「創發」の知る人ぞ知るメニューのひとつにもなっている。

 「魚餃」で有名な香港仔の店、というのは、やがて「謝記」であることを知った。しかも、「魚餃」だけに限らず、魚のつみれ類から作ったいろんなものが旨く、それが看板であることもだ。

 そして、李添が教えてくれたその店をきっかけに、香港の「粥麵店」、それも、「麵」の小食店には、広東派と、潮州派があることを知ることになったのである。

 画像は湾仔にある「潮興魚蛋粉」の「四寶粉」。潮州系の「粉麵店」での定番的なメニューのひとつである。で、思い出した。「四寶」というのは、肉、牛肉、魚のつみれ団子に、かまぼこ風の魚片、魚餅などを四種、具にしたものだ。そこに「魚餃」は入ってないので、頼み込んでひとつ入れてもらった、ような記憶がある。手前に見える餃子風のものが「魚餃」である。


2007/03/07

閑話休題~マカオ・香港の旅(16)


 「腸粉」を知ったのは香港に通い始めてしばらくのことだ。飲茶の点心にあったからだ。
 見かけは「小腸」のようだ。しかし、洗浄した豚や牛の腸のどこかくすんだ色あいと違って、「腸粉」は乳白色である。それも、畳んで包まれている。へなっとした形状だ。注文すると老抽に生油を混ぜたたれをかけてくれる。つるんとした滑らかな舌触りで、噛み締めればスっと歯が入るが、いくぶんか粘着質で、ぺたっとしている。噛み締めると米の味、風味がする。 
 街中には「腸粉」の専門店もあった。店先に方形の蒸籠が積み重ねられていて、その横で、蒸しあがった平ったい方形の「腸粉」を、出し巻き玉子をつくるような要領で、畳み、包んでいたりする。そんな光景を何度も見かけた。そんな「腸粉」の原料が米であることを知った時、正直、驚いた。
 「河粉」のことを知ったのは粥麵屋でのことだ。周りのテーブルを見ると、明らかに「麵」とは異なる汁物を食べている人がいた。乳白色で、幅広い、ひもかわ状のものだ。それが「河粉」であることを突き止め、すぐさま試した。米が原料であることも知った。
 が、当時、それが「ビーフン」と同一種のものだとは思いあたらなかった。それまで知っていた「ビーフン」とは、形状が違っていたからである。さらに「河粉」よりも細い形状の「米粉/マイファン」の存在も知った。
 「麵」にはいくつかの種類があること。「米」を素材にした加工製品が「粉」であり、それにもいくつもの種類があること。料理店に限らず、粥麵店、小食店、餐廳、咖啡舗などでは、それらが常備されていること。それらから好みのものを選びだし、ついで、「炒(炒める)」、「撈(和える)」もしくは汁仕立てといった調理方法、さらには具を選ぶ。それぞれ好みに応じて注文していることを知った。

 ところがである。料理店、粥麵店、小食店、餐廳、咖啡舗では「粉麵飯」類常備され、「粉」と「麵」は、それぞれ用意されている。が、その調理など、いささか異なることを知ったのだ。
 たとえば「撈麵」。あえそばだが、主に料理店と粥麵店で見かけるメニューである。が、料理店と粥麵店の調理方法はいささか異なる。
 「撈麵」でもっともシンプルなのは「姜葱撈麵」。生姜と葱の細切りのあえ麵である。それが、粥麵店の場合には、茹でた麵に、細切りの生姜、葱を載せ、少々の油、あるいは、老抽と油を混ぜたタレがかかっているだけ。素朴で簡素としか言うより他ない調理方法による一品だ。それが、料理店のメニューにある「姜葱撈麵」だと趣も異なる。生姜と葱の細切りを炒めたあとで、上湯、もしくは、二湯のだしが注ぎこまれて、ひと煮立ち。場合によっては、打獻、つまりは生粉などによるとろみ付けが施されていたりもする。そして、ひたひた、もしくは、適度に汁が残されている。
 つまり、粥麵店のほとんどは、茹でる、という調理は行っても、炒める、という調理は行わない。
 たとえば、これまでに触れてきた「好旺角」だが、看板の料理のひとつ「炸醬麵」の「炸醬」を作るにあたって、「炒」の作業は欠かせないはずだが、店のメニューには「炒麵」もしくは「炒粉」の類はまったくない。「好旺角」をはじめ、粥麵店のほとんどがそうだ。
 それが、餐廳、時に小食店や咖啡舗になると、いささか事情が異なる。そこには「炒麵」、「炒粉」がメニューに並んでいたりするのだ。

