2009/06/30

涼味が夏を呼ぶ~09年6月の「赤坂璃宮」銀座店の2

 「蜆介炸魚丸/魚のすり身の揚げもの蜆介醤添え」の「(酥)炸魚丸」の「魚丸」。香港や広東地方では淡水魚で鯉科に属する「鯪魚」を素材にするのが一般的。 広東料理店、小食堂だけじゃなく、粥麵店で揚げた「炸魚丸」を看板にしてる店もあります。中でも有名なのが中環に店を構える「羅富記」の「小欖炸魚球」。

 揚げるんじゃなくて、粥の具にして炊き込んだものもある。 「鯪魚球」を具にした粥は、粥麵店の定番的な一品ですが、中でも評判なのは上環の「生記」のそれ。

 鯪魚をつみれ状にした「鯪魚球」の料理は、中国本土、南方は言うに及ばず北方にだってあります。しかも、調味、料理方法は様々で多岐にわたる。まず、つみれ状の団子をそのまま揚げたのが「(酥)炸鯪魚球」で、英語名クラムソースの「蜆介醤」を添えて食べる。

 それ以外に、茹でるか、煎り焼きにして、土鍋炒め煮込みにした「鯪魚球煲仔」なんてのもある。その場合も「蜆介醤」で味付け、風味付け。香港の福臨門の九龍店の小菜のメニューには、レタス、豆腐と一緒に炒め煮込みにした「生菜鯪魚球豆腐煲」があります。

 すり身を団子状にはせず、豆腐に乗っけ、蒸したり、煎り焼きにすることも一般的。そういえば半分に切ったピーマンに詰めたり、茄子で挟み揚げにしたりする。順徳地方の名物料理の「順徳三寶」の一品だったりすることもありますから。もっとも、その「順徳三寶」、店によって、素材、詰める具は様々ですが。

 さて、日本では「鯪魚」の入手が難しい。「鯉」で代用というのも悪くないかも。でも、まだ試した機会がありません。それに日本の鯉、独得のくせがありますから。そんなことから「鯪魚」を海鮮の魚に置き換えるしかない。ということで思いつくのは「あいなめ」か「すずき」、ですよね。

 それが、今年の初め、袁さんの新年を祝う「圍村大盆菜」の中に「魚丸」が。 これがなんと「すずき」を素材にしたものでした。
 「あ!「すずき」でこんな「魚丸」を作れるんだ。だったら、揚げた「炸魚丸」にして、「蜆介醤」を添えて食べる。もしくは「蜆介醤」風味の炒め土鍋煮込み「蜆介魚丸煲」が出来るんじゃないか!」。

 そんなことで、すずきを素材につみれの団子状にした料理の数々を譚さん、袁さんにリクエスト。その中の一品ががいよいよ、登場と相成ったわけであります。   
 

 からり揚がった「炸魚丸」。香ばしい匂いが鼻腔をくすぐる。その皮、というか表面は「酥」のさくさく感よりも「脆」のぱりぱり感。それをぐっと噛み締めるとジューシーな肉汁がほとばしる。身はやわらかい。
 すずき特有のくせのある味に加えて、香味野菜、香辛料のあれこれがふわっと顔をのぞかるあたりが憎い。いつもの袁さんならではの技と工夫があります。

 ところで、以前、触れたことですが、こうした魚のつみれ類。作るにあたっては、身を叩き潰した後で、香辛料、香味野菜なども加えて練り合わせる。その際、練り合わせる方向は一定のまんま。絶対に、逆に返したりはしない。そうすれば味が落ちる、純な味ではなくなってしまう、というのがその理由。まぜっかえしにはしないのが鉄則です。素材を切り分け、準備する「板」担当の料理人の涙ぐましい努力と執念があってこそ、この美味が生まれるわけです。

 「あのう、エージさん、そういう場合、日本だと擂り鉢と擂り粉木を使うでしょ?中国料理だと、擂り鉢とか擂り粉木、使うんでしょうかね?」
 なんて、鋭い質問に私はたじたじ。
 「粥麵店で、大きなボウルに材料入れて、かき回してるのは目撃したことがあるけど。擂り鉢に擂り粉木、ね~。見たことありません。今度、袁さんに尋ねておきます」
 なんて、その場をしのぎます。

 それにしてもつみれの団子の「魚丸」の味付け、その風味に感心しました。
 今年の初めの「圍村大盆菜」で登場した時に魚丸、茹でてありましたが、それよりも、こうやって揚げる方が、素材、つまりは、すずきの持ち味が引き立つ感じ。しかも、香辛料の加減、按配が見事。

 あまりに美味しいんで、一個、そのまま食べちゃって
「あ' いけない!残るはあと2個じゃないか!」
 残る2個の一個目、添えられた「蜆介醤」を付けて食べます。

 右上の隅っこ写ってるのが「蜆介醤」。
 それが、「炸魚丸」と並んだ「蜆介醤」に興味をそそられたらしい仲間のYさん。
 箸先にちょびっと「蜆介醤」をつけてひと舐め。
 「う~ん、これは良いわ!」と、ひと唸り。

 「この味、奥床しいのね。美味とか、旨いんじゃなくて、奥床しい!」
 なんて話に座が盛り上がる。
 「いや、ほんとにそうですね。これ自体が珍味というか、味わい深い。こうやって揚げたすり身の団子と一緒に食べると、日本にいることを忘れさせますよね」
 そんな感嘆、絶賛の声が上がります。
 揚げたすずきのすり身の団子と「蜆介醤」の絶妙の組み合わせに誰もが感動。

 その「蜆介醤」、以前にもふれましたが、英語名はクラム・ソース。ということなら「はまぐりの塩漬け」ってことになります。烏賊だとか、あみだとか、塩辛の一種、とも言えるわけで、塩漬けにして寝かせてありますから、醗酵味が加味されて、旨味を増している。ヒネた味もする。しっかりくせのある味、だから後引き。

 問題はその正体。英語表記に準じれば「はまぐり」ですが、「はまぐり」にしては小ぶり。むしろ「浅蜊」の感じ。ところが「浅蜊」、どうやら日本だけの表記、通称のようで、香港や中国あたりでは「はまぐり」の一種ってことになるらしい。私は小ぶりの「はまぐり」というよりも「浅蜊」じゃないかと思うんですが。その謎の解明、どなたかにご教示願いたい!

 ともあれ「蜆」、「浅蜊」、「蛤」話で盛り上がりながら「蜆介醤」の「奥床しい美味」、それをつければ味がひきしまり、なおかつ素材の美味が浮かび上がる「炸魚丸」の話題でもちきりとなったのでありました。

 すずきはこれからが旬。板担当の料理人には面倒をかけますけど、絶対一方向オンリーですずきのすり身を練り合わせてもらって、つみれの団子状にした「(鱸)魚丸」の料理の数々、そのバリエーションの登場、楽しみにしたい。

 なんて思ってたら「赤坂璃宮」銀座店の「今月のおすすめ」の「家郷菜コース」の一品に「椒塩攘豆腐/豆腐と魚すり身の香り揚げ」なんてのがある。おまけに「豉汁醸三宝/ 海老のすり身詰め三種豆豉煮込み」って、先の「順徳三寶」のバリエーションだ。リクエストしたい料理が早々と登場なんてあたり、これまた憎い。

「赤坂璃宮」銀座店の郷土料理の数々のチェック、怠れません!

