食事のはじめにそんな事情を教えられ、なら、野菜料理、通菜の炒め物は止めて急遽「咸魚炒蜜豆」に変更。
もっとも「雪菜蚕豆魷魚圍蝦」がありますから「豆」の料理が重なります。しかも、調理方法は同じく「炒」。ですが、味付けが異なる。それに「咸魚」の味付けなら、お粥の共としてもうってつけなはず。おまけに青木さん「咸魚」好き。豆料理が「雪菜蚕豆圍蝦魷魚」になったのが残念そうでしたから。
その「咸魚炒蜜豆」。お粥の共にするはずだったのが、そんなこと忘れてしまうぐらい美味でした。「砂糖さや」を炒め「咸魚」で風味付けといういたってシンプルな料理です。家庭でだってやれそうな料理です。が、そこはそれ「福臨門」ならではの「技」があった。それは見事としか言いようのない「技」でした。 我家では塩をひとつまみ入れた熱湯を沸かし、花生油をひと垂らししてから「砂糖さや」を投げ入れて、茹で上げます。その茹で加減、マヨネーズなんかで食べるときには、噛み応えのあるほどほどの硬さ、しんなり感を残した感じ。胡麻和えや、オイル&ビネガーで食べるなら、柔らか目に茹でるのが好みです。
ところが「咸魚炒蜜豆」の「蜜豆」、しっとり、おまけに、噛み締めるとねっとり感もあり、というのに驚きました。しかも、ねっとりの触感とともに、豆の青い清々しさ、爽快感、甘味が浮かび上がる。素材の持ち味を巧みに生かした火の通し加減に目を見張りました。さらに上湯で煮含めてある感じ。ですが、たっぷりのそれじゃない。
「蜜豆」のしっとり、ねっとりの甘さに、焦げる一歩手前ぐらいまで火を通した「咸魚」の香ばしさ、塩味、火を通した「咸魚」が生み出す香ばしが加味され、絡み合って、甘さ、鹹さが一体化。素材の持ち味を生かした料理って、こういうものなんだと思わずため息。
素材の持ち味を引き出し、味、風味を加味する「上湯」。それに、火の扱い、つまりは「鍋」の技の見事さ。「こんなの家でなんか作れこない!」と、思い知ったのであります。