2008/12/30

踏入冬季~12月の「赤坂璃宮」銀座店の5

 締めくくりの「麺・飯」ですが、今回は「雪魚糯米飯/白身魚入り塩味おこわ」。
 そうです、この季節、粳米、糯米の新米が旨い。香りが豊かです。おまけに新米って、体がホカホカと熱くなる。それも糯米は食べると体が熱くなる。お腹の中でもっと膨らんで腹持ちがいい、なんてこともあります。

 実は、一昨日も糯米を蒸しました。かみさんが日頃通ってる工房の食べもの持ち寄りの忘年会があって「何かない?」。
 なんてことから、冷蔵庫の中にこの秋の半ばに届いた生栗がまだあるのを思い出し「「栗おこわ」なんてどう?」ってことで、糯米、一晩水に漬け、せっせせっせと栗の皮を剥いて作りました。
 そういえばこの時期、我家で多いのは、腊味、つまりは、腸詰の炊き込みご飯。粳米だけの時もあれば、糯米だけの時もある。粳米、糯米をミックスで、と言うのも悪くない。それに具の中味、いろいろ工夫します。

 さて、「雪魚糯米飯/白身魚入り塩味おこわ」。「雪魚」ってことは「鱈魚」、つまりは「たら」ってこと? 「あの、魚は「メロ」でございます」とアテンドの柏木さん。 「メロ」ってことは「銀むつ」ですね。塩で仕込んで、鍋物に使うってこともあるし、白身魚のフライでもよく見かけます。
 「メロ」は下味しっかりで、生粉をまぶしてある。そうかこういう下拵えもあるのね、と感心。一緒に干し椎茸なども具にあって、ほんの少しタレをかけ、蓮の葉で包んで蒸籠に入れて蒸してあります。その調味、味加減が絶妙でした。
 熱いもんで、はふはふいいながら、香港でも食べたことがなかった「雪魚糯米飯/白身魚入り塩味おこわ」その美味、それに、香りの良さをしっかり味わいました。この料理、家で試せるかも、けど、味付け、調味、行き過ぎずに加減よく、というのが課題でしょうね。
 袁さんの料理、広東地方の「家郷菜」、ますます楽しみです。

踏入冬季~12月の「赤坂璃宮」銀座店の4

 続いて登場したのが「枝竹羊肉煲/国産羊肉の土鍋煮込み」。 「羊肉、ってラムじゃなくて?」と大藤さんに尋ねると 「ええ、ラムではありません。国産の羊肉です!」とニンマリ!















 嬉しいじゃないですか!成育した羊なら、脂にクセのある香りがしっかりありますから。 目の前に現れた土鍋の中でふつふつと煮えたぎる羊肉。肉に白い部分くっついてる、ってことはアバラ肉のあたりですね!

 羊肉といえば、日本では薬味をふんだんに使ったタレに漬け込んで特製の鍋で食べる「ジンギスカン鍋」がよく知られてま。ネットで検索すれば北海道及び岩手の遠野でそれが盛ん。しかも、日本独自のものだって知りました。けど、中国の北方にもその手の料理ありますよね。日本の「ジンギスカン鍋」は特製の鍋でお手軽に焼きますが、北京の「烤羊肉」の専門店では、焼くための鍋も調理方法はもっと大陸的でダイナミック。

 そうそう、羊肉といえば日本の「しゃぶしゃぶ(鍋)」の元じゃないかと思える「涮羊肉」というのがあります。いつだったか中国出身の料理研究家ウーエンさんとNHKのラジオ番組で共演。その、ウーエンさん、北京の「涮羊肉」は「ラムです!羊は毛や皮を使うのが主な目的。羊(肉)は食べません」とキッパリ。けど、私、北京でラムじゃなくって羊肉、それも何種類かパーツ違いのを食べたことがあるんですが。

 南方、広東地方や香港では、冬の訪れとともに滋養供給、体を温める料理として野味の料理を食べます。羊の肉は、その代表的なもの。一般的には羊、成育したマトンが使われますが、本格的には北方から届く「黒草羊」、「山羊」、それも「野羊」が珍重されてます。

 今回の「枝竹羊肉煲/国産羊肉の土鍋煮込み」は、冬の香港の風物のひとつにならったもの。そういえば食事の後でであった譚さん「あれ、皮付きの羊肉だったら、よかったんだけど、入手が難しくってんね」なんて話に、さすが譚さん、目の付け所が鋭いと感心。でも皮なしでも、その美味、しっかり味わいました。

 味付けの調味料のベースは「柱侯醤」。「柱侯醤」は以前、「7月の「赤坂璃宮」銀座店の4」で触れてきた通り、広東省の佛山で生まれた味噌、調味料の一種で、佛山の特産品として知られています。大豆を主体に、塩、砂糖、胡麻、醤油などで作ったものです。その目的は、羊肉、山羊肉に特徴的な匂い消し。というか、匂い、香りは脂にあり、のはずなんですが。ともあれ、この種の野味に「柱侯醤」を使うのは、日本でも豬、熊などの鍋に味噌を使うのと似ています。さらに、大蒜、生姜などが効果的に使われてます。
 「実は、サトウキビの汁なども隠し味に」と、大藤さん。
 「へぇ~、そんなもんも使うんだ!」と、話に感心。

 一緒に炊き込まれていたのは「枝竹」、「腐竹」ともいいますが、干し湯葉。それにこれを食べるために、事前にテーブルに並べられたのが、レモンの葉の千切りをあしらいにした「腐乳」のタレ。「枝竹羊肉煲」を食べる時の必需品。ちょっぴり浸して食べると味が引き立ちます。

 羊肉、干し湯葉、干し椎茸などを取り分けたあと、鍋に残った煮汁でレタスを煮込み、皿に添えます。
 「あのう、ほんとは「唐生菜」なんですが、本日、ご用意できませんでしたので「サニー・レタス」ですが」と大藤さん。
 「腐乳」のタレだけじゃなくって「生菜(レタス)」の用意まであり、なんて香港の料理店そのまま、じゃないですか。
 その用意、心遣いに盛り上がります。

 それより「羊肉」、そしてこの料理の味、「柱侯醤」のこくのある味、風味が利いていて、しっかりの味付け。なのに、口当たりは、食後感はすっきり、さっぱり。実に「軽い!」。軽くて、上品で、洗練された味わいです。そればかりか、香りが豊かです。それも、いろんあ香りが複雑に入り混じり、ひとつに合体。奥行き深い「一体味」ならぬ「一体香」を生み出している、というのがすごい!

 上品で洗練された味わいの軽さ、香りに、メンバー一同、唸って、感嘆の声を上げたのでありました。まさしく、この日のハイライト!
 見事な一品でした。香港の「冬」の味、香り、ここにあり!

 事前に頼んでおけば、食べられるそうで。実は、早速、かみさんの中国語仲間の忘年会でリクエスト。「肉、肉、肉はお断り!」なんて言ってたかみさんも、香港ならではの冬の風物、しかも「柱侯醤」の味付けの料理には興味津々。奈々先生も「「干鮑」はダメですが「果子狸」はOK!」なんて、食には貪欲。もっとも、SARSの一件以来「果子狸」はご法度ですから。けど「羊肉」ならOKかも。そう思って用意したら、これが大ウケだったのであります

2008/12/29

踏入冬季~12月の「赤坂璃宮」銀座店の3

 そして「雀巣蠔油牛粒/牛肉のオイスターソース」が登場。これまた、見映えの美しさに歓声があがりました。
 じゃがいもで作った巣を器に仕立てたもので、その中に角切りの牛肉、パプリカ、ピーマン、白葱に、オクラなども一緒に炒めあわせてあります。その味つけはオイスターソースの「蠔油」を使ってあるわけですが、その味付け加減、調味料の使い方、その按配が実に見事。
 そうです。これまでなんども触れてきたように、オイスター・ソースをこれ見よがしにたっぷりなんか使ってはいません。そのあたりの調味料の使い方が実に見事。というより、香港の炒めもの極意を見事に発揮したもの。
 油通しした牛肉の表面は張りがある。それでいて肉を噛み締めると柔らかい。ぱりぱりの「脆」ではなく、むしろさくさくの「酥」の触感で、身が柔らかい。しかも、オイスター・ソースの味つけ、風味が牛肉そのものの持ち味、旨味を引き立てます。
 正直、これまで食べたオイスター・ソース味付けの牛肉炒め「蠔油牛肉」では最良のものでした。上品で洗練された「味」、それにもまして「香り」の素晴らしさに思わずうっとり、ため息がこぼれたくらいですから。一緒に炒めあわせた野菜も、それぞれの持ち味を引き出していて「味」わいもさることながら「香」りが豊かです。優しくて「軽い!」のが素晴らしい。
 参りました、袁さん!

2008/12/27

踏入冬季~12月の「赤坂璃宮」銀座店の2

 続いては「白灼鮮帶子/帆立貝柱の湯引き」。 その登場とともに「ワオ!」といっせいに歓声が!帆立の貝を器にしてあるのが、なんとも豪華でゼータク。歓声が上がったのも当然な話です。
















 帆立の貝柱を薄切りにして湯引きの「白灼」で調理したシンプルな料理。
 前にも話したように、牡蠣にしろ、新鮮な魚介、ことに貝類はさっと火を通した方が旨味凝縮。それを老抽を上湯で割ったタレにつけて食べます。

 頬張ればねっとりよりもスッキリの触感。噛み締めると甘味が浮かび上がって、旨味もたっぷり。貝柱だけじゃなくって、ヒモが旨い。大いに盛り上がった海鮮料理でした。

 次いで「蕪青燉鶏湯/伊達鶏と蕪の蒸しスープ」が登場。















「例湯」というわけですが、面白いのは蕪を使ってあること。私、香港では日本にあるような蕪には出会ったことがない。形が似てるものに「大頭菜」があります。生でかじったことがあって、蕪に似てはいるが甘さはさほどなし。それもたいては漬物に使われてます。

 ネットで検索すれば生を拍子切りにして赤い腐乳っで味付け、なんてありましたが、そうか、もしかして台湾で食べたかも。それより、「蕪青」で検索してみると、そこに「大頭菜」とも記されている。が、むしろ北方の産物のようであります。

 ともあれ、「蕪」を鶏肉と一緒に湯煎蒸しの「燉」した料理。「蕪」はぐじゅっとした触感で、鶏肉から出ただしがしっかり浸み込んでます。肝心の「湯」、鶏肉から出ただしの旨味たっぷり。ほんと、鶏肉って煮込むと独得の旨味がたっぷり出ます。その分、鶏肉そのものは旨味、エキスがすべて「だし」になって抜け殻状態!

 たまり醤油でもつけながら食べるのも悪くないですけど、やはり旨いのは鶏肉の「だし」の旨味、エキスをたっぷり含んだ「湯」。それにぐじゅぐじゅの「蕪」は、なんだか鶏だしで煮込んだ「おでん」の趣。体が温まるスープ。そうか、冬場ならではの「湯」なワケですね。

踏入冬季~12月の「赤坂璃宮」銀座店の1

 クリスマスはいかがでした?
 私はちょいと早い目にかみさんの中国語仲間の忘年会にひっぱり出され、メリー・クリスマスを楽しみました。その場所、なんと『赤坂璃宮』の銀座店。

  「(広東地方の)家郷菜がおもしろいんだよ。譚さん、おもしろい料理人、引っ張ってきたから。エドモンドにいた袁(國星)さんなんだけど、香港の味、香り、バッチリ。香港のホテル系統じゃなくって街中の高級店とか、老舗の懐かしい昔の味がするから!炒めものにはちゃんと「鑊気」があるし、なにしろ「軽い!」から」なんて話しを聞いてるばかりじゃつまらないと、うちのかみさん。

 嬉しいことに、かみさんの中国語の先生の遠藤奈々さん、このブログをチェックしてくれているそうでかねてより「赤坂璃宮」銀座店の料理に興味津々。なんてことから中国語教室の忘年会の場所は同店に決定。

 つい最近、香港旅行にでかける知人のために店選び、コースの組み立てを考えたといううちのかみさん。夫婦して似たようなことをやってるのがなんとも可笑しいですが、頼まれたコースを組み立ててるうちに「香港に行きたい!「福臨門」の家郷菜も素敵だけど、「陸羽茶室」の夜の食事みたいな「家郷菜」が食べた~い!」なんてモードで頭の中がいっぱい。

 そんなかみさんに言わせれば、私が選ぶ料理、組み立てるコースは「肉、肉、肉のオンパレード」だそうで、女性客には「向いてないワ!」とキッパリ。ということで、今回の忘年会のコースの組み立て、メニューの選択はうちのかみさんがプランを練りました。

 なんてことより、12月の「赤坂璃宮」銀座店のメニュー報告。年が明けない内に済ませたいとまずい!  さて、今月の「赤坂璃宮」銀座店のメニュー報告。まさしく「踏入冬季」、冬の季節の訪れを物語る「家郷菜」が並びました。











 まずは、前菜の「璃宮焼味盆/焼きもの盛り合わせ」。
 焼き物はおなじみの品。ですが、今月は甘い味わいの「叉焼」、それにも増して窯焼きの合鴨の「焼鴨」がことのほか旨かった。皮はパリっと「脆」。噛み締めるとジューシーな肉の味わいが、あふれ出す。「脆」にして、肉はジュ-シーなのは、焼き窯ならではのこそのもの。素材の「合鴨」も、クセがなくって、純な味わい。いつもは皮付きバラ肉の焼き物に夢中のi-podさんが「これ、凄く美味しい!」と、絶賛でした!

2008/12/24

『OILY BOY』の「東京の中国料理最新情報」の5

 そして、小林武志さんが「広東地方の家郷菜をやってるおもしろい料理人がいる!」と教えてくれたのが南青山の「エッセンス」の薮崎友宏さん。以前から気になりながら未訪問。こういう機会だからと出かけてみたところ、なかなか面白い。それも、野菜の扱いや料理への取り組みは「文琳」の河田吉功さんを思わせるところがある。 ということで薮崎友宏さん。

 ホテルの中国料理店の料理人で気がかりだったのは銀座の「キハチ・チャイナ」からインターコンチネンタル・ホテル・東京の「花梨」の料理長になった大久保武志さん。それに雑誌などで気になっていたマンダリン・オリエンタル・東京の「センス」の高瀬健一さん。そういえば、高瀬さんの料理はヌーベル・シノワで話題を呼んだ脇屋友詞さんを思わせるものがある。ということで、高瀬健一さん。

 なんてことで、4軒、4人の料理人が決定。残る一軒、料理人は、福臨門銀座店の張漢華さんを置いて他にない。というよりも、今、東京で、私好みの料理を作ってくれる料理人です。なんといっても「鍋」使い、鍋の気の「鑊気」の凄さで言えば、東京一。そんな張さんを人選から外せない、なんて、最初からその心積もりなのでありました。

 5軒、5人の料理人が出揃いました。取材にあたって、紹介する料理の選択も料理人と顔をあわせ、入念に吟味。「oyaji」にこそ薦めたい料理。たとえば、強壮効果、満点ってやつですね。それに、中国料理マニアの間で目下“噂”、“評判”の最新のトレンドや、日本ではなかなかお目にかかれない料理じゃないと。しかも、“情報”を知っているだけじゃなく、その“真実”、“本質”、“真髄”をわかってなければ「通」とはいえない料理。「酢豆腐」の若旦那の“ちりとてちん”では困ります。それに、コラムですから写真が中心で、与えられた執筆スペースにも限りがある。ですが、中途半端な取材で済ませたくはない。

 そんな事情を話した上で、いろいろ話を聞き込みました。本誌で反映できなくっても、このブログで取材裏話として紹介しよう、なんて心積もりもありました。とはいうものの、突っ込んだ話ばっかりで、かなりのスペースが必要。ならいっそのこと新しく別のブログを立ち上げ「東京の中国料理事情」を始めようかと思い立ったのであります。

 そんな矢先、銀座「芝蘭」の下風慎二さんがこの11月28日、脳梗塞で急逝されたことを知りました。新装再開店にあたって、看板料理の「四川ダック」をより本場式にするために念願だった焼き窯を設置。四川料理の伝統を改めて学びながら、四川の最新の動向にも目配りし、日本の素材を使い、日本ならではの四川料理、独自の四川料理を探求したいと意欲に燃えていた下風さんです。信じられない気持で一杯でした。

 ご冥福を祈るばかりです。

『OILY BOY』の「東京の中国料理最新情報」の4

 そんなことから、今回の「Oily Boy」での「東京の中国料理最新情報」、まずは地方料理ごとに店、料理人を分類。ホテルにある料理店も取り上げたい。それから、今の久田、山本、河田にあたる料理人は誰だろうかと思いめぐらせました。

 たとえば四川料理系の料理人からの人望が厚く、若い料理人を育ててきた「吉華」の久田大吉さん。久田さんの薫陶を受けた料理人の中でもその筆頭に挙げられるのが「チャイニーズ・レストラン・直城」の山下直城さん。細やかな「板」仕事、包丁使いの緻密さ。料理に応じて強弱を巧みに使い分ける火の扱い。調味、味付けの按配、その見極め、キメの鋭さ、確かさ。「味」だけでなく「香」りのある料理を生み出す「鍋」の技の見事さは、若手の料理人ではピカ一の存在。