2009/06/29

涼味が夏を呼ぶ~09年6月の「赤坂璃宮」銀座店

 あわや!と思いましたが、今月もセーフ。なんとか月末に間に合った月例の「赤坂璃宮」銀座店報告。
 まずは「羊城焼味盆/前菜の盛り合わせ」。
 あれれ、大藤さん!今月の前菜の頭の紹介は「羊城」ですか。 「羊城」というのは広州の別称、愛称で、かつて飢饉に襲われた広州に五人の仙人が5匹の羊にまたがって訪れて民を救った、なんて故事にちなんだもの、だったはず。

 ともあれ、広州式前菜ということで、右から咸水鴨(塩漬け風味の家鴨)、手前が焼肉(皮付きばら肉の焼き物)、奥が豉油鶏(伊達鶏の醤油漬け)、次いで叉焼。左の赤と黄色のボールは杏仁露酒に漬け込んだトマト。

 今月は「咸水鴨」がグッド。今度、厚めの切り方にしてもらって、前菜でたっぷり食べたいと思った次第。加えて、先月に続いて登場したトマトの「杏仁露酒」漬けが大評判。

 「これ、やってみたくなりますね、でも、ほんとに一晩、トマトを漬けただけでこんなになるのかしらん」
と、声も上がる。
 「問題は皮、じゃない?皮、そのまんまだと、こんな風な出来上がりにはなりそうにないし」
 「トマトって、皮の裏、美味しかったりするだけど。ほら、トマトを丸ごとオーブンで焼いたりすると、そんな感じでしょ?でも、トマト・ソースを作る時にには、皮を湯煎して剥いちゃってからでないと、なんだか、旨くないのはどうしてなのね」
 話はいつのまにかイタリアンのトマト・ソース話に。

 そして「蜆介炸魚丸/魚のすり身の揚げもの蜆介醤添え」の登場!
 「これこれ、この料理!なんとか袁さんに作ってもらえないかって、かねてより大藤さんを通して、譚さん、袁さんにリクエストしていた料理です!」と、私は興奮を隠せない。

2009/06/28

新世代の料理人のあれこれ~その4

そんな大阪の食事情、独得の風土、環境、歴史を背景に(ってオーバーですけど)登場した「一碗水」の料理内容、素材の扱い、味付け、調理方法は、従来の中華料理のイメージを覆すものだった、ようです。

 旬の野菜や魚介を素材にした前菜の数々。揚げ物、炒め物なども、素材の組みあわせ、調味、味付けに特徴があったこと。煮物などに加え、蒸し物が充実。スープ類も工夫とバラエティーがある。その料理手法、調味は、ほとんどが中国本土、香港や台湾のそれに倣ったもので、おまけに「咸魚」、「蝦醤」、「腐乳」、「XO醤」など、これまで滅多に表立って使わず、最近になってその存在が一般的になってきた調味料、香辛料がしっかり顔を覗かせ、強い印象を与えたこと。そんな物珍しさもアピールした、ってことじゃないでしょうか。

 おまけに味は淡白で清淡(それこそさっぱり)な料理があり、一方で、中国料理でお馴染みの揚げ物、炒め物などは脂ギトギトのこってり味ではなく、メリハリの利いた明快なものだった、ってことでしょう。毎月「一碗水」の料理を取り上げているらんぶろさんの「L'AMBORISIE+++PLUS」を見れば、それが即座にわかります。

 そんな南さんの料理内容や構成は、かつて東京の吉祥寺で「竹爐山房」の山本豊さんが供し始めた二人から楽しめるコースを思わせます。つまり、小皿盛りの前菜何種かに、乾物や魚介のメインの料理。炒めもの、揚げ物、煮込みものに、蒸し物を組み合わせ、スープと面・飯で締めくくり。あっさりした味とめりはりの利いた味の対比、組み合わせ。

 かつて「竹爐山房」のコースは話題を集め、東京の中国料理に新風を送り込みましたが、「一碗水」も同じように大阪の中華料理に新風を送り込んだ、ということだったのではないでしょうか。先にふれたらんぶろさんの毎月の「一碗水」レポートがそれを如実に物語る。

 南さんの料理を写し出した臨場感のある画像と、らんぶろさんによるシンプルで簡潔なコメントが、素材、その組み合わせ、調味、味わいの意外性、新鮮な驚きを雄弁に物語る。それまでらんぶろさんが体験し、イメージしてきた中国料理、中華料理のイメージを打ち破るものだったことは、想像に難くない。南さんが「竹爐山房」で修行していたことに加え、らんぶろさんのレポートがあってこそ「一碗水」、そして、南さんの料理に、並々ならぬ関心を抱くきっかけになりました。らんぶろさんに感謝!

 もっとも、「竹爐山房」で山本豊さんのもとで修行した南さん、そこで学んだすべて、まんまの料理を提供、ってことではなかったようです。中国本土の各地、香港の郷土料理、その歴史にも関心がある様子で、文献を紐解いてその再現を試みる。そればかりか、一人ぶらり旅を重ねて出会った料理、その味の再現、実践を試みる。意欲的です。先の「腌篤鮮」などはその一例として挙げられるものでしょう。 さらに、独自の工夫、スタイルで完成させたいくつかの料理がある。

 前菜に出てきた「酔鶏/紹興酒付けの鶏」など、その最たるもの。 舌の上でとろりとろけるゼリー状の煮凝りに包まれた鶏肉。滑らかで、しっとりとした触感。噛み締めれば、鶏肉の旨味、漬け込んだ紹興酒の風味が浮かび上がるという按配。

 聞けば、その作り方、従来の一般的なそれとは異なる、独自の調味、料理方法を思いつき、試みを重ねてのもの、だそうで。これまで食べた「酔鶏」では五指に数えられるもの。「でも、まだまだ、工夫の余地、やれる可能性はあると思うんですけど」と、謙虚ながらもその目線は意欲的。

 もう一品、今回、感心したのは「小豆菜の煮浸し」。「小豆菜」というのはユリ科の「雪笹」。茹でると小豆の香りがするから「小豆菜」なんだそうで。そんな「小豆菜」を炒めて、だしで煮浸しにした一品です。

 そんな「小豆菜の煮浸し」、そのだしにねっとり、べったり、舌にまとわるものがある。「小豆菜」とは異なる甘味、旨味。脂の甘味、旨味ですね。しかも、ゼラチン、コラーゲン質な感じ。てことは、「「鶏油」使ってる?」と尋ねたら「いえ、使ってません」。炒め油なら、こんな風にならないはずだし、だったら、だしそのものが濃密で濃厚ってことか。

 「ね、だし、去年と同じ作り方?それとも、変えた?」と私。「いえ、基本的には同じですけど。清湯をとるときには~」なんて話を聞きながら、去年とのだしとの明らかな違い、見逃せませんでした。

 「一碗水」。話題、評判を呼ぶ一方で、批判の声もある。その中に「あっさりしぎて、物足りない」なんてのがあったのに、大いに納得。脂こくって、こってり、ギトギト、味の濃い中華を求める人には、物足りないかも。「過大評価だ!」なんて声もあって、それもそんな意見に関係ありかも。ま、それだけじゃなくって、南さん、まだまだ色々と課題を抱えているのは事実ですから。

 ですが、南さんの目線、料理にかけるひたむきな意欲、努力、その実践に、興味と関心を抱かないではいられない。南さん、頑張って!

新世代の料理人のあれこれ~その3

 「一碗水」の「腌篤鮮」。
 たまたま隣合わせになった二人組みの女性客、何度も「一碗水」を訪れてるそうですけど、ちらちらと覗かれたんで「これ、食べたことあります?」と尋ねたら「初めて!こんな料理、ここで見たことないし、食べたこともない!」、と。それより「毎月、通ってるんですけど、ここでは初めて出会う料理ばっかり。大阪にこんな店、他にないんです!」、なんてことでした。

 「一碗水」の料理、コース設定、その調理、味付けや内容は、現在でこそ同種の料理店がいくつか登場ってことですけど、「一碗水」が登場して以来、話題、評判を呼んだ最大の理由は、その点にあった様子。つまり、大阪の従来の中国料理のイメージを覆すものだったから、というのはどうやら間違いのない事実のようです。

 もう随分前のことになりますが「あまから手帖」で大阪、京都、神戸の当時最新の話題の中国料理店をレポートする機会を得ました。本誌に掲載した店以外にもあれこれ教えられた店をリサーチ。その後、機会があれば追っかけてきましたが、やっぱり、地元の人間じゃないんで、その実態はつかみづらい。

 ですが、面白かったのは大阪、神戸、京都の中国料理は、料理人の個性、持ち味だけでなく、それぞれ土地柄、風土、なによりも地元の人の嗜好を反映していたこと。その3都市に限っても、それぞれ一線を画する特徴があるのを発見!

