そうです、なんだかいつの間にか15回目になりました。ついつい横道にそれちゃうもんで。
というわけで、今回も黒服の女史、白服のパシリ君はお休みです!
いつのことだったか、12チャンネルの日曜日夜の「浅草橋ヤング洋品店」で、中華大戦争、だったと思いますが、中華料理人の対決というのがありました。
そん時に周さんと譚さんが対決。
記憶にあるのはキャベツの千切りだか細切りだかの早切り競争。勝利を納めたのは周さんでした。
ところが、周さんの包丁さばき、豪快でワイルド。それだけに、キャベツの細切りの幅が揃わず、めちゃくちゃ乱暴。一方の譚さん、きっちり丹念にキャベツを刻んで、幅も一定。
というあたりからも、二人の性格、料理への姿勢、取り組みの違いを物語っているように思ったことがあります。
譚さんに初めて出会ったのは80年代の半ば以後のこと。それまで「南園」に通ってましたが、譚さんが副料理長だったことなどつゆぞ知りませんでした。それが胡麻擂り屋(って、胡麻擂りの機械を扱う)石川さんに「南園」で食事会があるから、と誘われたのがきっかけです。
その時、フレンチの石鍋さんも同席。ということから知己を得ました。
そして、譚さんにも出会い、少し話を伺った次第。生真面目そうな方、というのが初対面の印象でした。
その後、譚さんは飯田橋のホテル・エドモンドの「廣州」の総料理長に。
「廣州」には譚さんの料理への興味もあってしばしば出かけました。
料理の色彩、盛り付けの美しさ、繊細さ。だし作りの丁寧さ、穏やかで優しく口当たの良い調理、味付けが印象的でした。律儀で誠実な人柄がうかがえたものです。
おまけに、日本式の伝統的な広東料理だけでなく、香港スタイルを積極的に取り入れ、郷土料理なども「南園」、それに周さんが総料理長を務めていた頃の「聘珍樓」や、独立して開店した「璃宮」よりも、その数が多かった覚えがあります。「煲仔」の類などもありました。
その後、譚さん、周さんの赤阪の「璃宮」後を次ぎ、店名も「赤阪璃宮」と改め、オーナー&シェフとして采配を。
周さんの「璃宮」から譚さんの「赤阪璃宮」になって、まず変わったのは、ホテル式のサービスを取り入れたこと。とはいうものの、当初はいささかぎこちなく、街中の店にしてはスタイリッシュ、というか勿体ぶりすぎ、だった印象で。
そして、料理に関しては香港色がぐっと濃くなった。ふかひれなどの乾貨素材を主体にした料理は、香港スタイルを踏襲し、出来る限りそれを再現。
そういえば、福臨門が東京に進出した前後、中国飯店六本木支店がそれに対抗してかそれまで看板だった「紅焼魚翅」、ふかひれの醬油煮込みだけでなく、澄まし仕立ての「清湯魚翅」を急遽メニューに追加し、提供。ところが、付け焼刃は否めなくって散々の出来栄え、なんてことがありました。
それに比べてば、「赤阪璃宮」の「紅焼魚翅」。ふかひれの醬油煮込みに、炒めもやし、金華ハムの細切りを用意。もっとも、別皿に添えるのではなく、テーブルに運ばれてきた時には、すでに皿の中、というのは面喰らいましたが、香港スタイルを踏襲という精神と姿勢に納得し、応援のエールを送りたくなったものです。
それ以外にも香港の広東料理店ではごく当たり前な「煲仔」類などの種類、バラエティーも実に豊富。
もっとも「煲仔」類、なんでだかだし汁が多かったような。
そういえば、フード・ライターの森脇さんが譚さんに依頼し実現した会食に参加する機会を得た時には、日本ではめったに得られない素材を使った料理にも遭遇。
中でも印象的だったのは焼き物の類。ハトの丸揚げの「脆皮焼乳鴿」。
その「脆皮焼乳鴿」、私の香港体験に照らし合わせれば、沙田の駅前に並ぶ料理店での「焼乳鴿」や、サンミゲル・ビールの工場がある深井の料理店の「焼鴨」の味にも似ていて、少し濃い目の味付けで、しっかりの焼き加減。なんといっても香港ローカル、庶民的で大衆的な親しみのある味。昔ながらの老舗や大衆的な店で出会える懐かしい味、風味のものでした。
なんと譚さん、「赤阪璃宮」を始めるにあたって、焼き物の釜を設置するだけでなく、焼き物専門の職人を香港から招聘。とても頑固な料理人で、焼いた物はそのまま食べてもらうのが一番、ってことから「ほら、香港じゃ、焼いた鳩にレモン汁と塩を添えたりするでしょ?それが、だめだっていうの。味がはしっかり付いてるからって!」と、譚さんも苦笑い。
譚さんが香港の広東料理を積極的に取り入れ、そればかりか焼き物の職人を招聘したそもそものきっかけは、譚さんが「南園」に呼ばれた頃の昔に遡るそうです。 その話、dancyuで譚さんに取材した時にも聞きましたが、ネットでの譚さんのインタビューにあります。
「南園」に呼ばれた譚さん。束ねることになった部下は全員広東省の出身。
ところが華僑の譚さんが話す広東語ではコミュニケーションがとれない。そんなことから語学学校に通って広東語を改めて勉強、なんてこともあったそうです。
それより、香港からやってきた料理人の素材の扱い、素材の捉え方、調理技術は、それまで譚さんが学び、やってきたものとはまったく違ったのに衝撃を受け、以来、譚さん、香港の料理人に教えを請い、「板」も「鍋」も、すべて一からやり直し。なんて話、dncyuの依頼で譚さんを取材した時に知りました。
「ワ!譚さんてすげ!」と、年長の方に向かって失礼ですけど、正直そう思いました。
料理人として年季を積み、一応の歳になっていながら、頭の中を切り替えて、料理人として再スタート。その姿勢、意気込み、意欲に感心しました。
そんな譚さんだけに香港の広東料理への興味、関心は、並々ならぬものがあったようです。
周さんが「新派広東」の華々しい一面に刺激され、自身の料理に取り込んでいったとは対照的に、譚さんは香港の伝統的な広東料理、宴会料理だけでなく、旬の素材、日常的な素材を使った家郷菜、家常菜に注目。
その成果、「廣州」ですでに片鱗を見せていましたが、ホテルの料理店、ということもあってか、いささかセーブ。
しかし、オーナー&シェフになった「赤阪璃宮」ではそれを一気に開花。
「え!こんな料理があるんだ!」と、日本ではなかなかおめにかかれない料理、「小菜」の類を、月替わりの料理長のお勧めのメニュー、コースの中に発見。
譚さんにとっては念願のもの、だったのでしょう。
ある時「赤阪璃宮」で出会った料理。トマトにひき肉の詰め物をした料理でした。
「ね、譚さん、これ、「陸羽茶室」の雀の肉を詰めたやつがヒントでしょ?」と、尋ねると、
「ふふ、そうそう、よく知ってるね!わかっちゃったか!」と、照れ笑い。
そんな時、尋ねても返事をはぐらかしたり、「え!? 」と、一瞬、躊躇しながら「いや、あの私が~」なんて返事だったりすることが多いんですが、譚さんは、正直で率直。
「旨かったし、おもしろそうだから、中味の素材、置き換えて作れるじゃないかと思ってね」と、話してくれたもんです。
その時の譚さんの目の輝きが素晴らしかった。その率直さ、堂々とした譚さんから自信の程もうか換えました。
美味しいものに出会えば、早速、それを取り入れ、自らの手で実現、という料理人は少なくない。ですが、その根っ子まで見つめ、取り入れる、と言うのはなかなか容易じゃない。その点、譚さん、しっかり根っ子のところを見据えていた様子。
それに「こんな料理があるんだ」という新鮮な発見、驚き、素直な喜びも伝わってきました。
美味しいものが好き、ってことだけでなく、探究心が旺盛で、意欲的。香港の広東料理、それも旬の素材を生かした家郷菜、家常菜に目を向けて、くまなくリサーチ。それもネタやアイデア探しってことじゃなく、その根源にあるものに目をやる譚さんの姿勢を物語ってるように思えました。
とはいえ、香港で定着した伝統的な広東料理、宴会料理にも並ぶような高価で稀少な素材を使った家郷菜などを積極的に取り入れたものの、「赤阪璃宮」の開店当時、日本では素材の入手が難しかった。譚さん、店のスタッフを引き連れ、研修料理をかねて、素材調達のためにせっせと香港通い。
香港で素材を調達し、広東地方の家郷菜、家常菜を用意しても、客には馴染みがなく、注文も少ない。
「なにしろ、ふかひれの料理にしても、醬油煮込みの「紅焼」ぐらいしか馴染みがなくて、出ないから。それ以外だと、色々薦めてみても、なかなか受け入れてもらえないんだよ」と、当初は苦戦。
店のサービスのスタッフ自体、その種の料理に馴染みがなかったことも一因だったようです。
さて、画像。そうです「あのう、お客様~」と料理撮影禁止のヘイフンテラスですから。
で、探し出したのは九龍城市「創發」のカウンターに並ぶ煲仔や惣菜の類。
「創發」は潮州汕頭地方の料理が看板。香港の街中に多い香港化された潮州料理店とは違って、汕頭のローカルの味を紹介。
広州、順徳の料理とは趣が違いますが、とりあえず、惣菜の類、煲仔の類はこんな感じ!
というのをご紹介
2008/03/29
2008/03/28
ヘイフンテラスの謎と不思議の14
さて、面白いのは周富徳さんと譚彦彬さんの二人。
私の知る限り、接した体験からすれば、二人の性格、人柄、料理に対する姿勢、取り組み方は対照的。 なんといっても二人が作る料理が、すべてを物語っているといえんるじゃないかと思います。
ちなみに周さんと譚さん、ともに生まれ育ちは横浜。子供の頃からの知り合いで、遊んばかりいたワルガキだったとか。
周さんは18歳の時、譚さんは横浜の中華街の店を経て、芝の「留園」を経て、周さんと同じく新橋の「中国飯店」に入店。同店には、現在の日本の広東料理界を支える梁 樹能(ホテルオークラ)、麥燦文(全日空ホテル)、潘継祖(プリンス・ホテル古希殿)、鄧 廣寛(リーガロイヤルホテル)といった錚々たる顔ぶれが揃っていたそうです。
その後、周さんは京王プラザホテルの南園へ。譚さんは名古屋、仙台のホテルを経て南園へ。周さんは南園の後、聘珍樓をへて独立し、赤阪に璃宮、さらには広東名菜富徳、周苑などを開店。
一方、譚さんは南園の後、廣州(ホテル・エドモンド)を経て、独立し周さんの「璃宮」の後に「赤阪璃宮」を開店。銀座の交詢社ビルに銀座支店を出店。赤阪店はTBS赤阪Bizタワーに移転したばかり
周さんとは荻昌弘さんに紹介されて知り合いました。
私も一時メンバーだった千葉の柏の知味斉の「知味の集い」で
「周さんの案内で香港旅行がありますが、どうです、ご一緒に」
と、荻さんに誘われ、そのツアーに参加したのがきっかけです。
KIHACHIの熊谷喜八さんもツアーに参加。ということで熊谷さんと知り合いました。
それからも周さんとは何回か香港に一緒する機会がありました。
以来「聘珍樓」、それに弟の富輝さんが後を継いだ横浜の「生香園」にも足を向けるようになりました。
荻さんに誘われての知味の会での香港旅行は、香港の有名店で豪華な内容の宴会料理や鯉魚門で海鮮料理を楽しむ、といった趣向のもの。
「知味の集い」のメンバーは食にうるさい方々がほとんど。
鯉魚門での海鮮料理はごく一般的なものでしたが、それ以外は「乞食鶏」があるなど、それぞれに凝った内容。
とはいえ、当時、血気盛ん(って食に関しては今でもそうか?)な私としては、昼の食事、飲茶なんかではつまらない。
そんなことからツアーの主宰者がいないのを見計らって、知り合ったばかりの案内の周さんに「ね、周さん、海鮮料理とか宴会料理もいいけど、フツーのお惣菜とか郷土料理も食べたいんだけど、だめかなあ」と、堪え性のない私はあつかましくも願い出ました。
いきなりの私のリクエストに、周さんはキョトン。
「ほら、蒸肉餅とか、煲仔とか~」 と言う私に、しばし沈黙のあと
「わかったわかった、小倉さんのリクエスト、やってみるよ」
てなことで、2日目の昼は家郷菜がずらり。
そのメニューの数々、荻さんはじめツアー仲間の方にとって初めての出会いだったようで大好評。
そんな風に、気安く頼みを聞き入れてくれ、安請け合いなんかじゃなく、すぐさま実行に移してくれる。周さんの人の良さを感じました。
それから、別の知り合いの集まりで、周さんと一緒に香港ツアーを、ということになりました。
周さん、我ら仲間だけでなく、雁屋哲さんが連載していた「美味しん坊」の読者香港招待の案内を依頼されていたそうで、「どうせなら一緒に!」という周さんの提案もあってジョイント・ツアーを実施。
その時、ちょっとしたハプニングが福臨門で勃発。
というのは、化学調味料を嫌う雁屋さん。それに対して、福臨門だって化学調味料を使ってるから、と周さん。
マジになった周さんの厳しい表情は忘れられません。
その時、いろいろあったコトの顛末は、当時、雁屋さんが新聞(東京新聞だったか、産経新聞だったか)で連載していたエッセイで紹介。
おもしろい話でしたが、その連載が本になった時、私のかみさんのコメントなども記されたその項目は、ばっさりカット。同著には掲載されずのままになりました。
なんでそうなったのか、今だそれは謎で、不明です。
それについて雁屋さんに尋ねたり、確かめもしませんでしたから。
で、その時、もうひとちょっとした出来事が。
鹹魚の味に魅せられた雁屋さん。なんとか鹹魚を入手したいと、周さんに頼み、一緒に鹹魚の買い付けにでかけました。そして周さんの案内で雁屋さんが入手した鹹魚、曹白でも馬友でもなく、もっぱらダシ取りに使うばかでっかいだけの鹹魚。雁屋さん、あの鹹魚、一体どうやって調理し、味わったんでしょうか。
当時、頻繁に香港に通っていた周さんは、香港の最新事情に精通し、香港の新潮流、新しい料理の動きを取材し「専門料理」の別冊号としてまとめて出版したこともあります。しかし、最新の動向には詳しかった周さんですが、地元の人の普段の食、郷土料理や家庭料理にはあまり関心はなかった様子。
もっとも周さん、「鹹魚」についてはご存知でした。
なんでも香港からやってきてた料理人が「鹹魚」を香港からせっとと取り寄せ、まかないのおかずにしていたこと。しかも取り寄せた「鹹魚」が、「まかないにするにはべらぼうな値段なんだよ」と苦笑い。
ともあれ、「鹹魚」はキッチンのまかないを横目でにらむだけだったとかで、種類などについて詳しくないって様子、話ぶりでした。
それからしばらくたったある日の朝、周さんからの電話で起こされました。
「あの、鹹魚のことなんだけど、曹白ってどんな魚かわかる、小倉さん?
