2007/11/28

中国料理におけるメニューの選択、コースの組み立て(その5)


 中国料理のメニューの選択、コースの組み立ては難しい。ですが、とっくに日頃、意外なところでそれを実践していたりするものです。
 昼時の中国料理店のランチがそれ。小ぢんまりした店なら、一人用の定食ランチ・セットがある。それに、本格的な中国料理店などでも、1品か2品で、スープ、ご飯付き。ご飯のお代わり自由っていうのもある。

 話がちょっとずれますが、そのランチの定食コースでおもしろく、興味深い話がある。 我が兄弟(広東語ではへんたい、といいますが)の周中師傳が、日本のホテルの中国料理店に招聘され、フェアーをやったときの話です。夜には周中のスペシャリティを何品も織り込んだいくつかのコース料理を用意。で、昼にもランチ・コースを作成。

 同時に、1人用のセット・メニューのプランの要請もあった。なにしろ、香港で他の誰よりも早く、ホテルの料理店で、1人用のコースを提供してきた人物です。周中スペシャリティを織り込んだ一人用のランチ・セットを考えた。
 ところがです。そこで、日本側から注文があった。料理はおまかせします。しかし、生野菜を使ったサラダを必ず付け加えて下さい、というのものです。「野菜?肉や家禽に組み合わせれば、いいんじゃないの?だめ?単品で? それなら、青菜の炒め物か、煮浸しで!」というのが周中の考え、提案でした。が、それは日本側から見事に却下。サラダはランチ・セットでは必須のメニュー。それも、生野菜のサラダじゃないと、ダメ!というのが日本側の言い分。結局。周中は匙を投げ、生野菜のサラダは日本側にまかせた。

 という話は、周中に呼び出されてそのフェアーの昼食に行った際 「生野菜のサラダ付き? すご~く、変。なんで?他の料理と全然あってないし、セットにあるのが変!」と率直に私が質問したところ、周中が苦虫を噛み潰したような表情で、明かしてくれたことでした。さらに、付け加えて「生野菜のサラダがないと、女性に受けないし、ランチが出ないんだって!」、と。 生野菜のサラダよりも青菜の炒め物、煮浸しの方が、たっぷり野菜もとれて、栄養分があるのに。なんてことは、ランチを求める人には、無関係な話なのですね。

 話、戻して、日本の中国料理店での昼のセット・メニュー。料理を1品か2品選べて、スープ、ご飯付き。それに、箸休めの漬物も、ですか。
 その1品か2品、頭数が揃ってれば、目の前に色んな料理を並べて、ミニ・コース的な展開も可能。そそ、ポイントはそこにあります。

 昼食ってことで、中心は、案外ご飯だったりする。エネルギーの確保です。で、選ぶ料理は、ご飯のおかずにうってつけなもの、ってことじゃないですか? とはいっても、一応は名の通った中国料理店でのランチなら、家で食べる時のおかず、お惣菜とは違った、よそ行き気分織り込まれ、その期待もあるはず。

 ところがです。私もその種のランチ・メニューを試したことがありますが、昼と夜では同じメニューでも、味付け、風味が違う、異なるってことが少なくない。昼でも夜でも、おなじ味付け、風味がある料理を食べられる店、というのは高級料理店しかない。それも、ランチに用意されたものではなく、アラカルト・メニューから選んだ物に限られる、というのが、ほとんど。というのは紛れもない事実のようです。

 それは店が手を抜いている、ということでも、客の足元を見ているわけでもない。むろん、営業方針、政策によるものなのは明らかですが、多くの場合、ランチ・タイムに用意される料理のは、より幅広い万人の「口」にあわせる、ということに由来するようです。という話は、これまでそうした店に取材した際、料理店から聞いた話です。

 ネットの食ガイドの一般投稿、批評に多いのが、というよりもほとんど占めるのは、ランチ・メニューの体験、その評価に基づく物。評判の店、噂の店にランチに行ってみたものの、がっかりってやつです。そんな人は、おそらくは先のような事情をご存知ないのでしょう。昼、それも、アラカルトは別ですが、昼食向けの料理、コースで、その店の評価は下せない。

 またもや話が脱線。
 そう、昼のランチ・セット、コースで、お惣菜感覚で何品か、という方法、スタイルこそは、夜の食事でのメニューの選択、コースの組み立ての基本、あるいは、その入り口になるものです。

 とはいうものの、昼じゃなくて、夜。それも、しっかりした食事を楽しみたい、ってことなら、ランチのセットに登場するような惣菜的なメニューはパス。もしそうなら、たとえば「麻婆豆腐」は、牛肉仕立てで花椒の痺れ味が利いたやつ。それにエビチリの「干焼明蝦」も、ケチャップじゃなくて、蝦のみそ、それに葱の甘味、風味を生かした本場風じゃないと、ってことになるんじゃないでしょうか? それが、正解。

 ところがですね、宴会でもなく、気の置けない仲間同士での食事でも、しっかり味わいたい、楽しみたいって時には、ランチにはなくってちょい豪華な料理を、ってことになるはず。

 たとえば「ふかひれ?う~ん、いや、それはパス。けど、なまこの料理ぐらいは食べたいな。それよりも、北京ダックかな?でもま、とりあえずは「前菜」!」ってことになる。

 ほら、ほら、いつもの習慣が頭をもたげます。
 で、北京ダック以外の料理ってことになると、メニューをあれこれ見ても、美味しそう、食べたい。けど、どうしようかな?と優柔不断。

 同席の人たちのリクエストに応じながら、メニューを決定。で、すべてを食べ終えても、満足したような、してないような。

 そこで、締めくくりは、やっぱり炒飯ですか? 
 それとも、麵とデザートは別腹ってことで、麵。

 とまあ、それもまた、いつもの習慣が再び頭をもたげてくる。

 そうです、前菜と、締めくくりの炒飯、もしくは、麵。そいつが鍵を握る。中国料理のメニュー選び、コースを組み立てるときには、宴会でもない限り、前菜と、締めくくりの炒飯、麵の料理のことは、いっそのこと忘れちゃう、捨てちゃったら? というのが私の提案です。

画像は豚と牛の脛肉の前菜。ま、こんな前菜なら、グッド。
まさにアミューズって感じで、量も少なく、食欲をそそり、メインの料理への期待が膨らみます

2007/11/27

中国料理におけるメニューの選択、コースの組み立て(その4)

