熊の掌、象の鼻や足はともかく、駱駝のこぶや鹿のアキレス腱の料理は、上野毛の「吉華」はじめ、いくつかの店で食べたことがある。北京の北海公園にある彷膳飯店で開かれた、地元の知人の結婚式の祝宴でも、いずれの料理とも登場。
それに比べ、広東地方で冬場に盛んな「野味」の料理が日本で食べられないのは、その存在があまり日本には知られていないこと。素材の調達が難しい、ってことがその理由にあげられるんじゃないかと思います。
広東地方、広州や香港では、鮮度重視で、冷凍ものなどには目もくれない。生きた物を絞めて、即調理。もしくは、それなりに寝かせる。エイジング、ですね。広州の清平市場に出かければ、その光景を目の当たりにすることができます。
日本でも広東地方の「野味」の料理を再現するにあたって、SARSの一件までは現地から調達可能なものもあった。が、SARS禍以後、ほとんどの物がダメ。以後、冷凍物が中心となり、検疫検査済のものだけでそれに対処、という店もあったようです。
そういえば、昨年の暮れ間近、銀座の「麒麟」で「果子狸」に久々にご対面! といっても、柱候醬を使わずに「紅焼」式の調理方法で。
「麒麟」の総料理長の松島徹さんは、もともと上海料理畑の出身ですが、中国各地の地方料理にも関心を持つ研究熱心で意欲的な料理人。実は、とある月例の会議の場所が「麒麟」。というわけで、毎月、松島さんの料理を食べ続けてるわけですが、毎回、必ず意表をついた料理が登場。そんな一品だったのが「紅焼果子狸」。なんと豪州産を入手したそうで、懐かしい「果子狸」とのご対面に盛り上がりました。が、同席の方々、「旨い!」とはいいつつも、あたまの上には「?」という感じでした。
日本で入手可能な「野味」の素材といえば、すっぽん。それ以外では、エゾ鹿がある。が、私が出会ったものは、肉の味、風味がいささか野生ぽいクセがあり、肉質もいささか硬かった。フレンチ、イタリアンでのジビエ的調理に比べ、素材重視の調理による広東式の調理では、いまひとつの印象。
鹿肉といえば、食べることと音楽の趣味が私とぴったりなショーン&宏美のローソン夫妻、ハンティングが趣味のショーンが以前送り届けてくれた収穫物の鹿の腿肉が、たまらない美味でした。肉質は緻密で繊細。舌にとろけるように柔らかい。といって、脂肪分は皆無。肉そのものが、やわらかく、草や果実を食んだグリーンでフルティーな味、風味がする。カルパッチョにしたら実に旨かった。
そんな若い鹿肉の美味、風味を久々に堪能しました。美味しい鹿肉の料理が福臨門で食べられるから、と教えてくれたのはミッシェルです。
香港でも冬場には鹿を食べます。もちろん「野味」の料理の一品として。といっても、東京などに届く野性的なクセのあるエゾ鹿のように大ぶりなものではなく、仔鹿の「黄猄」が中心。そのフィレ肉、アバラ肉を焼烤、つまりはバーベキュー風に調理したり、伝統的な料理手法で煮込んだものが、「広東新派」が流行した80年代半ばから90年代初頭までの香港で食べられました。
そして今回の福臨門の鹿は大分の日田市の産。どうやら、日本鹿らしい。が、仔鹿ほどの大きさ、だそうで。なんでも、草や木の芽だけでなく、梨を食って育った、という話です。
そのフィレ肉を素材に、筍と炒め合わせたのが「冬筍炒梨子鹿片」。やはり、肉質は緻密で繊細。すっと歯が通る柔らかさ。しかも、すんなり噛み切れる。噛み締めれれば、クセがなく清廉で、フルーティな味わい、風味が浮かび上がる。その鹿の心臓と肝臓の薄切りの炒めものをつまみ食いしましたが、これがまた繊細な美味でした。
同じ鹿の肉でも、部位の異なる鞍下から胸バラのあたり。それを素材に柱候醬で調味し、煮込んだのが「紅炆梨子鹿肉」。鹿肉の塊の断面はルビー色。鴨や鳩肉のよう。が、血の気、血の味の濃さを感じない。フィレよりもしっかりした肉質。しかし、やはり繊細で緻密。がその部位の調理、味付けは「紅炆果子狸」のそれと同じ。
「果子狸」の美味、風味を思いだしながら、けど、肉の質、味、風味は違う。やっぱり、鹿肉。繊細で緻密でしっとり。噛み締めれば、弾力がありながら、ぬめっと柔らかい。純で潤いのある肉の味、風味、洗練された調理の美味に、頬がゆるみっぱなしでした!
画像は、2種の鹿の料理。「冬筍炒梨子鹿片」と「紅炆梨子肉」です。