2011/11/04

'11年10月の「赤坂璃宮」銀座店~秋の訪れの4

そして「三色蒸水蛋/皮蛋・鹹蛋入りの中国茶碗蒸し」。これ、私の好物です。香港では一般的な料理、家庭でも作られることが多いお惣菜のひとつ。香港の広東料理店では卓上にある家郷菜のメニューに載ってますし、載って無くても頼めば作って貰えます。
実は先にもふれたスペース・シャワーでの岡村靖幸君の番組の際、川崎料理長に候補としてリクエストした一品。結局のところ、蒸し物の料理は伊達鶏と金針菜、干し椎茸などの蒸し物になり、香港の味そのままでしたが、もしかしてその時、メニューの候補に挙げた「三色蒸水蛋」、もしくは浅蜊の茶碗蒸し仕立ての「蛤蜊蒸蛋」のことを覚えていてくれたのかも。

この料理、皮蛋、家鴨の塩漬け卵と鶏卵が素材です。同じ素材を使った「三色蒸蛋」という料理もあって、それは中国本土各地で一般的。家庭でも作られます。それとこの「三色蒸水蛋」は、いささか異なる。
料理名に「水」があるかどうかが、料理の仕上がりに関係してきます。 そう、「水」なしの場合、3種の卵が素材。「皮蛋」は皮を剥いて、ぶつ切り。塩漬け卵の「鹹蛋」は、茹でるか、蒸すかしたものをぶつ切りにするか、それとも黄味と白身を分けて作ることもある。

「三色蒸蛋」の場合、鶏卵は皮蛋、鹹蛋よりも分量を多くし、皮蛋、鹹蛋を加えてかき混ぜ、調味料で味を加減して蒸す。その出来上がりは鶏卵がしっかり固まり、皮蛋、鹹蛋を包み込むような感じで湯煎蒸しの寄せ物、テリーヌ、パテ状で、厚めにスライスして皿に並べます。
一方、今回の「三色蒸水蛋」、「水」という表記が加わることからも明らかなように汁気あり。作る際、まんま「水」を加える場合もあるようですがで、それだけでは味が物足りないってことからあの粉末、もしくは顆粒の「魔法の粉」をプラスアルファ、なんてこともあり。

基本はだしを加えます。その点は日本の茶碗蒸しと同じです。つるん、とろんの滑らかな舌触り。日本の茶碗蒸しだとか穴子や海老の魚介、それに蒲鉾、椎茸に銀杏など具がたっぷりで実沢山。それも歯応えのある具材が使われているのが一般的。
それに比べて「三色蒸水蛋」は日本の茶碗蒸しよりもだしが多めの加減。ですから、出来上がりはゆるゆるの感じ。具材も皮蛋と茹でた鹹蛋ですから、表面は弾力があっても噛めばすっと歯が入る柔らかさ。柔らかめの茹で卵、温泉卵を思い浮かべてください。

その味、家鴨の塩漬け卵が素材なのも関係してか、塩味が利いてます。だし、一番だしの上湯らしくて、中国ハムの火腿の味、風味もプラス・アルファもあいまって、しっかりした濃い目の味付け。
それより、大皿に人数分のを取り分けるんじゃなくて、一人一皿。その盛り付けが美しい。新派風の洗練された趣きもあるもので、川崎さんの美学がしっかり汲み取れる。

「これ、塩味しっかり利いてますね。ご飯のおかずにぴったり。ご飯に乗っけて食べたいぐらい」
「ビールというよりもご飯だね」
「そそ、ご飯のおかずにうってつけでしょ。私の好みの一品です!」

この「三色蒸水蛋」。家庭でも作られるお惣菜の一品ですけど、日本の茶碗蒸しがそうであるように蒸し加減、というのが難しい。そう、火加減間違うと「す」が入っちゃいますから。日本の茶碗蒸し、舌触りこそつるんとろんと滑らかですが、固めのゲル状の仕上がりが多くって、ぼってりぐらぐらどてどてなのが多いですよね。それからすると「三色蒸水蛋」はゆるゆるで汁気もたっぷり。

この料理、日本ではなかなかお目にかかれない。良質のピータンはともかく、家鴨の塩漬け卵の「鹹蛋」の入手が困難。それにだしの質が問われます。簡単な料理ですけど、蒸し加減など意外に手間隙かかったりして。

もしかして横浜の中華街あたりでやってくれる店があるのかもしれませんが、私は未体験。「赤坂璃宮」銀座店以外では……マンダリンの「センス」の高瀬さんや「桃の木」の小林武志君、「エッセンス」の薮崎君なんかに頼めば作ってくれそう!高瀬さん、小林君、薮崎君、よろしくう!

