「百合根」というのが嬉しくなります。日本では秋すぎから冬にかけてが旬。我家でも椀物、茶碗蒸しなんかに使います。ですが、香港だと春前後、海鮮との炒め物なんかに使われていた覚えあり。我が兄弟の周中の百合根の使い方が絶妙だったもので、その印象が強烈に残ってるという次第。
「百合根」は香港のみならず中国でも盛んに食べられていて、ネットを検索すれば即座にわかることですが、その料理いろいろ登場。秋の終わりから春まで、いろんな料理に使われてます。
「百合根」は肺をきれいにする効果ありってことで、咳き込んでいたりするときにはうってつけ。おまけに「養顏的效用」の効果もあり。なんて、女性には見逃せないところでしょう。そんな「百合根」と豚のすね肉の「豬展」に、「陳皮」と「蜜棗」を加えて長時間煮込んだのが「鮮百合豬展湯/豚スネ肉と百合根のスープ」。
いつもの「例湯」と同じく、スープと具は別皿に盛られて登場。白濁したスープは「杏仁」と豚の肺の「豬肺」を煮込んだ「杏仁豬肺湯」を思わせます。 れんげでスープを掬うとお碗の底に寝そべっていた「百合根」が顔をのぞかせる。口に含めば甘い味、それも、くどくなくてスッキリの甘味のあるスープとともに、ぐちゅぐちゅになった「百合根」のざらっとしていてねっとり、ほっくりほくほくの触感が舌にぐんとのしかかる。
そうです、「百合根」は澱粉質のそのもの、なんてのを実感。しかも、ぼってり感もある。でも、面白いのは、こってりの甘さじゃなくって、すっきり。甘味と同時に、ほろ苦さがあって、「百合根」のこくのある甘さを浮き彫りにしながら、くさどを感じさせない。さらには、すっきり感の甘さには、フルティーな風味も潜んでいる。
ホロ苦さのもとは間違いなく「陳皮」。このスープの具を並べた皿には、その陳皮も。しかも、案外たっぷり使われてるのが意外でした。このあたり、そう、陳皮の使い方、その分量、しっかり計算ずく。それもレシピ通りじゃなくって、長年の経験による勘が働いた、って感じの細やかさと鷹揚さが同居、なんて感じです。
そうだ、日本だと「ぜんざい」、あ、そか、東京、関東地域は「お汁粉」ですね。それに、おはぎなんかにしても、小豆に砂糖だけでなく、塩をひとつまみ(って例えですから)で、甘さ、旨味を引き立てる。隠し味の塩使いってわけですが、「陳皮」の効用は、同じ要領。広東地方ならではのものです。
しかも、日本の「ぜんざい」、「お汁粉」に「おはぎ」の類は、やっぱりこってりの甘さこそが味わいところ。それが、香港、広東人の嗜好だと、こってりじゃなくて、すっきりの甘さってことになるわけです。だから「陳皮」なんですね。
それに「蜜棗」の効用、効果と言うのも見逃せない。棗そのものはすっきりした甘味、と同時に酸味、それに、苦味やえぐ味もある。それが干したり砂糖漬けにすると、渋味、えぐ味が薄れて酸味を含んだ、だからこそ、すっきりの甘さが引き立ちます。
というわけで、「百合根」のこってり、ぼってりの甘さとは対照的。なんてところが、この料理に使われている理由じゃないでしょうか。
「例湯」についてはいつもながらの表現ですが、この「鮮百合豬展湯/豚スネ肉と百合根のスープ」も優しくて、穏やかです。自然で素朴な味、風味、ことに甘味が印象的。、ほのぼのとしていて、心和む「湯」であります。