 間違いなく、東京一と言っても過言ではない。実際、山下君に匹敵する「板」と「鍋」の技の持ち主は、今だ出会ったことがない。中国料理の真髄、その本質を理解していれば納得できるんじゃないでしょうか。いや、中国料理ってことじゃなく、優れた料理がどういうものかが理解出来れば、納得のはず。もっとも、山下君、四川系以外の料理に関しては、いささか弱点があったりするのは事実ですけど。

 同じく「吉華」の出身で、東久留米の「枉駕」のオーナー&シェフの本多敏さんも「板」の技は見事です。「鍋」はいささか慎重ですが、きっちり、確実。なんて、「枉駕」には行ったことがないんですが、「吉華」にいた当時、久田さんの留守番を勤めたいた頃の本多さんの仕事ぶりを知っていますから、「板」と「鍋」のセンス、技量については承知済。

 もっとも、山下さん、本多さん、いずれも店を始めてから時間もたつし、メディアには登場済み。「新しい店もほしいな」という編集のMさんの要望もあって、思いついたのはビルの改装中、神楽坂に一時本拠を移し、この9月に銀座に戻って新装開店した「芝蘭」の下風慎二さん。

 もっとも、四川飯店から独立してから今年で15年。年齢も50歳、ということから新進の料理人というには相応しくない。ですが、その姿勢と意欲は、若い料理人に負けてはいませんし、どこかヤンチャ坊主の雰囲気あり。

 吉祥寺の「竹爐山房」の山本豊さんのもとにい若い料理人の活躍も見逃せない。開店しばらくの頃から15歳で店に入り、修行を始め、山本豊さんの一番弟子とも言えるのが、現在、経堂の「彩雲瑞」のオーナー&シェフの千秋君。ミシュランで一つ星を獲得した三田の「桃の木」の小林武志さん、大阪で話題の「一碗水」の南茂樹さんも同店の出身。それに、「神田 雲林」の成毛幸雄さん、祖師谷大蔵の「御膳坊」から独立し、現在は幡ヶ谷の「美虎」のオーナ&シェフになった五十嵐美幸さんも、勤めていた店がありながら、意欲に燃えて山本豊さんから様々なことを学んだきた、言わば山本豊さんの外弟子。
 
 そうだ、「神田 雲林」の成毛さんの料理は、外弟子ながら、色、味、香りなど、山本豊さんのそれを一番反映してる、かも。

『OILY BOY』の「東京の中国料理最新情報」の3

 たとえば四川飯店の陳健一さん。「dancyu」で「麻婆豆腐」の作り方を教わるという企画があって、当初は日本に一般化した陳建民式のそれ、という予定。それじゃありきたりだし「ねね、陳さん、本場風に牛肉使って、「花椒」の痺れ味がしっかり利いたのをやって、やって!」 とねだりました。

 「メニューには乗っけてないんだけど、いいよ、やりましょ」ということで急遽、dancyuでは牛肉を素材に「花椒」の聞いた本場式の「麻婆豆腐」を紹介。同誌で本場風の「麻婆豆腐」が紹介されたのは、それが初めてのことでした。

  実はそれまでに「吉華」でも「麻婆豆腐」については久田さんに同じようなことを頼み込んでいました。もっとも、肉は豚肉でしたが、「花椒」の痺れ味をしっかり利かせてもらっていたものです。たまたま同席してそれを食べた友人が「吉華」に出かけた際、「麻婆豆腐」を頼んだところ、同じものじゃなくって大いにがっかり。

 そんな話を聞きつけ、「なら「花椒」の利いたやつ、本場風にと頼めばいいから」と、教えたもののいざとなると「花椒」が思い出せない。思わず「小倉さんのアレ!」と注文したところ、最初は首を傾げてた久田さん、ハタと膝を打って「花椒」たっぷりの「麻婆豆腐」を作ってくれたそうです。

 四川飯店がそうだったように「吉華」でも本場式の「麻婆豆腐」はメニューはなし。しかし、言わば「裏メニュー」として評判を呼び、私以外にも同種の「麻婆豆腐」を求める客がいたようで、いつの間にやらたいての四川料理店の「裏メニー」となり、やがてはメニューに定着、なんてこともありました。

 時を経て、当時、気鋭の料理人と語られた久田大吉、山本豊、河田吉功さんらは、今や大御所。もちろん、現在も第一線で活躍中です。
 それより、ここ5~6年、一挙して若い料理人がオーナ=&シェフとして店を構え、メディアで評判に。
 そんな中にかつて久田大吉、山本豊、河田吉功さんのもとで修行し、あるいは関わりのある料理人が少なくない、なんてことにも気付き、その3人に限らず、東京の中国料理人、店の系譜を探ってみるのも面白いかもと思い立ち、調査を開始しはじめていたのでありました。

『OILY BOY』の「東京の中国料理最新情報」の2

 「東京の中国料理最新情報」といっても、開店したばかりの新しい店の紹介ってわけじゃない。 そのあたりは専門のフードライターにおまかせです。それより、編集のMさんから提案のあった中国料理の若い料理人の動向については、かねてより関心があり、機会をみつけては話題の店、興味ある料理人の店に出かけていました。

 ということで、今回の5軒、5人の料理人を選ぶにあたって、まず思い浮かべたのは80年代から90年代にかけて私が興味を抱き、やがて気鋭の存在としてメディアも話題を呼んだ何人かの料理人。

 まずは吉祥寺「竹爐山房」の山本豊さん。上野毛の「吉華」久田大吉さん。神泉の「文琳」の河田吉巧さん。いずれもオーナー&シェフで、街中の老舗、大型店やホテルの中の中国料理店とは異なり、小ぢんまりとした店構え。

 山本豊さんはかつて湯島の聖堂の料理部在籍時に学んだ知識をもとに、中国各地の地方料理だけでなく古い文献もあたってそれを再現。日本では滅多に出会えない淮揚系の料理などに積極的に取り組んでいました。色彩豊かな盛り付け、洗練された上品な味わい、香りが特徴で、二人から楽しめるコース仕立ての料理が話題になったものです。

 河田吉功さんは代官山の「LINKA」の料理長時代、辻調の松本先生に紹介されました。その後「文琳」のオーナ&シェフに。骨董など、器集めが趣味。ということで、器選びにセンスの良さを発揮。野菜料理が得意ってことで評判でした。四川料理畑の出身ながら柔軟な考えの持ち主で、いろんな地方料理からアイデアを得て独自の工夫を凝らした料理に出会えました。

 久田大吉さんは四川飯店で陳建民さんのもとで学び、独立し、後に上野毛の「吉華」を構えた人物。もと柴田書店勤務で専門料理の編集部にいた上原さんに教えられて出かけたのがきっかけです。
 その頃、私は「専門料理」で1年あまりエッセイを連載。ついで当時の香港の広東料理の最新事情を紹介したことがありました。香港で話題、評判だった福臨門、麗晶軒、凱悦軒、麒麟金閣、農軒などの料理を紹介。それをご覧になった久田さん「この小倉エージって、どういう人?」と上原さんに尋ねた、なんて話を後で聞きました。

 当時、一般雑誌などで香港の食事情を紹介していましたが、プロの料理人が読者である「専門料理」に私がいきなり登場し、香港の食事情を紹介したものですから、驚く、というより「一体、誰?」と思われて、当然だったと思います。

 湯島聖堂の料理部出身で、山本豊さんの兄弟子にあたる神田の「龍水樓」の箱守不二雄さん、立川のリーセント・パーク・ホテルにいた脇屋友詞さんなどに出会ったのは、それからしばらくしてからのこと。前後して、90年にdancyuが発刊され、料理人への関心が高まっていった時期でもあり、料理人の取材を依頼され、いろんな料理人と出会いました。 

2008/12/16

『Oily Boy』

風邪なのかどうか、数日、寝込んでしまいました。

 さて、『OILY BOY』。
 すでに本屋の店頭で見かけた方もいらっしゃるかも。オヤジ向けの『popeye』です。創刊当時そのままの表紙もさることながら、主にファッションを中心にした最新の情報、諸々のウンチクの再確認などですが、そのレイアウト、デザインは、昔のまんま、あの頃のあの感じがまんま復活。

 本屋の店先で隣に並ぶ男性誌とは、表紙、デザイン、レイアウト、さらにその内容、なんだか異色、というか、異質。アナクロな感じがしないでもない。けど、今の雑誌にないものがある。そう、ここ最近の『暮らしの手帖』や『四季の味』なんかに通じる世界。
 これ、もしかして、これ、オヤジよりも、若い連中に受けるのかも、なんて思ってたら、他からもそんな話が。

 その『OILY NBOY』の編集に関わったMさんから誘われて私も同誌に登場。
「『今度、“OYAJI POEPEYE”が出るんですよ、オヤジ向けの『popeye』。エージさんもなんかやんない?」なんて話を聞いたのは今年の夏。で、色々企画が持ち込まれ、二転三転、結局落ち着いたのは「東京の最新中国料理事情」という食のコラム。

 そうです、昔の『popeye』』のコラムの感じ。見開き2ページでの登場です。
 昔と違うのは、縦割りのレイアウトが横並びになったことでしょうか。
 当初、私としては「東京の最新中国料理事情」のコラムってことじゃなく、一軒一品豪華主義で、見開き2ページなら、二軒二品なんて心積もり。

 「う~ん、やっぱ、コラムっぽいのがいいから、五軒、五品かな。店によって二品もあり、なんてのもいいですけど」と編集のMさん。
 「それより、去年の暮れ、教えてくれたでしょう?ほら、吉祥寺の「竹爐山房」出身の千秋さんが経堂で始めた「彩雲瑞」。あん時、言ってたじゃない、あの頃の名店にいた若い料理人が、今、店主になって、話題になってるって。そんな世代交代の情報なんかも入ると、おもしろいかな?」。

 なんてことから、5軒、五人の料理人を選び出し、紹介ってことになりました。その結果が『OILY BOY』の「東京の中国料理最新情報」です。

2008/12/06

閑話休題 《米芝蓮指南香港澳門2009》、ミシュランガイド 香港・マカオ版

 香港の知人からニュースが届いたのは3日の朝。この5日《米芝蓮指南香港澳門2009》、つまりはミシュラン香港・マカオ版の発売に先がけ、2日に記者会見。そこで明らかにされた星を獲得した店のリストを報じたニュースが送られてきたという次第。

 ミシュランの東京版に続いて、香港・マカオ版が出版されるという話は伝え聞いていたことから、香港のニュースをチェック。たまたまその日はニュースのチェックを逃していたところに知人からのニュースが到着。早速、ニュースを検索して結果を知りました。追って、ミシュランの代表のナレ氏のコメント、さらには、地元の反応などの記事もゲット。

 ちなみに、香港で3つ星に選出されたのはフォーシンズ・ホテルの「龍景軒」のみ。
 2つ星は同じくフォーシズンス・ホテルの「Caprice」など7軒。その内、中国料理店は広東料理のシャングリラ・ホテルの「香宮」、アイランド・シャングリラ・ホテルの「夏宮」など、ランガム・プレイス・ホテルの「唐閣」の3軒。

 1つ星は14軒で、中国料理店は広東料理の「福臨門(湾仔)」、「鏞記」など12軒。 マカオではリスボア・ホテルの「Robuchon a Galera」が3つ星、広東料理店の桃花源小廚が2つ星、MGM・グランド・ホテル内の「金殿堂」など4軒が選出されたもの。

 様々なニュース報道によれば、調査員は12人(20名という報道もあり)のうち香港・中国を専門にする中国人調査員は2人(2名とも香港人という報道と、1人だけが香港人という報道あり)。
 ナレ氏が明らかにしたところによれば1万2千500軒から1200軒に絞込み、さらに調査を重ね、結果、香港・マカオから251軒を選出。香港は202軒でそのうち22軒が星付きで紹介。3つ星に選んだ「龍景軒」は、12回通って、いずれも満足な結果が得られた、なんてことでした。

  そのリスト見ると、やはり、ホテル内の料理店が圧倒的に多い。ということは、なんかワケありな様子。ほら、昨年、「東京ミシュラン」では、なんでだかホテル内の料理店が圧倒的な数を占めていて、不思議というか奇妙な印象受けましたから。
 それって、旅行者にとって便利だから?というわけでもないでしょう。そう、同著については、星がついたとかつかないとか、あの店がなんで掲載されてないの?などと、料理店のことばかりが話題になりましたが、同時にホテルの評価も掲載されてました。その評価はともかく、紹介、掲載にあたって、なんだか談合事項、裏工作なり?なんて疑われてしょうがない内容でした。その点について鋭く突っ込んでいたのが、あの「歩く時限爆弾」こと勝谷誠彦氏です。勝谷氏は鋭くい!私も同じ見方です。

 その一方で、今回の《米芝蓮指南香港澳門2009》では、麺粥店や小食店なども選ばれてます。日本ではラーメン店がオミットされていたのに。というあたりが面白い。
 ですが、全体的な評価については「外人口味」、つまりは外人の好みで選んだもの、中国料理のことを全く理解していない!といったように、疑問じゃなくて批判、反論続出。

 ちなみにナレ氏「フランス料理をフランス人以外の人間が評することもあるように、中国料理を中国人以外の人間が選んで何がおかしい!」とシレっと(あ、しゃれじゃありません!)発言したそうで。というよりも、記者会見時、地元メディアの容赦ない鋭い突っ込み質問攻めに、たじたじとなった場面もあったとか。日本での記者会見とはその様子、大いに違ったようですね。

 「米芝蓮指南香港澳門2009」については、現物を香港の知人が送ってくれるそうなんで、追って内容を紹介したいと思います。

2008/12/04

「香港的小菜」~11月の「赤坂璃宮」銀座店の5

 さて、最後の締めくくりの「麺・飯」、今回は「咸魚煲仔飯/塩魚の豚挽き肉入り土鍋ごはん」。















 この6月の「赤坂璃宮」の銀座店の最後に登場した「咸魚肉餅煲仔飯」と基本的には同じです。ですが、6月の時には一人前用の小ぶりの煲仔で登場。今回は、大きな土鍋で登場。その量、8人前分ぐらいはありそうなぐらいたっぷり。それに「咸魚」の種類、前回は「馬友」でしたが、今回は「曹白」。

 「曹白」はニシン科のこのしろで、身は平べったくて、小骨が多い。香港の中華資本のデパートやスーパーで比較的簡単にゲットできる瓶入りオイル漬けの「咸魚」のほとんどは「曹白」だったりします。塩漬け醗酵でもいくら生っぽさが残っていて香り、というか独得の臭みのある「梅香」が特徴だったりする「馬友」に比べ、匂い、臭みは控え目。それに、身が平べったいせいか乾いた感じで、塩味も強い感じのものが多い。その分、肉餅に使うには「馬友」よりもむしろ「曹白」の方がむいてるんじゃないか、っていうのが私の持論。

 香港では「梅香」の「馬友」は値段も高価。なんせ質のいいもの、香りのいいもの程、値段が高くなる。それにくらべて「曹白」は質、状態が安定したものが多く、しかも比較的値段も手ごろ。ということでは、家庭で使うには格好ですし、特に瓶詰めのものだと、使いきれない分、保存もできますから使い勝手もよくて、重宝です。

 今回の「咸魚煲仔飯」の肉餅は慈姑も入って、歯ざわりもよし。それに「曹白」を使ってることもあってか、肉餅自体の味付け、調味は控え目。とまあ、そのあたり、香港の広東料理店や一般家庭での味付け、調味と変わりなし。そうか、これも、袁さんならではの味加減、なのかもしれません。ほっと心和む優しい味付け。そう、お袋の味にも通じます。ほのぼのとした感じです。

 そして締めくくりのデザートは「芋頭渣渣/タロイモのデザート」。これまた、香港ではごくごく一般的なデザート。広東料理の店よりも、餐廳や咖啡舗、糖品の専門店などで常備されているもので、家庭でも頻繁に作られるもの。香港気分を満喫しました。

 というわけで、今回のコース、料理の組み立て、味付け調味、香港そのままの味、風味だったのに、盛り上がりました。そして、袁國星さんの料理手腕に魅せられました。東京で香港の味に出会えるのは、ほんとに嬉しい限り。要注目の料理人です。譚さん、頼もしい助っ人みつけていたんですね。香港の伝統の味、懐かしい味、これから袁さんのどんな料理に出会えるのか楽しみです。

2008/12/01

「香港的小菜」~11月の「赤坂璃宮」銀座店の5

 それから「金銀泡莧菜/ヒユ菜の塩玉子、皮蛋の上湯仕立て」。これは嬉しいメニューです。
 私の好物のひとつです。
















 青菜を使った料理、といえば誰しも思い浮かべる料理方法は「清炒」、じゃないでしょうか。青菜の炒めものです。それに近頃、東京や大阪の広東料理店では大蒜、唐辛子などとともに調味料の「蝦醬」で味付けした「蝦醬時菜」、あるいは「腐乳」を使った「蒜茸腐乳椒絲時菜」などが用意されるようになりました。

 ですが、これまで何度も繰り返し触れてきたように、日本の、東京の広東料理店でのその種の調味料を使った料理、どうも調味料の量が過ぎる感じ。なので、私の場合、調味料の加減、按配を尋ね「出来れば、控え目にね!」と注文します。

