香港や中国本土の中国料理店と、日本の中国料理店のテーブルの高さが何故に違うのか、という解答のひとつが、生活慣習に由来するものではないか、というのは前述の通り。
で、日本の中国料理店では、スープ、羹などを除いて、小碗があまり活用されず、もっぱら小皿が用意され、料理内容に関係なく小皿に取り分けられる。それがいつの頃から定着したのか、大いに興味があるところです。
もっとも、前述のように、長江周辺、及びその以北では、主に平皿での取り分けが中心、のようです。それが、南方の広東省、それに香港などでは小碗がしきりと活用される。という背景には、北方の麵食、南方の米食という主食の差異も大いに関係あるのでは、と思います。
日本の中国料理史を紐解けば、広東料理の影響大。長崎の卓袱は福建料理の影響大とのことですが、明治以後、まず日本に浸透したのは香港を経由して日本にやってきた広東系の料理。簡単な日常惣菜が中心だったようですが。
その後、20世紀初頭になって北京料理、厳密には山東料理、それに上海料理、厳密には江南地区の地方料理が日本に紹介されるようにもなった。日本で中国料理の宴席の様式が紹介され、定着し始めたのはその頃のはず。日本に誕生した中国料理店のテーブルが方形だったのか、円卓だったのか。日本で回転卓が考案された、という事実からすれば、円卓が多勢をしめていたのかも、です。 で、平皿、小皿での取り分け方も、その時期に紹介され、定着したのではないか、と。
問題はその次。日本で小皿を手にして食べるようになり、それが定着するようになったのか。
それは、やはり、もともと日本では座して膳で食事を取る、という長年の習慣があり、しかも、小皿を手にするのはマナー違反ではなく、そうすべきものという慣習、通念によるものではないでしょうか。
実は、日本の中国料理店に限らず、料理店一般におけるテーブルの低さは、膳、次いで卓袱台へと変化してきたこれまでの日本人の食における生活習慣からすれば、およそ違和感のないものではないのか、というのが私の見解であります。
今、都市生活を営む人のほとんどは、テーブルに椅子という食事形態が一般化。ですが、親から子へと受け継がれているマナー、暗黙のルールは、座して膳に向かう懐石、会席、宴席料理などに準じたもの、だったりしますから。
それとは別に、美味しく食事をする、という観点からすれば、食器の存在、料理と食器との関わりを見逃せない。
ことに私が首を傾げてしまうのは、先にもふれた80年代以後、日本に相次いだオーナー・シェフによる中国料理店でのこと。
モダンな内装同様、料理を盛りつける器に凝り、作家物の陶器、磁器、なかには、西洋のブランドものの食器、さらにはカトラリーを用意、って店もある。西洋料理の要素、エッセンスを食事の形態にも取り入れた、ってことですね。その手の知識に疎い私でも「お、これは!」と感心する器に盛られていたりすることがある。
それが、ひと皿、あるいはひと碗、一人用のものなら、文句なし。
問題は、人数分大きく盛られた大皿、深い鉢はともかく、それに添えられた取り分けの食器のことで、それらについては、案外、脈絡なしや無関心だったりするのが、案外多いものです。
いや、作家物の小皿が用意されるなど、それなり吟味されていたりすることもある。ところが、汁気が多い料理を深鉢に盛り付ける周到さがありながら、用意されるのは小皿、なんていうのがざら、だったりします。小鉢じゃなくて、なんで、小皿なのか?箸で食べにくい上に、スープを味わうには、れんげも使いにくし、その前に料理が冷めていく。なんてことには気がまわらないんでしょう。
さらには、汁物、汁気のある料理を作家物の凝った鉢によそいながら、添えられるれんげが、これまた作家物で、口当たりの悪い厚手の陶器のもの、あるいは、凝ったデザインのごっつい金属製のものだったりする、っていうのもざら、だったりする。
デザインや見栄えばかりに着目し、重視。いかに美味しく食べさせるかということにまったく関心はない様子。いっそのこと、上質のブランド物のスプーンやれんげにしてくれれば、口当たりも良くって、料理を美味しく食べられるのですが。 ことにデザートに使われる器、添えられているれんげなどに、目だって多かったりする。
いくら自慢の腕を奮ってくれても、そういうところが抜け落ちていると、がっかりします。
隅々にまで細やかな神経を張り巡らせ、いかに旨く、美味しく食べるかということについて、工夫を凝らし、努力するか。それこそ、サーヴィスの基本、その良し悪しを決めるものだと私は思います。
旨い料理、美味しい料理を味わうために、肝心な、また、必須の条件のひとつですから。