'11年10月の「赤坂璃宮」銀座店~秋の訪れの3

それから「芥菜炒腊肉/カラシ菜と干し肉の炒め」。
この料理、「芥菜/カラシ菜」も「腊肉/塩漬けにして燻した豚のばら肉」の、いずれとも主役。野菜料理でもあり肉料理でもあります。なんて言うより、惣菜の一品。なんてところが嬉しい!
「芥菜」、日本で一般的なのは葉は広くて軸や根元の茎は細めのもの。油炒めなんかでも調理されますが、むしろ漬物や常備菜の素材としておなじみ。
ちなみにタカ菜はその親戚です。
今回の「芥菜」、画像でも明らかなように「包芯芥菜」。もとは中国の野菜で、色は浅緑。葉はぴりっと辛くてほろ苦いのと、根本の茎の部分が幅広なのが特徴。根本の茎の部分が幅広でセロリ状になった部分は「芥胆」ってことで葉の部分を切り落としてその部分だけを料理の素材にしたりします。春先から夏前にかけてがその旬だったはず。もうひとつの旬がこれから、のはずです。

そして「腊肉」。塩漬けの豚肉を燻したもので、赤坂璃宮は自家製だそうです。早い話がベーコンなんですが、日本で一般に知られ、売られているベーコンとは味の濃さや風味は異なります。
というのも日本で一般に知られ、売られているベーコンは工場生産により味なども日本人の嗜好にあわせて変えられ、多くは添加物、化学調味料を加味し、実際に燻すのではなく、燻液につけるだけなんてことで製品化されたもの。

ベーコンを自分で作ってみればその違いが明確にわかります。塩漬け加減も、燻し加減も、好みのままに作れますし、市販のベーコンとは全く異なる味、風味になるのは確かです。
実は「腊肉」こそベーコン本来の姿、とされるのにも大いに納得。しっかりした塩味、その味の濃さ。燻されて独特の風味のついた脂の甘さと旨味。
なんて言っても、香港、中国本土で市販化されてる「腊肉」は、焼き物専門店の自家製とは違って工場生産のそれですから、要注意。ですが、欧米などのベーコンに比べて味、風味が異なります。素材の質、それに燻す際や燻液が異なるからでしょうか。

「腊肉」は焼き物専門店や(製品化されたそれが)スーパーで売られていますが、秋も深まる頃に新しいものが出回りはじめます。冬の季節を迎える前に、豚を潰して備蓄する習慣があるからです。豚肉に限らず家鴨なども潰して塩漬けにしてそのままを干し、内蔵類は腸詰にします。

中国系の腸詰、といえば日本では豚肉の腸詰の「臘腸」が、特に台湾料理の店の定番的なメニューになっています。が、実は腸詰の種類は豊富。家鴨の血も含めた内蔵を材料にした「潤腸」がそれで、これまたその種類は豊富。鵞鳥のローストで有名な中環の「鏞記」では、もちろん鵞鳥を素材にしたそれを売ってます。

話戻して、この「芥菜炒腊肉/カラシ菜と干し肉の炒め」、早い話がほうれん草とベーコンの炒め物を思い浮かべてもらえばいいっか。でも、ないなあ!
なんて思うのは、まず「芥菜」、ひりっとした辛味がそこはかとなくあって、ほろ苦い。

それに「腊肉」、日本の市販のベーコンなんかに比べてしっかり火を通してある関係か身は締まっていて固い。塩味もしっかりで味が濃い。おまけに脂身の部分、触感こりこり。ぷりぷり感もあるとこなんか、かつての昔の鯨のベーコンを思い出す。ほら、最近の鯨のベーコンに妙に柔らかい感じで。なんでもかんでも柔らかいのが良いとは限らないのに……