 「炒粉」の中で、代表的なメニューであり、広東料理を看板にする店なら、必ずあるものに「星州米粉」がある。カレー味のビーフンの五目炒め、といえるだろうか。但し、「炒」の料理を扱わない粥麵店にはないのが面白い。それとともに、いや、もしかしそれ以上に香港人が愛してやまないのが「河粉」の炒めもの、それも牛肉を具にしたものだ。
 牛肉を具にした「河粉」の炒めものは2種ある。「干炒牛肉」と「牛肉炒河」、もしくは「菜遠牛河」だ。似たような料理名だが中味は異なる。
 前者は「ドライ」、後者は「ウエット」とも称される。つまり、「干炒」は、牛肉などに野菜などの具を先に炒め、そこに「河粉」をあわせ、老抽などで味付けしたもの。
 「炒河」、「菜遠牛河」は、「河粉」を炒め、それとは別途に牛肉、野菜などの具を炒め、味付けし、とろみあんかけを施した上で、先に炒めておいた「河粉」にかけたもの。もともとは「牛肉炒河」、「菜遠牛河」が「河粉」炒めの本来の料理方法だった。そして、コロンブスの卵的発想!?による「干炒牛肉」が生まれた。
 それは、日本軍が広州を陥落した前後のことだった、というからその歴史は案外浅いのである。 
 画像は、永華雲呑麵家の「爽滑雙丸河」、牛肉の団子、魚のつみれ団子を具にした河粉の汁仕立てなのだが、河粉は沈んでいて見えない!

2007/03/06

閑話休題~マカオ・香港の旅(15)

 「麵」といえば、日本では中国料理、あるいはラーメン屋の「麵」を指し、意味する。「中華麵」、と口にするは少ないにしても、その認識はあるはずだ。中国料理、ラーメン屋の「麵」である。そうした認識、イメージが浸透してるせいか、それがものごとの基準になっていたりもする。

 他方、「米粉/ビーフン」については、その存在や、米が原料であることも認知されている。そして「河粉」。原料は「米粉」と同じく米である。その製造工程が「ビーフン」とはいささか異なるが、簡単に幅広ビーフンと説明するのがわかりやすいのではないか。私はそう考えるのだが、現実にはそうではないらしい。

 もっとも「ビーフン」というのは、厳密には台湾語(閩南語)による表現で、中国では北京語で「ミーフェン」、香港では広東語で「マイファン」と称される。それからすると「幅広ビーフン」という表現もいささか強引かもしれない。単にその形状を捉えて「幅広のひもかわ状のもの」というだけでは、原料が不明で、よりわかりずらい。それなら、前述の通り、日本ではすでに「ビーフン」としてその存在、形態、さらには原料が米であると知られていることからすれば、「幅広ビーフン」と表現するのが簡単かつ明瞭に思えるのだ。

 それより、日本では小麦粉だけでなく、そば、粟、稗などの穀物類、根菜類、豆類などを原料とし、主に細長い形状のものは広義に「麵類」としてくくられている。そこに米を素材とした「ビーフン」が含まれている、ということもある。ともあれ、素材ではなく形状をもとに語られる総称である。それが、誤解を招く要因になっているようだ。


 中国で「麵」といえば「小麦」を意味する。日本で「麵」と語られるものについては「麵」の加工状態を示した「麵条」と表現するのが一般的だ。さらに「米」を素材にした加工製品を意味するのが「粉」である。さらに「小麦」は「小麦」、「米」は「米」であり、原料によって加工製品は区別されている。

  中国で米を原料にした加工製品だが、ほぼ主要なものとして「米粉」、「河粉」、「瀬粉」、「米線」がある。その歴史を香港グーグルなどで調べるのも面白い。

 曰く「五胡亂華」の時代、黄河流域から南方に逃れた人々が、かつて故郷で食べた「麵」から作った「麵条」に思いを馳せ、「米」でそれを再現したのがそもそもの起源だと記されている。 当初「米条」と称されていた、というのも興味深い。 ことに中国南部の広東省を中心に「米」を「麵条」のように加工する工夫、技術が考案され、結果、生み出されたのが「米粉」、「河粉」、「瀬粉」だというのだ。