 それより私は「炒」じゃなくって、「上湯浸」、そうです、上湯で煮浸しにした青菜が好みです。油っこさ、しつこさから逃れられる、というのがその理由のひとつ。それに、「金銀蛋」、つまりは、塩漬けの家鴨の玉子の「鹹蛋」、それにおなじみ「皮蛋」をくみあわせたものなら、文句なし。

 ところが、うかつに「金銀蛋上湯浸」は頼めない。というのは、野菜、青菜の選択が難しい。青菜は季節に応じて旬の素材が変わっていくわけですが、この料理、調理法だと青菜ならなんでも、というわけにはいかない。どちらかといえばクセのある強い個性、持ち味の青菜がうってつけ。

 もうひとつは「鹹蛋」、それに「皮蛋」の良し悪しというのもポイントです。そういえば、中国本土、香港あたりからの食品規制の問題も関係したことなのか、なんでも「鹹蛋」、「皮蛋」の入荷が難しく、ことに「鹹蛋」は入手困難、という話を耳にします。そんなことから、日本では家鴨の玉子の入手が難しいことから、合鴨の玉子を使って「皮蛋」、「鹹蛋」を作る、なんてこともあるそうで。
 それに、なによりも肝心なのは「だし」の「上湯」の出来不出来、その質が問題ですから。

 さて、テーブルにこの「金銀泡莧菜/ヒユ菜の塩玉子、皮蛋の上湯仕立て」(あれ?大藤さん、中国料理名は「金銀蛋上湯浸莧菜」じゃないですか?)「火腿」の千切りがトッピング、というのが嬉しい。それに馥郁とした香りが食をそそります。思い出すのはあの「ヘイフンテラス」で食べた「金銀蛋上湯浸菠菜」。散々な思いをした「ヘイフンテラス」で、許せる料理のひとつだった記憶が甦る。
 
 目の前にした「金銀泡莧菜」は「ヘイフンテラス」のそれを凌ぎます。しかも、その味、穏やかで優しく、上品で洗練されてます。味付けはしっかり。なのに、すっきりしていて、その味の軽さが印象的。だし、「上湯」の旨さ、料理そのものの風味、香りが素晴らしい。

 肝心のひゆ菜の「莧菜」。最近になって「紅ひゆ菜」としてスーパーに並んでいるのを見かけました。その葉は、ほうれん草を丸くした感じ。それも、葉の周辺は緑ですが、葉の真ん中、茎のあたりは紫色で、茹でると赤紫の色が滲み出る。紫蘇の葉の赤紫ににてなくもない。

 そんなのともう一種、中央が赤紫じゃない青葉のまんまというのもあるようで、今回のはそれを使った様子。ひゆ菜はクセがない、というのが多くの人の感想ですが、やはり、独得のえぐみ、苦味がある。確かにその葉はほうれん草に似てますが、その味、風味はもっと緑の感じです。

 「ねね、このほくほくの玉子の黄身の感じ、とっても美味しい!」と、メンバーのIさん。「なんか、どっかで食べたことがあると思ったら、ほら、チーズの味、チーズのミモレットの味に似てない?」なんてコメントに、思わず「ドキ!」。

 そうです、まさにその通りだ! 思わず「鋭い!」と、そのコメントに感心しきり。
  「鹹蛋」のこくのある濃厚な美味を、そんな風に語った人は、これまではじめて。
 早速これから、私も使わせてもらうことにしました。

「香港的小菜」~11月の「赤坂璃宮」銀座店の4

 そして「四川汁大蝦/天然海老の四川風炒め」。
 思わず「ン!?」。
 だって、広東料理が看板の「赤坂璃宮」で「四川風」ですから一体どうな風なのかと興味津々。

 「四川風」ってことなら、今、東京の中国料理、ことに四川料理を看板にする店では必須の項目、花椒の痺れ味、唐辛子系の辛味をふんだんに利かせた「麻辣風味」? あ、そか、海老の料理ですからそんなわけはないか。

 そうです「エビチリ」ですから。ってことなら、今、東京の中国料理、ことに四川料理を看板にする店で、「これが本場の「エビチリ」なんです!」なんてことで、「豆板醤」による日本に一般化したそれ!じゃなくって、最新のトレンドとなりつつある唐辛子の漬物の「泡辣椒」を使ったアレ!な、わけでもないだろうしな。














 「ね、この「四川風」ってどういうの?」と、思わず支配人の大藤さんに尋ねました。
 「ええ、あの、辛味も利いてますが、甘味もありまして・・」なんて答え。
 「え!? するともしかして?」と、大藤さんの答えに、即座に思い浮かべたのは香港式、香港風の「四川風味」、「京(都)式風味」。

 以前紹介したことがある陸羽茶室の「京醤肉麺」。旺角にある粥麵店の好旺角の「京都炸醬麺」の甘辛の味です。そうです。辛味を利かせてありますが、甘味もあり。甘辛の濃厚な味付け。それも、ピリ辛味でも四川の「豆板醤」のそれではなく、香港、広東地方で唐辛子みそとして一般的な「辣椒醤」系の辛味です。

 ついでに言えば、それが潮州系の店、ことに麺粉店になると唐辛子みその「辣椒醤」ではなく、唐辛子を油で煎り焼きにしてつくる「辣椒油」を使います。早い話が「辣油」みたいなもんですが、ともあれ、広東系の辛味嗜好と潮州系の辛味嗜好には隔たりがあります。 なんて話になると熱弁を奮って潮州自慢がはじまるのがあの蔡瀾さん!なんだか、香港フリークでもごく一部にしか通じないマニアックな話の展開になっちゃいますね。

 もっとも、この「四川汁大蝦/天然海老の四川風炒め」は、陸羽茶室の「京醤肉麺」、好旺角の「京都炸醬麺」のような、こってりの甘辛味のくどさ、重さはなし。ピリ辛味が利いています。「辣椒醤」ではなく「辣椒油」、「豆板醤」系の辛味です。

 「そうか、これが「四川汁」、四川風の辛味なのね」と納得。
 しかし、辛味だけじゃなくって、やっぱり甘味も利いている。酸味も利いている。お酢の味です。それも、火を通した酢のあたりの柔らかな酸味、それに酢に火を通して生まれる甘味、旨味が、こくを生み出す要因にもなっている。ですから、味は重層的。

 とどのつまり、明らかに香港人にとっての「四川風味」。香港人がイメージする四川の味、というわけです。そのあたり、陳建民氏の多大な功績により日本に定着した、日本化された四川料理と似ていなくもない。ですが、そこはそれ、それぞれのお国柄、というか、風土、土壌を背景にした食嗜好を反映、というのがおもしろいところです。とまあ、話はますますマニアック。

 たとえば日本に定着した陳建民考案し紹介した「エビチリ」。おそらくはエビのみそ代わり。それに、氏が日本に同料理を紹介した当時、日本人は唐辛子をふんだんに使った辛味にはまだ馴染めなかった、なんてこともあって、トマト・ケチャップを使った。その甘味とこくが味の決め手になった。しかも、トマト・ケチャップには酸味もあり。それに火を通せば、旨味、こくをます。ということで、もしかして醋の代わりを果たす役割に着目してのこと、だったのかもしれません。ともかく、陳建民さんはえらい!

 そして香港でも「エビチリ」にトマト・ケチャップという組み合わせが存在した。しかし、それは四川系からではなく「海派」、つまりは本土の上海系の料理人のアイデアによるものだったらしい、とは私がその足跡を調べてみての現段階における結論です。どうやら、陳建民さんが「エビチリ」にトマト・ケチャップを使ったそもそものきっかけは、そのあたりにあったのでは?と、にらんでもいるわけです。

 ところが、日本と香港では味の嗜好が違った。結果、日本で一般に広く浸透した陳建民氏による「エビチリ」は、辛味だけでなく甘味もあり。同時に、酸味の利いたすっきり爽やかなそれが浸透。
 ところが香港では、甘味と辛味の両極端な味が混在すると同時に、酸味の利いた爽やかさよりも、火を通した酸味が生み出す旨味、こくを加味した濃厚な味のそれが浸透した。

 先に紹介した陸羽茶室の「京醤肉麺」、好旺角の「京都炸醬麺」がそれを端的に物語ります。というより、香港における四川料理の特徴的な味、だったりするのですね。それについては拙著「香港的達人」における四川料理の紹介でふれてきた通りです。

 話が横道にそれすぎました。ですが、今回出会った「四川汁大蝦/天然海老の四川風炒め」、香港ならではの味、昔懐かしい香港ならではの四川風味、ついでにいえば辛味を利かせた北方の料理に通じる味。そんなことに興奮を覚えずにはいられませんでした。



 おもしろいのは「時蔬XO双蚌/ミル貝とホタテ貝柱のXO醤炒め」では、素材の下拵えや仕上げにとろみ付けはほとんどなし。なのに、この料理に限っては、たっぷりのとろみ付け、なんてところが昔懐かしい感じです。

 この料理における辛味と混在する甘味の感覚、センス、まさしく昔ながらの伝統的な広東料理の味付けに通じるものがあります。昔懐かしい、香港ならではの味付け、風味です。洗練された上品な味、風味のある料理を生み出す袁さんですが、もしかして、昔懐かしい香港の味、懷舊菜の数々を再現した料理が得意だったりして。なんてことなら、楽しみが倍増。袁さんの料理が楽しみになりました。

2008/11/29

「香港的小菜」~11月の「赤坂璃宮」銀座店の2

 2品目は「時蔬XO双蚌/ミル貝とホタテ貝柱のXO醤炒め」。















 海鮮の魚介、それもミル貝に貝柱という組み合わせが実にゼータク。香港の広東料理店の海鮮料理のメニューにありそうでいてないかも。というのは香港だと海鮮を看板にする店で、貝柱といえばタイラギの「帶子」がほとんど。それが日本の場合にはホタテ貝の貝柱が使われます。

 そんな貝柱、生のまま刺身にして食べるのもいいですけど、火を通せば旨味凝縮、風味を増します。そういえば我家ではもっぱら昆布〆にして食べることが多い。で、中国料理、広東料理で火を通すには油通しの「油泡」、両面を油焼きにする「煎」などがあります。

 いずれも素材をいきなり油通しや油焼きにするわけじゃなくって、それぞれ下拵えあり。下味つけるってこともありますが、粉をまぶして素材を包みこみ、調理ってことが多いようです。で、今回はミル貝、ホタテの貝柱、それに、季節の野菜類をそれぞれ「油泡」したあとで、最後に一緒に炒め合わせ、「XO醤」で調味、ってことでしょう。

 ミル貝はこりっとした歯触り、噛み応えのある触感。それに対してホタテの貝柱は、すっと歯が入る柔らかさで、ほどほどのねっとり感もあり。貝2種の触感の対比が面白い。しかも、火の通し方が絶妙。貝類独得、特有の甘さ、旨さがいきなりガツンではなくって、繊細で緻密な味、風味が浮かび上がるという按配。繊細で軽く、上品な味、風味に思わず「わお!」なんて思いました。

 その味付け、風味、まさに香港のそれ!だったからです。 もしかして一般の好みに照らし合わせると、味がたんない、なんて言われるかも。そうなんです、香港の広東料理、海鮮料理の味付けって、日本で想像する以上に軽くて、すっきり、さっぱり、なんです。

 野菜は蓮根、慈姑、パプリカ、さやえんどう、もやしです。それに香味付けの葱の根本の太い部分も。その蓮根、慈姑のぱりぽりの触感の対比がこれまた快感!パプリカのくたっとした感じ、さやえんどうの青みが爽快。もやしは、しっかり根が切り落とされていて、さくっとした歯応えですっきり味。

 それより、味付けは「XO醤」なんですが、いかにも「XO醤」を使っております!なんて押し付けがましさがない。それでいて、「XO醤」の味、風味があり、という過不足ない分量、加減がまた憎い。

 そうです、これまでなんどか触れてきたように、「XO醤」に限らす、「腐乳」にしろ「蝦醬」にしろ、日本の広東料理店におけるその種の調味料を使った料理のほとんどは、ふんだんに使いすぎ、という傾向が強い。これ見よがし、なんてこともありますし、素材の持ち味を無視した味付けが多いもの。ま、日本の中国料理は味本位で、濃い目の味が好まれる、という客の要求に応えるってこともあるんでしょうが、それにしても行き過ぎの感、否めないことが多いもの。

 それにくらべてこの「時蔬XO双蚌/ミル貝とホタテ貝柱のXO醤炒め」。調味の加減、按配、繊細で、洗練された味、風味なのが印象的。それより、ここんところの譚さんの料理、メリハリの利いた力強さが特徴。なのに、この料理、味付け、香りが違って、譚さんの料理でもなし・・・・。

  そんなところに大藤さん「あの、本日、譚は所用がありまして、もうすぐ到着するかと思いますので」なんて話でした。「ってことは、これ、袁さんの料理?」と尋ねると「ええ、そうです!」なんて大藤さんの答え。その話に、疑問氷解。

 袁さんというのは袁國星さん。99年香港からやってきて飯田橋のホテル・エドモンドの「廣州」の料理長を今年の6月まで務めていた人物。そして今は「赤坂璃宮」の銀座店の料理長に。今年、46歳だったか、ともかく、繊細、上品で、軽い味。それでいて、風味が豊か。これが袁さんの料理なのか!
 まぎれもなく香港の味! と、新しい発見に胸がときめいたのでありました。

「香港的小菜」~11月の「赤坂璃宮」銀座店

 11月の「赤坂璃宮」銀座店、滑り込みセーフで月を越えずにブログ・アップが間に合いました。 まずは「金銭焼味盆/焼き物前菜盛り合わせ」。方形のお皿に、色合いが映える前菜が並びます。















 画像の手前3品が、メインの焼き物3品。右はこれまでにすでにお馴染みのはずの皮付き豚バラ肉の焼き物の「焼肉」。メンバーの誰もが楽しみにしている焼き物の一品。左ははじめてお目にかかった「胡麻和えの蒸し鶏」パリパリの皮の上に胡麻がびっりしまぶしております。その胡麻のプチプチ感、噛み占めればあの香ばしい味が弾けます。なおかつ鶏肉はしっとり、ジューシー。

 で、問題は真ん中に居座る焼き物。目の前にして、即座に「金銭鶏肝」だとわかりました。「これこれ!この「金銭鶏肝」、焼き物担当の梁師傳に頼んで作ってもらい、なんとか食べてみたいと願っていた一品。以心伝心ってことでしょうか。

 「金銭鶏肝」は、広東地方の伝統的な焼き物のひとつ。鶏の肝、つまりはレバー、それに豚の背脂、そえに豚のロース、肩バラや腿肉、豪華版なら「金華火腿」を組みあわせて、タレで焼いたもの。それも麦芽糖の蜜汁をたっぷりつけながら、ということから、こってり濃厚な甘味が特徴です。

 香港ではかつては広東料理店の宴会コースの主要な前菜の一品だったものの、いつの間にかコレステロール過多なことや、甘味、塩味しっかりの濃厚な味が敬遠されて、焼き物を扱う「焼臘店」でしかお目にかかれなくなっていたもの。ところが、ここ最近、昔懐かしい「懷舊菜」が話題になるに及んで、この「金銭鶏肝」も再脚光を浴び、看板の料理にする店が続出。はやり物には誰もがすぐなびいてしまう香港らしい話です。

 「赤坂璃宮」銀座店の「金銭鶏肝」は、焼けば半透明になる豚の背脂、レアな焼き加減でねっとりの触感と血の味を残した鶏の肝に、豚のロース肉という組みあわせ。こってりの濃密な甘味は控え目、というのがその特徴。梁師傳独自のレシピによるもの、ってことでしょう。

 「金銭鶏肝」に出会えただけでも、嬉しくなっちゃいました。

2008/11/27

閑話休題 ザ・フー・ライブ・アット・ザ・武道館

 「ふ~」なんてため息を漏らしながら、更新のブログ書きそびれて日が過ぎちゃいました。
 こんなことなら、今月も赤坂璃宮の月例報告、月を越えそう。なんて事態は避けたいと思い、一応、下書きは用意してます。

 こんな事態になったのも、10月の半ば以来、連日、中、小のホール、演芸場、ライヴ・ハウス通いが続いたからです。連日なんてことはないにしても、週に何度かコンサートへなんてのはよくあることです。が、夜だけじゃなく、昼、夜、立て続け、なんてことがしばしば重なって、日頃とはいささか異なる行動に、あたふたした日々を送ったからでありました。

 もともと閉所恐怖症で密室空間に長時間居続けることが苦手。コンサート評などを書かねばならないなんてことになると、やはり、右の耳、左の耳でしっかり、聞き届け、目の前の出来事を頭の中にしっかり刻み込む!というわけでコンサートが終わればどっと疲労がおしよせる。

 とはいうものの、コンサートでは知ってる馴染みの歌だったりすると、一緒に歌ったりする、なんてことから、結構、楽しんでたりすることもあるんですが。それでもさすがに昼、夜、立て続けに空気が止まったまんまの密室空間に居続けというのはこたえます。

 たとえば、先週の月曜日、昼間は横浜の関内ホールで秋元順子のコンサート。その足で九段の武道館で、ザ・フーのコンサート。ザ・フー・ライヴ・アット・武道館。
 これが凄かった。今年見たコンサートの中では間違いなくベストのひとつ。

