2006/12/29

小杬公菜館のメニューの一部


 これが「小杬公菜館」のメニューの一部。メニューを開くと最初のページに「海鮮巨覇」とあり、さらにページをめくると「小杬公菜館」の新鮮な魚介の一覧がある。
 その筆頭は「老鼠斑」、次いで「紅斑」。それから「蘇眉」となっている。
 立魚、つまり鯛類は半ば以下に登場する。しかも、魚の最後近くだ。
 香港の鯛は、生息地域が違うこともあってか、形態、みかけは鯛でも、肉質は異なり肉質は「ゆるい」という印象を受ける。

 沖縄の市場で、階上に魚介を料理する店があって、ベラ類の魚を食べたことがある。
 「塩煮」ということで、塩味で煮込んだものだったが、肉質がはらりと崩れる柔らかさに驚いた。
 香港の鯛は、肉質が緻密だったが、その「はらり」の感触はないい。
 あの「はらり」の感触は南方の海に生息するベラ類の魚の特徴、なのだろうか。

蟹黄魚翅撈飯(15)

 初めて香港に旅行した当時、『香港・台北いい店うまい店』をはじめとするガイドブック、『旅』など雑誌で紹介された香港の食ガイドをよりどころにしていた。それらから香港は広東料理の本場であること、香港のある料理店のほとんどは広東料理を看板にしていること。また、新鮮な魚介を素材にした海鮮料理が最上位に位置するご馳走だ、ということを知った。

 海鮮料理は素材のほとんどが時価であり、高価であるということからも、最上位に位置する理由もわかった。

 同時に、香港では北京料理、四川料理、上海料理など、中国各地の地方料理を味わえるとのことだったが、香港に通ううち、上海料理、杭州料理を除いて、各地の地方料理、たとえば北京料理、四川料理などは本場のそれとはいささか異なるものだ、ということを知ることになる。
 
 素材や調味料の調達などの問題もあるが、地元、香港で大多数を占める広東人の嗜好にあわせたものだとわかったからである。

 同じことが日本の中国料理についてもあてはまる。
 もともと日本の中国料理は、中国人によってもたらされた。が、本場そのままの素材、調味料理の調達には限りもあり、日本で入手可能なものをもとに、創意や工夫がなされてきた。

 さらに、当初はその顧客も同胞やその存在を知るものだけ限定されていたが、やがて、日本人にその存在を知られ、しかも、顧客の大半を占めるようになって以来、嗜好が反映されるようになった。日本の土壌、環境を背景にした日本独自の中国料理が形成され、定着してきたのも当然なことだ。

 それが本場中国各地に存在する地方料理との隔たりを生み、また、その浸透の大きな妨げとなっているのは事実である。

 香港で大多数を占める広東人にとって、北京、四川、上海は、遠い「北方」の国、しかも、異国だという認識すら持っている。その隔たりは、たとえば日本での沖縄と北海道とのそれなどではなく、日本と韓国、いや、それより日本とフランス、イタリアなど、ヨーロッパの国々との隔たりと同様なのだ、と言っても過言ではない。
 
 つまりは、香港の広東人にとって北京料理、四川料理、上海料理は、まさに外国料理に他ならないのである。

 ちなみに、香港の食の歴史、その変遷をたどれば明らかだ。
 たとえば、香港に本格的な四川料理の店が誕生したのは第二次世界大戦後、48年のことだった。
 
 銅羅湾にあったホテル新寧招待所に開店した「川菜餐廳」がそれである。
 初代料理長を務めたのは、その5年後、日本にやってきて四川料理を日本に紹介し、広く一般にその存在を知らしめた陳建民、その人である。

 香港における北京料理、上海料理の歴史や変遷については、まだ調査中の段階だが、やはりその数が一挙に増加したのは、戦後、それも、共産党政権による中国人民共和国が成立した47年前後のことだ。

 上海の海運、貿易、繊維業の経営者などを筆頭に、中国本土の資産家が共産党政権から逃れ、本拠を香港に移住した。そうした社会状況を背景にしたもので、ことに上海系の料理店は、富裕層を客層にする高級店から、低所得者層を対象に深夜遅くまで営業していた食堂的な店まで、多種にわたり、その数は一挙に増加した。

 香港で上海料理、杭州料理が、例外的に本場、中国本土の味をほぼそのまま継承してきた理由はそんなことに由来する。

 ついでにいえば、47年の中国人民共和国の成立の前後から50年初頭にかけ、香港に大量に押し寄せた中国からの難民の増加が、香港の庶民の日常の食をまかなってきた固定式の屋台店の増加を促すことにもなったのだ。

 話を戻して、香港の海鮮料理、私の最初の海鮮料理体験は、悲惨この上ないものだった。
 それは、最初の香港旅行の際、参加したパック・ツアーに組み込まれていた香港仔(アバディーン)の水上レストランでの食事である。

 香港のパック・ツアーを利用したことがある人なら、「ああ、あそこ?行った、行った!」と、誰もがうなずく香港の観光名所のひとつだ。

 我々一行が連れて行かれたのは「珍寳」だった。
 最初に出てきたのは「白灼中蝦」。
 次いで「ふかひれのスープ」。それも、「散翅」、まさに「屑ひれ」を使ったとろみがたっぷりついた醤油味のスープだった。
 さらに、蝦と野菜の炒め物、などである。そして、締めくくりは「揚州炒飯」。

 魚介の素材の質の悪さにげんなりとした。茹で蝦の蝦は、明らかに冷凍ものだった
 また、スープ、炒め物はじめ、調理、味付けの乱暴さに驚いた。凡庸としてとらえどころがないばかりか、その不味にうんざりした。これなら、日本の中国料理の方がましではないか、とも思ったものである。
 もっとも、冷静に考えれば、それも当然なことだと思う。格安のツアーに組み込まれたものであり、予算も限られていたからです。
 ちなみに、我々が参加したのは、三泊四日、3日分の朝食と昼、夕食が一回ずつ、観光とショッピング案内つきで7万2千円。それも成田を夕方に立って、帰国は午前便。行動可能なのは中二日。それも、1日目はわずかばかりの市内観光と、大半は案内の地元の旅行社提携の店に連れ回された。
 
 案内されたいずれの店とも、我らツアーの一行が入ればシャッターを下ろし、店に閉じ込める。
霊感商法さながらの有様だ。

 お仕着せの食事とショッピング・ツアーから逃れ、自由を勝ち得たのは!滞在3日目の昼過ぎの1時のことだった。そして、出向いたのが陸羽茶室だったのである。

 そんなこともあって、2回目の香港旅行では、香港の広東料理、それも、その真髄とされた海鮮料理にリヴェンジ。いや、なんとかして再挑戦を試みたいと思った。

 そして出かけたのが「小杬公菜館」である。同店がまだ河内道にあった頃のことである。

 ちなみに、その時のメニューは以下の通りだ。
①白灼生中蝦
②西湖牛肉羹
③蝦子豆腐
④豉椒焗肉蟹
⑤蠔油玉蘭
⑥清蒸生斑

 メニューは『旅』での香港の食ガイドを参考にしながら、同行の友人の意見も聞きながら、店の人と相談し、組み立てた。海鮮料理の基本を押さえたコース設定である。

 その二日後、初めて叙香園酒樓を訪れた。同店も『旅』の香港の食ガイドで知ったものである。
 その時のメニューは以下の通りだ。
①大史五蛇羹
②菜片鴿片
③玉蘭鮮堯柱
④清蒸立魚
⑤揚州炒飯

