2008/01/28

冬の風物、野味宴(5)

 大分の日田産の鹿の美味。
 「冬筍炒梨子鹿片」と「紅炆梨子肉」、どっちがいいの?って尋ねられたら「どっちも!」ときっぱり答えます。久々の鹿肉との出会いもさることながら、その肉質、おまけに部位によって味、風味がビミョーに異なる。

 かつて香港で食べたことがある鹿の料理といえば「黄猄」を素材にしたバーベキューと煮込み鍋。大分の日田産の「梨子鹿」は仔鹿でも「黄猄」よりも幾分か成長している様子。肉の柔らかさ、味、風味がそれを物語る。それに、福臨門ならではの伝統的な広東料理の「野味」の料理の手法を踏襲した洗練の美味だったってことも見逃せません。

 そんな「梨子鹿」とともに、同じ大分の日田で収穫した「猪」が銀座の福臨門に届いているという話に、色めき立った。
 奇しくも昨年の暮れ、宮崎在住のかみさんの友達から「猪」が贈り届けられた。

 脂と肉の比率が半分ずつ、牛や豚で言えばロースと思しき部位の冷凍物。牡丹鍋のことを思い浮かべて、思わず涎がこぼれたほど。一体、こいつをどうやって食べようかと冷凍庫を開ける度に思案を重ねていたところです。

 そこに福臨門に猪が到着という話。しかも、生肉だと知って、日和りました!
 そりゃ、冷凍よりも、生肉でしょう!

 猪と言えば、思い出すのは牡丹鍋。もっとも、最初に食べたのは、我が家流。本格的なそれを食べたのは、それからずっと後になってから。

 我が父、親父は銃砲取り扱いの免許を所持し、冬には狩猟にも出かけてました。そんなことから、冬場になれば親父の収穫物、猟友会の仲間から届く野鳥、猪、鹿肉などがいつもありました。台所の横の物置きに、新聞紙にくるまれた野鳥がぶら下がっていたりしたものです。収穫してもすぐにはさばかず、肉を蒸らし、寝かせていたわけです。で、捌くとなると、羽むしりから。というわけで、雉や野鴨の毛むしりを手伝わされました。

 雉や野鴨はたいてい場合、親父の好みもあってすき焼き風か七輪を取り出して焼き鳥風、つまりはバーベキュー。 「これでいいの?ね、ね?」などと親父にお伺いを立てながら、雉や鴨も焼いたこともあります。
 猪の肉は親父の収穫ってこともありましたが、たいていは猟友会の仲間からのおすそ分けだったようで。ともかく、親父が肉の塊をそぎ切りにし、ダシに味噌仕立ての鍋にして食べました。というのが、私の牡丹鍋との最初の出会い。

  ある時、鍋にしても有り余るほどの猪の肉が我家に到来。猪だと牡丹鍋風に味噌味仕立て。ですが、毎日、牡丹鍋と言うのも飽きるもので、そこで我が母親、鍋で食べきれない猪肉の塊で、ハムもどきをこしらえた。猪の肉を茹でてから、燻すなどして見よう見真似でこしらえた物です。

 それまでに牛の舌を煮込んだり、塩漬けにして茹でて作ったコンタンもどきがなかなかの味、だったからじゃないかと思います。牛舌を煮込んだり、茹でたりするのも七輪で。七輪の火を起こしたり、火加減を見るのは、最初は母親、やがて私の役割になりました。

 猪の肉の塊でハムもどきを作った、とはいっても、昔のことですから、香味野菜といえば生姜に葱。スパイスも山椒、白胡椒ぐらいなもの。もちろん、市販の粉末のもの。粒胡椒なんかではありません。
 そう、黒胡椒はおろか、気の利いたスパイス類、ハーブの類など我家には皆無。当時、昭和20年代後半から30年代にかけて、一般の家庭には、そんなものはありませんでした。
 いや、もしかして、ベイ・リーフぐらいはあったかも。

 さて、我が母親がこしらえたハムもどき。猪の肉は旨いものの、香り、というよりも匂いが強烈。それが食卓に上った日の夜、一応は誰もが口にした。しかし、それ以後は誰も口にしない。私といえばそのクセのある味、香りというよりも匂いのする猪肉のハムもどきに病みつきになって、毎日、ひたすら食べ続け、すべてを平らげました。

 そういえばNHK-TVの「男の食彩」のキャスターを務めていた頃、陶芸家の鯉江良治さんのご自慢料理を紹介した際、近隣の方のおすそ分け、という猪肉の鍋を御馳走になったこともありました。

 画像は親父(左)と仕事仲間だった井上さん。親父の足元のポインターは、確か、この写真を撮った猟友会の人のもの。一時、我家にいたこともあります。その後、我家で飼っていたのはアイリッシュ、次いで、ゴードンのセッター。

 犬の散歩、それに、犬の食事の担当は私でした。
 生骨、生肉は猟犬には食べさせられないので、骨や筋肉を煮込んで犬の餌を作ります。
 私、牛の筋肉が何よりの好物なのですが、実は、犬の餌のために煮込んだ筋肉を、しょっちゅうつまみ食い。で、牛の筋肉の煮込みの病み付きになった、という次第であります。