2007/03/06

閑話休題~マカオ・香港の旅(15)

 「麵」といえば、日本では中国料理、あるいはラーメン屋の「麵」を指し、意味する。「中華麵」、と口にするは少ないにしても、その認識はあるはずだ。中国料理、ラーメン屋の「麵」である。そうした認識、イメージが浸透してるせいか、それがものごとの基準になっていたりもする。

 他方、「米粉/ビーフン」については、その存在や、米が原料であることも認知されている。そして「河粉」。原料は「米粉」と同じく米である。その製造工程が「ビーフン」とはいささか異なるが、簡単に幅広ビーフンと説明するのがわかりやすいのではないか。私はそう考えるのだが、現実にはそうではないらしい。

 もっとも「ビーフン」というのは、厳密には台湾語(閩南語)による表現で、中国では北京語で「ミーフェン」、香港では広東語で「マイファン」と称される。それからすると「幅広ビーフン」という表現もいささか強引かもしれない。単にその形状を捉えて「幅広のひもかわ状のもの」というだけでは、原料が不明で、よりわかりずらい。それなら、前述の通り、日本ではすでに「ビーフン」としてその存在、形態、さらには原料が米であると知られていることからすれば、「幅広ビーフン」と表現するのが簡単かつ明瞭に思えるのだ。

 それより、日本では小麦粉だけでなく、そば、粟、稗などの穀物類、根菜類、豆類などを原料とし、主に細長い形状のものは広義に「麵類」としてくくられている。そこに米を素材とした「ビーフン」が含まれている、ということもある。ともあれ、素材ではなく形状をもとに語られる総称である。それが、誤解を招く要因になっているようだ。


 中国で「麵」といえば「小麦」を意味する。日本で「麵」と語られるものについては「麵」の加工状態を示した「麵条」と表現するのが一般的だ。さらに「米」を素材にした加工製品を意味するのが「粉」である。さらに「小麦」は「小麦」、「米」は「米」であり、原料によって加工製品は区別されている。

  中国で米を原料にした加工製品だが、ほぼ主要なものとして「米粉」、「河粉」、「瀬粉」、「米線」がある。その歴史を香港グーグルなどで調べるのも面白い。

 曰く「五胡亂華」の時代、黄河流域から南方に逃れた人々が、かつて故郷で食べた「麵」から作った「麵条」に思いを馳せ、「米」でそれを再現したのがそもそもの起源だと記されている。 当初「米条」と称されていた、というのも興味深い。 ことに中国南部の広東省を中心に「米」を「麵条」のように加工する工夫、技術が考案され、結果、生み出されたのが「米粉」、「河粉」、「瀬粉」だというのだ。

 「米粉」は、福建省を経由して台湾にそれが伝来し、独自のものが生まれた。それがやがて「新竹米粉」を生み出す。「河粉」は19世紀半ばに広州で、「瀬粉」はほぼ同じ時期、広東省南部の中山で生まれた、という。さらに、前述してきたように広西省の桂林の「米条」にも何種類かある。

 「米線」は雲南省の産物だ。雲南省は、日本の米、そして、寿司のルーツはそこにありと語られるところだ。それ以外にも中国南方の各地域には「米」を「米条」に加工したものがある。 


 そういえば、日本で「ビーフン」といえば、最もなじみ深いのが台湾産の新竹ビーフンだ。
 ところが、香港の「米粉」は、各種ある。つまり、その細さがである。
 炒め物などに使われるのは、台湾のそれと同様に極細のもの。それが汁物なると、極細のものだけでなく、タイの「センレック」、ベトナムの「フォー」に類似した細めのものもある。製造工程が異なるからだろう。台湾の新竹ビーフンが乾燥させたものであるのに対し、生のままの「米粉」を使うことがあるからだ。

 極細のものということになると「粉絲」、はるさめがある。炒め物、汁物にも使われる。その「粉絲」だが「粉」と表記されてはいるが、原料は緑豆のでんぷんなのだ。というから、また、話がややこしくなるか。

 台湾の新竹ビーフンに似た「米粉」の類似品にタイの「センミー」があるが、「新竹米粉」などと同じか、もしくはそれよりも細い。
 さらに、タイには香港や広州の「河粉」に幅、厚み、触感が似た「センヤイ」がある。
 
 また、タイには「センケチャッップ」という角状のものがある。 ベトナムには生春巻きに使うバイン・チャン、ライスペイパーがある。
 そして、広東省南部、広州、さらには香港には「腸粉」がある。「河粉」、「米粉」とともに親しまれているもので、磨った米を拡げて蒸し、それを巻き上げたものだ。

 「ビーフン」が日本に紹介されたのは、どうやら戦後のことだったようだ。台湾からの輸入品がその最初だったらしい。「ビーフン」という台湾語(閩南語)がそれを物語っている。

 それにしても、米の生産国であり、米を主食のひとつとする日本で、どうして米を素材に、主食にもなりうる「米粉/ビーフン」や、同類のものが生まれなかったのか。もっとも、日本で、粳米にしろ、糯米にしろ、それを粉にして使われなかったわけではない。それは主にお菓子作りの原料となってきた。

 実は日本で米が一般家庭の主食として行き渡り、主食としての位置を占めるようになったのは、戦後、それもかなりたってからのことだ。それまで稲作が可能な地域は限られていた。そんな歴史的な事実を知れば納得のいく話だ。

  そういえば、日本でのパン食の普及は、戦後、日本がアメリカに占領され、アメリカの輸出政策の一環としてアメリカ産の小麦の輸入が実施されたことに関わる、というのはこれまでにも語られてきたことだが、日本におけるラーメンの普及の背景を語る際にも、その関係を無視できないのではないか、などとも思うのである。