 たとえば、私が出会った香港人(主に広東系、潮州系、上海系、客家系、福建系の中国人ですが)と一緒に食事をってことになった時、それも、宴会料理なんかじゃなくて、普段の食事のまんまのスタイルでなんて時、それぞれメニューの選択、その方法が違ったのが面白かった。
 人数は4人から6人ぐらい。コースを組むというほどの皿数、品数が並ぶわけでもない。中でも念入りなのは、食べることにうるさい広東人。私は彼らから多くのことを学びました。

 メニュー選びの面倒を避けるのなら、店が用意した少人数用のコースをとるのが一番。のはずですが、食べることにうるさい人、いや、そうでなくっても、店が用意したコースには目もくれない。一瞥をくれるどころか、さっさとテーブルの脇に寄せてしまいます。メニューを手にするとしても、季節、旬の素材の料理を並べた「小菜」のものぐらい。それもざっと目を通すだけ。いや、メニューには目もくれず、いきなり、店の人に注文、ってのがほとんどでした。とはいえ、そんな人たちのメニューの決め方、コースの組み方っていうのは、ほぼ同じ。

 まず最初の選択は「湯」、スープです。「有冇例湯?」(例湯は、有や無しや?有なら、何?)と尋ねる。
「例湯」というのは、いわば日替わりのスープ。淡水の魚、豚肉や内臓類、家禽類、その内臓類を、青菜か根菜などと煮込んだもの。そこに、「准山」と呼ばれる干した山芋や、干した広東白菜が使われることもある。

「杏仁(中国アーモンド)」、北方か南方の「棗」などの漢方素材なども加えられていることもある。季節に応じて、滋養にとみ、体にもいい「湯」が用意されている。といって、よほど食べることにうるさい人じゃない限り、店の人の説明を受けても「?」だったりしますが、それでも、ほぼ無条件に「例湯」を選ぶ。

 ふかひれのスープは選らばないにしても、「韮黄瑶柱羹」や「西湖牛肉羹」なんて、しっかりした「湯」がある。が、それも宴会のコース用のもの。第一、葛引きがかかってるし、というのが彼らの言い分。
 なるほど「例湯」のほとんどは、鍋に素材を入れて長時間ぐつぐつと煮込んだだけのもの。スープが濁っていたりすることもありますが「打獻」、つまりはとろみ付けなんかしないままの「素」の味わいのもの。澄まし仕立てではありませんが、とろみつきじゃないスープもの、ってことです。

 それに「例湯」には、具を掬い取って別皿にそれを並べるというものもある。つまり、素材のエキスをたっぷり含んだ「湯」と、その素材、具を別皿にわける。で、まずは「湯」を味わい、その一方で、別皿に取り分けた素材の具は、老抽(たまり醤油)などをつけながら食べる。といったように「例湯」をとれば、そこで2品、ってことにもなるわけです。

 「湯」を決めた後は、選択が分かれるところです。
 女性の場合に多いのは「有冇菜?(野菜は有や無しや、有るなら、何?)」というわけで、野菜の有無と種類を尋ねる。
 その場合「菜」ってのは、青菜系のそれ、ってことが多いようです。

 え!?、食べることにうるさいのなら、旬の野菜は把握してるはずなのに、どんな野菜があるか尋ねるのは変だって? でも、それが店においてあるかどうかは、わかりませんから。

 ともあれ、どんな野菜、ことに青菜の類があるかを尋ねる。素材によって、それを単品の料理にして頼むか、その場合、どんな調理方法にするか、また、どんな味付け、他の香味野菜や調味料と組み合わせるかを考える。
 それとも、素材によっては、他の素材との組み合わせにするか考える。そこで、他の素材を使った料理を思い浮かべる。野菜と組みあわせるか、それとも、他の素材は別の料理にするか、といった按配で。

 そこで、女性の場合、やはり、選択は海鮮の魚介類、となるようです。それも、海鮮の魚介というのは、ほとんどが時価。無難なところで、蝦や貝柱を素材にした料理ってとこでしょうか。
 さらにもう一品となると、肉ではなくて、やはり、家禽類を選びます。
 しかし、家鴨の料理は選ばない。やはり、鶏か鳩。潮州料理の店なら、鵞鳥のタレ汁煮込みを頼むかもしれない。

 私の出会った香港人、それも広東系の女性の場合、昼の弁当でたまにローストした「焼鴨飯」を食べることはあっても、普段の食事で「家鴨」を選ぶなんてことはない、とほとんどキッパリ意見でした。
 ま、それには理由もあるのですが、それは後日。

 「湯」、それに「野菜料理」を思案し、蝦や貝類の料理。肉なら家禽。それとも、魚介か家禽に旬の野菜を組み合わせ、炒め煮込みにした「煲仔」。そこに春雨の「粉絲」を加えた「粉絲煲」を選ぶ、なんてのが多い。

 そこで、食事に男性が同席、となると香港では余程の例外でもない限り勘定は男性持ちですから、そこで海鮮の魚料理を注文ってことになる。高価な「石斑」とはいかないにしても、海鮮の魚の種類は案外豊富ですから、そこそこの魚を「清蒸」で、つまりは蒸し魚、って展開も有り得る。

 以上のようなメニューの選択、コースの組み立ても、男性の場合には事情も違ってくる。
 「湯」を決めたあと、海鮮の魚介あり、肉、家禽の料理あり、いろいろ選んだ最後に「野菜、食べなきゃ!」ということになって、シンプルな炒めものを注文。というのが、これまで私が出会った人々の典型的なメニューの選択、コースの組み立てでした。

 女性主体、男性主体では、メニューの選択も変わります。ですが、共通しているのは、素材、調理、味付けが、重なることがない。料理をあれこれ検討しながら、そうしたことへの目配りを怠らない。ある料理を思い浮かべて、次に別の料理を思い浮かべた時、素材、調理、味付けが重なっているかどうか瞬時に把握。おそらく、体験、経験で蓄積されたものだと思いますが、その辺の瞬時の判断、決定の手際のよさは、見事というよりほかない。そんなメニューの選択を目の当たりにし、学んできました。

 けど、連中の店の人への注文は、実にいい加減。キチンと料理名なんか覚えてやしない。
「ほら、蝦、醤油で炒めたやつ。え?煎り焼き? あ、それそれ!
 それから小魚、蒸したやつ、ほら、漬物と一緒に。塩味炒めのやつじゃないよ。
 で、鶏肉。ほら、蝦醤で炒めたのあったでしょ。
 それに、豆腐の煮込み。えと、蝦子のやつ」
 なんて具合です