 ことに大阪の中国料理。脂こっくって、味が濃いという日本特有の中華料理のイメージが一般的。そこんところは、全国共通、多くの日本人が思い描く、また、求める中華料理の味、認識です。
 大阪といえば、一般的にはなんでもかんでもこてこて!「こってり味」というイメージ濃厚。ということであれば、脂っこくて味が濃い中国料理、中華料理はうってつけなはず。ところが、さにあらず。私の知る限り、出会った限りの大阪人、こてこてのこってり、濃厚な味が好みのようでいて、その実、本音は「やっぱり、さっぱりしてるのがええワわ!」といった「さっぱり嗜好」を隠せない。

 たとえば大阪の「ポン酢」にかける執念こそはまさにその典型。それぞれのひいきの「ポン酢」のブランドがあって、その執着たるや並のものじゃない。そればかりか「ポン酢」の自作派の存在を見逃せない。“どう?俺のポン酢、試してみいひん?”と、くったくなく薦めてくれるようでいて、その眼差しは真剣どころか、否応なしに肯定の意見しか受け付けないような鬼気迫る気迫の勢い。「これがあかんちゅうんやったら、おつきあいお断りや!」と、顔に書いてあります。
 目がそれを物語ってます!なんてたじたじの体験、何度したことか。

 中華料理は「脂こくって、味が濃い」ものだと納得し、その味を求めながらも、そこに「ポン酢命!」的「さっぱり感」、「さっぱり味」がないと納得できない、収まらない、というのが、大阪人に共通した嗜好じゃないでしょうか。

 かつての「あまから手帖」の取材の際、料理人の方に色々と話をうかがった際、「大阪の中国料理の料理人が抱えるテーマ」のひとつがまさにそれでした。
 「ええ、ですから、脂っこくて、濃い味付けですけど、どうやってさっぱりした味にするか。そう、心がけてますし、さっぱりしたもんをお出しするようにしてます」
 そんな話、料理人から何度耳にしたことか。

 そういえば、お粥や家庭料理が旨いと地元で評判の神戸のとある店の紹介を書いた際、私の味覚だけじゃなく、日頃接してきた中国料理に比較しても、味が濃い。それも、塩味が強い。広東地方でも広州の都市部や順徳ではなく、その周辺部の郷土料理に特徴的なもので、塩味を強くして旨味を強調。
 そんな話にもふれながら、郷土料理、というよりも田舎料理的な素朴でひなびた味つけ、塩味の濃さが特徴的だったことから「味が濃い」、「塩味が強い」と率直に書いたところ、店からその記述にクレームが!なんてこともありましたっけ。

 「味が濃い」、「塩味が強い」と触れられるのは、店側にとっては大いに不都合な様子。それが事実であったとしても、直接的な表現はタブーなんですね。そんなこと、思いもしませんでした。
 味は濃くてしっかり、それとも、味はこってり、なんて書いた後で
 「ですが、さっぱり!」とすかさずフォローして、締め括る。 それが、フード・ライターとして生き残る処世術だと、知った次第です。

 食雑誌の店紹介、料理紹介における「さっぱり!」には要注意!

2009/06/27

新世代の料理人のあれこれ~その2

 「腌篤鮮/塩漬豚ばら肉、豚ばら肉、筍、百頁(押し豆腐)の煮込み」は上海の郷土料理、家庭料理の一品で、冬筍に次いで春筍が出回る頃に作られる料理です。もともとは浙江省の杭州の料理のようです。確か香港の「天香樓」、「上海一品香菜館」、「老正興」のメニューにもあったはず。というのも「腌」と言う言葉、その意味を知ったのはそれらのメニューからでしたから。

 「腌篤鮮」の「腌」は塩漬け、塩蔵の意味で、「鮮」は新鮮な豚肉。つまり、塩蔵の肉と新鮮な豚肉とともに、旬の味の「筍」、押し豆腐の「百頁(百葉)」を「篤」、つまりは煮込んだ料理です。ことに筍、春の筍だけじゃなくて、野生の筍が出回る頃に、その味、風味、さらには触感を味わう料理でもあります。

 もっとも「腌篤鮮」、日本、東京では滅多に見かけたことがない。それが、ここ10年、東京で一挙に増殖中の中国本土からやってきた料理人を抱える店にはあるようで、ネットで紹介されているのを見かけたことがあります。

 今回の「一碗水」の「腌篤鮮」は、香港や広州、江蘇/浙江省、北は北京周辺など中国本土に一人ぶらり旅の多い南さんが、現地で出会ったのがきっかけかだったのかも。それとも、どこかのレシピを見つけたんでしょうか。

 で、「腌篤鮮」。普通、上海、及びその周辺の江蘇/浙江省の家庭としては、塩漬け肉、新鮮なバラ肉を組み合わせ、筍と一緒に煮込むのが一般的。南さんの場合には自家製の塩蔵した豚ばら肉に、新鮮な豚肉、バラ肉と脛肉だったような覚えあり。さらに、杭州式に倣ってなのか金華火腿も加えてある。「百頁」は出来合いのものを調達したそうで。

 塩蔵肉を使ってあるだけあって、塩味しっかり。私には塩味が立った味付けの印象。しかし、きりりと引き締まった印象で、爽快で清々しく、若々しくて溌剌気分。まんま南さんの若さを物語るような味付けです。加えて、素朴でひなびた感じがする。

 それより、その塩加減、味わいからすると、杭州の料理というより寧波の郷土料理のような印象。私が出会った寧波の料理って、上海の醤油味、甘味味に比べ、塩味が立っていて、素朴、朴訥な印象で、それに似てたからです。南さんの「腌篤鮮」も、素朴で朴訥。心和むような穏やかさ、優しさが汲み取れる。ほのぼのとしたのどかな田舎料理の味、といったところです。

 新鮮な豚肉の旨味、塩蔵の豚肉、及び、金華火腿の醗酵味、ひね味が相まって、旨味が加味され、こくを増している。そんな塩味の立ったスープの味わい、風味が、この料理の味わい所、決め手のひとつなのは確かです。さらに、旬の味、筍の触感、さくさく感と、えぐ味をほんのり残した春筍の爽快な味、風味、それこそが肝心な素材。

 そんな南さんの「腌篤鮮」、ほのぼのとしたひなびた味は中国本土に食探訪に出かけた南さんのお土産料理、素朴で朴訥が持ち味の郷土料理、家庭料理が狙い目ってことなら、面白しくて、楽しい。それに、日本じゃ滅多に出会いないってことを含めて合格点。ですが、一品の料理としての完成度ということでは、まだ課題あり、というか、工夫の余地がありなんじゃない?というのが正直な感想です。

 う~ん、なんだろう? 塩漬けと新鮮な豚肉、金華火腿を加味していながら、今ひとつ旨味が物足りない。出しの弱さ、その力強さが、不足気味な印象。それに、キリリの塩味はともかくとして、新鮮な豚肉の旨味、そこに塩漬け豚肉や火腿の醗酵味、ひね味、旨味が加味されるなら、より緻密で洗練された味、風味も可能なはず。そんな味、風味の深み、奥行きが今ひとつ、というのが惜しい。

 そう、杭州料理に特徴的な気品のある洗練や風格ですね。多分、南さんの狙い目は、寧波料理のような素朴さ、朴訥さじゃなくって、実はそこにあったんじゃないか、なんて思ったからです。火腿がその証。そんな南さんの目線が面白い。それに、南さんの心意気、本土の郷土料理への取り組み、その意欲が汲み取れます。