おまけに脂身、甘味、旨味だけじゃなくって、独特のくせと風味がある。実はこの「芥菜炒腊肉/カラシ菜と干し肉の炒め」、家庭でも作られるごく一般的な惣菜でもあります。

「この塩味の感じからすると、ビールって感じだね」
「一緒に青菜も食べられる」「おかずにもいいんじゃないですか?ご飯が進みそうな肉野菜炒め!」
「でも、豚の生肉じゃ、この味、旨味、風味、でないじゃない?塩漬け豚を作って常備してたりするんだけど、日増しに旨味を増していく。醗酵系の旨味ね。それもあるんじゃないの」
ひり辛の「芥菜」と冬間近ってことを教えてくれる「腊肉」が秋を物語る一品でした。

2011/10/26

'11年10月の「赤坂璃宮」銀座店~秋の訪れの2

今月の「湯」は「菊花鱸魚羹/スズキと五目のスープ、菊花の香り」。
「海鮮羹」の一種です。
「海鮮羹」だと魚介類色々取り混ぜですが、この「菊花鱸魚羹/スズキと五目のスープ、菊花の香り」、料理名からも明らかなように鱸が主役。
「鱸」。中国料理でも頻繁に使われます。というのも、本来は海水魚ですが沿岸地域を中心に生息し、時には川を遡上。ですから、中国の場合は川を遡上してきたものを料理することが多いわけです。
日本でも川を遡上する鱸があるそうですが、一般にお目にかかることが多いのは沿岸地域での収穫物。出世魚として知られていて1~2年ものは「セイゴ」、3~4年ものは「フッコ」と称され、江戸前の寿司のネタで知られてます。

ウィキなんかによれば「身の質は鯛に似て、柔らかくてクセもなくあっさりしている」なんてありますけど、なじみの寿司屋で食べるフッコは別にして、これまでフランス料理店などで食べたものや魚屋で買い求めた鱸、なんだか泥臭いという印象ばかり。

それに、身の質、肉質ってことでしょうが、鯛に似てるなんてことですが、刺身だと鯛の、コリっとした触感よりもしっとり潤んだ感じだし、火を通せばしゅわっとした感触。グジとかアイナメに似てるんじゃないでしょうか

そんなアイナメなどにも似た肉質、触感、味わいが、実は中国料理にはうってつけ。そういえば袁さんの魚のつみれも鱸が主役でした。そう、中国のように料理にうってつけな淡水魚の入手な困難な日本では、その役割を果たしてくれるってわけです。

川崎さんの狙い目もそんなところにあったはず。とろみを利かせたスープにたっぷり入った鱸の触感は、滑らかで細やか。舌にとろけていく感じです。そして、五目の具材は赤いパプリカ、緑のピーマンにいんげん、椎茸などなど。

とろみの加減、袁さんに比べればちょっと濃い目ですが、ダシの旨さが光ってます。このダシ、旨いなあ!なんて正直思いましたもの。それに「塩梅」、塩加減もとろみと見事に調和。上品で洗練された「羹」です。

それ以上に憎いなあ!なんて思ったのは、菊の花びら。
見た目に秋。香りも秋。これぞ秋の訪れ。
名残りの鱸と秋の訪れを告げる菊花の組み合わせは実にお洒落。

2011/10/25

'11年10月の「赤坂璃宮」銀座店~秋の訪れ

ちょー久々のブログアップ。やっぱりまずは「赤坂璃宮」銀座店の月例報告から。
実はブログアップをサボっていた間に「赤坂璃宮」銀座店の料理長が交代。
袁國星料理長は5月に香港に帰国。代わって料理長に就任したのは川崎次郎さん。

横浜の聘珍樓の出身で仙台のホテルで料理長を務めたあと「赤坂璃宮」銀座店に、って伺いました。 聘珍樓、と言えばかつて周富徳さんが総料理長だったところ。その後、謝華顕さんが総料理長となってから本格的な広東地方の郷土料理を紹介し、料理傾向も変わりました。そんなことから川崎料理長、聘珍樓でも謝さん風の広東料理かと思いきや、チョットばかり違いました。

聘珍樓の謝さんのような香港の街場の料理店の広東料理とは違います。
80年代半ば以後、香港の高級ホテルの中国料理店で隆盛を極めた伝統料理を下敷きにした新派(ネオ・クラシック)。その影響を受けた日本の高級ホテルの料理店の広東料理、なんて話がややこしいか。

