2007/07/29

旧友再会~Van Dyke Parks



「ヴァン・ダイクが本日来日します。エージさんに連絡を取りたいとのことですので、改めて連絡します」とのメールが長門君から届いたのは23日のお昼。
 
 突然の話に、え?!と驚きながら、そうだ、「細野晴臣と地球の仲間たち」~空飛ぶ円盤飛来60周年!夏の音楽祭~にゲスト参加の為だったのだと思いあたった。25日に再会を約束。ところが、メールが届いた翌日、青木啓さんが亡くなったとの訃報を受け取った。そして、ヴァン・ダイクには、25日の夜に営まれた通夜に出席後に再会。
「お!太っちゃって、顔色も艶々してるし、若々しいじゃない。元気そうで嬉しいな」、と私。
そしたら
「オー・ダーリン!そんな風に見えるかい!」と、ニコニコ顔。
沖縄料理を食べながら、話が弾みました。
 
「あのね、これ、ゴーヤっていうんだけど、えと、英語だと、ビター・メロン。これを食べると火照った体の熱を下げてくれるわけです。で、ね、この茄子、すりおろした生姜が添えられてるでしょ?茄子も体の熱を下げる性質を持った野菜なんだ。だから茄子だけだと体が冷えるから、体を暖める熱の性質を持った生姜を添えてバランスをとってるわけ」、と説明すると、
「なんだか、食べ物の話に熱心だね。エージのそいうとこが好き。けど、食べ物の話ばっかりじゃないかい?」と突っ込まれました。

 そんなヴァンダイクに「ね、チーズ、好き?」と尋ねると、
「好きだね、ロックフォールとか、羊乳の濃いやつ」っていうことなんで、
「おっし、なら、沖縄にグッドな豆腐チーズがあるから、食べてみる?」。
「豆腐チーズ?何それ」ってことで、豆腐ようを注文。
添えられた爪楊枝にちょこっとだけ突き刺し、薦めたところ
「これはすごい!旨い!」
と、それからは小皿に入った豆腐ようを一人占めして誰にも食べさせない。
「これって、洞窟で熟成させてるわけかな?」
と、尋ねてくるあたり、かなりの年季入りのチーズ好き、と見ました。

 で、肝心の音楽の話。
 
「全然、新作、出ないんだけど、どうなってるの?」と、突っ込んだら
一瞬、躊躇して
「う~ん、6曲は終えてるんだけど、あと、3曲、、、」。
「ってことは9曲入りなの、今度の新作?」
「いや、ストリングスのアレンジ、それにレコーディングとかまだだし、う~ん、そうだな、うまくいけば、来年の3月かな、、、、」。
「来年の3月?それまで待たなきゃなんないの?
それよか、ヴァン・ダイク・パークス・コンプリート・ボックス、まだなの?だめなの?
 ほら、MGMからの「ナンバー・ナイン」とか、ワーナーの「イーグル・アンド・ミー」、それにダットサンのCM。そうだ「ハイ・コイン」のデモとかもあるんじゃない(と、私は「ハイ・コイン」のさわりを歌っちゃいました)。

そしたら、一瞬はニコニコ顔。
けど
「ダメ、昔の仕事には興味ないから!」ときっぱり!

 さて、「細野晴臣と地球の仲間たち」~空飛ぶ円盤飛来60周年!夏の音楽祭~では、まずはとっぱなに登場。サンディに歌をまかせた「イエロー・マジック・カーニバル」のアレンジは、やはりヴァン・ダイクならではのもの。

 優雅で華麗なストリングスが、竜巻みたいに渦を泣きながら空中に舞い上がっていく様、かと思えば、キック・ドラムスによるブーン、ブーン・ドラムのビートの要のツボ押さえに、独自の個性を発揮。
 ついで、エンディング間近には「フォー・ミルズ・ブラザース」で、歌も披露。
 やっぱ、いいわ。ヴァン・ダイク・パークス。コンプリート・ボックスをなんとかせんと、いかんワ。

 そのヴァン・ダイクの演奏、歌もさることながら、大いに盛り上がったのが東京シャイネスからワールドシャイネスへとバンドを一新した細野晴臣の歌と演奏。カントリーです。それも、昔懐かしい40~50年代のカントリーを独自の解釈で今に蘇らせるスタイル。その雰囲気、イメージは、夜のしじまに包まれた荒野のハィウェイを突っ走ってる感じ。そして、ラジオから流れてくるのはロイ・オービソン。そう、「ブルー・バイユー」、とかあの辺りの雰囲気!
 ヴィム・ヴェンダーズやデヴィッド・リンチの断片、その背景にのぞく世界を髣髴させるところもある。
「う!? あれって、UFO?」 といった思いにも駆られるあたり、まさにSFカントリーとでもいえる趣の演奏とサウンド展開。クラフトワークもテクノもいいけど、カントリーもね、というわけで面白かった。存分に楽しみました。

 画像は、日比谷野音のバック・ステージのヴァン・ダイクのスナップ・ショット。そして、打ち上げのパーティーでヴァン・ダイクに高田漣くんを紹介して、親子の縁のつながり話で盛り上げりました。そんときの高田漣くんとのツー・ショットです。


2007/07/21

dancyuの8月号~その後の②

 香港や中国本土の中国料理店と、日本の中国料理店のテーブルの高さが何故に違うのか、という解答のひとつが、生活慣習に由来するものではないか、というのは前述の通り。

 で、日本の中国料理店では、スープ、羹などを除いて、小碗があまり活用されず、もっぱら小皿が用意され、料理内容に関係なく小皿に取り分けられる。それがいつの頃から定着したのか、大いに興味があるところです。 