2007/11/26

中国料理におけるメニューの選択、コースの組み立て(その3)、ついでに、ミシュランガイド東京版「ミシュランガイド東京2008」(その1)

 香港の料理店にも少人数向けのコースがある。
 その昔、いや、今でもそうかも、上海系の大衆的な店には「客飯」と言って一人用のいわば定食メニューがあった。それに、九龍の工場街の近くの大衆的な小食店では昼も夜も、「湯」に料理2品、ご飯付き、なんて定食セットもあった。

 で、高級料理店などで少人数向けのコース料理が提供されるようになったのは、80年代の半ば過ぎからのこと。そのきっかけを作ったとも言えるのが、今ななき凱悦飯店の2階にあった「凱悦軒」でのことで、なんと、一人用のセット・メニューを用意。

 それ以後、一流ホテル内の中国料理店で、社用族の昼食目当てに「商務套餐」、つまりはビジネス・ランチってことで2~4人用のコース料理が用意されるようになった。さらに、街中の料理店で「二人世界」など、2人用のコース料理も登場。

 香港の人たちの中にも、メニューを選んでコースを組むのが面倒だ、って人がいるからこそ、登場したもの、じゃないでしょうか。それに、香港人だからって、誰もがメニューを簡単に選べ、コースを組み立てられるわけでもない。旨い物、美味しい物を知ってるわけでもない。 香港には旨い店もあれば、まずい店もある。口にあった料理があるってことだけで、それ以外はあえてコメントはしないのが香港人。

 そんな1人用のコース、それに「商務套餐」にしろ「二人世界」にしろ、やはりその基本は、宴会用のコース料理の縮小版。それも、店の看板料理が必ず組み込まれている、ということからすると、店の事情に詳しくないビギナーや観光客にはうってつけ。

 しかし、看板料理や、ふかひれや干貨素材を使った料理じゃなく、もうひとひねりのコース設定はないかな、という人も多いんじゃないかと思います。が、その場合には、やはり、自分でメニューを選んで、コースを組み立てるしかない。いや、その「コースを組み立てる」っていうこと自体が、問題というか、厄介で面倒なんでしょう。

 そういえば、人伝えに聞いたフランス人、それも中国料理、中華料理に出かけた際のメニューの選択、コースの組み立てっていうのが、おもしろい。

 まずは、前菜、メインという組み立てがその基本。日頃の食事の習慣にならってのことです。それに、日本人にしろ、本場の中国の人にしろ、店にまで食べにでかけ、何人かと料理をとるとなると、それぞれめいめい好みの料理をあげながら、皆で分け合ったりするのは、ごく日常茶飯ですよね。

 それが、さすが個人主義の発達した国、フランス、ことにパリあたりだと、自分が注文した料理は自分が食べるだけ。他人に分けたり、他の人の料理に手を出す、なんてことは滅多にしない、ってことです。前菜にこれ、メインはこれと決めたら、一人で最後までその皿、料理を食べ続ける。

 いや、噂には聞いていたことですが、それが真実に近い話だと知ったことがありました。
 私の知人でフランス在住の料理研究家。東京に戻ってきた際、「北京ダック」にぴったりなワインを持って帰ってきたから「北京ダック」の美味しい店を紹介してよ、と言う話に、一応はセッティングしたのですが、その「北京ダック」の食べ方を知ってびっくり。

 餅で包んだ北京ダックがずらりと並んだ一皿を、そのワインとあわせてひたすら食べるって、ことでした。
 普通、日本でなら、それに、本場の中国だってそうですけど、「北京ダック」を食べるといってもせいぜい1人で2~3包み。欲張って5~6包みってとこでしょうが。
 5~6包みも食べるのは、私以外に滅多にいないって!
 けど、フランス、パリの中国料理店では、それが当たり前、というのですね。
 しかも、一皿ですから、5~6包みだけじゃないようで。

 さすが、私の知人は日本人ですから、同席した人と一緒に食べるってことでしたが、普通はそうじゃないらしい。
 前菜はこれ、メインはこれと決めて、それらの料理をひとりで最後まで食べつくす。
 というフランス式中国料理の食べ方の美学。パリに行ってその実態を確めたいと思います。

 そうか、今、街中で噂の「ミシュランガイド東京2008」の覆面審査員も、そうやって東京の中国料理店を審査したのかも。いや、日本人の審査員もいたそうで。ってことからすると・・・・・・

 「あ、私、コースにします!」と日本人の審査員。
 「あ、そ、なら、私はアラカルト」と、フランス人の審査員。
 「あ、それうまそうですね」と日本人の審査員
 「だめ、これ私がとった料理なんだから!」とフランス人の審査員。
 な、ことがあったりして!
 というのは私の想像!

 で、その結果が、あれ! ってわけですか?

 ン!? 味で評価? 
 なら、なんであの店が入ってなくて、この店が?

 サーヴィスで評価?
 なら、この店、料理のサーヴィス、見栄え重視、というわりに、器は貧弱。
 取り分けの皿は冷めてるし、なんでも皿に取り分けりゃ、いいってもんじゃないし、
 汁ものを皿に取り分けりゃ、料理が冷めるってこともわかんないの?
 
 独創性?
 あれ、れ?
 ここの看板の料理、他の店で食べたことのあるコピー じゃ・・・・
 
 そうか、和風中華にアレンジ、という独創性か!
 そこまで見抜くとは、さすが、ミシュランの覆面審査員!

 とまあ、その辺の話は、後日また!

中国料理におけるメニューの選択、コースの組み立て(その2)

 とある料理ライター/フードジャーナリストが、東京に出店した香港の著名な料理店に初めてその店を1人で訪れた時の話。
 ふかひれなど干貨素材の料理で有名なその店で、とりあえずふかひれの料理を食べることだけは決めていた。しかし、それだけですませられない。とはいっても、ふかひれの料理以外、どんな料理を食べていいものか皆目わからず、料理も選べじまい。結局はメインにふかひれ料理、前菜から1品。もう1品は、その店の看板にもなっている炒飯を注文した、というものです。

 簡潔で簡単なメニューの選択です。が、正直言って驚きました。もっとも、誰にだって有り得る選択のようにも思えました。決して悪くはない選択ですが、中国料理の認識、知識不足を物語るものでもあり、もっと他に方法があるのにと、余計なお節介は承知の上で思ったものです。

