今月は夏の到来を告げる料理が並びました。
そうそう、支配人の大藤さんが退社と相成り、後を引き継ぐことになったのが副支配人の橋本健太郎さん。もっとも、我らが会議の食事のアテンドは変わらず山下さんと柏木さん。もう1年以上、毎月、顔を合わせてますから気心の知れた仲。心強くって安心してまかせられます。
たとえば海鮮料理の炒め物、揚げ物などに添えられる各種の醬の類の用意など、いつだって抜かりない。この種の料理にこれ、なんて料理に応じた調味料の類があらかじめ用意されてること自体、東京の広東料理店では珍しい。その用意がなかったとして、一回、お願いすれが、次回、その種の料理が出る時にはちゃんと用意されているという周到さ。
店のサーヴィスってことでは、名前と顔、好みの料理、味付けを覚えられ、特別な素材や料理にありつけられるといった常連、顧客としての特権的な対応が、評価の対象になりがちなようです。初めて訪れた店で、そんな待遇を受けられれば文句なし、ってことなんでしょう。
確かにそれも重要なことですが、私としては、テーブルの高さ、箸や分羹、れんげの用意、その素材の種類。さらには料理そのものがどうやってサービスされるか。熱いものは熱い皿で、汁気のあるものは皿ではなくて小碗で、といった料理の取り分けの按配。また、料理内容に応じた各種調味料の用意があってこそ、サービスは万全。それこそ料理店のサービスで一番不可欠なものだと考えるタイプです。
というあたりの配慮、目配りに気配り、譚さんの指導あってのことなんでしょうが、山下さん、柏木さんはじめ「赤坂璃宮」銀座店のスタッフは頼もしい存在。以前にも触れたとおり、「赤坂璃宮」赤坂店の開店当初、ホテル式サービスを積極的に取り入れ、対人のサービスは他の街中の料理店にないものがありながら、料理そのものサービスに関していろいろ問題ありだった頃に比べて改良されたのは事実です。
さて、まずは前菜。今月は「廣東焼味盆/前菜盛りあわせ」。一番手前が「焼肉」。その後ろ、右から「焼鴨」、「白切鶏」、「叉焼」。さらにその左、みょうがと白菜の漬物だっけ?あれれ、忘れちゃった。その後ろにあるのが「バラフ」。初めてです。
それから右奥は青菜で包んだ海蜇(くらげ)。海蜇の細切りをXO醬で和えた一品。その味付けの加減が憎い。口に入り、咀嚼するうち、味付けが浮かび上がるという按配。味付けもさることながら、海蜇の切り方、その細切りが見事。噛み締めると海蜇のぱりぽりの触感が浮かび上がるという按配。上品で洗練されてます。
「あ、海蜇!」なんて、思わず呟いちゃったのは私だけではありませんでした。細切りなのに、海蜇の触感を残した戻し方、切り分け、さらには、切り分けられた海蜇の細さに応じた味付けの加減は実に「ワザあり!」。
その手前に並んだ焼味類。「焼肉」はいつも通り、しっかりしてます。「叉焼」も醤油を焼いた照り味と甘味のバランスがグッド。で、左上細葱入りのタレ。「なんで今日は細葱入りのタレがあるの?」って柏木さんに尋ねたら「鶏肉、今日は「白切鶏」なんでですが、その「たれ」なんです」。「え!「白切鶏」なら、葱のの微塵と油のタレでしょ?でも、今日は違うんだ」。
なんてことで真ん中の「白切鶏」、画像左上の「たれ」をつけて食べたら、味が引き締まる。葱と油の「たれ」だと、広東料理独得の霞に包まれた茫洋的世界に引き込まれますが、醤油(たまり醤油に上湯みたいでした)の「たれ」だと、「白切鶏」の味、風味が引き締まる。新鮮な驚きがありました。
見かけはいつも通り。なんてことないようで変り映えしないような焼味類の前菜ですが、実は毎月、ワザや工夫を忍ばせてる、ってことですね。
もっとも、焼味類の中でも「焼肉」、「叉焼」と並ぶ王道的な一品のひとつ「焼鴨」なんですが、ちょっと気がかりなのは、なんだかここんとこ安定していない。下拵えというか、味付けは同じなんですが、焼き方、焼き加減、それに、素材自体の質が違うのか、ここんところ出来上がりがビミョーに違うんです。
今月は、火が通り過ぎて、皮も肉質も乾いた感じ。焼きすぎたせいだけじゃなくって、噛み締めてみると素材の「家鴨」の質、持ち味が、以前とは違うみたい。今度、譚さんに尋ねてみます。