2006/12/28

小杬公菜館のメニュー


 これは小杬公が尖沙咀の河内道から柯士甸道に移転してからのもの。河内道時代のものも所持していたが、現在は行方知れず。
 当時、河内道時代の小杬公、金巴利街にあった頃の上海一品香菜館の菜単をなんとか貰い受け、陸羽茶室の飲茶の点心のメニューとともに、料理内容の解読に夢中になったものだ。
 48年、香港島の上環で創業した小杬公の歴史は、そのまま香港で新鮮な魚介を扱う海鮮料理の歴史といえるもので、担った役割、その貢献は大きい。
 飛山百合子著の「香港の食いしん坊」でも小杬公の歴史が紹介されているが、ネタ元は香港の料理雑誌「飲食天地」に一時連載された小杬公についての記事のようだ。その内容はほとんど同じである。さらに、「飲食天地」の記事のネタ元は、創業15周年を迎えた際の当時の新聞記事だったようだ。
 香港の新界各地の漁村にネットワークを張り巡らし、漁師が水揚げした魚介を買い付け、初期にはオートバイで店まで運んだ、といった逸話もある。

2006/12/27

蟹黄魚翅撈飯(14)

 初めての福臨門で、ふかひれ料理のふかひれの種類を最高ランクの「裙翅」にはせず、「生翅」にしたのは、予算を考慮してのことだった、ような覚えがある。
 ふかひれの料理とともに、なんとしでも蒸し魚を食べたかったからだ。
 新鮮な魚介は時価である。そのうち、蝦やタイラギなどはさほど高価でもなく、量を加減すればうまく予算内に収められる。しかし、魚の値段は高い。種類もいろいろあって、その値段は異なる。

 香港の料理店で食べられる魚については、後で別に触れるつもりだが、大雑把には遊水海魚、つまりは海の魚、海水魚と、淡水魚、川魚の2種に分けられる。
 
 海鮮料理を専門とする料理店で常備しているのは遊水海魚や各種の蝦、蟹などの甲殻類、貝類などだ。

 海鮮料理を看板にしていても、中には鯪魚(鯉)、生魚(烏魚/らいぎょ)など、淡水魚を素材にした料理を出している店もある。
 
 鯪魚はつみれ団子にした鯪魚球を、揚げて蜆蚧醤(クラムソース)で味付けして土鍋で炒め煮込みにした「蜆蚧鯪魚球」がその代表的な料理だ。

 生魚は日替わりスープの「例湯」に頻繁に使われる他、薄くそぎ切りにし、菜心(さいしん)や火腿などを巻いて炒め物にする。「生魚巻」がそれである。

 いずれも広東地方の郷土料理で、とくに順徳/太良地方のものが有名だ。

 もっとも、海鮮料理を看板にする店での魚、ことに蒸し魚に使われるのは、主に遊水海魚だ。
 例外は川魚の王とされる桂魚(けいぎょ)だ。かつて、香港で遊水海魚の入手が難しかった時代、豪華な宴会の締めくくりに使われてきた。
 90年代に入って香港の中国への回帰を背景に、懐古的な料理が脚光を浴びるようになって以後、桂魚が宴会料理の華になったこともある。

 遊水海魚の中で蒸し魚に使われる魚の大半を占めるのは石斑(はた)類とべら類だ。
 はた類の中で、最も珍重され、値段も高価なのは老鼠斑(サラハタ)。
 次いで、紅斑(きじはた)、青斑、星斑などが続く。
 
 老鼠斑同様に珍重されているのが、べら類の蘇眉である。
 ナポレオン・フィッシュの通称で知られるメガネモチノウオ(学名はCheilinus undulates)だ。
 近年は自然保護団体から絶滅を危惧して捕獲の禁止を求める声があがっている。
 それに続くのが青衣(しいら)である。

 いずれも、紅斑などよりもランクは上で、値段も高い。

 ちなみに、はたの類は、ほろりと崩れる柔らかな肉質がその特徴としてあげられる。
 一方、蘇眉や青衣は、しゅわしゅわっと舌にとろける緻密で繊細な肉質を特徴としている

 以上挙げてきた以外に立魚も蒸し魚の料理に使われる。
 鯛である。日本では魚の王者だが、香港でのランクは低い。斑類同様、立類も種類は豊富である
 
 話は初めての福臨門でのメニューのことに戻る。
 ふかひれの料理と蒸し魚をメインに据えたコースを組み立てることになったが、総勢10人という人数をまかなえる魚は、紅斑しかなかった。それが、紅斑を選んだ理由だ。

 結果、ふかひれ料理は最高ランクの「裙翅」ではなく「生翅」になったのだった、 という記憶がある。

2006/12/24

鮑汁婆参荷包翅


 先の荷包翅を使った一品。干貨素材の干鮑(干し鮑)、海参(なまこ)、花膠(魚の浮き袋)などを一緒に煮込だ「海味一品保」のバリエーションといえるもので、ふかひれとなまこを煮込んだものだ。
 東京の福臨門酒家の総料理長である呉錦洪氏が考案したものである。
 呉錦洪は、福臨門の九龍店の総料理長である羅安氏の弟子である。
 鮑、ふかひれ、なまこなどの干貨を使った海鮮料理を得意とし、羅安氏もその手腕を高く評価している。

蟹黄魚翅撈飯(13)

 海鮮料理のほとんどは時価である。ましてや干貨を素材にした料理の値段の高さは承知済みだった。それを目当てに福臨門に出向いたのだから、それなりの心積もりもあった。
 そんなことから受付嬢の宣告にも「あ、そうなの」と、軽く受け流した。
 それでも受付嬢は私の後に控えた同行の仲間を見据え、いぶかしげな面持ちのままである。彼女の視線を追い、我が一行を振り返ってみて、彼女の面持ちも、成る程と納得した。

 香港では3月に入れば日本の初夏ほどの気温、暑さになる。当時、MTRはまだ開通しておらず、フェリー、タクシー、トラムを利用して移動し、もっぱら徒歩で行動していた。
 そのため、一行のほぼ全員が身軽な装いでいた。ポロシャツにコットンパンツ姿はまだしも、Tシャツにジーンズ姿の者もいた。おしゃれにうるさく、Tシャツにジーンズ姿の上に、スカーフを首に巻きつけている者もいた。もはや汗ばむほどの暑さの香港では、奇異にしか見えないの装いだった。女性陣こそおしゃれな装いだったが、それでも、男共同様、軽装のままである。

 キチンとした身なりのジェントルメンやドレッシーな装いのレイディーには程遠い身なりの者ばかりである。おまけに、一行のほとんどが年齢の割りに若く見られがちで、ことに女性陣がそうだった。それよりもなによりも、懐が豊かそうには見えない。

 旗袍の受付嬢の視線をさえぎるように「あ、なるほど・・でも、ま、ご心配なく。その心積もりはありますから。たぶん、それを上回る勘定をお支払いすることになると思いますが」と、慇懃に答え、「で、席はありますか?」と受付嬢に尋ねた。