 同じような話を、香港に出かけた知人からも聞きました。ひとり身だったものの、どうしても香港で有名なその店で食事をしたい。で、結局、選んだのは「白灼蝦(茹で蝦)」、「紅焼魚翅(ふかひれの醤油煮込み)」、「咸魚鶏粒炒飯」だったそうです。

 酒のつまみとして前菜を取る。しっかりした料理、しかも、その店の看板料理でその名を知られた逸品といことでふかひれの料理にする。で、締めくくりは炒飯か麵料理という考えも悪くはない。
 しかし、酒ではなく料理をメインに考えれば、私なら前菜はパス。せっかくの豪華なふかひれ料理を味わうには、いきなりのほうがいいと考えます。それに、ふかひれの料理を食べたのなら、それにふさわしいもう1品か、2品を考えて選びたい。

 肉、家禽、魚介類に、野菜の料理。もしくは、肉、家禽、魚介類に野菜を組み合わせ、味付けや調理方法の違った料理を選びます。それに、炒飯をとるよりも、ご飯にする。ということで、1品はご飯のおかずになるような料理を選びます。

 そこんとこ、すでにひとつ教訓があります。
 ポイントは「前菜」に「炒飯」。
 街中の大衆的な店での話ならいざ知らず、本格的なふかひれ料理が食べられる中国料理店に出かけるとなると、前菜を注文して、締めくくりは炒飯か麵料理。

 とまあ、中国料理の宴会のコース料理を思い浮かべ、それに倣ったやり方でメニューを選ぶことになるようですね。そんな儀式じみた刷り込み、思い込みこそが、メニーの選択、その幅を狭める理由、要因のひとつになっているんじゃないでしょうか。
 陥りやすいワナのひとつです。
 ともかく、前菜や締めくくりの炒飯や麵料理のことは、とりあえずは忘れる。

 ところで、中国料理における宴会料理のコースの組み立ては、昔ながらの伝統様式、スタイルがあります。宮廷での宴会料理を基盤に発達し、その影響下に形成された北方や、豪商等の富裕層の存在を背景に形成された江南南方のそれ。また、南部の広東省でのそれは、いささか異なります。さらに、香港などの場合には、もともとは広東省の広州をその源流としながら、流通の発達、整備を背景に、干貨海鮮だけでなく、新鮮な海鮮の魚介を素材にした料理がもてはやされるようになった、ということもあります。

 北方や江南、さらには南方での宴会料理の基本構成は、まず宴会の華、前菜に続いて最初に登場する主要な料理の「大菜」を中心に構成される。その「大菜」の素材として選ばれるのが「燕窩」、「魚翅」、「海参」。次いで、「熊掌」、「鮑魚」、「魚肚」。というのは『中国食文化事典』(中山時子監修、角川書籍)などでも記されていること。他に「全豬席」、「全羊席」、「全鴨席」など、いわば豚、羊、家鴨の三昧料理などもあり、ってことだそうです。

 もっとも、南方では干貨素材の順列は異なります。特にここ最近の香港における値段に準じた価値順列は、「鮑魚」、「魚翅」、「燕窩」、「魚肚」、「海参」、ってことだそうで。たとえば「鮑魚」、かつて貴重視された「窩麻」ですが、ここずっと品質の低下をいなめず、「吉品」と価値、値段の順序が入れ替わったそうです。
 それに、以前は「海参」に続く存在だった「魚肚」が、近頃はその入手が難しく、より稀少なものとなって値段が高騰。といったように、その順列は刻々と変化しています。

  さて、日本の中国料理の宴会のコース、そのメニューの選択は、北方や江南のそれにほぼ準じたもの。どうやら、大正時代から昭和初期にかけての中国料理への関心の高まりをきかっけに、宮廷料理を下地にした宴会料理が紹介されたこと。さらには、20世紀初頭に上海との文化交流が盛んになって以後、(当時)最新式の宴会様式として日本に紹介されたものが、基盤になった様子です。
 それをもとに、日本式に簡略化。ということで、まずは前菜が登場。、次いで、主要な「大菜」(当初はふかひれのスープ、後には、ふかひれの姿煮)をメインに据え、あと、調理、味付けを変化させた料理が並び、スープが用意され、魚料理で締めくくられる。

 そういえば、子供の頃、地方から我家に訪れた親戚、知人のもてなしは中国料理店での宴会料理というのがほとんどでした。その同席を許され、中国料理を食べるのが楽しみでした。その最後に決まって登場するのが鯉の料理、丸ごとの鯉一匹を使った甘酢のあんかけの「糖醋鯉魚」。

 とはいうものの、それまでに前菜をたっぷり食べ過ぎ、次から次へと登場する料理に手を出して、宴会の半ば過ぎには満腹状態。それでも卑しかった私は、満腹なのにもかかわらず、それが食べたくてしょうがない。

「食べ残しはご法度」と小さい頃から言い渡されていたものの、我慢しきれずに「食べられる!」と言い張って、分けてもらい、味わった甘酢あんかけの美味。結局は、すべてを食べきれずに、お小言を食らった思い出がある。それからも中国料理の宴会料理を食べに行っても、最後の料理の「鯉の甘酢あんかけ」にたどり着くまでに満腹になり、「鯉の甘酢あんかけ」を満足に食べ、味わえなかった恨み、つらみ、執念は、私の懐かしい思い出です。

 80年代後半以後、日本でも、オーナー/シェフの店を中心に、少人数、それも、二人からでも食べられるコース料理が紹介されるようになりました。その先駆者的存在とも言えるのが吉祥寺の竹爐山房の山本豊さん。
 
 同店での「おすすめコース」、「竹爐コース」などは、中国料理、それも北方や江南地方の宴会料理のコースに準じたもの。前菜に次いで、コースのメインの料理が登場。そのあと、炒め物、揚げ物、蒸し物など、肉、家禽、魚介に野菜、それも旬の素材を使った料理が並び、スープで締めくくられる。人数が多い宴会コースになると最後は魚で締めくくり。その前にスープが出てくるあたりに、本場の宴会料理を下敷きにしたコース設定の意図が汲み取れます。

 とまあ、日本での中国料理店でのコース設定は、本場の宴会料理に準じたものがほとんどです。コースには決まってふかひれをはじめとする干貨素材を使った「大菜」風、あるいはそれ仕立てのメインの料理が組み込まれている。

 そういうんじゃなくて、ざっくばらんに食事を楽しめるコース設定。しかも、お目当ての料理が組み込まれているコース料理には、日本の中国料理店ではほとんどお目にかかれない。あれって、どうしてなのか、どういう理由によるものなのでしょうか。

