2008/03/05

ヘイフンテラスの謎と不思議の7

 「黒服の女史はどうした?どこに行ってしまったの?」と、お問い合わせ。

 黒服の女史、今回の「ヘイフンテラスの謎と不思議」の主要な登場人物であることは間違いありません。それが今やファンが存在するほど、いつの間にやら人気、話題が沸騰。主役の料理を食ってしまう勢いです。

 そんな黒服の女史、新しい料理が登場するたんび、どこからともなく現れ、にこやかに笑みを浮かべながら、大皿、土鍋に盛られた料理を、まずは我らがテーブルに披露。
 にこやかな笑みの奥には「料理撮影禁止!」の鋭い監視の眼差しが! 料理を披露してくれた後はサイドテーブルへ。それを碗仔に取り分けてれます。もっとも、それからのサービスは白服のアテンドのパシリ君。 その後、黒服の女史、我らがテーブルに顔を見せることはない。
 「お味、いかがでしょうか?」なんて、尋ねられたこともない。
 見放されてしまった、のかもですね。

 さて「鹹魚鶏粒豆腐煲」に続いて「金銀蛋上湯浸菠菜」が登場。
 家鴨の2種の卵、「皮蛋」と塩漬け卵の「鹹蛋」を使い、炒めたほうれん草にだしの「上湯」を加え、煮浸しにした料理です。

 金、銀に例えた2種の卵、翡翠のようなほうれん草の緑が織り成す色彩が、なんとも美しい。食をそそる見事な色あい、美しさです。
 中国料理で肝心な「色・香・味」。その「色」、つまり見た目の美しさに、「うあ、すげえ!」と、思わず声を上げた私でした。

 「うん、うん」とうなずくテーブル仲間の友人も「旨そうですね!」、と。
 今、思い出しても、この日、ヘイフンテラスで食べた料理の中では、間違いなくベストに挙げられる一品でした。

 「だし」は穏やかで、優しく、上品。「皮蛋」、「鹹蛋」、それぞれにクセのある特有の持ち味も生かしながら、とんがりがない。
 ほうれん草も、特有の鉄分、エグ味よりも青い味がする。素材を生かし「だし」を生かした調理、味付けです。

 とはいえ、香港そのままの味かどうかってことについては、やはり「?」が次々に頭の中で飛び跳ねる。 すんません、率直で正直なもんですから。

 まず「だし」。
 優しく、すっきりとしていて、上品。ですが、こくや深みがない。どっしりとした腰の座りがない。
 「上湯」というよりもむしろ「二湯」のような印象に近い。 「香」、「風味」が乏しいですから。

 もしかしてこの「だし」で「清湯魚翅」や「紅焼魚翅」?
 ということなら、「気仙沼産」、しかも「よしきり」か「もうか」なのか不明のままのふかひれの料理、それら2種のクセのある風味、余程の香り、風味、それに「とろ味」をつけなければ。
 残念ながら「ヘフンテラス」でふかひれの料理は未体験。
 
 それに、「ほうれん草」の下拵え、切り分け、処理が、実にざっくばらん、というか、結構乱暴。
 間違いなく「丸葉」の西洋種の「ほうれん草」。しかも、葉の部分だけを使ってくれればいいものを「軸」の部位がどっさり。もちろん、赤い根っ子の姿はみえませんが。

 ですが、葉から切り離された「軸」の部位、煮浸しでしたから一応の柔らかさ。
 噛み締めてだし汁が滲み出るのが、救いといえば救い。
 ですが、「ざっくり感」は否めず、唇、舌にザラっとした感触。
 これでもし、炒め物を注文したとして、葉の部分はともかく「軸」の部分、はてしてどうなったことやら。
 ということでも、煮浸しを注文し、ほっと胸をなで下ろしました。

 味付けは穏やかで上品です。 でも「香」、「風味」が乏しい。
 味本位な調理を特徴とする日本人の中国料理人に概して共通した「香」、「風味」の乏しさです。
 普通の店なら文句もないです。日本人の料理人による中国料理って理解し、納得すればいい話ですし、それはそれで楽しみ方もありますから。
 ですが、ここは「香港と同じ味を提供」というのが看板の(はずの)「ヘイフンテラス」。
 ま、香港の味に近い料理店、ってことなら、私は一応は及第点。

 「金銀蛋上湯浸菠菜」を味わっている間も、黒服の女史は現れず、でした。

 画像は、しつこいですけどおなじみ「あの~、お客様」と料理撮影禁止です。
 先に別の店の「金銀蛋上湯浸菠菜」を紹介しましたので、なら、黒服女史が「季節ではありませんので」とのことだった「豆苗」の炒めものなど。

 ちなみに、「豆苗」ってこともありますけど、使うのは「葉」だけ。「軸」の部分、切り落としてあるってのが、お解かりいただけるかも。

 野菜、ことに「青菜」の炒め物。
 塩味炒め(「だし」仕上げ)、ニンニク、唐辛子の細切り、「腐乳」や「蝦醤」などの調味料を使った味付け、風味漬け。それに、一気呵成に炒める「鍋」の「火」の扱いが語られますが、実は、そのために一番肝心なのが、野菜の下処理、下拵え。

 野菜、特に「青菜」もの、それぞれ「葉」や「軸」だけでなく、尖端か根っ子と、部位、場所によって味が違います。
 部位の違うものを同時に鍋にほうりいれ、調理すれば「火」の勢いがあっても、部位、場所によって「触感」、「味」、「風味」が違ってくるのは当然な話。

 それを時間差で、つまり、火の通りにくい部位から、順番に鍋に入れる、なんてワザもあるようですけど、一気に炒めるって作業ではそんな悠長なことはやってられない。
 
 そんなことから見逃せないのが、素材の下処理、下拵え。
 「葉」の部分、「軸」の部分を切り分け、隠し包丁、でもないですけど、工夫をするのはごく当たり前、当然な話。
 かように素材の切り分け、下拵えの「板」の作業は、料理の出来栄え、味、風味を決める、重要なポイント。 その存在と技を見逃せません。