2009/06/24

新世代の料理人のあれこれ~その1

 怒涛のような、って鳥越祭の本社の千貫御輿だけではなく、一時、相次いだコンサート通いも、しばしひと段落。と、思いきや厄介な原稿やら早急に片付けや解決の処理を必要とする出来事が重なってアップアップ。そんな間隙を縫って、ひとりで、あるいはツレを見つけては、気になる店に出かけてみるようにしています。

 そもそもは昨年末、オールド・ボーイズ向けPOPEYE「OILY BOY」で、東京の若い新進気鋭の料理人をレポートしたのを発端に、新進気鋭の若手料理人がオーナー・シェフを務める店、中国本土からやってきた料理人が料理長を務める店に関心を持ったのがきっかけです。

 いずれ、東京の最新の中華料理事情、もしくは、日本の最新の中華料理事情をレポートしてまとめたいという意思があってのことですが、出来れば中国料理に限らず、新世代の料理人を追っかけてみるのもおもしろいかも、なんて思いはじめたからです。

 とはいうものの、なかなか時間が見つけられない。時間を見つけて出かけてみたところで、福臨門や「赤坂璃宮」銀座店のようにどの料理もレベルが高く、なおかつコースとしての構成、その緩急の妙や味、風味の変化を楽しめるのは、やはり難しいといのが現実だったりします。

 それにこのブログ、香港の広東料理、あるいは中国料理の知られざる実態やその奥深さ、その背景にあるものを紹介したいというのが本来の趣旨、目的。それに関連して食の文化比較というのが根底のテーマですから、そうしたことに関わる何かを見つけないことには話も弾まない。小言ぢぢいの本領の発揮のしがいがない。

 もっとも、興味をかきたてられた店、料理がないわけではありません。
 たとえば、大阪の「一碗水」がその1軒。もはや旧聞に属する話題ですけど、この4月、大阪の新歌舞伎座に五木ひろしの公演を見に出かけた際、帰りに久々に立ち寄りました。

 「一碗水」、大阪では予約が取れないと評判の店。そんな大阪での人気、評価の実態、かつてdancyu誌の創刊200号記念の特集「日本一旨い店を集めました」で同店を紹介した大阪の門上武司さんに尋ねましたが、忙しい身ということもあって返事はまだ戴けず。

 その代わりに届いたのが「神戸元町別館牡丹園」の王泰康さんと息子の文良君の「父子鷹」を紹介した「魔法のレストラン」のDVD。こいつが面白かった。
  あ、門上さん、「一碗水」のご返事、待ってますから!

 私が「一碗水」、オーナー&シェフの南茂樹さん、それに彼の作る料理に興味深々なのは、彼の目線、意図するもの、姿勢の面白さにひかれてのことです。吉祥寺の「竹爐山房」の山本豊さんのもとで修行し、薫陶を受けた一人だってことも理由のひとつ。

 最近でこそオーナー&シェフによる新趣の店が大阪、神戸、京都に相次いで登場。その話題の店の数々の情報、耳に届きます。そんな新潮流の突破口のきっかけになったのが「一碗水」、というのはどうやら誰もが認める話のようですね。

 例えば、今回出会った「腌篤鮮/塩漬け豚肉、豚肉、筍、百頁(押し豆腐)の煮込み」に、南茂樹さんの熱い気概、意気込みを感じました。

2009/06/22

鳥越祭 本社御輿渡御 2009の3

 初めて御輿を担いだのはイラストレイターの矢吹申彦さんに誘われ、北沢八幡大祭の東北沢の町内御輿でのことでした。30年以上も前のことです。遡れば子供の頃、神戸の生田神社の子供御輿、なんてのもありましたけど。

 ともあれ、御輿を初めて担いで御輿にはまった私は、北沢八幡大祭の東北沢の町内御輿には毎年参加。しかも、それだけでは収まらず、ツテを探し出してあっちこっちの御輿担ぎに進出したもんです。  

 仕事仲間にも御輿好きを見つけました。それが、なんと御輿の同好会に入ってるという。ポパイなんかで写真を撮ってたカメラマンで、一時、三社祭のオフィシャル・カメラマンだったこともある小川よしのぶ君がその人。今では同好会も止め、御輿担ぎもやめちゃって撮影一筋、なんていいながら、三社祭でばったり出会ったりするとしっかり半纏を脇に抱えているような御仁ですから。御輿って、一度、味を占めちゃうとやめられないんです。反対に、一度きりでこりごり、なんて人もいるにはいます。

 ところが御輿の同好会、ほとんどが毎週、週末に参加が必須の条件と聞かされ、当時の私には到底無理なことでしたから同好会への参加は諦めました。以来、知人、友人の地元で祭、御輿が出ると聞きつければ、半纏のゲットを依頼。どこでも地元の半纏がなければ御輿は担げませんから。

 しかし、地元の方のご好意で半纏をゲットしても、世話してくれた方、その一家は御輿には参加せず。なんてのはよくあることで、御輿を担ぎに行っても、どこでも、ツレ、仲間なしのひとりぼっち。そんなことに慣れっこになっちゃいました。

 ことに一人ぼっちの御輿担ぎ人はすぐにわかるもんで、なんだか共感を覚え、いきなり打ち解けて親しくなったりします。何度も同じ御輿を担ぎに出かけるようになれば、助っ人の同好会の人間でもないのに地元の人と馴染みになって「いつも担いでる地元の人の顔!」になっちゃうのが私の取り柄!

 それに、馴染みになれば青年部の世話役さんがハナ棒に引っ張り込んでくれたりするわけですが、「いいです、いいです、お構いなく」と、面倒はかけずに担ぎます。というか、あくまでマイ・ペース。自分のやりたいようにやる、という性質なもんで。

 そういや今年の三社の雷門中部ですっかり顔なじみになった青年部の方から、要領よく美味しいところを好き勝手に担ぐマイ・ペースぶりを「年をとった親父の賢くて美味しい担ぎ方、楽しみ方ですね」なんて感心されて、ハナ高々。なんて言われても、ただの御輿好きなおやじだけのことなんです。私ってほんと、馬鹿ですよねえ。そうだ、去年、出会った岡本さんも「御輿好きの人の良いおじさん!」というのが私の印象だったそうで。
 
 ともあれ、岡本さん、昨年の鳥越祭で御輿デビュー。しかも、ひとりぼっちで、ツレ、仲間なし、なんてことに親近感を覚えて私はお節介。その岡本さん、話を聞けば母方の父親、つまりはお祖父さんが小島町に住んでらしたことから、引っ越してきたのが14年前。私だったら「わ、すげえ、毎年、千貫御輿を担げる!」と、それだけて盛り上がります。

 そして、岡本さん、小島町に引越してきた翌年の鳥越祭の本社御輿の町内渡御で、玄関の引き戸のガラスが割れる災難に。

そうです、鳥越の本社の御輿の町内渡御は、引渡しこそ大通りですけど、すぐさま町内の狭い路地に入り込む。狭い町内の路地に千貫御輿とそれを取り囲む怒涛の人並みが一気に押し寄せるわけですから、何も起こらないわけがない。玄関前に並んだプラント・ケースは踏み潰される。無残に跡形もなく蹴散らされる!

