2009/06/20

鳥越祭 本社御輿渡御 2009の2

 今年の鳥越祭の御輿は町内御輿も本社の千貫御輿渡御も見学だけのつもりでした。長年お世話になってる越村さんちで、昨年、不幸があり、神社の神事、祭りには不参加という事情があってのことです。身内ではありませんが、身内同様、面倒をみてもらってましたから、今年は担ぐのはお休みにするつもりでした。

 しかし、担がないから鳥越祭の日に越村さんちに伺わないのは、これまで散々お世話になってきたのに礼を欠く。それに、もしかして越村さん、寂しがってるかも。それよりも、ずっと越村さん同様、ずっと面倒を見てくれた故人の仏前にお参りもしたい。なんてことで、思い立って越村さんちを訪ねたのが宵宮の日の夕方。

 越村さん、とても喜んでくれました。それも越村さん、5月の末から入院し、退院したのが祭りの2日前。なんて話には驚きましたが、そんな風には見えないぐらい元気な姿にひと安心。
「いやあ、今年は喪中だしね。でも、近所のお稲荷さんの世話役の代表もやってるから、喪が明けてから家族一同、鳥越神社でお払いは受けたんだけど。でも、ま、今年は祭りはお休みってことで。それに、入院して、戻ってきたのが二日目だったから、いろんな方に連絡も出来なかったんですよ。誰にも連絡はしなかったんだど、誰か見えないかなあって、心待ちにしてたところなんで、嬉しいなあ。いや、兄貴も昌平君も、それに昌平君の仲間も来ててね。町会の御輿の渡御がはじまるんで、さっきでかけたばっかり」と、越村さん。

 兄貴というのは神田の嶋倉さん。息子の昌平君は地元神田の神田祭の青年部ってことから、神田祭では御輿の面倒を見るばかりで担げない。そんなことから、毎年、鳥越にやってきて、存分に担ぐのがなによりも楽しみ。嶋倉さんも昌平くんも、年に一度、鳥越祭の日に、越村さんちで顔をあわせるわけで、3年前に結婚した前後から今ではかみさんになった智子さんも御輿に参加。今年は神田祭の仲間も一緒でした。

 そして、小島三町会の連合渡御が始まるというんで見学に。 そしたら越村さん「上に半纏、あるから着替えたら!そんな格好じゃ小倉さんらしくないよ!」なんて、いきなりの話に担ぐつもりじゃなかった私は、しどももどろ。
「え!でもあの、今年はやっぱり遠慮しますよ。身内ってわけでもないですが、お世話になってきたんで」
 と返事したものの
「いいからいいから、祭りの日にいろんな人がきてくれるの楽しみにしてたのは、故人なんだから。供養にもなるからね!」
なんて話に
「はい、わかりました!」と、私。 素直、っていうよりも遠慮がないんですね。とは言うものの、御輿を担ぐ用意なんかせずに伺ったもんで、ダボなし、半纏を素肌の上に着込んで、町内御輿、3町連合渡御に参加。
  
 それともうひとつ、昨年、本社渡御で知り合いになった岡本祐司さんのことが気がかりでした。

 岡本さんと知り合ったのは去年の本社渡御でのこと。前の町会からの引き渡しの前に担ぎ手は待機。なんて時 「あのう、帯ってどうやって締めればいいんでしょうか?」 と尋ねられたのがそもそものきっかけ。口で教えるより、締めて上げる方が手っ取り早い。

 話を聞けば小島1丁目の住人になって13年。鳥越祭を楽しんできたものの、本社渡御はもちろん、町内御輿を担ぐのも初めて!

「初めてでハナ棒を担ぐのは、う~ん、ちょっと厳しいかも。みんなハナ棒を担ぎたがるから。けど、脇の真ん中のところなら、人の輪も少ないし、後ろの脇なら、後ろについてれば、送り込んでくれるから!」なんて、訳知り顔でお節介を買って出た次第。

「う~ん、なら、出来る限り傍にいてください!引っ張り込むか、入れ替わるから!」ってことで、怒涛の本社の千貫御輿の渡御が始まった。私はいつも通り、担ぎ手が群がり、ひしめきあう御輿をとりあえずは観察。御輿が上がった途端に、御輿を取り巻く人垣を掻き分け、比較的人垣の薄い脇の真ん中に潜り込んで、御輿に歩調を合わせながら、担ぎ棒に手が届く隙間を見つければ、一気に肩から割って入って、担ぎ棒にしがみつく。

 担いでしばらく、ふと見ると、御輿に並んで脇を取り囲む二重ほどの人垣の中に岡本さん。右手を上げて岡本さんに合図を送り、なんとか近づいてきた岡本さんと入れ替わり。そんな風に、繰り返し担ぎ棒にしがみついてた間、岡本さんを見つければ、引っ張り込んだり、入れ替わったのが3回、4回、ぐらいかな。御輿デビューで本社の千貫御輿を担ぐのは、ほんと至難の技だったりしますが、ともあれ、岡本さんの御輿デビューの手伝いを果たしたのでありました。