2008/03/19

ヘイフンテラスの謎と不思議の10

 香港ではよくあること?
 お客様の方がよくご存知のはずじゃないか…なあ?
 ですか?
 ………………………?

 耳を疑いました。
 何がなんだか把握しかねて、いったい、黒服の女史、何が言いたいのかと、思わず頭の中で黒服の女史の言葉を反復、咀嚼。

 黒服の女史のにこやかで満足気な笑顔には、懐に隠し持った切れ味鋭い小刀で、グサっと胸をひと刺し、というだけでは物足りずに小刀をえぐりまわし「ムフ、仕留めた!」とばかり、その手応えに打ち震え、興奮し、恍惚とした快感までもが、ない交ぜになったような様子もありあり。
 冷静で落ち着き払った慇懃な語り口は、自信に満ち溢れたものでした。

 香港では、魚の腹を開いて魚を蒸すのは、別に珍しいことでもなんでもない、ってこと?
 それに、香港にお出かけなら、ご存知のはずだ、ってこと?

 そうか、「お客様がご存知ないだけ、じゃないでしょうか!」って意味なわけですか?
 そうか、そういうことか。
 それこそ、彼女が一番言いたかったことだったのだ、ってことに気づきました。

 総料理長なのか料理長なのか、誰が言ったのか、その言葉を代弁して我らに伝えてくれた「よくご存知のはずじゃないか…なあ」という、「か」と「なあ」の独特の間合い、含みのあるニュアンスにとんだ表現が、それを如実に物語る。

 胸の痞えなどではなく、腹に据えかねた思いを口に出せてか、黒服の女史のにこやかな笑顔は、すっきりとしていて実に爽やか!
 意趣返し、ってやつですか?
 それにしても、何でまた、何のために?

 「なるほど!」と、私。
 「でも、私はそんなの、知らないなあ!
 ま、あの、さっきも言いましたが、「麒麟」って料理方法の時には、魚の腹を割いて、切り目を入れて蒸すってのは知ってますが……」。
 ひと呼吸置いて
 「そんなもんですか」
 と、私は投げやりに生返事。

 そういえば、料理コンクールの受賞料理の資料写真で、魚の腹を開き、色々なものを乗っけ、蒸した料理を見かけたことはある。が、実際に食べたこともなければ、出会ったこともない。というより、私はその種の料理に興味はおろか関心もありません。

 「私の出かける料理店では、まあ、一応の店、なんですが、蒸し魚って言うと、丸ごと一匹、そんまま蒸して出す。(魚の)腹を割いて蒸したのには、出会ったことがないなあ。それに(魚の)腹を割いて魚を蒸す料理を出す店と言えば……」と、続けようかと思った話もやめちゃいました。
 そこはぐっと我慢、っていうよりも、黒服の女史の言葉が頭をよぎり、その言葉にあきれ返って「こりゃ、これ以上、話しても無駄、話にもなんないワ」、と匙を投げた格好で。

 「あれって、非は頑として認めないってことですね!」
 と、ホテルを出た途端、友人の連れがポツリ。
 それを聞いて、思わず「グフッ」と私。

 誰の見た目にも明らかな黒服の女史の頑なさ、意思の強さ。
 「いいじゃないですか、あの頑張り様が。逞しくって、意気盛んで意欲的。負けん気が強いとこが、頼もしくって、いいじゃないですか!」、と私。
 いや、ほんと、そう思いました。かわゆくて、まぶしいくらい、だと!

 とはいえ、意気盛ん、意欲的で、負けん気が強くっても、懲りない人、だけじゃなくって、堪え性がないから、ついつい、余計な一言。腹に据えかね、たまりたまった鬱憤をなんとか晴らしたい、という思いに駆られていたんでしょう。

 黒服の女史、その役割と立場上、感情を抑え、露骨な表現は避け、遠まわしに、婉曲に、という心積もりが、あったのかどうか。
 ともあれ、負けん気の強さ、堪え性のなさゆえに、丁寧な言葉遣い、慇懃な態度ながら、露骨でぶしつけな物言いになってしまった、なんてことご当人、微塵だに思ってはいないはず。

 それにしても「よくご存知のはずじゃないか…なあ」とは実に強烈。
 ちょーインパクトのある言葉です。
 それも、友人の連れが語る「非を認めない」ってことより、黒服の女史、自身、それに店の正当性を主張することしか念頭になかったのに違いない。

 「ヘイフンテラス」を誇りに思い、その一員、スタッフであることを誇りに思う姿勢と態度は立派です。 が、その頑張り、踏ん張りにもかかわらず、当方の疑問、質問に対しての回答は、なんだか要領を得ない。思い込みの深さ、激しさゆえ、なんでしょうか。
 それより、「まさか、「ヘイフンテラス」の料理が否定されるとは!」、という熱い義憤の念に駆られての言動か。

 確かに、魚の腹を割いた調理が、火を通しすぎることになった要因ではないかと私は指摘しました。
 しかし、腹を割いた調理は、単なる要因ではないかというのは私の見解、個人的な意見。
 それよりも、料理そのものの出来栄えが私にとっては肝心な問題。
 下拵えはどうあれ、蒸し加減そのもの、その見極めの甘さ。
 それに、しっかりした味付けながらも、風味が乏しい。
 その要因を探れば、料理人の技量や調理、それ以前に、料理に対する姿勢に関わってくる問題ですが、それについての見解、その回答とは思えない予想外の言葉です。

 なにしろ「香港ではよくあること」、「お客の方がよくご存知のはずじゃないか…なあ」、ですから。

 画像は、そうです「あのう、お客様~」と、料理撮影禁止。
 なんて繰り返してたら、テーマに則した画像が見つからない。
 ということで、デザートを一品。
 鏞記の舊式馬拉糕。素朴な甘さがたまらない昔懐かしい馬拉糕です。