ぐつぐつ煮えた熱々の「鹹魚鶏粒豆腐煲」。
テーブル仲間の友人が楽しみにしていた一品です。
豆腐は一丁分を横半分に2分してから、2・5~3センチほどの正方形。ってことは3X6ですから、豆腐一丁を36等分?
とはいうものの、豆腐の大きさ、それぞれに個体差があって、切り方はざっくばらん。
素材の切り分けは、すべて均一の大きさが必須の条件のはずの中国料理の基本からは外れてます。
「香港人の料理人なら、普通、Okにはしないはずなんだけど……
ってことからすると「板」だけじゃなくて「鍋」の担当も、日本の料理人?
でも、これでOKにする「鍋」の料理人も、もし香港人としたら、根性と自信があるんだなあ」
などと思っても、口には出しません。
その豆腐、「獻」、つまり、粉をまぶして下拵えし、煎り焼きにしてありました。
丁寧な仕事ぶりです。が、単に粉をまぶして煎り焼きにしたっていうだけで、豆腐の味、風味をしっかり封じ込めてるってわけでもない。
豆腐のぷるんの触感だけが味わえるものでした。
鶏肉の切り方も、豆腐同様にざっくばらん。
その肉質、前菜で食べた「豉油鶏」同様に柔らかい!
というか、グニョの質感に類似、ってことは、同じ鶏肉?
なら、一応、鶏肉は吟味?
などと、思わず納得。
それより、肝心の「鹹魚」。
「馬友」か「曹白」かは判別し難い。
一応「鹹魚」の味、風味はしました。
ですが「馬友」にしては「梅香」物ではない様子。
塩味の濃さ、辛味や、あの独特の風味がない。
もっとも、「馬友」にしても、「曹白」にしても、「鹹魚」特有、独特の味、風味を、これ見よがしにではなく控え目にその味、風味を生かし、穏やかで上品な味に仕上ているのは実ににくい。
だしも実に効果的に使われてましたから。
とはいうもの、穏やかで上品な味付けですが「香」、風味には乏しい。
「鹹魚鶏粒豆腐煲」も「鑊気」、鍋の気が不足。
行き過ぎない味付けの慎重さが、穏やかで上品な味を生んでいるのは確かですが、慎重になりすぎてか、料理に力強さがない。力強さがないから、香り、風味が立たない。
ぐっとひと押し、もうひと我慢の火の入れ方で、香りがうんと際立つはず!
なんて、料理も大して出来ない私が言うのもおこがましいですけど、これまで食べてきた経験、体験からすれば、問題は「鑊気」、鍋の気不足にあり、なのは明らか様子。
香港の料理人で「嘉麟樓」のチーフを務めた料理人なら、そんな問題、とっくにクリアーしてるはずなのに、と思っても、「ヘイフンテラス」を訪れるのは初めての客ですから、チーフの料理人、総料理長や料理長から相手にしてもらえるわけがない、のはわかってます。
そうです。「特権の享受」のサービスに預かれるのは、なんといってもなが~いお付き合い、それなりの投資が必要ですから、というのはとっくに承知済み。
それより「鹹魚鶏粒豆腐煲」を食べながら、この「板」の仕事、「鍋」の火加減や味付け。
どっかで出会った、食べた記憶あり、という思いが頭の中を駆け巡りはじめました。
やっぱり、調理は日本人の料理人?
実は、テーブルの仲間の我が友人、同じ思いだったことが後日の会話で判明。
同じような素材の扱い、調理、味付けで、どっかで食べたことがある、という思いが頭の中を駆け巡ったそうです。
類は類を呼ぶといいますが、我が友人というのも、実は相当マニアックな広東料理フリークです。
我が友人、抱え続けたわだかまり、とある店に出かけて一挙に氷解。
そんな話から「ヘイフンテラス」の謎と不思議、解明への道を辿り始めたのでありました。
画像は、やっぱり「あの~、お客様」の「ヘイフンテラス」ですから。
で、探し出したのは、豆腐の料理。
「鹹魚」ではなく「蝦醬」を隠し味、味の鍵にした「大馬站煲」。
皮付きバラ肉の焼き物と揚げた豆腐、韮の炒め煮込み。
目黒の「白金亭」のもので、我が兄弟、周中が用意してくれました。
調理担当は「白金亭」の木下茂樹料理長です。