「蛤蜊燉蛋」、はまぐりと溶き卵の蒸し物。
早い話が、蛤の茶碗蒸し仕立て、中華風の茶碗蒸し。
福臨門の春のメニューの素材にはまぐりがあるを知り、一体どんな調理、味付けなのか尋ねました。
私にとって、広東料理のはまぐりの料理と言えば、黒豆みそ炒めの「豉汁炒」、あるいは大蒜や葱の微塵とともに蒸した「蒜茸蒸」など、海鮮の魚介に共通した調理、味付けの料理です。それがにんにく風味、春雨との蒸し物の「金銀蒜粉絲蒸蛤蜊」があったのに興味もそそられました。
ですが、私、はまぐりは酒蒸し、もしくは、椀物が一番の好みという頑固な保守ぢぢい。
そうだ、中国料理ではまぐりの料理といえば、はまぐりからでるだしに溶き卵を加えて蒸した「蛤蜊燉蛋」。
もっとも、香港では上海系の店で食べたことがありますが、広東系の店で食べた体験はなし。
そんなことから上海系の料理と言う認識がありましたが、福臨門にリクエストしたら、福臨門でもやれます、やってます!という返事。
そうか、なら、もしかしてそれは広東式、もしくは、福臨門式の「蛤蜊燉蛋」に違いない!
そうにらんで、今回の「青木宴《春編》」に組み入れた次第。
実は今回、「江南百花鶏」とともに、最初に選んだ料理の一品です。
「蛤蜊燉蛋」といえば、思い出すのが蔡瀾さんの「香港美食大全」での、「大上海」における同料理についてのコメントです。
蔡瀾さん曰く、香港でも「蛤蜊燉蛋」を出す店が少なくなった、なんて話を紹介しながら
「但し、日本人を接待するときには、絶対にこの料理を頼んではいけない。彼らはこれをすばらしいとは思わず、口に入れてから「ああ、茶碗蒸しね。日本にもあるよ」と、言うのだ」。
ふむふむ。
だって、実際、茶碗蒸しに似てます、って、同様ですから。
さらに蔡瀾さんが触れるには
「ばかったれ!茶碗蒸しに使うのはどれも火を通した材料で、甘味だって化学調味料でつけたものだろうが!! 「蛤蜊燉蛋」よりうまいわけがない」
とまあ、口先鋭く、容赦がない。
蔡瀾さんらしい辛辣な表現ですけど。う~ん、蔡瀾さん、もしかしてちゃんとしただしで作った茶碗蒸し、未体験なのかも?
はまぐりの椀物。
思い出すのは神保町の「鶴八」で、「小倉さん、いかがです?」と、親方に薦められたそれです。
具は三つ葉だけ。肝心のはまぐりの身はなし。だって、すし種にするはまぐりを湯通しあとのだし汁で作った椀物ですから。しかし、その美味、ぎりぎりの塩加減。
思い出しては、遠い目になっちゃいます。
で、「蛤蜊燉蛋」。
「じゃ、八尾さん、福臨門の「蛤蜊燉蛋」をご紹介ください!」
「はい、あのう、この「蛤蜊燉蛋」ですが、はまぐりから出るだしだけでなく、上湯を加えてありますので!」
と八尾さん。
なるほど、そういうことか。
ということなら、広東式、というよりも福臨門式の「蛤蜊燉蛋」だ。
日本で「茶碗蒸し」と言えば、一般的に多いのが、液状のゾルが固まったゲル状に近いそれ。キャラメルプディングみたいに、匙を当てるとグラングランとも身を震わせる。ところがこの「蛤蜊燉蛋」、だしを合わせて蒸した溶き卵の状態はゆるゆる。
ゆるゆるで、ほんわりつるりん、舌に乗せると淡雪のように溶けていく。舌の上でとろけていくような滑らかさ。
滲み出るだし。
はまぐりを煮立たせて、ぱっくりと開いた貝から滲み出るだしは、切れ味のいい磯の味がするものです。
ところが、この「蛤蜊燉蛋」のだし、磯の香りを包み込むような、丸み、ふくらみのあるふくよかな味、風味です。
具のはまぐりの身よりも、だしを含んだとろとろの卵、だしの味、風味の妙が実に見事。
堪りません。それも、椀半ばにして、しっかりとした味、風味が際立ってくる。
緻密で繊細、洗練された上品な美味に、またしてもうっとりとなったのでありました。