2007/11/25

中国料理におけるメニューの選択、コースの組み立て(その1)

 そう、中国料理のコースの組み立てってややこしくって面倒だ。
 私の場合、昔も今も、それが唯一の趣味、息抜きです。もしかして、老後の一番の趣味になりかねない。とっくにじじいじゃん、という声も聞こえますが(プンプン!)。

 誰だってそうだと思うのですが、中国料理を食べたい、中華を食べたいと思い立って店に出かけるとき、すでに頭には思い描く料理がある。中国料理だけに限らず、フレンチ、イタリアンの店に出かける時もそうじゃないでしょうか。

 例えば私の場合、フレンチの店に出かけるとなると、まず思い浮かぶのは、前菜にパテ。メインは内臓の料理か牛肉以外の肉料理、家禽類、ゲーム類。メインで牛肉を取るといのはほとんどありえない。バヴェット・ステーキ、それも、草を食み、土も一緒に食ってる牛の「涎掛け」なら触手もそそられる。が、米国の輸出政策にまんまと乗っかり、とうもろこし育ちで、火を通すと匂いふんぷんの脂、刺しの入った肉には手がでません。ブランド物の牛に限ってそういうの、多いと思いませんか。

 ともあれ、パテ、内臓、牛肉以外の肉、家禽類、ゲーム類を思い浮かべながら、店に到着後、メニューを点検して、素材、調理、調味を確かめ、軌道修正しながら、その日のメニュー、コースを決定。イタリアンの場合だと、前菜にパテはないからハム、ソーセージ類。パスタは手打ちか料理方法や素材に凝ったリゾット。メインはやはり牛肉以外の肉料理、内臓類、家禽類、ゲームの類。で、フレンチだと、前菜にメインを1種か2種。イタリアンだと、前菜、パスタかリゾット、メインといった基本構成。しかも、たいていの場合、選択肢が限られていたりするもので、メニューも選びやすい。

 ところが、中国料理の場合、フレンチやイタリアンのように、前菜、メイン、もしくはメイン2種であるとか、前菜、パスタ、メインといったコースが用意されていて、それぞれ選択というような按配にはいかない。

 最近でこそオーナー/シェフが看板の店で、2人から楽しめるコース料理を用意している店がある。しかも、小皿中心で、フレンチやイタリアンなどより、品数、皿数重視の傾向が強い。面倒な時にはそんなコースにするなんてことも可能です。

 とはいっても、目当ての店にでかけるには、必ず目当ての料理があるもので、それがコースに含まれてないと、なんだかなあ、どころか愕然となったりすることもありうる。
 それに、中国料理店のほとんどで用意されているコースは、最低でも8人頭数がひつような宴会用のメニュー、だったりするものです。

 ふと思いついて中国料理って場合、いきなりの話になりますから、まずは2人。集められて4人。6人ということになると、やはり前もって日を決めて約束、ってことになります。

 2~4人で、中国料理を食べるでかけるとなると、そのメニュー選び、コースの設定は実に厄介。食べたいものがあってこそ出かけたはず。が、その料理、1品だけで済ませられるわけがない。

 結局、目当ての1品か2品、それ以外に何か美味しいもの、目新しいものが食べたい、とメニューをにらんでも、選択肢の多さ、それに、料理内容や実態がまったく不可解で想像がつかず、手が出せない。ということから、結局、味を知った、あるいは馴染みの料理で、お茶を濁すという破目に陥る。

 フレンチやイタリアンのコース料理だと、前菜、メインの選択肢が明確、だったりするのに対して、中国料理の選択肢は、膨大で未知。というのは、案外、中国料理に身近な親近感を覚えながら、実はその実態を把握出来ないまま、狭義な知識、認識しかないことを物語っているのではないでしょうか。

2007/11/23

秋の味(その9)

 「夏の広東地方の郷土料理パート②」で紹介した青木さんからのリクエストをきっかけに実現することになった続編の「秋の広東地方の郷土料理」。
 メインの料理は鳩にふかひれを詰め、鮑汁で煮込んだ「仙鶴神針」に決定。それに、本来のテーマである秋の素材の「栗」、「芋頭」を素材にした料理を考え、料理を考え、コースのプランを設定。 とはいうものの、そこで厄介な問題が持ち上がった。

 実は「栗」にしろ「芋頭」にしろ、脂肪分はなし。その持ち味、素材を生かすには、油脂を使うか、肉や家禽類と一緒に調理して、その旨味、風味を煮含めて味わう。というのが広東人、多くの中国人が考えるところなのだそうで。

 石川芋を蒸して、塩をまぶして食べる衣かつぎ、というのは日本人ならではの趣向なのですね。それに、昆布、鰹節のだしで里芋を煮込んだりしますが、それでは、中国の人にはなんだかひと味物足りないってことになるらしい。それを「寡」って言います。

 そういえば、芋の煮っころがし。東京にやってきて、初めて芋の煮っころがしを食べた時、愕然としました。カルチャーショックを味わったものでした。

 芋、って里芋ですが、それまでは蒸すか、だしで煮炊きしたものしか食べたことがなかったからです。煮た芋を、砂糖と醤油で甘辛く煎りつけ、絡めたもので、芋は芋の素朴な味だけ。それを甘辛まぶしにしただけのような物にしか、思えませんでしたから。

 言わば、里芋の照り焼きという趣。野趣ではあるけれど、芋の滋味は感じられない。実は、今に至っても、苦手な食べ物のひとつです。やっぱ、芋は、昆布、かつお節のだしで煮含めたものじゃないと、、、関西人だからでしょう。

 そんな私の頑な思考と似たものが、広東人、中国人にはあるらしい。
 栗や芋の類を「瘦物」だと、香港、中国の人は言います。栗や芋だけでなく、茄子や青菜、茸の類について、そう呼ばれることが多い。中でも澱粉質を含んだ栗、芋、蓮根などの根菜類は、肉類、家禽類の肉と調理して、その味を煮含めて、素材の持ち味、風味を引き立てる、というのが、基本的、ごく当たり前の考え、思考だってところが面白いで。

 なんてこと、日本で中国料理を紹介した料理本、書籍で語られているのを見かけたことはありません。

 ともあれ、栗にしろ、芋にしろ、鶏、家鴨、豚の「五花腩(三枚肉)」や「排骨(スペアリブ)」と組み合わせた料理がほとんどです。「芋頭」や「荔芋甫」の場合には、蒸すなり、茹でるなどして、擂り潰し、鶏や家鴨に貼り付けたり、臘腸(腸詰)と料理したりなど、肉、家禽類との関係は密接です。