 その翌日、昼間は会議。夜は後楽園ドームでビリー・ジョエル。秋元順子のコンサート評を書かんといかんし、どうしようかなと思いながら、やっぱり、その場にいて雰囲気味わったり、見ておかない、ってことででかけました。

 久々に見た(聞いた)ビリー・ジョエル。のっけからヒット曲が立て続け。「これって美味しい曲ばっかりだね!」と、隣に座った立川直樹先生。うん、確かにそうだ。

 ビリー・ジョエルといえば、78年の暮れ、ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンでの公演が忘れ難い。その前年に発表した「ストレンジャー」から立て続けにヒットが生まれ、それまでホール・クラスの公演が続いたビリー・ジョエルが、初めてアリーナ・ツアーを実施、なんてことで話題を呼んでました。

 そういえば、ブルース・スプリングスティーンが、ライヴ・ハウス中心の公演からホール・ツアーを一気に飛び越え、アリーナ・ツアーを実施したのもその年のことで、たまたまシアトルでそのツアーを見たものです。

 後楽園ドームのビリー・ジョエルの公演を見ながら、マディソン・スクエア・ガーデンで見た時のことが甦りました。懐かしいヒットが立て続け。もちろん、一緒に歌いながら、なんか、どっか、違うんだよなあ、という違和感をぬぐえない。なんというか、ビリーはピアノを前にして熱演をくりひろげる。ところが、ビートのタイミングとか、リズム、グルーヴが昔とはなんだか違う。ドラム、ベースのリズムのアンサンブルが、昔と違うっていうのが、その理由じゃないかと思いました。あの頃、つまり、70年代から80年代にかけての頃とは、バンドのメンバーを一新。なんてのが、その大きな理由でしょう。リズムはタイトなんですが、寸詰りの感じ。おおらかさと言うか、強弱の変化、ダイナミズムがいまひとつ。なのに、なんだか馴染めない感じがしたものです。

 それには、前日、武道館でのザ・フーに打ちのめされた、ってこともあったからじゃないかと思います。今ではオリジナル・メンバーはロジャー・ダルトリーとピート・タウンゼンドを残すのみ。懐かしいヒットが続々繰り広げられる。けど、現役バリバリのザ・フーでした。

 カンフーのヌンチャクさながらに、マイクをびゅんびゅん振り回し、ガシっと手にして歌うロジャー。あ、1回、振り回したマイク、うけとめるのをドジりましたが、それでも、さすがの手さばき。それより、声に衰えがなく、しっかり贅肉を落としていてパワフルでパンチがある。「マイ・ジェネレーション」でのどもるように口ごもりながらの歌いぶりに、鳥肌が立ちます。

 ピート・タウンゼンドも、スリムな体系は変わらず。しかも、びゅんびゅん腕を振り回して、絶妙のパワー・コード・ギター・プレイを披露。かっこいいいことこの上ない。懐かしい昔の歌を聞かせるだけじゃなくって、エコロジー、地球の温暖化問題などについて言及したメッセージ・ソングなどもあって、それが、バシっと耳に届く。贅肉をそぎ落とした現役バリバリの演奏は、ストーンズも目じゃないぐらい、パワフルなのに、圧倒されました。そう、アメリカのバンド、懐かしい名前にひかれて見にいったら、ふとっちょのオヤジで昔の面影なし、なんてことがあるのとは実に対照的。

 そういや、バックにはリンゴ・スターの息子、ザック・スターキーが参加。そのザックの演奏もなかなかのもの。シンプルな味のあるプレイを得意としたリンゴとは対照的にテクニカルな演奏に持ち味を発揮。う~ん、でも、まだ、隙間感というか、ビート、グルーヴの間合いには、課題ありかも、と思いながら、けど、キックの強烈さと、フィルのセンス、なかなかのもんでした。

 家に帰って、ザ・フーのアルバムをとっかえひっかえ聞きなおしたりして。ブログの更新、遅れたのは、ザ・フーのせい、でもないんですが、ザ・フーのコンサート、すざまじく強烈でした!

2008/11/15

「家郷小菜」~10月の「赤坂璃宮」銀座店の4

 そして「梅子蒸肉排/豚スペアリブの梅肉蒸し」。 これは広東地方の伝統的な郷土料理、お惣菜の一品。広東料理店では「小菜」のメニューに、食堂などでは定食の一品になったりしていますが、家庭でも頻繁に作られる料理です













 

 豚スペアリブの「排骨」の料理といえば飲茶の一品として登場する黒豆醗酵みその「豆豉」をもとにして作った調味料の「豉汁」で蒸した「豉汁蒸排骨」の方が、馴染み深くてご存知の方が多いかも。その調味、味付けを梅干に代えたもの。

 あるんです、広東地方には塩漬けにした梅干しが。 梅干しを味付けにしてあるだけに、酸味が利いていて、爽やかな味、風味。しかも、火を通してありますから、ほのかな甘味、それに、旨味がある。
「これ、さっぱりして旨かった。それより、ご飯がほしくなるおかずだね」と、この手の料理が出てくれば、必ず「ご飯」のことを口にだすカメラマンのi-podさん。

 広東地方ならではのこんなお惣菜がコースに組み込まれる、なんてのが嬉しい。 ちなみにネットで「赤坂璃宮」のグランド・メニューの「牛、豬、鴿」をチェックしてみたところ「排骨」の料理は「スペアリブの特製ソース揚げ」が紹介されているのみ。 ということは、わざわざ作ってもらった? 恐縮します!なんていいながら、喜んでます。

 もっとも、この「梅子蒸肉排/豚スペアリブの梅肉蒸し」、素材、調味料は常備されているようですから、おそらく頼めば用意してくれるはず。事前に予約、というのが理想的かもしれませんが、広東地方の伝統的な家庭料理に興味ある人にはお薦めしたい一品です。家庭でだって簡単に作れますから。そのレシピは、ネットで簡単に検索可です。

 それから「香港雲呑麺/香港式雲呑麺」。ここでようやく私は皆さんの食事に追いつきました。もちろん、そのサイズ、メンバーに応じて超大盛り、大盛り、普通盛りの3種が登場。















 左が超大盛り。右奥の小碗が普通盛り。香港の麺粥屋でのサイズです。そうだ、地元気分を味わうのなら、あの小碗にして、お代わりを注文、なんてのも良かったかも。

 「でも、なんで、これ香港式なの?」なんて聞かれて、じっくり観察。
 「あのね、まず、麺の細さね。これ、香港の「生麵」とほぼ同じ細さ、だからじゃない?細いだけじゃなくって、腰があって、噛み応えが違うんだけど。でも、東京にも、あ、店の名前を忘れちゃったけど、香港風の「生麵」に近い細くて腰のある麺、作ってる製麺所があって、目黒の「白金亭」や三田の「桃の木」が使ってるだけど、それに、似てるような、近いような。でも、なんか、舌触り、噛み応え、それに、粉の味が違うな」と私。
 
 そこで「雲呑」を食べて、納得。香港の麺粥屋での「鮮蝦雲呑」そのまま、蝦のすり身がたっぷり。「雲呑」を噛み締めるとプルンとした皮(これまた、香港風の感じなんですが)、その具は蝦のすり身のぷりぷり感、それに、ジューシーな味わい、風味。「これ、これ!この「雲呑」こそ、香港そのままの作り方。皮もそれっぽい!」

 そんなところに譚さんが登場。
 「ね、ね、譚さん。これ、なんで「香港式」なの?「雲呑」が、「鮮蝦雲呑」そのまま、蝦のすり身がたっぷりだからなの?それに、この皮、香港風だし」と尋ねました。
 「そうそう、蝦のすり身たっぷりの「鮮蝦雲呑」だから、なんだけど、皮は日本製。問題は麺なんだよ。それ、香港からの空輸品。冷凍したのが日本に来るんだけど。ほら、麺の細さ、腰、噛み応えに、粉の感じが違うでしょ?」ってことでした。

 「いつもあるの?」と私。
 「いや、ある時は、店で出してんだよ」
 「ってことは、今日はありつけた、ってことで、ラッキー!」
 思わず、盛り上がっちゃう私です。

 そうか、香港の麺でも、麺粥屋での「生麵」とは一味違ったりする料理店でだすような「生麵」だったわけですね。
 麺が旨い。それに、皮がつるんで具がぷりぷりの「雲呑」が旨い。それに、だしが旨い。しっかりすべて平らげちゃいました。画像は私の「大盛り!」。


 デザートは「黒芝麻湯丸/白玉入り黒胡麻のデザート」。香港の伝統的な「甜品」のひとつ。ほっと心が和み、胃が落ち着くデザートです。 10月の「赤坂璃宮」銀座店、広東地方の郷土料理、家庭的な惣菜の数々「家郷小菜」をしっかり味わったのでありました。

2008/11/12

「家郷小菜」~10月の「赤坂璃宮」銀座店の3

 続いて「生抽焗中蝦 車海老の中国醤油風味煎り焼き」。















「中蝦」というからには中ぶりの「車海老」老で、「才巻き」よりも大きい。殻つきで背中に切り身が入ってます。 この料理については先に「広東地方の郷土料理シリーズ 遅ればせながらの2008年「夏の巻」の4」で触れてきた通り。そのうち、中国醤油の「生抽」で風味づけしたもの。海老の上には葱、生姜のみじん切りがたっぷり。なんせこの料理、手づかみでむしゃぶりつきたくなります。というのも、殻が旨いから、です。

 火を通した海老の殻の味、風味は格別で、おまけに醤油の味、香ばしい風味が入り混じって、いきなり海老を噛み締めるんじゃなく、チュバチュバと殻にしゃぶりつかないではいられない。殻はそのままかぶりついてもよし、殻をはずして身だけを味わうのもよし。

 「車海老」の場合、「才巻き」に比べて殻が厚くて、固い。殻つきのままなら、バリっと噛み砕く要領で。そして、海老の身は背中を割いてあることもあってか、ちょい火が通り気味で、少々身が固かった。そうだ、私、遅れて参加しましたから、出来立てじゃなかった、てのもその理由かも。

 でも、海老の身の旨さだけでなく、殻の美味、香ばしさが、たまらない!と、出来立てを食べたメンバーには好評の一品でした。

 それから、な、なんと「西洋菜陳腎湯/合鴨と鶏の砂肝とクレソンのスープ」が登場。 香港や広州の広東料理店や大衆食堂での日替わりのスープの「例湯」でおなじみのスープ。家庭でも頻繁に作られるスープです。














 私の好きなスープのひとつで、たまに、作ったりしますが、香港では値段が手頃、というよりも安価な「西洋菜/クレソン」が、日本ではばか高い。ひと束、2~3房だけでも結構な値段。このスープを作るにはクレソンがどっさり必要ですから、材料代がばかにならない。

 それに、調理は簡単。なんせ、素材を鍋に放り込んで、ひたすら煮込むだけ。もっとも、ゆうに2~3時間は煮込見続けるのが必須の条件、ですから、いささか手間隙がかかる。

 それよりも厄介な問題があります。というのは、本来は家鴨の砂肝を使いますが、日本ではその入手が難しい。それも、干したもの(だから陳賢なのですが)、新鮮なもの(ということで鮮賢といいます)が必要。そんなことから、香港で入手した家鴨の砂肝を使い、新鮮なそれは鶏の砂肝で代用。

 譚さんも、その点、このスープを作るのには苦労あり。聞けば、なんと合鴨の砂肝を入手。鶏の砂肝、ともども、店で乾燥させたもの、だそうです。そんな工夫と苦労の産物であるこの「西洋菜陳腎湯/合鴨と鶏の砂肝とクレソンのスープ」、砂肝を使っていても、クセなんてみじんもない。すっきりしていて、爽やかです。穏やかで優しい味、風味。ほっと心が和みます。















 そうだ、確認しそびれましたが、だしの基本は、豚の赤身肉の様子。鶏肉でとったダシとは違って、なんというか、押し付けがましさのない旨味がある。それに、少しばかり酸味が顔をひょいと覗かせる。クレソンの緑の味も、火を通してほろ苦さが抑えられてます。
 なんとも滋味豊なスープです。ほんとに幸せな気分になりました。
 で、最後の画像、手前が合鴨、奥が鶏の砂肝です。

2008/11/11

「家郷小菜」~10月の「赤坂璃宮」銀座店の2

 そして牡蠣の葱、生姜炒めの「姜葱鮮生蠔」が登場。「蠔油」、つまりオイスターソースは広東料理の主要な調味料。それからも明らかなように広東地方の沿岸部では牡蠣を収穫。香港の新界の西北部にある流浮山も牡蠣の産地として知られ、オイスター・ソース、それに干し牡蠣が名物だったそう。干し牡蠣は「蠔豉」と称され、戻して煮込み料理などに使われます。特に旧正月、春節には縁起を担いだ一品である「發財好市」の主素材になります。つまり「好市」と「蠔豉」が同じ音、ってことにちなんだもの。

 ところで、香港の料理店で生牡蠣を使った料理といえば、九龍城市の創發で牡蠣のかき揚げの「蠔烙」を食べたことがあるぐらい。たとえば香港で、生牡蠣を扱う店がないわけではない。ネットで検索すれば明らかですが、日本料理の店や寿司屋で刺身の一種として扱われるか、ホテルなどのレストランでフレッシュ・オイスターとして供される、というのがほとんどの様子。しかも、大抵は日本、あるいはオーストラリアはじめ、外国からの輸入物。地場物の生牡蠣を扱う店はない様子。

 もっとも、料理本、ネットなどで検索してみれば明らかなように、牡蠣を素材にした料理として「姜葱鮮生蠔」が紹介されています。ということからすると、かつては地場物の生牡蠣があり、それを調理していたらしい。ところが、最近では、地場物の収穫は少なく、収穫しても加工用にされ、食用には海外からの輸入物が使われる、ということらしい。その辺りの事情、再調査の要あり。

 ともあれ、生牡蠣を使った料理は、創發の「蠔烙」以外に思い出すものがない。「姜葱鮮生蠔」も未体験。むしろ、日本の広東料理店で食べた覚えのほうが多いくらいです。

 さて、今回の「姜葱鮮生蠔」、牡蠣は生をそのまま炒めたものでなく、軽く衣で包まれています。それを「煎」、つまりは油で焼きつけ、それから、葱、生姜で炒めあわせた様子です。















 食べてみて「あ!これはいい!技あり!」なんて思ったその1は、牡蠣が軽く衣で包まれ、油焼き、というか、下揚げしてあったこと。生の牡蠣をそのまま油焼きにすれば身が縮み、外側が張り詰めたような感じになる。噛み締めれば皮が弾ける感じ。牡蠣を衣で包んで油焼きにすると、生のまま油焼きにしたのとは触感が違います。噛み締めると中の身は柔らかく、火が通っているものの、モア・ザン・レア、ビフォア・ミデアムの状態で、身は柔らかくてジューシー、牡蠣のエキス、海の味があふれ出し、零れ落ちる感じ。旨さは格別。なんといっても風味がある。

 「あ!これはいい!技あり!」と思ったその2は、油焼きした牡蠣を、そのまま葱、生姜と炒めるのではなく、少々のだしを張り、オイスターソースで調味してあったこと。油焼きした牡蠣にオイスターソースのコクのある味がからめてある。さらに、噛み締めれば、牡蠣の身の新鮮でフレッシュな味、風味が弾け出す。外側と身の味、風味は対照的。2種の味、風味を味わえる。

 ちなみに牡蠣は宮城の広田産のものだそうです。ぷっくり、ふっくら、肉厚で大ぶり。それでいて、味、風味のある日本の牡蠣だからこそ可能な料理でしょう。そんな素材の見極め、持ち味を生かした調理、味付けです。譚さんの技、工夫は見事でした。

2008/11/08

「家郷小菜」~10月の「赤坂璃宮」銀座店の1

 10月の半ば以来、今年、2年ぶりに芸術祭の審査を担当。とある雑誌の取材なども重なり、ブログの更新、ままなりませんでした。そんなことから「赤坂璃宮」銀座店の月例報告、またまた月を越えてからになってしまいました。

 それより、その日、といのは会議のある日、いつもとは違って変則的に日時が変更。なんてことをすっかり忘れてしまっていたもんで、連絡受けて慌てて出席。会議に遅刻しちゃいました。あ~あ、今月は最後の麺か飯を超大盛りで済ますしかないか、なんてユーウツな気分で駆けつけたところ、私の分を取っておいてくれたおかげで、コースの料理、全部、味わえました。というわけで、メインの料理の画像は、会議仲間のi-podさんが撮っておいてくれたもの。それも、私の愛用してるデジカメより、写りがよかったりして!

