2009/04/20

やったね!「蝦醤鶏」~4月の「赤坂璃宮」銀座店の3

 さて「蝦醬鶏」。「酔湖」の「蝦醬碎炸鶏」は料理名の「炸」の一文字が物語るそのまま「唐揚げ」そのもの。下拵えした鶏肉をしっかり揚げてあって、「ぱり」とした脆い感じよりも「ばり」としたざっくりとした粗い触感、噛み応えなのが特徴です。どちらかといえば「乾炸」もしくは「脆炸」に近い感じですね。で、噛み締めると「蝦醬」の風味がストレートに浮かび上がる、という按配。

 「赤坂璃宮」銀座店の「大澳香酥鶏」は「香酥」という言葉がすべてを物語る。厳密に言えば「香酥炸」、つまりは唐揚げの調理法の一種なのですが「ざく」ではなく「さっくり」の「酥」の感じ。「ばり」ではなく「ぱり」の脆い触感で、鶏肉にはしっとり感もある。歯がすっと入る柔らかさと同時に、歯を少しばかり跳ね返すしなやかな弾力感もあり、というあたりが絶妙です。

 「香酥」は素人は言うに及ばすプロの料理人でもなかなか手に負えない厄介な調理方法です。というのも、下拵えの「板」と揚げ方の「鍋」の「技」が一体化してこそ、完成されるものですから。つまり、素材の味付け、素材を包む衣の加減が難しい。衣が重く、厚くなると、ぼってり状態。

 衣が厚くて、ぼってり状態だと、その分、火を通す時間も長くなり、結果、焦げる一歩手前のチキン・バスケット状態。その為には、薄く、しかも、火を通してさっくりの状態にするための衣作り、下拵えが必要です。かといって衣が薄すぎると、表面こそぱり、さっくりの状態でも、中に火が通っていないまんま、なんてこともありうる。

 さらに、揚げるにあたって、表面さっくり、肉は柔らかく、ジュシーに揚げるには、油の温度の加減、火の扱い、さらには、油から取り上げるタイミングの見極めが、なかなかに難しい。というわけで唐揚げといえば、しっかり揚げられ、衣はぼってり、がっしり。ジュシーな肉汁よりも揚げ油が滴り落ちる、なんてのに出くわすことがほとんどです。

 「赤坂璃宮」銀座店の「大澳香酥鶏」はそうした問題点、課題をすべてクリアー。下拵えと揚げ方の技の見事さに感心します。衣は薄く、さっくりしていて、肉は柔らかく、ジューシー。噛み締めれば旨味がじわじわ滲み出る。そして、風味が立つ。それも独得の風味。なんだかくせのある風味が、喉奥から鼻腔に抜けていく。《芳香》が立ち昇る。

 見かけは唐揚げ。食べて見ると、さっくりの噛み応えで、しっとり感あり。噛み締める内に「これ、なんだか普通の唐揚げじゃない唐揚げだ!」ってことがじわじわと浮かび上がる。思わずこぼれる「これ、美味しい!」のひと言。お互い、顔を見あわせて「うん、うん」とうなずく様が物語るのは、誰もが同じ思いをした証、じゃないでしょうか。

 「ね、ほら、このこくのある味、香り。独得のくせ、風味があるでしょ?」
 「うん、うん。そうだ、そう、そう!」
 「「蝦醬」ですよ「蝦醬」。先月の「大馬站煲」、皮付きバラ肉と豆腐の煮込み鍋、で使ってたのとれと同じ調味料。でも、最初、そうだって気づかないでしょ?」
 「うん、うん、そうそう。食べてみて、わかる感じ」
 「まさしく、そこんとこ。「蝦醬」の使い方、按配がいい感じ。見事ですよね」と、調理したわけでもないのに、ついつい自慢顔の私です。
 
 「蝦醬」については、先月の「家郷小菜と香港炸醤面~3月の「赤坂璃宮」銀座店の6/7」の「大馬站煲」の項目で触れてきた通りです。アミを素材にした醗酵調味料で、味にはくせがあり、匂いも強烈。その好き嫌い、はっきり別れます。