 もっとも、前述のように、長江周辺、及びその以北では、主に平皿での取り分けが中心、のようです。それが、南方の広東省、それに香港などでは小碗がしきりと活用される。という背景には、北方の麵食、南方の米食という主食の差異も大いに関係あるのでは、と思います。

 日本の中国料理史を紐解けば、広東料理の影響大。長崎の卓袱は福建料理の影響大とのことですが、明治以後、まず日本に浸透したのは香港を経由して日本にやってきた広東系の料理。簡単な日常惣菜が中心だったようですが。

 その後、20世紀初頭になって北京料理、厳密には山東料理、それに上海料理、厳密には江南地区の地方料理が日本に紹介されるようにもなった。日本で中国料理の宴席の様式が紹介され、定着し始めたのはその頃のはず。日本に誕生した中国料理店のテーブルが方形だったのか、円卓だったのか。日本で回転卓が考案された、という事実からすれば、円卓が多勢をしめていたのかも、です。 で、平皿、小皿での取り分け方も、その時期に紹介され、定着したのではないか、と。


 問題はその次。日本で小皿を手にして食べるようになり、それが定着するようになったのか。
 それは、やはり、もともと日本では座して膳で食事を取る、という長年の習慣があり、しかも、小皿を手にするのはマナー違反ではなく、そうすべきものという慣習、通念によるものではないでしょうか。

 実は、日本の中国料理店に限らず、料理店一般におけるテーブルの低さは、膳、次いで卓袱台へと変化してきたこれまでの日本人の食における生活習慣からすれば、およそ違和感のないものではないのか、というのが私の見解であります。

 今、都市生活を営む人のほとんどは、テーブルに椅子という食事形態が一般化。ですが、親から子へと受け継がれているマナー、暗黙のルールは、座して膳に向かう懐石、会席、宴席料理などに準じたもの、だったりしますから。

 それとは別に、美味しく食事をする、という観点からすれば、食器の存在、料理と食器との関わりを見逃せない。

 ことに私が首を傾げてしまうのは、先にもふれた80年代以後、日本に相次いだオーナー・シェフによる中国料理店でのこと。

 モダンな内装同様、料理を盛りつける器に凝り、作家物の陶器、磁器、なかには、西洋のブランドものの食器、さらにはカトラリーを用意、って店もある。西洋料理の要素、エッセンスを食事の形態にも取り入れた、ってことですね。その手の知識に疎い私でも「お、これは!」と感心する器に盛られていたりすることがある。

 それが、ひと皿、あるいはひと碗、一人用のものなら、文句なし。
 問題は、人数分大きく盛られた大皿、深い鉢はともかく、それに添えられた取り分けの食器のことで、それらについては、案外、脈絡なしや無関心だったりするのが、案外多いものです。

 いや、作家物の小皿が用意されるなど、それなり吟味されていたりすることもある。ところが、汁気が多い料理を深鉢に盛り付ける周到さがありながら、用意されるのは小皿、なんていうのがざら、だったりします。小鉢じゃなくて、なんで、小皿なのか?箸で食べにくい上に、スープを味わうには、れんげも使いにくし、その前に料理が冷めていく。なんてことには気がまわらないんでしょう。

 さらには、汁物、汁気のある料理を作家物の凝った鉢によそいながら、添えられるれんげが、これまた作家物で、口当たりの悪い厚手の陶器のもの、あるいは、凝ったデザインのごっつい金属製のものだったりする、っていうのもざら、だったりする。

 デザインや見栄えばかりに着目し、重視。いかに美味しく食べさせるかということにまったく関心はない様子。いっそのこと、上質のブランド物のスプーンやれんげにしてくれれば、口当たりも良くって、料理を美味しく食べられるのですが。 ことにデザートに使われる器、添えられているれんげなどに、目だって多かったりする。

 いくら自慢の腕を奮ってくれても、そういうところが抜け落ちていると、がっかりします。
 隅々にまで細やかな神経を張り巡らせ、いかに旨く、美味しく食べるかということについて、工夫を凝らし、努力するか。それこそ、サーヴィスの基本、その良し悪しを決めるものだと私は思います。
 旨い料理、美味しい料理を味わうために、肝心な、また、必須の条件のひとつですから。

dancyuの8月号~その後の①

「読みました、7センチ!」という電話、メールをいろんな方から貰いました。

 それにしても「テーブル高7センチ差の気配り」というタイトルのインパクトは恐るべし。みなさん「7センチ」話で盛り上がり、驚きを隠せない様子でした。

 実際、福臨門だけに限らず香港や中国本土の高級料理店のテーブルは日本よりも高い。日本でも老舗の中国料理店などは、香港や中国本土ほどではないにしても高い。ところが一般の中国料理店になると、テーブルの高さは低くなる。

 さらに、80年代以後、オーナー・シェフによる新しい店が相次いで登場した際、内装に工夫を凝らすようになり、西洋的な要素も取り入れ、テーブル、椅子がよりモダン化し、以来、テーブルの高さが低くなっていった、といったこともあります。

 私はたまたま香港、台湾、中国本土で食事をする機会が多く、高いテーブルに慣れ、体に馴染んできました。高いテーブルの方が食事しやすく、ゆったり食事が楽しめるという利点もあるし、前述の通り、現地の人の食べ方に倣い、失礼のないようにするには格好な高さであることも理解していました。
 ですから、日本の中国料理店、ことにモダンな内装による店はテーブルが低く、なんだかしっくりこないし、落ち着かない。食事に夢中になれない、ということもある。 フレンチやイタリアン、それも、グラン・メゾンや高級店では、それなりの配慮がされています。とはいっても、一般に日本の料理店のテーブルは低いように思えます。
 