 それからすると、青木さんのリクエストの「秋の広東地方の郷土料理」。、栗の料理といえば、やはり「栗子炆鶏」、栗と鶏肉の煮込みだ。「排骨」と煮込んだ「栗子炆排骨」というチョイスもあり。
 
 となると、芋の「芋頭」をどうするか。
 この季節、冬場を迎えて香港の街中にあふれるのが、家鴨を塩漬けにして干した「油鴨」。その「油鴨」とタロ芋の「荔芋」と煮込み「椰汁(ココナッツ・ミルク」で味付けした「荔芋椰汁油鴨煲」は、思わず涎がこぼれるほどの一品。

 ところが、メイン・ディシュが鳩。栗を素材にした「栗子炆鶏」は鶏。そこで、芋を素材にした料理を「荔芋椰汁油鴨煲」にするとなると、コースで家禽類の料理が3種類も登場ってことになる。

 しかも「荔芋椰汁油鴨煲」は、「油鴨」自体が塩漬けで、旨さ、風味は格別なものながら、味はしっかり濃くて、(塩味が)重い。

 メニューの選択、コースの設定が思案のしどころ。食べたい料理ばかりを並べてコースを組み立てる、好き勝手に楽しめればいいんじゃないの? なんて声もきこえてきそうですが、実は、そこにこそ落とし穴がある。

 中国料理を心地よく楽しむのには、やはり、無理なく、無駄なく、慎重にメニューを選び、コースを組み立てる。

 ということで、次回からは、中国料理のメニュー選び、コースの作り方ってのをやってみようかな、と思っております。

2007/11/21

秋の味(その8)

 ようやく、ややこしい仕事がひと段落。画像を掲載し、料理を紹介ということでお茶を濁してきましたが、手抜きはやめろ!との非難、ご批判メールを頂戴し、本格復活です。
 コメントへの書き込み、メールを頂戴し、有難く思っております。ですが、コメント、ハンドルネームだけでなくメールアドもご一緒にお願いできれば、有難く存じます。
 戴いたメールで最も反応があったのが、11月2日に画像を紹介した「鮑汁乳鴿醸生翅」、鳩のふかひれ詰めの鮑汁の煮込み。 「仙鶴神針」という料理名で、一時、香港で流行していたことがある。香港で出会った、という方もいらっしゃるでしょう。それが、日本デビュー(のはずなのですが)を果たすに至ったのには、裏話もある。

 そもそもは、この8月、「夏の広東地方の郷土料理パート②」を紹介するきっかけになったクリエイティヴ・プランナーでディレクター、デザイナーでもある青木保夫さんからその続編の「秋の広東地方の郷土料理」のリクエストがあった。
 「夏の広東地方の郷土料理」のテーマになった素材に「冬瓜」に「苦瓜」の2種の「瓜」と「青茄子」。そんなことから思いついたのは、秋ならではの素材の「栗」と「芋頭」。

 「芋頭」は基本的には里芋のことですが、タロ芋の「荔芋甫」を含めて語ることがある。それも香港では中秋の名月の夜に、月餅とともに「芋頭」を食べるのは昔からの慣わしだ。私も子供の頃、お月見の日は、月見団子と里芋、それも衣かつぎを食べた思い出がある。
 「栗」の料理なら「栗子炆鶏(鶏と栗の煮込み)」か「栗子排骨(栗とスペアリブの煮込み)」ってことになる。「芋頭」の料理もいろいろある。そういえば「蓮藕(れんこん)」が旬の時期だ。しかし、その3種、野菜でも根菜類で、澱粉質がたっぷりだ。なら、青菜を何か入れるのがいいのだが、あれば豆苗だろうか。
 季節の旬の素材を使った広東地方の郷土料理、家庭料理、いわゆる「小菜」を思い浮かべながら、コースを組み立てるのに何か「大菜」的なものはないだろうかと思案した。
「夏の広東地方の郷土料理」の時には鳩料理の「脆皮焼乳鴿(鳩の丸揚げ)」と魚料理の「茄子炆紅斑(青茄子と揚げた紅はたの煮込み)」があった。
 もっとも「大菜」となるとやはり鮑翅燕参肚(干し鮑、ふかひれ、燕の巣、干しなまこ、魚の浮き袋)といった干貨海鮮素材を使った料理ということになる。
 かつては「瑶柱(干し貝柱)」もその仲間に加えられたが、最近ではいささか見劣りもする。が、春節になると、その時期ならではの伝統の一品の重要な素材になる。
 それに、家禽類をどうするか。
 「栗」の料理は「栗子炆鶏」にすると「鶏」の重複はまずいから、鶏料理はその一品だけ。残るは「鳩」か「家鴨」。「家鴨」の「小菜」も色々ある。しかも、一羽丸ごとを使った料理であれば「大菜」とはいわないまでも、コースのハイライトにもなる。
  しかし、今回の会食のメンバーは4人。
 ということでは「家鴨」一羽の料理は、量が多すぎる。人数から言えば「鳩」の料理。
 前回の「脆皮乳鴿」以外に、鳩の料理は各種あるから、それにしようか。
 「いや、まてよ!」と思い立ったが、かつて潮州料理の店で何度か食べた「鴿呑燉翅」に「鴿呑燉燕」。鳩にふかひれ、もしくは燕の巣を詰め、「燉」、つまりは湯煎蒸しにした料理である。贅沢な料理。が、香港の潮州料理店で食べたそれらは、田舎っぽい素朴さをむき出しにしたものだった。おまけにだしの「上湯」が貧弱な上に、化学調味料がふんだんに使われていたのである。

 「そうだ、福臨門なら出来る!ふかひれを詰めた鳩のスープ仕立てが!」と、「上湯」のだしの旨さ、風味豊かな香りを思い浮かべながら、そのアイデアを福臨門のスタッフに持ちかけた。
 その話が、香港の徐社長にまで伝わった。ところが、社長曰く、日本で入手できる鳩の質、持ち味からすれば、スープ仕立てはあわないだろう、と。
 社長の提案は、日本で入手できる鳩のしっかりした肉質、野生味のある濃厚な味、風味からすれば、「鮑汁」(、干し鮑の戻し汁である)を使って、ふかひれを詰めた鳩を煮込むのがいいのでは、とのことだった。
 その話に、乗りました。日本の福臨門ではやったことのない料理である。
 その出来栄えは素晴らしかった。実に見事な一品でした。
 旨味、コクのある濃厚な「鮑汁」が、野生味があり、しっかりした鳩の肉に染み込み、しかも、鳩肉の旨味、風味、ことに野生味を引き立てる。
 さらに、ふかひれ(生翅(海虎翅、いたちざめの胸びれ)も、よりブラウンがかった濃いあめ色で、鮑汁の旨味、風味をたっぷり吸い込んでいる。澄まししたての「清湯」、醤油煮込みの「紅焼」などよりも、一層、旨味、コクがある。