上品で洗練されたスタイルです。一皿の料理の色合い、見た目の美しさ、素材の組み合わせ、切り分け、素材の分量、その盛り付けがそれを物語る。加えてその味、日本人の嗜好を考慮し、旨味をプラスアルファ、なんてところもそう。

そんな新派的な趣はマンダリン・オリエンタルのセンスの高瀬さんの料理に通じるところがありますが、高瀬さんよりも広東地方の郷土料理、それも街場の料理店のそれを意識している人物だ、なんてこともわかりました。

実はこの夏、スペース・シャワーで放映された岡村靖幸君の特別番組「岡村靖幸のおしゃべりエチケット」でのインタビューの際、対談の場所のひとつになったのが「赤坂璃宮」銀座店。
岡村君が自ら選んだ最新作「エチケット」から選んだベスト5曲に応じて料理5品を選んだ際、色々と相談に乗ってくれたのが川崎料理長。「実は広東地方の郷土料理、好きなんです」なんてことから、番組ではそんな料理もさりげなくチョイス、なんてことがありました。

さて、今月の前菜。これがなかなかのもんでした。まずは画像を!

画像中央の下、ぷっくりふっくらの腿を晒し、その存在を主張するのは鳩、それも仔鳩。仔鳩のローストの「脆皮焼乳鴿」です。まさか脆皮焼乳鴿に出会えるとは!それだけで一気に盛り上がりました。
実はこれまでにも「赤坂璃宮」で「脆皮焼乳鴿」、何度か食べたことがあります。「脆皮焼乳鴿」と言えば、香港では沙田のそれが有名。「赤坂璃宮」の赤坂の本店で焼き物担当の料理長の梁さんはそんな沙田スタイルの「脆皮焼乳鴿」がお得意。

そして「赤坂璃宮」銀座店で焼き物担当の平林君も梁さんの薫陶を受けたひとりです。そう、平林君と言えば「チューボーですよ!」で「未来の巨匠」として紹介された若き料理人。随分前から「赤坂璃宮」銀座店の焼き物を担当し、このところ、その手腕、めきめき。毎月の前菜からわかります。

焼鴨にしろ焼肉にしろ叉焼にしろ、それぞれの下拵え、焼き方、その切り分け、厚みに神経を配った跡がしっかり窺えます。いや、あの、実は私、率直にアテンドの山下さんに、切り方、厚みがどうのこうの、塩味のキメとか下拵えがどうのこうのって伝えていたりする口煩いオヤジなんですすが、まさに打てば響くの例え通り、平林君、必ずしっかりとそれに応えてくれます。

しかも、毎月、私なんかが口にする前に「これ、この厚み、この方が旨いよね」とか「塩味しっかり利いてる」「外はカリっとしてるのに、肉がジューシーなのいいですね。すごく焼き加減よくなった!」なんて会話が飛び出しますから。
今回の「脆皮焼乳鴿」、皮はパリパリ、噛み締めると脆く崩れます。なんてとこ、下拵えの際、もしかして麦芽糖なんか塗りこんだのかなあ。甘味、旨味のためだけじゃなく、窯で焼いた時、照りを生み出すには不可欠なもんです。
噛み締めると、肉汁がほとばしる。濃厚な旨味が口中に広がり、やがて喉元から鼻に独特の香りが立ち昇ります。
「鳩って食べるの初めてなんですけど、旨い!この味、レバーみたいですね」と先月以来参加の新人K君。
「だって、鳩の肉って血の味、鉄分が多いし、レバーと似たようなもん」と知ったかぶりの私。

ところで、この鳩、茨城で養殖した鳩だそうで。フランス料理店なんかに卸してる鳩なんでしょう。
で、ミマスの鳩?なんて思って山下さんを通じで確認してもらったら「ジャフレーだそうです」と山下さん。
あ、それ知らない。知らなかったんで検索したんですが、茨城で鳩が養殖され、フランス料理店や中国料理店に流通してるのはわかりましたが、その品種の実態は不明のままです。