 それより、居心地の良さということでは、テーブルの高さよりも、むしろ座る椅子についてより関心が高く、話題になることが多いようです。居心地の良さと座り心地の良さが、同義にみなされているからでしょう。

 が、椅子とテーブルの高さには密接な関係があって、座り心地が良くても、テーブルが低ければ、やはり食事はしづらい。料理が良い、旨いと評判でも、街中の喫茶店とほぼ変わりない内装で、テーブルが低く、椅子も座り心地が悪い、といった店があります。私はどうも落ち着かなくって、料理の魅力、旨さ、半減させてるようにしか思えません。

 香港や中国のテーブルが高いのは、長年、テーブルと椅子で食事をしてきた生活慣習に関係してのことでしょう。

 もともとは方形のテーブルが中心で、正式な宴席は八仙卓子、つまり8人掛けの正方形のテーブルが使われ、その席次も決まっていた。円形のテーブルになったのは清代末期になってから、のことだったはず。さらに、中国料理店でおなじみの回転卓は日本独自の発明であり、本土、香港などがそれを取り入れるようになったものだ、そうです。
 
 方形にしろ円卓にしろ、中央に料理が置かれる。それを取り分けるのはホストですが、サービスにあたる人間を置いて、その役目を任せることもある。

 食事のために用意される食器、テーブル・セッテイングは、右に縦置きで箸、その左横にれんげ、中央に平皿、脇に調味料を入れる小皿。さらに小碗というのが基本で、酒盃も用意される。長年の歴史を経て定着したものです。

 それが、香港の宴席など少しばかり異なる。
 右に箸を縦に置くのは同じ。が、その左横にはれんげではなく「分羹」とよばれる料理を取り分けるための匙が用意される。また、SARS以後、取り分けるための箸も用意されるようになりました。さらに、小碗(香港では「碗仔」、「翅仔」と呼ばれる)の下には「骨碟」と呼ばれる小皿が下に置かれている。さらに、調味料を入れるための小皿ではなく、そのための専用の円形、もしくは中が二分された方形の小皿が用意されている。

 そして、小碗。スープ、羹を入れるためのものですが、汁気の多い料理にも使われる。その点が、日本とは異なる。つまり、日本の一般的な中国料理店では、小碗はスープ、羹を取り分ける時に使われるだけで、それが終われば後は卓上から消える。

 それに、香港では飲茶の点心なども含め、多くの料理は小碗に取り分けることが多い。れんげも頻繁に使う。料理内容に応じ、小碗で取り分けづらいものは、平皿を使う、というのが一般的、です。

 もっとも、本土ではいささか事情が違ってくる。

 80年代半ば、荻昌弘さんに誘われ知味の会の揚州、南京、上海の旅に同行し、著名な料理店に出向いた際、基本的なテーブル・セッティングは同じでしたが、平皿は2枚用意され、調味料を入れる小皿がなかった。また、箸の左横に置かれていたのは、れんげでも「分羹」でもなく、西洋料理で使われる大きなスプーンでした。
 
 そして、揚州飯店でおこげ料理が出ました。多少、汁気もありで、香港あたりなら小碗に取り分けられる。日本でも汁気が多いと小碗が用意されることがある。 その時、おこげ料理は、平皿に取り分けられた。ですが、汁気はおこげに絡まる程度のほどほどのもの。むしろ、平皿に取り分けて箸で食べるのがふさわしく、また、美味しさを感じました。

 「分羹」代わりのスプーンはあまり上質なものではなく、なんとなく付け焼き刃?と言う印象でしたが、おこげ料理の取り分けのサービス、なおかつ旨かったことに感心し、そんな印象も帳消しに。

 同席していた地元のおえらいさん方、全員、平皿を持ち上げることなく、テーブルに皿を置き、お箸でおこげ料理を食べてました。で、わが日本側一行のほとんど方といえば、しっかりお皿を手におこげ料理を食べていたものです。

 その後、中国の上海、北京の高級料理店を訪れた際のテーブル・セティングは、先に揚州や南京でのものとは異なり、伝統的な様式に習いながら、器などはより洗練されていました。しかも、香港のそれとは異なるものでした。

2007/07/18

夏の広東地方の郷土料理の④


 すべての料理が登場し、後はデザートを残すのみ。
 ここで、いつもなら私は温かい甜品を選びます。
 杏仁豆腐も口がさっぱりしていい。ですが、その冷たさが胃に刺激を与えすぎる感じです。福臨門のマンゴプディングがリッチなフレイヴァーなのだってことも知ってます。が、やっぱり、胃には刺激的すぎる。
 というより、あれってスィーツ好きなお子ちゃま向けのもの、キディ・スィーツだ!と、それを好んで食べるミッシェルやうちのかみさんをからかいます。
 ま、美味しいのは事実ですが。

 
 ところが、今回、デザートにウルトラ級スィーツが登場。
 でっかいスイカの身をくりぬき、そこに、球形のスイカ・ボール、さらには燕の巣をふんだんに入れた「官燕西瓜盅」には、思わず目が点になりました。
 旬の果物を使った、キディ&アダルト向けの超ゴージャス!なデザート、でした。スィーツにうるさいミッシェルのアイデアです。

 
 ところで、今回のメニュー、コースの組み合わせ。
「福臨門に行くんだけど、どんな料理、コースにしたらいい?」と、尋ねられた際、夏ならではの素材を使った広東地方独特の郷土料理を中心にしたもので、何人もの友人、知人に薦めてきました。