 さて、10月の「赤坂璃宮」銀座店の前菜、これまでは「焼味拼盤」ってことで各種の焼き物やたれ仕込みの冷製などの盛り合わせ。ところが、今月は2種に絞りこんで、それぞれしっかり、たっぷり味わえるという趣向。
 そのひとつが、メンバーの脆皮焼腩肉の何よりものお気に入り、好物で「これこれ、これ、ほんとに美味しいんだよね!」と、毎月、絶賛の皮付きバラ肉の焼き物の「脆皮焼腩肉」。 














 いつもなら1切れだけ。それも最後までとっておいて、愛おしく味わうのがi-podさんの常。それが、今回は一人分が4切れ。i-podさん、大いに喜んだのに違いありません。

 「赤坂璃宮」銀座店の「焼肉」は、ほんとに旨い。皮は ザラっとした感触があり、仔豚とは違って厚みがあり、噛み締めればせんべいやおかきのような「ぱり」とひび割れる「脆」の感触、そうです、脆さが堪らない。その皮の裏についた、焼かれて白くなった脂肪は皮とは対照的にとろっとした滑らかな感触。しかも、甘くて旨い。それに肉、柔らかくてじゅわとジューシーな味わいが滲み出る。そんな脂と肉が重なりあって五層になってます。

 それに続いて前菜としてもう一品「璃宮鹽水鶏/塩味スープ漬けの伊達鶏の冷菜」が登場。「鹽水鶏」と知っただけで私は思わず興奮。












 この料理、丸ごと一羽の鶏に塩をまぶして、しばらく寝かせ、蒸す方法と、塩水、といっても、厳密は塩だけじゃなくて香草や香辛料で作ったたれ汁の「滷水」を沸騰させたところに丸ごと一羽の鶏を入れ、火を止めてじんわり火を通していく、という料理方法があるはず。「白切鶏」と同じ要領。ですが、煮込み汁の内容、香味野菜、香辛料の加減が違ったりします。

 今回の「鹽水鶏」、日本語の表記にもあるように後者の料理方法で作られて様子。皮は滑らかでつるん、ぷりん状態。で、肉はしっとりとした肉質、噛み応えで、塩味が利いたしっかりした味わい。しかも、その「塩梅」、すなわち塩加減が鶏の持ち味を引き立てていて、味わい深い。

 「いつもの前菜の鶏よりシンプルな感じの作り方みたいなのに、しっかり塩味が利いてて美味しい!」なんて、声も聞かれました。

2008/11/05

北京秋天

 初めて北京を訪れたのは92年の9月。サザンオールスターズの北京公演の取材に出かけた時のことでした。同公演には日本からメディア関係の取材陣、サザンオールスターズのファンクラブの応援団による公演を見るツアーなども実施され、会場の北京体育館には日本人が沢山詰め掛けていました。加えて、地元、北京駐在の在留邦人、北京の大学や各種学校で学ぶ日本人留学生などもいたようです。

 そればかりか中国東北部のハルピン、長春、瀋陽、大連などから18時間以上かけてサザンを見るために北京にやってきた日本人学生のグループにも出会いました。他にも上海、南京あたりからやってきたという人もいたようです。もっとも、観客の大半を占めていたのは地元、北京の若者達でした。

 そういえば、サザンが北京を訪れていた時期、爆風スランプが劉徳華はじめ香港の人気歌手なども多数参加した北京のラジオ局の主催の記念イベントに参加。そこで、やっかいな問題が持ち上がった、なんてこともありました。

 初めての北京の滞在はわずか3日ばかりでしたが、時間を見つけては勝手気ままに街を探索。天高く澄み切った清々しい青空や秋の風情、まさに「北京秋天」の光景を目の当たりにしたのが印象的でした。そして、サザン、爆風の北京でのコンサートを取材したその足で北京からタイのバンコクに向かい、同地で行われた爆風のコンサートを取材。それから東京に戻って間もなく、再び北京へということになりました。

 当時、活発な動きを見せ始めた北京の「揺滾音楽」、つまりはロック・ミュージックを積極的に紹介していた台湾の滾石唱片のスタッフからの誘いで取材に訪れることになったからで、北京だけでなく北京近郊の北戴河に出かけました。

 以来、何度か北京を訪れました。猛暑の夏は未体験ですが、春、秋、冬の北京を体験。柳の綿が舞う春、足元から寒さが凍みる極寒の冬もさることながら、中でも印象深いのは秋の北京。
 とはいうものの、今年の夏の北京オリンピック前後での報道などからも明らかなように、今や北京はスモッグが深く立ち込め、澄み渡った秋の青空は懐かしい昔話、なんだそうで。というのも、北京には随分とご無沙汰、ですから。

 それでも、北京に行ってみたい。旨いものに巡りあいたい。講談社北京文化有限公司編の「決定版 北京グルメガイド」(講談社)を見るたびに思いが募ります。

 本著の発刊は今年の5月。この夏、オリンピックを見に北京を訪れた人を目当てに出版されたもの。もっと早くに、言うまでもなくオリンピック前に、紹介すべきところ、ついつい機会を逃してしまっていたものです。

 もっとも、紹介は、今になっても遅くないはず。これから北京に出かけようという方には絶対にお薦めしたい食のガイド・ブックです。そればかりか北京の料理事情や中国料理事情に関心のある人にも絶対にお薦めしたい著作です。

 北京の食案内、食のガイドといえば、観光ガイド本で紹介されているのがせいぜい。そういえば地元に住む日本人よる食案内などもありますが、なんだか今ひとつ。むしろネットのサイトに面白いのを見つけることが多いです。

 といっても、日本の航空会社の食ガイドには要注意、なようです。味は2の次、雰囲気重視の外国人観光客向けの店が多く、値段も高い。ウチのカミサン、北京語の勉強仲間とたまたまその種の店に出かけ、店の雰囲気はともかく、料理のひどさ、まずさにゲンナリ。

 ま、食の好みは人様々。それも、観光ガイドの食案内は一般的なのが中心で、食べるのが好きな人むけ、と紹介されていても限界あり、というのは、私も散々経験済みです。それからすると、「決定版 北京グルメガイド」は、かなりディープ。ごく一般的な観光ガイドの食案内で紹介されている店なども含まれていますが、店、料理の選択、その視線、アプローチ、紹介の仕方に、そそられるものがある。

 たとえば北京に行ったらやはり食べたい北京ダック。店の選択、紹介、アプローチが、面白い。さらに「安くて旨いB級グルメ」など、全店、よだれもの。さらに、各地方料理の案内、料理紹介も充実。

 それに、北京に行けば必ず訪れる羊肉のしゃぶしゃぶ、羊肉料理を看板にした店が紹介されていること。清眞菜の店の紹介が少ないのがちょっと残念ですが、新疆ウイグル地区の店に関してはいろいろあり。

 その一方で、かつて私が頻繁に北京に出向いた頃にはまったくみかけなかった「創作中華」の店が格段に増えてる、なんてのも興味深い。もしかして、ウチのかみさんがでかけ、見かけばっかりで中味は伴わず、というのもあるのかな。

 が、それにしても、その目線、観察眼、選択のセンスが、なかなかに鋭い。というのも、これまで、北京を訪れた際、現地で合弁会社を営む台湾、香港の知人、友人と一緒。そして案内、紹介された店の多くは、日本のガイドブックでは未紹介のディープな店ばかり。類は類を呼ぶってやつです。その時のノリ!を思い出すような店が、ページをめくる度に登場します。ですから、興味がつきません。

 北京に・・・行きたい。そんな思いにさせる罪なガイド・ブックです。

2008/11/02

広東地方の郷土料理シリーズ、遅ればせながらの2008年「夏の巻」の9

 あれあれ、いけない。11月に入っちゃいました。なのにまだ「広東地方の郷土料理シリーズ、遅ればせながらの2008年「夏の巻」なんて、情けない。

 さて「欖角炆排骨」に「正宗鹽焗鶏」と、食べ応えのある肉料理、鶏料理が続いたこともあって、「今日は、なんだか、こないだよりも量がたっぷり。沢山食べてるみたいだけど!」と、斉藤さん。
 「そうだと思って「鹽焗鶏」、一人分の盛り付け、一口分くらいにしてもらったんですよ」と、青木さん。

 「実は、コースの品数、料理の数、基本的には前回と同じく前菜、麺・飯を入れて10品なんですが、ほら、最初の「冬瓜盅生翅」、冬瓜だけでなくスープもたっぷりありましたから。それにすっぽん料理の「紅炆水魚」も、今日は7人ってことだったのと、すっぽんのサイズが大きいものしかなかったようで、量もたっぷりでしたから。
 
 それに、贅沢な宴会料理だけじゃなくって、郷土料理、お惣菜的な料理も、たっぷりなんて思ったもんですから!」。そうですね、コースの組み立て時における料理内容もさることながら、一皿ごとの分量についても慎重にと、課題、反省点にもなりました。

 そこで登場したのが野菜料理2品。最初は「魚香茄子煲」。













 茄子の収穫は得意先の料理店への供給分だけは確保できたという埼玉、東松山の加藤紀行さん。それも、茄子3種、加茂茄子、青茄子、真黒茄子の内、真黒茄子の出来栄え、その甘い味わいは、今年の加茂茄子、それに頑丈な青茄子を凌いでいた。なんてことから、加藤さんに手配を依頼。

 料理は「魚香茄子煲」。「魚香」といえば日本では四川料理でのそれが一般的。日本では豆板醤、本場四川では唐辛子の塩漬けの「泡辣椒」で味付けした辛味の利いた料理です。それが、広東料理、香港で「魚香」といえば塩漬け醗酵の「咸魚」の味付けで、というのが一般的。

 しかも、以前、触れてきたように「茄子」は「寡」、すわわち、それだけでは味気がなくて、物足りない、なんてことから鶏肉を細かな賽の目切りにした「鶏粒」が使われ、茄子と炒め合わせて、二番だしで煮込んだもの。と言うわけで厳密な料理名は「魚香茄子鶏粒煲」。

 「これ、この茄子、甘くて、旨い!」と、斉藤さん。肉料理、鶏料理と続いてお腹が一杯。ギヴ・アップ寸前だったはずの斉藤さん、茄子をパクパク。

 ほんとに、茄子が旨い。というより、火を通した茄子が甘い。しかも風味が強くてクセのある塩漬け醗酵の「咸魚」の味、風味、さらには鶏肉にも負けずに、その存在を主張。素材の個性、持ち味、茄子そのものの味わい、風味が堪能できた一品でした。

 もう一品の野菜料理は「節瓜」素材に、干し貝柱の「瑶柱」をたっぷり使い、とろみあんで味付け、調理した「瑶柱扒父節瓜甫」。














 本来は、加藤さんの「はぐら瓜」を使う予定が発育不全で充分な数を調達できず。そんなことから「節瓜」にとって代わったという次第。ところが、食べてみると「節瓜」のはずが、火を通したその触感、舌触りの滑らかさ、しっとり、しんなりで、だしを含んだ味わいから浮かび上がるのは「はぐら瓜」の持ち味、風味。もしかして「はぐら瓜」だったのかも。確かめるのを忘れました。

 そして「斉藤さんや、景山さん、海津さんに、新参加の下河辺さんに「絶対その美味を味わってもらいたいから!」と、青木さんのリクエストで炒飯は戻した干したこ、鶏肉入りの鮑汁のリゾット風の炒飯の「鮑汁鱆魚鶏粒炒飯」で締めくくり。
















 「これ、すごいですね。旨味がたっぷり。味もいいですが、香りがいい」と景山さん。
 海津さん、下河辺さんも「こんな炒飯もあるんだね」と、同様に感心した様子。
 斉藤さんと言えば、黙々とひたすらもぐもぐ。
 私も、久々に「鮑汁鱆魚鶏粒炒飯」を味わって、大いに満足。

 そして「広東地方の郷土料理シリーズ、遅ればせながらの2008年「夏の巻」はその幕を閉じたのでありました。

2008/10/29

広東地方の郷土料理シリーズ、遅ればせながらの2008年「夏の巻」の8

 そして中国オリーブを乾燥させた「欖角」を使った一品は、豚のスペアリブを煮込んだ「欖角炆排骨」に決定。
 中国オリーヴ、とはいっても地中海原産のモクセイ科のそれとは異なり、インドシナ、中国南方などで繁茂しているカンラン科の橄欖の実で、その実がオリーヴに似ていることから中国オリーヴと称され、また、本来のオリーヴ及びその実が橄欖と称されるようになった、という経緯があります。
 橄欖の実の果肉を「欖角」と称し、その実はナッツのような独得の味、風味があることから「欖仁」として、炒め物などに使われる他、「月餅」の具などにも使われます。

 「欖角」は、以前、ここで紹介してきたように、肉、魚を主素材にした料理のいわば調味料として使われ、微塵切りにして素材とあわせ、蒸したり、煮込んだりする。もっぱら蒸し物に使うのが一般的、というのは「その2」で触れてきた通り。料理のバリエーションは豊富です。それに、今回の料理の組み立てからすれば「蒸」の料理がなかったことから、蒸し物で、と考えていた次第。

 他に「欖角」と併せ、客家独得の漬物の「梅菜」もあって、それを肉、魚とともに蒸しものにする、という考えもありました。「梅菜蒸排骨」や「梅菜蒸斑球」は、香港人、というより広東人好みの惣菜です。

 もっとも、メンバーの数、それに、今回はしっかりした味、風味の料理を、ということから「欖角」を使うにしろ「梅菜」を使うにしろ、煮込みの「炆」では?というのは料理長からの提案。そんなことから「欖角炆排骨」となった次第。

 













 これが、案外、予想以上にウケました。「この煮込み物の味付け、中国オリーヴの味、風味がいいですね。煮込みなのにスペアリブのくどさ、しつこさを感じないし。ご飯がほしくなるお惣菜みたい!」と、青木さん。

 中国オリーヴの「欖角」とスペアリブの組み合わせ、というよりも「欖角」の独得の味、風味にすっかりとりこになってしまった様子です。独得のくせのある醗酵味、旨味のある調味素材、というか、香味素材の「咸魚」や「蝦醬」がお気に入りの青木さんは、「欖角」に魅せられた様子でした。ということなら、次回は「欖角」を使った、魚、肉の蒸し物の料理をコースに組み入れるのもいいかも。

 それに続いて「鹽焗鶏」が登場。鶏を丸ごと一羽、塩で包み込み、蒸し焼きにした料理です。もともと客家地方の伝統的な料理で後に広東料理店のメニューにも加わるようになりました。

 もっとも伝統的な「正宗鹽焗鶏」をそのまま再現するには手間隙がかかる。そんなことから、塩分過多を敬遠する人などもいて、調理、味付けを工夫した「鹽焗鶏」が生まれ、さらにはそれを簡素化したバリーエションも生まれ、調理方法もいろいろ変化。店ごとに工夫があったりします。中でも多いのは、蒸し焼きのプロセスを簡素化し、鶏を取り出し、最後に油をかけて仕上る、なんて方法もあります。

 ですがやはり「正宗鹽焗鶏」の調理法で食べたいとリクエスト。すこしばかり火が入って皮の色合いは濃い目のダーク・ブラウン。しかし、皮の裏の脂がじりじりと皮や身を焼いた形跡はしっかりありました。

 肉は歯がすっと入る柔らかさと噛み応えありで、塩味が染みこんだ肉が実に旨い。燻製した鶏肉、茹でた鶏肉、揚げた鶏肉とは明らかに異なる歯触り、質感、肉のしっとり具合や、肉を噛み締めた時のメリハリのある味わい、浮かび上がる風味に「鹽焗鶏」の旨さを堪能しました。

2008/10/24

広東地方の郷土料理シリーズ、遅ればせながらの2008年「夏の巻」の7

 「確かに、これは魚の唐揚げ。だけど、こんな魚の唐揚げ、食べたことがありませんよ!」と青木さん。
 「そうそう、ほら、ひれの部分とか、ばりばり食べられちゃうじゃない。けど、身のところは柔らかくって、しっとりした感じで。あの、この醬油味のたれも、いいね。なんだかすごく上品な唐揚げだ」と斉藤さん。

 そうなんです。ひれの部分が食べられるぐらいしっかり揚げてある。なのに、身の表はぱりさくの歯触り。身は歯がすっと入るしっとり加減で、緻密で繊細な身の肉は、滑らか。しゅわしゅわと舌の上でほぐれていく。

 「老虎魚」の身の緻密さが、良いかな。けど、極上の「老虎魚」の入手がむずかしい。「かさご」は、身が少し固くて、ほろっとはがれるような感じだし、「きじはた」、「あら」に「くえ」でもいいけど、やはり身が固い。身がしっとりと緻密、ってことなら「あいなめ?」。でも、蒸し魚の「清蒸魚」や煮込みの「紅炆」で゙食べたことがあるけど、唐揚げの「油浸」にはたして向いているかどうか。
 けど、案外、「あいなめ」のしっとり加減からすると、いい感じに仕上がるかも、なんて、あれこれ想像をめぐらせました。
 結果、「あいなめ」の入手が可能ってことで、GO!















 大成功でした。
 魚そのものの質、味わい、旨さ、風味ということなら「老虎魚」に軍配があがりそう。純な味わいで、しかも、濃密だったりしますから。凛とした羽織袴の出で立ちの武士の風情。

 それからすると「あいなめ」は、気取りがなくて、ざっくばらん。衿を抜いた着こなしの遊び人の風情がある。しっとり加減の身の緩さ、こそがその身上。なんて趣の「あいなめ」の持ち味が、「油浸」の調理で際立ってみえました。

 揚げた「あいなめ」に、醤油にだし、つまりは「上湯」を加味したたれが、味、風味を引き立てる。ひれまでばりばり食べられる揚げ方、調理の見事さもさることながら、たっぷりの油で揚げてるのにもかかわらず、くどさ、しつこさ、重さなど微塵も感じられません。

 唐揚げ、揚げ物というのは、一般には、どちらかといえばゲスな味、風味が魅力のはずです。ほら、肉屋の揚げたてのコロッケ。それにソースをだぷだぷの感じとか、塩味が利いていていてこその鳥の唐揚げとか、そうじゃないですか?