今回の仔鳩、香港で食べることが多い石岐産の「乳鴿」よりも味が濃い。血の味、鉄分と脂肪が漲ってる感じです。一体、何週間飼育もの、なんでしょうか。その下拵え、塩味しっかり。それが実に効果的。
「お塩を用意しましたので、これをつけて召し上がっても」と山下さん。
以前、触れたことですが「赤坂璃宮」の赤坂店で某女史主宰の「鳩を食べる会」に参加した折り、レモン汁入りの塩が添えられてなかったのでお願いしたところ「もう鳩に味がついてますから」とあえなく却下。トホホ!
しかし、そんなことでくじけない私は、ひたすら懇願してレモン汁入りの塩をゲット。
「え、そんな食べ方するんですか?」すでに半分以上食べてた同席の方にレモン汁入りの塩を薦めたら
「なるほど、鳩の塩味、しっかり利いてるから塩は邪魔だと思ったら、レモン・ソルトだと脂のしつこさ抑えてサッパリになるんですね」

今回も、私が画像を撮るのに夢中になってる間に、皆さん、添えられたレモンを鳩に直接かけて食べ始めてたのに気づいて「あ、そうじゃなくって、ほら、添えられた塩にレモンを絞り垂らして、鳩をそれに浸して食べるのがぐっど!」「え、そうなの?」試した同席の仲間「ほんとだ!レモンを直接鳩に絞り垂らすよりも、こっちの方がさっぱり!」
塩を用意してくれた平林君、ありがとう!下拵え、塩味の利き方、皮のぱりぱり、照り具合。噛み締めた肉のレアな感じと血のジューシーな味、香りのする肉の味わい、その柔らかさ、良かったです!

2011/06/15

生日快楽

本日、誕生日を迎えました。誕生日には香賓開けて、というのが恒例でしたけど、子供の頃の誕生日にならって鯛と赤飯で祝いました。幼稚園から小学校の低学年ぐらいまでは鯛に赤飯というのが誕生日の食事だったからです。

神戸で鯛といえば明石の鯛。ですが明石の鯛は晩春と秋が旬(のはず)。6月ともなると旬を逸しています。とはいえ、明石の鯛はやっぱり旨い!と子供心に思ったものです。

もっとも、そこに(ビフ)テキという強敵が現れる。しかも洋食やでナイフとフォークを使って食べるのを知って以来、家の食事でもそれに倣いたくて、それまで箸で食べてたコロッケやトンカツ、フライの類も洋皿に並べてナイフとフォークで食べたいとせがむ気取ったマセガキでした。

ましてや(ビフ)テキを食べるにはナイフとフォークは不可欠なもの。しかも誕生日の(ビフ)テキは心踊るビッグイベント。しかし、誕生日に食べる鯛の美味も捨てがたい。

毎年、誕生日が近づくと「鯛にする?それとも(ビフ)テキにする?」という母親の問いに、どう答えるか思い悩む日々を送る食い意地のはったガキでありました。

画像は今月の「赤坂璃宮」銀座店での恒例の会議の際、点心料理長の久保田さんにお願いして作ってもらった「桃包」。

これまで友人、知人の誕生日の宴会で何度も味わってきた「桃包」ですが、私の誕生日に食べたことはありませんでした。

そんなことから、毎月恒例の「懷舊点心」、この機会を逃してなるものぞと久保田さんにリクエスト。蓮の実餡仕立ての「桃包」。
久保田さん、願いを叶えてくれて有難うございます。

2011/06/02

ゴールデンウィークにいいもん聞いた~その5

5月6日には長野のBIGHATで小田和正の『KAZUMASA OSDA TOUR 2011 どーも どーも その日がくるまで』。
3月に発表された小田和正の『どーも』。内容充実の素晴らしいアルバムです。表題は小田和正がステージに現れる時のいつもの挨拶、でしたっけ?ともかく、気軽な感じですが、その内容、表題とは裏腹に、意味深くて、味わい深い。

作品のいつくかの断片はCFやTVの番組などで馴染みもの。ですが、ひとつひとつの作品、アルバムそのもの、全体を通して耳にすれば、まったく印象が異なります。そのメロディー、歌詞、演奏、サウンド展開は充分に吟味されたもの。
しかも、その歌詞から浮かび上がるのは小田和正のこれまでの足跡を踏まえ、今、さらには明日を見据えた明快な視点。小田和正そのものが浮かび上がる。

70年代初期のシンガー=ソング・ライター風を思わせる懐かしさが甦る作品をはじめ、そのひとつひとつがそれを歌うにふさわしい楽器を小田自らが手にして歌い、様々な演奏、サウンドを展開、というあたりも面白い。