 「米粉」は、福建省を経由して台湾にそれが伝来し、独自のものが生まれた。それがやがて「新竹米粉」を生み出す。「河粉」は19世紀半ばに広州で、「瀬粉」はほぼ同じ時期、広東省南部の中山で生まれた、という。さらに、前述してきたように広西省の桂林の「米条」にも何種類かある。

 「米線」は雲南省の産物だ。雲南省は、日本の米、そして、寿司のルーツはそこにありと語られるところだ。それ以外にも中国南方の各地域には「米」を「米条」に加工したものがある。 


 そういえば、日本で「ビーフン」といえば、最もなじみ深いのが台湾産の新竹ビーフンだ。
 ところが、香港の「米粉」は、各種ある。つまり、その細さがである。
 炒め物などに使われるのは、台湾のそれと同様に極細のもの。それが汁物なると、極細のものだけでなく、タイの「センレック」、ベトナムの「フォー」に類似した細めのものもある。製造工程が異なるからだろう。台湾の新竹ビーフンが乾燥させたものであるのに対し、生のままの「米粉」を使うことがあるからだ。

 極細のものということになると「粉絲」、はるさめがある。炒め物、汁物にも使われる。その「粉絲」だが「粉」と表記されてはいるが、原料は緑豆のでんぷんなのだ。というから、また、話がややこしくなるか。

 台湾の新竹ビーフンに似た「米粉」の類似品にタイの「センミー」があるが、「新竹米粉」などと同じか、もしくはそれよりも細い。
 さらに、タイには香港や広州の「河粉」に幅、厚み、触感が似た「センヤイ」がある。
 
 また、タイには「センケチャッップ」という角状のものがある。 ベトナムには生春巻きに使うバイン・チャン、ライスペイパーがある。
 そして、広東省南部、広州、さらには香港には「腸粉」がある。「河粉」、「米粉」とともに親しまれているもので、磨った米を拡げて蒸し、それを巻き上げたものだ。

 「ビーフン」が日本に紹介されたのは、どうやら戦後のことだったようだ。台湾からの輸入品がその最初だったらしい。「ビーフン」という台湾語(閩南語)がそれを物語っている。

 それにしても、米の生産国であり、米を主食のひとつとする日本で、どうして米を素材に、主食にもなりうる「米粉/ビーフン」や、同類のものが生まれなかったのか。もっとも、日本で、粳米にしろ、糯米にしろ、それを粉にして使われなかったわけではない。それは主にお菓子作りの原料となってきた。

 実は日本で米が一般家庭の主食として行き渡り、主食としての位置を占めるようになったのは、戦後、それもかなりたってからのことだ。それまで稲作が可能な地域は限られていた。そんな歴史的な事実を知れば納得のいく話だ。

  そういえば、日本でのパン食の普及は、戦後、日本がアメリカに占領され、アメリカの輸出政策の一環としてアメリカ産の小麦の輸入が実施されたことに関わる、というのはこれまでにも語られてきたことだが、日本におけるラーメンの普及の背景を語る際にも、その関係を無視できないのではないか、などとも思うのである。 

2007/03/04

閑話休題~白い粉!






 
 
 埼玉の東松山の農業、加藤紀行さんから「雨水」の収穫が届いた。「根三つ葉」である。
 爽やかで淡彩な葉の緑。すくすく真っ直ぐに育った太い根元の濃白。根こそぎもぎ取った時の冷ややかな感触が思い浮かぶぐらい瑞々しい。
 