 ところが、この「油浸什斑」、あいなめの唐揚げは、ひれまでばりばりの揚げ方、なのに、ぱり、さくの衣、身はしっとり。それに、上品で洗練された味、風味。それもまた、大きな驚きでした。

広東地方の郷土料理シリーズ、遅ればせながらの2008年「夏の巻」の6

 そして「油浸什斑」。今回のメンバーに紹介し、なんとしてでも食べてもらいたかった一品です。

 広東地方の海鮮を中心にし宴会料理で魚を素材にした料理、ことに魚を丸ごと一匹使った料理は主要な「大菜」であり、宴会の華。ことに蒸し魚の「清蒸魚」は、「魚」という言葉の音にちなんで縁起を担ぎ、宴席の締めくくりの料理として欠かせない、とは昔から語り継がれてきたことです。

 香港で海鮮料理に出会い、その虜となった語る多くの人がまず挙げるのは茹で海老の「白灼蝦」、渡り蟹の一種とされる雄の肉蟹を素材にした「姜葱焗肉蟹」、蒸し魚の「清蒸魚」。中でも「清蒸魚」は、日本でも広東料理店の定番的なメニューになるほど広く浸透し、親しまれるようになりました。

 香港では「はた/石斑」の類や「蘇眉」、「青衣」など南方ならではの魚が中心。日本では最近になって「はた」の類などが用いられるようになりましたが、沖縄近海のものが大半だそうで、海が違うせいか、肉質などいささか異なります。

 「あこう」の名で知られる「きじはた」や「あら」、「くえ」の類などもありますが、やはり、持ち味が異なる。むしろ「かさご」などが用いられることが多いのは、それを煮魚にするなど、日頃馴染みがあってのことでしょう。

 そういえば、これまでにここでふれてきた「老虎魚」を「清蒸魚」というのは、香港ではごく一般的。ところが日本ではあまりみかけない理由は、どういうことに起因するんでしょうか。

 ともあれ香港、あるいは広東地方の海鮮料理の「清蒸魚」は日本でも一般的になりましたが、「はた」の類の切り身の炒め物の「炒斑球」や揚げ物の「炸斑球」、丸ごと一尾煎り焼きにして煮込む「紅炆海斑」、大振りの「はた」の砂擦り、背ヒレ、尾ひれの部分を煎り焼きにして煮込む「紅炆斑翅」などが用意されている店は、まだまだ少ない。一部の店に限られるようです。

 さらに「油浸」、広東料理の唐揚げの料理、ってことになると、ほとんど皆無と言ってもいいのではないか、と思うぐらい、滅多に見かけたことがない。
 もっとも、先に「8月の「赤坂璃宮」銀座店」で紹介した「椒鹽九肚魚」、本来は「てながみずてんぐ」を使うところ、日本での入手は難しいことから素材を「めひかり」に置き換えた「めひかりのスパイス揚げ」などのように、衣を付けて油揚げにする料理はあります。

 それに、上海料理を看板にする店では「まながつお」などを醤油などの漬け汁に浸して揚げたり、燻製にする「燻魚」などもあります。

 それより、日本でも魚の唐揚げは一般的、というか日常的。そんなこともあって「魚の唐揚げ」にいささか、懐疑的だった様子の青木さん。それも、広東料理の唐揚げの手法である「油浸」で調理するにあたって、どんな日本の魚がその調理にふさわしいのか、ネチネチと執念深く検討、追求する私に、思案気どころか、ついには「お好きなように!」と呆れた様子だった青木さん。
 そんな青木さんも、食べて納得。

2008/10/20

広東地方の郷土料理シリーズ、遅ればせながらの2008年「夏の巻」の5

続いて「紅炆水魚」。すっぽんの醤油煮込みです。
先の「夏の味」の時もそうでしたが天然のスッポンの入手が可能、ということでその好機を逃せない。
 養殖物のスッポンとは味、風味が違って、肉に締まりがあり、独得の香り、風味があります。漬物はじめ各種の具材とともに蒸す「八寶蒸水魚」も考えましたが、少しばかり凝りすぎ、行き過ぎかな?と躊躇して、オードックスで重厚な趣の「紅炆水魚」に決定。

 「まる鍋、と言うか、だし仕立てのスッポン鍋は食べたことがあるけど、こうやってぶつ切りを煮込んである、ってのははじめて、なんか豪快だね」なんて声も聞かれます。

 「香港じゃスッポン、それも「水魚」よりも大きな「山瑞」ですが、冬の野味の代表的な料理。日本だと、と言うか関西では暑気払いの料理、という感じなんですけど。でも、やっぱ、冬の料理ってイメージなのかな」と、私。

 骨付きの身、小骨のある手足にむしぶりついて、すっぽんの肉の独得の味、風味、くせのある旨さを堪能。しかし、なんといっても裙邊/縁側のペロペロ。コラーゲンの塊で、そのエッセンスをまんま味わう感じ。触感はとろとろというよりも、ぷりっとした弾力があります。身も、縁側も、最後の最後までしゃぶりつくしました。旨い。美味です。


 「あれ、この柔らかいの何?ぐじゅとした感じで、甘くて、美味しいんだけど!」なんて声が。
 「ン!? 大蒜の塊、じゃないですか?」と私。
 「そう言われれば、肉の硬さじゃないもんな。でも、大蒜って煮込むとこんな感じになるんだ。柔らかくて、甘い!」
 「生だと、舌を刺すひり辛の味ですが、煮込むと全然違う味になっちゃいますから。こういうスッポンとか羊とか「果子狸」、「ハクビシン」のことですけど、野味類の煮込み物には、大蒜の塊は欠かせないみたいですね。煮込むとトロトロ。ひり辛の味より、甘味がぐっと出て、思わず食べちゃいますよね」と、私。

 大蒜のほかに干し椎茸も。これがまた、滋味深くて旨い。ですけど、やっぱりスッポンの肉、それに、何よりも縁側が旨い。しかも、思いのほか量はたっぷり。昨年は相次いでスッポンの蒸し物を食べる機会に恵まれて、夏らしい一品と思いましたが、こうやって煮込みの「紅炆水魚」にして食べると、がっしりと重厚な趣で、煮込みもいいなあ!ともあれ、本日のコースで「冬瓜盅生翅」と並ぶ「大菜」。値段の点も含めてのことで、今回のコースの組み立てが予算オーバー。そんな理由のひとつになった料理でもありました。

2008/10/19

広東地方の郷土料理シリーズ、遅ればせながらの2008年「夏の巻」の4

 本格的な宴会料理のコースなら、前菜に続いて「ふかひれ」はじめ干貨素材を素材にした大菜が登場。次いで干貨素材を素材にした煮込み物の料理を用意し、その宴会の「格」を誇示し、アピールというのが通例のようです。

 もっとも「青木宴」の場合には、あくまで広東地方の郷土料理を主体にしたコース展開を、というのがその趣旨。そこに、贅沢な宴会料理を組み入れて変化をもたせる。ということから、今回は「冬瓜盅」。それもふかひれの質、旨さをグレード・アップした「冬瓜盅生翅」を組み入れた次第。

 そんなことから今回のようなコースの場合、続くメニューとして考えられるのは海鮮を素材にした料理。それについては先に触れてきたように、白身の小魚、小ぶりの根魚類を素材に、広東地方の郷土料理の再現をなんとか実現したい。そう考えていたものの仕入れ、調達などの厄介な問題もあって今回はあきらめました。

 ということなら、やはり「海老」の料理、活きのいい「才巻き」、「車海老」の類を素材にした料理です。 最もシンプルな調理方法は、茹で海老の「白灼蝦」か、蒸籠(セイロ)で蒸篭で蒸した「蒸籠蝦」。
 ですが、生意気な話、日本で、東京で、ゲット、いえいえ、調達可能なその種のえび、新鮮なだけでなく、よほどの上物ではない限り、極上の「白灼蝦」、「蒸籠蝦」には出会えない、というのは私の体験談。

 もとより、日本のその種の蝦、香港などで食べるそれとは持ち味、資質が異なるようで、単に茹でたり、蒸したりするの料理には向いてないのではと思えます。素材の持ち味を生かした調理方法、その工夫や技が必要なのでは? というのが私論、あ、私の持論って言うんですね。

 「なことないじゃん。寿司ダネの海老、ちゃんとした店にいけば、美味しいだけじゃなくって、極上のがあるじゃん」と、突っ込まれそう。私も、都内某所の寿司屋で極上のえび、食べたことがあります。
 ですが、その海老、素材の吟味、茹で方とか、扱いに、その店ならではの「技」がありました。

 他の店で食べた海老、ただ、茹でただけ、というのもいささか乱暴ですが、海老の甘味が感じられませんでしたから。そういえば寿司ねたの「海老」で、「おぼろ」を忍ばせる、というのがありますが、あれなんか「海老」を美味しく食べさせる「工夫」と「技」なんじゃないでしょうか。

 つまりは、海老の扱い、調理に「技」がある。茹で海老にしても中国料理、ことに広東料理を下敷きにした香港のそれと、寿司屋さんのそれは異なる。長年受け継がれてきた伝統の技、手法があって、日本の海老の持ち味を生かす工夫がなされているってことです。


 日本で収穫された日本ならではの持ち味のある「海老」を、中国料理の手法で極上の味、風味を味わうには、やはり、それなりの「工夫」と「技」が必要。それも、茹でたり、蒸したりするより、むしろ殻つきのままで炒める「炒」、強火で炒める「爆」、煎り焼の「煎」、味付けにして蒸し焼きの手法も施した「焗」、あるいは揚げる手法の「炸」が向いているんじゃないかと、私は思います。

 海老の殻の旨味のエッセンス。それに、火を通したときに生まれる独得の風味を生かす、ということでは、茹でる場合には紹興酒や玫瑰酒などの中国酒で茹でる。 蒸す場合には、大蒜の微塵切りなどと蒸す。そうすれば、旨さ、風味を増します。9月の「赤坂璃宮」銀座店での「香蒜蒸海蝦(蒜茸蒸中蝦/車海老のガーリック蒸し」などその最たるもの。

 それよりも殻の旨さ、香り、風味を味わうには、煎り焼きの「煎」か蒸し焼きの「焗」がうってつけではないでしょうか。たとえば、中国醤油の「生抽」、たまり醤油の「老抽」(これが料理名になると豉油皇と表記されます)で煎り焼きの「煎」にする。それとも、塩、胡椒味で辛味を付けて蒸し焼きにした「焗」にする。

 しかし「煎」にしろ「焗」にしろ、その料理方法には「工夫」と「技」が必要なようです。醤油の「生抽」、「老抽」で煎り焼きにするには、火を強くした鍋に注ぎ入れ、味付けするなんてことはない。そうすれば醤油の味ばかり立ち、強火であれば、焼け焦げた味になる。あまりにも醬油味が直接的で、下品、下種な味になる。ということで、そうした方法を避ける。

 もっとも、醤油の焼け焦げの香り、というよりも「匂い」は、日本人には堪らない。というより郷愁、懐かしさを誘い、親しみを覚えるものがある。屋台店のヤキソバのソースのあの「匂い」というわけです。いわゆるラーメン中華の店などでの「ニラレバ炒め」や「野菜炒め」の類、それにまさに「焼き飯」というふさわしい「炒飯」に特徴的なもので、それはそれで魅力的ですが、中国料理というには・・・首を傾げます。

 たとえば「だし」を張った鍋に、醤油を入れ、そこで煎り焼きに仕上る。だしの味も加味された醤油の味で、殻を煎り焼きにする。それが「工夫」です。醤油の味付けでなく、塩、胡椒の味付けの場合も、同様のプロセスがある。

 殻に火が通り、香り、風味が立てば、それで充分。殻はしっかり火が通って、その味、香り、風味を満喫。ところが「海老」の身は、レアな火加減。とろんとした触感があり、なおかつ、甘味が立っている。そんな火加減で止め(とどめ)を刺してある。というのが「技」。調理、鍋の「技」の見せ所です。

 殻に火が通った証でもある紅色の照りのある色合い。和らいだ醤油の香りが鼻腔を刺激します。

 「ね、これ、殻も食べられるの?殻も一緒に食べちゃっていいの?」と斉藤さん。

 「もちろんもちろん。あ、別に食べなくってもいいですが。でも、むしゃぶりつきだくなるでしょ? 殻の味、風味、旨いですから。それに殻つきのままむしゃぶりつかないと、醤油を絡ませた殻の味、旨味、風味、味わえませんから!」と、私 

 「わ、何、これ! 身はレアじゃない!」と斉藤さん。
 「そうなんですよ。そこがポイント。技あり、でしょ?」と、料理したわけでもないのに自慢したりする私です。

 殻はぱりっとした歯触り、噛み応え。なのに、身はとろん、ぷるんの滑らかさ。生そのままというわけでなく、かといって火をしっかり通したぷりとした張り、弾力のある噛み応えでもなく、その一歩手前、際の感じ。身を噛み締めれば、海老の身の甘さが、しっかり浮かび上がる。

 殻つきのままで食べれば、殻に絡んだ醤油の味と、身の甘さが口の中で合体。旨さ、風味が、ますます際立ちます。 醤油味にするか、それとも、塩、胡椒の味付けにするか。どっちを選ぶか、そこが。コースを組み立てる際の思案のしどころ。

 味付けだけでなく、殻つき、というのが、大きなポイント。つまりは、歯触り、触感を考慮してこそ、この日のコースの3品目に選んだわけがあったのでした。 「冬瓜盅生翅」の「だし」の旨さ、ふかひれの「生翅」のぷり、ぷちの触感や味、風味に押し黙ってしまうぐらい「うっとり」だったことをすっかり忘れ、殻つきの海老の旨さ、風味に夢中の斉藤さん。

 「豉油王煎圍蝦」を3品目に選んで大成功でした。

2008/10/15

広東地方の郷土料理シリーズ、遅ればせながらの2008年「夏の巻」の3

「これ、やっぱり旨いよね!」と、「金銭鶏肝」を食べて青木さん。
「金銭鶏肝」はこれまでに何度か紹介してきましたが、肝心なのは鶏の肝、豚の背脂、金華火腿を漬け込む「たれ」。海鮮醬、芝麻醬、麻豉醬、砂糖、塩、醬油などで作ったもので、各種の醬類の配合加減に味の秘訣あり、なのは明らかです。

 麦芽糖の水飴を使う、というのも味の決め手のひとつ。しっかりの塩味ですが、同時に甘味、こくのある旨味がある。塩味と甘味の対比、さらには旨味が味わいところ。さらに「金華火腿」の醗酵味、旨味、風味が利いてます。

 ついでながら、麦芽糖の水飴、蜂蜜の類。それ以前に砂糖を焦がし、いわゆるキャラメリゼ(でしたっけ?)状態にして、味付けにするのは、広東料理だけに限らず、上海周辺各地区、四川料理などでも使われます。それに、確認の要ありの話ですが、甘味は砂糖から、というのは日本の中国料理の一般的な共通認識、概念でもあるようです。

 ところが、たとえばチャイニーズ・レストラン直城の山下直城さん。四川で学んだ「砂糖」の使い方というのは、甘味のためではなく、様々な味を馴染ませる、ひとつの味にまとめる「和」の効果がある、ってことだったそうです。

 言われてみてば、その話に大いに納得。砂糖って使いすぎると味が均一、というか、甘味一辺倒、しかもベタ味になって、素材の持ち味、味付けが損なわれえることになりかねない。ということで、甘味は、素材の持つ甘味を引き出す。あるいは、砂糖ではなく、砂糖から作った蜜汁、蜂蜜、さらには「蜜棗」がまさに好例なように、蜜汁付けの果実、あるいは、干した果実を使う、なんてのが一般的。というあたり、実はフランス料理、イタリア料理でも一般的。共通するところがあるわけです。

 「金銭鶏肝」は何度食べても美味しい。美味しくって、なんだか懐かしい味がする。 この塩味、甘味、こくのある旨味の組み合わせこそは、紛れもなく広東地方の郷土料理の伝統の味。福臨門のはそれを洗練させた上品で奥行きの深い味、風味があります。

 香港に通いはじめた最初の頃、街中に焼き物専門の「焼臘店」があり、店の横、あるいは、奥にテーブルがいくつか並べてありました。看板の「焼味」をそのまま食べさせる軽食堂の趣、佇まい。どの店もタイル張りのフロアーだった記憶があります。

 「焼臘店」で私の一番のお気に入りだったのは中環の「華豊」。ところが「焼臘」販売の専門店で、食堂はなし。仕方なく「焼味」の何品かを買ってホテルの部屋に持ち帰り、酒のつまみにするだけでは収まらず、ルームサービスにご飯、あるいは、雲呑麺を頼んで、その具にした、なんて、ほんと馬鹿なことを散々繰り返しやりました!

