口を真一文字に結び、両手で抱え持つのではなく、両手をうんと伸ばし気味にして大皿をしっかりと手にし、我らがテーブルに運んで来る黒服の女史。
大皿を見下ろし、足先を確かめながら慎重な足運び。その緊張した表情が物語る緊迫感。
我が友人が最大の楽しみにしていた蒸し魚料理の「清蒸紅斑」のお出ましです。
「お~!」と、どよめきが上がります。
「来た、来た!」と、はしゃぐ喜びの声。
が、それも、大皿を目の前にした途端
「?????」。
一瞬の沈黙。
テーブルの上を天使が通り抜けた!
大皿から尻尾が(少しばかり)はみだすくらいのでっかさ。
ひれの上あたりに香草。身の半分、尾を隠すようにして、たっぷりの(丁寧な仕事ぶりに見えて、切り方が不揃いなものもある)白髪ねぎ。
「?????」と一瞬の沈黙の訳は、なんとでっかい魚、頭から尻尾まで、腹の部分を切り開いてありました。口あけてあんぐり、あっぷあっぷ状態の干し魚さながら、「開き」の状態で蒸されていたからです。
唖然!
呆然!
開いた口がふさがらない。それは私だけではなかった様子です。
沈黙を破って「あのう!」と、私が一言。
「こうやって、開いて蒸すわけですか、魚?」。
黒服の女史、すっと背筋を伸ばし、顎を上げ気味にして
「ええ!」と、自信たっぷりな面持ちで
「一本釣りの魚を使っておりますので、針がありましたらいけませんので!」
と、きっぱり!
「?????」
再び天使がテーブルの上を通り抜けた!
「一本釣り?」、「針?」と、黒服の女史に確かめるように尋ねる私の言葉に
「「野田岩のうなぎ」、、、ですか?」と、友人がボソ!
その言葉に連られて、思わず私は、グフ!
白焼きはともかくうなぎ、蒲焼は滅多に食べない、
というよりも食べられない私は、「野田岩」にでかけたことがありません。
ですが「野田岩」の箸袋には「針にご注意を」なんて注意書きが記されてる、
という話はあまりにも有名。
「なの、魚が針先のエサに喰くらいついて針を飲み込んだとして、口の中か、せいぜい届いて砂擂り裏の内臓あたり。身の下半分、背筋にびしっと肉が張り付いてるあたりまで、どうやって針が届くもんなんでしょう?」
なんて思っても、そこはぐっと我慢。
碗仔に取り分けられた魚、紅斑の持ち味そのまま、「ほろり、はらり」と身が崩れる。
脂が乗っていて、唇、舌にまつわるとろりのねっとり感がたまらない。
味付けは、しっかり。少々、醤油味が立ちすぎの感あり。
ですが、脂がのっているのでさほど気にならない。
ところが、部分によっては身が「ぼろり、ばらり」。
「火が、通りすぎ?」、と思ったが、そこはぐっと我慢。
蒸し魚は、なんといっても、頭が美味。
頭の骨にむしゃぶりつき、身を舌でえり分けながら食べる快感、美味こそは、なによりもの醍醐味。
脂の乗った砂擂りあたり、鰭のついてる部分のとろける味わいも格別です。
中骨あたりは、うっすらと身の色が変わり、火が通っていながら「ほろり、はらり」の粗さのある肉質ながら「しゅわ」とした触感を残している、というのが私の好み。
ことに「紅斑」はじめ、各種の「石斑」を蒸し魚にして調理した時の味わいところ。
それが、身の半分を食べ始め、「ほろり、はらり」ではなく、「ぼろり、ばらり」。
しかも、身が崩れるのではなく、身がごそっとはがれる、のは何故?
それに、味はしっかりでも、「香」、「風味」が飛んじゃってます。
やっぱり、火の通しすぎ?
腹をまっぷたつに開いて、蒸したせい?
実は魚の蒸し物、火加減が一番むずかしい。
ことに丸ごと一匹、そのままの形で蒸すとなると、蒸す時間の按配、加減に、熟練の技が必要。
そのための工夫として、腹を開いて魚を蒸す、という方法もあり、
なんて話も聞きました。
蒸してる途中で、蒸篭の蓋をずらし、按配、みるんじゃないでしょうね。
なことしたら、温度が一気にさがりますけど
もちろん、腹を開いて蒸す魚料理がないわけではない。
「麒麟」といって、腹を開いたあとで、身に切り身をいれ、そこに干し椎茸、筍、金華火腿の薄切りなどをはさんで、蒸す料理方法もあります。宴会料理に登場します。
以前、ここで香港の広東料理店におけるキッチン事情、それぞれの役割分担を紹介した際、触れてきたように、蒸し物、土鍋煮込み担当を専門にする「上什」が存在します。
「上什」は、蒸し以外に、干し鮑など、乾燥海鮮素材の戻し、調理の下拵えも担当。
ということからも明らかなように、一応の経験、年季が必要。
蝦の在庫の確認のため、黒服の女史の命を受けてキッチンにパシる白服のアテンド君などには、、、無理な話でしょう。
日本の中国料理店、それも、ホテルのレストランや一応の店が、香港などから料理人を招聘する場合、まずは料理長、それに、その相方か補佐も一緒に、というのが一般的なようです。
たいていの場合、料理長は「鍋」を担当。で、相方となるのは、料理の下拵え、それに、料理の素材調達などの管理を担当する「板」を担う料理人。
そうです。
いくら「鍋」の技に優れていても、「板」の存在なしには、本領を発揮できません。
つまり「鍋」、「板」のコンビ。
それに、飲茶の点心担当の「点心師」を共に招聘、ってこと多いようです。
もっとも、日本で香港などから料理人を招聘する場合、そこまでどまり。
焼き物担当の料理人を招聘、なんてことは滅多にない。
そういえば、赤阪璃宮、譚彦彬さんがオーナー&シェフになって以来、焼き物の担当をわざわざ香港招聘。それが、とっても頑固な職人肌の人間で、とはかつて譚さんからうかがった話。
そんな例は珍しい。
それに、例えばペキンダックの専門店の「全聚徳」が焼き物専門の料理人を招聘、というのは当然な話でしょう。ですが、蒸し物担当の「上什」まで招聘、という話は滅多に耳にしたことがありません。
「ヘイフンテラス」、香港からやってきた料理人については、前述の通り、3人。
てことでしたから、「蒸し物」は総料理長、あるいは、料理長の指導のもと、日本人スタッフが担当、ってのが現実じゃないでしょうか。
「ぼろり、ばらり」だけでなく、魚半分の身、ごそっとはがれていく。
おまけに、料理はどんどん冷めていく。
黒服の女史が緊張しながら、慎重にテーブルに運んで来た頃の料理の熱さは、どこへやら。
骨だけでなく、身のついた魚が残った大皿を前に、なんだか、心にわだかまり。
しかも、わだかまりは次第に大きく膨れ上がっていく。
それまでぐっと我慢だった私も、ついにはこらえきれず、パシリの白服のアテンド君に頼みました。
「あの、黒服の女史、呼んでくれない?」
画像ですが、すんません重ね重ね、って私が悪いんじゃないんですけど。
「あのう、お客様~!」と、料理撮影禁止の「ヘイフンテラス」です。
探し出したのは「チャイニーズ・レストラン・直城」の「張大千干焼魚」。
画家の張大千が好んだ魚の料理方法をもとに、山下直城さんが、工夫とアレンジ。
画像を見るたび、その美味、風味の豊かさ、深い味わいを思い出して、涎がこぼれます。
この料理、いつだって、何回だって食べたいです。