2007/11/18

たまたま秋に食べた味(その3)


清炒豆苗、豆苗の炒めものです。豆苗というのはエンドウの若芽、というのが一般的。で、蝶々が羽を広げるように、軸に左右対称の葉っぱがついたもの。その軸が柔らかい部分だけを使って料理したもの。
 豆苗に限らず、青菜の炒めものは、素人には至難のワザ。日本の中国料理店で、これぞ!という青菜の炒めものには、滅多にお目にかかれない。熱した鍋に油を注ぎ入れ、煮立った油の沸点を見極めながら、青菜を放り込み、一瞬にして青菜に火を通す。さらに、上湯などのダシを注ぎ入れ、青菜にだしを煮含めて、素材の青菜の持ち味、風味を引き立てる。と、口でいうのは簡単ですが、油の沸点の見極め、しかも、青菜を放り入れ、一瞬、温度が下がる油の状態を見極めながら、青菜に火をとおす。その後にダシを煮含ませる作業がある。ということから、最初の炒め加減の按配も必要。行き過ぎると、こげちゃうし、温度が低いと、べたっとした油っこさが残る。
 ダシを入れるのは、味を引き立てるためじゃなくて、炒めすぎだったり、炒めた油の油っこさを洗い流す為、って思ってんじゃないの?というような、調理に出くわすこともあります。というか、日本の中国料理店の青菜の炒めものって、ほとんどがそんな感じで。そう思いませんか?
 ともあれ、青菜炒めは、青菜に火を通す油の種類、温度の見極めが肝心。火が入りすぎて、青菜の持ち味、風味を損なわないための、一瞬のワザ。それが、広東料理の炒めものの極意、「鑊氣」を生み出す。直訳すると「鍋の気」、ってことになります。
 油を媒介に、一瞬にして素材に火を通し、その持ち味、風味を引き出す。活気にあふれた味、風味を物語る表現です。ついでに、火の扱い、その調節、見極めを表現した言葉が「火路」。
 画像の「清炒豆苗」、有鑊氣、見事に活気にあふれ、素材の味、風味を引き出した一品でした。