 前菜に続いて、今回の「宴」のハイライトの一品で「大菜」でもある「冬瓜盅生翅」が登場。冬瓜を器仕立てにして「だし」張り、具を入れ、蒸した「冬瓜盅」は、夏になると欠かせない。
 「夏の味」で、伝統的なスタイルを下敷きにした各種の具入りの「八寶冬瓜盅」は、すでに味わい済み。私の好みとしては、伝統的なスタイルを踏襲した「八寶冬瓜盅」もさることながら、ふかひれを具にした「冬瓜盅魚翅」により惹かれます。

 問題は具にするふかひれの種類。ふかひれの種類には執着せずリーズナブルな値段で、ということなら「荷包翅」。その形、日本で「姿煮」として定着している扇方のものです。
 日本の中国料理店で一般的にふかひれの尾びれ、背びれの姿を残したものとして使用されているのは「よしきり」あるいは「もうか」のそれ。これまでにも触れてきたように特有のクセ、匂いがあって、原ひれの戻しの際の処理に工夫が必要です。
 
 「ウチは原ひれから戻してますから」と語る「wakiya一茶樓」の脇屋さんなどを除けば、ふかひれを収穫し、工場で生産加工処理した製品化された「ふかひれ」を使用、という料理店がほとんどですから。しかも、天日干しの作業を省いて下処理をし、そのまま冷凍化した製品があるそうで。もっとも、福臨門でふかひれの姿の形を残した「荷包翅」は、種類も違い、特有のクセ、匂いもありません。

これが「荷包翅」。
とはいえ「荷包翅」は、ふかひれの繊維が細く、尾ひれの姿そのままの塊ですから、舌触り、噛み応えの滑らかさに欠ける。もっとも、この春の「青木宴」に登場した干しなまことふかひれの煮込みの「婆参荷包翅」なんかにはうってつけ。

 昨年食べた料理の中で私のベストだった鳩肉にふかひれを詰めて鮑汁などで煮込んだ「仙鶴神針」なども、ふかひれの質、滑らかさ、太さ、味わいとなるとやはり「生翅」ですが、「荷包翅」でも悪くない。鮑汁など、ふかひれにしっかりした味を染みこませる調理による料理は向いているんじゃないでしょうか。


 若い童鶏にふかひれを詰めて、上湯で湯煎蒸しの「燉」で煮込む「鳳呑翅」のような料理にも向いているようです。つまり、「だし/上湯」味がしっかりふかひれに染み込む、ってことですね。

 しかし、「冬瓜盅魚翅」のふかひれは、繊維が太いほうがいい。唇や舌触りの滑らかさ、ぬめり感、それに、ぷち、ぷりっと弾ける噛み応え、ということになるとやはり「生翅」。極上のふかひれ「海虎翅」の胸ひれ、ってことになります。
                               
これが「海虎翅」の「胸ひれ」の「生翅」。
ところが・・・・・・値段もそれなり、です!
 「荷包翅」の倍の値段はしますから、予算超過という現実が待ち構えてます。

 日頃、私がコースを組み立てるにあたって、予算の半分は「ふかひれ」はじめ、高価な素材を使った料理にあて、残る半分の予算で他の内容をあれこれ工夫する。なんてこと考えても「海虎翅」の胸ビレの「生翅」を使えば、美味なのはわかっていても。。。。。


 世知辛い話ですが「荷包翅」に比べて「生翅」の値段は張ります。普通のふかひれの料理ではなく、今回のような「冬瓜盅」の場合には、冬瓜そのものも味わう。つまり、冬瓜の果肉の量もたっぷりある。そんなことから「ふかひれ」の分量を加減する方法もあります。その経済的な効果が大なのは言うまでもありません。

 今回は「荷包翅」よりも「生翅」。
 「ふかひれ」の質、その美味(まじ、滑らかさ、舌触り、ぷり、ぷちの噛み応えがもたらす美味的効果、絶大!)てことから、「生翅」で、行っちゃえ、行っちゃえ!
 そんなことから「冬瓜盅生翅」でGO!

 その甲斐がありました。
 なんといっても「だし」、スープが旨い。鶏肉、豚の赤身、なによりも「金華火腿」が醸し出すこくのある旨味、独得の風味が堪らない。リッチな旨味、こくがあるだけでなく味わいの奥深さに、くらくらっと酩酊状態。

 実際、同席した誰もが「このスープ、旨いワ!」と、思わずひとりごち状態。すっかり「上湯」のだしの旨さ、奥深さの世界にはまった様子で、テーブルの脇を天使が通った状態。
 そそ、以前にもふれたことがありますよね。賑やかな会話が一瞬途切れ、訪れる沈黙の間合いのこと。蟹を食べてる時、だれもが押し黙るあの間合いです。

 そんな沈黙があってこそ、誰もがふと我に帰る。
 「ね、このふかひれ、太いよね」と、斉藤さん。
 ようやく「生翅」の舌触りの滑らかさ、噛み締めた時のぷち、ぷりの繊維の太さ、噛み応えが認識されるに至った、ってことです。
 「荷包翅」じゃなくて「生翅」にしてよかったとつくづく思いました。

 画像は「冬瓜盅生翅」です!

2008/10/14

広東地方の郷土料理シリーズ、遅ればせながらの2008年「夏の巻」の2

 はたしてどんなメニューを選び、コースを組み立てるか。
 そんなところに朗報が。以前に「夏の味」でも紹介し、編集のMさん、食べて4時間後に「効果有り」なんて話だった大分産の天然物のすっぽんの入手が、可能かもしれないという話。香港や広東地方では、大振りのすっぽんの「山瑞」を素材した料理、滋養供給や精力増強だけでなく、なによりも体を熱くする、温めるってことから冬の料理、野味料理の代表的な料理というイメージが定着しています。

 日本ですっぽんの鍋、たとえば丸鍋など、一般的な認識がどうなのかわかりませんが、私にとっては暑気払いに食べるもの、夏の風物、という印象が濃厚。うなぎよりもすっぽん。なんせ、土用の丑の日にうなぎ、なんて習慣、東京にやってきて、知りましたから。もっとも、大分産のすっぽんを素材にした「紅炆水魚」は、「夏の味」でしっかり味わったばかり。私としては他の調理方法で食べたい、とまあ手前勝手な欲望が頭をもたげます。

 たとえば、スッポンを蒸すという料理方法もある。
 様々な具材とともに蒸す「八寶蒸水魚」。洗練されていて、なおかつ滋味深い味わいは忘れ難い。
 ことに「裙邊」、すっぽんの縁側、ペラペラの触感、味わい、風味、コラーゲンそのものですけど、醤油煮込みなどの調理とは違って、純な味、風味が堪らない。しゃぶりついて、とことん食いつくしたくなります。


これは昨年の夏、何回か食べた「八寶蒸水魚」 。

 蒸す料理方法以外には、すっぽんを細切りにして、各種の具材、それも榨菜や大頭菜など、漬物類と一緒に炒めあわせる、という方法もあります。

 そうだ、すっぽんを「燉盅」と呼ばれる容器に入れ、湯煎蒸しのスープ煮込みの「燉」にする料理も各種ある。
 山芋の一種を干した「淮山」、それに「杞子(くこの実)」、冬瓜とすっぽんを加え、上湯を注ぎ入れ、蒸し容器の「燉盅」で湯煎蒸しにした「淮山杞子冬瓜燉水魚」などその代表的な料理です。

 そこにふかひれを加えるという方法も悪くない。さらに、干鮑、干貝柱、鹿筋などを加えれば、かの「佛跳牆」というころになる。 ことに天然もののすっぽんは余計な脂肪分がなくって肉質もしまり、味わいも純、ピュアですから、だしの味、風味も格別。

 ですが、冬瓜を器仕立てにして、ふかひれを具にして蒸す「冬瓜盅魚翅」と、すっぽんをスープ仕立てにした「淮山杞子冬瓜水魚燉魚翅」なら、調理内容が重複する。
 「冬瓜盅魚翅」にするか、それとも「淮山杞子冬瓜水魚燉魚翅」にするか。それとも、去年、何回か食べたすっぽんと各種具材の蒸し物の「八寶蒸水魚」にするか。

 そんなところに、香港から極上の咸魚、中国オリーブの「欖角」、甘味のある芥子菜の漬物の「梅菜」が、到着。それを使った各種の料理も可能、なんて話に、舞い上がりました。

 「欖角」は魚と一緒に蒸し物にする。香港の家庭では川魚の「鯪魚」と蒸すのが一般的。お惣菜の定番にもなっています。それに豚挽き肉の蒸し物の「蒸肉餅」に使われることもある。「咸魚」との組み合わせなどもあります。煎り焼きの「煎肉餅」の場合には、具に入れ込みます

 「梅菜」は、芥子菜の一種を塩漬けにし、天日干しにして後、再度漬け込んだもので、塩味が利いているだけでなく、独得の甘味、旨味、風味があります。広東省東部の山間部に位置する東江地方一帯に多く居住する客家系の人々が作るそれが絶品とされます。

 中でも有名なのが皮付きのバラ肉と煮込んだ「梅菜扣肉」。もちろんスペアリブと煮込んでもよし、蒸しても良し。「肉餅」にも加えます。鶏肉との煮込み料理なんてのもあります。魚の蒸し物にも使います。
「欖角」にしろ「梅菜」にしろ、広東地方の郷土料理、ことに家庭料理の惣菜には、味付けには欠かせない。

 ということで、肝心の旬の素材の調達には難渋しながら、宴会料理の華となる豪華で贅沢な素材、料理が候補に並び、一方で、郷土料理、お惣菜的な料理も各種実現可能。はたしてどんなメニューを選び、コースを組み立てるか

 今回のメンバーは総勢7人。料理の数は10品揃え、とりあえず、前菜を用意することにして「金銭鶏肝」に決めました。鶏の肝、豚の背脂、金華火腿をたれに漬け込み、焼き上げたもの。青木さん、藤原君にとってはおそよ1年ぶりのはず。
 「あれ、いいよね!」と青木さんも大乗り気。
 残る4人、斉藤さん、景山さん、海津さん、新参加の元EMIの下河辺さんは初体験です。

2008/10/13

広東地方の郷土料理シリーズ、遅ればせながらの2008年「夏の巻」の1

 昨年の夏に始まり、季節ごとの恒例行事となった広東地方の郷土料理シリーズ。クリエイティヴ・プランナー/ディレクター、デザイナーでもある青木さん、BMGのちょいわる親父こと藤原君を中心に、毎回、様々なゲストを迎えることになった通称「青木宴」ですが、今年の夏の巻、諸々の事情から8月には開催できず、9月に入ってようやく実現と相成りました。

 まずは素材の調達で難渋しました。
 たとえば旬の野菜。今年の夏、埼玉の東松山の農業、加藤紀行さんの各種の茄子、胡瓜の類はOK。ところがそれ以外に栽培を依頼した各種の瓜の類が今年は発育不全のまま、充分な成果を得られませんでした。加藤さんが作る野菜は、野菜そのものが自力で育つのを待つ。しかも、自然にまかせた栽培ですから、天候にも左右される。

 人間だって、野菜だって、同じ生き物。季節の移り変わり、気候の変化をそのまま受けとめ、生きている、育っていくんですから。そうです、地球の温暖化現象を肌で感じているのは、人間ばかりじゃない、ってことですから仕方がない。
 「育ってくれるのを待つしかないんです」と、加藤さん。

 そんなことから夏の旬の野菜の調達は、他に委ねるしかない。福臨門の夏の野菜を尋ねたところ、先に「夏の味」で紹介してきた時とほぼ変わりなし。「夏の味」で、最も印象に残ったのは「八寶冬瓜盅」。今のところ、今年であった美味では三陸シーファームの「ばふんうに」に続く、今年出会った美味、ナンバー2に揚げられます。 その理由は先に紹介してきたように、「昨年は沖縄でしたが、今年は愛知産のものでして。それに、下拵の方法を変えたましたので」とは福臨門の八尾さんの話(そうそう、八尾さん、福臨門を退職しました)。

 「青木宴」は季節の郷土料理、家庭料理が中心。そこに干貨素材を使った料理、宴会料理の華となる豪華な素材による「大菜」的な料理を組み入れるのが恒例です。ということでは「冬瓜盅」は、旬の素材、それに、宴会料理の華。しかも、具材豊富で正統的、オーソドックな「八寶冬瓜盅」もいいですが、具をふかひれだけにした「冬瓜盅魚翅」などは「青木宴」にはうってつけ。実際、青木さんに話を持ちかけたら、大乗り気でした。

 加藤さんの野菜でも、茄子は夏のお薦め料理の素材に使われてるってことで問題なし。「青茄子」と「加茂茄子」です。が、私としては加藤さんの今年の「真黒茄子」、例年と違って、煮込むと甘さが際立つのに惹かれていたこともあって、なんとか「真黒茄子」を素材にした料理を組み入れたいと思った次第。
















 問題はそれ以外の夏野菜です。「「白瓜」、「節瓜」があります。青菜では「莧菜(ひゆ菜)」がありますが」との話でしたが、「夏の味」で試した「莧菜」は、今ひとつ。

 「白瓜」、「節瓜」も、産地、配給元を教えられて思わず「う~ん」と唸りました。いや、他のところで食べる機会があって、なんだかいまひとつ。福臨門ならきっちり調理してくれそう。とはいっても、素材自体、香り、風味に乏しい感じ、だったもんで。生意気言ってすんません!

 それから、魚介類。夏らしい魚介、ということでは、これも「夏の味」で堪能した「老虎魚」があります。長崎から直送ものってことでしたが、その手配がなかなか厄介で、収穫次第とのこと。
 関西なら、地元で「夏のふぐ」として親しまれている「あこう」こと「きじはた」のいいのが入手できそうだ。揚げたり、煮込み物にするなんて、様々な調理が可能です。ところが、東京の築地に「きじはた」はありだそうですが、関西のそれに比べると・・・・なんてことで。

 それより、東京だと「あいなめ(あぶらめ)」の質が、安定してるように思えます。もちろん、私が出会った限りの話ですが、悪い印象を覚えたことがない。福臨門も銀座に開店当初、魚の料理は「あいなめ」を中心に扱っていました。後に、各種の「はた」の調達が可能になり、様々な調理方法で食べる機会がありました。

 もっとも、私自身の好みからすると、蒸し魚、煮込みの「紅炆」にしろ、「あいなめ」がベスト。というのも「きじはた」、「あずきはた」、「あら」、「くえ」とされる「はた」の類、香港のそれに比べると、生息する海が違うせいか、身が締まっている感じです。それが「あいなめ」だと、しっとり身が潤んでいます。蒸し物にしろ、煎り焼き煮込みにしろ、はらり、ほろりと身が崩れながら、しゅわっとした緻密な触感がある。そこんとこが私にとっては肝心なポイント、味わいところです。

 「あいなめ」を素材に、蒸し物の「清蒸」でもなく、煎り焼き煮込みの「紅炆」でもなく、他に何か出来ないか。なんていいながら、実は「あいなめ」を素材に、広東地方の郷土料理の料理手法の「油浸」、早い話が、唐揚げに出来ないのだろうか、などと思っていたわけです。

 「あいなめ」の調達が難しいってことなら、「きす」、「めごち」など、天麩羅でお目にかかる白身の小魚、根魚を素材にして、塩、胡椒風味で味付けにして煎り焼きにする「椒鹽」か、漬物の「冬菜」を使って、蒸して調理する、なんてのは出来ないのだろうか。

 とどのつまり、頭の中で大きく膨らむのは「九肚魚/てながみずてんぐ」のこと。
 詳しくは8月の「赤坂璃宮」の銀座店の2を是非ご参照を。 譚さんの頭にも「九肚魚」があったものの、日本では調達が不可能。なんか似たもの、置き換えられる魚ってことで、探しだしたのが「めひかり」だった。なんて風に、白身の小魚、小ぶりの根魚類を素材に、広東地方の郷土料理の再現をなんとか実現したい、ということで頭が一杯。かように、メニュー選び、コース作りは、私のなによりもの楽しみです。

 画像は昨年の暮れに食べた「はぜ」の胡椒、塩味風味の煎り焼き、というか揚げ物です。小魚を広東地方の郷土料理のスタイルで、という思いが募ります。

2008/10/08

辻芳樹著『美食のテクノロジー』の2

 京都「瓢亭」の十四代目にあたり、四百年という伝統を受け継ぐ高橋英一さんが、幼い頃から将来当主となる道を歩む環境にあったことや、ミシェル・ブラスの母親が小さな食堂の料理人だったということを例外とすれば、残る4人は料理人の家系に生まれ、育ったわけではありません。

 ミシェル・ブラスにしても、子供の頃は科学者になりたかった。しかし、母親が病い倒れ、調理場に立つことになった。サンテ・サンタマリアの場合には、農家の一人息子として生まれ、画家になることを夢みていたものの両親の反対にあい、繊維工場に就職してインダストリアル・デザイナーの道を歩み、24歳の時、「失われたカタルーニアの伝統文化を見直そうという熱気の中で、趣味だった料理に通してカタルーニア文化の復興に役立てるに違いない」と、料理人になった。それも、料理修業の経験なしに、たったひとりで店を始めた、と同著で紹介されています。

 デヴィッド・ブーレイの場合には、カナダの大学で経営学を学ぶ学費を稼ぐため、15歳の時にレストランのアルバイトを始めたのが、料理人になるそもそものきっかけだった。和久田哲也の場合には、ともかく海外に出たいということからオーストラリアに渡り、英語を学びたいと思い、ギリシャ人の不動産屋から「僕たちの英語の学校は、レストランなんだ」と教えられ、皿洗いの仕事を得たのがそのそのもきっかけだった、というから面白いものです。