それから、馬友もなんだけど」、と。
雑誌の取材で「鹹魚」を使ったものの、魚の種類については説明のしようがない。
私が周さんに「鹹魚」話をしたのを思いだし、連絡くれたってことでした。
周さん、今じゃそんなことすっかりお忘れでしょう。
その話からもわかる通り、周さん、素直で率直、しかも、屈託がない。
おまけに、香港で私の料理のリクエストにすぐさま応じてくれたように、思い立ったらすぐ実行、って性格なんだと思いました。
それに、先の雁屋さんの「鹹魚」話でも明らかなように「鹹魚」についてさほど関心もなく、詳しくはなかった周さんですが、いつのまにか「鹹魚」について熟知し、料理に活用。
なんてことから、思い立ったら即実行、意欲的な姿勢の持ち主だってこともわかりました。
周さんが「鹹魚」を塩鮭に置き換えた「鮭の炒飯」を考案し、TVなどで積極的に紹介しはじめたのは、それから間もなくのこと。
「鮭の炒飯」と共に、周さんの料理で必ず語られたのが「えびのオーロラ・ソース」。
中華風えびの特製マヨネーズあえです。
本人に確かめたわけではありませんが、そのアイデアの素になったのは香港で「新派広東」が流行した時期、「沙律醤」つまりはマヨーネーズを使った料理が各種登場。
それがヒント、きっかけになったんじゃ?なんて、私は思います。
私が周さんと知り合った時期、周さんは「聘珍樓」の総料理長。
香港に頻繁に出かけていた周さんは、先にもふれてきたように香港の食の最新の動向を日本に紹介。
「新派広東」にはいろいろ流派、系統がありましたが、ことに西洋や日本の料理素材を積極的に取り入れたいわばフュージョン的な料理に大いに刺激を受けた様子でした。
最新の流行、動向に目を見張らせる、っていうより、鼻が利くんでしょう。
目新しいものをは敏感に察知。積極的にそれを取り入れ、とりあえずは試し、自分なりの方法で新しい料理、方法を考案。 そんなどん欲な探究心の持ち主だってこと。それに、思い立ったらすぐさまそれを実行、という意欲的な人物なのだ、とわかりました。
そういえば、香港で定着しながら、日本ではまったく紹介されずにいた潮州料理に目をつけ、広尾でそれを看板にする「潮」を開店。むろん聘珍樓の経営者の判断があってのことでしょうが、周さんの臭覚の産物だったんじゃないでしょうか。 もっとも、残念なことには、しばらくして閉店。
そして周さん、聘珍樓から独立し、赤阪に「璃宮」を開店。
同店では、日本に定着した広東料理、香港スタイルの広東料理だけでなく、香港の最新流行を下敷きに周さんの考案した料理、それに広東地方の郷土料理、つまりは家郷菜、それに、周さんのおふくろの味たという家常菜が看板でした。
中でも楽しみにしたのは、日本で、東京で、滅多にありつけない広東地方の郷土料理が食べられる、ってこと。それに、周さんのおふくろの味だという家常菜。
期待したことはいうまでもありません。
ところが、広東地方の郷土料理、香港そのままじゃなく、周さん流にアレンジしたもの。
たとえば、煲仔の類。炒め煮込み、煎り焼き煮込み、じゃなくって、なんでだかだし汁たっぷりのだし汁煮込み。
「え!?、こんなのあり?」と、正直言って思ったものです。
もっとも、中には香港ではおめにかかれず、初体験の料理の数々も。
なんとそれこそは周さんのおふくろの味。周さんのお母さんが作ってくれたという料理をもとにした、ってことでした。
言ってしまえば、なんてことないお惣菜の類。優しくて、ほのぼのとしていて、心温まるような素朴な味。
あ、そうか、華僑の一家として育った周さんのお袋の味、なんだと納得。
しみじみとして味わい深いものがありました。
で、画像。
そうです「あのう、お客様~」ということで、料理撮影禁止のヘイフンテラス
ってことを貫き通さねば、男がすたる。
で、探し出したのはごく普通のお惣菜。
「肚尖鹹酸菜」。豚の胃の尖端と漬物の炒めもの。
マカオのリスボアホテルの中国料理店で食べたもの。
マカオですから、いなたくて、素朴な味。ですが、しっかり、風味がありました、てのはさすがです。
追記、思い出に残る周さんの麗しい話。
荻昌弘さんの1回忌だったか3回忌だったか、列席した周さんがお供えに持参したのが、自ら鍋を振ったという炒飯。
「(荻)先生に誉めてもらったし、先生のお気に入りだったから」とのことでした。
私の知る限り、接した体験からすれば、二人の性格、人柄、料理に対する姿勢、取り組み方は対照的。 なんといっても二人が作る料理が、すべてを物語っているといえんるじゃないかと思います。
ちなみに周さんと譚さん、ともに生まれ育ちは横浜。子供の頃からの知り合いで、遊んばかりいたワルガキだったとか。
周さんは18歳の時、譚さんは横浜の中華街の店を経て、芝の「留園」を経て、周さんと同じく新橋の「中国飯店」に入店。同店には、現在の日本の広東料理界を支える梁 樹能(ホテルオークラ)、麥燦文(全日空ホテル)、潘継祖(プリンス・ホテル古希殿)、鄧 廣寛(リーガロイヤルホテル)といった錚々たる顔ぶれが揃っていたそうです。
その後、周さんは京王プラザホテルの南園へ。譚さんは名古屋、仙台のホテルを経て南園へ。周さんは南園の後、聘珍樓をへて独立し、赤阪に璃宮、さらには広東名菜富徳、周苑などを開店。
一方、譚さんは南園の後、廣州(ホテル・エドモンド)を経て、独立し周さんの「璃宮」の後に「赤阪璃宮」を開店。銀座の交詢社ビルに銀座支店を出店。赤阪店はTBS赤阪Bizタワーに移転したばかり
周さんとは荻昌弘さんに紹介されて知り合いました。
私も一時メンバーだった千葉の柏の知味斉の「知味の集い」で
「周さんの案内で香港旅行がありますが、どうです、ご一緒に」
と、荻さんに誘われ、そのツアーに参加したのがきっかけです。
KIHACHIの熊谷喜八さんもツアーに参加。ということで熊谷さんと知り合いました。
それからも周さんとは何回か香港に一緒する機会がありました。
以来「聘珍樓」、それに弟の富輝さんが後を継いだ横浜の「生香園」にも足を向けるようになりました。
荻さんに誘われての知味の会での香港旅行は、香港の有名店で豪華な内容の宴会料理や鯉魚門で海鮮料理を楽しむ、といった趣向のもの。
「知味の集い」のメンバーは食にうるさい方々がほとんど。
鯉魚門での海鮮料理はごく一般的なものでしたが、それ以外は「乞食鶏」があるなど、それぞれに凝った内容。
とはいえ、当時、血気盛ん(って食に関しては今でもそうか?)な私としては、昼の食事、飲茶なんかではつまらない。
そんなことからツアーの主宰者がいないのを見計らって、知り合ったばかりの案内の周さんに「ね、周さん、海鮮料理とか宴会料理もいいけど、フツーのお惣菜とか郷土料理も食べたいんだけど、だめかなあ」と、堪え性のない私はあつかましくも願い出ました。
いきなりの私のリクエストに、周さんはキョトン。
「ほら、蒸肉餅とか、煲仔とか~」 と言う私に、しばし沈黙のあと
「わかったわかった、小倉さんのリクエスト、やってみるよ」
てなことで、2日目の昼は家郷菜がずらり。
そのメニューの数々、荻さんはじめツアー仲間の方にとって初めての出会いだったようで大好評。
そんな風に、気安く頼みを聞き入れてくれ、安請け合いなんかじゃなく、すぐさま実行に移してくれる。周さんの人の良さを感じました。
それから、別の知り合いの集まりで、周さんと一緒に香港ツアーを、ということになりました。
周さん、我ら仲間だけでなく、雁屋哲さんが連載していた「美味しん坊」の読者香港招待の案内を依頼されていたそうで、「どうせなら一緒に!」という周さんの提案もあってジョイント・ツアーを実施。
その時、ちょっとしたハプニングが福臨門で勃発。
というのは、化学調味料を嫌う雁屋さん。それに対して、福臨門だって化学調味料を使ってるから、と周さん。
マジになった周さんの厳しい表情は忘れられません。
その時、いろいろあったコトの顛末は、当時、雁屋さんが新聞(東京新聞だったか、産経新聞だったか)で連載していたエッセイで紹介。
おもしろい話でしたが、その連載が本になった時、私のかみさんのコメントなども記されたその項目は、ばっさりカット。同著には掲載されずのままになりました。
なんでそうなったのか、今だそれは謎で、不明です。
それについて雁屋さんに尋ねたり、確かめもしませんでしたから。
で、その時、もうひとちょっとした出来事が。
鹹魚の味に魅せられた雁屋さん。なんとか鹹魚を入手したいと、周さんに頼み、一緒に鹹魚の買い付けにでかけました。そして周さんの案内で雁屋さんが入手した鹹魚、曹白でも馬友でもなく、もっぱらダシ取りに使うばかでっかいだけの鹹魚。雁屋さん、あの鹹魚、一体どうやって調理し、味わったんでしょうか。
当時、頻繁に香港に通っていた周さんは、香港の最新事情に精通し、香港の新潮流、新しい料理の動きを取材し「専門料理」の別冊号としてまとめて出版したこともあります。しかし、最新の動向には詳しかった周さんですが、地元の人の普段の食、郷土料理や家庭料理にはあまり関心はなかった様子。
もっとも周さん、「鹹魚」についてはご存知でした。
なんでも香港からやってきてた料理人が「鹹魚」を香港からせっとと取り寄せ、まかないのおかずにしていたこと。しかも取り寄せた「鹹魚」が、「まかないにするにはべらぼうな値段なんだよ」と苦笑い。
ともあれ、「鹹魚」はキッチンのまかないを横目でにらむだけだったとかで、種類などについて詳しくないって様子、話ぶりでした。
それからしばらくたったある日の朝、周さんからの電話で起こされました。
「あの、鹹魚のことなんだけど、曹白ってどんな魚かわかる、小倉さん?
それから、馬友もなんだけど」、と。
雑誌の取材で「鹹魚」を使ったものの、魚の種類については説明のしようがない。
私が周さんに「鹹魚」話をしたのを思いだし、連絡くれたってことでした。
周さん、今じゃそんなことすっかりお忘れでしょう。
その話からもわかる通り、周さん、素直で率直、しかも、屈託がない。
おまけに、香港で私の料理のリクエストにすぐさま応じてくれたように、思い立ったらすぐ実行、って性格なんだと思いました。
それに、先の雁屋さんの「鹹魚」話でも明らかなように「鹹魚」についてさほど関心もなく、詳しくはなかった周さんですが、いつのまにか「鹹魚」について熟知し、料理に活用。
なんてことから、思い立ったら即実行、意欲的な姿勢の持ち主だってこともわかりました。
周さんが「鹹魚」を塩鮭に置き換えた「鮭の炒飯」を考案し、TVなどで積極的に紹介しはじめたのは、それから間もなくのこと。
「鮭の炒飯」と共に、周さんの料理で必ず語られたのが「えびのオーロラ・ソース」。
中華風えびの特製マヨネーズあえです。
本人に確かめたわけではありませんが、そのアイデアの素になったのは香港で「新派広東」が流行した時期、「沙律醤」つまりはマヨーネーズを使った料理が各種登場。
それがヒント、きっかけになったんじゃ?なんて、私は思います。
私が周さんと知り合った時期、周さんは「聘珍樓」の総料理長。
香港に頻繁に出かけていた周さんは、先にもふれてきたように香港の食の最新の動向を日本に紹介。
「新派広東」にはいろいろ流派、系統がありましたが、ことに西洋や日本の料理素材を積極的に取り入れたいわばフュージョン的な料理に大いに刺激を受けた様子でした。
最新の流行、動向に目を見張らせる、っていうより、鼻が利くんでしょう。
目新しいものをは敏感に察知。積極的にそれを取り入れ、とりあえずは試し、自分なりの方法で新しい料理、方法を考案。 そんなどん欲な探究心の持ち主だってこと。それに、思い立ったらすぐさまそれを実行、という意欲的な人物なのだ、とわかりました。
そういえば、香港で定着しながら、日本ではまったく紹介されずにいた潮州料理に目をつけ、広尾でそれを看板にする「潮」を開店。むろん聘珍樓の経営者の判断があってのことでしょうが、周さんの臭覚の産物だったんじゃないでしょうか。 もっとも、残念なことには、しばらくして閉店。
そして周さん、聘珍樓から独立し、赤阪に「璃宮」を開店。
同店では、日本に定着した広東料理、香港スタイルの広東料理だけでなく、香港の最新流行を下敷きに周さんの考案した料理、それに広東地方の郷土料理、つまりは家郷菜、それに、周さんのおふくろの味たという家常菜が看板でした。
中でも楽しみにしたのは、日本で、東京で、滅多にありつけない広東地方の郷土料理が食べられる、ってこと。それに、周さんのおふくろの味だという家常菜。
期待したことはいうまでもありません。
ところが、広東地方の郷土料理、香港そのままじゃなく、周さん流にアレンジしたもの。
たとえば、煲仔の類。炒め煮込み、煎り焼き煮込み、じゃなくって、なんでだかだし汁たっぷりのだし汁煮込み。
「え!?、こんなのあり?」と、正直言って思ったものです。
もっとも、中には香港ではおめにかかれず、初体験の料理の数々も。
なんとそれこそは周さんのおふくろの味。周さんのお母さんが作ってくれたという料理をもとにした、ってことでした。
言ってしまえば、なんてことないお惣菜の類。優しくて、ほのぼのとしていて、心温まるような素朴な味。
あ、そうか、華僑の一家として育った周さんのお袋の味、なんだと納得。
しみじみとして味わい深いものがありました。
で、画像。
そうです「あのう、お客様~」ということで、料理撮影禁止のヘイフンテラス
ってことを貫き通さねば、男がすたる。
で、探し出したのはごく普通のお惣菜。
「肚尖鹹酸菜」。豚の胃の尖端と漬物の炒めもの。
マカオのリスボアホテルの中国料理店で食べたもの。
マカオですから、いなたくて、素朴な味。ですが、しっかり、風味がありました、てのはさすがです。
追記、思い出に残る周さんの麗しい話。
荻昌弘さんの1回忌だったか3回忌だったか、列席した周さんがお供えに持参したのが、自ら鍋を振ったという炒飯。
「(荻)先生に誉めてもらったし、先生のお気に入りだったから」とのことでした。
2008/03/27
ヘイフテラスの謎と不思議の13
黒服の女史、白服のパシリ君のファンには申しわけないですが、ここでちょっと話はわき道に。
ことのついでに東京の広東料理店における香港の広東料理との関わりについて触れておくことにしたいと思います。
むろん、ヘイフンテラスの料理を理解、把握するのに無関係ではありません。
まず、70年、大阪で開かれた万博に香港の美心グループが出店。それをきっかけに、翌71年、香港で「翠園酒家」が誕生。鳳城(順徳/大良)と羊城(広州)の郷土料理を取り入れた料理、飲茶の点心のバラエティー、ことに洋風のサービスを取り入れたことで一躍話題となり、脚光を浴びて成功を収めました。香港の経済的な繁栄を背景にしたミドルクラス層の台頭、というのも成功を支えた大きな要因です。
結果、次々に支店を開店。その一環として東京に進出し、田村町に「翠園酒家」を開店。というのが香港の広東料理店の日本進出第1号、だったはず。
で、私が東京の中国料理店事情の調査、フィールドワーク、早い話、中国料理店の食べ歩きを本格的に始めたのは74年前後から。
当時の食のガイド、雑誌の中国料理の特集で取り上げられていた料理店を巡り歩き、評判の店、有名店はほぼクリアー。
広東料理に限らず、上海、北京、四川料理店なども含めてのことです。
頻繁に出かけたのは赤阪の「樓外樓」、六本木の「中国飯店別館」、西麻布の「北海園」といった所です。今、思い起こせば、広東料理店といえば「翠園酒家」ぐらいのもの。その数は少なかったような覚えがあります。
それから、香港に初めて旅行したのが79年。香港での広東料理体験が私の中国料理に対する認識、見解を一変させた、というのはこれまでにもお話してきた通り。
以来、東京での中国料理店巡り、行脚も少なからず変化。とくに広東料理に関しては、香港で体験した料理、味、風味を求め、捜し歩きました。
もっとも、香港そのままという店、料理を見つけ出すことは出来ませんでした。
しかし、香港に近い料理店、味は見つけられました。
たとえば、改めて存在を再認識した田村町の「翠園酒家」。渋谷の道玄坂の「井門」。味は今ひとつですが飲茶の点心が豊富に楽しめた新宿の東京大飯店。元は田村町(だそう)で、六本木に引っ越したという中国飯店。香港というより、広東省、広州の色彩が濃く、ひなびた素朴な味が楽しめた四谷の「嘉賓」などです。 もっとも、翠園、井門では面白い料理があったものの、それ以外の店は飲茶か麵、飯類などが中心。
もちろん、苦い思いだってしました。
人に薦められて出かけた有楽町の某店は、麺類はともかく料理が粗雑で乱暴だったのに閉口。
某有名ホテルの高級店では、伝え聞いていた評判から「あの、化学調味料、抜いてもらえますか?」と頼んだのにも関わらず、それでもどっさり。
顔は引きつる、胸の動悸は激しくなる。ぶるぶる震えながらテーブルの端を掴んで体を保つのがやっと。黒服の人も泡を食って、救急車を呼びましょうか、という事態に陥ったこともあります。
私、化学調味料を一定のレヴェルを超えて多量摂取すると、そんな状態になる。
というのはなかなか信じて貰えないんですが、事実です。
好き嫌いとか、自然食信望とか信条以前の問題で、あるレベルの摂取量を越えると、もうダメ。
まったく処置なし状態。
ま、化学調味料と塩分とは密接な関係にあって、塩分摂取過多もその要因じゃないか、とまあそれは私の勝手な判断です。
話を戻して、ともかく、東京の中国料理店行脚、それも、香港に近い味に出会える広東料理店、ということで見つけ出したのが、京王プラザの南園でした。
南園には旬の素材を使ったメニューがあり、私が探していた郷土料理的なもの、煲仔などもありました。メニューにはなかった料理、例えば青菜の蝦醬炒め、それに食べたい料理をメモに書いて黒服の人にキッチンに出来るかどうか尋ねて貰う、なんてのもよくやってました。
たいていの場合OKってことで、作って貰えたものです。さすがホテルのサービスは違うと感心。
以来、機会を見つけては「南園」へ。
ところが、ある時期から
「「蝦醬」は匂いが強く、周りのお客様にご迷惑にもなりますので、お作りできません」
と、突然の宣告。
以来、足が遠のくようになった次第。
楽しみを奪われりゃ、足が遠のくのも当然でしょう。」
その「南園」、周富徳、譚彦彬らを輩出、ということで有名です。
ネットで見つけましたが、06年、京王プラザホテル35周年記念イベントの一環として開催された南園出身の料理人による競演「中国料理「南園」巨匠たちの晩餐」のニュース資料によれば、他に現「龍天門」(ウェスティン・ホテル)総料理長の陳啓明、現「桃園」(ホテルEast21)総料理長の中川俊勝、現「南園」総料理長の李国超らの名もあります。
残念ながらその三方にはお目にかかったことがありません。それ以外に、当初「桃園」(ホテルEast21)の総料理長だった中島さんなどもいらっしゃったはず。
私が「南園」に通い始めたのは、周さんが「聘珍樓」に移り、入れ替わって譚さんがその後をついでからのことじゃないかと思います。
その「南園」、日本の中国料理人を輩出するとともに、開店当初から香港より料理人を招聘。ということが、香港の広東料理、しかも、郷土料理的な料理に出会える機会が多かった、という理由のようです。
どんな料理人が招聘されていたのか、興味あるところですが、その資料を持ち合わせてません。
唯一、覚えているのは、許さん。もうひとり、許さんの相方にあたり「板」を得意とすると聞いた料理人の方の存在。香港では許さんよりも、もうひとりの人の方が日本から香港に戻って後、現地の新聞などで見かけることが多かったのですが。
私が関心を持ったのは、そのふたりがミラマー・グループ系列の翠亨邨茶寮、同グループと関わりのある料理人、という話を耳にしていたからでした。後に許さんには周さんの紹介で出会ったことがあります。周さんに面白い店があるからと教えられ、手渡された紹介状を携えて会っただけのこと。
その許さんが組んでくれたコース、「家鴨の料理はOK?」と聞かれ「OK!」と返事しました。
一体、どんな郷土料理のスタイルの家鴨の料理なのか。
楽しみにしてたら、何のことはない、ぬあんと「北京ダック!」。
他の料理もごくありきたりな海鮮主体の料理。
しかも、べらぼうな値段だったりしたこともあって、今だ忘れられない。
そうです。これまでさんざん苦労してきたからこそ、今日のが私がある!