 要は「冬瓜盅」と「豉汁涼瓜炆紅斑」に、野菜の料理。
 「冬瓜盅」も、先に触れてきたとおり、ふかひれ、それも「生翅」か「荷包翅」を入れた「魚翅冬瓜盅」にすれば豪華になります。値段も張ります。
 それに、季節の野菜、瓜類の料理を組み入れる。
 瓜類は、冬瓜、苦瓜外に、香港なら冬瓜の一種で若い節瓜、それに糸瓜などもあります。
 節瓜、糸瓜は、それぞれ、各種の料理がある。
 野菜も、前述のとおり、柚皮、芥胆、莧菜、通菜(空心菜)。
 西洋菜、クレソンというのも、案外、清涼感と苦味があってグッド。炒め物、煮込み物、どっちも旨いです。

 そこで、やっぱり蝦、蟹がほしい、ってことなら、前菜代わりにスタートは「白灼基圍蝦」、蝦の湯通しにする。
 春から秋にかけては「基圍蝦」が旨いですから、文句なし。
 蟹なら、青蟹の雄の「肉蟹」を葱と生姜で炒めた「姜葱焗肉蟹」にとどめを刺す。
 以上は、香港での話し。
 日本の福臨門で、ということなら、前菜は、叉焼、焼鴨、焼肉、などに、牛すね肉のよせ物や、豚のすね肉のよせものなどの、焼物の組み合わせにする。
 それから「冬瓜盅」。その種類は、お好みで。
 ついで、鳩料理なら、前述の通り。
 鶏料理なら、基本は「脆皮雞」。
 ですが、紹興酒煮込みの「花彫焗鶏」という手もある。
 さっぱり味で、火腿と一緒に蓮の葉に包んで蒸した「荷葉雲腿蒸鶏」というのもある。
 新生姜の出る時期に登場する「子姜炆滑鶏」も、甘味、酸味、ヒリ辛味が、爽快です。

 その次には、豆腐料理、それに、野菜料理。
 最後に魚料理にして、炒飯か麺類で締めくくり。
 以上が、私の夏のお勧めのコース。
 秋、9月の終わり頃までなら、大丈夫です。
 実は、麺類にも夏向けのものがありまして、、、と言う話は、また、次回。
 画像は「官燕西瓜盅」。

夏の広東地方の郷土料理の③











 
⑥の百花蒸醸豆腐 蝦のすりみ載せ豆腐の蒸し物は、私のアイデアです。

 今回は夏の広東地方の郷土料理、「家郷菜」を中心にというのがテーマ。しかも、本格的で豪華な宴席でもなく、家族、友人など気の置けない仲間が集まってのもの。 それならコースにお惣菜的な料理を組み入れるのも悪くない方法。
 そこで思いついたのが豆腐料理。もしかして斎木一家にもなじみありじゃないかとミッシェルと相談していた通り、
「あ、これ、私、作ったことある!」
と、斎木夫人の起久子さん。
 本格的な宴会料理なら琵琶型に作った「琵琶豆腐」もいい。
 家庭惣菜風なら「紅焼豆腐」だが、どちらかといえば冬向きの料理になる。
 少し工夫を凝らしたものなら、豆腐をつぶし、すり身かほぐした白身魚を混ぜて蒸した「老少平安」がある。が、シンプルな内容。しかも、蒸し物でさっぱりということになり「百花蒸醸豆腐」に決定。
 それから野菜料理。欠かせないのが野菜料理です。
 今の時期、香港なら文旦に似た「柚皮」、芥子菜の茎の芥胆、ヒユ菜の莧菜がある。
 が、日本では調達が不可能。あるのは通菜(空心菜)ぐらいなもの。
 そこんところ、ミッシェルが洒落たアイデアを提供。
 さっと炒めたアスパラガスに「火腿」の薄切りを揚げたもの、さらに、なんと鳩の卵を茹で、添えた一品。
 なんともお洒落な一品。グッドなアイデアでした。
 食用鳩だけでなく、香港では鳩の卵も料理に使われます。燕の巣の周りに茹でた鳩卵を配した官燕鴿蛋はその代表的なもの。
 とはいえ、鳩は基本的には雄雌の番、つまりは一夫一妻のため、産卵数も限られ、ことに食用鳩自体、入手が難しい上に、鳩の卵となるとそれ以上ということになる。
 ということで、はたして鳩の卵を使った料理が定着するかどうか。
「これって、一緒に食べるの?それとも、別々に?」
そんな斎木夫人の一言をきっかけに、話題になったのは、鳩の卵を半熟、もしくはその手前、黄身をトロトロ状にして、アスパラ、揚げたハムをそれに浸して食べるのはどうだろうか、というアイデア。
 イタリアンにありますね、そういうのって。次回、試そう、ということになりました。
 ⑧葱花皮蛋炒滑蛋蝦 ピータンと卵とエビの炒め物は、番外の私のリクエスト。
 ミッシェルが小さい頃から家族、また、親しい仲間との食事に食べていた惣菜的な料理で、イギリスへの留学時代、香港に戻れば必ず食べていたそうです。
 実は、蝦、蟹に鹹蛋を絡めて炒めた「鹹蛋蟹」、「鹹蛋蝦」というのがある。もともとは揚州の料理だそうで、上海を経由して香港に到着。その間、内容が少しずつ変化という事態もあったようですが、一時、香港で大流行。「一笑美茶樓」の脇屋さんが着目し、てトゥーランドットの看板料理にしていたこともあります。
 ミッシェルの話から、てっきりそれかと思いこんでたら、違いました。 鹹蛋なし。皮蛋と鶏卵のみ。三蛋、ではなく、雙蛋です。
 蝦は「基圍蝦」を使うのが必須の条件という。汽水域で養殖した蝦で、ぷりっとした触感のある肉質、甘味の味がその特徴。が、日本では入手は不可能。
 で、日本の小ぶりの蝦を使って調理した「葱花皮蛋炒滑蛋蝦」。確かに蝦は、新鮮でぷりっとはしていても、甘味不足。それより、火を通した皮蛋、特有の臭み、においが消えている。触感は煮こごりのよう。それでいて卵ならではのコクがある。この料理、心安らぐ家庭の味、という趣。
 そうか、ここに鹹蛋を入れると味がより濃厚に、さらには重くなって、秋、冬の料理になってしまいそうだと、納得した次第。