 初めて訪れた福臨門のことについてはそんな思い出話が先立つ。その後、しばらくの間、福臨門の話になるとその出来事、エピソードが一緒に香港を訪れた仲間では話題になり、友人、知人にその話を繰り返したものだ。その後、福臨門ではミニマムチャージはなくなった。

 その日、「紅焼生翅」以外に食べたのは、
車えびほどの大きさのえびを茹でた「白灼中蝦」、
タイラギの貝柱を豆?ミソで炒めた「豉汁炒帶子」、
鶏の丸揚げである「脆皮鶏」、
チャイニーズ・ブロッコリーの芥蘭を炒めた「清炒芥蘭」、
紅斑(キジハタ)の蒸し物の「清蒸大紅斑」
などである。

 乾貨素材、それに、新鮮な魚介を素材にした料理による典型的な海鮮料理のコース・メニューだ。
 しかも初めて福臨門を訪れる人には格好のコース・メニューであり、香港の高級海鮮、また、福臨門の入門篇としてはうってつけのものであり、その真髄を味わうことが出来る。

 懐にもう少し余裕があり、なおかつ、食べることに意欲的で、何でもえり好みせずに食べられるという人、旨いもの、美味しいものが食べたいという人には、海参(なまこ)か花膠(魚の浮き袋)の料理。もしくは、その2種に冬菇(干椎茸)、冬筝(冬竹の子)などを加えて煮込んだ「一品保」(干貨、つまりは、乾燥海鮮素材を使ったあわせ土鍋煮込み)を勧めることにしている。

 そこに干鮑(干しあわび)が加われば、もう怖いものなしである。
 ウルトラ級、極上の「海味一品保」となる。
 むろん、値段もウルトラ級、極上であることは言うまでもない。

 そこで、もう一手、鵞鳥の水掻きの「鵞掌」を加えれば、もはやかなうものなし。
 食いしん坊好みの一品になる。金に糸目をつけないなら、干し鮑だけの料理がある。

 初めて福臨門を訪れた際、我等一行の面倒をみてくれたのは、現在の福臨門九龍店のマネージャーで当時はまだキャプテンだった梁保である。彼との出会いも大きく、多くのことを教えられた。

 メニューは「旅」でのガイドをもとに選び、梁保に一品ごとの値段を確認し、総計を出してもらい、電卓片手に人数で割り、予算に合わせてメニューを入れ替えし、決定した。
 そうやって、私が梁保とコース内容と値段の交渉を続ける間、わが一行は空いたお腹をかかえたまま、お預け状態である。
 私は仲間のことなど気にもかけず、ひたすら、我が仲間の全員が納得できる予算内にすませられる金額を念頭において、電卓片手に梁保と交渉し、コースのメニューを組み立てた。

 実は、福臨門に限らず、初めて香港に旅し、ツアーから離れて自由行動の時間を得て、自分たちで出かけた店をきっかけに、どの店を訪れても同じように一つ一つの料理の値段を確かめ、総計を出し。それで納得した上でコースの内容を決定する、といった交渉を行ってきた。

 香港に限らず、外国に旅行した体験から身についたものだ。むろん、接待されるような席でそんな行動をとったことはないが、気の置けない仲間となった人たちとの食事では、勘定の際、食べたもの、その値段のひとつひとつを確認した上で支払う、という場面を何度も目の当たりにし、私もそれに倣ってきただけのことである。

 それに、その確認をしなければ、思わぬ勘定を支払わせられかねないことも何度かあった。まして香港では値段の確認を怠っため、法外な支払いになった、という話を耳にしていたからである。
 そんなことからメニューを選んでコースを組み立てる際、値段の確認、およその総計を事前に確認することを怠らずにきた。交渉の間、空いたお腹を抱え我慢を強いられる旅仲間からは「香港の食卓の電卓王」、「電卓の鬼」とからかわれ、私もそれを自認してきたものである。

 福臨門の店の玄関には「富客常臨」、お金持ちが来る店であり、お金のないものは近寄れずと言に含めた看板が掲げられている。そんな福臨門で料理の一品一品の値段を確認し、電卓片手に総計を確かめて交渉するなど無粋この上ない行為だし、客としてはふさわしくないはずだ。

 もっとも、梁保の話によれば、欧米の観光客のほとんはそうやって一品一品の値段を確認し、納得したうえで、メニューを決めるそうで、極当たり前のことであり、彼も慣れている、との話だった。もっとも「でも、日本人の客には、滅多にいないね」と、笑いながら付け加えたものだ。それより、梁保は、美味しいものを食べたいという熱意を感じ、それに応えたいという気持を持ってくれたという。

 その話を聞いて以来、福臨門では、時たま値段の確認こそすれ、電卓片手に料理を注文するのはやめた。梁保への信頼と、実際に食べて満足を得られない、ということがほとんどなかったからである。不満や疑問を覚えれば、梁保に率直に伝えた。その答えは、その次に訪れた際に返ってきたものである。

香港台北いい店うまい店の目次


 さきの「香港台北いい店うまい店」の目次である。
 前述の通り、発行は69年。私が初めて香港に旅したのは79年。10年の隔たりがあって、無くなってしまった店などもあった。
 この著作での住所と地図を頼りに「陸羽茶室」に出向いたが、すでに、士丹利街に移転していた。結果、中環から皇后大道中を西へ西へと歩き、移転を知って東へ東へともとの中環まで戻ったものである。
「陸羽茶室」、「鏞記酒家」、「天香樓」などは現存するが「大同酒家」、「夏蕙」など、無くなってしまった店が多い。
 名店と評判だった「大三元酒家」や「告羅士打大酒家」の名もある。小杬公海鮮菜館などは河内道時代の住所になっている。
 新派広東をリードしてきた元凱悦軒の料理長で、現在は自身の私家房を経営する周中氏が最初に修行した夜総会(シアター・レストラン)でもあった金冠大酒樓、沙田にあった船上レストランの沙田晝舫の名があるのも興味深い。
 そして「新同樂」、「福臨門」の名はない。香港でふかひれ、あわび、燕の巣などの干貨素材、また新鮮な魚介を使った海鮮料理が華開いたのは、70年代に入ってからのことである。

蟹黄魚翅撈飯(12)

 福臨門のことを知ったのは、「旅」に掲載された香港の食べ歩きガイドでのことだ。
 新鮮な魚介を使った海鮮料理だけでなく、干貨、乾燥素材を使った料理への関心を持ち始めていたこともあり、本格的なふかひれ料理を食べたい。最高のものを、最高の店で食べてみたい、という思いは募るばかりだった。

 ガイドで紹介されている店の中で、興味を覚えたのは「新同樂」と「福臨門」である。
 すでに香港には食べ物好きな地元の友人を得ていたから、両店について尋ねてみたところ、地元でもその評判は高いものの、桁外れな値段でも有名で、一般庶民が出かけられる店ではなく、近寄り難い店だ、とのことだった。
 そんな話を耳にすれば、ますます闘志がかきたてられる。どちらの店にするか迷った挙句、選んだのは「福臨門」である。何かしら胸がときめくものがあったからだ。当時、地元では派手な宣伝活動を行っていたこともあって「新同樂」の名のほうが知られていたように思う。そのことにいささかなじめないものを感じたこともあって、「福臨門」を選んだのだった。

