2009/04/05

立春宴~早春の広東地方の郷土料理の2

 前菜に続いて、いつもなら「例湯」。ですが、今回はちょっと贅沢にふかひれのスープ料理を組み入れました。「肘子燉生翅/金華火腿の脛肉とふかひれ、湯煎蒸しスープ」です。 「海虎翅(いたち鮫)」の胸ひれ。それと「金華火腿」、中国ハムの膝下の脛の部分を上湯で湯煎蒸しにした料理です。

 このふかひれの料理については、以前、紹介しました。上海系のふかひれ料理に「火腫魚翅」というのがあります。もともとは杭州料理なんてことでしたが、「金華火腿」の脛の部分とふかひれ、それもふかひれの形状を残した「排翅」をふんだんに入れ、「だし」を足して湯煎蒸しの「燉」で調理したもの。

 かつて福臨門が出張料理を専門としていた時代、上海系の顧客からのリクエストに応じて同料理を再現。それをヒントに、もともとは宴会向けの多人数用の料理だったことからそのサイズを縮小し、少人数でも食べられるようにしたことや、より洗練された上品な味付けに仕上げたのが福臨門の「肘子燉生翅」、と言う話は、昔、福臨門の総料理長の羅安さんに取材した際、耳にしました。

 「話には聞いて知ってますが、食べたことがないんですよ」という青木さんの話が頭にこびりついていました。それに、私、この料理、これまで福臨門でふかひれを素材にした料理、色々食べてきましたが(なんて、自慢話ですんません)、その中でもベストの一品のひとつ(ですから、他にもベストの一品があり、なんですが・・・というのも自慢話ですね)。

 日頃、美味しい味、料理に出会えても、それはその時のもの、なんてことで追体験にはさほど執着はなく、むしろ常々未知の味、料理に関心のある私ですが、中には例外もあり! という料理のひとつが「肘子燉生翅」。何回食べても、食べ飽きることがない一品です。

 福臨門の「上湯」は老鶏(ひね鶏)、豚赤身肉に、なんといっても「火腿」をたっぷり使ってありますから、旨味は濃厚。それに「火腿」特有の醗酵味が生み出す旨味、独得の、風味があります。このふかひれ料理は蓋付きの容器にふかひれ、「上湯」、さらに「火腿」の脛の部分を加え、2時間ほどかけて「燉」したもの。調理に時間がかかるため、事前に予約が必要な料理です。

 旨味たっぷり、風味の豊かな「上湯」に「火腿」をさらに加えてあるだけに、旨味、風味は一層増してより濃厚に。それに「火腿」自体、塩蔵の醗酵品ですから、その分、塩味が滲み出て、塩味しっかりの重い味になる。塩味の濃い重い料理は苦手な私ですが、この料理に関しては文句なし、問題なし。しっかり利いた塩味、濃厚な風味こそが味わいところ、ですから。

 そして「生翅」、つまりは「海虎翅」、いたち鮫の胸ひれをばらばらにほぐした太い翅絲(ひれの繊維)の「ぷち」、「ぷり」の歯触り、噛み応えがたまらない。もっとも、今回は予算の都合上ふかひれの分量を加減して、少なめに。ほんとはもっとたっぷり食べたいところですが……でも、そうやって、つまり、ふかひれの分量などを加減しながら予算を按配し、コースを組み立てていくのは賢明な方法。相談に乗ってくれます。

 それよりなにより「肘子燉生翅」は旨い。
 舌にのしかかる濃厚な味、醗酵味が入り混じった旨味は、有無を言わせぬ力強さがあります。澄まし仕立ての「清湯魚翅」の優しくすっきりとした清淡な美味とは対照的。荒武者のような野生味にあふれていて、逞しく、凛々しい。その風味の重厚さにも圧倒され、しばし、押し黙る。

 この料理に初めて出会った青木さん、ひと口食べて、目を丸くしてしばしフリーズ。さらに、もうひと口。その味、風味をしっかり味わっている様子が、手に取るようにわかります。その余韻を愛おしむように、再び沈黙。しばし間を置いて、ため息をこぼすように「これは、すごいや!」とひと言もらして、後が続かない。ちょいわるオヤジ風の藤原君も「すごい、ですね!」と言ったきり、後はひたすら食べ続けるだけ。  お碗によそわれたふかひれ、スープとは別に、一緒に「燉」されていた「火腿」が皿に盛られて並べられます。それをそのまま味わうのもよし。そのエキス、ふかひれのスープに滲み出て「だしがら」のはず。ですが、そのまま食べればまだまだ旨味が残っている。

 そうだこの「火腿」、みかけはなんだかドイツ料理の「アイスバイン」だ。で、私はその「火腿」を、ふかひれのスープの入ったお碗に戻して、ふかひれと「火腿」を共に味わいます。なんて風に、勝手気ままに味わえばいいんですから! 
 これまで東京の福臨門で何度か食べてきましたが、いずれも呉錦洪さんによるもの。日頃の呉さんの料理、繊細で緻密なんですが、この料理に関してはしっかりの重い塩味が特徴。もちろん「火腿」をたっぷり使ってあるからですが。

 それにくらべると、今回の「肘子燉生翅」、若武者のように溌剌とした爽快感がある。加えて、九龍福臨門の重さとは違って、香港島福臨門の垢抜けた洗練を感じさせます。
 その秘密、理由、後になって判明したのでありました。