 好きな人はくせのある味、匂いが「たまらない!」。それも病みつきになって「もっと、もっと!」と、分量の加減多目が好みになり、ますますエスカレート。反対に、くせのある味、なによりも匂いが「たまらない!」、つまりは「我慢できない、耐えられない!」。なんてことで、日本では後者が圧倒的多数を占めるようです。

 それからするとこの「大澳香酥鶏」。どちらかといえば控え目な「蝦醬」の分量。その加減、按配は日本人の嗜好、好みを考慮したもの?なんて風にも受け取れる。いやあ、そうではありません。素材自体の持ち味、同時に、特有のくせ、匂いを放つ「蝦醬」の味、風味を生かした味付けと調理による一品。しかも、軽くて、上品で、洗練された美味がここにある。そんな素材と調味料のバランス、調理の技の妙は見事。調味料の按配を加減した料理人の工夫と技の産物、成果なのは明らかです。料理人の技量、手腕、なによりもセンスの良さを物語ります。

 そうか。もしかして「蝦醬命!」なんて人には、この「大澳香酥鶏」での「蝦醬」の分量が物足りないかもしれないですね。たとえば、アジアの食は屋台にありと信じてやまないバック・パッカーやその予備軍、B級グルメ的美食探求に余念がない人々の多くが求める「ひと口食べて、いきなりがっつり!」の味からすると、手応えが乏しく、インパクトに欠けるかも。

 あ、私もB級グルメ大好き人間。ですけど、安くて旨い料理というのは妄想と観念の産物、工夫と努力による結果であって、絶対的な美味的観点からすればハンディを背負っているのがほとんどというのが現実。料理の本質よりも経済的価値観、観点が重視されたもの、なんじゃないかなんて思うことがしばしばですから。そう、その際の料理の本質というのも、絶対的な美味という観点からではのものではなく、それぞれの実体験に照らし合わせた極私的価値観によるもの、なんてのが顕著な感じです。

 「高くて旨いのは当たり前!」と値段の高い高級料理、高級料理店は一刀両断、なんてことが多いですが、やはり、問題は「素材」。料理によっては「だし」の存在を見逃せない。さらに中国料理は「板」と「鍋」の課題をクリアーしてこそ、美味は生み出されるのものですから、高いのにはそれなりの理由がある。ですが、その点は無視されがちなんですね。

 中国料理だけでなくアジア各国の料理なども、やはり「素材」、加えて「だし」の存在は重要ですが、現実問題としては経済的な制限が足枷になっているのが大半です。東京や横浜で、香港の味、あるいは中国本土、現地の味を再現、なんて評判の店がありますが、多くはそうした問題、課題を抱えています。

 厄介なのは現地特産の調味料を最大限に活用すれば現地の味が再現できるという極端な思い込み、安易な発想、思考が存在することです。実際、現地特産の調味料を最大限に活用すれば、現地の味が再現できると思い込んでる人、意外に少なくありませんから。

 そう、現地そのままの調味料をふんだんに使っても「素材」、「だし」がしっかりしてなければ美味は生まれない。現地の味は再現できない。現地云々よりも、絶対的な美味的観点からしてば、及第点すら満たしていない、なんて例がほとんどです。

 もちろん、「赤坂璃宮」銀座店では「「蝦醬」たっぷり、くせの強い味つけで!」というリクエストは可能です。それも、その分量に応じたバランスのとれた味の妙と技を見せてくれるはず。それって「客の口にあわせる!」ということなんですが、それこそは香港の、さらには中国本土の高級料理店における絶対的な評価を決定づける、必須の条件ですから。

 それより調理方法こそ違え「酔湖」の「蝦醬碎炸鶏」の味付け、「蝦醬」の分量、実はそんなに多くはない。私は「大澳香酥鶏」の味付けに大いに満足。さっくりの歯触り、肉はジューシー。すっきり軽くて、洗練されています。

 やったね!「赤坂璃宮」銀座店の「蝦醤鶏」。