 それより、狭い路地で千貫御輿が左右に揺れて、通りに面した玄関の引き戸や窓のガラスが割れる、なんてのはよくあることです。ですから、本社の千貫御輿が通ることになった小路に面した家の玄関や窓は、その昔、台風の来襲に備えたそのまま、ガラスの入った引き戸や窓に板を貼り付けて防御。それも鳥越祭の本社御輿渡御がある日ならではの街の風情のひとつです。あの台風がやってくる日の胸のときめき、ざわざわ感がよみがえったりしますから。

 小島町に引っ越してきて、翌年の鳥越祭で、ご自身は不在時にそんな被害にあった岡本さん。でも、災難じゃなくって「縁起がいいなあ!」って思った、と言うんですから度量があるというか心が広いというか、御輿への敬意、愛着がうかがえて頼もしい。それからも、そんな災難、じゃなくって「縁起のいい出来事!」が、何回かあったそうです。なのに鳥越祭の日は御輿を担ぎたいと思いながらやり過ごし、宴会をやるだけで過ごした年月、あっと言う間に10年以上!なんて話を聞いて「ああ、もったいない!」と私はため息。

 それが一昨年、ご長男に「パパは御神輿を担がないでずるい!」と言われてグサり! それに昨年は本厄だったことから、厄払いのつもりで一念発起!そんな岡本さんに宵宮の小島三町会の連合渡御で1年ぶりに再会しました。

 そして、翌日の本社の千貫御輿を待つ担ぎ手の中に、岡本さんの姿は見当たらない。どうしたんだろ?なんて思ううちに、本社の千貫御輿の渡御は開始。岡本さんと出会ったのは午後の町内御輿での渡御でのこと。本社の千貫御輿、ギリギリで間に合って、やっぱり今年も帯の締め方がわかんなくって、世話役の人に頼んだそうで。

 それから、いざってことで千貫御輿、脇の後ろにくっついてたら、送りこんでくれる世話役の人がいて、何度が担げたそうです。でも、暑さにやられてヘトヘトになって、本社のあとはバタンキュー状態。誰しも同じだったわけですね。

 今年の鳥越の本社の千貫御輿渡御は、ほんとに暑かった。くたばってしまうぐらい暑かった。けど、担がないではいられません。そんな鳥越祭、終わってしまえば「あ~あ、あと364日か!」と精気が抜けて、ため息ばかり。

 鳥越祭が終わって梅雨の日々を抜ければ、夏がやってきます。

2009/06/20

鳥越祭 本社御輿渡御 2009の2

 今年の鳥越祭の御輿は町内御輿も本社の千貫御輿渡御も見学だけのつもりでした。長年お世話になってる越村さんちで、昨年、不幸があり、神社の神事、祭りには不参加という事情があってのことです。身内ではありませんが、身内同様、面倒をみてもらってましたから、今年は担ぐのはお休みにするつもりでした。

 しかし、担がないから鳥越祭の日に越村さんちに伺わないのは、これまで散々お世話になってきたのに礼を欠く。それに、もしかして越村さん、寂しがってるかも。それよりも、ずっと越村さん同様、ずっと面倒を見てくれた故人の仏前にお参りもしたい。なんてことで、思い立って越村さんちを訪ねたのが宵宮の日の夕方。

 越村さん、とても喜んでくれました。それも越村さん、5月の末から入院し、退院したのが祭りの2日前。なんて話には驚きましたが、そんな風には見えないぐらい元気な姿にひと安心。
「いやあ、今年は喪中だしね。でも、近所のお稲荷さんの世話役の代表もやってるから、喪が明けてから家族一同、鳥越神社でお払いは受けたんだけど。でも、ま、今年は祭りはお休みってことで。それに、入院して、戻ってきたのが二日目だったから、いろんな方に連絡も出来なかったんですよ。誰にも連絡はしなかったんだど、誰か見えないかなあって、心待ちにしてたところなんで、嬉しいなあ。いや、兄貴も昌平君も、それに昌平君の仲間も来ててね。町会の御輿の渡御がはじまるんで、さっきでかけたばっかり」と、越村さん。

 兄貴というのは神田の嶋倉さん。息子の昌平君は地元神田の神田祭の青年部ってことから、神田祭では御輿の面倒を見るばかりで担げない。そんなことから、毎年、鳥越にやってきて、存分に担ぐのがなによりも楽しみ。嶋倉さんも昌平くんも、年に一度、鳥越祭の日に、越村さんちで顔をあわせるわけで、3年前に結婚した前後から今ではかみさんになった智子さんも御輿に参加。今年は神田祭の仲間も一緒でした。

 そして、小島三町会の連合渡御が始まるというんで見学に。 そしたら越村さん「上に半纏、あるから着替えたら!そんな格好じゃ小倉さんらしくないよ!」なんて、いきなりの話に担ぐつもりじゃなかった私は、しどももどろ。
「え!でもあの、今年はやっぱり遠慮しますよ。身内ってわけでもないですが、お世話になってきたんで」
 と返事したものの
「いいからいいから、祭りの日にいろんな人がきてくれるの楽しみにしてたのは、故人なんだから。供養にもなるからね!」
なんて話に
「はい、わかりました!」と、私。 素直、っていうよりも遠慮がないんですね。とは言うものの、御輿を担ぐ用意なんかせずに伺ったもんで、ダボなし、半纏を素肌の上に着込んで、町内御輿、3町連合渡御に参加。
  
 それともうひとつ、昨年、本社渡御で知り合いになった岡本祐司さんのことが気がかりでした。

 岡本さんと知り合ったのは去年の本社渡御でのこと。前の町会からの引き渡しの前に担ぎ手は待機。なんて時 「あのう、帯ってどうやって締めればいいんでしょうか?」 と尋ねられたのがそもそものきっかけ。口で教えるより、締めて上げる方が手っ取り早い。

 話を聞けば小島1丁目の住人になって13年。鳥越祭を楽しんできたものの、本社渡御はもちろん、町内御輿を担ぐのも初めて!

「初めてでハナ棒を担ぐのは、う~ん、ちょっと厳しいかも。みんなハナ棒を担ぎたがるから。けど、脇の真ん中のところなら、人の輪も少ないし、後ろの脇なら、後ろについてれば、送り込んでくれるから!」なんて、訳知り顔でお節介を買って出た次第。

「う~ん、なら、出来る限り傍にいてください!引っ張り込むか、入れ替わるから!」ってことで、怒涛の本社の千貫御輿の渡御が始まった。私はいつも通り、担ぎ手が群がり、ひしめきあう御輿をとりあえずは観察。御輿が上がった途端に、御輿を取り巻く人垣を掻き分け、比較的人垣の薄い脇の真ん中に潜り込んで、御輿に歩調を合わせながら、担ぎ棒に手が届く隙間を見つければ、一気に肩から割って入って、担ぎ棒にしがみつく。

 担いでしばらく、ふと見ると、御輿に並んで脇を取り囲む二重ほどの人垣の中に岡本さん。右手を上げて岡本さんに合図を送り、なんとか近づいてきた岡本さんと入れ替わり。そんな風に、繰り返し担ぎ棒にしがみついてた間、岡本さんを見つければ、引っ張り込んだり、入れ替わったのが3回、4回、ぐらいかな。御輿デビューで本社の千貫御輿を担ぐのは、ほんと至難の技だったりしますが、ともあれ、岡本さんの御輿デビューの手伝いを果たしたのでありました。

2009/06/14

鳥越祭 本社御輿渡御 2009

 いやあ、暑かった。今年の本社の千貫御輿渡御は、ほんとに暑かった!!
 熱中症って経験がないんですが「もしかしてこれ?」なんて思うぐらい、暑さにやられてヘトヘトになりました。 夏の真っ盛り、そのど真ん中の8月15日、かんかん照りの日に富岡八幡宮の御輿を担いだことがありますが、そん時の方がまだまし!なんて思ったぐらいの暑さでした。

 (桂)枝雀じゃないですが「お陽いさんが、カァ――!」状態。照りつける陽射しは頭皮を突き抜け、脳ミソを直撃!煮えくり返って沸騰寸前!なんて按配でしたから。おまけに、もしかして前日までの雨で濡れていた道路の水分が、照りつける日差しで蒸発し、湿気を帯びたムンムンの暑さになっちゃたこともへとへとのへたれになっちゃった要因、だったのかも。

