2008/10/15

広東地方の郷土料理シリーズ、遅ればせながらの2008年「夏の巻」の3

「これ、やっぱり旨いよね!」と、「金銭鶏肝」を食べて青木さん。
「金銭鶏肝」はこれまでに何度か紹介してきましたが、肝心なのは鶏の肝、豚の背脂、金華火腿を漬け込む「たれ」。海鮮醬、芝麻醬、麻豉醬、砂糖、塩、醬油などで作ったもので、各種の醬類の配合加減に味の秘訣あり、なのは明らかです。

 麦芽糖の水飴を使う、というのも味の決め手のひとつ。しっかりの塩味ですが、同時に甘味、こくのある旨味がある。塩味と甘味の対比、さらには旨味が味わいところ。さらに「金華火腿」の醗酵味、旨味、風味が利いてます。

 ついでながら、麦芽糖の水飴、蜂蜜の類。それ以前に砂糖を焦がし、いわゆるキャラメリゼ(でしたっけ?)状態にして、味付けにするのは、広東料理だけに限らず、上海周辺各地区、四川料理などでも使われます。それに、確認の要ありの話ですが、甘味は砂糖から、というのは日本の中国料理の一般的な共通認識、概念でもあるようです。

 ところが、たとえばチャイニーズ・レストラン直城の山下直城さん。四川で学んだ「砂糖」の使い方というのは、甘味のためではなく、様々な味を馴染ませる、ひとつの味にまとめる「和」の効果がある、ってことだったそうです。

 言われてみてば、その話に大いに納得。砂糖って使いすぎると味が均一、というか、甘味一辺倒、しかもベタ味になって、素材の持ち味、味付けが損なわれえることになりかねない。ということで、甘味は、素材の持つ甘味を引き出す。あるいは、砂糖ではなく、砂糖から作った蜜汁、蜂蜜、さらには「蜜棗」がまさに好例なように、蜜汁付けの果実、あるいは、干した果実を使う、なんてのが一般的。というあたり、実はフランス料理、イタリア料理でも一般的。共通するところがあるわけです。

 「金銭鶏肝」は何度食べても美味しい。美味しくって、なんだか懐かしい味がする。 この塩味、甘味、こくのある旨味の組み合わせこそは、紛れもなく広東地方の郷土料理の伝統の味。福臨門のはそれを洗練させた上品で奥行きの深い味、風味があります。

 香港に通いはじめた最初の頃、街中に焼き物専門の「焼臘店」があり、店の横、あるいは、奥にテーブルがいくつか並べてありました。看板の「焼味」をそのまま食べさせる軽食堂の趣、佇まい。どの店もタイル張りのフロアーだった記憶があります。

 「焼臘店」で私の一番のお気に入りだったのは中環の「華豊」。ところが「焼臘」販売の専門店で、食堂はなし。仕方なく「焼味」の何品かを買ってホテルの部屋に持ち帰り、酒のつまみにするだけでは収まらず、ルームサービスにご飯、あるいは、雲呑麺を頼んで、その具にした、なんて、ほんと馬鹿なことを散々繰り返しやりました!

 前菜に続いて、今回の「宴」のハイライトの一品で「大菜」でもある「冬瓜盅生翅」が登場。冬瓜を器仕立てにして「だし」張り、具を入れ、蒸した「冬瓜盅」は、夏になると欠かせない。
 「夏の味」で、伝統的なスタイルを下敷きにした各種の具入りの「八寶冬瓜盅」は、すでに味わい済み。私の好みとしては、伝統的なスタイルを踏襲した「八寶冬瓜盅」もさることながら、ふかひれを具にした「冬瓜盅魚翅」により惹かれます。

 問題は具にするふかひれの種類。ふかひれの種類には執着せずリーズナブルな値段で、ということなら「荷包翅」。その形、日本で「姿煮」として定着している扇方のものです。
 日本の中国料理店で一般的にふかひれの尾びれ、背びれの姿を残したものとして使用されているのは「よしきり」あるいは「もうか」のそれ。これまでにも触れてきたように特有のクセ、匂いがあって、原ひれの戻しの際の処理に工夫が必要です。
 
