2007/09/01

香港の料理店事情、あれこれ①

 この22日、NHK-BS1の夕方のニュース番組「アジアンクロスロード」に駆り出されました。
 現地在住の特派員、それに番組スタッフが取材した「アジア街角レポート」というコーナーがあって、そのゲスト・スピーカーの役目を仰せつかったもの。

 今回は香港の食事情、香港の料理人事情を探るというテーマ。「香港の飲食業界のこの10年の変化」ということで、特に97年の中国への回帰前後から目立って多くなった香港の料理人の海外流失、その現状を探るってことがそもそものきっかけだったようです。で、今回は、香港政府が後ろ盾になって開校した調理人育成の為の中華廚藝學院で学んでいる学生にスポットを当てたVTRを紹介。そして私が香港の料理人事情を紹介、というものでした。

 VTRでクローズアップされたのは李文金さん(23歳)。潮州の生まれ、育ちで、両親は彼と妹を潮州に残して先に香港に出稼ぎに。16歳の時、両親のいる香港へ移住。香港では高校に通いながら飲食店でアルバイト。その勤め先が四川料理店だったことから四川料理に興味を持ったとか。
 高校卒業後、厨藝學院の全日クラスで学び、卒業後、新派四川を看板にする「亮明居」に勤務しながら、現在も週一回、現役シェフ対象のクラスを受講中。将来ファイブ・スター・ランクのホテルのレストランのシェフになるのが夢、だそうです。

 そんな話を耳にしただけでも色々と興味をそそられる。話題に事欠かないテーマです。

 まず、香港における調理師専門学校の存在。
 香港の食に興味を持って入手した飲食関係の専門誌にその紹介や広告が掲載されていたことからその存在を知りましたが、地元の知人たちにその存在意義、認識を尋ねても、一般人にはむろん無縁な存在。料理人志望なら調理師学校に通うより、料理店で職を見つけて技術を覚えるんじゃないかな、ってことでした。
 とはいえ、料理人を目指し、料理店に就職したとしても、下働きからというのは日本の料理店での料理人修行とほぼ同じ。日本と少しばかり違うのは、よほどの小規模の店でもない限り皿洗いをはじめとする雑用係が存在することもあって、下働きはあくまで料理に関わることに限られるようです。

 私が香港に通い始めた80年代、香港の住民の中には97年の中国への回帰、返還を控え、海外への移民を真剣に考え、最大の関心事となっていたものです。
 海外への移民にはいくつかの方法があり、移民の手段や海外の国々のパスポートの入手方法を模索。そのひとつに特殊な技能、手に職を持った人を対称とした資格移民というのがありました。投資移民になるだけの資金力が無い人はその手段に頼るしかなかった。それには料理人も含まれていたそうで、技術を取得するには時間のかかる料理店への就職より、料理の心得があれば短期間に資格を得られることから、当時、にわかに注目されたのが料理人としての資格を得られる調理師養成の専門学校の存在。もっとも、料理学校の認定書がどれほどの効力を持っていたのか定かではありません。  

 実際、香港の中国への回帰、返還の時期、料理人の海外への流失が話題になったことがあります。もっとも、その後、海外に流失、とされた料理人が香港に戻るというようなこともあった。さらに、時を経て、中国本土で香港式の料理、ことに海鮮料理が話題を集めるようになって以来、香港の料理人が中国本土に進出。といった事情から、ここ最近香港の料理人の流失が再び話題になりつつある。それについては、また改めて触れたいと思います。

 それにしても、VTRで紹介された李文金さん、潮州出身なのに、バイト先が四川料理の店だったことから四川料理に関心を持ったというのが面白い。
 というのも、日本で四川料理といえば、中国料理のひとつという認識が大半でしょう。ところが、潮州を含めた広東人にとって四川料理は、遥か遠い北の国の外国料理、というのが一般的な認識だからです。
 それは、日本における関東、あるいは関西と、北海道、沖縄といった地域差、差異、存在認識などとは異なるものです。例えれば、日本と東南アジア各国との隔たり、つまりは和食とタイ料理の間の差異を思い浮かべてもらうのが格好かもしれません。

 そうした中国の地方料理に対する認識は、香港のフードガイドにおけるカテゴリー分類からも明らかです。中国料理としてまとめられることはなく、地元の代表的な料理である広東を筆頭に、上海、北京、四川など、地方の主要な料理ごとに区分されているのが実情です。
 それに、同じ広東省でも、潮州料理は広東料理とは別個に紹介されているのが一般的。また、上海料理の源流のひとつである杭州料理店なども上海料理とは別個に紹介されているが普通です。
 次いで、日本、韓国などを筆頭にアジア各国の料理店、さらに、フレンチ、イタリアン、といった按配です。