 小島一丁目の今年の本社の千貫御輿渡御、鳥越1丁目からの受け渡しは、予定では10時40分。それが、13分早まったと後で知りました。午後に担ぐ本社御輿の渡御に比べれば、人数、なんだか少ない印象で。ですが、町内御輿に比べれば担ぎ手の人口密度は尋常じゃない。

 担ぎ棒の周りには、虎視眈々と担ぎ棒にくらいつくつもりの人波が幾重にもびっしり。
 もっとも中棒のあたりは取り巻く人波の輪も薄め。そこに要領よく紛れ込み、担ぎ棒にほんのわずかでも隙間をみつければ、ひょいと担ぎ棒に手を差し伸べ、身体を真横にして、ぐぐぐ~いなんて感じで、担ぎ手の間に割り込みます。ですが、前と後ろの担ぎ手にはさまれて胸が締め付けられ、呼吸困難、酸欠状態に陥りそうになることなんかザラですから。

 しかし、担ぎ棒にしがみつけたら、後はもう担げる限り担ぎ続けます。
 そう簡単に担ぎ棒から離れない!
 「ねね、おじさん、そろそろ代わってやったら!」
 なんて言われてチラっと見るとどうやら今年初めて小島1丁目の本社渡御に参加の助っ人の若者のリーダー格の様子でした。

 もう何年も担いでますから、町内の睦、世話役の方、常連の方とは顔なじみ。
 それが、毎年、入れ替わり立ち代り、御輿の同好会の連中なのか、助っ人の新顔が入り混じり、その手のリーダー格が、なんでだか御輿の中棒の脇について、担ぎ手をミョーに仕切りたがる。引き連れてきた仲間、ことに女の子を担ぎ棒に入れたがる。よくあることです。

 「え!?おれ?おれがおじさんかい?」と、しらんぷり!
 けど、もしかして「おじさん」じゃなくって、「おやじさん」なんて言われりゃ
 「は~い、はい!」なんてすんなり入れ替わってあげたかも、です。
 そのあたり実にビミョーな(年季の入った御輿)オヤジの心理です!

 意地を張ったわけじゃないですし、ま(年季の入った御輿)オヤジとしては、しっかり自己管理。前と後ろの担ぎ手に胸を圧迫され、呼吸困難に陥りそうになりなりがら、自分の按配見計らい、たまに抜け出して水分と酸素の補給を怠らず、今年もしっかり担ぎました!

2009/06/08

郷土料理が旨い~09年5月の『赤坂璃宮』銀座店の6

 そして今月の締めくくりの「面・飯」は「咸魚生菜炒飯/塩干し魚風味レタスチャーハン」。「赤坂璃宮」銀座店のグランド・メニューの「粥・面・鍋耙」のメニューに紹介されてる一品です。が、私、初体験。
 なにしろ、炒飯の種類、バリエーションは実に豊富。「赤坂璃宮」銀座店のグランド・メニューに紹介されている炒飯は6種。しかも、その一部にしか過ぎません。ということから、「赤坂璃宮」銀座店で出来る炒飯のすべてをすべて踏破するには、やっぱり毎日通わんと、ね。

 さて、「咸魚生菜炒飯」。
 「この干したような魚の身が?」
 「そうそう、そうです「咸魚」。塩漬けの醗酵させた魚です」 
 「くせがあって、風味がたまらないですね」
 「これだけで、ご飯、何杯も食べられちゃうますね」
 「でも、私、鶏肉の賽の目切りと一緒に炒めたのは食べたことがありますが、レタスとの組み合わせははじめて!」
  「レタスのシャキシャキ感とかさっぱり感がいいなあ。その、えとなんだっけ「咸魚」?のくせ、風味を抑える感じで!」
 「うん、レタスを炒飯に入れたことがあるんだけど、火が通り過ぎて、くたくたの感じになっちゃって。でも、これ、しゃきっとしてて、やっぱり最後にあわせてさっと炒めるのかな?」
 「そのレタスの触感とさっぱり感が面白いよね、この炒飯」
 「いや、レタスにしろ、青菜にしろ、私は、しゃき感よりもしっかり火が通ったくたくたのが好きなんですが。炒めものにしてもね。でも、この炒飯の場合は、しゃき感、さっぱり感がポイントだね」
 なんて、話がはずみます。

 私の個人的な感想としては、レタスのしゃき感、さっぱり感はグッド。ですが、それに対して、たとえば「咸魚」と鶏肉の賽の目やあら微塵の炒め物との組み合わせからすると、どうやら「咸魚」の分量いつもより控え目な感じ。

 ですが、それでもやっぱりレタスよりも味、風味が勝っちゃう感じ。「咸魚」の存在感、でかいですから。それからすると「咸魚」にはその存在感に匹敵する鶏肉、あるいは牛肉、豚肉などとの相性がいいのかも、などと思った次第。

 そういえば、レタスを使った炒飯では「レタスと牛肉の炒飯」といのが一般的。日本の広東料理店でも定番的なメニューのようで、今までにも何回かであったがあります。中でもいまだ忘れ難いのは(って、随分、ご無沙汰ですので)尾山台の「華門」の「牛肉とレタスの炒飯」。
 
 もとホテルの中国料理店出身の御主人の自慢の一品、しっかりの味付けの牛肉とレタスのしゃき感、さっぱり感のバランスが取れていて、なおかつ洗練された上品な味わいで、風味があり。「華門」にはまたでかけなくっちゃ。
 そしてデザートには皐月の季節らしく涼風を感じさせる一品が。
 名前は逸しましたが、小豆を素材にした冷製の甜品。ひとさら3切れってことですが、う~ん、食べたいけど、それ一品きりでおしまいなのはしめくくりのデザートには物足りない!

 どうしようか、なんて思ってたら「私、3切れは食べられない!」なんて、救いの手!
 なんてことで、一切れおすそ分けしてもらいました。
 これが、なかなかぐっど。かなり、ぐっど。
 年代ものの「普洱茶」もいいですが、それよりも緑茶、それも「龍井茶」が欲しくなりました。

2009/06/06

郷土料理が旨い~09年5月の『赤坂璃宮』銀座店の5

そして野菜料理の「生熟蒜蒸勝瓜/十角瓜のガーリック蒸し」が登場。
 「十角瓜」というのは石垣島産のものだそうです。
 「赤坂璃宮」銀座店の5月の「今月お薦め&家郷菜~精選推介」に、この「十角瓜」を素材にしたいくつかの料理が紹介されていました。
 ということなら今月のメニーに「十角瓜」が登場しそうとにらんでましたが、はたしてどうな料理で登場するか、興味津々。
 それがこの「生熟蒜蒸勝瓜」、ガーリック蒸しだったという次第。
 それより「今月のお薦め」では石垣島産ってことと「旬」の味、なんて紹介されてました。うん、沖縄は南国ですから、もはや「旬」なんてことなんでしょうが、本土からすればまだまだ「走り」の産物。

 そうです、「瓜」が登場ってことで、夏の気配を感じる。もっとも、それよりも先に「梅雨」が控えてますから、夏はまださき。でも、夏の風味、こんなに早くに味わえるのは嬉しいですね。

 この「十角瓜」、香港、広東地方で「絲瓜/勝瓜」と称されているもの。それで中国料理名は「生熟蒜蒸勝瓜」なんだと納得。 「絲瓜/勝瓜」は「糸瓜(へちま)」の一種。なんて思ってましたが、今回、「十角瓜」を検索してみて、「へちま」と「おくら」を掛け合わせてできたものだと知った次第。

 ぼってりとした瓢箪型の「へちま」とは違って濃緑色。しかも、細長くて稜角があり、その数10本、なんてことから「十角瓜」と呼ばれてる、なんてことをしりました。ちなみに「辻調おいしいネット」の連載コラム「好吃~中国料理」で「中国料理の伝道師」こと松本秀夫先生が「絲瓜/勝瓜」について紹介。要チェックです。

