それから「大馬站煲/焼肉と豆腐、椎茸の蝦醬風味土鍋煮込み」。 この料理、大好きな一品ですから、大感激。この料理をリクエストするつもりだっただけに、嬉しさもひとしお。
この料理のことを知ったのは邱永漢さんの奥さんの邱藩苑蘭さんによる『母から娘に伝える 邱家の中国家庭料理』(暮らしの設計134号、中央公論社)でのこと。 ちなみに同著、邱永漢さんの「食」にまつわる随筆本のなかでも珠玉の作品「食は広州にあり」、「象牙の箸」で紹介されている料理の詳細や作り方を紹介した副読本的な内容です。
この料理、広東地方の伝統的な料理のひとつ。大馬というのは広州の地名。「站」というのは「駅」という意味ですが、かつては宿場を意味していた言葉です。で、、曰くいわれがあります。
大馬というのは広州の地名。清朝時代、広東、広西の総督となった張之洞が初めて広州を巡行した際、大馬の宿場に着いた所、漂う濃厚な海老の香りひき付けられた。その香りのもとを辿ったところ、地元の人々が食べていたのが煮込み鍋。
張総督が「これは一体何か?」と尋ねたところ、地元の役人が場所を尋ねられたと勘違いし「「大馬站」でございます」と答えたそうな。以来、この料理、「大馬站」と呼ばれるようになった、とのこと。
普通に料理を明記すれば「蝦醬焗豆腐火腩煲」、つまりは豆腐と豚の皮付き三枚肉の焼き物の「焼肉」の土鍋煮込み。なによりもの特徴は小えび(もしくはアミ)の醗酵味噌である「蝦醬」を味、風味づけの要にしていることです。
もとより「蝦醬」は醗酵味噌ですから味も香りもくせがある。しかも、香り、というかその匂いは強烈。火を通せば香りは一層強くなり、旨味、風味を増す。それだけに、抵抗を覚える人も少なくない。
以前、話したことがあるように、かつて京王プラザの南園で季節の素材に「通菜/空芯菜」があるのを知って「蝦醬」で味、風味づけをした「蝦醬通菜」を頼んだところ、香港からやってきた料理人が、料理してくれました。
ところが、ある時を境に黒服の人(女史ではありません!)に「申しわけございません、その料理、お出しすることができませんので」と、丁重に断られました。
「は!?」と私。
「これまで、何回か食べましたけど、どうしてまた?」と尋ねたら
「「蝦醬」の匂いが強いもので、他のお客さまのご迷惑になりますので・・・」。
なんだか申しわけなさそうな様子。ですが、納得がいかない。
話を聞くと、どうやら「蝦醬」の匂いにたまりかねて、クレームをつけた客がいた様子で、匂いの強い調味料の使用を控えるようになったらしい。
「広東料理の店で、そりゃないでしょ!」
とは言いませんでしたが、楽しみがそがれたのは確かです。
以来、「南園」から足が遠のくきっかけにもなりました。
ついでながらあの脇屋友詞さん、石鍋さんに迎えられて麻布の「クィーン・アリス」の地下に「桃源郷」を開いた際、「蝦醬」を使った料理を用意したところ、その強烈な匂いにクレームがつき、使用厳禁になった、なんて話しもありましたっけ。
それに、わが変態、じゃなかった、兄弟(って、へんたいってよむんです、広東語では)の周中と話をしていた際、目黒にある白金亭の料理に「広東地方の家郷菜、たとえば「「大馬站」なんか織り込んだら?」と進言したところ
「え?! 良いけど、あれ、「蝦醬」を使うし、日本の人に受けるかな?「凱悦軒」の頃、「蝦醬」使った料理を出したら、クセがありすぎて、受けなかったから」
というエピソードを明かしてくれたこともありましったっけ。