そのすべてにおいて、核になっているのが、小田の作品と歌。同時にそうした歌詞、作品は、世代を超えて共感しうる普遍性、深さ、訴求力、説得力がある。というあたりが見事です。しかも、J-popの成熟を物語るものであり、その頂点を極めた作品というにふさわしい。実に見事なポップ・ヴォーカル・アルバムです。

そんな作品の中には奇しくも今回起きた東日本震災の罹災者、また、救いの手を差し伸べようとする人々にとって、意味のある歌でもあった。実は、これまでに小田和正が手がけ、歌った作品には、今と明日をみつめ、聞くものを勇気付け、エールを送る歌をてがけ、歌い続けてきた。

今回の出来事との遭遇に小田自身、今回のアルバム『どーも』、さらにはその発表に併せてのツアーを実施するかどうか、思い悩んだ末にアルバムの発表とツアーの実施を決断、という経緯もあったそうです。

長野のBIGHATでのツアーでの初日に出かけたのはそんな小田和正の今の思いを知りたかったからです。そして、目の当たりにしたコンサート、思いのほか小田和正の心は揺れてる様子でした。

東日本震災が起きる前、準備していたツアーの内容を改めて熟慮。手探りで新たなスタートを切ったことがとうかがえ、PAを含めてまだ未消化なところも散在。 「hello hello」では思い余って歌に詰る場面も。

それでも、最後には「明るく、最後まで、笑顔で走り抜けます!」と宣言。
誠実でひたむきな小田和正の人柄が現れてました。
人との絆、そんなことが思い浮かぶ公演でした。

2011/05/27

ゴールデンウィークにいいもん聞いた~その4

5月5日には芝 メルパルクホールで「moonridersデビュー35周年記念 火の玉ボーイコンサート」。同公演についてはすでに5月16日の朝日新聞夕刊POPS欄のステージ評に執筆。それをそのままここで掲載っていうわけにはいかないんで、重複する記述もありますがご容赦を。

何と言っても話題、楽しみは『火の玉ボーイ』のステージでの丸ごと再現。今年初めに発表された同作のリマスタリング盤についてはすでに紹介済み。もっとも、同作の丸ごとの再現とはいっても、まんまじゃないです。

本来はあがた森魚の『日本少年』などの制作の最中、鈴木慶一のソロ作として制作されたものが、発売時、ムーンライダース(ズではなくスです)の名も加えられていた。なんてことからムーンライダーズ(と「ス」から「ズ」へと後に改名)のデビュー作と見なされてるわけですが、やっぱり鈴木慶一のソロ作、ですよね。

で、今回、同作にゲスト参加し顔を並べた矢野誠、矢野顕子、徳武弘文などがゲスト参加。そこに細野晴臣が加わるはずだったのが、東日本地震があってコンサートの開催が延期され、結果、細野晴臣は不参加となった次第。

それにとって代わる存在となったのがあがた森魚。今回のコンサートには当初からゲストに名を連ねていたわけですが、ヴォーカリストとしての力量と存在感の著しいあがた森魚。加えて奔放な個性を印象付けた矢野顕子はゲストの中でも際立ってました。

それより、今回の『火の玉ボーイ』の丸ごと再現、オリジナルのアルバムは鈴木慶一のソロ作という印象大ですけど、それとはうって代わってまんま今のムーンライダーズとして再現で、パワフルでダイナミック。そこで見逃せなかったのが今のムーンライダーズのサポートを担当するドラマーの夏秋文尚の存在。パワフルでダイナミックな演奏の牽引車と言っても過言ではないはず。
「火の玉ボーイ」が実はムーンライダーズにとってのデビュー・アルバムだった、ということを印象付けることにもなりました。

ところが、そんなパワフルでダイナミックな「音」ながら、肝心の歌、鈴木慶一の歌が不安定でファンである私としてはドキドキハラハラヒヤヒヤ。って、そんな風に思ったのはどうやら私だけではなかったみたいです。もっとも「火の玉ボーイ」の再現ステージの後半には持ち直し。二部の終盤ではムーンライダーズの看板として存在感を見事発揮。
今回のコンサートで目を見張ったのは、先の夏秋文尚に加えて、マルチ奏者の高田漣、さらにはバリトン・サックス・アンサンブルの東京中低域。幕開け、ニューオリンズのマーチン・バンドさながらに客席から登場し、オリジナル作のいくつかを演奏し、さらにはブラスセクションとしてムーンライダーズの演奏に加わった東京中低域。さらに、高田漣の味のあるサポートが光ってました。