 濃緑色の皮は厚みがあって、皮自体は苦味、えぐみもあり。ですが身のほうは瑞々しくって、爽快感あり。しかも、へちまにくらべれば甘味がある。それを大蒜を乗っけて蒸してあるので、皮は苦味、えぐみよりも青さがうんと引き立ってる感じ。
 おまけに、身はジュクジュクでトロトロの触感で、甘味がじんわり浮かび上がる。もしかして「走り」の若い「十角瓜」の持ち味なのかも、なんて思いました。それで、生湯葉との上湯ソース仕立てや鮑汁(干し鮑を戻した汁です)仕立ての一品があったわけだと納得。
 ほかに「十角瓜とえびすり身あわせの煎り焼き」(というのは「煎百花醸勝瓜」ってことかな~?)なんてのもあり。そいうのもいいですけど、この「十角瓜」、生のえびでもいいですが、ぐっと家庭料理、お惣菜ぽく干しえびの「蝦米」、春雨の「粉絲」なんかと一緒に炒め煮込みした「勝瓜蝦米粉絲煲」なんか、これからの季節ならではの「煲仔」ですから。来月、リクエストしちゃおうかな。
 
 それより、調理、味付けはおまかせにして、どんな「十角瓜」を素材にした料理に出るか、楽しみにするのがいいかも。
 ともあれ、これからの季節、「十角瓜」に限らず、「瓜」の料理の数々、その登場が楽しみです。

2009/06/03

郷土料理が旨い~09年5月の『赤坂璃宮』銀座店の4

 そして「豬肝滑鶏煲/伊達鶏と豚レバーの土鍋煮込み」が登場。
 テーブルに置かれてなお、土鍋の中で「じゅうじゅう」と音を立てながら煮えたぎる鶏肉や豚のレバー。湯気が立ち昇り、あたり一面に漂う香ばしい匂い。醤油や味噌が熱々の火に焼け焦げていく時のあの香り。その香りからして、味の濃厚さが伝わってきます。
 取り分けられた皿から、まずは鶏肉に食らい付くと、まだ熱々のまんま。唇にふれるのは濃厚なミソの味。噛み締めると鶏肉は柔らかくてジューシー。純な鶏肉を包み込むたれの味は、メリハリが利いていて、こってりと濃厚な味つけ。

 いつもの袁さんの料理、ほとんどは優しくて上品であっさりした清淡な味付け。ですが、この料理はまるで対照的。がつんとくる、(あ、そか、がっつり、って言うんですよね)パンチの効いたパワフルな味、風味。めちゃくちゃインパクトがあります。白いご飯がほしくなる味!

  豚のレバーは鶏肉よりも柔らかくって、ねっとりの触感。ですが、それ以上にめりはりの利いた味付け。レバ炒めを通りこしたインパクトのある味付けで、パンチが効いています。これまた白いご飯が食べたくなる味。

 その味、風味、土着的。気取りがなくって、直接的。ほら、関東地方以北で一般的な、里芋を醤油と砂糖で煮付けた「芋の煮っころがし」などにも通じる世界。いや、「芋の煮っころがし」よりも味はいささか複雑。塩味、醤油味に甘味だけじゃなて複雑な旨味、こくがあります。 料理としてビシっと止めを刺してあるのは、それこそ袁さんの技。

 こんな風にメリハリの利いたこってり、濃厚な味付けの料理も、広東地方の郷土料理にはあります。惣菜、ご飯のおかずにはうってつけ、ですから。そうだ「家郷菜」を訳せば「田舎料理」ってことになるわけで、それからすると、この料理は、イメージそのまま、ぴったりな一品といえるかも。

 この料理「豬肝滑鶏煲」なんてよりも「滑鶏煲」ってことで一般的。冬場の広東料理店の「小菜」のメニューでは「啫啫滑鶏煲」なんてことでメニューに載っています。ちなみに、「啫啫滑鶏煲」の「啫啫」は、熱々の土鍋で煮えたぎる素材が「じゅうじゅう」と焼ける音を形容した表現。
 それに、街中にある大衆的な食堂で、各種の「煲仔飯」を看板にする店、たとえば九龍城市の「添樂園」などその代表ですが、そんな店の「小菜」の店で常備されてる一品です。

 それより、この「豬肝滑鶏煲」、メリハリの利いた濃厚な味付けの元が気になってしょうがない。これまで食べた「啫啫滑鶏煲」よりも、こくがあって旨味が濃厚。 そういえば「酒」、「醤油」、「油」を同じ分量使って炒め煮込みした「三杯鶏」を思い出す。が、それよりも、旨味は重層的。ヒリリの辛味なんか頭を覗かせる。

 わからないことは、袁さんに尋ねるのに限ります。なんてことで大藤さんに頼んで、味付けの調味料、尋ねてもらいました。
 「え~、調味料は「柱侯醤」、それに「蠔油」、「オイスター・ソース」、それに「豆板醤」も少々、ってことです。味噌味したて、ってことですので!」、と。

 なーるほど、「柱侯醤」。それが複雑な旨味、こくを生んだ鍵のひとつですね。味噌味の効果を発揮。さらに「蠔油」ってことで、甘味、それに旨味とこくをます。旨味が重層的でこくがあるのはそんなわけ、ですか。

 ひりりの辛味は「豆板醤」。「啫啫滑鶏煲」で「豆板醤」を使うことがある、なんて知ってましたが……、あ、そか、もしかしてヒネ味の「郫県(ピーシェン)豆板醤」なら、辛味だけじゃなくって、旨味、こくをさらに増す。

 うーん、めりはりが利いていて、パンチのあるパワフルな味。それだけじゃなくて、重層的な旨味、こくの秘密はそんなところにありってことでした。
 「この料理って、ビールが欲しくなるよね~!」。
 「うん、うん、それも言える!!」

2009/06/02

郷土料理が旨い~09年5月の『赤坂璃宮』銀座店の3

  そして「鮮魚二食」の2品目の「油泡球/ハタ切り身の炒め」。
 「はた」の切り身の炒めもの。料理名からすると「油通し」ってことになります。
 この料理、これまでなかなか注文する機会がなく、食べそびれなんてことがほとんど。
 というのも、「はた」を食べるなら一匹丸ごと「清蒸海斑」にするか、上湯で煮浸しにした「上湯浸海斑」、もしくは醤油煮込み料理の「紅炆海斑」、中国式唐揚げの「油浸海斑」ってことになります。それとも「斑腩」の部位を醤油煮込みした「紅炆斑腩」か「油浸斑腩」なんて風で。

 以上、上げた「はた」の料理からも明らかなように、「はた」の切り身、もしくはぶつ切りを炒めた(油通し)した「油泡斑球」の順位はうんと後ろの方。なかなかその出番は回ってはこない。なんて方、私以外にも多いんじゃないでしょうか。ことに香港での滞在日数や訪れる店も限られたりすると、絶望的、だったりしますから。

 それでも、なんでだか日本の広東料理店のメニューに「はた」に限らず魚の切り身の炒めものが、結構、定番的なようで見かけることが多い。人気があるんでしょうか?
 私は、2度ばかり試しましたが、いずれも散々な目にあって以来、注文したことがありません。

 実は魚の切り身の炒め物、簡単そうでいて、技が物言う調理の難しい一品。 そうです「鍋」の技こそがその出来上がりのすべてを決める、といっても過言ではないかも。

 「油泡斑球」は香港でも一般的で、これまでに何度か食べた経験あり。ですが、これぞ!というのには、滅多に出会ったことがありません。
 まずは、魚の素材自体の問題。それに、下拵えと鍋の技、ことに「鑊気」鍋の気の有、無しで料理の出来栄えが決まっちゃいますから。

 素材で言えば、やはり「はた」。
 譚さんのおっしゃる通りです。異議なし! 
 次なる問題は下ごしらえ、つまりは魚の切り分けと下味、衣つけ。
 それから、如何にして調理するかという鍋の火の扱いの問題。油を媒介にするわけですから、その沸点の見極めもね。そして、素材の火の通し方、そのタイミングの見計らいに経験と技を要します。