 もっとも、高橋さんは例外として、5人のいずれとも子供の頃に出会い、覚えた味覚、つまりは母親、あるいは祖母が料理を得意とし、それが味覚の原点になった、という共通項があります。そんな、それぞれの足跡、料理哲学については、是非とも、本書を手に取り、ご覧いただきたいところです。

 中でも私が興味をそそられたのは、サンティ・サンタマリアが語る生まれ育ったカタルーニアとの深い関わり、郷土への熱い思いです。いや、彼ばかりか6人の料理人の誰もが、生まれ育った故郷、あるいは、修行先で出会った土地、風土、文化、歴史に深い関心を抱き、深い関わりを持ち、料理に取り組むに当たって、その原点にしていることが本書では明らかにされています。

 そのキーワードとなるのが「テロワール」。本書でも頻繁に登場し、語られます。私はその厳密な意味は知りません。が、それぞれの土地、風土に根ざすもの、として理解しました。「瓢亭」の高橋さんを含め、6人の料理人の誰もが、それぞれの土地、風土との関わりについて触れています。

  さらに、料理技術の実践、まさに「テクノロジー」を実践する料理人としての基本的な姿勢として、素材そのものを重視し、優れた素材を選び、素材本来の持ち味をどうやって引き出すか、と言う点に着目し、それを心がけている、という共通点を見出せます。

 「料理は、六十五%が素材、二十五%が料理人の技術、残りの十%が料理人の天賦の才能で決まる」という本書に紹介されたアラン・デュカスの言葉は、簡潔、明瞭にして、雄弁です。その彼が「素材本来の持ち味を引き出すには厳格な決まりがある」という料理哲学をアラン・シャペルから学び、徹底的に仕込まれたというエピソードは、私自身、アラン・シャペルに深い関心を抱いていることもあって、興奮を覚えずにはいられませんでした。

 もうひとつ、私が興奮を覚えたのはミシェル・ブラスが素材について語った件です。
 北海道の洞爺湖の「ザ・ウィンザー・ホテル・洞爺」に支店を持つ彼は、日本の素材を使おうと考えたそうです。ところが、同じ野菜でもフランスと日本では味の特徴が違う。そんなことから、一種類ずつ、リストを作成して旬の時期、調理の仕方をデータ化し、食材を使い分けた。そればかりか、彼は日本の種をフランスに持ち帰り、育てた。

 日本の野菜をフランスで植えてみて、どうなったのか。その差異について触れ、フランスで育てた日本の野菜が、フランスで受け入れられるようにするには、どう対処すべきか。もっとも、その実践、具体例については明らかにされず、ほんのわずかな言及が紹介されているだけにすぎません。しかし、ミシェル・ブラスの日本の素材への関心、フランスとの比較、その背景にあるものへの洞察、そして結果として得た素材を自身の料理にどう反映させるか。そんな可能性の探求の姿勢は明らかであり、料理人としての意欲、熱意に打たれます。

 私自身、大げさながら食文化比較をテーマに、とりわけ中国料理にテーマを絞り、中国本土のそれと日本のそれとの比較に並々ならぬ関心を持っていますが、ミシェル・ブラスの言葉から共通するテーマのひとつを見つけ出せます。ミシェル・ブラスだけでなく、本著で取り上げた料理人の言葉、また、著者の観察、視点の端々から、同様のことが浮かびあがってきます。 私にとって興味が尽きず、面白い著作であるばかりか、辻芳樹著『美食のテクノロジー』に親しみを覚えずにいられないわけは、そんなところにあります。

 いわばビジネス・モデルとして様々な範例を紹介する一方で、料理人はどうあるべきかを問いかけ、その基本的な姿勢、あり方について、示唆するところの多い著作です。そればかりか、外来の食文化と日本のそれとの関わり。外来の食文化の洗礼や影響を受け、学び、実践しながら、育まれ、形成された日本の食文化。はたして、日本の食とはどういうものか。また、その独自性はどうやって形成されてきたのか。そんなことへの関心を抱かずにはいられません。そうしたことを改めて考えさせられるきっかけを与えてくれる著作でもあります。

辻芳樹著『美食のテクノロジー』の1

 今年出会った食に関わる書籍の中で最も興味深く、面白かったのは辻芳樹著『美食のテクノロジー』(文藝春秋社)です。

 発刊は今年の1月。読み始めてたちまちの内に虜となり、そのテーマ、深く掘り下げられた内容もあって、じっくり読み込んでから拙ブログで紹介するつもり。だったところが、その機を逸し、今に至ってしまいました。

 同著は、辻芳樹氏が世界の名だたる6人の料理人を取り上げ、取材し、記したもの。
 取り上げられた6人の料理人は、ニューヨークの「ブーレイ」はじめ4軒を運営するデヴィッド・ブーレイ。オーストラリアのシドニーの「TETUYA'S」の和久田哲也。スペインのバルセロナの「エル・ラコ・デ・サン・ファバス」のサンティ・サンタマリア、フランスの中南部オーブラックのライオールで「ミシェル・ブラス」を運営するミシェル・ブラス。モナコの「ルイ・キャーンズ」、パリの「アラン・デュカス・オ・プラザ・アテネ」など世界中で様々な店舗を運営展開しているアラン・デュカス。それに京都の「瓢亭」の高橋英一。

 どうしてその6人なのか。 それについては文藝春秋社の以下のサイト、「本の話」での著者インタビューで紹介されています。
http://www.bunshun.co.jp/pickup/bishoku/bishoku01.htm

 著者によれば 「おいしい料理を作る料理人はほかにもたくさんいます。料理技術が優れている、あるいは技術的にもっと最先端をいく料理人も実際にはいます。しかしながら、この六人ほど、食べ手に「幸せと喜び」を提供する場を完璧に作り上げている人たちはほかに見当たらないと思っています」、と語ります。

 あわせて、取り上げた6人の料理人が運営、展開する店は「料理人が主役となった「パフォーミング・アーツ」の世界を楽しむための場ではなく、そこに集う客たちが主役になっている空間を作り上げている」からであり、「美食の世界は、この「パフォーミング・アーツ」を楽しむ世界もあれば、社交的な場を楽しむこともあるという具合に、両方存在していていいと思います。今回この本で取り上げたのは、後者の社交的な空間を完璧に作り上げた料理人たちだといえるかと思います」、と。

 さらに「その料理人たちの成功の秘密が、本のタイトルにもなっている「美食のテクノロジー」ということになります。そして、読者の皆様には今回ご紹介している「美食のテクノロジー」を読み解くことで、現代の頂点をきわめた美食の世界を少しでも垣間見ていただくことができればと思っています」、と著者は語っています。

 「テクノロジー」という言葉から「科学技術」ということしか思い浮かばなかった私は、当初、その表題に首を傾げたものです。それが、本書を読み進むうち、先のインタビューで著者が触れる本書での「テクノロギー」という言葉の意味、それが、本著で取り上げた料理人の自身の独自のスタイル、方法論の確立、多方面から得た評価、同時に商業的な側面を含めた成功を生み、成功を導くに至る秘密、要因を意味する言葉であると理解できました。

 もっとも、6人の料理人が高い評価を得た言わばスペシャリティについての紹介や解説、また、それらが生まれた経緯などが触れられてはいるものの、美味批評的なものではなく、それぞれの店についての紹介こそあれ、レストラン批評的なものでもありません。

 むしろ6人の料理人について、その生まれ、育ち、料理人になったきっかけ、その足跡、歩み、様々な成果、その人となりについての紹介が大半を占めています。私が本書に興味や関心、興奮を覚えたのは、そうしたことについて触れられていたからです。
 料理を前にして、そのひと皿から浮かび上がる様々な事柄。料理が生まれた背景や料理から浮かび上がる料理人の人となりに常々関心を持つ私にとって、まさに格好な著作であり、それを明かしてくれるものでした。

2008/10/01

秋の訪れ~9月の「赤坂璃宮」銀座店の5

 丸ごと一匹、ハタの蒸しものが登場!
 予想外のゴージャス、デラックスな展開に、興奮を抑えられない。
 そして、登場したのが「白果腐竹菜 青菜と湯葉、銀杏のスープ仕立て」。















 いちょうの木に実る銀杏が落ちこぼれるのは晩秋の風物。ということからすると、走り物の「銀杏」ってことになります。が、乳白色の湯葉の間から顔を覗かせる黄緑りがかった「銀杏」銀杏は、すっかり秋の訪れを告げる風情があります。

 銀杏の殻を割り、実を取り出して串刺しにし、炭火焼きにした時の香ばしさ、ほくほくの触感。青臭さ、苦味、えぐ味がまじった独得の味、風味も格別です。が、青菜、湯葉とともに、だしで煮浸しにした「銀杏」というのも、乙なもの。ぎゅっと噛み締めると、弾ける銀杏の味、風味。くせのある苦味、えぐ味が、だしの味になじんで、甘味が顔を覗かせる。それでいて、やっぱり青々しい精の強さを感じさせるところが、銀杏です。

 青菜は台湾のA菜。どうやら、萵苣薹(ちしゃとう)の若い青菜。なんてことからすると、レタスの一種ですね。レタスに比べて葉っぱは濃厚な緑色。特有の青臭さ、ほろ苦さ、えぐ味があるのと、火を通して煮込んであっても「しゃき感」というか、繊維質があるのが特徴のようで、独得の噛み応え、触感があります。日本でも最近、中国料理店で見かけるようになりました。

 青菜をはじめ葉物の野菜は、日本では一般的に歯触り、噛み応えのある「しゃき感」を残した調理が好まれてるようです。大蒜の微塵などで香りを出して炒め、だし、さらにはオイスターソースでとろみのある味付け、なんてのが多いようです。
 
 私としては葉物、茎物は、くたくた、ヘロヘロ、トロトロでも構わないぐらい。繊維質を柔らかくしたがの好み。生で食べるより、おひたしがいい。ということでは、中国料理、広東料理なら、青菜の炒めものより、一番だしの「上湯」で煮浸しにした「上湯浸」を選びます。

 この「白果腐竹菜/青菜と湯葉、銀杏のスープ仕立て」は、言わばA菜、湯葉と銀杏の煮浸し。ってことは「上湯浸白果腐竹A菜」。 だしを加え、塩で味をつけただけのさっぱり味の煮浸し。口にすれば生姜の香りがふっと鼻をさす、なんてところが憎いです。 しかも、だしの旨さ、味わい、風味の余韻がしっかり残る、なんてところがもっと憎いです。

 そして、今回の締めくくりは「南瓜蝦乾飯 干し海老入り蒸しごはん南瓜の器」。
 南瓜、つまりは「かぼちゃ」を器にして、干しえび、干し椎茸などを具にしたご飯を蒸したもの。
 そのご飯、「蒸しご飯」と表記されていたもんで、糯米(もち米)と早とちりして、勘違い。普通の粳米でした。

 それにしても、干しえびや干し椎茸を具にして、新米の粳米、糯米を蒸す料理は知ってますが、南瓜、かぼちゃを器に仕立て、ご飯、それも粳米を蒸す、なんていうのは、私は初体験。香港や広東料理でも出会った事がありません。

 「いやあ、俺のオリジナル!香港にも、広東料理にもないよ。かぼちゃを器にして、ご飯を蒸したらどうかなって、考えたんだよ。いろいろ工夫してやってみてね。今のやり方が上手くいったんで」と、譚さん。
 そういえば、譚さんの料理を紹介した雑誌で見かけたことがありました。

 そのサイズ、メンバーそれぞれの分量に応じて、ということで超大盛り、大盛り、普通盛りと、それぞれに南瓜の大きさ、違いました。
 その違いは・・・・・

画像は「超大盛」と「普通盛」。

「実は、案外、大変だったんです。大きさ、サイズの違うかぼちゃを用意するのが!」と、大藤さん。

 器のかぼちゃ、種の部分、中心部は削り取られてます。皮についた身を味わうことも出来ます。しっとり、ほくほくの触感で、甘味がある。そして、蒸しご飯が旨い。
 その具、ことに干しえびがでっかい。リッチな濃い味、風味を醸し出してます。干し椎茸も旨味たっぷり。魚介にしろ、茸類にしろ、天日干しや自然乾燥したものって、旨味、風味が濃厚。ひと味もふた味も違った味になります。そんな干貨類の旨味、エキスを吸い込んだご飯が旨い。

 実は私、新米の粳米をゲットすれば、必ず作るのが、魚介、茸の干し物を具にした炊き込みご飯の「煲仔飯」もどき。 新米の糯米なら、具を糯米に混ぜて蒸すか、具も糯米も炒めあわせ、最後は蒸して仕上る「糯米飯」。「おこわ飯」のようなもので、中国の「粽」の中味を想像ください。

 魚介の干し物と言っても、干し海老、するめ、干し椎茸が主素材で、たまに贅沢して干し貝柱の「瑤柱」を使いますが、それも、身が崩れたものばかりです。
そうか、「煲仔飯」もどき、「糯米飯」を作る時、かぼちゃを器にする。譚さん、アイデア戴くことにしました。で、画像は私の「大盛り」です















 そして甜品、締めくくりのデザートは、今回も、暖かい汁物でした。
 「蕃薯煲湯丸/白玉入りさつまいものデザート」。
  薩摩芋を素材に、じっくり煮込んだ「糖水」です。

 薩摩芋の甘味、ホクホク味、素朴な風味。そこに、生姜のひりり味、辛味が利いていて、ぴしっと味を引き締めていたのが印象的。甘酒に生姜のひり味、なんてのに通じます。
 里芋やタロ芋には出会ったけど、薩摩芋って、香港でみかけたことないなあ、なんて人案外多いようです。ところが、案外、食べられてるもの。

  「蕃薯煲湯丸 白玉入りさつまいものデザート」は、伝統的な糖水。
 白玉入りなのは、料理店が作る「甜品」ですから。普通の家庭では、白玉なし。薩摩芋を砂糖きびの甘蔗から作った砂糖で煮込んだりします。そこに、生姜を入れてと一緒に、というのがポイント。

 ほのぼのとしていてなんだか懐かしい、素朴で純な味、風味。ほっとひと心地ついて、心が和むデザートです。



 こんな伝統的なデザート、湯水に出会えるのも「赤坂璃宮」ならでは。譚さんが、広東料理の根っ子にあるものをしっかり見届けてるから、ではないしょうか。

秋の訪れ~9月の「赤坂璃宮」銀座店の4

 そして「松茸蒸斑球 ハタと松茸の蒸しもの」。
 料理名を見て、思わず「ドキッ!」。
 まずは「松茸」に過敏に反応。当然、でしょう。
 おまけに「ハタの蒸しもの」ってある。
 関西では「あこう」の名で知られる「きじはた」?
 「あかはた」?「あずきはた」?それとも「あら」?、あるいは「くえ」?

 「いずれにしても、どうしょう、すげえ、あ、いけない、すごい豪華版。でも「斑球」ってあるから、切り身ってことですけど、しかし、なんせ「はた」の切り身ってことですから、贅沢この上ない。」なんてこと思い当たったとたん、胸の動悸が収まらない。

 はたして、目の前に現れたのは!

 「ハタ!」。
 それも、まるごと一匹を蒸した料理です。
 当然、尾頭付き!
 どうやら「あかはた」らしい。

 たしかに「斑球」とあるように、ハタは切り身。
 それも、腹側から身を開いて、切り身を入れた「麒麟」スタイルでの蒸し魚です。

 突然、あの「ヘイフンテラスの謎と不思議」での、腹を開いただけ、皿の上で腹ばいのまま蒸された魚のことが甦る!

  「ワッ!どうしょう! こんなの予算超過のメニューです!」と、焦りました。
 「あ、そうか。今日は、人数がひとり増え、おかず系の料理が続いて・・・・」 なんてこと考えてもです。

 旨い!「ハタ」の身が旨い!文句なしに旨い。
 「ハタ」の切り身は、ぼってり、厚みがある。
 唇に触れる「ぎと!」っとしたぬめり感。脂が乗ってる証拠です。
  噛み締めれば、舌の上でゆるゆるの身が、はらり、ほろりと、崩れていく。
 舌を撫でるぎとぎと感。濃厚で濃密な味、リッチな風味が口中に広がっていきます。
 そのとろける感じがたまらない!















 なんといっても、魚の蒸し加減が素晴らしい。
 「ハタ」の身の上には、厚く切った松茸のスライスが。ですが、走り物の松茸の香りを越えるハタの身の旨さ、重厚さに参りました。醤油、だし、油を合わせて作ったに違いない仕上げのたれの味加減も、脂の乗ったハタの切り身とぴったり。

 それぞれに切り身が行き渡った後で「これもどうぞ!」と、大藤さんが円卓の上に乗っけたのは、ハタのお頭!
ハタの赤い皮から、頬肉の白身がむき出しになっている。
もう、見るからに美味!
しかも、大振りなハタだけに、頬肉もたっぷり。
頬のところが、ぷっくり、ふっくら。
一番、美味しいところです!
その行方は、仲間の二人に。
二人はナイフとフォークを手に、頬肉をこそぎとって、ご満悦。 

もう大満足。それにしても、なんという贅沢。
譚さんに感謝です!