そしてムーンライダーズ。「Back Seat」でのプログレ的演奏展開は、ひとっところに止まらず、常に変容を遂げ続けるムーンライダーズらしくって、今後の彼らの展開を示唆、なんてところが面白かった。

2011/05/23

ゴールデンウィークにいいもん聞いた~その3

5月2日は「忌野清志郎 ロックン・ロール・ショー~日本武道館 Love & Peace」。今年三回忌を迎えた忌野清志郎の命日に開催されたトリビュート・コンサート。仲井戸麗市、新井田耕造、さらには藤井裕、KYON、梅津和時、片山広明からなるメインバンドを主体に、忌野清志郎に縁のあるミュージシャンが顔を揃えて競演。それぞれ縁のある忌野清志郎作品を披露、という趣向。

Leyona、息子のKenKen、ノブアキとの共演も披露した金子マリ、途中、アコースティックセットでは泉谷しげるが原発批判を込めて「サマー・タイム・ブルース」、「ラヴ・ミー・テンダー」を歌い、あの「カヴァーズ」をほうふつさせる。さらに忌野清志郎訳による「イマジン」を歌ったゆず、肩の力を抜いた歌と演奏で実力、力量、懐の深さを見せた真心ブラザーズ、無垢で奔放なナイーヴな歌、演奏だったサンボマスター。

そうした中で強烈な印象を残したのが斉藤和義、奥田民生、ザ・クロマニヨンズ。噂の替え歌こそ披露しなかったものの「替え歌はまだだめなんですよ!なんでコメントした斉藤和義。「JUMP」、「どかどかうるさいR&Rバンド」のタフでワイルド、逞しさを身に付けた歌、演奏に「わ!すげえでかくなった」と感心。

そして奥田民生。歌ったのは「スローバラード」とRC時代の作品で仲井戸麗市が歌った「チャンスは今夜」。仲井戸麗市のトリビュート作で起用していた作品。どこかすっとぼけていてあっけらかん、なんてイメージと同時に、めちゃくちゃ濃くて熱いロック演奏を展開する奥田民生。当夜の会場に駆けつけた清志郎ファンの多くが「スローバラード」の真摯な熱唱に打ちのめされた様子。

私にとって「思わず、ゾク!」と興奮を覚えたのは奥田民生のギター演奏。随分前にも奥田民生のコンサートでそれを体験。タメを利かせたうねるギターのフレイジングは、まさにグランジのそれ。

グランジっていえば、パンク、ハードコア・パンクを下敷きにシアトルを中心に盛んとなったロックってことで認知されてます。ニアヴァーナやパールジャムはその代表。ですが、日本で見落とされがちなのは、それが生まれる必然、つまりは社会的な背景。つまりは時の大統領ロナルド・レーガンの経済政策が生んだ社会的な歪み、結果生まれた貧富の格差社会。グランジの担い手の多くは、その犠牲者の子息だった、なんてことがあるわけです。

当の奥田民生、そんなことを知ってか知らずか、タメの利いたうねるギターのフレイジングからは、そんなグランジを生んだ当時の社会的背景までを甦らせる、なんてところが「凄い!」なんて思う私です。ま、そんなこと思うのは私ぐらいなもんでしょうけど。

さらにザ・クロマニヨンズ。取り上げた「ROCK ME BABY」、「ベイビー逃げるんだ」、「いい事ばかりはありゃしない」のどれもが強力ダイナマイト。体を震わせ舌舐めずりしながら歌う甲本ヒロト、音の返りを確かめるようにしながらリフ、パワー・コードを奏でる真島昌利のギター。圧倒的なパワー、ダイナミズムに圧倒されました。

他にも生真面目で気弱な側面もある個性をさらけだしたトータス松本。堂々の存在感を発揮したYUKIと矢野顕子など、見もの、聞きものはふんだんに。4時間弱の長丁場のコンサートだけに、おやじ(私ですけど)、途中休息の要ありでしたが、素晴らしいコンサートでした。画像は奥田民生と梅津和時。撮影は有賀幹夫。