 リッチでゴージャスな一品です。中国料理、広東料理の干貨海鮮料理の奥深さ思わずにはいられない。旨味、コクがあり、それでいて、洗練されていて、上品な味わい、豊かな風味がある。
 フランス料理の鳩の煮込み料理、といっても、おかしくはないほど。と言うよりも、中国料理、フランス料理といったジャンル、カテゴリーをはるかに超越した極上の料理、至福の美味。
「鳩一羽、4人で分けただけの量じゃ、(物)足りない!もっと食べたい! 鳩一羽、二人で分けるのが、ちょうどいいぐらいだ!」、と青木さん。
「一期一会」を気取るわけではないですが、美味しい料理に出会っても、滅多にもう一度食べたい、という気分にはならないこの私も、「もう一皿、食べ直したい、もっともっと、永遠に食べ続けていたい」と、心底思いましたから。
 
 で、画像は再び「仙鶴神針」です!



2007/11/18

う~ん、これはやっぱり秋の味(その8)かな


炒飯です。米はインディカ米で、パラパラの状態。
その具ですが、生姜の微塵切りと卵白。
その名も「姜米蛋白炒飯」。
上海蟹を食べる時、体を冷やす性質を持つ上海蟹ですから、食後に、生姜と砂糖で甘味仕立てにしたものを飲んだりします。
それだけじゃ、ってことで、上海蟹を食べた後、念押しに食べるというのがこの炒飯。
生姜のひりひりがさりげなくその存在を主張、というのが実にニクい!
上海蟹を食べた後の締めくくりの炒飯、ってことですから、やっぱり、秋の味、ってことになりますね!

たまたま秋に食べた味(その3)


清炒豆苗、豆苗の炒めものです。豆苗というのはエンドウの若芽、というのが一般的。で、蝶々が羽を広げるように、軸に左右対称の葉っぱがついたもの。その軸が柔らかい部分だけを使って料理したもの。
 豆苗に限らず、青菜の炒めものは、素人には至難のワザ。日本の中国料理店で、これぞ!という青菜の炒めものには、滅多にお目にかかれない。熱した鍋に油を注ぎ入れ、煮立った油の沸点を見極めながら、青菜を放り込み、一瞬にして青菜に火を通す。さらに、上湯などのダシを注ぎ入れ、青菜にだしを煮含めて、素材の青菜の持ち味、風味を引き立てる。と、口でいうのは簡単ですが、油の沸点の見極め、しかも、青菜を放り入れ、一瞬、温度が下がる油の状態を見極めながら、青菜に火をとおす。その後にダシを煮含ませる作業がある。ということから、最初の炒め加減の按配も必要。行き過ぎると、こげちゃうし、温度が低いと、べたっとした油っこさが残る。
 ダシを入れるのは、味を引き立てるためじゃなくて、炒めすぎだったり、炒めた油の油っこさを洗い流す為、って思ってんじゃないの?というような、調理に出くわすこともあります。というか、日本の中国料理店の青菜の炒めものって、ほとんどがそんな感じで。そう思いませんか?
 ともあれ、青菜炒めは、青菜に火を通す油の種類、温度の見極めが肝心。火が入りすぎて、青菜の持ち味、風味を損なわないための、一瞬のワザ。それが、広東料理の炒めものの極意、「鑊氣」を生み出す。直訳すると「鍋の気」、ってことになります。
 油を媒介に、一瞬にして素材に火を通し、その持ち味、風味を引き出す。活気にあふれた味、風味を物語る表現です。ついでに、火の扱い、その調節、見極めを表現した言葉が「火路」。
 画像の「清炒豆苗」、有鑊氣、見事に活気にあふれ、素材の味、風味を引き出した一品でした。

2007/11/17

たまたま秋に食べた味(その2)


 これ、なんだと思います?油浸石頭魚。
 オニオコゼの唐揚げです。香港では石頭魚が好まれていますが、収穫量が少ないのか、稀少な魚ということで、店に石頭魚が入荷しているのを知れば、すぐさま注文する人が少なくない。
 一時、この石頭魚を常備し、各種の料理を看板にしていた海鮮料理店がありましたが、それ以外の料理は並。意表をついただけの料理がほとんどで、旨さも風味もいまいち、ということから、結局、その店には出かける気をなくし、試しませんでした。
 私が、食べたのは、魚の吟味で信用できる店でのことで、何回か食べたことがあります。稀少な素材らしく、入荷があると教えてくれるので、それを知ると即座に注文したものです。
 《清蒸》、つまりは蒸し物で食べるのもグッドなら、《椒鹽焗》、つまりは、塩、胡椒味の炒め蒸しもグッド。それに《油浸》の唐揚げがなかなか。根魚独特の泥臭さがありますが、その身、白身で、唇に触れ、舌を撫でる感じの柔らかさ、それでいて肉質は緻密。この種の根魚、シュワシュワの触感を特徴としていますが、それよりも身が締まってして、ホロリ、ハラリと身が崩れる感じ。ということでは、石斑の肉質に似ているかも。
 日本でも、オニオコゼ、ということで、収穫があるらしいのですが、場所が限られ、旬は夏、ってことらしい。
 実は香港の石頭魚は、ダルマオニオコゼ、だったか、まるでダルマのようなぼってりの感じ。日本のそれは、一応、魚に似て細長の感じ。肉質も、香港のものよりも緻密な感じ。
 久しぶりのオニオコゼとの再会。香港のそれとは肉質、味、風味は異なりましたが、再会にめちゃくちゃ感激!旨かった。稀少な魚ですから、それだけでも、盛り上がっちゃいます。
 そんなオニオコゼに出会って、感激の秋の一夜でした。

2007/11/16

たまたま秋に食べた味(その1)


なんだと思います?はぜ/沙魚です。はぜを使った酥炸沙魚。
 香港には九肚魚ってのがある。和名はテナガミズテング、だったはず。小ぶりの白身魚で、根魚独特の泥臭さがある。ということから、汽水域に生息、なのかもと思います。
 香港では潮州料理、それに、伝統的な順徳料理を看板にする店で、各種の料理があります。