 とはいえ、初めて訪れた「福臨門」で、出鼻をくじかれるような出来事に遭遇する。
 どうやら、予約なし、飛び込みで訪れたのも一因となったようだ。
 いや、予約したところで、その時の出来事は有りうることだった。

 その時は初めて香港旅行の時と同じく、仲間同士10人、誘い合ったでかけたた旅だった。
 前回、一緒だった者もいれば、香港旅行は初めてという者もいた。

 さて、福臨門九龍店の玄関で、我ら一向を迎えてくれたにこやかな笑みを浮かべる赤い旗袍(チャイナドレス)姿の受付嬢に、いきなり「当店ではミニマム・チャージがありますが、よろしいですか?」と宣告されたのである。

 ミニマム・チャージの値段だが、200香港ドルか300香港ドルだったような記憶があるが、今では定かではない。

叙香園酒樓の小菜のメニュー

これがテーブルの上に置かれていた叙香園酒樓のメニューである。表には「特選時菜」として、旬の素材をつかった季節料理の数々が紹介されている。
 香港島の叙香園では、伝統的な郷土料理を看板とし、評価を得ていたが、九龍店は、干貨、さらには新鮮な魚介による海鮮料理、宴会料理のコースに組み入れられる高価な素材を使った料理を看板にしていた。
 「著名焼烤鹵味」とあるように、焼鴨、焼鵞、叉焼などの焼き物や、「鹵汁」、つまりはタレで煮込んだもの、あるいは、漬け込んだ料理も看板とし、評判を呼んでいた。
 「砂窩大魚頭保」は、「合時保仔菜」に紹介されている(3品目がそれである)。他、「午夜馳名粥品」として、「宵夜」、つまりは夜食に好まれる粥の数々が紹介されているのも興味深い。

蟹黄魚翅撈飯(11)

 81年3月11日、初めて訪れた福臨門で食べたふかひれの料理は「紅焼生翅」だった。
 手元の旅行メモにそう記してある。
 当時、福臨門に出向くまでに、すでにいくつかお気に入りの店をみつけ、香港に出向けば必ず足を運んでいた。

 たとえば「陸羽茶室」。ことに飲茶の点心に魅せられ、香港に出かけるたびに訪れたものだ。

 「陸羽茶室」が開くのは午前7時。それから11時頃までは、おばちゃんたちが、日本のかつての駅弁売りと同じく、肩から大きな盆を抱え、点心の名前を挙げながら行き来している。
 それが、11時前後になると、テーブルにわら半紙に赤字で印刷した陸羽茶室のメニューが用意される。メニューに頼みたいものを鉛筆で印を入れて注文するスタイルに変わる。

 「陸羽茶室」の飲茶の点心の名、また、そのすべてを知りたかった私は、わら半紙に赤字で印刷されたメニューの1年分をなんとかゲットしたい、という思いにかられ、機会があれば「陸羽茶室」に通った。
 飲茶を楽しむ時間が無い時には、入り口を入ってすぐ左にある勘定場で、メニューを貰い受けられるように頼み込み、それを入手したものだ。

 新鮮な魚介を扱う海鮮料理を看板にする店としては「小杬公海鮮菜館」と「叙香園酒楼」の九龍店を見つけ、すでに何度か出向いていた。

 「小杬公海鮮菜館」については後に詳しく触れるつもりだが、48年に香港島で営業を開始し、新鮮な遊水海魚、つまりは海で取れる魚介による海鮮料理をいち早く看板にしてきた。
 香港の海鮮料理の先駆者的な店である。

 一方の「叙香園酒楼」は、広東地方の伝統的な郷土料理、家郷菜を提供してきたことで知られる。
 香港島の洛克道に本店があり、その後、九龍店を開き、九龍店は主に海鮮料理を看板にするようになった。

 「叙香園酒楼」の九龍店では、3回目に訪れた際、「佛跳牆」のミニサイズ版を特別注文し、味わったこともある。

 それより、「叙香園酒楼」を初めて訪れた時、隣のテーブルで地元の人が食べていた土鍋煮込みの料理が気になった。
 マネージャーにその料理名を尋ねたところ「砂窩大魚頭保」、草魚のアラの炒め土鍋煮込みだと教えられた。
 メモに料理名を書いてくれるとともに、テーブルの上にあったカードに印刷されたメニューを取り出し、指差してくれた。それには旬の素材を使った郷土料理や惣菜的な料理が紹介されてあった。

 以来、香港の海鮮料理と同時に、広東地方の郷土料理、家庭料理の虜となり、やがて、探索、調査、研究を開始することになる。

香港台北いい店うまい店


 荻昌弘さんの『男のだいどこ』が復刻発売(光文社文庫)されることになり、同著の解説を依頼された。
 ネットで荻さんの著作を検索中に「だるまや」という古本屋で見つけ、購入した。懐かしい本である。
 初めての香港旅行の際、旅仲間のひとりだった徳大寺有恒さんが所持してことからこの本のことを知り、すぐさま探したが、発行されたのは69年。見つからないまま、27年目にしてゲットできた。
 文芸春秋社篇となっているが、執筆は松山善三、高峰秀子夫妻に、中国人の実業家の馬浩一。
 店の紹介についてはともかく、料理内容などについては食べずに執筆したと思われる間違い、勘違いなども多々ある。
 が、当時の香港の料理店事情の一端が垣間見られる貴重な本である。
 表紙の写真だが、大上海飯店が写っていることからすると、尖沙咀のプラットアヴェニューで撮影したものに違いない。
ネオンサインに漢字が氾濫する光景に、興奮を覚えたものだ。

蟹黄魚翅撈飯(10)

 先にふれた北京料理の「砂鍋魚翅煲」、上海料理、杭州料理の「火瞳魚翅」のいずれとも、本場や香港で食べたことがある。

 「砂鍋魚翅煲」は白濁した濃厚な味のスープ仕立てによるもので、鶏一羽とともに煮込んだもの、また、「鮑翅」を使ったものもあった。
 「火瞳魚翅」は金華火腿をふんだんに使ったもので、鍋底に若鶏の童鶏が丸ごと一羽沈んだ野生味のある豪快な味のものだった。ふかひれが「鮑翅」だったこともある。

 いずれも、「牙揀翅」が使われることが多いようで、「牙揀翅」が持つ特有のくせ、持ち味が巧みに生かされていた。

 それら「牙揀翅」が持つ特有のくせ、持ち味は、それらを使うことが多い日本の中国料理店の「ふかひれの姿煮込み」からも感じられることだ。

 しかし、「牙揀翅」の使い方は、先の「砂鍋魚翅煲」や「火瞳魚翅」とは異なる。
 むしろ、その磯くささを至極あたりまえのものとして受け止め、そのままに扱い、調理しているような印象すら受ける。

 日本の中国料理店におけるふかひれ料理のほとんどを占めるのは、「牙揀翅」、「摩加翅」を使った醤油煮込みによる「紅焼魚翅」だ。それも、とろみが多く、濃厚な味付けを特徴としている例が多い。また、味付け、調味が重視され、風味には乏しいものに終わっているのも目立って多い。