 山出しの昆布を一晩寝かせ、枕崎のかつおを削ってだしをとり、三陸の生牡蠣を放り込んで、薄口醬油で味をつけて、お澄ましに。根三つ葉の葉の清々しい青さ、軸のさくさく、しゃりしゃりの舌触り、歯触り。ほろ苦さと香りがいい。
 根三つ葉の根は、洗って、きんぴらに。見かけはごぼう。だが、ごぼうのような強いえぐ味はない。甘味と、かすかなほろ苦さが入り混じった、素朴で実直、清廉な風味がある。冷たい土に潜り込んで根を張るはつらつとした青さである。いずれも、カミさんが作りました。
 そして、根三つ葉とともに、ビニール袋入りの「白い粉」。
 やばい!何!これ?
 電話して尋ねたら、なんと、米の粉。
 ここんとこ、「米粉(ビーフン)」話が続いていたので、「米粉」のおすそ分け、とのこと。
 それにしても、一体どうしたものか。
 早速、香港グーグルで「河粉」、「米粉」の製造方法を検索。が、実践に及ぶには手間隙かかりそうだ。まずは「腸粉」を試しに作るつもりだが、「これって、粉蒸牛肉に使えるじゃない!」と、ウチのかみさん。
 うん、それもいい。そういえば、雲南料理に「米粉」を使う料理があったはず。「米粉」について再勉強と相成りました。

2007/03/03

蟹黄魚翅撈飯(35)

 翌朝、早くに起きて早朝の飲茶を取材した。
 最初に出かけたのは地元の観光局の人に薦められた「北園酒家」だ。店内を見回り、テーブルの上の飲茶の点心をのぞいてみると、なるほど、美味しそうだ。

 かつて広州を訪れた際、「陶々居」など、飲茶の点心で評判だという店を何軒かはしごしたことがある。が、注文した点心は、調理してから時間が経ったものだったり、味、風味の乏しいものだったことに失望した苦い思い出がある。
 「北園酒家」の賑わい、活気、いくつか試した点心は、かつての印象を見事に打ち消してくれるものだった。もっとも、目当ては「泮渓酒家」。茘湾湖のほとりの広大な敷地にいくつもの館があって、屋外での飲茶を楽しめるからである。

 実は「泮渓酒家」も、初めて訪れた80年代の始め頃、伝統的な名品で構成された飲茶の点心を注文したものの、出来立てではなく、取り置きのものばかりで、失望したこともある。それを帳消しにしてくれたのは、湖のほとりの館の風情、佇まいだ。飲茶の点心はともかく、お茶が旨かった。

 はたせるかな「泮渓酒家」も、活気、賑わいにあふれていた。注文した点心は、どれもが熱々で、風味豊かなものだった。しかも、屋外で飲茶を楽しんだだけに、その味わいは格別だった。 その時、撮影のため、ということもあったが、注文したのは以下の点心である

 「蠔油叉焼包」、 
 「腐皮巻」、
 「牛肉燒賣」、
 「蘿葡糕」、
 「叉焼腸粉」、
 「柳葉鮮蝦巻」、
 「百花巻」、
 「蝦餃」、
 「糯米鶏」、
 「芋角」、
 「生肉包」、
 「蟹肉干蒸燒賣」、
 「春巻」、
 「清蒸牛肉球」、
 「潮州粉果」、
 「炆牛子筋」、
 「蛋撻」

 その数に我ながら驚く。それより、そのメニューからすれば香港の飲茶の点心と変わりないことが一目瞭然だ。 というよりも、香港の飲茶の点心のルーツは広州にあるのだから、メニューが同じなのも当然である。それも「泮渓酒家」の点心は、香港の点心ほど味が濃くなく清淡だ。それでいて、しっかりとした味わい、風味がある。上品で洗練されている。香港の「陸羽茶室」の点心に通じるところがあった。

 もっとも、「陸羽」の飲茶の点心の基本は本土の広州のそれを踏襲したものだが、やはり香港のそれである。広州のそれを踏襲しながら、香港を背景に育まれ、独自性ある様式を確立してきた。広州の「泮渓酒家」の飲茶の点心が「陸羽」と違うのは、どこかひなびた趣があることだ。

 ひなびた味、趣、というのは私が旅した中国各地の高級料理店で体験し、感じたそれに近い。たとえば、揚州の「富春茶社」の点心。今はなくなくなってしまったが、上海にあった揚州料理の店の朝の飲茶の点心もそうだった。

 上海で現存するものでは豫園の「緑波廊」がそれに近いが、幾分か素朴で、上品さ、洗練にはかけている。
 ちなみに「緑波廊」で注目すべきは淮揚料理、もしくは淮揚料理を下敷きにした料理の数々に出会えることだ。