翠亨邨グループはミラマー・ホテルを拠点に74年に開店。広東地方の伝統的な郷土料理、家庭料理などの小菜を小皿(といっても小サイズ盛りの意味です)で提供。その内容、幅の広さ、豊富さで話題を呼び、以来、香港でブームになり、結果、グランド・メニュー以外に、季節の素材による小菜を記した小メニューも一般化、ということなったそうで。
一時の「南園」の料理長のお勧め、あるいは季節メニューには、その片鱗を伝える料理がありました。田村町の「翠園酒家」よりも香港の新しい潮流、流行を伝えていたものです。
とはいえ、それはごく一部。ですが、香港の味を求める私には貴重な存在でした。
その「翠園酒家」も、つい最近、閉店したそうで。
これを書くうち、確認のためネットで調べたところ、初めて知りました。 寂しい限りです。
で、画像。
やっぱり「あのう、お客様~」と料理撮影禁止の「ヘイフンテラス」ですので。
なんて言いながら、テーマに即した画像を見つけるのに必死。
というわけで見つけ出したのが「家常老少平安」。
豆腐に白身魚の切り身、もしくは、擂り身をあわせ、だしを張って蒸したもの。
「蒸水蛋」、鶏卵、家鴨の卵、家鴨の卵の塩漬けの鹹蛋などをまぜあわせて蒸した茶碗蒸し風の料理とともに、私の好みのおかずです。
こんなのが、東京の広東料理店で食べられるといいな、とずっと思い続けてますが、料理店で出会ったことがありません。
ことのついでに東京の広東料理店における香港の広東料理との関わりについて触れておくことにしたいと思います。
むろん、ヘイフンテラスの料理を理解、把握するのに無関係ではありません。
まず、70年、大阪で開かれた万博に香港の美心グループが出店。それをきっかけに、翌71年、香港で「翠園酒家」が誕生。鳳城(順徳/大良)と羊城(広州)の郷土料理を取り入れた料理、飲茶の点心のバラエティー、ことに洋風のサービスを取り入れたことで一躍話題となり、脚光を浴びて成功を収めました。香港の経済的な繁栄を背景にしたミドルクラス層の台頭、というのも成功を支えた大きな要因です。
結果、次々に支店を開店。その一環として東京に進出し、田村町に「翠園酒家」を開店。というのが香港の広東料理店の日本進出第1号、だったはず。
で、私が東京の中国料理店事情の調査、フィールドワーク、早い話、中国料理店の食べ歩きを本格的に始めたのは74年前後から。
当時の食のガイド、雑誌の中国料理の特集で取り上げられていた料理店を巡り歩き、評判の店、有名店はほぼクリアー。
広東料理に限らず、上海、北京、四川料理店なども含めてのことです。
頻繁に出かけたのは赤阪の「樓外樓」、六本木の「中国飯店別館」、西麻布の「北海園」といった所です。今、思い起こせば、広東料理店といえば「翠園酒家」ぐらいのもの。その数は少なかったような覚えがあります。
それから、香港に初めて旅行したのが79年。香港での広東料理体験が私の中国料理に対する認識、見解を一変させた、というのはこれまでにもお話してきた通り。
以来、東京での中国料理店巡り、行脚も少なからず変化。とくに広東料理に関しては、香港で体験した料理、味、風味を求め、捜し歩きました。
もっとも、香港そのままという店、料理を見つけ出すことは出来ませんでした。
しかし、香港に近い料理店、味は見つけられました。
たとえば、改めて存在を再認識した田村町の「翠園酒家」。渋谷の道玄坂の「井門」。味は今ひとつですが飲茶の点心が豊富に楽しめた新宿の東京大飯店。元は田村町(だそう)で、六本木に引っ越したという中国飯店。香港というより、広東省、広州の色彩が濃く、ひなびた素朴な味が楽しめた四谷の「嘉賓」などです。 もっとも、翠園、井門では面白い料理があったものの、それ以外の店は飲茶か麵、飯類などが中心。
もちろん、苦い思いだってしました。
人に薦められて出かけた有楽町の某店は、麺類はともかく料理が粗雑で乱暴だったのに閉口。
某有名ホテルの高級店では、伝え聞いていた評判から「あの、化学調味料、抜いてもらえますか?」と頼んだのにも関わらず、それでもどっさり。
顔は引きつる、胸の動悸は激しくなる。ぶるぶる震えながらテーブルの端を掴んで体を保つのがやっと。黒服の人も泡を食って、救急車を呼びましょうか、という事態に陥ったこともあります。
私、化学調味料を一定のレヴェルを超えて多量摂取すると、そんな状態になる。
というのはなかなか信じて貰えないんですが、事実です。
好き嫌いとか、自然食信望とか信条以前の問題で、あるレベルの摂取量を越えると、もうダメ。
まったく処置なし状態。
ま、化学調味料と塩分とは密接な関係にあって、塩分摂取過多もその要因じゃないか、とまあそれは私の勝手な判断です。
話を戻して、ともかく、東京の中国料理店行脚、それも、香港に近い味に出会える広東料理店、ということで見つけ出したのが、京王プラザの南園でした。
南園には旬の素材を使ったメニューがあり、私が探していた郷土料理的なもの、煲仔などもありました。メニューにはなかった料理、例えば青菜の蝦醬炒め、それに食べたい料理をメモに書いて黒服の人にキッチンに出来るかどうか尋ねて貰う、なんてのもよくやってました。
たいていの場合OKってことで、作って貰えたものです。さすがホテルのサービスは違うと感心。
以来、機会を見つけては「南園」へ。
ところが、ある時期から
「「蝦醬」は匂いが強く、周りのお客様にご迷惑にもなりますので、お作りできません」
と、突然の宣告。
以来、足が遠のくようになった次第。
楽しみを奪われりゃ、足が遠のくのも当然でしょう。」
その「南園」、周富徳、譚彦彬らを輩出、ということで有名です。
ネットで見つけましたが、06年、京王プラザホテル35周年記念イベントの一環として開催された南園出身の料理人による競演「中国料理「南園」巨匠たちの晩餐」のニュース資料によれば、他に現「龍天門」(ウェスティン・ホテル)総料理長の陳啓明、現「桃園」(ホテルEast21)総料理長の中川俊勝、現「南園」総料理長の李国超らの名もあります。
残念ながらその三方にはお目にかかったことがありません。それ以外に、当初「桃園」(ホテルEast21)の総料理長だった中島さんなどもいらっしゃったはず。
私が「南園」に通い始めたのは、周さんが「聘珍樓」に移り、入れ替わって譚さんがその後をついでからのことじゃないかと思います。
その「南園」、日本の中国料理人を輩出するとともに、開店当初から香港より料理人を招聘。ということが、香港の広東料理、しかも、郷土料理的な料理に出会える機会が多かった、という理由のようです。
どんな料理人が招聘されていたのか、興味あるところですが、その資料を持ち合わせてません。
唯一、覚えているのは、許さん。もうひとり、許さんの相方にあたり「板」を得意とすると聞いた料理人の方の存在。香港では許さんよりも、もうひとりの人の方が日本から香港に戻って後、現地の新聞などで見かけることが多かったのですが。
私が関心を持ったのは、そのふたりがミラマー・グループ系列の翠亨邨茶寮、同グループと関わりのある料理人、という話を耳にしていたからでした。後に許さんには周さんの紹介で出会ったことがあります。周さんに面白い店があるからと教えられ、手渡された紹介状を携えて会っただけのこと。
その許さんが組んでくれたコース、「家鴨の料理はOK?」と聞かれ「OK!」と返事しました。
一体、どんな郷土料理のスタイルの家鴨の料理なのか。
楽しみにしてたら、何のことはない、ぬあんと「北京ダック!」。
他の料理もごくありきたりな海鮮主体の料理。
しかも、べらぼうな値段だったりしたこともあって、今だ忘れられない。
そうです。これまでさんざん苦労してきたからこそ、今日のが私がある!
翠亨邨グループはミラマー・ホテルを拠点に74年に開店。広東地方の伝統的な郷土料理、家庭料理などの小菜を小皿(といっても小サイズ盛りの意味です)で提供。その内容、幅の広さ、豊富さで話題を呼び、以来、香港でブームになり、結果、グランド・メニュー以外に、季節の素材による小菜を記した小メニューも一般化、ということなったそうで。
一時の「南園」の料理長のお勧め、あるいは季節メニューには、その片鱗を伝える料理がありました。田村町の「翠園酒家」よりも香港の新しい潮流、流行を伝えていたものです。
とはいえ、それはごく一部。ですが、香港の味を求める私には貴重な存在でした。
その「翠園酒家」も、つい最近、閉店したそうで。
これを書くうち、確認のためネットで調べたところ、初めて知りました。 寂しい限りです。
で、画像。
やっぱり「あのう、お客様~」と料理撮影禁止の「ヘイフンテラス」ですので。
なんて言いながら、テーマに即した画像を見つけるのに必死。
というわけで見つけ出したのが「家常老少平安」。
豆腐に白身魚の切り身、もしくは、擂り身をあわせ、だしを張って蒸したもの。
「蒸水蛋」、鶏卵、家鴨の卵、家鴨の卵の塩漬けの鹹蛋などをまぜあわせて蒸した茶碗蒸し風の料理とともに、私の好みのおかずです。
こんなのが、東京の広東料理店で食べられるといいな、とずっと思い続けてますが、料理店で出会ったことがありません。
2008/03/25
ヘイフンテラスの謎と不思議の12
続いて「鹹魚鶏粒豆腐煲」。
土鍋でサービス、しかもぶくぶく煮汁が泡立ってる程の熱々の状態、というのが実に嬉しい。
おかず、お惣菜という趣の素朴な色合い、鹹魚を使った料理独特の香りが食をそそります。
この料理、いつだってご飯が欲しくなる。
とはいうものの、だしの汁気が多目、というよりも、たっぷり。
香港ではこの料理ではありえない。お目にかかったこともありません。
ン?!
どっかから天の声?いや、黒服の女史の声だ!
「香港ではよくあること~お客様がご存知のはずじゃない……かな?」って。
そうですね。私が知らないだけかも。黒服の女史にしてみればあり得るのかも。
なんて、そんなことはないです、あり得ない。
この料理、だしの煮汁は少なめ。多くてもひたひたか、ひたちょい多目、というのが香港では一般的。
この「鹹魚鶏粒豆腐煲」はじめ、各種の具と春雨を炒め煮込みした「粉絲煲」など、土鍋を使った「煲仔」の料理が日本の多くの広東料理店、それもホテル内の中国料理店のメニューに乗っかるようになったのは、80年代に入ってからのこと。
それ以前は、田村町の翠園酒家だけだったような。その辺りの事情については、後述します。
ともあれ、広東地方の伝統的な郷土料理、家庭料理、特に「煲仔」が紹介されるようになったのは、香港の広東料理への関心が高まりが関係してのこと。香港の料理人が盛んに招聘され、新しい料理とともに、郷土料理も紹介されるようになった、というのがそもそものきっかけ、だったようです。
ところが、日本の広東料理店で紹介されたほとんどの「煲仔」の料理、なんでだか、煮汁たっぷり。だし汁煮込みといった趣です。
なんでそうなったのか、私には不明です。
そうです、だし汁、煮汁たっぷりのヘイフンテラスの「鹹魚鶏粒豆腐煲」は、明らかに日本の「煲仔」を踏襲したもの。
それに、豆腐、鶏肉の切り方、下拵えのアバウトさは前述の通り。料理名にある「粒」の一文字が物語るように、素材の切り方、本来は賽の目切り。それも小ぶりのそれのはず。とはいうものの、香港でもその辺りはアバウト。それでも、豆腐、鶏肉のサイズはほぼ同じ。その辺りはきっちりしてます。
ヘイフンテラスの「鹹魚鶏粒豆腐煲」。味付けは穏やかで上品。というあたり、ヘイフンテラスらしさがうかがえる。ヘイフンテラスならではのものだと言えるかも。
とはいうものの、料理に力強さがない。それに、目の前の運ばれてきた時こそ、食そそそる香りはあっても、食べてみると、料理そのもの香り、風味に乏しい。
「そういえば、このひなびた、素朴な感じの味わい、味付けに覚えあり、どこだったっけ?」と、記憶センサーが稼動しはじめる。
結果、思い浮かんだのは、謝華顕さんが総料理長を務めるようになってからの「聘珍樓」で出会ったやつだ!
「いや、まてよ。「板」と「鍋」の感じからすると、もしかして「赤阪璃宮」? けど、譚さんの料理に比べると、味にメリハリ、慎重なきめ細かさがない!」などと思い浮かぶうち、「そうだ、焼き物は「赤阪璃宮」で食べた味!」と、いきなり別の記憶センサーの回路が稼動。
飯食ってる時の私の頭の中、だいたいそんな按配で、様々な回路が縦横無尽に入り乱れ。
ま、普段もそんな風だったりしますけど。
そして、「皮蛋」と塩漬け卵の「鹹蛋」を使い、炒めたほうれん草にだしの「上湯」を加え、煮浸しにした料理「金銀蛋上湯浸菠菜」。
その色合いや見た目の美しさ、穏やかで優しく上品な味については、前述の通り。
最近でこそ東京の広東料理店はじめ、オーナー・シェフの店などでのメニューに見かけるようになりましたが、案外、これぞというのにはなかなかお目にかかったことがない。
鍵を握るのは「皮蛋」それに「鹹蛋」。ことに「鹹蛋」の質、状態。それに、なんといっても、だしが肝心。
ということでは、ヘイフンテラスの「金銀蛋上湯浸菠菜」、だしがいささか弱い。それにほうれん草の下拵え、その切り方などがざっくばらん。それに「香」、「風味」が乏しい。
そんな問題を抱えつつも、香港のそれをほぼ踏襲。福臨門の「金銀蛋上湯浸菠菜」に続いて第2位のポジションを確保。
その日食べた料理の中ではベストの出来栄え。ヘイフンテラスではお勧めしたい一品です。
さて、問題の「清蒸紅斑」。
再び、黒服の女史の「あのう、香港ではよくあることですし、お客様の方がよくご存知のはずじゃないか…なあ」と、要は「お客さまがご存知ないだけ!」と暗にほのめかしたあの言葉が甦る、魚の腹を割いて蒸す「清蒸海斑」(と、私もいささかしつこい!)
家に戻って、手持ちの資料やらネットで検索。
確か香港料理大賞でそんなのがあったはず。
ありました。2003年の魚料理部門で最優秀金賞を受賞した翠亨邨の《Steamed Spot Garoupa with Hashima》がそれ。もっとも、雪哈を魚の上にどっさりというもの。
同年の受賞作には、他にも腹を開いた魚を蒸した料理が。ても、これだけで「香港ではよくあることですから」とは、言えないんじゃないか、って私もしつこいか。
これ以外に、以前、香港の雑誌か新聞のクリップで見かけた覚えはありますけど、今や忘却の彼方。
ともあれ、ヘイフンテラス独自のスタイルなのは確か。
ですが、調理は日本人の料理人だったことは、黒服の女史の証言にも明らかです。
こうしてヘイフンテラスで食べた料理を振り返ってみると、「嘉麟樓」、それに香港の味というよりも、一時の(っていうのは、最近ご無沙汰なもんですから)京王プラザの「南園」、及び同店出身の料理人が総料理長を務め、独立して開店した店、さらに、謝華顕さんが総料理長を務めるようになって以来、より香港的な色彩の濃くなった「聘珍樓」のイメージが思い浮かび、重なる、というのが面白く、興味深いところであります。
こんなことなら、やっぱヘイフンテラスのふかひれの料理、食べておけばもっと諸事情が明らかになったのかも。などと今になって後悔してもしょうがないか。
いや、ふかひれを食べたら食べたで、別の展開があったかも、ですね。
それにしても、料理全体を通して私の知る「嘉麟樓」ではなくて、「聘珍樓」のイメージがじわじわと浮かび上がり、やがて、日本、というよりも東京で香港と関わりのある料理店の面影が随所に顔をのぞかせる、というのは意外でした。
画像は、おなじみ「あのう、お客様~」ということで料理撮影禁止。
探し出したのは、だし汁ひたひた、しかも少なめの「煲仔」の「大馬站煲」。
豚のアバラの焼肉、豆腐の蝦醬風味の炒め煮込みです。
土鍋でサービス、しかもぶくぶく煮汁が泡立ってる程の熱々の状態、というのが実に嬉しい。
おかず、お惣菜という趣の素朴な色合い、鹹魚を使った料理独特の香りが食をそそります。
この料理、いつだってご飯が欲しくなる。
とはいうものの、だしの汁気が多目、というよりも、たっぷり。
香港ではこの料理ではありえない。お目にかかったこともありません。
ン?!
どっかから天の声?いや、黒服の女史の声だ!
「香港ではよくあること~お客様がご存知のはずじゃない……かな?」って。
そうですね。私が知らないだけかも。黒服の女史にしてみればあり得るのかも。
なんて、そんなことはないです、あり得ない。
この料理、だしの煮汁は少なめ。多くてもひたひたか、ひたちょい多目、というのが香港では一般的。
この「鹹魚鶏粒豆腐煲」はじめ、各種の具と春雨を炒め煮込みした「粉絲煲」など、土鍋を使った「煲仔」の料理が日本の多くの広東料理店、それもホテル内の中国料理店のメニューに乗っかるようになったのは、80年代に入ってからのこと。
それ以前は、田村町の翠園酒家だけだったような。その辺りの事情については、後述します。
ともあれ、広東地方の伝統的な郷土料理、家庭料理、特に「煲仔」が紹介されるようになったのは、香港の広東料理への関心が高まりが関係してのこと。香港の料理人が盛んに招聘され、新しい料理とともに、郷土料理も紹介されるようになった、というのがそもそものきっかけ、だったようです。
ところが、日本の広東料理店で紹介されたほとんどの「煲仔」の料理、なんでだか、煮汁たっぷり。だし汁煮込みといった趣です。
なんでそうなったのか、私には不明です。
そうです、だし汁、煮汁たっぷりのヘイフンテラスの「鹹魚鶏粒豆腐煲」は、明らかに日本の「煲仔」を踏襲したもの。
それに、豆腐、鶏肉の切り方、下拵えのアバウトさは前述の通り。料理名にある「粒」の一文字が物語るように、素材の切り方、本来は賽の目切り。それも小ぶりのそれのはず。とはいうものの、香港でもその辺りはアバウト。それでも、豆腐、鶏肉のサイズはほぼ同じ。その辺りはきっちりしてます。
ヘイフンテラスの「鹹魚鶏粒豆腐煲」。味付けは穏やかで上品。というあたり、ヘイフンテラスらしさがうかがえる。ヘイフンテラスならではのものだと言えるかも。
とはいうものの、料理に力強さがない。それに、目の前の運ばれてきた時こそ、食そそそる香りはあっても、食べてみると、料理そのもの香り、風味に乏しい。
「そういえば、このひなびた、素朴な感じの味わい、味付けに覚えあり、どこだったっけ?」と、記憶センサーが稼動しはじめる。
結果、思い浮かんだのは、謝華顕さんが総料理長を務めるようになってからの「聘珍樓」で出会ったやつだ!
「いや、まてよ。「板」と「鍋」の感じからすると、もしかして「赤阪璃宮」? けど、譚さんの料理に比べると、味にメリハリ、慎重なきめ細かさがない!」などと思い浮かぶうち、「そうだ、焼き物は「赤阪璃宮」で食べた味!」と、いきなり別の記憶センサーの回路が稼動。
飯食ってる時の私の頭の中、だいたいそんな按配で、様々な回路が縦横無尽に入り乱れ。
ま、普段もそんな風だったりしますけど。
そして、「皮蛋」と塩漬け卵の「鹹蛋」を使い、炒めたほうれん草にだしの「上湯」を加え、煮浸しにした料理「金銀蛋上湯浸菠菜」。
その色合いや見た目の美しさ、穏やかで優しく上品な味については、前述の通り。
最近でこそ東京の広東料理店はじめ、オーナー・シェフの店などでのメニューに見かけるようになりましたが、案外、これぞというのにはなかなかお目にかかったことがない。
鍵を握るのは「皮蛋」それに「鹹蛋」。ことに「鹹蛋」の質、状態。それに、なんといっても、だしが肝心。
ということでは、ヘイフンテラスの「金銀蛋上湯浸菠菜」、だしがいささか弱い。それにほうれん草の下拵え、その切り方などがざっくばらん。それに「香」、「風味」が乏しい。
そんな問題を抱えつつも、香港のそれをほぼ踏襲。福臨門の「金銀蛋上湯浸菠菜」に続いて第2位のポジションを確保。
その日食べた料理の中ではベストの出来栄え。ヘイフンテラスではお勧めしたい一品です。
さて、問題の「清蒸紅斑」。
再び、黒服の女史の「あのう、香港ではよくあることですし、お客様の方がよくご存知のはずじゃないか…なあ」と、要は「お客さまがご存知ないだけ!」と暗にほのめかしたあの言葉が甦る、魚の腹を割いて蒸す「清蒸海斑」(と、私もいささかしつこい!)