 「ウチは原ひれから戻してますから」と語る「wakiya一茶樓」の脇屋さんなどを除けば、ふかひれを収穫し、工場で生産加工処理した製品化された「ふかひれ」を使用、という料理店がほとんどですから。しかも、天日干しの作業を省いて下処理をし、そのまま冷凍化した製品があるそうで。もっとも、福臨門でふかひれの姿の形を残した「荷包翅」は、種類も違い、特有のクセ、匂いもありません。

これが「荷包翅」。
とはいえ「荷包翅」は、ふかひれの繊維が細く、尾ひれの姿そのままの塊ですから、舌触り、噛み応えの滑らかさに欠ける。もっとも、この春の「青木宴」に登場した干しなまことふかひれの煮込みの「婆参荷包翅」なんかにはうってつけ。

 昨年食べた料理の中で私のベストだった鳩肉にふかひれを詰めて鮑汁などで煮込んだ「仙鶴神針」なども、ふかひれの質、滑らかさ、太さ、味わいとなるとやはり「生翅」ですが、「荷包翅」でも悪くない。鮑汁など、ふかひれにしっかりした味を染みこませる調理による料理は向いているんじゃないでしょうか。


 若い童鶏にふかひれを詰めて、上湯で湯煎蒸しの「燉」で煮込む「鳳呑翅」のような料理にも向いているようです。つまり、「だし/上湯」味がしっかりふかひれに染み込む、ってことですね。

 しかし、「冬瓜盅魚翅」のふかひれは、繊維が太いほうがいい。唇や舌触りの滑らかさ、ぬめり感、それに、ぷち、ぷりっと弾ける噛み応え、ということになるとやはり「生翅」。極上のふかひれ「海虎翅」の胸ひれ、ってことになります。
                               
これが「海虎翅」の「胸ひれ」の「生翅」。
ところが・・・・・・値段もそれなり、です!
 「荷包翅」の倍の値段はしますから、予算超過という現実が待ち構えてます。

 日頃、私がコースを組み立てるにあたって、予算の半分は「ふかひれ」はじめ、高価な素材を使った料理にあて、残る半分の予算で他の内容をあれこれ工夫する。なんてこと考えても「海虎翅」の胸ビレの「生翅」を使えば、美味なのはわかっていても。。。。。


 世知辛い話ですが「荷包翅」に比べて「生翅」の値段は張ります。普通のふかひれの料理ではなく、今回のような「冬瓜盅」の場合には、冬瓜そのものも味わう。つまり、冬瓜の果肉の量もたっぷりある。そんなことから「ふかひれ」の分量を加減する方法もあります。その経済的な効果が大なのは言うまでもありません。

 今回は「荷包翅」よりも「生翅」。
 「ふかひれ」の質、その美味(まじ、滑らかさ、舌触り、ぷり、ぷちの噛み応えがもたらす美味的効果、絶大!)てことから、「生翅」で、行っちゃえ、行っちゃえ!
 そんなことから「冬瓜盅生翅」でGO!

 その甲斐がありました。
 なんといっても「だし」、スープが旨い。鶏肉、豚の赤身、なによりも「金華火腿」が醸し出すこくのある旨味、独得の風味が堪らない。リッチな旨味、こくがあるだけでなく味わいの奥深さに、くらくらっと酩酊状態。

 実際、同席した誰もが「このスープ、旨いワ!」と、思わずひとりごち状態。すっかり「上湯」のだしの旨さ、奥深さの世界にはまった様子で、テーブルの脇を天使が通った状態。
 そそ、以前にもふれたことがありますよね。賑やかな会話が一瞬途切れ、訪れる沈黙の間合いのこと。蟹を食べてる時、だれもが押し黙るあの間合いです。

 そんな沈黙があってこそ、誰もがふと我に帰る。
 「ね、このふかひれ、太いよね」と、斉藤さん。
 ようやく「生翅」の舌触りの滑らかさ、噛み締めた時のぷち、ぷりの繊維の太さ、噛み応えが認識されるに至った、ってことです。
 「荷包翅」じゃなくて「生翅」にしてよかったとつくづく思いました。

 画像は「冬瓜盅生翅」です!