 さて、締めくくりは「麵?それとも、炒飯?」。
 ゲストの斎木さんのご意向を伺うと
「さっき、張さんの炒飯が美味しいって話、でてたじゃない。だったら絶対に炒飯!」。
 とはいえ、さて、一体どんな炒飯にするか。
「う~ん、なら、やっぱり「鹹魚雞粒炒飯」!」と、ミッシェル。
 そして登場した「鹹魚雞粒炒飯」が旨かった。
 という以上に、すごかった。
 これまで銀座の福臨門で食べてきた「鹹魚雞粒炒飯」では、ベスト、でした。
 味、香り、風味の豊かさに目を見張りました。
 なによりも「鑊氣」がある。活気にあふれ、香りが立っている。
 味わえば、力強く、しかも、気品がある。
 福臨門はすごい。名人が何人もいるんですから。
 画像は「百花蒸醸豆腐」、「焼雲腿鴿蛋露筝」、「葱花皮蛋炒滑蛋蝦」、「咸魚雞粒炒飯」。

2007/07/17

夏の広東地方の郷土料理の②




 さて、④の脆皮焼乳鴿/鳩の丸揚げも、ミッシェルのアイデア。
 以前、日本の福臨門には香港から広東地方新會産の仔鳩が届いたことがありました。
 福臨門だけでなく東京の一部の広東料理店では、合法非合法、冷凍物などを使った鳩料理が一時話題になったことも。が、その後、鶏ウィルスの一件で香港からの輸入は途絶えた。
 それが、最近になって福臨門では日本で飼育されたフランス産の供給ルートを確保。 種鳩はフランスのグリモール社の供給によるフランス南部のナント産のユーロピジョンのミマス。どうやら広東産とは品種が異なるらしい。それに、香港で消費されるのは、もっぱら生後5~6週間の仔鳩。
 ところが、日本で入手できるミマス、生後6~7週間のものが中心で、骨も肉も成長。ただし、成長している分、肉がしっかりしていて、味も濃く、野性味があり、風味が豊か。あの血の味、鉄分の味の濃さ、風味。赤ワインがほしくなるやつです。
 日本の福臨門ではその点を見極め、肉質、味、風味を生かしながら、いくつかの料理を提供。広東料理特有の料理方法ですから「家郷菜」とも言えます。
 鳩にはいろんな料理方法がありますが、代表的なものが丸揚げの「脆皮焼乳鴿」。湯通しした仔鳩をたれ汁に漬け込み、さらに中国たまり醤油で煮込んだのが「豉油皇乳鴿」。他に紹興酒で煮込んだもの、オイスターソースで煮込んだもの。また、身をそぎ切りにして、中国ハムの「火腿」と炒めたものなどもあります。
 dancyuで紹介したのは、油を一切使わない「豉油皇乳鴿」。中国たまり醤油の味、風味が、しっかり強くて濃い鳩の肉の味と合って鳩肉の持ち味、香りを引き立てる。
 今回、ミッシェルがリクエストしたのは「脆皮焼乳鴿」。
 テーブルに運ばれた丸揚げの仔鳩を見て、納得。
 「これって、5週間くらいの仔鳩じゃない?」、と私。
 「そうそう、だからロースト・ピジョンの「脆皮焼乳鴿」がいいんじゃないかと思って」、とミッシェル。

 美しい色艶、照り、揚がり具合。皮の裏についた皮下脂肪もしっかり揚がっていそうです。
 頬張ると「脆皮」という料理名通り皮はパリパリ、さくさく。肉を噛み締めると、やはりフランス産ってこともあって、鳩肉の味は濃く、強い。見事な自己主張。
 そこで、塩を溶いたレモン汁のタレに身をさっと浸してたべると、塩気とレモンの爽やかな酸味が脂っ気を抑え、なおかつ酸味が身に馴染んでさっぱりとした印象になる。それより、素材は日本で育ったフランス原産の鳩。なのに、調理法、味付け、出来上がった料理の味、風味は、まさしく香港ローカルの「脆皮焼乳鴿」だったのに、感心しました。
 懐かしい香港の仔鳩料理の味、風味です。旨かった。実に旨かった。
 ちなみに、料理人は張漢華さん。福臨門の社長の徐維均さんのお弟子さんで、大阪の福臨門にいたことがある人物。一時、大阪の福臨門の「脆皮雞」、炒めものは「鑊氣」があってすごい!と評判を呼んだことがありますが、張さんこそまさにその人。
 ⑤の豉汁涼瓜炆紅斑、苦瓜と紅はたの煮込みは私の提案。
 この時期、苦瓜が旨い。冬瓜などと同様に、体の熱を下げる効果があります。
 ご飯のおかずにうってつけな家庭料理なのが「豉汁」、醗酵大豆味噌、にんにくなどで作ったあわせ調味料で牛肉を炒めた「豉汁涼瓜炒滑牛肉」。鶏肉を使った「豉汁涼瓜炒雞」もごく一般的。