家に戻って、手持ちの資料やらネットで検索。
確か香港料理大賞でそんなのがあったはず。
ありました。2003年の魚料理部門で最優秀金賞を受賞した翠亨邨の《Steamed Spot Garoupa with Hashima》がそれ。もっとも、雪哈を魚の上にどっさりというもの。
同年の受賞作には、他にも腹を開いた魚を蒸した料理が。ても、これだけで「香港ではよくあることですから」とは、言えないんじゃないか、って私もしつこいか。
これ以外に、以前、香港の雑誌か新聞のクリップで見かけた覚えはありますけど、今や忘却の彼方。
ともあれ、ヘイフンテラス独自のスタイルなのは確か。
ですが、調理は日本人の料理人だったことは、黒服の女史の証言にも明らかです。
こうしてヘイフンテラスで食べた料理を振り返ってみると、「嘉麟樓」、それに香港の味というよりも、一時の(っていうのは、最近ご無沙汰なもんですから)京王プラザの「南園」、及び同店出身の料理人が総料理長を務め、独立して開店した店、さらに、謝華顕さんが総料理長を務めるようになって以来、より香港的な色彩の濃くなった「聘珍樓」のイメージが思い浮かび、重なる、というのが面白く、興味深いところであります。
こんなことなら、やっぱヘイフンテラスのふかひれの料理、食べておけばもっと諸事情が明らかになったのかも。などと今になって後悔してもしょうがないか。
いや、ふかひれを食べたら食べたで、別の展開があったかも、ですね。
それにしても、料理全体を通して私の知る「嘉麟樓」ではなくて、「聘珍樓」のイメージがじわじわと浮かび上がり、やがて、日本、というよりも東京で香港と関わりのある料理店の面影が随所に顔をのぞかせる、というのは意外でした。
画像は、おなじみ「あのう、お客様~」ということで料理撮影禁止。
探し出したのは、だし汁ひたひた、しかも少なめの「煲仔」の「大馬站煲」。
豚のアバラの焼肉、豆腐の蝦醬風味の炒め煮込みです。
2008/03/23
ヘイフンテラスの謎と不思議の11
黒服の女史にとっては「止め」だったに違いない言葉を、思い出しては苦笑い。
それよりも食べた料理のことが頭から離れない。
そうです、料理を食べるたびに「あれ、これ、どっかで食べた味、出会った味」という思いが駆け巡り、頭の隅っこに潜んでいた記憶がもぞもぞと這い出し、甦ることしきり、でしたから。
食べた料理の一品一品を思い出し、思いつく限りのことをノートに記しました。
ちなみに、私の料理のチェック・ポイントは中国料理の要、必須の条件である「色・香・味」に準じたもの。もっとも、中国料理だけに限ったことではありませんが。
まずは、料理の色合い、盛り付け。それから素材の切り分け、下拵え。
一品の料理における素材、副素材の分量の加減、按配です。
そうそう、中国料理といえば大皿にたっぷり、というイメージをお持ちの方が多いはず。もっとも、香港はもとより中国本土での本格的な宴会料理では、一皿の分量はきっちり。
8種、あるいは16種の前菜などは、それぞれが綺麗に美しく盛り付けられてます。
大菜はじめ、大皿で運ばれる料理にしても、一皿の分量は美的に盛り付けられ、主素材、副素材の分量、按配なども過不足がない。
どさっと大盛り、てんこ盛りなのは、惣菜的な料理、それに家庭の惣菜ぐらいなもの、じゃないでしょうか。
そして、盛り付け、素材の切り分け、素材の分量などの見た目に続いては、実際に食べてみての舌触り、歯触りといった触感。
つまり、滑らかさ、硬さや、軟らかさ。
滑らかさは、唇、舌触りの滑らかさ。中国料理にとろみがついてることが多いのも、滑らかさを重視してのこと。
硬さで言えば、さくさく感にぱりぱり感などの歯切れのよさ、歯応えの爽快感。それに弾力や噛み応えってことになります。
軟らかさということなら、すっきり感、ねっとり感、舌にとろける感じや、こってりとしていてこくのある感じ、といった按配です。
それから味付け、調理、火の通りの加減。そして料理そのものの味わい、それに風味、そう香りですね。匂いではありません。それについてはいずれまた。それから後味、といったところです。
「え~!? そんなこと観察しながら食べてんの?面倒だね。なの、食事なんかちっとも楽しめないじゃん!」と、あきれられるかも、ですね。
いや、なに、書き並べたからこそ、そんな風に思われるだけのこと。
食事は楽しむもの、というのが私の基本。
外食ってことになると、最低でもかみさんと一緒。もしくは、仲間と一緒。会話をはさみながら、時にはワイワイガヤガヤと騒ぎながら、食事を楽しんでます。
しかし、目の前に皿が置かれた途端、さっと料理に目をやり、瞬時にそれを観察。
会話の合間に料理を口に運び、味わいながら、先にあげたようなことをきっちりチェック。
香港で食のフィールドワークを始めるようになって以来、慣れと言いますか、いつの間にか身についてしまった習性のようなもの。たいてい瞬時に観察、察知します。
とはいうものの、会話を交わしながら食事を楽しんでる時に、いきなりセンサーが稼動しはじめることがある。たまに、料理にはまって自分ひとりだけの世界に没頭し、周りに人がいることを忘れてしまうこともあります。
哀しい性、と言われればそうかもしれませんが、早い話、オタクですから、それを楽しんじゃったりしてます。
ヘイフンテラスで食事した時には、料理を食べるたび「あれ?これ、どっかで食べた味、出会った味!」と、頭の隅っこに潜んでいた記憶が、もぞもぞと這い出した。
記憶センサーが稼動しはじめたってわけです。
たとえば、最初の焼き物の焼鴨の味付け、焼き方、焦げ茶の焼き色、仕上がりの味加減。
前述してきたように確実に「嘉麟樓」のものではなし。香港で出会ったものでもなし。
焦げ茶の焼き色なのは、下拵えの調味料、仕込みの加減や按配。
それに念入りに、というよりも火を通しすぎ、焼き過ぎの嫌いがないでもない。
ぱさついた肉質がそれを物語ってます。味付けはしっかり。
なのに、焼きすぎの感ありで、風味が乏しい。
「あ、そうだ「赤阪璃宮」の焼き物の味に似てる!」と思い当たったのは、「鹹魚鶏粒豆腐煲」を食べてる最中のことでした。
前述の通り「赤阪璃宮」には譚さんが香港から呼び寄せた頑固な焼き物専門の職人が。
とはいえ、その人の仕事、技とは思えない。ということからすれば、頑固な職人に習った料理人?
さて、料理。その盛り付け、色合いは美しい。洗練されていて、華があります。
香港のザ・ペニンシュラの「嘉麟樓」の姉妹店、あるいは、香港の味が楽しめるという謳い文句に惹かれて訪れた雰囲気、気分重視の人なら、うっとりすること間違いない。歓声だってあげそうです。
しかし、実質を求める私の目と舌は、そう簡単にはごまかされない。
たとえばえびの豉汁炒めの「豉汁炒中蝦」。(そうそう、もしかして「豉椒蝦球」が正しい料理名かも)。
日本で老舗とされる広東料理を提供する店、それに、一部のホテルの広東料理店など、昔ながらの(日本化された)広東料理を看板にする店でこの種のえびの炒めものを注文すれば、必ずたっぷりのとろ味がついてるもの。
その点、ヘイフンテラスの「豉椒蝦球」のとろみはほんのわずか、うっすらと。豉汁の分量も実に控え目。というあたりは間違いなく香港スタイル。香港の一流のホテルの中国料理店や高級料理店でのこの種の炒めものに特徴的なもので、日本ではなかなかお目にかかれません。
しかし、なにしろ蝦のぶつ切りがでかい。その切り分け、包丁の仕事にまずは「?」。
それに、食べてみると前述の通り「プリ」と弾ける触感じゃなく「ぶりぶり」でしっかり、がっしりの歯応え、噛み応え。活きのえびのはず、なのに特徴的な甘さ、旨味が不足。
さらに「鑊氣」、というのは「鍋の気」、つまり、火を巧みに扱い、一気呵成に調理して素材に火を通し、素材の持ち味、香りを損なわず、風味豊かに仕上げる技術のことですが、その「鑊氣」がないから、風味が乏しい。味付けばかりが目立ちます。
ということでは、素材の吟味、素材の切り分け、下味つけ、調理の「火路」、つまり鍋の技術、火加減のいずれかに、もしくは、すべてに問題あり、というのが私の観察。
この火の通りだと、これも日本人の料理人?
というのが、私の推測。
「豉椒蝦球」を食べながら、ふと頭をよぎったのは、80年代から90年代にかけての京王プラザホテルの「南園」の料理、周富徳さんに次いで謝華顕さんが総料理長を務めるようになってからの「聘珍樓」の料理のこと。もしかして、そのいずれかの系列に属する料理人では?と、思い当たりました。
私の勝手な推察、憶測です!
画像は、毎度、毎度で「あのう、お客様~」と料理撮影禁止ですから。
探し出したのは、マカオのリスボアホテルの中国料理店で食べた「豉椒蝦球」。
以前触れたとおり、マカオの広東料理は香港ほど洗練されておらず、ひなびていて、いなたい。
ですからとろみ付けも香港に比べれば少し厚め。広州の広東料理に近いものがあります。
というわけで、この「豉椒蝦球」、少々寝ぼけた感じ。
おまけに、画像までぼけちゃってます!
それよりも食べた料理のことが頭から離れない。
そうです、料理を食べるたびに「あれ、これ、どっかで食べた味、出会った味」という思いが駆け巡り、頭の隅っこに潜んでいた記憶がもぞもぞと這い出し、甦ることしきり、でしたから。
食べた料理の一品一品を思い出し、思いつく限りのことをノートに記しました。
ちなみに、私の料理のチェック・ポイントは中国料理の要、必須の条件である「色・香・味」に準じたもの。もっとも、中国料理だけに限ったことではありませんが。
まずは、料理の色合い、盛り付け。それから素材の切り分け、下拵え。
一品の料理における素材、副素材の分量の加減、按配です。
そうそう、中国料理といえば大皿にたっぷり、というイメージをお持ちの方が多いはず。もっとも、香港はもとより中国本土での本格的な宴会料理では、一皿の分量はきっちり。
8種、あるいは16種の前菜などは、それぞれが綺麗に美しく盛り付けられてます。
大菜はじめ、大皿で運ばれる料理にしても、一皿の分量は美的に盛り付けられ、主素材、副素材の分量、按配なども過不足がない。
どさっと大盛り、てんこ盛りなのは、惣菜的な料理、それに家庭の惣菜ぐらいなもの、じゃないでしょうか。
そして、盛り付け、素材の切り分け、素材の分量などの見た目に続いては、実際に食べてみての舌触り、歯触りといった触感。
つまり、滑らかさ、硬さや、軟らかさ。
滑らかさは、唇、舌触りの滑らかさ。中国料理にとろみがついてることが多いのも、滑らかさを重視してのこと。
硬さで言えば、さくさく感にぱりぱり感などの歯切れのよさ、歯応えの爽快感。それに弾力や噛み応えってことになります。
軟らかさということなら、すっきり感、ねっとり感、舌にとろける感じや、こってりとしていてこくのある感じ、といった按配です。
それから味付け、調理、火の通りの加減。そして料理そのものの味わい、それに風味、そう香りですね。匂いではありません。それについてはいずれまた。それから後味、といったところです。
「え~!? そんなこと観察しながら食べてんの?面倒だね。なの、食事なんかちっとも楽しめないじゃん!」と、あきれられるかも、ですね。
いや、なに、書き並べたからこそ、そんな風に思われるだけのこと。
食事は楽しむもの、というのが私の基本。
外食ってことになると、最低でもかみさんと一緒。もしくは、仲間と一緒。会話をはさみながら、時にはワイワイガヤガヤと騒ぎながら、食事を楽しんでます。
しかし、目の前に皿が置かれた途端、さっと料理に目をやり、瞬時にそれを観察。
会話の合間に料理を口に運び、味わいながら、先にあげたようなことをきっちりチェック。
香港で食のフィールドワークを始めるようになって以来、慣れと言いますか、いつの間にか身についてしまった習性のようなもの。たいてい瞬時に観察、察知します。
とはいうものの、会話を交わしながら食事を楽しんでる時に、いきなりセンサーが稼動しはじめることがある。たまに、料理にはまって自分ひとりだけの世界に没頭し、周りに人がいることを忘れてしまうこともあります。
哀しい性、と言われればそうかもしれませんが、早い話、オタクですから、それを楽しんじゃったりしてます。
ヘイフンテラスで食事した時には、料理を食べるたび「あれ?これ、どっかで食べた味、出会った味!」と、頭の隅っこに潜んでいた記憶が、もぞもぞと這い出した。
記憶センサーが稼動しはじめたってわけです。
たとえば、最初の焼き物の焼鴨の味付け、焼き方、焦げ茶の焼き色、仕上がりの味加減。
前述してきたように確実に「嘉麟樓」のものではなし。香港で出会ったものでもなし。
焦げ茶の焼き色なのは、下拵えの調味料、仕込みの加減や按配。
それに念入りに、というよりも火を通しすぎ、焼き過ぎの嫌いがないでもない。
ぱさついた肉質がそれを物語ってます。味付けはしっかり。
なのに、焼きすぎの感ありで、風味が乏しい。
「あ、そうだ「赤阪璃宮」の焼き物の味に似てる!」と思い当たったのは、「鹹魚鶏粒豆腐煲」を食べてる最中のことでした。
前述の通り「赤阪璃宮」には譚さんが香港から呼び寄せた頑固な焼き物専門の職人が。
とはいえ、その人の仕事、技とは思えない。ということからすれば、頑固な職人に習った料理人?
さて、料理。その盛り付け、色合いは美しい。洗練されていて、華があります。
香港のザ・ペニンシュラの「嘉麟樓」の姉妹店、あるいは、香港の味が楽しめるという謳い文句に惹かれて訪れた雰囲気、気分重視の人なら、うっとりすること間違いない。歓声だってあげそうです。
しかし、実質を求める私の目と舌は、そう簡単にはごまかされない。
たとえばえびの豉汁炒めの「豉汁炒中蝦」。(そうそう、もしかして「豉椒蝦球」が正しい料理名かも)。
日本で老舗とされる広東料理を提供する店、それに、一部のホテルの広東料理店など、昔ながらの(日本化された)広東料理を看板にする店でこの種のえびの炒めものを注文すれば、必ずたっぷりのとろ味がついてるもの。
その点、ヘイフンテラスの「豉椒蝦球」のとろみはほんのわずか、うっすらと。豉汁の分量も実に控え目。というあたりは間違いなく香港スタイル。香港の一流のホテルの中国料理店や高級料理店でのこの種の炒めものに特徴的なもので、日本ではなかなかお目にかかれません。
しかし、なにしろ蝦のぶつ切りがでかい。その切り分け、包丁の仕事にまずは「?」。
それに、食べてみると前述の通り「プリ」と弾ける触感じゃなく「ぶりぶり」でしっかり、がっしりの歯応え、噛み応え。活きのえびのはず、なのに特徴的な甘さ、旨味が不足。
さらに「鑊氣」、というのは「鍋の気」、つまり、火を巧みに扱い、一気呵成に調理して素材に火を通し、素材の持ち味、香りを損なわず、風味豊かに仕上げる技術のことですが、その「鑊氣」がないから、風味が乏しい。味付けばかりが目立ちます。
ということでは、素材の吟味、素材の切り分け、下味つけ、調理の「火路」、つまり鍋の技術、火加減のいずれかに、もしくは、すべてに問題あり、というのが私の観察。
この火の通りだと、これも日本人の料理人?
というのが、私の推測。
「豉椒蝦球」を食べながら、ふと頭をよぎったのは、80年代から90年代にかけての京王プラザホテルの「南園」の料理、周富徳さんに次いで謝華顕さんが総料理長を務めるようになってからの「聘珍樓」の料理のこと。もしかして、そのいずれかの系列に属する料理人では?と、思い当たりました。
私の勝手な推察、憶測です!
画像は、毎度、毎度で「あのう、お客様~」と料理撮影禁止ですから。
探し出したのは、マカオのリスボアホテルの中国料理店で食べた「豉椒蝦球」。
以前触れたとおり、マカオの広東料理は香港ほど洗練されておらず、ひなびていて、いなたい。
ですからとろみ付けも香港に比べれば少し厚め。広州の広東料理に近いものがあります。
というわけで、この「豉椒蝦球」、少々寝ぼけた感じ。
おまけに、画像までぼけちゃってます!
2008/03/19
ヘイフンテラスの謎と不思議の10
香港ではよくあること?
お客様の方がよくご存知のはずじゃないか…なあ?
ですか?
………………………?
耳を疑いました。
何がなんだか把握しかねて、いったい、黒服の女史、何が言いたいのかと、思わず頭の中で黒服の女史の言葉を反復、咀嚼。
黒服の女史のにこやかで満足気な笑顔には、懐に隠し持った切れ味鋭い小刀で、グサっと胸をひと刺し、というだけでは物足りずに小刀をえぐりまわし「ムフ、仕留めた!」とばかり、その手応えに打ち震え、興奮し、恍惚とした快感までもが、ない交ぜになったような様子もありあり。
冷静で落ち着き払った慇懃な語り口は、自信に満ち溢れたものでした。
香港では、魚の腹を開いて魚を蒸すのは、別に珍しいことでもなんでもない、ってこと?
それに、香港にお出かけなら、ご存知のはずだ、ってこと?
そうか、「お客様がご存知ないだけ、じゃないでしょうか!」って意味なわけですか?
そうか、そういうことか。
それこそ、彼女が一番言いたかったことだったのだ、ってことに気づきました。
総料理長なのか料理長なのか、誰が言ったのか、その言葉を代弁して我らに伝えてくれた「よくご存知のはずじゃないか…なあ」という、「か」と「なあ」の独特の間合い、含みのあるニュアンスにとんだ表現が、それを如実に物語る。
胸の痞えなどではなく、腹に据えかねた思いを口に出せてか、黒服の女史のにこやかな笑顔は、すっきりとしていて実に爽やか!
意趣返し、ってやつですか?
それにしても、何でまた、何のために?
「なるほど!」と、私。
「でも、私はそんなの、知らないなあ!
ま、あの、さっきも言いましたが、「麒麟」って料理方法の時には、魚の腹を割いて、切り目を入れて蒸すってのは知ってますが……」。
ひと呼吸置いて
「そんなもんですか」
と、私は投げやりに生返事。
そういえば、料理コンクールの受賞料理の資料写真で、魚の腹を開き、色々なものを乗っけ、蒸した料理を見かけたことはある。が、実際に食べたこともなければ、出会ったこともない。というより、私はその種の料理に興味はおろか関心もありません。
「私の出かける料理店では、まあ、一応の店、なんですが、蒸し魚って言うと、丸ごと一匹、そんまま蒸して出す。(魚の)腹を割いて蒸したのには、出会ったことがないなあ。それに(魚の)腹を割いて魚を蒸す料理を出す店と言えば……」と、続けようかと思った話もやめちゃいました。
そこはぐっと我慢、っていうよりも、黒服の女史の言葉が頭をよぎり、その言葉にあきれ返って「こりゃ、これ以上、話しても無駄、話にもなんないワ」、と匙を投げた格好で。
「あれって、非は頑として認めないってことですね!」
と、ホテルを出た途端、友人の連れがポツリ。
それを聞いて、思わず「グフッ」と私。
誰の見た目にも明らかな黒服の女史の頑なさ、意思の強さ。
「いいじゃないですか、あの頑張り様が。逞しくって、意気盛んで意欲的。負けん気が強いとこが、頼もしくって、いいじゃないですか!」、と私。
いや、ほんと、そう思いました。かわゆくて、まぶしいくらい、だと!
とはいえ、意気盛ん、意欲的で、負けん気が強くっても、懲りない人、だけじゃなくって、堪え性がないから、ついつい、余計な一言。腹に据えかね、たまりたまった鬱憤をなんとか晴らしたい、という思いに駆られていたんでしょう。
黒服の女史、その役割と立場上、感情を抑え、露骨な表現は避け、遠まわしに、婉曲に、という心積もりが、あったのかどうか。
ともあれ、負けん気の強さ、堪え性のなさゆえに、丁寧な言葉遣い、慇懃な態度ながら、露骨でぶしつけな物言いになってしまった、なんてことご当人、微塵だに思ってはいないはず。
それにしても「よくご存知のはずじゃないか…なあ」とは実に強烈。
ちょーインパクトのある言葉です。
それも、友人の連れが語る「非を認めない」ってことより、黒服の女史、自身、それに店の正当性を主張することしか念頭になかったのに違いない。
「ヘイフンテラス」を誇りに思い、その一員、スタッフであることを誇りに思う姿勢と態度は立派です。 が、その頑張り、踏ん張りにもかかわらず、当方の疑問、質問に対しての回答は、なんだか要領を得ない。思い込みの深さ、激しさゆえ、なんでしょうか。
それより、「まさか、「ヘイフンテラス」の料理が否定されるとは!」、という熱い義憤の念に駆られての言動か。
確かに、魚の腹を割いた調理が、火を通しすぎることになった要因ではないかと私は指摘しました。
しかし、腹を割いた調理は、単なる要因ではないかというのは私の見解、個人的な意見。
それよりも、料理そのものの出来栄えが私にとっては肝心な問題。
下拵えはどうあれ、蒸し加減そのもの、その見極めの甘さ。
それに、しっかりした味付けながらも、風味が乏しい。
その要因を探れば、料理人の技量や調理、それ以前に、料理に対する姿勢に関わってくる問題ですが、それについての見解、その回答とは思えない予想外の言葉です。
なにしろ「香港ではよくあること」、「お客の方がよくご存知のはずじゃないか…なあ」、ですから。
画像は、そうです「あのう、お客様~」と、料理撮影禁止。
なんて繰り返してたら、テーマに則した画像が見つからない。
ということで、デザートを一品。
鏞記の舊式馬拉糕。素朴な甘さがたまらない昔懐かしい馬拉糕です。
お客様の方がよくご存知のはずじゃないか…なあ?
ですか?
………………………?
耳を疑いました。
何がなんだか把握しかねて、いったい、黒服の女史、何が言いたいのかと、思わず頭の中で黒服の女史の言葉を反復、咀嚼。
黒服の女史のにこやかで満足気な笑顔には、懐に隠し持った切れ味鋭い小刀で、グサっと胸をひと刺し、というだけでは物足りずに小刀をえぐりまわし「ムフ、仕留めた!」とばかり、その手応えに打ち震え、興奮し、恍惚とした快感までもが、ない交ぜになったような様子もありあり。
冷静で落ち着き払った慇懃な語り口は、自信に満ち溢れたものでした。
香港では、魚の腹を開いて魚を蒸すのは、別に珍しいことでもなんでもない、ってこと?
