2009/06/22

鳥越祭 本社御輿渡御 2009の3

 初めて御輿を担いだのはイラストレイターの矢吹申彦さんに誘われ、北沢八幡大祭の東北沢の町内御輿でのことでした。30年以上も前のことです。遡れば子供の頃、神戸の生田神社の子供御輿、なんてのもありましたけど。

 ともあれ、御輿を初めて担いで御輿にはまった私は、北沢八幡大祭の東北沢の町内御輿には毎年参加。しかも、それだけでは収まらず、ツテを探し出してあっちこっちの御輿担ぎに進出したもんです。  

 仕事仲間にも御輿好きを見つけました。それが、なんと御輿の同好会に入ってるという。ポパイなんかで写真を撮ってたカメラマンで、一時、三社祭のオフィシャル・カメラマンだったこともある小川よしのぶ君がその人。今では同好会も止め、御輿担ぎもやめちゃって撮影一筋、なんていいながら、三社祭でばったり出会ったりするとしっかり半纏を脇に抱えているような御仁ですから。御輿って、一度、味を占めちゃうとやめられないんです。反対に、一度きりでこりごり、なんて人もいるにはいます。

 ところが御輿の同好会、ほとんどが毎週、週末に参加が必須の条件と聞かされ、当時の私には到底無理なことでしたから同好会への参加は諦めました。以来、知人、友人の地元で祭、御輿が出ると聞きつければ、半纏のゲットを依頼。どこでも地元の半纏がなければ御輿は担げませんから。

 しかし、地元の方のご好意で半纏をゲットしても、世話してくれた方、その一家は御輿には参加せず。なんてのはよくあることで、御輿を担ぎに行っても、どこでも、ツレ、仲間なしのひとりぼっち。そんなことに慣れっこになっちゃいました。

 ことに一人ぼっちの御輿担ぎ人はすぐにわかるもんで、なんだか共感を覚え、いきなり打ち解けて親しくなったりします。何度も同じ御輿を担ぎに出かけるようになれば、助っ人の同好会の人間でもないのに地元の人と馴染みになって「いつも担いでる地元の人の顔!」になっちゃうのが私の取り柄!

 それに、馴染みになれば青年部の世話役さんがハナ棒に引っ張り込んでくれたりするわけですが、「いいです、いいです、お構いなく」と、面倒はかけずに担ぎます。というか、あくまでマイ・ペース。自分のやりたいようにやる、という性質なもんで。

 そういや今年の三社の雷門中部ですっかり顔なじみになった青年部の方から、要領よく美味しいところを好き勝手に担ぐマイ・ペースぶりを「年をとった親父の賢くて美味しい担ぎ方、楽しみ方ですね」なんて感心されて、ハナ高々。なんて言われても、ただの御輿好きなおやじだけのことなんです。私ってほんと、馬鹿ですよねえ。そうだ、去年、出会った岡本さんも「御輿好きの人の良いおじさん!」というのが私の印象だったそうで。
 
 ともあれ、岡本さん、昨年の鳥越祭で御輿デビュー。しかも、ひとりぼっちで、ツレ、仲間なし、なんてことに親近感を覚えて私はお節介。その岡本さん、話を聞けば母方の父親、つまりはお祖父さんが小島町に住んでらしたことから、引っ越してきたのが14年前。私だったら「わ、すげえ、毎年、千貫御輿を担げる!」と、それだけて盛り上がります。

 そして、岡本さん、小島町に引越してきた翌年の鳥越祭の本社御輿の町内渡御で、玄関の引き戸のガラスが割れる災難に。

そうです、鳥越の本社の御輿の町内渡御は、引渡しこそ大通りですけど、すぐさま町内の狭い路地に入り込む。狭い町内の路地に千貫御輿とそれを取り囲む怒涛の人並みが一気に押し寄せるわけですから、何も起こらないわけがない。玄関前に並んだプラント・ケースは踏み潰される。無残に跡形もなく蹴散らされる!

 それより、狭い路地で千貫御輿が左右に揺れて、通りに面した玄関の引き戸や窓のガラスが割れる、なんてのはよくあることです。ですから、本社の千貫御輿が通ることになった小路に面した家の玄関や窓は、その昔、台風の来襲に備えたそのまま、ガラスの入った引き戸や窓に板を貼り付けて防御。それも鳥越祭の本社御輿渡御がある日ならではの街の風情のひとつです。あの台風がやってくる日の胸のときめき、ざわざわ感がよみがえったりしますから。

 小島町に引っ越してきて、翌年の鳥越祭で、ご自身は不在時にそんな被害にあった岡本さん。でも、災難じゃなくって「縁起がいいなあ!」って思った、と言うんですから度量があるというか心が広いというか、御輿への敬意、愛着がうかがえて頼もしい。それからも、そんな災難、じゃなくって「縁起のいい出来事!」が、何回かあったそうです。なのに鳥越祭の日は御輿を担ぎたいと思いながらやり過ごし、宴会をやるだけで過ごした年月、あっと言う間に10年以上!なんて話を聞いて「ああ、もったいない!」と私はため息。

 それが一昨年、ご長男に「パパは御神輿を担がないでずるい!」と言われてグサり! それに昨年は本厄だったことから、厄払いのつもりで一念発起!そんな岡本さんに宵宮の小島三町会の連合渡御で1年ぶりに再会しました。

 そして、翌日の本社の千貫御輿を待つ担ぎ手の中に、岡本さんの姿は見当たらない。どうしたんだろ?なんて思ううちに、本社の千貫御輿の渡御は開始。岡本さんと出会ったのは午後の町内御輿での渡御でのこと。本社の千貫御輿、ギリギリで間に合って、やっぱり今年も帯の締め方がわかんなくって、世話役の人に頼んだそうで。

 それから、いざってことで千貫御輿、脇の後ろにくっついてたら、送りこんでくれる世話役の人がいて、何度が担げたそうです。でも、暑さにやられてヘトヘトになって、本社のあとはバタンキュー状態。誰しも同じだったわけですね。

 今年の鳥越の本社の千貫御輿渡御は、ほんとに暑かった。くたばってしまうぐらい暑かった。けど、担がないではいられません。そんな鳥越祭、終わってしまえば「あ~あ、あと364日か!」と精気が抜けて、ため息ばかり。

 鳥越祭が終わって梅雨の日々を抜ければ、夏がやってきます。