 ひとひねりすれば「鶏肉」を蛙に代えた「豉汁涼瓜炒田雞」ってことになる。さらにダメオシでもうひとつ。それは、豚の胃の先端部の「肚尖」と炒め合わせたもの。良質な「肚尖」は稀少な素材ってことから、宴会料理の一品に並ぶこともあります。が、残念なことに「田雞」も「肚尖」も、日本では入手が不可能。

 そこで、まてよ!と思い立ったのが「豉汁涼瓜炆海斑」。
 基本は「紅炆海斑」。揚げ魚の煮込み、です。
 魚を煎り焼きにし、別途豚肉の細切り、干椎茸の細切りなどを炒めあわせ、煎り焼の魚とともに二番だしの「二湯」で煮込んで醤油などで味付けしたもの。
 以前、魚のことで触れてきたとおり、魚はそれぞれに肉質、味、風味が異なる。香港でも蒸し魚の「清蒸魚」に使われるのが「石斑」、ハタの類。肉質は緻密でしっかり。しかも、はらりと身が崩れる。そんな「石斑」の素材そのものの良さを味わうには「清蒸魚」よりも、揚げて煮込んだり、「上湯」で煮浸しのほうがいい、というのが私の考え、私の好み。
 ことに大ぶりの「石斑」の砂ずり、鰭つきの部位を揚げて煮込んだ「紅炆斑翅」は、大好物です。
 しかし、「紅炆海斑」にしろ、「紅炆斑翅」にしろ、味がしっかりしていて、体を温めくれますから、秋冬の料理という印象が強い。 そこで、冷の性質を持った「涼瓜」を組み合わせて、バランスをとる。
 夏向けの料理になる。宴会料理の華にもなる。
「豉汁涼瓜炆海斑」ってのはどう?と、ミッシェルにメールしたら
「とてもおいしそう!」と、大乗り気。

 以前、銀座の福臨門が開店当初、「石斑」の入手が難しかった頃、あいなめを「什斑」と命名して使っていたことがありました。
 あいなめのあの身の緩さ、はらりと身がくずれ、しかも、ダシをしっかり含みながら、存在を主張という「紅炆什斑」は、俄然、私のお気に入りの一品となり、何人もの友人に勧め、喜ばれたものです。
 現在では流通のルートがしっかり確保され、この夜、紅はたにめぐり合った次第。上質のはたです。
 この夜の「豉汁涼瓜炆海斑」は、先の「脆皮焼乳鴿」と並ぶハイライト。
 しかも、その味、風味、洗練された味わいだけでなく、すっきりとしていて、シャープで鮮烈な力強さがある。
 日本ではこれまで食べたことがなかったというミッシェルも、大感激。
 その「豉汁涼瓜炆海斑」を食べながら、「あれ、これって?」と思い出したのは、福臨門の香港島の店に特徴的な味、風味、スタイル。
 日本の福臨門を統括する総料理長の呉錦洪さんが料理すれば、よりきめ細かで洗練した優しい味になる。その呉さんは九龍の福臨門の総料理長である羅安さんの愛弟子で、ふかひれ、あわび、燕の巣などの乾燥素材の料理の腕は、羅安さんが大いに信頼を置いている人物。
 一方、今回の料理人の張漢華さんは、徐維均さんの愛弟子。 いわば香港島の福臨門の直系の味、風味、スタイル。そんな両者の調理の味、風味の対比が面白い。
 そう、福臨門は香港島、九龍にあって、その2店、それぞれに特徴があって、味、風味がビミョーに異なります。という話は、いずれまた。 ともあれ、日本の福臨門の料理人の層の厚さを再認識した次第です。

 画像は「脆皮焼乳鴿」と「豉汁涼瓜炆紅斑」です。

2007/07/16

夏の広東地方の郷土料理の①


 三社祭でいつもお世話になっているのが斎木隆さん。元ワールドカップのダウンヒラー、つまりは滑降の選手で、ひょんなことから知り合いになり、雷門中部の青年部の一員だったことから、雷門中部の御輿担ぎの仲間に加えてもらうようになりました。
 松任谷由実のバックバンドのメンバーの市川くん、いつのまにか浅草の住人になってしまったダノイの小野さんも、同じ雷門中部で御輿を担いでます。
 今年の三社祭には香港出身で、イギリスへの留学を経て、今は東京でマネージング・ディレクターの職についているミッシェルを招待し、斎木さんに紹介。
 
 日本の伝統的な文化に関心のあるミッシェルは、祭りや御輿を見るだけでなく、祭り、御輿に参加できたことを大いに喜んでくれました。
 中でも感激したのは、時代を飛び越え、江戸の昔に紛れ込んでしまったような思いにかられる宮入りの儀式。鳶が御輿に乗ってリードし、見事に統制の取れた御輿担ぎの様を目の当たりにし、感銘を受けたそうです。
 そんな三社祭の時のお礼を斎木さんに、とミッシェルが計画したのが、広東料理のディナー。
 香港人らしく「不時不食」、つまり、季節にあらずは食さずという中国人の食の信条に倣い、この時期ならではの季節の素材、それに、広東地方ならではの「家郷菜」を中心に、ということでメニューを思案。
 「小倉さんも、なんかいいアイデアがない?」ってことで、メールをやり取りし、コース作りを手伝いました。場所は銀座の福臨門。
 ということで、決定し、食べたのは以下のメニュー。

