2008/03/23

ヘイフンテラスの謎と不思議の11

 黒服の女史にとっては「止め」だったに違いない言葉を、思い出しては苦笑い。
 それよりも食べた料理のことが頭から離れない。

 そうです、料理を食べるたびに「あれ、これ、どっかで食べた味、出会った味」という思いが駆け巡り、頭の隅っこに潜んでいた記憶がもぞもぞと這い出し、甦ることしきり、でしたから。
 食べた料理の一品一品を思い出し、思いつく限りのことをノートに記しました。

 ちなみに、私の料理のチェック・ポイントは中国料理の要、必須の条件である「色・香・味」に準じたもの。もっとも、中国料理だけに限ったことではありませんが。

 まずは、料理の色合い、盛り付け。それから素材の切り分け、下拵え。
 一品の料理における素材、副素材の分量の加減、按配です。

 そうそう、中国料理といえば大皿にたっぷり、というイメージをお持ちの方が多いはず。もっとも、香港はもとより中国本土での本格的な宴会料理では、一皿の分量はきっちり。
 8種、あるいは16種の前菜などは、それぞれが綺麗に美しく盛り付けられてます。
 大菜はじめ、大皿で運ばれる料理にしても、一皿の分量は美的に盛り付けられ、主素材、副素材の分量、按配なども過不足がない。
 どさっと大盛り、てんこ盛りなのは、惣菜的な料理、それに家庭の惣菜ぐらいなもの、じゃないでしょうか。

 そして、盛り付け、素材の切り分け、素材の分量などの見た目に続いては、実際に食べてみての舌触り、歯触りといった触感。
 つまり、滑らかさ、硬さや、軟らかさ。
 滑らかさは、唇、舌触りの滑らかさ。中国料理にとろみがついてることが多いのも、滑らかさを重視してのこと。

 硬さで言えば、さくさく感にぱりぱり感などの歯切れのよさ、歯応えの爽快感。それに弾力や噛み応えってことになります。
 軟らかさということなら、すっきり感、ねっとり感、舌にとろける感じや、こってりとしていてこくのある感じ、といった按配です。

 それから味付け、調理、火の通りの加減。そして料理そのものの味わい、それに風味、そう香りですね。匂いではありません。それについてはいずれまた。それから後味、といったところです。

 「え~!? そんなこと観察しながら食べてんの?面倒だね。なの、食事なんかちっとも楽しめないじゃん!」と、あきれられるかも、ですね。
 いや、なに、書き並べたからこそ、そんな風に思われるだけのこと。

 食事は楽しむもの、というのが私の基本。
 外食ってことになると、最低でもかみさんと一緒。もしくは、仲間と一緒。会話をはさみながら、時にはワイワイガヤガヤと騒ぎながら、食事を楽しんでます。

 しかし、目の前に皿が置かれた途端、さっと料理に目をやり、瞬時にそれを観察。
 会話の合間に料理を口に運び、味わいながら、先にあげたようなことをきっちりチェック。
 香港で食のフィールドワークを始めるようになって以来、慣れと言いますか、いつの間にか身についてしまった習性のようなもの。たいてい瞬時に観察、察知します。

 とはいうものの、会話を交わしながら食事を楽しんでる時に、いきなりセンサーが稼動しはじめることがある。たまに、料理にはまって自分ひとりだけの世界に没頭し、周りに人がいることを忘れてしまうこともあります。
 哀しい性、と言われればそうかもしれませんが、早い話、オタクですから、それを楽しんじゃったりしてます。

 ヘイフンテラスで食事した時には、料理を食べるたび「あれ?これ、どっかで食べた味、出会った味!」と、頭の隅っこに潜んでいた記憶が、もぞもぞと這い出した。
 記憶センサーが稼動しはじめたってわけです。