 もっとも、調味料主体による「味」を重視し、たっぷりとろみをつけ、「香」にはさほど関心が払われない調理方法、スタイルは、日本独自の日本式の「紅焼魚翅」であり、大きな特徴にもなっている。

 それは、日本で中国料理といえば、油っこく、濃厚な味付けがその特徴であり、真髄だというイメージがあることによるものだろう。

 「香」や「風味」には、さして関心が払われず、油濃く、濃厚な味付けによる日本式の中国料理に親しんできた日本人にとって、まさに嗜好にあったもの、嗜好を反映したものでもある。

 ちなみに、「牙揀翅」、「摩加翅」を使った澄まし仕立ての「清湯魚翅」は、一時、六本木の中国飯店のメニューにあった。福臨門が東京に進出して後、急遽、メニューに加えられたものだ。

 試したことがあるが、上湯が上質のものではなく、素材であるふかひれにあわせたものでもなかった。

 おまけに、ふかひれ自体、磯臭い匂いを残したままのものだった。
 その後、それがどうなったのか、私は知らない。

 日本の中国料理店におけるふかひれ料理、ことに「牙揀翅」による「紅焼魚翅」の多くが、特有の匂い、臭みを持っているのは、それが当たり前のものとして受け止められていること。
 また、その上で日本式のふかひれの醤油煮込みのスタイルが、確立されてしまっていること。

 さらに、日本の中国料理店の多くが、原ひれを戻す調理を省き、あらかじめ原ひれの戻しが済まされ、加工処理が施されたふかひれを使用していることに、関係しているのではないかと思われる。

 原びれを戻す段階で、不要な脂や粘着成分が取り除かれる。
 その作業において重視されるのは、ふかひれの持ち味、特質をいかに生かすか、ということになるが、その認識、対処の方法が、香港はじめ中国人の料理人と日本の業者では異なるのではないか。

 また、中国人の料理人と日本におけるふかひれという素材そのものへの認識、捉え方、調理に対する差異が介在するのではないか、とも思われる。

 たとえば、戻したふかひれを刺身として食べることなど、その典型的なものだ。実に日本人的な発想である。

 原びれを戻す作業は手間隙のかかることであり、人件費を含め、諸費用もかかる。
 加工業者にとって、不要な脂や粘着成分を取り除き、戻し作業を丹念に行えば行うほど、ふかひれの自体のかさは減り、形状が小さくなる。
 利潤、利益を生み出しにくい、という現実がある。

 料理店、料理人が採算を重視し、手間隙のかかる原ひれを戻す作業を省くのも、利益を考えれば当然なことだ。

 日本の中国料理店で、原びれの戻し作業を加工業者にゆだねた半加工製品を使用している料理店は少なくない。というより、現実は、ほとんどがそうだと言えるだろう。

 冒頭で触れた家庭画報の中国料理特集における各店のふかひれ料理を見れば、その現実は明からであり、原びれから戻す作業を行っている店は限られている。

 それら日本の中国料理店におけるふかひれの扱い、その対処と似ているのが、日本の中国料理店における「火腿」、いわゆる中国ハムの扱い、処理である。

 それについては、別途、触れることにしたい。

五羊片

 五羊片とされるふかひれは2種あるようだ。ひとつは、和名は不明だがBrown shark/Carcharhinus milberti、もうひとつは シロワニザメのCarcharias(Eugomphodus) taurusというが、詳細は不明だ。
 五羊翅の背びれは長く、根元を残したまま勾翅として使われ、胸びれ、尾びれは生翅/散翅として使われている。翅糸は滑らかで、独特の風味をもっていることから、潮州料理では「五羊翅」の「勾翅」が宴席用の豪華なふかひれ料理に使われることが多い。
 新派広東を担ってきた麒麟閣グループの看板料理だった羊の腸にふかひれをつめた珍珠翅などに使われていたのも、この五羊片である。

蟹黄魚翅撈飯(9)

 香港の高級海鮮を扱う料理店で最も重視されているのは、ふかひれの形状の大きさ、翅針の太さ、長さ、舌触りの滑らかさ、噛み応えの軟らかさである。

 「膠(にかわ)」質特有の粘着的な「ぬめり」の触感も、ふかひれの味、風味に欠かせないものだ。

 もっとも「天九翅」のように翅針が箸(言うまでもなく中国独特の主に象牙製によるあの太い箸)ほどの太さになると、滑らかさがいくら欠けることになる。そうしたことから「天九翅」は紅焼(醤油煮込み)仕立てで料理されることが多い。

 とろみがついたものだが(広東料理ではとろみ付けを「打獻」という)、日本の中国料理店などでの「紅焼魚翅」などにくらべれば、濃厚ではなく、箸の太さほどもある「天九翅」の翅針に滑らかさをもたらすために、薄い膜が翅針を優しく包み込むほどのものだ。

 とろみたっぷりのスープに仕立てることなどはありえない。
 むろん、清湯仕立てにすることももある。

 ともあれ「天九翅」の翅針の太さ、ムチムチとした弾力、噛み応えは格別である。

 そうしたふかひれの形状の大きさ、太さは、香港だけに限らず、中国本土でも重視されているようだ。

 かつて目白のフォーシンズ・ホテル内にあり、北京で国内外の要人のために存在する釣魚台の提携店だった「養源斎」の三代目の総料理長に取材する機会を得た際、耳したことである。

 氏の話によれば、釣魚台でもふかひれの大きさ、翅針の太さが重視され、ふかひれを主菜にした「魚翅宴」では、「群翅」、次いで「鮑翅」が使用されているという。

 「養源斎」でもそれを実践するつもりだったそうだが、当時はその入手が困難であり、また値段が高価なことから料理の値段も高くなり、その使用をあきらめざるを得ず、日本産の「牙揀翅」、「摩加翅」の「排翅」を使用している、とのことだった。

 むろん、「牙揀翅」、「摩加翅」ともに、日本だけでなく、中国本土、香港、台湾などで盛んに利用されている。

 ことに北京料理の「砂鍋魚翅煲」、上海料理にもあるが、もともとは杭州料理である「火瞳魚翅」などでは「排翅」をふんだんに使った料理には欠かせないものだ。

 「火瞳魚翅」には、「火瞳鮑翅」として、「排翅」とは異なる大ぶりの「鮑翅」を使ったものがあるが、その場には、「牙揀翅」、「摩加翅」ではなく、「金勾」などが使われるようだ。

 四川料理にもふかひれ料理があり、「干焼魚翅」などはその代表的なものだが、「鮑翅」と明記されていない限り、もっぱら「牙揀翅」、「摩加翅」が使われているという。

 だが、香港で、福臨門はじめ高級海鮮料理を看板にする広東料理系の店で、「牙揀翅」、「摩加翅」に出会うことは滅多になかった。

 福臨門のオーナーである徐維均氏が語るには、「牙揀翅」は独特の磯臭い匂いがあり、それが同店の上湯とそぐわないからだ、という。
 洗練された清淡な味を生み出せない、ということなのだろう。