 これが「えび」あたりだと、そこそこの技術でも一応のものが仕上がったりする。ところが、「帶子」、つまりは生の帆立、それに魚、ことに「はた」の切り身となると、火の通し方、ビミョーです。そう、火の通りの按配を見計らうタイミングの見極めが肝心。なんて、自分でやれるわけもなく、食べるだけなのにねえ!とわかっていながら、オヤジ(私、です)はほざきます。

 私にとって「油泡斑球」が魚料理の順番の後方で、なかなか注文しない訳も、その辺にあります。香港でも「油泡斑球」を自分で注文して食べるとなると、店がきまっちゃいますから。

 なんて、長い前置き。
 はたして「赤坂璃宮」銀座店の「油泡球」の出来栄えや、如何に。
 日本で食べた「油泡斑球」では間違いなくベスト。
 なんて、袁さんが料理してんですから、香港の味、風味まんまなわけで、日本のそれとは比較するのが間違ってますよね。

 まず、感心したのは、魚の身の切り方。
 魚の身は腹から尾に向かって狭まっていきます。その身を半分にして、腹半ばあたりは2センチ弱ほどの厚さ。で、尾に近い身は、幅たっぷり、つまりはぶつ切り。画像でそれがしっかり確認できます!
 「はた」の下拵え、素材のそのままの感じで、すっきり、さっぱり。日本の広東料理店なら、一歩はみだし目の下味付けというのが一般的だと聞きました。というのも、多くの客にとって納得の行く「中華料理」らしい「濃い味」にはならないからだそうです。

 「はた」の身はみっちり肉厚。火を通すと肉厚の身が「はらり」とはがれ落ちる感じ。しかも、ほろほろの触感あり。蒸した「はた」なら、ほろほろの感じに、しゅわ感が入り混じる。それが、油を通した「はた」の身は、ほっくり感がむき出しになる。だからこそ、その切り身は程々の厚み、もしくは、ぶつ切りがぴったしなんだと、納得できます。
 もちろん、その炒めかた、油通し、火の通り加減がジャスト!だからこそ、その触感を生み出せることは言うまでもありません。そのタイミング、火のとおりの加減の見極めに、技があり。余熱の火も計算ずく、なんでしょう。

 最初、まんま、何もつけずに食べると、素材のよさ、持ち味がしっかりわかる。腹半ばの部位の身はともかく、尾に近い身のぶつ切りはほんのり油がベタな感じ。 あ、そか!それなら「蝦醬」か「蠔油(オイスターソース)」をちょっぴりつけて!
 なんてことで、アテンドの山下さんに早速「蝦醬」と「蠔油」をお願い。
 「あ、これ、いい!これ、何だっけ?「蝦醬」っていうの?これ、ちょっぴりつけると味が引き締まる感じ。わかります、エージさんの言う「はらり」の感じの身の旨さ!」なんて声が上がります。
 
 「オイスター・ソースだと、オイスター・ソースそのものの味が濃厚だし、べったりオイスター・ソースの味になっちゃうから、もったいないね。でも「蝦醬」の方が塩分濃厚なのに「はた」にぴったり、なのが不思議ですね。もっとも、ちょっぴりでいい感じ!」なんて声も上がります。
 なんたって「はた」ですから、贅沢この上ない。
 ごっつあんです、なんてよりも、ナンマンダ、ナンマンダブ!
 その美味を存分に味わったのでありました。

2009/06/01

郷土料理が旨い~09年5月の『赤坂璃宮』銀座店の2

 そして「鮮魚二食」ということで「頭腩豆腐湯/ハタのあらと豆腐のスープ」、「油泡球/ハタ切り身の炒め」の2品が登場。

 「鮮魚二食」(もしくは「鮮魚两吃」だったか)というのは、丸ごと一匹の魚を2種の料理方法、味付けで調理、ってことです。たとえば、魚の半身を炒め物に、半身を蒸し物にしたり、煮込みものにする。高級な宴会料理なんかだと「石斑」、「はた」の類がその素材になります。

 そういえば、魚で一番美味しいのは頭と砂ずり、ひれのついた縁側のあたり。なんていうのは、香港、広東地方だって同じこと。日本と変わりありません。たとえば、陸羽茶室など伝統的な広東料理店、高級な海鮮専門の店のメニューにある「紅炆斑腩」はその典型的な料理。大ぶりの「はた」のひれの付いた砂ずりあたりを煮込んだ料理です。「はた」ですから、時価で、値段もそれなり、ってことがほとんどです。

 今回の「鮮魚二食」は、「頭腩」、つまりは、頭の部分、それに、砂ずりの部分やヒレ、中骨でスープを作り、残る身を炒めものにしたもの。「油泡」ってありますから「油通し」ってことになります。

 そんな「鮮魚二食」の登場を喜びながら、素材が「はた!」と知って、驚きました。びびりました。予算オーバーな素材ですから。
 「あの「はた」……ですよね!」と私。
 「はい、いえ、あの、この料理は「やっぱり「はた」じゃないと」と、譚が申しまして!」と、大藤さん。

 確かに。「はた」じゃなければ、この料理の真髄、味わえない。
 ですが……、なんて恐縮しながら、そうだ今回は「赤坂璃宮」銀座店での会食、2年目に突入の1周年記念、だもんね!と、手前勝手な厚かましい解釈。
 すんません!ご好意に預かります!と、すんなり受けちゃうあたり、美味の誘惑に勝てない食い意地の張ったオヤヂです。

 最初に登場したのが「頭腩豆腐湯/ハタのあらと豆腐のスープ」。

 スープ、それにその具は別皿に。じっくり素材をとろ火で長時間煮込んで、味、旨味、風味を引き出す「老火湯」を食べる時のスタイル。  

画像をご覧の通り、白濁、というよりもいくらか薄茶色がかったスープに、豆腐がぷかぷか。




 

 

これがスープの具材。 「はた」の頭や砂ずりなど、あらの部分は「煎」、つまり、煮込む前に煎り焼きにした形跡あり。広東系のこの種のスープで魚を使う時、煮込む前に魚を煎り焼きするのは基本のルール。それ以外に豆腐、広東白菜。それに「皮蛋」まで並んでいたのに驚きました。

 「そうか「皮蛋」、こんな風にして使うこともあるんだ!」とひとりごち。
 お粥の具に皮蛋なんてのはありますが……
 「そうだ!「鯪魚」に「香菜」を煮込んだスープに「皮蛋」が入ってった!」と、九龍城市にあるタクシーの運転手のたまり場になってる食堂での「例湯」のことを思い出しました。

 話がずれますが、徹夜明けに「香菜」たっぷりのスープ、なんてのは香港人がよく言うこと。「香菜」には「気」を鎮める効果がある、からなんだそうで。だから、煙草の吸い過ぎなんかにも、ぴったりだと。

 話戻して「頭腩豆腐湯」、いつもの「老火湯」同様に基本的には穏やかで優しい味。
 ですか、塩味がいつもより利いてる感じ。川魚を素材にした時特有の泥くささとは対照的に「海」の味、「磯の香」がするのは、やはり「はた」だからでしょう。それに、この手のスープに欠かせないのが「広東白菜」。自然な甘味と爽快な味、風味は、間違いなく「広東白菜」のそれ。
 それより、この手のスープ、日本で食べるとやたら生姜の味が濃厚だったりするんですが、そんな感じ、微塵もなし。香味野菜、ふっと、鼻先かすめる感じでどこへやら。そうだ、どんな香味野菜を使ったのか、聞きそびれました。

 それに、穏やかで優しいだけじゃなくて、味わい、緻密で濃厚。
 「はた」を素材にした贅沢な「老火湯」、なんてよりも豪華な一品。
 シアワセな気分になりました!