私が香港にのめりこみ始めた80年代、香港では「新派広東」が食の最新のトレンドでした。
今、手元になく、表題を失念ましたが、周富徳氏の監修のもと香港の食の最新事情を紹介した「専門料理」の別冊号がそれらを大々的に紹介。それをよりどころに色んな店にでかけ「新派広東」の実状をフィールドワークしたもんです。
当時の「新派広東」にも色々な傾向があった。
そのひとつは、仏伊を中心とした西洋料理、それに日本料理の素材をとり入れたもの。仏伊はじめ西洋料理の素材を積極的に取り入れた料理を相次いで生み出し、センセーションを呼んでいたのが、当時「凱悦酒店」にあった「凱悦軒」の料理長だった周中師傳。
実状を明かせば「凱悦軒」のキッチンと、「凱悦酒店」の西洋料理部、及び西洋料理の「AMIGO」のキッチンは隣合わせ。ボス、つまりはホテルのオーナーから新しい料理を考案するよう言い渡され、興味をそそられる面白そうな素材を隣のキッチンから頂戴し、新しい料理を工夫、考案というのがそもそもきっかけ、だったそうな。
一方、日本料理の素材の起用に積極的だったのが東海、利苑など、街中に誕生し、話題を呼んでいた料理店。しかも、日本の素材を起用、といっても、ししゃも、蟹かま、たくあんなどのお漬物の類、だったのには目を丸くしたもんです。
折りしも香港では音楽、ファッションはじめ日本ブームがブレイク。食に関しても、ラーメン、炉端焼き、回転寿司が相次いで香港に紹介され、一挙に日本食ブームが到来。それまで日本料理といえば、日本人の経営、日本人の料理人による高級店が中心で、香港の一般庶民には手の届かない高値の花だった。
それが、香港資本、香港の経営者によるラーメン、炉端焼き、回転寿司の登場が相次いで、一挙に大衆化。そうした背景もあって、新しい素材を求めていた広東料理店の経営者、料理人が、炉端焼きのメニューに並ぶ日本の料理、その素材に注目!というのが、要因だったのでは?と私はにらんでます。
西洋、日本の素材を取り入れた新傾向と同時に、伝統的な広東料理が見直されるようになったことも「新派広東」では見逃せない。それも、前回触れてきた通り、香港の経済的な繁栄を背景に、消費熱が盛んとなり、とりわけ食への関心が持たれ、かつて富裕層を中心とした特権階級の口にしか入ることのなかった高級食材を素材にした料理が、脚光を浴びるようになった。
まずはふかひれはじめとする干貨素材。それに、流通が整備され、供給が盛んになった新鮮な魚介による海鮮料理もそう。
同時に、広東地方独特の伝統的な郷土料理、しかも、大半が稀少で貴重で高級な素材による「野味」料理が、脚光を浴び、もてはやされるようになった。
先にふれた周富徳さんの「専門料理」の別冊号でも大きく取り上げられてました。それをたよりに、色んな店を訪ね、いろんな料理を食べました。
沙田の「雅苑」では、店内の一角で生きたままの「野味」を檻で囲って飼育、なんていう「野味動物園」さながらの光景を目の当たりにしたもんです。また、同誌で、最新の店として紹介されいたのが「東海海鮮酒家」や「利苑」。
「東海」はその後いくつかの支店、さらにはより大衆的な「鴻星」、高級志向の「海都」などを開店し、事業を拡大。「本地伝統新派」を看板に、広東料理の伝統料理、さらには中国各地の地方菜を積極的に取り入れた新しい料理を開発、提供し、現在に至ってます。「利苑」もその企業規模を拡大し、とくにここ数年は、伝統的な広東料理、昔懐かしい「懷舊菜」を現代化した料理で、若い人々の間で人気、評価を獲得。香港の最新の食事情を紹介した日本のガイドブックでも必ず取り上げられています。
それにしても、当時、「果子狸」はじめ、「新派広東」で甦った伝統的な「野味」の料理、いったいどれぐらい食べたことやら。
そんなことから、84年だったか85年だったか「BRUTUS」誌での香港を紹介した記事を手伝った際、「果子狸」などを紹介。
その時、一緒だったのが、カメラマンの三浦憲治。毛をむしりとられ、下拵えをほどこした褐色の「果子狸」を目の当たりにして、目が点になったのを、私は見逃さなかった。三浦憲治はその体験を、後日、ブルータス誌で明かしたものです。
色んな店で食べた「野味」の料理では、だんとつに素晴らしかったのは福臨門の「紅炆果子狸」と「紅炆花錦鱔」。凱悦軒の「古法扣果子狸」。素材の吟味と調理、味付けが、他の店とは異なり、群を抜いていました。
今、手元にある当時の福臨門の冬の小菜のメニューを見れば「野味」として紹介されているのは「菊花會五蛇羹」、「淮杞花膠燉蜆鴨」、「蒜子火腩紅焼山瑞」、「焼焗 禾花鵲」などです。メニューにはないものの、素材の入荷があれば顧客に伝え、供していたのが「紅炆果子狸」、「紅炆花錦鱔」や「羊腩煲」。
「凱悦軒」では、80年代の後半から、毎年冬になれば「野味宴」を開催。周中師傳としては「野味宴」にはあまり乗り気ではなかったものの、ボスの命令には逆らえない。とはいえ、「新派広東」の先鋭的存在だった周中だけに、伝統的な手法を踏襲しながら、創意や工夫を凝らしていました。
それに、中国各地から「野味」の素材を調達し、他の料理店とは一線を賀していたものです。「凱悦軒」の「野味宴」は私の冬の楽しみのひとつで、毎年、正月には必ず仲間を集って楽しんだものでした。それを紹介したしたのが「GULIVER」誌の「香港上級案内」(90年12月13日号)。
以下がその時のメニューです。
吉林山鶏五蛇羹(吉林産の鶏と五種の蛇の羹)
醬爆野兎(野兎の焼き物)
畔塘水魚絲(すっぽん、蓮根、きくらげなどの細切り炒め)
家郷堀啄木鳥(きつつきの炒め煮込み)
川椒茄汁羊柳(ラム肉の四川風味)
京葱黒椒梅花鹿(日本鹿と葱の炒めもの、胡椒風味)
珊瑚八珍珠蛇(蛇肉入り腸詰の蟹みそあんかけ)
古法扣果子狸(ハクビシンの煮込み)
天麻燉夜遊鶴(天麻とこうのとりのスープ)
画像は、その時の記事です。