 言われてみればなるほど、「牙揀翅」、さらに「摩加翅」は、「金山勾翅」、「海虎翅」などに比べ、特有の強い香り、というよりも磯臭い匂いを持っているのは確かである。

青片


 これが青片である。透明感のある色彩が特徴だ。
「海虎翅」、「胡蝶青翅」などを除いた大ぶりの胸びれの総称で、サメの品種は多岐にわたる。
 もっとも、福臨門で使用しているのは、その内、「沙青翅」、「白青翅」の胸びれである。
 福臨門ではふかひれと蟹肉を和え、別途、お椀で上湯が添えられる「蟹肉干撈翅」、ふかひれと卵を炒めた「炒桂花魚翅」などで使われている

蟹黄魚翅撈飯(8)

 改めて福臨門で使われているふかひれについて触れると、①、②、③、⑤は、ふかひれの大きさ、翅針の太さを基準に、「頂勾」、「大勾」、「中勾」としてランク付けされたものだ。

 いずれも「金山勾」が使われているが、多種に及ぶ同品種の中から、主に「高茶翅」が選ばれているという。

 「高茶翅」は、「青蓮翅」とも称されているもので、英名はMako Shark、学名はIsurus oxyrincheus、和名はアオザメである。

 翅針が長く伸びた尾びれもさることながら、ヨットの帆のような形状で、翅針が太いる背びれが、貴重視されている。

 ④の「海虎翅」はメジロザメ目に属するもので、英名はTiger Shark、学名はGaleocerdo cuvier、和名はイタチザメである。背びれは肉厚で、尾びれには前述の通り

 「金山勾」のなかでも最高位にランクされている「雙頂勾」もある。加えて、翅針が太く、長い胸びれが貴重視されている。

 同時に挙げられている「青片」のうち、「沙青翅」についての詳細は不明だが、「白青翅」の英名はWhite Sander Shark、学名はCarcharhinus Plumbens。背びれと胸びれが発達しているのが特徴だ。どうやら、先の「沙青翅」も「白青翅」と同じ目に属するらしいが詳しくはわからない。

荷包翅


 「荷包翅」は金山勾の高茶翅(アオザメ)などによるもので、その名は財布のような形態をしていることにちなんでいる。
 フカヒレの形態をそのまま残した「排翅」だが、日本などで一般に「排翅」とされる「牙揀翅」、「摩加翅」とは、資質、味、風味が異なる。
 「頂勾」、「大勾」などに比べ、翅針は細いものの、滑らかな舌触りで、柔らかな噛みごたえ、独特の風味を持つ。
 扇状になったふかひれの根元は、乱雑で不揃いな形状だが、それこそは原ひれから手間隙かけて戻された証ともいえるもの。
 根元が綺麗に処理された「牙揀翅」、「摩加翅」などによる「排翅」は、専門業者によって戻し加工処理が施された製品化されたふかひれであり、磯臭い匂いなどは除かれずにいるものが多い。
 それらとは、歯触り、舌触りなどの触感はもとより、、資質、風味が異なることから、その差異を明らかにすることと、縁起担ぎの意味もあって「荷包翅」と命名したのに違いない。

蟹黄魚翅撈飯(7)

 さて、福臨門のふかひれ料理で使われているふかひれの品種、部位について、メニューやサイト、広報のインフォメーションによれば以下のように紹介されている。

①頂裙翅 極上ヒレ 頂勾(金山頂勾)、
②大裙翅 上ヒレ 頂匂(金山頂勾)、 
③大生翅/大散翅 横ヒレ (海虎片、もしくは青片)、
④大鮑翅 ヒレ 大匂(金山勾高茶翅(アオザメなど)
⑤荷包翅 ヒレ 中匂(金山勾高茶翅(アオザメなど)

 ①、②、④、⑤のいずれとも金山勾である。その詳細は太平洋産の高茶翅を主体としたものであり、部位は尾びれ、背びれなどで、大きさ、翅針の太さによって、頂、大、中とランク付けされている。

 そのうち⑤の「荷包翅」は、その形態が財布のような形をしているのと、頂勾、大勾に比べてふかひれの形状が小さくなり、翅針も細く、戻した後もふかひれの形態を残しているのが特徴だ。
 日本でなじみ深いふかひれの姿煮に使われる「排翅」と同じ形態をしている。

 本来は「排翅」と称されるところだが、一般に「排翅」とは主に「牙揀翅」、「摩加翅」の尾びれ、背びれを指すことが多く、それらと品種、品質、触感、風味が異なることから「荷包翅」と表記しているようだ。

 ③の横ヒレは、胸びれを意味する。
 「海虎翅」はそれらの中でも最上位にランクされるものだ。

 「青片」は、先の「海虎翅」、「胡蝶青翅」などを除いた大ぶりの胸びれの総称で、サメの品種は多岐にわたる。

 もっとも、福臨門で使用しているのは、その内、「沙青翅」、「白青翅」の胸びれである。ふかひれそのものの大きさ、翅針の太さ、触感、風味を重要視してのことだ。

 以上は、福臨門のふかひれ料理に使われている品種だが、他に「魚翅灌湯餃」などの点心類などは「五羊翅」が使われている。

 「五羊翅」も、形状の大きさ、翅針の太さから、本格的なふかひれ料理にも使われことが多い。それをあえて点心に使うということからも、福臨門がいかにふかひれ料理に関して、ふかひれそのものを吟味し、その特性、持ち味を生かすべく工夫がなされているかが理解できるはずだ。

海虎片


 海虎翅の胸びれである。翅針は太くて長い。
 これも滑らかでプリプリとした歯触りだが、噛み締めるとスっと歯が入るやわらかい質感、ねっとりと舌にまつわる膠(にかわ)質独特の「ぬめり」が格別だ。

蟹黄魚翅撈飯(6)

 ③の原びれを加工した状態、また、料理名に使われる呼称には、「裙翅」、「鮑翅」、「散翅」がある。

 「裙翅」は、先にふれてきた「群翅」のことで、料理名などには「裙翅」と表記されることが多い。

 「鮑翅」は、尾びれ、また、一部、背びれも含むが、本来は「勾翅」、つまりは根元がつながり、扇状の形をしたもので、主に尾びれからとられるが、背びれが含まれることもある。

 料理店などでは「包」ではなく「鮑」と記されるのは、音が同じなのと、ふかひれの大きさ、翅針の太さから、それを美化しての表現だ。

 日本ではふかひれの姿煮としてなじみ深い「排翅」にあたるが、大ぶりで翅針の太いものは「鮑翅」と表記されることが多い。

 むろん「排翅」にも大ぶりで翅針の太いものがあるが、「鮑翅」には劣り、区別されることが多いようだ。

 「散翅」は胸びれであり、「片」と称されることもある。加工してのち、翅針がバラバラの状態になることに由来する。

 もっとも、バラバラの状態になった屑ひれも散翅と称することから、ひれそのものが形状が大きく翅針が太いものを屑ひれと区別し、散翅と同じ発音である「生翅」と表記されるのが慣例となっている。

 ④の産地、収穫地の名称をつけたものとして、代表的なものに「金山翅」がある。 
 金山、すなわちサンフランシスコで水揚げされた太平洋産のサメの総称だが、その種類、品種は、多岐にわたる。