①雲腿金銭鶏肝、中国ハムと鶏の肝、豚肉、豚背脂の重ね焼き
②焼鱔魚、ウナギの焼き物
③八寶冬瓜盅、八種の具材入り、冬瓜の蒸し物
④脆皮焼乳鴿 鳩の丸揚げ
⑤豉汁涼瓜炆紅斑 苦瓜と紅はたの煮込み
⑥百花蒸醸豆腐 蝦のすりみ載せ豆腐の蒸し物
⑦焼雲腿鴿蛋露筝 アスパラガス、中国ハムの揚げ物、ゆで鳩卵添え
⑧葱花皮蛋炒滑蛋蝦 ピータンと卵とエビの炒め物
⑨咸魚雞粒炒飯 塩漬け魚と鶏肉の炒飯
⑩官燕西瓜盅 燕の巣入り、スイカのデザート
 ①は、下に紹介したdancyuの8月号でも紹介した料理。
 広東地方の伝統的な郷土料理、焼き物のひとつで、かつて香港では宴会料理の前菜として登場。街中で豚、家鴨、鶏肉などの焼き物、たれ仕込みのものを専門に売る「焼蝋店」で見かけることがあります。
 現在では一般の料理店では扱われなくなったことから、「懷舊菜」、懐かしい、昔の味として、それを用意し、客集めの一品にしている店もあります。
 もっとも①。もともとは鶏の肝、豚肉、背油を甘い特製のタレにつけこみ、窯で焼くだけのもの。甘味のあるタレ、コクのある味こそがその特徴。そこに高価な中国ハムを追加、というところに福臨門ならでは工夫と技がある。
 「雲腿」とあるように、中国ハムのなかでも最良の部位を使い、しかも、中国ハムが持つ塩味、醗酵味、旨味を効果的に使う。結果、味、風味がより複雑に、重層的になる。さらには、洗練の味、風味を醸しだす、というのが実に見事です。
 そして②。ウナギは日本製。甘辛のタレをたっぷりつけた焼いた蒲焼とは趣が異なる。いわばうなぎの白焼きの広東風の趣。タレをさっと塗って、焼き付けたもので、皮はパリパリ、さくさく。身はしっとりのやわらかさを残しながら、素材そのもの持ち味、風味を生かしてある。
 実は、私、蒲焼が大の苦手。蒲焼を焼いてる匂いをかいだだけで、卒倒してしまうぐらいでなんですが、ようやく最近になって、白焼きだけはOKに。その広東風です。蒲焼はだめですけど、香港、中国式、それに、ヨーロッパ式のウナギ料理は、私は大丈夫。
 ③はミッシェルが絶対に、というお勧めの料理。夏場、冷の性質があって、体温を下げる効果のある冬瓜は、欠かせない。中でも、冬瓜の種など中心部をくりぬいて、ダシを張り、具材を丸ごとを丸ごと湯煎蒸しにした冬瓜盅は、宴会料理の華です。
 
 その具材、もともとは、家鴨肉、鶏肉、豚肉、各種の内臓類、乾燥素材に野菜類、というのがそもそものはじまり。後に、海鮮の流通が盛んになって、新鮮な魚介、蝦、蟹の爪なども加わるようになったもの。さらに、具はふかひれだけという豪華版の冬瓜生翅盅ってのもあります。思わずよだれがこぼれる絶品で、冬瓜盅の中では一番の好みです。
 今回は、伝統的な料理にならって「八寶冬瓜盅」で。食べすすめるうち、知らず汗がひいていくような涼味あふれる夏の味を満喫しました。
 
 画像はその「八寶冬瓜盅」。サーヴィスの人が運ぶ途中で蟹の爪を一個、スープの中に落っことしてしまいました。

2007/07/15

dancyu 8月号


dancyuの8月号「創刊200号、1万軒の結論。日本一うまい店、集めました」に寄稿しました。
 名店とは何か、愛する店を通して語るその真髄。食の達人たちが惚れ込む「わが名店」ってことで、寄稿したのは「テーブル高7センチ差の気配り」。福臨門の話です。
 また福臨門の話?と言われそうですが、私は福臨門を愛してやまない。ですが、タイトルには正直言って私自身、驚きました。

 福臨門で居心地の良さを覚える理由のひとつに、テーブルの高さがあります。それについてはdancyuでの拙文をご覧いただきたいところですが、その高さ、それに椅子、その按配は見事と言うよりほかない。と言う以前に、ごくさりげなく当たり前のようにあって、そんなことを微塵も気付かせない。それが福臨門の素晴らしさであり、私が愛着を覚えるところです。
 中国料理にはマナーはなし。好き勝手に食い散らかし、テーブルを汚してこそ、美食を堪能した証、などと語る人は少なくない。たしかに、昔はそうだったかもしれない。が、それでいて暗黙のルールがある。香港、次いで中国本土、さらには台湾で、それなりの食事の席に同席する機会を得て、観察し、知った事実です。
 たとえば、香港。招かれた高級な宴席でも、また、家族や気の置けない友人との日常の食事の場においても、手にする食器はご飯の入った茶碗だけ、というのは一緒に食事をしていれば気付くはず。料理を取り分けた小皿を手にして食べる、ってことは皆無です。小皿はテーブルに置いておくもので、持ち上げることはない。日本の食事の流儀、マナーとは異なります。
 