それに、香港にお出かけなら、ご存知のはずだ、ってこと?
そうか、「お客様がご存知ないだけ、じゃないでしょうか!」って意味なわけですか?
そうか、そういうことか。
それこそ、彼女が一番言いたかったことだったのだ、ってことに気づきました。
総料理長なのか料理長なのか、誰が言ったのか、その言葉を代弁して我らに伝えてくれた「よくご存知のはずじゃないか…なあ」という、「か」と「なあ」の独特の間合い、含みのあるニュアンスにとんだ表現が、それを如実に物語る。
胸の痞えなどではなく、腹に据えかねた思いを口に出せてか、黒服の女史のにこやかな笑顔は、すっきりとしていて実に爽やか!
意趣返し、ってやつですか?
それにしても、何でまた、何のために?
「なるほど!」と、私。
「でも、私はそんなの、知らないなあ!
ま、あの、さっきも言いましたが、「麒麟」って料理方法の時には、魚の腹を割いて、切り目を入れて蒸すってのは知ってますが……」。
ひと呼吸置いて
「そんなもんですか」
と、私は投げやりに生返事。
そういえば、料理コンクールの受賞料理の資料写真で、魚の腹を開き、色々なものを乗っけ、蒸した料理を見かけたことはある。が、実際に食べたこともなければ、出会ったこともない。というより、私はその種の料理に興味はおろか関心もありません。
「私の出かける料理店では、まあ、一応の店、なんですが、蒸し魚って言うと、丸ごと一匹、そんまま蒸して出す。(魚の)腹を割いて蒸したのには、出会ったことがないなあ。それに(魚の)腹を割いて魚を蒸す料理を出す店と言えば……」と、続けようかと思った話もやめちゃいました。
そこはぐっと我慢、っていうよりも、黒服の女史の言葉が頭をよぎり、その言葉にあきれ返って「こりゃ、これ以上、話しても無駄、話にもなんないワ」、と匙を投げた格好で。
「あれって、非は頑として認めないってことですね!」
と、ホテルを出た途端、友人の連れがポツリ。
それを聞いて、思わず「グフッ」と私。
誰の見た目にも明らかな黒服の女史の頑なさ、意思の強さ。
「いいじゃないですか、あの頑張り様が。逞しくって、意気盛んで意欲的。負けん気が強いとこが、頼もしくって、いいじゃないですか!」、と私。
いや、ほんと、そう思いました。かわゆくて、まぶしいくらい、だと!
とはいえ、意気盛ん、意欲的で、負けん気が強くっても、懲りない人、だけじゃなくって、堪え性がないから、ついつい、余計な一言。腹に据えかね、たまりたまった鬱憤をなんとか晴らしたい、という思いに駆られていたんでしょう。
黒服の女史、その役割と立場上、感情を抑え、露骨な表現は避け、遠まわしに、婉曲に、という心積もりが、あったのかどうか。
ともあれ、負けん気の強さ、堪え性のなさゆえに、丁寧な言葉遣い、慇懃な態度ながら、露骨でぶしつけな物言いになってしまった、なんてことご当人、微塵だに思ってはいないはず。
それにしても「よくご存知のはずじゃないか…なあ」とは実に強烈。
ちょーインパクトのある言葉です。
それも、友人の連れが語る「非を認めない」ってことより、黒服の女史、自身、それに店の正当性を主張することしか念頭になかったのに違いない。
「ヘイフンテラス」を誇りに思い、その一員、スタッフであることを誇りに思う姿勢と態度は立派です。 が、その頑張り、踏ん張りにもかかわらず、当方の疑問、質問に対しての回答は、なんだか要領を得ない。思い込みの深さ、激しさゆえ、なんでしょうか。
それより、「まさか、「ヘイフンテラス」の料理が否定されるとは!」、という熱い義憤の念に駆られての言動か。
確かに、魚の腹を割いた調理が、火を通しすぎることになった要因ではないかと私は指摘しました。
しかし、腹を割いた調理は、単なる要因ではないかというのは私の見解、個人的な意見。
それよりも、料理そのものの出来栄えが私にとっては肝心な問題。
下拵えはどうあれ、蒸し加減そのもの、その見極めの甘さ。
それに、しっかりした味付けながらも、風味が乏しい。
その要因を探れば、料理人の技量や調理、それ以前に、料理に対する姿勢に関わってくる問題ですが、それについての見解、その回答とは思えない予想外の言葉です。
なにしろ「香港ではよくあること」、「お客の方がよくご存知のはずじゃないか…なあ」、ですから。
画像は、そうです「あのう、お客様~」と、料理撮影禁止。
なんて繰り返してたら、テーマに則した画像が見つからない。
ということで、デザートを一品。
鏞記の舊式馬拉糕。素朴な甘さがたまらない昔懐かしい馬拉糕です。
2008/03/13
ヘイフンテラスの謎と不思議の9
白服のアテンド君に黒服の女史を呼んでくれるようパシって貰ったものの、黒服の女史はなかなか現れない。
そんな間に、注文した料理はすべて登場ということで、締めくくりを麵にするか飯にするか。
それとも、ブランチってこともあるし「甜品」で締めくくり?
なんて話になって、白服のアテンド君に「甜品」のメニューを頼みました。
「甜品」のメニューを見ても、正直、さほどそそられるものはなし。
テーブル仲間の友人も、どうやら同じ思いだった様子。
「やはり、黒服の女史がいないと要領を得ませんね!」と、友人。
そこに現れました、黒服の女史。
にこやかな笑みを浮かべてテーブルサイドに立つ彼女に笑顔で話しかけようとしたものの、やはり、わだかまりが再び頭をもたげはじめる。
甜品の相談は後回しだ。
「あのう~」と切り出す私。
ひと呼吸置いて
「この蒸し魚、火が通り過ぎ、だと思うんだけど」。
ということで、蒸し魚の身の状態、仔細を説明。
「魚を開いて蒸してるから、火が通りすぎるんじゃないかな?」
ということで、腹を開いての料理についての私なりの見解を説明。
ま、黒服の女史に説明するうちに、いつしか持論をまくしたて、いささか興奮気味になったのは事実です。が、それでも、一応のことは説明しました。
「は?」と黒服の女史。一向に動じない様子です。
とはいうものの、ジワジワにじり寄っていく私の気配を察してか、「一本釣り」、「釣り針」話を誇らしく我々に語りかけてくれた時の表情はどこへやら、次第に緊張の面持へと変わっていく。
というより、いきなりの私の言葉に「引いた」様子、ありあり。
ひと呼吸おいて、尋ねました。
「香港の料理人なら、ここまで蒸さずにこの手前で止めて、火が通ってても生な感じを残しているような。
ほら、特に中骨の身のあたりの火の通りの加減、按配。
それが、腹を裂いて蒸してるから、蒸し過ぎ、火が通りすぎになるんじゃないですか?
それより、この蒸し魚、もしかして、日本人の料理人が蒸したんじゃないの?
火が通り過ぎて、タイミングを外してるみたいなんだけど……違いますか?」
と、思っていたことを口にしてしまえばわだかまりも失せ、落ち着きを取り戻し始める私です。
尋ねたかったのは、日本人の料理人が蒸したのかどうか、という事実関係。
といって、誤解のないように。日本人の中国料理人の存在を否定しているわけではありません。
日本人の中国料理人には、一般的に言って独特のスタイル、個性なり持ち味がある。それはそれで面白く、日本独自の中国料理を形成する大きな要因にもなってます。
ですが、ここはやはり香港と同じ料理、味を提供、というのが看板(だったはず)の「ヘイフンテラス」ですから、一言、物申し上げたい心境にもなる。
それより、香港からやってきた総料理長って、提供する料理の味、風味の確認、管理をしないのか? 総料理長のもとで働く日本人のスタッフに、何故、本場の技術、方法論を教えないのか?というのが疑問の根底にある理由です。
もっとも、私、小言ぢぢいなもんで、言葉、表現は直接的すぎてきつかったかも。
といって、反省する私でもありませんけど。
沈黙の黒服の女史。
さらに続けて
「で、あの、料理が冷めちゃってて・・・」と、私。
その言葉を耳した途端、すかさず
「あのう、ここに持ってまいりました時は、(私の)手では持てないぐらい、お皿が熱かったんですが!」と、機を逃さず、言葉を返してくる黒服の女史。
きっぱり、毅然とした物言い。それも、激しさをしっかり内に秘めた強い自己主張が汲み取れる。
そうです、言い訳や申し開きなどではない。
「お客様、お忘れなのですか?」と、暗にほのめかすどころか、今にも言い出しかねないほど、いささか険しさが入り混じり始めた表情、語気の強さに、思わずたじろぎそうになったりして!
わお、返り討ちにあいそうだ!
これでまた、黒服の女史のファンが一気に増えるかも!
なんて、自分でツッコンで、ボケてる場合でもないんですが。
「あ、そうか!私の言い方が悪かったのね。言葉足りずですんません」、
などと思ってももちろん、口には出しません。
私が言いたかったのは、料理をテーブルの上に置いておくなら、料理が冷めない工夫が出来ないのか、てことなんですが。
すんませんね、黒服の女史。
それでなくとも、我らがテーブルの人数分からすれば料理の分量は遙かに超過した、大きな皿によろそわれた大きな魚の料理です。
一回でそのすべては取り分けられない。
当然、大きな皿に料理が残る。食べていくうちに、大きな皿に残った料理が冷めていくのは当然のことでしょう。
そんな大きな皿に乗ったままの料理を、テーブルに運ばれてきたままの熱い状態で、とは言わないにしても、2碗目の料理も熱いまま、温かいままで食べられるように工夫ができないものか。
それも、私が考えるサービスの基本のひとつです。
香港の一応の店なら、「嘉麟樓」もそうですが、テーブルの人数分、取り分けて料理が皿や土鍋に残ったら、そのまんま放置、なんてことはありえない。
ことに土鍋の炒め煮込みの煲仔など、ウォーマー、って早い話がカセットコンロだったりしますけど、必ず用意がしてあるもんです。
黒服の女史、そんなことに思いも至らない様子。
それより、テーブルに運んだ時には料理は熱かったのだと、いわば自身の正当性を主張することしか頭にないことは、その表情からもありありとうかがえる。
こりゃ、あかんワ、見込み無し。
ウォーマーのことを話してみても、おそらく、聞く耳はもたず。
それに、サービスの基本についても、、、、と。
サービスのことはあきらめて、
「この料理、蒸したのは日本人の料理人ですか?」と、しつこく食い下がる私。
ほんのわずかな沈黙の後で
「はい……そうです……」と、
黒服の女史のトーンは一気に下がる。
食事を終え、食後のお茶を飲んでしばらく、入り口そばのウェイティング・ルームに場所を移し、食後のコーヒー。
話が弾んで、コーヒーをお代わり。水もお代わり。
しばらくして、そこに黒服の女史が登場。
「申し訳けございませんが、夜の食事の準備がございますので、そろそろ……」、と。
無言のままでエレベーターに案内してくれる黒服の女史。
エレベーター・ホールでエレベーターの到着待ち。
「料理、魚料理以外は、いい感じですね」と、お世辞を述べる私。
「そうだね、いい感じじゃない?」と、相槌を打つ友人。
「有難うございます」と、一礼する黒服の女史。
「それで、魚を開いて蒸す料理方法なんですが・・・」
と、話し始めた黒服の女史・・・・・・。
「あのう、香港ではよくあることですし、お客様の方がよくご存知のはずじゃないか…なあ、とのことでした」
と、にんまり。
止めの言葉をさらりと口にして、黒服の女史の表情はすっきりとした様子。
もちろん、勝ち誇ったような表情だったことは言うまでもありません。
画像は、いつも変わらず「あのう、お客様~」と料理撮影禁止ですから。探し出したのは、香港のレストランの玄関脇の水槽で泳ぐ魚達。(撮影 ヒロミ・ローソン=笹本)。
そんな間に、注文した料理はすべて登場ということで、締めくくりを麵にするか飯にするか。
それとも、ブランチってこともあるし「甜品」で締めくくり?
なんて話になって、白服のアテンド君に「甜品」のメニューを頼みました。
「甜品」のメニューを見ても、正直、さほどそそられるものはなし。
テーブル仲間の友人も、どうやら同じ思いだった様子。
「やはり、黒服の女史がいないと要領を得ませんね!」と、友人。
そこに現れました、黒服の女史。
にこやかな笑みを浮かべてテーブルサイドに立つ彼女に笑顔で話しかけようとしたものの、やはり、わだかまりが再び頭をもたげはじめる。
甜品の相談は後回しだ。
「あのう~」と切り出す私。
ひと呼吸置いて
「この蒸し魚、火が通り過ぎ、だと思うんだけど」。
ということで、蒸し魚の身の状態、仔細を説明。
「魚を開いて蒸してるから、火が通りすぎるんじゃないかな?」
ということで、腹を開いての料理についての私なりの見解を説明。
ま、黒服の女史に説明するうちに、いつしか持論をまくしたて、いささか興奮気味になったのは事実です。が、それでも、一応のことは説明しました。
「は?」と黒服の女史。一向に動じない様子です。
とはいうものの、ジワジワにじり寄っていく私の気配を察してか、「一本釣り」、「釣り針」話を誇らしく我々に語りかけてくれた時の表情はどこへやら、次第に緊張の面持へと変わっていく。
というより、いきなりの私の言葉に「引いた」様子、ありあり。
ひと呼吸おいて、尋ねました。
「香港の料理人なら、ここまで蒸さずにこの手前で止めて、火が通ってても生な感じを残しているような。
ほら、特に中骨の身のあたりの火の通りの加減、按配。
それが、腹を裂いて蒸してるから、蒸し過ぎ、火が通りすぎになるんじゃないですか?
それより、この蒸し魚、もしかして、日本人の料理人が蒸したんじゃないの?
火が通り過ぎて、タイミングを外してるみたいなんだけど……違いますか?」
と、思っていたことを口にしてしまえばわだかまりも失せ、落ち着きを取り戻し始める私です。
尋ねたかったのは、日本人の料理人が蒸したのかどうか、という事実関係。
といって、誤解のないように。日本人の中国料理人の存在を否定しているわけではありません。
日本人の中国料理人には、一般的に言って独特のスタイル、個性なり持ち味がある。それはそれで面白く、日本独自の中国料理を形成する大きな要因にもなってます。
ですが、ここはやはり香港と同じ料理、味を提供、というのが看板(だったはず)の「ヘイフンテラス」ですから、一言、物申し上げたい心境にもなる。
それより、香港からやってきた総料理長って、提供する料理の味、風味の確認、管理をしないのか? 総料理長のもとで働く日本人のスタッフに、何故、本場の技術、方法論を教えないのか?というのが疑問の根底にある理由です。
もっとも、私、小言ぢぢいなもんで、言葉、表現は直接的すぎてきつかったかも。
といって、反省する私でもありませんけど。
沈黙の黒服の女史。
さらに続けて
「で、あの、料理が冷めちゃってて・・・」と、私。
その言葉を耳した途端、すかさず
「あのう、ここに持ってまいりました時は、(私の)手では持てないぐらい、お皿が熱かったんですが!」と、機を逃さず、言葉を返してくる黒服の女史。
きっぱり、毅然とした物言い。それも、激しさをしっかり内に秘めた強い自己主張が汲み取れる。
そうです、言い訳や申し開きなどではない。
「お客様、お忘れなのですか?」と、暗にほのめかすどころか、今にも言い出しかねないほど、いささか険しさが入り混じり始めた表情、語気の強さに、思わずたじろぎそうになったりして!
わお、返り討ちにあいそうだ!
これでまた、黒服の女史のファンが一気に増えるかも!
なんて、自分でツッコンで、ボケてる場合でもないんですが。
「あ、そうか!私の言い方が悪かったのね。言葉足りずですんません」、
などと思ってももちろん、口には出しません。
私が言いたかったのは、料理をテーブルの上に置いておくなら、料理が冷めない工夫が出来ないのか、てことなんですが。
すんませんね、黒服の女史。
それでなくとも、我らがテーブルの人数分からすれば料理の分量は遙かに超過した、大きな皿によろそわれた大きな魚の料理です。
一回でそのすべては取り分けられない。
当然、大きな皿に料理が残る。食べていくうちに、大きな皿に残った料理が冷めていくのは当然のことでしょう。
そんな大きな皿に乗ったままの料理を、テーブルに運ばれてきたままの熱い状態で、とは言わないにしても、2碗目の料理も熱いまま、温かいままで食べられるように工夫ができないものか。
それも、私が考えるサービスの基本のひとつです。
香港の一応の店なら、「嘉麟樓」もそうですが、テーブルの人数分、取り分けて料理が皿や土鍋に残ったら、そのまんま放置、なんてことはありえない。
ことに土鍋の炒め煮込みの煲仔など、ウォーマー、って早い話がカセットコンロだったりしますけど、必ず用意がしてあるもんです。
黒服の女史、そんなことに思いも至らない様子。
それより、テーブルに運んだ時には料理は熱かったのだと、いわば自身の正当性を主張することしか頭にないことは、その表情からもありありとうかがえる。
こりゃ、あかんワ、見込み無し。
ウォーマーのことを話してみても、おそらく、聞く耳はもたず。
それに、サービスの基本についても、、、、と。
サービスのことはあきらめて、
「この料理、蒸したのは日本人の料理人ですか?」と、しつこく食い下がる私。
ほんのわずかな沈黙の後で
「はい……そうです……」と、
黒服の女史のトーンは一気に下がる。
食事を終え、食後のお茶を飲んでしばらく、入り口そばのウェイティング・ルームに場所を移し、食後のコーヒー。
話が弾んで、コーヒーをお代わり。水もお代わり。
しばらくして、そこに黒服の女史が登場。
「申し訳けございませんが、夜の食事の準備がございますので、そろそろ……」、と。
無言のままでエレベーターに案内してくれる黒服の女史。
エレベーター・ホールでエレベーターの到着待ち。
「料理、魚料理以外は、いい感じですね」と、お世辞を述べる私。
「そうだね、いい感じじゃない?」と、相槌を打つ友人。
「有難うございます」と、一礼する黒服の女史。
「それで、魚を開いて蒸す料理方法なんですが・・・」
と、話し始めた黒服の女史・・・・・・。
「あのう、香港ではよくあることですし、お客様の方がよくご存知のはずじゃないか…なあ、とのことでした」
と、にんまり。
止めの言葉をさらりと口にして、黒服の女史の表情はすっきりとした様子。
もちろん、勝ち誇ったような表情だったことは言うまでもありません。
画像は、いつも変わらず「あのう、お客様~」と料理撮影禁止ですから。探し出したのは、香港のレストランの玄関脇の水槽で泳ぐ魚達。(撮影 ヒロミ・ローソン=笹本)。
2008/03/06
ヘイフンテラスの謎と不思議の8
口を真一文字に結び、両手で抱え持つのではなく、両手をうんと伸ばし気味にして大皿をしっかりと手にし、我らがテーブルに運んで来る黒服の女史。
大皿を見下ろし、足先を確かめながら慎重な足運び。その緊張した表情が物語る緊迫感。
我が友人が最大の楽しみにしていた蒸し魚料理の「清蒸紅斑」のお出ましです。
「お~!」と、どよめきが上がります。
「来た、来た!」と、はしゃぐ喜びの声。
が、それも、大皿を目の前にした途端
「?????」。
一瞬の沈黙。
テーブルの上を天使が通り抜けた!
大皿から尻尾が(少しばかり)はみだすくらいのでっかさ。
ひれの上あたりに香草。身の半分、尾を隠すようにして、たっぷりの(丁寧な仕事ぶりに見えて、切り方が不揃いなものもある)白髪ねぎ。
「?????」と一瞬の沈黙の訳は、なんとでっかい魚、頭から尻尾まで、腹の部分を切り開いてありました。口あけてあんぐり、あっぷあっぷ状態の干し魚さながら、「開き」の状態で蒸されていたからです。
唖然!
