そんな最中に「大澳香酥鶏/伊達鶏の蝦醬風味揚げ」が登場。待望の「蝦醬鶏」の登場であります。その《芳香》に吸い寄せられて「あれ?何言おうとしてたんだっけ」と、話してた意見、中折れ状態。
やばい! それにしても料理名、まんま「蝦醬鶏」じゃなく「大澳香酥鶏」と言うのが泣かせます。素敵な、いや、「粋」な料理名だ。
「大澳」というのは香港の西、現在、空港のあるランタオ島(大嶼山)南西部にある漁村で、明代の頃に中国本土からの移民が住み着き、漁村として栄えたところです。 その「大澳」の名物、名産なのが「咸魚」と「蝦醬」。
ことに大澳産の「蝦醬」、それも固形状の「蝦膏」は、飛び切り上質ってことで知られてます。つまり「大澳」の名があるってことは、同地の名産の「蝦醬」を使ってるってこと。もしくは、それにちなんで「蝦醬」を使って味付けであることを意味するわけです。
さらに「香酥鶏」とあるのが、ますますニクい。その言葉からは袁さんがこの料理に凝らした「工夫」と「技」、料理人としての心意気が汲み取れるからです。そんなことで、ますます盛り上がります。
この料理「蝦醬鶏」、日本でその存在を知られるようになったのは今はなき香港、湾仔の「酔湖」の看板料理だったのがきっかけ、じゃないでしょうか。ちなみに「酔湖」での料理名は「蝦醬碎炸鶏」。
手前味噌な話になりますが、私の知る限り「酔湖」、それにいくつかの看板料理を雑誌で紹介したのは私が最初、だったはず。その最初の取材で通訳をお願いしたのがTさんです。コーディネイターを務めてるもんですから、当人が依頼された他の雑誌の香港取材でばんばん紹介。そればかりか、後に出た香港の食案内の著作本で、自分が見つけてた長年の懇意の店風な口ぶりの紹介に、目が点!に、なったことも。
Tさん以外に「酔湖」を紹介したサイト、ネットで見つけましたが、お気に入りの店でしたから、その名前、広まるのは嬉しいなと思ったものです。しかし、とあるサイトに私がそのTさんに「酔湖」を教えられた、なんて勝手な想像、書かれていたのにはさすがの私もうんざりするだけじゃなく、怒り心頭。すぐさま、抗議、訂正依頼のメールを出したものです。
ともあれ、香港ではメニューに「蝦醬鶏」を乗せ、しかも、看板料理していたのも「酔湖」だけだったはず、って私の知る限りの話ですけど。いや、裏メニューにあり、というか頼めば即座に作ってもらえました。
というのもこの料理、香港では手羽先を素材にした家庭料理として一般的。一般の広東料理店で手羽先を素材にした料理は、前菜する焼味の一品としてタレの「滷水」に漬け込んだものや「南乳」の風味で味付けしたもの。もっとも、餐廳や咖啡舗、たまに粥麵店で「炸鶏翼」、手羽先の唐揚げというのがありますが、そんな時、風味づけに「蝦醬」が使われていたりします。
そんなことから、広東料理店でこの料理を頼めば、手羽先じゃなくて骨付き、もしくは骨を外した鶏肉を素材にするのが一般的。「酔湖」の「蝦醬碎炸鶏」が評判を呼び、名物にもなったのは、「鶏翼」、つまり、手羽先を使った昔ながらの庶民の味を、鶏のぶつ切り肉を使って再現してみせたところにあったのは事実です。
そんな「酔湖」の「蝦醬碎炸鶏」に魅せられたのが吉祥寺の竹爐山房の山本豊さん。それを日本に持ち帰って、独自の工夫を凝らしてそれを再現。というわけで、山本豊さんの薫陶を受けた料理人はそれを受け継いでます。経堂の「彩雲瑞」の千秋君、大阪の「一碗水」の南君もやってます。
そういえば、南君「ビールにあうアテ、なんかない?」という顧客の要望から思いついたのが「蝦醬鶏」。それも手羽先を使って、つまりは香港庶民の味を再現。その評判が広まって「一碗水」の知る人ぞ知る一品に。
これが「一碗水」の「蝦醬鶏(翼)」。「ラ・ベカス」の渋谷さん、香港の食については詳しくてうるさいって話、伺ってますが、そのお墨付け得たのが評判を呼んだそもそものきっかけだった、なんて話も聞きました。