 その九肚魚 日本にはないんで、似た魚はないだろうか。ということで、思い当たったのが、ハゼ。

 メゴチやキスの白身の肉、風味の感触もそれに近いが、もっと、身がシュワシュワとしていて、とろけるように柔らかい。生のメヒカリやゲロゲンゲなんか、近い線かな。

 ともあれ、ハゼを広東地方の海鮮料理風に、というのが、この一品。
 パリッとした揚がり具合で、サクっとした歯触り、噛み応え。が、身はシュワシュワ。
根魚独特の風味、味わいもグッドです。
 ってことは、このはぜ、冬菜などの漬物と一緒に蒸す、なんてのもいけるんじゃないか、っと思いました。
 次回、注文して、試してみます。

2007/11/15

秋の味(その7)


 やっぱり「秋の味」っていうと、これ、ですか?
毎年、この季節、この蟹が気になる。とはいっても、ワケアリで、しばらく遠ざかってましたが、誘われてついつい。もちろん、雄です。やっぱ上海蟹はこんぐらいの大きさじゃないと、食べた気がしない。茹で上がった上海蟹、褌を外して、カッパと腹を開き、ガニをとり、足をバキっとはずして、身をガキっと半分に割り、ミソにくらいつきました。旨かった。

2007/11/12

秋の味(その6)


この季節、冬に向かってまっしぐら。ということで、見逃せないが、生炒糯米飯。蝦米(干し蝦)、瑶柱(干し貝柱)などの乾貨素材に、、臘腸(腸詰)などを加えて具にした糯米の炒飯です。
 パラパラの糯米。その一粒、一粒が、モチモチの触感。そう、まるでお餅を食べてるみたい。(もち)米の一粒が「まるでお餅」!という寸法、です。
 作り方は、糯米を一晩水に浸し、水気を切って蒸します。だいたい20分ぐらい、ですかね。
 蒸しあがって、いい感じ、になったら、蒸し器から取り出し、水洗いして、糯米の粘り気をとってしまう。
 それから具材を用意。蝦米(干し蝦)、瑤柱(干し貝柱)はぬるま湯か水にひたして戻しておく。瑶柱は蒸して戻すと、さらなる美味と芳香が得られますから。
 そこに、私はスルメのもどしたのや、干し椎茸を戻したものも使います。それに、臘腸(腸詰)、あれば、潤腸(家鴨の血入りの肝臓の腸詰)。いずれも、きっちり丁寧にみじん切り。乱雑に切っちゃうと触感のよさをなくすのと、味がバラバラになる要因にもなりますから。
 そこで、葱頭(ベルギー・エシャロットがいいです)をみじん切りにし、落花生油で炒める。サラダ油は合成油がほとんどで、ケミカルな加工をほどこしたものもあり、また、沸点が低めで安定しない。ということから、油こく、べたつきやすい。ということでは純正の植物がベスト。
 そこに具材を混ぜ併せ、炒める。花彫酒で風味づけなども!炒めたら、別鍋か別皿かとる。
 そして、蒸して、水洗いして、水気を切った糯米を、落花生油で炒め、具材を併せ、さらに炒める。
 そこの上質のダシ(固形や顆粒の中華だしはダメです!入れないほうがいいぐらい)を適宜入れ、炒めて水気を飛ばす。で、出来上がりというわけです。
 糯米ですから、結構、腹持ちがよくって、少々でもお腹一杯。なのに、さらに食べたくなります。
 この季節ならではの糯米の炒飯です。

2007/11/11

秋の味(その6)




















 荔芋(タロ芋)を素材にした料理には、こんなのもある。これは「梅子荔芋排骨粉絲煲」
タロ芋とスペアリブ、春雨の梅子醤風味の炒め煮込み。みかけ、こってり濃厚味のようでいて、実はすっきり、さっぱり。というのも、梅子醤の酸味、それに、スペアリブって火を通すと脂がおっこちて、豚肉の旨味がしっかり味わえますから。美味です。それに実に香りが豊かです。

2007/11/10

秋の味(その5)



これは蓮藕餅。擂り潰した蓮根にひき肉を混ぜあわせ、煎り焼にした料理です。広東地方の家常菜、お惣菜の一種で、通年、食べますが、この時期、気候の変わり目に風邪を引くなどした時の解熱など、蓮根の薬効を活用します。あくまで蓮根が主体ですが、豚のひき肉だけでなく、淡水魚の綾魚、あるいは白身の魚、それに蝦米(干し蝦)などの乾貨素材を使うなど、具の組み合わせ、種類は豊富。おまけに、しっかり噛み応えのある硬い作りのもの、反対に柔らかいものなどもあります。しゃきしゃき、しゃりしゃりの蓮根の歯触り、触感が特徴です。

2007/11/09

秋の味(その4)


前出と同じく栗子炆鶏、栗と鶏肉の煮込み。季節料理、秋の味です。が、前出の料理と調理、味付けは同じですが、素材が違います。そうです、これは兵庫県の丹波産の栗(2L)を使ったもの。同じ料理でも、素材の産地、持ち味が違うと、出来栄えも印象も変わるもんなんだ、ということを改めて納得。詳細は後日!

2007/11/06

秋の味(その3)


またまた画像だけ、先にアップします。料理は栗子炆鶏、栗と鶏肉(龍崗鶏)の煮込み。私の大好きな広東料理の秋の味の一品です。澱粉質がとろけ出す栗。ですが、栗そのものの味は、ほくほくとしていて、しかも、噛み締めると、栗の風味が際立つ、という一品。ちなみにこのときの栗は、東松山の農業、加藤紀行さんのもの。ほかに、かの!丹波栗を使った同じ料理も味わいました。

2007/11/04

秋の味(その2)



とりあえず、画像だけ先にアップです。料理は京芋、唐芋の小芋と皮付きばら肉の南乳風味煮込みです。

2007/11/02

秋の味(その1)


わお!
2ヶ月もほったらかしで、すんません
と言うわけで、秋の味
なんていいながら、とりあえず、画像だけアップ
料理は鮑汁乳鴿醸生翅
鳩のふかひれ詰め、鮑汁煮込み
リッチ、ゴージャス、エレガント&ディープな一品でした
ちなみにこの料理、香港で食べた!
とおっしゃる方がいらっしゃるでしょうが、日本初デビューのはず、なんですが、、、、