呆然!
開いた口がふさがらない。それは私だけではなかった様子です。
沈黙を破って「あのう!」と、私が一言。
「こうやって、開いて蒸すわけですか、魚?」。
黒服の女史、すっと背筋を伸ばし、顎を上げ気味にして
「ええ!」と、自信たっぷりな面持ちで
「一本釣りの魚を使っておりますので、針がありましたらいけませんので!」
と、きっぱり!
「?????」
再び天使がテーブルの上を通り抜けた!
「一本釣り?」、「針?」と、黒服の女史に確かめるように尋ねる私の言葉に
「「野田岩のうなぎ」、、、ですか?」と、友人がボソ!
その言葉に連られて、思わず私は、グフ!
白焼きはともかくうなぎ、蒲焼は滅多に食べない、
というよりも食べられない私は、「野田岩」にでかけたことがありません。
ですが「野田岩」の箸袋には「針にご注意を」なんて注意書きが記されてる、
という話はあまりにも有名。
「なの、魚が針先のエサに喰くらいついて針を飲み込んだとして、口の中か、せいぜい届いて砂擂り裏の内臓あたり。身の下半分、背筋にびしっと肉が張り付いてるあたりまで、どうやって針が届くもんなんでしょう?」
なんて思っても、そこはぐっと我慢。
碗仔に取り分けられた魚、紅斑の持ち味そのまま、「ほろり、はらり」と身が崩れる。
脂が乗っていて、唇、舌にまつわるとろりのねっとり感がたまらない。
味付けは、しっかり。少々、醤油味が立ちすぎの感あり。
ですが、脂がのっているのでさほど気にならない。
ところが、部分によっては身が「ぼろり、ばらり」。
「火が、通りすぎ?」、と思ったが、そこはぐっと我慢。
蒸し魚は、なんといっても、頭が美味。
頭の骨にむしゃぶりつき、身を舌でえり分けながら食べる快感、美味こそは、なによりもの醍醐味。
脂の乗った砂擂りあたり、鰭のついてる部分のとろける味わいも格別です。
中骨あたりは、うっすらと身の色が変わり、火が通っていながら「ほろり、はらり」の粗さのある肉質ながら「しゅわ」とした触感を残している、というのが私の好み。
ことに「紅斑」はじめ、各種の「石斑」を蒸し魚にして調理した時の味わいところ。
それが、身の半分を食べ始め、「ほろり、はらり」ではなく、「ぼろり、ばらり」。
しかも、身が崩れるのではなく、身がごそっとはがれる、のは何故?
それに、味はしっかりでも、「香」、「風味」が飛んじゃってます。
やっぱり、火の通しすぎ?
腹をまっぷたつに開いて、蒸したせい?
実は魚の蒸し物、火加減が一番むずかしい。
ことに丸ごと一匹、そのままの形で蒸すとなると、蒸す時間の按配、加減に、熟練の技が必要。
そのための工夫として、腹を開いて魚を蒸す、という方法もあり、
なんて話も聞きました。
蒸してる途中で、蒸篭の蓋をずらし、按配、みるんじゃないでしょうね。
なことしたら、温度が一気にさがりますけど
もちろん、腹を開いて蒸す魚料理がないわけではない。
「麒麟」といって、腹を開いたあとで、身に切り身をいれ、そこに干し椎茸、筍、金華火腿の薄切りなどをはさんで、蒸す料理方法もあります。宴会料理に登場します。
以前、ここで香港の広東料理店におけるキッチン事情、それぞれの役割分担を紹介した際、触れてきたように、蒸し物、土鍋煮込み担当を専門にする「上什」が存在します。
「上什」は、蒸し以外に、干し鮑など、乾燥海鮮素材の戻し、調理の下拵えも担当。
ということからも明らかなように、一応の経験、年季が必要。
蝦の在庫の確認のため、黒服の女史の命を受けてキッチンにパシる白服のアテンド君などには、、、無理な話でしょう。
日本の中国料理店、それも、ホテルのレストランや一応の店が、香港などから料理人を招聘する場合、まずは料理長、それに、その相方か補佐も一緒に、というのが一般的なようです。
たいていの場合、料理長は「鍋」を担当。で、相方となるのは、料理の下拵え、それに、料理の素材調達などの管理を担当する「板」を担う料理人。
そうです。
いくら「鍋」の技に優れていても、「板」の存在なしには、本領を発揮できません。
つまり「鍋」、「板」のコンビ。
それに、飲茶の点心担当の「点心師」を共に招聘、ってこと多いようです。
もっとも、日本で香港などから料理人を招聘する場合、そこまでどまり。
焼き物担当の料理人を招聘、なんてことは滅多にない。
そういえば、赤阪璃宮、譚彦彬さんがオーナー&シェフになって以来、焼き物の担当をわざわざ香港招聘。それが、とっても頑固な職人肌の人間で、とはかつて譚さんからうかがった話。
そんな例は珍しい。
それに、例えばペキンダックの専門店の「全聚徳」が焼き物専門の料理人を招聘、というのは当然な話でしょう。ですが、蒸し物担当の「上什」まで招聘、という話は滅多に耳にしたことがありません。
「ヘイフンテラス」、香港からやってきた料理人については、前述の通り、3人。
てことでしたから、「蒸し物」は総料理長、あるいは、料理長の指導のもと、日本人スタッフが担当、ってのが現実じゃないでしょうか。
「ぼろり、ばらり」だけでなく、魚半分の身、ごそっとはがれていく。
おまけに、料理はどんどん冷めていく。
黒服の女史が緊張しながら、慎重にテーブルに運んで来た頃の料理の熱さは、どこへやら。
骨だけでなく、身のついた魚が残った大皿を前に、なんだか、心にわだかまり。
しかも、わだかまりは次第に大きく膨れ上がっていく。
それまでぐっと我慢だった私も、ついにはこらえきれず、パシリの白服のアテンド君に頼みました。
「あの、黒服の女史、呼んでくれない?」
画像ですが、すんません重ね重ね、って私が悪いんじゃないんですけど。
「あのう、お客様~!」と、料理撮影禁止の「ヘイフンテラス」です。
探し出したのは「チャイニーズ・レストラン・直城」の「張大千干焼魚」。
画家の張大千が好んだ魚の料理方法をもとに、山下直城さんが、工夫とアレンジ。
画像を見るたび、その美味、風味の豊かさ、深い味わいを思い出して、涎がこぼれます。
この料理、いつだって、何回だって食べたいです。
大皿を見下ろし、足先を確かめながら慎重な足運び。その緊張した表情が物語る緊迫感。
我が友人が最大の楽しみにしていた蒸し魚料理の「清蒸紅斑」のお出ましです。
「お~!」と、どよめきが上がります。
「来た、来た!」と、はしゃぐ喜びの声。
が、それも、大皿を目の前にした途端
「?????」。
一瞬の沈黙。
テーブルの上を天使が通り抜けた!
大皿から尻尾が(少しばかり)はみだすくらいのでっかさ。
ひれの上あたりに香草。身の半分、尾を隠すようにして、たっぷりの(丁寧な仕事ぶりに見えて、切り方が不揃いなものもある)白髪ねぎ。
「?????」と一瞬の沈黙の訳は、なんとでっかい魚、頭から尻尾まで、腹の部分を切り開いてありました。口あけてあんぐり、あっぷあっぷ状態の干し魚さながら、「開き」の状態で蒸されていたからです。
唖然!
呆然!
開いた口がふさがらない。それは私だけではなかった様子です。
沈黙を破って「あのう!」と、私が一言。
「こうやって、開いて蒸すわけですか、魚?」。
黒服の女史、すっと背筋を伸ばし、顎を上げ気味にして
「ええ!」と、自信たっぷりな面持ちで
「一本釣りの魚を使っておりますので、針がありましたらいけませんので!」
と、きっぱり!
「?????」
再び天使がテーブルの上を通り抜けた!
「一本釣り?」、「針?」と、黒服の女史に確かめるように尋ねる私の言葉に
「「野田岩のうなぎ」、、、ですか?」と、友人がボソ!
その言葉に連られて、思わず私は、グフ!
白焼きはともかくうなぎ、蒲焼は滅多に食べない、
というよりも食べられない私は、「野田岩」にでかけたことがありません。
ですが「野田岩」の箸袋には「針にご注意を」なんて注意書きが記されてる、
という話はあまりにも有名。
「なの、魚が針先のエサに喰くらいついて針を飲み込んだとして、口の中か、せいぜい届いて砂擂り裏の内臓あたり。身の下半分、背筋にびしっと肉が張り付いてるあたりまで、どうやって針が届くもんなんでしょう?」
なんて思っても、そこはぐっと我慢。
碗仔に取り分けられた魚、紅斑の持ち味そのまま、「ほろり、はらり」と身が崩れる。
脂が乗っていて、唇、舌にまつわるとろりのねっとり感がたまらない。
味付けは、しっかり。少々、醤油味が立ちすぎの感あり。
ですが、脂がのっているのでさほど気にならない。
ところが、部分によっては身が「ぼろり、ばらり」。
「火が、通りすぎ?」、と思ったが、そこはぐっと我慢。
蒸し魚は、なんといっても、頭が美味。
頭の骨にむしゃぶりつき、身を舌でえり分けながら食べる快感、美味こそは、なによりもの醍醐味。
脂の乗った砂擂りあたり、鰭のついてる部分のとろける味わいも格別です。
中骨あたりは、うっすらと身の色が変わり、火が通っていながら「ほろり、はらり」の粗さのある肉質ながら「しゅわ」とした触感を残している、というのが私の好み。
ことに「紅斑」はじめ、各種の「石斑」を蒸し魚にして調理した時の味わいところ。
それが、身の半分を食べ始め、「ほろり、はらり」ではなく、「ぼろり、ばらり」。
しかも、身が崩れるのではなく、身がごそっとはがれる、のは何故?
それに、味はしっかりでも、「香」、「風味」が飛んじゃってます。
やっぱり、火の通しすぎ?
腹をまっぷたつに開いて、蒸したせい?
実は魚の蒸し物、火加減が一番むずかしい。
ことに丸ごと一匹、そのままの形で蒸すとなると、蒸す時間の按配、加減に、熟練の技が必要。
そのための工夫として、腹を開いて魚を蒸す、という方法もあり、
なんて話も聞きました。
蒸してる途中で、蒸篭の蓋をずらし、按配、みるんじゃないでしょうね。
なことしたら、温度が一気にさがりますけど
もちろん、腹を開いて蒸す魚料理がないわけではない。
「麒麟」といって、腹を開いたあとで、身に切り身をいれ、そこに干し椎茸、筍、金華火腿の薄切りなどをはさんで、蒸す料理方法もあります。宴会料理に登場します。
以前、ここで香港の広東料理店におけるキッチン事情、それぞれの役割分担を紹介した際、触れてきたように、蒸し物、土鍋煮込み担当を専門にする「上什」が存在します。
「上什」は、蒸し以外に、干し鮑など、乾燥海鮮素材の戻し、調理の下拵えも担当。
ということからも明らかなように、一応の経験、年季が必要。
蝦の在庫の確認のため、黒服の女史の命を受けてキッチンにパシる白服のアテンド君などには、、、無理な話でしょう。
日本の中国料理店、それも、ホテルのレストランや一応の店が、香港などから料理人を招聘する場合、まずは料理長、それに、その相方か補佐も一緒に、というのが一般的なようです。
たいていの場合、料理長は「鍋」を担当。で、相方となるのは、料理の下拵え、それに、料理の素材調達などの管理を担当する「板」を担う料理人。
そうです。
いくら「鍋」の技に優れていても、「板」の存在なしには、本領を発揮できません。
つまり「鍋」、「板」のコンビ。
それに、飲茶の点心担当の「点心師」を共に招聘、ってこと多いようです。
もっとも、日本で香港などから料理人を招聘する場合、そこまでどまり。
焼き物担当の料理人を招聘、なんてことは滅多にない。
そういえば、赤阪璃宮、譚彦彬さんがオーナー&シェフになって以来、焼き物の担当をわざわざ香港招聘。それが、とっても頑固な職人肌の人間で、とはかつて譚さんからうかがった話。
そんな例は珍しい。
それに、例えばペキンダックの専門店の「全聚徳」が焼き物専門の料理人を招聘、というのは当然な話でしょう。ですが、蒸し物担当の「上什」まで招聘、という話は滅多に耳にしたことがありません。
「ヘイフンテラス」、香港からやってきた料理人については、前述の通り、3人。
てことでしたから、「蒸し物」は総料理長、あるいは、料理長の指導のもと、日本人スタッフが担当、ってのが現実じゃないでしょうか。
「ぼろり、ばらり」だけでなく、魚半分の身、ごそっとはがれていく。
おまけに、料理はどんどん冷めていく。
黒服の女史が緊張しながら、慎重にテーブルに運んで来た頃の料理の熱さは、どこへやら。
骨だけでなく、身のついた魚が残った大皿を前に、なんだか、心にわだかまり。
しかも、わだかまりは次第に大きく膨れ上がっていく。
それまでぐっと我慢だった私も、ついにはこらえきれず、パシリの白服のアテンド君に頼みました。
「あの、黒服の女史、呼んでくれない?」
画像ですが、すんません重ね重ね、って私が悪いんじゃないんですけど。
「あのう、お客様~!」と、料理撮影禁止の「ヘイフンテラス」です。
探し出したのは「チャイニーズ・レストラン・直城」の「張大千干焼魚」。
画家の張大千が好んだ魚の料理方法をもとに、山下直城さんが、工夫とアレンジ。
画像を見るたび、その美味、風味の豊かさ、深い味わいを思い出して、涎がこぼれます。
この料理、いつだって、何回だって食べたいです。
2008/03/05
ヘイフンテラスの謎と不思議の7
「黒服の女史はどうした?どこに行ってしまったの?」と、お問い合わせ。
黒服の女史、今回の「ヘイフンテラスの謎と不思議」の主要な登場人物であることは間違いありません。それが今やファンが存在するほど、いつの間にやら人気、話題が沸騰。主役の料理を食ってしまう勢いです。
そんな黒服の女史、新しい料理が登場するたんび、どこからともなく現れ、にこやかに笑みを浮かべながら、大皿、土鍋に盛られた料理を、まずは我らがテーブルに披露。
にこやかな笑みの奥には「料理撮影禁止!」の鋭い監視の眼差しが! 料理を披露してくれた後はサイドテーブルへ。それを碗仔に取り分けてれます。もっとも、それからのサービスは白服のアテンドのパシリ君。 その後、黒服の女史、我らがテーブルに顔を見せることはない。
「お味、いかがでしょうか?」なんて、尋ねられたこともない。
見放されてしまった、のかもですね。
さて「鹹魚鶏粒豆腐煲」に続いて「金銀蛋上湯浸菠菜」が登場。
家鴨の2種の卵、「皮蛋」と塩漬け卵の「鹹蛋」を使い、炒めたほうれん草にだしの「上湯」を加え、煮浸しにした料理です。
金、銀に例えた2種の卵、翡翠のようなほうれん草の緑が織り成す色彩が、なんとも美しい。食をそそる見事な色あい、美しさです。
中国料理で肝心な「色・香・味」。その「色」、つまり見た目の美しさに、「うあ、すげえ!」と、思わず声を上げた私でした。
「うん、うん」とうなずくテーブル仲間の友人も「旨そうですね!」、と。
今、思い出しても、この日、ヘイフンテラスで食べた料理の中では、間違いなくベストに挙げられる一品でした。
「だし」は穏やかで、優しく、上品。「皮蛋」、「鹹蛋」、それぞれにクセのある特有の持ち味も生かしながら、とんがりがない。
ほうれん草も、特有の鉄分、エグ味よりも青い味がする。素材を生かし「だし」を生かした調理、味付けです。
とはいえ、香港そのままの味かどうかってことについては、やはり「?」が次々に頭の中で飛び跳ねる。 すんません、率直で正直なもんですから。
まず「だし」。
優しく、すっきりとしていて、上品。ですが、こくや深みがない。どっしりとした腰の座りがない。
「上湯」というよりもむしろ「二湯」のような印象に近い。 「香」、「風味」が乏しいですから。
もしかしてこの「だし」で「清湯魚翅」や「紅焼魚翅」?
ということなら、「気仙沼産」、しかも「よしきり」か「もうか」なのか不明のままのふかひれの料理、それら2種のクセのある風味、余程の香り、風味、それに「とろ味」をつけなければ。
残念ながら「ヘフンテラス」でふかひれの料理は未体験。
それに、「ほうれん草」の下拵え、切り分け、処理が、実にざっくばらん、というか、結構乱暴。
間違いなく「丸葉」の西洋種の「ほうれん草」。しかも、葉の部分だけを使ってくれればいいものを「軸」の部位がどっさり。もちろん、赤い根っ子の姿はみえませんが。
ですが、葉から切り離された「軸」の部位、煮浸しでしたから一応の柔らかさ。
噛み締めてだし汁が滲み出るのが、救いといえば救い。
ですが、「ざっくり感」は否めず、唇、舌にザラっとした感触。
これでもし、炒め物を注文したとして、葉の部分はともかく「軸」の部分、はてしてどうなったことやら。
ということでも、煮浸しを注文し、ほっと胸をなで下ろしました。
味付けは穏やかで上品です。 でも「香」、「風味」が乏しい。
味本位な調理を特徴とする日本人の中国料理人に概して共通した「香」、「風味」の乏しさです。
普通の店なら文句もないです。日本人の料理人による中国料理って理解し、納得すればいい話ですし、それはそれで楽しみ方もありますから。
ですが、ここは「香港と同じ味を提供」というのが看板の(はずの)「ヘイフンテラス」。
ま、香港の味に近い料理店、ってことなら、私は一応は及第点。
「金銀蛋上湯浸菠菜」を味わっている間も、黒服の女史は現れず、でした。
画像は、しつこいですけどおなじみ「あの~、お客様」と料理撮影禁止です。
先に別の店の「金銀蛋上湯浸菠菜」を紹介しましたので、なら、黒服女史が「季節ではありませんので」とのことだった「豆苗」の炒めものなど。
ちなみに、「豆苗」ってこともありますけど、使うのは「葉」だけ。「軸」の部分、切り落としてあるってのが、お解かりいただけるかも。
野菜、ことに「青菜」の炒め物。
塩味炒め(「だし」仕上げ)、ニンニク、唐辛子の細切り、「腐乳」や「蝦醤」などの調味料を使った味付け、風味漬け。それに、一気呵成に炒める「鍋」の「火」の扱いが語られますが、実は、そのために一番肝心なのが、野菜の下処理、下拵え。
野菜、特に「青菜」もの、それぞれ「葉」や「軸」だけでなく、尖端か根っ子と、部位、場所によって味が違います。
部位の違うものを同時に鍋にほうりいれ、調理すれば「火」の勢いがあっても、部位、場所によって「触感」、「味」、「風味」が違ってくるのは当然な話。
それを時間差で、つまり、火の通りにくい部位から、順番に鍋に入れる、なんてワザもあるようですけど、一気に炒めるって作業ではそんな悠長なことはやってられない。
そんなことから見逃せないのが、素材の下処理、下拵え。
「葉」の部分、「軸」の部分を切り分け、隠し包丁、でもないですけど、工夫をするのはごく当たり前、当然な話。
かように素材の切り分け、下拵えの「板」の作業は、料理の出来栄え、味、風味を決める、重要なポイント。 その存在と技を見逃せません。
黒服の女史、今回の「ヘイフンテラスの謎と不思議」の主要な登場人物であることは間違いありません。それが今やファンが存在するほど、いつの間にやら人気、話題が沸騰。主役の料理を食ってしまう勢いです。
そんな黒服の女史、新しい料理が登場するたんび、どこからともなく現れ、にこやかに笑みを浮かべながら、大皿、土鍋に盛られた料理を、まずは我らがテーブルに披露。
にこやかな笑みの奥には「料理撮影禁止!」の鋭い監視の眼差しが! 料理を披露してくれた後はサイドテーブルへ。それを碗仔に取り分けてれます。もっとも、それからのサービスは白服のアテンドのパシリ君。 その後、黒服の女史、我らがテーブルに顔を見せることはない。
「お味、いかがでしょうか?」なんて、尋ねられたこともない。
見放されてしまった、のかもですね。
さて「鹹魚鶏粒豆腐煲」に続いて「金銀蛋上湯浸菠菜」が登場。
家鴨の2種の卵、「皮蛋」と塩漬け卵の「鹹蛋」を使い、炒めたほうれん草にだしの「上湯」を加え、煮浸しにした料理です。
金、銀に例えた2種の卵、翡翠のようなほうれん草の緑が織り成す色彩が、なんとも美しい。食をそそる見事な色あい、美しさです。
中国料理で肝心な「色・香・味」。その「色」、つまり見た目の美しさに、「うあ、すげえ!」と、思わず声を上げた私でした。
「うん、うん」とうなずくテーブル仲間の友人も「旨そうですね!」、と。
今、思い出しても、この日、ヘイフンテラスで食べた料理の中では、間違いなくベストに挙げられる一品でした。
「だし」は穏やかで、優しく、上品。「皮蛋」、「鹹蛋」、それぞれにクセのある特有の持ち味も生かしながら、とんがりがない。
ほうれん草も、特有の鉄分、エグ味よりも青い味がする。素材を生かし「だし」を生かした調理、味付けです。
とはいえ、香港そのままの味かどうかってことについては、やはり「?」が次々に頭の中で飛び跳ねる。 すんません、率直で正直なもんですから。
まず「だし」。
優しく、すっきりとしていて、上品。ですが、こくや深みがない。どっしりとした腰の座りがない。
「上湯」というよりもむしろ「二湯」のような印象に近い。 「香」、「風味」が乏しいですから。
もしかしてこの「だし」で「清湯魚翅」や「紅焼魚翅」?