 たとえば、最初の焼き物の焼鴨の味付け、焼き方、焦げ茶の焼き色、仕上がりの味加減。
 前述してきたように確実に「嘉麟樓」のものではなし。香港で出会ったものでもなし。
 焦げ茶の焼き色なのは、下拵えの調味料、仕込みの加減や按配。
 それに念入りに、というよりも火を通しすぎ、焼き過ぎの嫌いがないでもない。
 ぱさついた肉質がそれを物語ってます。味付けはしっかり。
 なのに、焼きすぎの感ありで、風味が乏しい。

 「あ、そうだ「赤阪璃宮」の焼き物の味に似てる!」と思い当たったのは、「鹹魚鶏粒豆腐煲」を食べてる最中のことでした。
 前述の通り「赤阪璃宮」には譚さんが香港から呼び寄せた頑固な焼き物専門の職人が。
 とはいえ、その人の仕事、技とは思えない。ということからすれば、頑固な職人に習った料理人?  

 さて、料理。その盛り付け、色合いは美しい。洗練されていて、華があります。
 香港のザ・ペニンシュラの「嘉麟樓」の姉妹店、あるいは、香港の味が楽しめるという謳い文句に惹かれて訪れた雰囲気、気分重視の人なら、うっとりすること間違いない。歓声だってあげそうです。
 しかし、実質を求める私の目と舌は、そう簡単にはごまかされない。

 たとえばえびの豉汁炒めの「豉汁炒中蝦」。(そうそう、もしかして「豉椒蝦球」が正しい料理名かも)。 
 日本で老舗とされる広東料理を提供する店、それに、一部のホテルの広東料理店など、昔ながらの(日本化された)広東料理を看板にする店でこの種のえびの炒めものを注文すれば、必ずたっぷりのとろ味がついてるもの。

 その点、ヘイフンテラスの「豉椒蝦球」のとろみはほんのわずか、うっすらと。豉汁の分量も実に控え目。というあたりは間違いなく香港スタイル。香港の一流のホテルの中国料理店や高級料理店でのこの種の炒めものに特徴的なもので、日本ではなかなかお目にかかれません。

 しかし、なにしろ蝦のぶつ切りがでかい。その切り分け、包丁の仕事にまずは「?」。
 それに、食べてみると前述の通り「プリ」と弾ける触感じゃなく「ぶりぶり」でしっかり、がっしりの歯応え、噛み応え。活きのえびのはず、なのに特徴的な甘さ、旨味が不足。

 さらに「鑊氣」、というのは「鍋の気」、つまり、火を巧みに扱い、一気呵成に調理して素材に火を通し、素材の持ち味、香りを損なわず、風味豊かに仕上げる技術のことですが、その「鑊氣」がないから、風味が乏しい。味付けばかりが目立ちます。

  ということでは、素材の吟味、素材の切り分け、下味つけ、調理の「火路」、つまり鍋の技術、火加減のいずれかに、もしくは、すべてに問題あり、というのが私の観察。
 この火の通りだと、これも日本人の料理人?
 というのが、私の推測。

 「豉椒蝦球」を食べながら、ふと頭をよぎったのは、80年代から90年代にかけての京王プラザホテルの「南園」の料理、周富徳さんに次いで謝華顕さんが総料理長を務めるようになってからの「聘珍樓」の料理のこと。もしかして、そのいずれかの系列に属する料理人では?と、思い当たりました。
 私の勝手な推察、憶測です!

 画像は、毎度、毎度で「あのう、お客様~」と料理撮影禁止ですから。
 探し出したのは、マカオのリスボアホテルの中国料理店で食べた「豉椒蝦球」。
 以前触れたとおり、マカオの広東料理は香港ほど洗練されておらず、ひなびていて、いなたい。
 ですからとろみ付けも香港に比べれば少し厚め。広州の広東料理に近いものがあります。
 というわけで、この「豉椒蝦球」、少々寝ぼけた感じ。
 おまけに、画像までぼけちゃってます!