 最も代表的なものが大ぶりのふかひれの「高茶翅」だ。
 次いで「沙青翅」、「白青翅」、「五羊翅」などがある。

 日本で最も水揚げ量が多く、日本の中国料理店で使用されることの多い「牙揀翅/ヨシキリザメ」、「摩加翅/モウカザメ」などもサンフランシスコで水揚げされている。

 ⑤で最も知られているのは「天九翅」と「海虎翅」である。

 「天九翅」は2種ある。「牛皮天九翅/ジンベイザメ」と「那威天九翅/ウバザメ」だ。
 サメの中でも最も巨大なもので、ひれの根元の翅針は箸の太さほどもある。

 現在、「天九翅」とされている2種のサメは捕獲禁止の対象となり、現存しているのはかつて収穫したものに限られるそうで、希少価値もあり値段も高騰している。

 ちなみに、マカオの西南飯店はかつて多量に天九翅を所有し、看板料理のひとつにしてきた。同店で箸の太さほどのある天九翅のふかひれ料理を食べたことがあるが、それはdancyu誌のマカオへの食の旅で紹介してきた。

 「海虎翅/イタチザメ」も香港などではその名を広く知られ、超高級品種とされている。「金山翅」などに代表される「群翅」と並ぶものだ。ことに胸びれは「群翅」よりも形状が大きく、翅針は長く、太い、軟らかいのが特徴だ。
 「金山勾」のなかで最上位にランクされる「金山雙頂勾」は、どうやら「海虎翅」であるらしい。

 また、「海虎翅」はひれ自体の大きさから料理店のショーケースで飾られていることが多い。

大裙翅


 福臨門の大裙翅(上ひれ)である。大勾、金山勾とも称する。
 高茶翅(アオザメ)のもので、頂勾とは形状の大きさ、翅針の太さが異なることから区分されているが、やはり翅針は太く、滑らかで、プリっとした舌触り、プチっとした歯触りを特徴としている。

蟹黄魚翅撈飯(5)

 ふかひれの慣例的な呼称、区別、分類は、大まかに

①ふかひれの部位によるもの、
②原びれの形状、大きさによるもの、
③原びれを加工した後の形状によるもの、
④産地、収穫地域、集積地によるもの、
⑤すでに特定、認知されているサメの名称によるもの、

として区分されているようだ。

 まず、①のふかひれの部位だが、香港などでは背びれは「只翅」、尾びれは「勾翅」、胸びれは「翅片」と表記されている。

 背びれの「只翅」は、ヨットの帆のような三角形をしているのが特徴だ。

 尾びれの「勾翅」は、上部に骨があるため、その部分は切り落とされているのと、根元がつながり、扇のような形をしている。

 胸びれの「翅片」は、乾燥後の加工処理過程で翅針がバラバラにほぐれた状態になるため散翅と称されている。

 ②の原びれの形状、ということでは、その大きさ、翅針の太さから、最上級品とされているのが「群翅」である。中でも「雙頂勾」はその最上位に位置する極上品とされている。

 「群翅」は、もともとは先にふれてきた「犁頭鰩」のひれの各部位の形状の大きさ、翅針の太さに由来する。その収穫地が中国南部、東南アジアからインドに及ぶ南沙群島、西沙群島を中心としていること。そこで収穫されたふかひれが、黄沙群、珍珠群、棉群、軟沙群と称されきたのにも関係しているようだ。
 以来、形状が大きく翅針の太いふかひれの総称となったらしい。
 現在「群翅」の代表的なものとしてあげられるのが「金山翅」である。

頂裙翅


 福臨門の頂裙翅(極上ひれ)。金山頂匂である。
 サンフランシスコで水揚げされた高茶翅(アオザメ)だ。
 翅針は太く、滑らかで、プリっとしたした舌触り、プチっと歯切れのよい噛みごたえと独特の風味を特徴としている。最上級のふかひれであり、その旨さと風味は格別だ。

蟹黄魚翅撈飯(4)

 ふかひれの料理だけでなく、ふかひれの種類、品種も豊富にある。
 これまでに挙げた福臨門のふかひれの料理も、ふかひれの種類によって料理名、名称が異なる。当然、味わいも異なる。

 ふかひれの部位、その形状、大小、ふかひれの一本の繊維を意味する「翅針/翅絲」の太さ、軟らかさが異なるからだ。

 唇に触れる触感、舌ざわり、歯ごたえ、風味、香りも、品種によって異なる。
 そんなことから、ふかひれそれぞれの資質、持ち味を見極めて料理される。
 料理によってふかひれが使い分けられる、ということもある。
 むろん、使われるふかひれによって料理の値段も異なる。

 ふかひれ、とはサメのひれのことだ。
 サメには背びれ、胸びれ、腹びれ、尻びれ、尾びれがある。
 そのうち、ふかひれとして加工され、食用にされるのは、主に背びれ、尾びれ、胸びれだ。
 形状は小さくなるが、前背びれ、後背びれ、2種ある背びれのうち、後ろ背びれ、尻びれが使われることもある。

 加えて、サメと同じ軟骨魚の「犁頭鰩」の胸びれ、尾びれも含まれるという。
 サメは「側孔総目」だが、「犁頭鰩」は「下孔総目」に属し、約20種類ほどあるという。
 ネットで検索すれば、「犁頭鰩」の姿をみることができるが、サメとは異なり、頭部が扁平な三角系の形をしているのが特徴だ。

 とはいえ、私にとっていまだに不可解であり勉強不足を否めないのは、料理名に明記されているふかひれの名称、その分類、もともとのサメの種類、個別の名称を特定できず、大半が不明のままなことだ。いずれ、それらを解明したいと思っている。

 もっとも、香港などでも、ふかひれを取り扱う業者、それらを仕入れる料理店の経営者や調理する料理人の間でも、ふかひれのそれぞれの差異、特徴こそ認識し、区別、分類してはいるものの、それらは長年使用されてきた慣例的な名称による。それらの認識が異なることも少なくない。

 もともとのサメの品種、個別の名称のすべてが把握されているわけでもなく、サメの学名が明らかになってないものもある。
 結果、和名などを探り当てるのは容易ではなく、探り当てられないものもある。

2006/12/20

蟹黄魚翅撈飯(3)

 「燉」式のふかひれ料理には、ふかひれと火腿(いわゆる中国ハムと呼ばれている豚の腿肉の発酵加工食品)の肘の部分とともに湯煎蒸にした「肘子燉魚翅」がある。
 ふかひれと干鮑を組み合わせた「干鮑燉魚翅」というのもある。
その存在は知っているが、私はまだ食べたことがない。

 また、丸ごとの冬瓜を使った「冬瓜中」にふかひれを加えることもある。

 「燉」式の料理の極めつけと言えるのが「佛跳牆」だ。
 ふかひれだけでなく、干鮑(干し鮑)、花膠(魚の浮き袋)、海参(干しなまこ)、瑤柱(干し貝柱)、冬菇(干し椎茸)など、干貨素材、鹿のアキレス腱はじめとした漢方素材などを上湯とともに壷に入れて密封し、湯煎蒸しにしたものだ。
 お坊さんがその香りにひかれ、たまらず垣根を飛び越えて、正体を確かめ、美味に酔いしれた、といった伝説、いわくいわれのある料理である。