 そして、宴席の最後に炒飯が登場したとする。その場合、碗によそわれますが、それを手に持って箸でかっこむ、という無様なまねはしない。そんな場合には必ずレンゲが添えられていて、碗はテーブルに碗を置いたまま、レンゲで炒飯をすくって口に運びます。
 ところが、宴席の締めくくりに縁起を担いで登場する魚料理。それも、蒸し魚だったりすると、やっぱりご飯が食べたいという気分になる。蒸し魚そのものの美味もさることながら、煮汁の旨さ堪らない。それをご飯にかけて食べたくなる。で、ご飯を頼みます。ご飯の上に蒸し魚と煮汁を注ぎかける。が、魚の身もあるからレンゲでは食べにくい。ですから箸でかっ込む。そんな場合、当然、お碗を手に持って食べることになる。そう、それはOK。
 それが宴席ではなく、日常の食、家庭などで何皿ものおかずを前に食事をする場合、それを取り分けるのは小皿ではなく、白いご飯を入れた飯茶碗の上、ってのがほとんどです。家族や気の置けない仲間と街中の料理店で食事って場合、料理を小皿に取り分けることもありますが、小皿の料理を白いご飯の上に載せて食べる、なんてことはよるあること。
 子供の頃、ぶっかけ飯は厳禁で、ご飯の上におかずを載っけるだけで小言を食らった体験のある私は、そんな場面を目撃した時には、驚き、当初は抵抗を覚えたものですが、やがて慣れっこになって、私もそれに倣うようになりました。早い話が、私はかぶれです。
 
 ともあれ、福臨門のテーブルの高さ、もちろん、椅子の高さにも関係して、テーブルの上に置かれた食器で手に持つのは飯茶碗だけ。炒飯などはテーブルにおいて、レンゲを使って食べる。料理を取り分けた小皿をテーブルに置いたまま、箸で食べるのには格好の高さです。
 テーブルが低いと、小皿は手に持たないというマナー、ルールに準じれば犬食いになる。そんな無作法をしでかすこともない。

 そういえば、肘をついたまま、あるいは、片手をテーブルに置いたまま、なんてお気楽に食事をする人もいますが、そういう格好をするには福臨門のテーブルはいささか高すぎる。ま、そんな無作法な人は、福臨門ではめったにみかけることはない。
 いや、いたりするんです。あのテーブルの高さにして、肘を付いて、或いは片手をテーブルに置いて食事している日本人観光客。それも、身なりからすればおえらいさん。香港店や九龍店で、その光景、目撃したことがあります。その執着ぶりに恐れ入りました。たぶん、そういう姿勢でないと、食事、というより、飯食った気分がしない、ってことかも。ま、それはそれで、見事な主張でありますが、、、。
 画像はdancyuのHPからのパクリ、8月号の表紙です。

2007/07/08

夏野菜


 埼玉の東松山の農業、加藤紀行さんから夏野菜が届いた。加茂茄子、真黒茄子、青茄子、はぐら瓜、四葉胡瓜、万願寺唐辛子、日光唐辛子。待望の夏野菜だ。
 中でも楽しみにしてたのは四葉胡瓜。トゲトゲのイガイガつきで、水気が少なくって、身が引き締まっていて、パリパリさくさくの噛み応え。で、青くて、ほろ苦さがじんわり滲み出てくる。
 ぶつ切りを醤油で、ってのもいい。薄くスライスして、酢醤油で、ってのもいい。大雑把に叩き潰して、桂林醤、醤油、酒、黒醋、黒砂糖を按配よく調味したたれに漬け込んで食べる、ってのもいい。
 頑丈だから、と油で揚げて四川風に豆板醤ベースのたれで、というのは芝蘭の下風慎二さんのアイデア。チャイニーズレストラン直城の山下直城さんも加藤さんの四葉胡瓜、茄子がお気に入りだ。
 日光唐辛子はダノイの小野さんがフレッシュなものが取れる間、アリオリ・ペプロンチーニにして、お勧めのメニューにしている程。ACCAの林さんも、加藤さんの日光唐辛子を気に入った様子だ。
 加藤さんの野菜にエールを送る料理人は少なくない。見かけは無骨。が、頑丈でがっしり。大地の恵み、土の味がする加藤さんのじゃがいも。大きいのや小さいのがごろんごろんとしているのが当たり前だもの、とコートドールの斎須さん。ジーテンの吉田さんも、冬場の加藤さんの日本ほうれん草をきっかけに、加藤さんの作る野菜に関心を持ったそうだ。
 ですが、野菜は生もの、ではなく、生き物。その年の気候によって、出来栄え、味、風味は異なる。
 去年の四葉胡瓜と今年の四葉胡瓜は、味、触感、風味が違う。去年よりも水気が少なく、みが引き締まった感じで、甘味、ほろ苦さ、爽快な風味がある。
 甘味といえば、目を見張ったのがはぐら瓜。水気あり、なのに、噛み締めると水っぽくなく、清廉で無垢な青い甘味があり、生のまま、なんもつけずに、ぽりぽり食べちゃいました。
 本日の夕食は、日光唐辛子を使ったアリオリ・ペプロンチーニ。
 ダノイ・スタイルにするか、ACCA・スタイルにするか、迷った末に自己流でやりました。
 日光唐辛子を4本、刻むだけで香りが立つ。さらにニンニクの極ミジンを用意し、オリーヴ・オイルを引いた鍋で、優しく火を入れ、茹で上がり一歩手前のリングイネをゆで汁を加えながら入れ、ひと煮立ち。
 青くて、辛味だけでなく、爽やかでフルーティーな酸味、甘味があり、野菜の味がする日光唐辛子。優しいひり辛の味がじんわり浮かび上がる。リングイネ120グラム。残れば夜食の弁当、のつもりが全部、食べちゃいました。
 というわけで、今夜の夜食は、四葉胡瓜のスライスを、ポールの五穀パンにはさんだサンドイッチに変更。 今、それを食べながら、これを書いてます。