ということなら、「気仙沼産」、しかも「よしきり」か「もうか」なのか不明のままのふかひれの料理、それら2種のクセのある風味、余程の香り、風味、それに「とろ味」をつけなければ。
残念ながら「ヘフンテラス」でふかひれの料理は未体験。
それに、「ほうれん草」の下拵え、切り分け、処理が、実にざっくばらん、というか、結構乱暴。
間違いなく「丸葉」の西洋種の「ほうれん草」。しかも、葉の部分だけを使ってくれればいいものを「軸」の部位がどっさり。もちろん、赤い根っ子の姿はみえませんが。
ですが、葉から切り離された「軸」の部位、煮浸しでしたから一応の柔らかさ。
噛み締めてだし汁が滲み出るのが、救いといえば救い。
ですが、「ざっくり感」は否めず、唇、舌にザラっとした感触。
これでもし、炒め物を注文したとして、葉の部分はともかく「軸」の部分、はてしてどうなったことやら。
ということでも、煮浸しを注文し、ほっと胸をなで下ろしました。
味付けは穏やかで上品です。 でも「香」、「風味」が乏しい。
味本位な調理を特徴とする日本人の中国料理人に概して共通した「香」、「風味」の乏しさです。
普通の店なら文句もないです。日本人の料理人による中国料理って理解し、納得すればいい話ですし、それはそれで楽しみ方もありますから。
ですが、ここは「香港と同じ味を提供」というのが看板の(はずの)「ヘイフンテラス」。
ま、香港の味に近い料理店、ってことなら、私は一応は及第点。
「金銀蛋上湯浸菠菜」を味わっている間も、黒服の女史は現れず、でした。
画像は、しつこいですけどおなじみ「あの~、お客様」と料理撮影禁止です。
先に別の店の「金銀蛋上湯浸菠菜」を紹介しましたので、なら、黒服女史が「季節ではありませんので」とのことだった「豆苗」の炒めものなど。
ちなみに、「豆苗」ってこともありますけど、使うのは「葉」だけ。「軸」の部分、切り落としてあるってのが、お解かりいただけるかも。
野菜、ことに「青菜」の炒め物。
塩味炒め(「だし」仕上げ)、ニンニク、唐辛子の細切り、「腐乳」や「蝦醤」などの調味料を使った味付け、風味漬け。それに、一気呵成に炒める「鍋」の「火」の扱いが語られますが、実は、そのために一番肝心なのが、野菜の下処理、下拵え。
野菜、特に「青菜」もの、それぞれ「葉」や「軸」だけでなく、尖端か根っ子と、部位、場所によって味が違います。
部位の違うものを同時に鍋にほうりいれ、調理すれば「火」の勢いがあっても、部位、場所によって「触感」、「味」、「風味」が違ってくるのは当然な話。
それを時間差で、つまり、火の通りにくい部位から、順番に鍋に入れる、なんてワザもあるようですけど、一気に炒めるって作業ではそんな悠長なことはやってられない。
そんなことから見逃せないのが、素材の下処理、下拵え。
「葉」の部分、「軸」の部分を切り分け、隠し包丁、でもないですけど、工夫をするのはごく当たり前、当然な話。
かように素材の切り分け、下拵えの「板」の作業は、料理の出来栄え、味、風味を決める、重要なポイント。 その存在と技を見逃せません。
2008/03/04
ヘイフンテラスの謎と不思議の6
ぐつぐつ煮えた熱々の「鹹魚鶏粒豆腐煲」。
テーブル仲間の友人が楽しみにしていた一品です。
豆腐は一丁分を横半分に2分してから、2・5~3センチほどの正方形。ってことは3X6ですから、豆腐一丁を36等分?
とはいうものの、豆腐の大きさ、それぞれに個体差があって、切り方はざっくばらん。
素材の切り分けは、すべて均一の大きさが必須の条件のはずの中国料理の基本からは外れてます。
「香港人の料理人なら、普通、Okにはしないはずなんだけど……
ってことからすると「板」だけじゃなくて「鍋」の担当も、日本の料理人?
でも、これでOKにする「鍋」の料理人も、もし香港人としたら、根性と自信があるんだなあ」
などと思っても、口には出しません。
その豆腐、「獻」、つまり、粉をまぶして下拵えし、煎り焼きにしてありました。
丁寧な仕事ぶりです。が、単に粉をまぶして煎り焼きにしたっていうだけで、豆腐の味、風味をしっかり封じ込めてるってわけでもない。
豆腐のぷるんの触感だけが味わえるものでした。
鶏肉の切り方も、豆腐同様にざっくばらん。
その肉質、前菜で食べた「豉油鶏」同様に柔らかい!
というか、グニョの質感に類似、ってことは、同じ鶏肉?
なら、一応、鶏肉は吟味?
などと、思わず納得。
それより、肝心の「鹹魚」。
「馬友」か「曹白」かは判別し難い。
一応「鹹魚」の味、風味はしました。
ですが「馬友」にしては「梅香」物ではない様子。
塩味の濃さ、辛味や、あの独特の風味がない。
もっとも、「馬友」にしても、「曹白」にしても、「鹹魚」特有、独特の味、風味を、これ見よがしにではなく控え目にその味、風味を生かし、穏やかで上品な味に仕上ているのは実ににくい。
だしも実に効果的に使われてましたから。
とはいうもの、穏やかで上品な味付けですが「香」、風味には乏しい。
「鹹魚鶏粒豆腐煲」も「鑊気」、鍋の気が不足。
行き過ぎない味付けの慎重さが、穏やかで上品な味を生んでいるのは確かですが、慎重になりすぎてか、料理に力強さがない。力強さがないから、香り、風味が立たない。
ぐっとひと押し、もうひと我慢の火の入れ方で、香りがうんと際立つはず!
なんて、料理も大して出来ない私が言うのもおこがましいですけど、これまで食べてきた経験、体験からすれば、問題は「鑊気」、鍋の気不足にあり、なのは明らか様子。
香港の料理人で「嘉麟樓」のチーフを務めた料理人なら、そんな問題、とっくにクリアーしてるはずなのに、と思っても、「ヘイフンテラス」を訪れるのは初めての客ですから、チーフの料理人、総料理長や料理長から相手にしてもらえるわけがない、のはわかってます。
そうです。「特権の享受」のサービスに預かれるのは、なんといってもなが~いお付き合い、それなりの投資が必要ですから、というのはとっくに承知済み。
それより「鹹魚鶏粒豆腐煲」を食べながら、この「板」の仕事、「鍋」の火加減や味付け。
どっかで出会った、食べた記憶あり、という思いが頭の中を駆け巡りはじめました。
やっぱり、調理は日本人の料理人?
実は、テーブルの仲間の我が友人、同じ思いだったことが後日の会話で判明。
同じような素材の扱い、調理、味付けで、どっかで食べたことがある、という思いが頭の中を駆け巡ったそうです。
類は類を呼ぶといいますが、我が友人というのも、実は相当マニアックな広東料理フリークです。
我が友人、抱え続けたわだかまり、とある店に出かけて一挙に氷解。
そんな話から「ヘイフンテラス」の謎と不思議、解明への道を辿り始めたのでありました。
画像は、やっぱり「あの~、お客様」の「ヘイフンテラス」ですから。
で、探し出したのは、豆腐の料理。
「鹹魚」ではなく「蝦醬」を隠し味、味の鍵にした「大馬站煲」。
皮付きバラ肉の焼き物と揚げた豆腐、韮の炒め煮込み。
目黒の「白金亭」のもので、我が兄弟、周中が用意してくれました。
調理担当は「白金亭」の木下茂樹料理長です。
テーブル仲間の友人が楽しみにしていた一品です。
豆腐は一丁分を横半分に2分してから、2・5~3センチほどの正方形。ってことは3X6ですから、豆腐一丁を36等分?
とはいうものの、豆腐の大きさ、それぞれに個体差があって、切り方はざっくばらん。
素材の切り分けは、すべて均一の大きさが必須の条件のはずの中国料理の基本からは外れてます。
「香港人の料理人なら、普通、Okにはしないはずなんだけど……
ってことからすると「板」だけじゃなくて「鍋」の担当も、日本の料理人?
でも、これでOKにする「鍋」の料理人も、もし香港人としたら、根性と自信があるんだなあ」
などと思っても、口には出しません。
その豆腐、「獻」、つまり、粉をまぶして下拵えし、煎り焼きにしてありました。
丁寧な仕事ぶりです。が、単に粉をまぶして煎り焼きにしたっていうだけで、豆腐の味、風味をしっかり封じ込めてるってわけでもない。
豆腐のぷるんの触感だけが味わえるものでした。
鶏肉の切り方も、豆腐同様にざっくばらん。
その肉質、前菜で食べた「豉油鶏」同様に柔らかい!
というか、グニョの質感に類似、ってことは、同じ鶏肉?
なら、一応、鶏肉は吟味?
などと、思わず納得。
それより、肝心の「鹹魚」。
「馬友」か「曹白」かは判別し難い。
一応「鹹魚」の味、風味はしました。
ですが「馬友」にしては「梅香」物ではない様子。
塩味の濃さ、辛味や、あの独特の風味がない。
もっとも、「馬友」にしても、「曹白」にしても、「鹹魚」特有、独特の味、風味を、これ見よがしにではなく控え目にその味、風味を生かし、穏やかで上品な味に仕上ているのは実ににくい。
だしも実に効果的に使われてましたから。
とはいうもの、穏やかで上品な味付けですが「香」、風味には乏しい。
「鹹魚鶏粒豆腐煲」も「鑊気」、鍋の気が不足。
行き過ぎない味付けの慎重さが、穏やかで上品な味を生んでいるのは確かですが、慎重になりすぎてか、料理に力強さがない。力強さがないから、香り、風味が立たない。
ぐっとひと押し、もうひと我慢の火の入れ方で、香りがうんと際立つはず!
なんて、料理も大して出来ない私が言うのもおこがましいですけど、これまで食べてきた経験、体験からすれば、問題は「鑊気」、鍋の気不足にあり、なのは明らか様子。
香港の料理人で「嘉麟樓」のチーフを務めた料理人なら、そんな問題、とっくにクリアーしてるはずなのに、と思っても、「ヘイフンテラス」を訪れるのは初めての客ですから、チーフの料理人、総料理長や料理長から相手にしてもらえるわけがない、のはわかってます。
そうです。「特権の享受」のサービスに預かれるのは、なんといってもなが~いお付き合い、それなりの投資が必要ですから、というのはとっくに承知済み。
それより「鹹魚鶏粒豆腐煲」を食べながら、この「板」の仕事、「鍋」の火加減や味付け。
どっかで出会った、食べた記憶あり、という思いが頭の中を駆け巡りはじめました。
やっぱり、調理は日本人の料理人?
実は、テーブルの仲間の我が友人、同じ思いだったことが後日の会話で判明。
同じような素材の扱い、調理、味付けで、どっかで食べたことがある、という思いが頭の中を駆け巡ったそうです。
類は類を呼ぶといいますが、我が友人というのも、実は相当マニアックな広東料理フリークです。
我が友人、抱え続けたわだかまり、とある店に出かけて一挙に氷解。
そんな話から「ヘイフンテラス」の謎と不思議、解明への道を辿り始めたのでありました。
画像は、やっぱり「あの~、お客様」の「ヘイフンテラス」ですから。
で、探し出したのは、豆腐の料理。
「鹹魚」ではなく「蝦醬」を隠し味、味の鍵にした「大馬站煲」。
皮付きバラ肉の焼き物と揚げた豆腐、韮の炒め煮込み。
目黒の「白金亭」のもので、我が兄弟、周中が用意してくれました。
調理担当は「白金亭」の木下茂樹料理長です。
2008/03/03
復活! ヘイフンテラスの謎と不思議の5
さて、焼き物の前菜に続いて「豉汁炒中蝦」が登場。
すかさず、デジカメを手にする私。
外で食事ってことになると,、所構わずデジカメで料理をびしばし撮影。
そんなこともあってパブロフの犬よろしく、料理が運ばれてくるとデジカメに手が出て、カメラ小僧よろしく条件反射でデジカメを手に身構えてしまう私です。
ところが、「あの~、お客様!」の黒服の女史のあの一言。
「はいはい、申しわけありません!」
と口にしながら、皿の上、ぶつ切りのえびの身の大きさに、思わず「ン!?」。
「え?!、こんなにでかいえびのなの?」と、テーブル仲間の友人も驚いた様子。
「これだけの大きさなら、頭、殻付きで「干煎蝦碌」に出来たのに」 と、思っても口には出しません。
というよりも、ただただ唖然!
「もしかして、黒服の女史、やはり「干煎蝦碌」をご存知なかった?
いや、ご存知でも、ヘイフンテラスの料理人には、対処できないって判断だったのかなあ。
もしかして、「ご用意できませんので!」と口が裂けても言いたくなかったのかも」、
などと、いささか同情まじりにもなって、頭の中では瞬時に様々な思いが交錯。
ですが、そこはぐっと我慢。思っても口には出しません。
それより、ピーマン、赤いパプリカと一緒に「豉汁炒中蝦」に調理されたでっかいぶつ切りのえび大き さに目を丸くしました。
それにしても、吃驚するぐらいの「大えび」。
「けど「ヘイフンテラス」では、これが「中えび」なのかも!」
などと、納得したりして!
なんでも、築地場内の「亀福」で扱う活きの「車えび」には、全長15センチから20センチぐらいの「大車」と称するのがあるそうで、料理人の人気の的、なんて話を聞いたことがあります。
ということは、もしかして「大車」?
ですが、活きの「大車」なら、頭のみそもたっぷりなはず。
それに、殻付きで調理したほうが、味、風味を増して旨いはず。
ところが、頭も殻も見当たらない。
剥き身をぶつ切りにした「中えび」と称する「大えび」です。
黒服の女史の話では「活きの中えび」。
しかも、キッチンに白服君をパシらせ、残った「中えび」の数を確かめたもの。
なら、殻付きの調理による料理を勧めていいはずなのに
「なんで、剥き身にして調理を薦めたのか?」と、改めて思い、次から次へと疑問がふつふつと湧いてくる。
ひとり分、取り分けられた「豉汁炒中蝦」。
お皿ではなく「碗仔」を一回り大きくした深めのお碗で取り分け、というのがにくいです!
「碗仔」というのは「小碗」のこと。スープや汁気のある料理を取り分ける時に使います。
香港のローカルの連中が飲茶の点心を取り分ける際も、お皿ではなく小碗。なんて取り分けのサービスのスタイルは、香港式流儀そのまま、というのが「香港かぶれ」の私には嬉しい。
それまでの減点ポイント、一気に帳消し……でもないか。
ちなみにあの福臨門の銀座店でも、黒服氏はともかく、日本の中国料理店で勤務経験を積んで福臨門にトラバーユしたサービスの女性など、料理の中味に関係なく、なんでもかんでも皿に取り分けたりすることがありますから。
思わず「ね、ね!、それじゃ、料理が冷めちゃうし、食べにくいから。碗仔で取り分けてください。ちりれんげも一緒に持ってきてね!」と、一言余計な小言ぢぢいの私、であります。
熱い料理は熱い皿ってことだけでなく、汁気があったりする熱い料理は、お皿ではなく小碗で、というのは私が考えるサービスの基本。
顔なじみになり、名前を覚えられ、メニューにない料理にありつけるといった「特権の享受」が、サービスの基本だと思い込んでる人が世の中には多いようで。
もちろん、私も「特権の享受」にありつくための努力はいとわない。
ですが、そんなことより「料理をいかに美味しく食べさせてくれるか」というもてなしこそが、サービスの基本。 それこそが私には一番肝心な問題です。
それに、中国料理の食事では、手に持つのは小碗だけ。
お皿はテーブルに置いて食事、というのがマナー、という以前に共通認識だと体験して以来、
あ、話がずれちゃいましたね、すんません。
さて、でっかい「中えび」のぶつ切り。
まさに「想定外」てやつでした。
しかも、頬張るっていうより、がぶり噛みつくしか口にする術はない。
「中えび」だけでなく、「えび」っていうのは噛み締めた時の「プリ」っとした触感が、味わいどころのひとつなのは、誰でも承知、納得のはず。
そんな「プリ」感があって、生な味わいを残し、甘味がほとばしれば、実に申し分なし。
ところが「豉汁炒中蝦」のでっかいぶつ切りのえび、「プリ」と弾けるしなやかな肉質、ってわけでもなり、「ぶりぶり」でしっかり、がっしりの歯応え、噛み応え。
「ぶちっ!」と噛み切りました、から。
「活きのえび」なら、噛み締めればあのえび独特の、特有の、甘味がほとばしるはず。
なのに、繊維が立っていて、噛み締めるのにまずひと往生、ひと苦労。
しかも、甘味よりも、水っぽさが、じゅわ~と滲み出たりする。
「これって、ほんとに「活きえび」?」と、「?」が頭の中を飛び交いました。
「これって、もしかして、フィリピンとか東南アジア産?」と、頭の中はさらに混乱に陥り、まさにカオス状態。
香港でも、北風が吹く時期には基圍蝦(って汽水で養殖した囲いのえびですが)育ちが良くない。そのかわり、タイやフィリンピンから飛行機で取り寄せた活きの蝦(「飛蝦」といいます)を使ったりします。
それを承知している人は、冬場には「基圍蝦」には手を出さない。良識ある店は、客には薦めないし、それ以前に用意もしない。
ですが、やっぱり「えび」を食べたい、という客はいるもので(たいていは、日本人観光客だったりするんですけど)、 客の要求に応え、店によっては「飛蝦」を出すことがあります。「飛蝦」の正体は明かさずに、「基圍蝦」ってことで提供したり、日本人とわかれば「エビ、エビ?カニ、カニ?」と押し売りをしたりすることもあります。
それに「飛蝦」でも、一応の店なら、それなりの調理、味付けで対処します。
「なんてこと、まったく無視してんじゃない? 香港人の料理人なら、それなりの工夫をするはずなのに」と、「ヘイフンテラス」の「豉汁炒中蝦」を恨めしく思いながら、そこはぐっと我慢。
それより、味付けはしてあっても、素材の香り、料理の風味がない。
「鑊気」、鍋の気がないから、料理に香り、風味がない。
日本の中華料理にはよくあることで、日本で超一流って言われるホテルの中国料理店でも、その課題をクリアーしてる店は限られます。
なんせ、中華料理ならではの味付けが、重要な課題で、料理の風味についてはさほど重視されず、というのが現状ですから。
といって、日本ならではの中国料理、中華料理を否定してるわけではないので、その点については誤解されたくありませんが、それはまた別の機会に。
「これならいっそ「油泡(油通し)」、にして、「蝦醬(えびみそ、ですね)」でもつけて食べた方がまし、かも。水っぽくて大味な「中蝦」の剥き身のぶつ切りの料理には、救いの道かも」、なんて思っても「後悔先に立たず」。そこは黙って、我慢の子、ですから。
素材の持ち味、見極めて、どう調理するか、味付けするか。
それって料理人だけが考えることじゃなく、サービスの人間も把握しておくべきことじゃないかって、私は思います。
客への「サービスの基本」なんじゃないかってことなんですが。
そういうサービスをやってくれる店が香港にはあります。
ですけど、それって、香港の中国料理店だけのことじゃなく、万国共通、フレンチにしろ、イタリアンにしろ、なんにだってあてはまるはず。
それにしても「xo醤」がご自慢の「ヘイフンテラス」が、「油泡中蝦」、もしくは「油泡蝦球」を頼んで、はたして「蝦醬」を用意してくれるか、どうか。
香港では、一応の店なら「油泡蝦仁」、「油泡蝦球」、それに目の玉が飛び出るほど超高価な法螺貝を油通しした「油泡响螺片」には「蝦醬」、「蠔油」が必ず添えられます。
そうそう、貧乏人の「响螺片」(とは最近は言い難い値段になってしまいましたが)豚の胃袋の尖端の「肚尖」の「油泡肚尖」なども、同様です。
ところが、日本では「香港の味」、「香港式」を標榜する広東料理店でも、私の知る限りそんなサービスに、お目にかかったことがない。唯一の例外は、、、ってことですが。
香港のペニンシュラにある「嘉麟樓」では、「蝦醬」、「蠔油」はちゃんと用意されます。が、果たして東京のペニンシュラの「ヘイフンテラス」では、どうなんでしょう?
