2008/05/31

春の広東地方の郷土料理の13~空芯菜のえびみそ風味炒め

 宴もたけなわ。終盤を迎えて野菜の料理です。
 この時期、って4月でしたが、どんな野菜がありや、なしや。
 福臨門に尋ねたら「韮菜花」、「通菜」、「白露筝(白アスパラガス)」、だってことは以前にも触れてきた通り。けど、やっぱり食べたいのは芥菜胆、芥子菜の葉を落とした軸の部分を上湯で煮浸しに、それとも、蟹肉のあんかけで食べたかった。ですが、日本での調達は難しい。

 花にらの「韮菜花」にも興味をそそられつつ、結局「通菜」、茎が空洞になった「空芯菜」の炒め物に落ち着きました。
 とはいえ、大蒜、唐辛子、醗酵豆腐の「腐乳」、えび(というかアミ)の醗酵味噌の「蝦醬」で味付けするか。
 そこで「蝦醬炒通菜」に決定。

 「通菜」は、少しばかりほろ苦くって、えぐ味もある。葉は柔らかいものの、茎というか軸の部分は空洞があっても、肉厚というか、普通に火を通すと、しゃり、しゃき感がある。

 香港に限らず東南アジアの各国で、日常的な野菜として定着。大衆食堂や屋台店での青菜の炒め物、といえばほとんどがこの「通菜」。近頃日本でもスーパーで売られるぐらいに幅広く浸透。家庭の中華の惣菜のメニューに加えられることも少なくないようです。

 ともあれ、この通菜の炒め物、調理にしろ、味つけにしろ、「あん時、あそこで食べた「通菜」が旨かった!」と、それぞれの体験に即した嗜好が絶対的な価値感を植えつける、という厄介な側面もあります。
 「あん時の味を、日本の料理店でも味わいたい!けど、なんだか違うなあ?」
 ってことからスーパーで「空芯菜」を買い込み、「あの味!」に自ら挑戦、なんて人も少なくないはず。

 しかし、家庭で調理する際、香港や東南アジアの大衆的な店や屋台店ほどの大きな鍋や強い火がない。 そんなことから、葉も茎も一緒のまんまに炒めることはあきらめて、葉と茎は選びわけ、茎を先に炒めて火を通してから、葉を入れる。 あるいは、茎の切り方に工夫を凝らし、言わば隠し包丁を入れて、葉と茎を一緒に炒め合わせる、なんて、工夫を凝らす人もいるようで。

 そうそう、2年前のdancyuの10月号、「香り立つ旨い中華は、「板」と「鍋」で成り立っている」で、あの東京ミシェランで一つ星獲得、「桃の木」の小林武志師傳にその実践講座をお願いしました!

 はたして福臨門の「蝦醬炒通菜」、以下の画像が、その洗練の美味を伝えてくれるはず。














 やっぱ、ランニングシャツに短パンのおっちゃんが、飛び散る汗まで味付けにして、一気呵成に炒め上げた東南アジアの屋台店のそれや、「あん時のあの味!」を求めて工夫を凝らしたそれとも違います。 顔つきの見事さが、その美味、旨さ、風味の豊かさを物語ってます。

 葉と茎(軸)は切り離さないで、原型のまんま。
 葉は葉の味がする。さらに、見事なのは、茎(軸)。しゃき、しゃり感を通り越し、くたっとした柔らかさがある。しかも、味、風味があり、だしの味が、最後にふっと浮かび上がります。

 日本の中国料理店で、一般的、にはなんでだか、茎(軸)にしゃき、しゃり感があるのが普通です。
 それって、日本人の一般的な青菜の葉、さらに茎(軸)の炒め物の触感の嗜好、しゃき、しゃり感の歯応えがあってこそ、というのにも関係あってのことでしょう。
 葉はともかく、茎(軸)は、しゃき、しゃり感があるのが一般的で、圧倒的。

 ところが、香港、中国あたりでは、葉は葉の味、ことに「通菜」などは、青み、ほろ苦さ、えぐ味を残しながら、茎は火が入り、しゃき、しゃり感の一線を越えて、むしろくたっとした柔らかさのあるのが普通です。茎(軸)の筋が立たない、柔らかさ、ってことになります。福臨門のはまさにそのくた感あり。
 それって、イギリスのくたくたに煮込んだ野菜の煮込みのぐちゅぐちゅ、ぐじょぐじょ感や、噂に聞いたイタリアの青菜やキャベツのとろとろ煮込みにも通じる世界かも。

 おまけに、味付けの「蝦醬」。
 ふっと鼻先をかすめ、さらに、口に入れ、噛み締めて喉の奥から鼻に向けて、その味、香り、風味が立つ、という按配です。
 話に夢中だと、すっかり「蝦醬」の味付けだったことを忘れ、噛み締めてみて
 「あ、そか!、これ、蝦醬で炒めたやつ」  と、気づくような次第。

 そうなんです。
 日本の中国料理店、ことにオーナー&シェフの店、それも新進気鋭の若くて熱意溢れる料理人による青菜の各種の風味の炒め物。そのほとんどが、なんでだか青菜の持ち味、葉と茎(軸)の味の差異なんかほとんど無視。 大蒜や唐辛子をふんだんに。それに「「蝦醬」、「腐乳」の吟味には凝ってます!あ、XO醤も自家製のがありますので!」とばかり、自慢気に調味料理をふんだん使って、素材よりも調味料の味アピール。
 それって、なんか、へん、ですよね。

 しかも、そいう味つけ、素材よりも調味料の味が立っている青菜や野菜の炒めものを、料理評論家、フードライターの方々が絶賛!なんてことが、少なくない。 濃い味、調味料の味が立ってる方が、確かに味がわかりやすいってことなんでしょうけど。
 それって、素材の持ち味は無視、ってことに気づかないんでしょうかね?

 あ、また、余計なこと言っちゃた!