 上海はこの10年程の間に、街のいたるところで再開発が行われ、淮揚料理を看板にする「揚州飯店」も、場所が変わると同時に営業方針を改め、料理内容も変化してしまった。そんなことから豫園の「緑波廊」は貴重な存在となってしまったが、飛び切りの店、というわけでもない。

 飛び切りの料理、しかも淮揚のそれに出会うには、料理の選択、吟味、それにもまして特別なチャンネルを必要とする、という事情は、昔のままである。


 ひなびた味の良さというのは、日本でも出会うことがある。たとえば松江の「風月堂」の「黒小倉」などその最たるものだ。茶の文化の伝統を守り続けてきた街の歴史に支えられた老舗の味、趣であり、それは中国も日本も変わらない。

 ともあれ、「泮渓酒家」の点心は素晴らしかった。

 そして、当日、昼過ぎに訪れたのが「沙河大飯店」。観光局の人がようやく取材にこぎつけてくれたものだった。撮影し、食べたのは以下の通りだ。

 「干炒牛河」(細切り牛肉、黄韮、もやし炒め)
 「西檸尤絲河」(いか、白瓜、糖姜、胡瓜、パパイヤ、檸檬(中国檸檬)などの細切り炒め)
 「辣三絲」(にんじん、ピーマン、干椎茸の細切り辛味(タイの芥醬)炒め)
 「涼瓜鶏茸河」(苦瓜と鶏のひき肉炒め)
 「海鮮河粉盞」(セロリ、カシューナッツ、にんじん、蟹肉、貝柱の炒め)
 「五彩河粉球」(ほうれん草、にんじん、豚肉、干椎茸、蝦、筍のみじん切り炒め)
 「甘蔗麻糖河粉」(ごまだれ、砂糖、橙花酒風味のあえもの)


 最後の「甘蔗麻糖河粉」は涼拌甜品、あえもののデザート。
 「干炒牛河」は「沙河粉」の定番的な料理。香港だと老抽(たまり醬油)だが、生抽(醬油)味で、しかも、とろみあんかけによるものだった。

 「西檸尤絲河」はその時食べた料理の中では抜群に旨く、最も印象に残ったものだ。いか、それに白瓜をはじめとする五種の瓜(その中には地元産のパパイヤも含まれていた)の細切り、中国檸檬の酸味が味の要、という印象で、甘酸っぱく、すっきりとした清淡な味、風味だった。

 「辣三絲」は、辛味が利いていて、メリハリが利いているものの、やはり、どこか寝ぼけた感じ。チリ・ソースがタイ産のもの、というのが意外だった。

 「涼瓜鶏茸河」は、生粉によるとろみがしっかりついていて滑らかな舌触り。上品で洗練されていながら、どこかと寝ぼけたような印象。中国本土ならではの味、風味だ。

 「海鮮河粉盞」は、ひと皿に4個、まとめて盛られていた。「五彩河粉球」は、ぱりとした舌触り、さくっとした歯触りがいいさっぱりとした一品だった。


 様々な料理方法、趣向の料理を味わったが、印象に残ったの野菜をふんだんにつかい、それぞれの持ち味を生かしていること。野菜の自然で素朴な甘味が効果的につかわれていたこと。それに、野菜の使い方、ことに切り方をはじめ、下拵えに工夫があり、滑らかだったり、さくさく感を覚えさせるなど、触感を重視していたこと。


 それにもまして「沙河粉」の触感と味わいに打ちのめされた。それまで食べてきた「河粉」とは異なるものだったからである。半透明で、滑らかな舌触りだが、むちっとした歯応えがある。粘りのある腰がある。


 撮影後、なんとか店の人から聞きだした「沙河粉」の特徴は「薄而透明、硬而爽滑」にあるという。米を水に浸し、しばらく置いて、水を捨て、何回も磨き、再び水に溶かして鍋にかけ、蒸しあげるという。米の吟味もさることながら、水の吟味が肝心で、「白雲山」の泉水を使っている、とのことだった。

 店頭に乾燥した「沙河粉」が売られていた。土産に買ったことはいうまでもない。その戻し方に工夫を要したが、旨かった。