あの黒服の女史ならどう対処するか・・・・・・
画像は、もはやおなじみ「あの、お客様~」と、料理撮影禁止の「ヘイフンテラス」ですから、別の料理店の料理です。
才巻きえびを大蒜のみじんと醤油で風味付けして蒸した「蒜茸蒸圍蝦」。
才巻きですのでサイズが小さい。
その分、殻も食べられて、味、風味は抜群です。
すかさず、デジカメを手にする私。
外で食事ってことになると,、所構わずデジカメで料理をびしばし撮影。
そんなこともあってパブロフの犬よろしく、料理が運ばれてくるとデジカメに手が出て、カメラ小僧よろしく条件反射でデジカメを手に身構えてしまう私です。
ところが、「あの~、お客様!」の黒服の女史のあの一言。
「はいはい、申しわけありません!」
と口にしながら、皿の上、ぶつ切りのえびの身の大きさに、思わず「ン!?」。
「え?!、こんなにでかいえびのなの?」と、テーブル仲間の友人も驚いた様子。
「これだけの大きさなら、頭、殻付きで「干煎蝦碌」に出来たのに」 と、思っても口には出しません。
というよりも、ただただ唖然!
「もしかして、黒服の女史、やはり「干煎蝦碌」をご存知なかった?
いや、ご存知でも、ヘイフンテラスの料理人には、対処できないって判断だったのかなあ。
もしかして、「ご用意できませんので!」と口が裂けても言いたくなかったのかも」、
などと、いささか同情まじりにもなって、頭の中では瞬時に様々な思いが交錯。
ですが、そこはぐっと我慢。思っても口には出しません。
それより、ピーマン、赤いパプリカと一緒に「豉汁炒中蝦」に調理されたでっかいぶつ切りのえび大き さに目を丸くしました。
それにしても、吃驚するぐらいの「大えび」。
「けど「ヘイフンテラス」では、これが「中えび」なのかも!」
などと、納得したりして!
なんでも、築地場内の「亀福」で扱う活きの「車えび」には、全長15センチから20センチぐらいの「大車」と称するのがあるそうで、料理人の人気の的、なんて話を聞いたことがあります。
ということは、もしかして「大車」?
ですが、活きの「大車」なら、頭のみそもたっぷりなはず。
それに、殻付きで調理したほうが、味、風味を増して旨いはず。
ところが、頭も殻も見当たらない。
剥き身をぶつ切りにした「中えび」と称する「大えび」です。
黒服の女史の話では「活きの中えび」。
しかも、キッチンに白服君をパシらせ、残った「中えび」の数を確かめたもの。
なら、殻付きの調理による料理を勧めていいはずなのに
「なんで、剥き身にして調理を薦めたのか?」と、改めて思い、次から次へと疑問がふつふつと湧いてくる。
ひとり分、取り分けられた「豉汁炒中蝦」。
お皿ではなく「碗仔」を一回り大きくした深めのお碗で取り分け、というのがにくいです!
「碗仔」というのは「小碗」のこと。スープや汁気のある料理を取り分ける時に使います。
香港のローカルの連中が飲茶の点心を取り分ける際も、お皿ではなく小碗。なんて取り分けのサービスのスタイルは、香港式流儀そのまま、というのが「香港かぶれ」の私には嬉しい。
それまでの減点ポイント、一気に帳消し……でもないか。
ちなみにあの福臨門の銀座店でも、黒服氏はともかく、日本の中国料理店で勤務経験を積んで福臨門にトラバーユしたサービスの女性など、料理の中味に関係なく、なんでもかんでも皿に取り分けたりすることがありますから。
思わず「ね、ね!、それじゃ、料理が冷めちゃうし、食べにくいから。碗仔で取り分けてください。ちりれんげも一緒に持ってきてね!」と、一言余計な小言ぢぢいの私、であります。
熱い料理は熱い皿ってことだけでなく、汁気があったりする熱い料理は、お皿ではなく小碗で、というのは私が考えるサービスの基本。
顔なじみになり、名前を覚えられ、メニューにない料理にありつけるといった「特権の享受」が、サービスの基本だと思い込んでる人が世の中には多いようで。
もちろん、私も「特権の享受」にありつくための努力はいとわない。
ですが、そんなことより「料理をいかに美味しく食べさせてくれるか」というもてなしこそが、サービスの基本。 それこそが私には一番肝心な問題です。
それに、中国料理の食事では、手に持つのは小碗だけ。
お皿はテーブルに置いて食事、というのがマナー、という以前に共通認識だと体験して以来、
あ、話がずれちゃいましたね、すんません。
さて、でっかい「中えび」のぶつ切り。
まさに「想定外」てやつでした。
しかも、頬張るっていうより、がぶり噛みつくしか口にする術はない。
「中えび」だけでなく、「えび」っていうのは噛み締めた時の「プリ」っとした触感が、味わいどころのひとつなのは、誰でも承知、納得のはず。
そんな「プリ」感があって、生な味わいを残し、甘味がほとばしれば、実に申し分なし。
ところが「豉汁炒中蝦」のでっかいぶつ切りのえび、「プリ」と弾けるしなやかな肉質、ってわけでもなり、「ぶりぶり」でしっかり、がっしりの歯応え、噛み応え。
「ぶちっ!」と噛み切りました、から。
「活きのえび」なら、噛み締めればあのえび独特の、特有の、甘味がほとばしるはず。
なのに、繊維が立っていて、噛み締めるのにまずひと往生、ひと苦労。
しかも、甘味よりも、水っぽさが、じゅわ~と滲み出たりする。
「これって、ほんとに「活きえび」?」と、「?」が頭の中を飛び交いました。
「これって、もしかして、フィリピンとか東南アジア産?」と、頭の中はさらに混乱に陥り、まさにカオス状態。
香港でも、北風が吹く時期には基圍蝦(って汽水で養殖した囲いのえびですが)育ちが良くない。そのかわり、タイやフィリンピンから飛行機で取り寄せた活きの蝦(「飛蝦」といいます)を使ったりします。
それを承知している人は、冬場には「基圍蝦」には手を出さない。良識ある店は、客には薦めないし、それ以前に用意もしない。
ですが、やっぱり「えび」を食べたい、という客はいるもので(たいていは、日本人観光客だったりするんですけど)、 客の要求に応え、店によっては「飛蝦」を出すことがあります。「飛蝦」の正体は明かさずに、「基圍蝦」ってことで提供したり、日本人とわかれば「エビ、エビ?カニ、カニ?」と押し売りをしたりすることもあります。
それに「飛蝦」でも、一応の店なら、それなりの調理、味付けで対処します。
「なんてこと、まったく無視してんじゃない? 香港人の料理人なら、それなりの工夫をするはずなのに」と、「ヘイフンテラス」の「豉汁炒中蝦」を恨めしく思いながら、そこはぐっと我慢。
それより、味付けはしてあっても、素材の香り、料理の風味がない。
「鑊気」、鍋の気がないから、料理に香り、風味がない。
日本の中華料理にはよくあることで、日本で超一流って言われるホテルの中国料理店でも、その課題をクリアーしてる店は限られます。
なんせ、中華料理ならではの味付けが、重要な課題で、料理の風味についてはさほど重視されず、というのが現状ですから。
といって、日本ならではの中国料理、中華料理を否定してるわけではないので、その点については誤解されたくありませんが、それはまた別の機会に。
「これならいっそ「油泡(油通し)」、にして、「蝦醬(えびみそ、ですね)」でもつけて食べた方がまし、かも。水っぽくて大味な「中蝦」の剥き身のぶつ切りの料理には、救いの道かも」、なんて思っても「後悔先に立たず」。そこは黙って、我慢の子、ですから。
素材の持ち味、見極めて、どう調理するか、味付けするか。
それって料理人だけが考えることじゃなく、サービスの人間も把握しておくべきことじゃないかって、私は思います。
客への「サービスの基本」なんじゃないかってことなんですが。
そういうサービスをやってくれる店が香港にはあります。
ですけど、それって、香港の中国料理店だけのことじゃなく、万国共通、フレンチにしろ、イタリアンにしろ、なんにだってあてはまるはず。
それにしても「xo醤」がご自慢の「ヘイフンテラス」が、「油泡中蝦」、もしくは「油泡蝦球」を頼んで、はたして「蝦醬」を用意してくれるか、どうか。
香港では、一応の店なら「油泡蝦仁」、「油泡蝦球」、それに目の玉が飛び出るほど超高価な法螺貝を油通しした「油泡响螺片」には「蝦醬」、「蠔油」が必ず添えられます。
そうそう、貧乏人の「响螺片」(とは最近は言い難い値段になってしまいましたが)豚の胃袋の尖端の「肚尖」の「油泡肚尖」なども、同様です。
ところが、日本では「香港の味」、「香港式」を標榜する広東料理店でも、私の知る限りそんなサービスに、お目にかかったことがない。唯一の例外は、、、ってことですが。
香港のペニンシュラにある「嘉麟樓」では、「蝦醬」、「蠔油」はちゃんと用意されます。が、果たして東京のペニンシュラの「ヘイフンテラス」では、どうなんでしょう?
あの黒服の女史ならどう対処するか・・・・・・
画像は、もはやおなじみ「あの、お客様~」と、料理撮影禁止の「ヘイフンテラス」ですから、別の料理店の料理です。
才巻きえびを大蒜のみじんと醤油で風味付けして蒸した「蒜茸蒸圍蝦」。
才巻きですのでサイズが小さい。
その分、殻も食べられて、味、風味は抜群です。
2008/03/01
お好み焼き 桃太郎の2
お好み焼き。
その作り方、焼き方、具の中味、種類などは千差万別。大阪と神戸では異なり、神戸でも東部、中央部、西部と、地域、場所が違えば内容が異なる、といった按配で、それぞれ地域色が豊か。土地ごとに特有のものがあります。
子供の頃、母親が作ってくれたお好み焼き、基本の生地はメリケン粉(と子供の頃に言ってた小麦の薄力粉)にキャベツのざく切りを加え、だし、卵を加え、塩で味を調える。
具はもちろん牛肉の薄切りでした。
そこにねぎの微塵、天かすがあればそれを乗っける。牛肉の買い置きが無い時には、犬の餌のために煮込んだ牛のすじ肉に味をつけて具にする、という話は、前回にも紹介した通り。
私が火、つまり、ガスのコンロを使うことを許されるようになって、犬の餌作り以外に初めて作ったのもお好み焼き。両親が出かけて留守番なんて時には、せっせとお好み焼きを焼いたものです。
それが、中学、高校ぐらいになってからは、お好み焼きを外で食べる、つまり、お好み焼き屋にも出入りするようになって、具の種類が色々有り、なんてことを知って、母親にリスエスト。自分自身でも具については色々と工夫。お好み焼きの生地、具、焼き方に地域差があるのを認識し始めたのも、その頃からのことです。
そういえば、大阪の一般庶民の家には常備されているという伝説の(?)お好み焼き専用の鉄板とたこ焼き用の鉄板。
我家にたこ焼き用の鉄板こそありませんでしたが、お好み焼き用の鉄板はありました。
お好み焼きの専用の鉄板は、その後、簡易鉄板だけでなく、ガスを火種にした家庭用の簡易お好み焼きテーブルにグレード・アップ。
上の鉄板をグリル板に代えれば、焼肉、バーベキューも楽しめるというもので、使用頻度も高かった。
ちなみに現在の我家、お好み焼き用のテーブルはありませんが、たこ焼き用の鉄板はあります。
なんせかみさん、大阪の生まれ、育ちですから。それも、私はだし入り、卵入りでふっくら、だし味で食べる明石焼きが好み。ところが、かみさんは表面がぱりっと焼け焦げ、中はしっとりの大阪式のたこ焼きが好み。とまあ、たこ焼きについても、地域差歴然。
もっとも、かみさん、明石焼きも好きなもんで、2種のたこ焼き、焼きながら、食べ比べなんてことも。
そして、現在の我家のお好み焼きの生地と中味、具は、私とかみさんのそれぞれの体験に加え、お好み焼き行脚を重ねた結果、色々と変化。
最近では、キャベツの微塵に手芋(大和芋、なければ長芋)を擂り下ろし、卵を割り入れ、粉を加え、だしを足しながら、柔らかすぎず、適度に硬さのある粘りのある生地を作り、塩で味を整える。
そこに、旬の時期なら生、それ以外は干した桜えび、それとも、いか、えびの微塵や、小粒の貝類を加えることもあります。
具は豚のバラ肉。
お好み焼きの基本は「豚玉」と、かみさんに洗脳されてしまったこともありますが、東京ではお好み焼きの具にうってつけな牛肉の入手が難しい、というのも大きな理由。
我家で常時用意している「なんちゃってパンチェッタ」(バラ肉の重量の3・5パーセントの塩を擂りこみ、自然乾燥させたもの)のスライスを使うこともあります。
すじ煮込みも作りますが、東京で入手出来るすじ肉、最近の牛事情を露骨に反映していて「一体、どんな飼料で肥育されたの?」と、思わずにはいられないほど脂の匂いが強く、独特のクセがあり、なんだか変。
牛肉、それに、すじ肉もそうですが、信頼が置けるは、北海道のボーン・フリー・ファームのものぐらい。青い草と土の味がしますから。
そして、お好み焼きをぱりっと香ばしく風味豊かに焼くにはラードが不可欠。
ということで、バラ肉の脂でこしらえた自家製ラードを常備。というも、市販のラードってマーガリンのようにケミカル、つまり化学合成的な製品のようで、無機質で風味にも欠ける。
東京の名のあるとんかつの専門店などでご愛用、とか耳にした外国産のラードを試したこともありますが、なんだかマーガリンに似た味で、風味なし。
ということで、ラードは自家製。
ちなみに、豚肉は川越の「はぎちく」から色んな部位をブロックを取り寄せ、自家製ラードは「はぎちく」吟味のバラ肉の脂を削り取って作ってます。
さて「桃太郎」の「いもすじねぎ玉」。その作り方が面白い。
そもそもお好み焼きは「一銭洋食」がそのルーツ、というのは「桃太郎」の創業者の吉川久子さん。
それに倣うように、作り方は企業秘密で「ナイショ!」という生地を鉄板に敷き、その上に粗微塵のキャベツ、煮込んだすじ肉、青ねぎ、マッシュしたじゃがいもをのっけ、生地を覆いかぶせる。
別途、鉄板に落として焼いた卵の上に先のお好み焼きをのっけ、裏返して焼き上げる、と言う按配。
dancyuのお好み焼きの記事によれば、生地にきゃべつを混ぜたのが大阪式。粉生地を敷いて、キャベツを載せて焼くのが広島式、なんてありましたが、大阪にも粉生地敷いて、キャベツをのっけて焼くお好み焼きがあるんです。たくもう、勝手に決め付けないで欲しいもんです。
「桃太郎」の「いもすじねぎ焼玉」の旨さの秘密はいくつもある。
まず、企業秘密というだし入りの生地。
それから、なんてことない普通のキャベツですが、ざく微塵に切ったキャベツに含まれた水分が、生地や具にはさまれて蒸し煮状になり、しゅわとした触感をもたらす、ってのも大きなポイント。
牛すじ肉の味付けはさっぱりの薄味仕立て。牛すじから出るだしをうまく生かしながらの味付けです。
さらに、茹でて擂り潰したじゃがいもが、きゃべつの甘味、牛すじ肉のだし、ねぎの甘味を吸い込みながら、とろけるような味、風味を醸し出し、焦んがりと焼けていく。
さらに、茹でて擂り潰したじゃがいもが、きゃべつの甘味、牛すじ肉のだし、ねぎの甘味を吸い込みながら、とろけるような味、風味を醸し出し、焦んがりと焼けていく。
そう、擂り潰したじゃがいもを煎り焼きにするスイス料理のフロスティーにも通じますから。
そんな擂り潰したじゃがいもの焦げ味もポイント。
ソースは2種、甘くてこくのあるのと、フルーティーで酸味のあるのが用意されていて、それが、焦んがりのお好み焼きの味、風味を引き立てる。
勝山から新深江に店を移した「桃太郎」の本店で鉄板を仕切るのは、吉川さんのお婿さんの砂田勝美さん。北海道の出身で、大阪の調理師学校で学んでいた際、「桃太郎」でバイトしたのがそもそものきっかけとなって吉川さんの娘さんと結ばれた、という次第。
その娘さんが、「道頓堀極楽商店街」に出店した「桃太郎」の鉄板を仕切ってます。
「いもすじねぎ焼玉」とともに、もう一品、テイクアウトで注文したのが「そばロールミックス」。
実は「桃太郎」で「いもすじねぎ玉」に続く私のお気に入りが、「焼きうどん」。
うどんはもちもち。
鉄板の上で焼かれていく間に、ソースを吸ってますます旨くなる。
「道頓堀極楽商店街」には、残念ながら「焼きうどん」はメニューになし。
ということで「そばロール」。
いわゆる「オムそば」、焼きそばを卵のオムレツで包んだもの。
「そばロール」はシンプルな「豚」、「いか豚」もありますが、やっぱり「ミックス」。いか、豚だけでなく、えび、それにすじ肉入りで、実に具沢山。その具のひとつひとつの味、それぞれに存在を主張。
中でも、すじ肉が美味。一口頬張った「そばロール」、すじ肉の触感に思わず「ン!?」。噛み締めれば、味、旨味、風味が口中に広がりますから。
ということで画像は「桃太郎」の「道頓堀極楽商店街」の支店でテイクアウトした「そばロールミックス」。
表面の白い部分はマヨネーズ。
そうです、「そばロールミックス」も、目の前にした途端、画像撮影を忘れ、箸をつけてしまいましたので、その部分!
我ながら、食い意地の張ったいやしさをつくづく思い知りました。
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