 冬場の広東料理の名物である蛇のくずひき仕立てのスープである蛇羹に、ふかひれを加えた「魚翅蝦羹」というのもある。

 青蟹の雌の膏蟹の蟹肉、ミソを使ったのが「蟹黄魚翅」。
 膏蟹のミソの味、風味の濃厚で濃密な味わいは格別だ。
 家庭画報06年12月号の「ふかひれ、上海蟹、燕の巣~中国料理の三大美味を楽しむ」で、私の好きなふかひれ料理として紹介することになったのも、そもそもは「蟹黄魚翅」を好んで食べてきたことによる。

 そして、ふかひれを卵と炒めたのが桂花魚翅。

 他に、豆腐を潰して味付けし、蒸して後、煎り焼きにする「琵琶豆腐」の具、あるいは飾りものにふかひれが使われることもある。

 また、80年代の半ばすぎまではスープ入りの大ぶりの餃子仕立てだったが、その後、椀に二湯(二番だし)を張り、スープ仕立てにするのが主流になった「灌湯餃」をはじめ、魚翅を飾りものに使った点心類も豊富にある。

 香港の福臨門の九龍店を初めて訪れたのは81年3月11日。夜の食事でのことだった。
 その日、食べた料理の記録が手元にある。以来、今日に至るまでに、香港の九龍店(当初は麼地道、後に金巴利道に移転)、香港島店(当初は洛克道、後に壮士頓道に移転)を中心に、東京の福臨門も含めて、以上挙げてきた福臨門のふかひれ料理のほとんどを食べてきた。

2006/12/19

鳳呑鶏


 この「鳳呑翅(鶏呑燉魚翅)」は、鶏を一羽、もしくは半羽とともに「燉」で調理した「白菜胆鶏燉魚翅」とは異なり、鶏にふかひれを詰めたもの。
 地鶏が使われているが、身が柔らかい「童鶏(若鶏)」が用いられる。
 ふかひれの種類は海虎片、いたちざめの胸びれで、たっぷりと使われている。
 スープは上湯に鶏のダシが加わり、上品で洗練されている。
 鶏肉もすっと歯が入る柔らかさだが、噛み応えがあり、しっとりとした味わいがある。
 鶏肉の柔らかさや味わいを残しているのが、技の見せ所でもある。

2006/12/11

蟹黄魚翅撈飯(2)

 広東料理には「燉」と称する湯煎蒸しの料理方法がある。

 「燉」は、英語ではダブルボイルドと表記されているが、蓋付きの容器に素材を入れ、蓋を密封し、蒸す料理方法だ。
 家庭などで「燉」の料理方法をやるとなると、蒸し器を使うわけだが、料理店には専門のスティーマーがある。

 ふかひれの料理には「燉」の料理方法によるものが少なくない。

 まず、広東白菜を入れて湯煎蒸しにしたのが「白菜胆魚翅」。

 そこに、鶏を一羽、もしくは半羽を加えたのが「白菜胆鶏燉魚翅」。
 宴会用の豪華なメニューである。

 鶏一羽にふかひれを詰め、湯煎蒸しの「燉」で調理したのが「鳳呑翅(鶏呑燉魚翅)」。
 その鶏を鳩に置き換えたのが「鴿呑燉魚翅」だが、私はまだ福臨門で食べたことはない。

 食べたのは潮州料理店でのことだった。
 潮州料理の店ではふかひれよりも燕の巣を詰めた「鴿呑燉燕窩」が一般的だ。
 頼めば「鶏呑燉魚翅」も用意してもらえる。
 
 ついでにいえば、先の「白菜胆鶏燉魚翅」は福臨門のグランド・メニューにあるが、「鳳呑翅(鶏呑燉魚翅)」、「鴿呑燉魚翅」ともに、顧客からの注文が無い限り滅多に作ることがない。

 いわば裏メニューだが、「鳳呑翅(鶏呑燉魚翅)」に関しては、東京の福臨門のお勧めのメニューになったようだ。

2006/12/10

蟹肉干撈魚翅


これが、蟹肉干撈魚翅。ふかひれ(青片)に蟹肉が和えてある。別途、お椀で上湯が添えられ、蟹肉を和えたふかひれを食べながら、上湯も味わう、という寸法だ。

2006/12/08

蟹黄魚翅撈飯(1)

 家庭画報の編集部から中国料理の特集をやるのでお手伝いいただけないかとの話があり、快くお引き受けした。家庭画報06年12月号の「ふかひれ、上海蟹、燕の巣~中国料理の三大美味を楽しむ」がそれである。
 お手伝い、とはいっても私がこれまで体験してきた香港、中国本土、日本でのふかひれ、上海蟹、燕の巣の料理、その歴史、背景、ことに日本におけるそれらの料理の現状などを話し、また、編集部のプランを伺い、相談に応じた次第だ。
 併せて、ふかひれ、上海蟹、燕の巣の料理から私が好きな一品も紹介したいとのことだった。但し、日本で食べられるのもので、という条件付きである。

 即座に思い浮かんだのは福臨門酒家のことだ。
 というのもふかひれの種類、料理の豊富さ、素材の吟味、調理、料理内容の充実。なによりも旨さ、美味しさは群を抜いている。

 ことに原ひれ、つまりは、収穫し、天日干しにしたひれを戻す技術をはじめとする下ごしらえ、ふかひれの料理に不可欠な上湯の質を考えれば、福臨門をしのぐ店は日本にはない。
 燕の巣の料理についても同様だ。
 上海蟹についても、素材の吟味、質、大きさなどからすれば、他店に類を見ない。

 好きな料理をと尋ねられ、素材ごとにこれまでに食べたものを思い浮かべた

 私がこれまで香港や日本の福臨門で食べたふかひれ料理は、以下の通りだ。
 まず、ふかひれ料理の基本ともいえる「紅焼魚翅(醤油煮込み)」と「清湯魚翅(澄まし仕立て)」。

 澄まし仕立ての「清湯魚翅」に、蟹肉を加えたものが「蟹肉魚翅」である。

 そのバリエーションとも言えるのが「蟹肉干撈魚翅」。
 ふかひれと蟹肉を和えたもので、皿に盛られているが、スープはなし。
 その代わり、スープ、つまりは上湯が椀盛りで添えられ、ふかひれと蟹肉の和えものを食べながら、
スープを食べるという寸法である。

 ふかひれだけがスープなしで皿で供され、同様に別に椀に盛られたスープ、上湯を食べるのが「高湯魚翅」である。

蟹黄魚翅撈飯


 福臨門酒家(銀座)の蟹黄魚翅撈飯、蟹ミソ入りふかひれあんかけご飯である。
 思い出しただけでもよだれがこぼれる。蓋を開けた途端、濃密な芳香に思わず頬が緩んだ。おまけに笑いがとまらない。そんな私を見て家庭画報の編集部の面々、カメラマン、店のスタッフの間で大きな笑い声が上がった。それも束の間、あたりに漂う蟹黄魚翅撈飯の芳香に誰もがうっとりとなり、一瞬、すべての時間が止まった。