2008/12/24

『OILY BOY』の「東京の中国料理最新情報」の2

 「東京の中国料理最新情報」といっても、開店したばかりの新しい店の紹介ってわけじゃない。 そのあたりは専門のフードライターにおまかせです。それより、編集のMさんから提案のあった中国料理の若い料理人の動向については、かねてより関心があり、機会をみつけては話題の店、興味ある料理人の店に出かけていました。

 ということで、今回の5軒、5人の料理人を選ぶにあたって、まず思い浮かべたのは80年代から90年代にかけて私が興味を抱き、やがて気鋭の存在としてメディアも話題を呼んだ何人かの料理人。

 まずは吉祥寺「竹爐山房」の山本豊さん。上野毛の「吉華」久田大吉さん。神泉の「文琳」の河田吉巧さん。いずれもオーナー&シェフで、街中の老舗、大型店やホテルの中の中国料理店とは異なり、小ぢんまりとした店構え。

 山本豊さんはかつて湯島の聖堂の料理部在籍時に学んだ知識をもとに、中国各地の地方料理だけでなく古い文献もあたってそれを再現。日本では滅多に出会えない淮揚系の料理などに積極的に取り組んでいました。色彩豊かな盛り付け、洗練された上品な味わい、香りが特徴で、二人から楽しめるコース仕立ての料理が話題になったものです。

 河田吉功さんは代官山の「LINKA」の料理長時代、辻調の松本先生に紹介されました。その後「文琳」のオーナ&シェフに。骨董など、器集めが趣味。ということで、器選びにセンスの良さを発揮。野菜料理が得意ってことで評判でした。四川料理畑の出身ながら柔軟な考えの持ち主で、いろんな地方料理からアイデアを得て独自の工夫を凝らした料理に出会えました。

 久田大吉さんは四川飯店で陳建民さんのもとで学び、独立し、後に上野毛の「吉華」を構えた人物。もと柴田書店勤務で専門料理の編集部にいた上原さんに教えられて出かけたのがきっかけです。
 その頃、私は「専門料理」で1年あまりエッセイを連載。ついで当時の香港の広東料理の最新事情を紹介したことがありました。香港で話題、評判だった福臨門、麗晶軒、凱悦軒、麒麟金閣、農軒などの料理を紹介。それをご覧になった久田さん「この小倉エージって、どういう人?」と上原さんに尋ねた、なんて話を後で聞きました。

 当時、一般雑誌などで香港の食事情を紹介していましたが、プロの料理人が読者である「専門料理」に私がいきなり登場し、香港の食事情を紹介したものですから、驚く、というより「一体、誰?」と思われて、当然だったと思います。

 湯島聖堂の料理部出身で、山本豊さんの兄弟子にあたる神田の「龍水樓」の箱守不二雄さん、立川のリーセント・パーク・ホテルにいた脇屋友詞さんなどに出会ったのは、それからしばらくしてからのこと。前後して、90年にdancyuが発刊され、料理人への関心が高まっていった時期でもあり、料理人の取材を依頼され、いろんな料理人と出会いました。