ワオ!懐かしい料理の登場です。 香港の広東料理が栄華を極めた80年代、一世を風靡したのが「新派広東」。
「新派広東」にはおおよそ2派ありました。ひとつは伝統的な広東料理、郷土料理の今日的再現。要は中産階級を中心として食の消費が高まり、かつて一握りの人々だけのものだった高級素材を使った郷土料理の復活。
たとえば、SARSの一件でアウチになってしまった「果子狸/はくびしん」などの野味料理はその典型。もうひとつは、欧米に加え、日本の和食の素材、調理方法などをとりいれた創作的な志向によるものです。
そんな「創作的趣向による新しい広東料理」の一品として話題になったのが「沙律醤」で調味した料理。それも、一時、大衆的な広東料理のメニューにも乗っかるなど「広東新派」の代表的な料理として浸透。もっとも、その評価は賛否両論、まっぷたつに別れたものでした。
「沙律醤」というのは、要は「サラダ・ドレッシング」ってことです。80年代、新派広東が一世を風靡した香港で、創作的な料理を模索、実践した料理人が「サラダ・ドレッシング」を積極的に起用。海老をはじめ茹でたり、揚げたりした海鮮にその種のソースを添えた。
早い話、シュリンプ・カクテルの中華料理版的趣向、ですね。そこで目立って多かったのがマヨネーズをソースの主体、下地にしたもの。意欲的な料理人は、ただマヨネーズを使うだけでなく、いろいろ工夫を凝らした。フレッシュ・フルーツを切り刻んで海鮮ものと組み合わせる、なんてこともありました。
ところが、そうした流行に遅れまじと、街中の広東料理店でもその種の料理が登場。なんて時、まんまマヨネーズをそのままどばあ!なんてのも登場。以前、私が「沙律醤」をマヨネーズとして紹介したのも、そんな理由があってのこと。厳密にはいろいろ種類があって、やがては「千島醤」(そうです、サザンアイランド・ドレッシング、ってことです)と具体的に表記することも。ですが、大抵の場合、基本はマヨネーズでした。
思い出します。かつて香港に食の取材にでかけた際、仕事を終え、次なる取材の下調査をかねてとある店で食事を取ったときのこと。そこで登場したのが表面がびっしりマヨネーズが覆われた海鮮の冷菜。テーブルのど真ん中に置かれたその一皿を目の当たりにして、其の場居合わせ誰もが絶句。
沈黙を破ったのは「誰がこんなもん注文したワケ?」 というかん高いスタッフの詰問の声。
一瞬にして座は凍りつきました。 そこでひとり真っ青な表情をしたコーディネイター兼通訳のTさんがオドオド顔。
「いや、あの、これ、今、香港で話題の「新派広東」の料理で、今回の企画にはにうってつけかな、ってことで。あ、あの、クーポン券がありましたので注文しましたから、これ、無料のサービスです!」と。どうやらTさん、後で聞いた話によれば、他のいくつかの雑誌の取材の折、女性誌の編集、ライターから「わ、素敵!これってヌーベル・シノワ? フルーツも使ってあるし!」なんて評判だったことから、私の取材でもウケる違いないと思ったそうで。
「あのう、勝手に取材の料理、決めないでくれます?こっちは、きちんと下準備して、料理選んで、リストを作ってるんだし!」と言いたいのをぐっと我慢。お世話になってますから。
凍りついた場面を和らげるには、私が率先してその料理に手をつけ、その座をとりなすしかない。なんてことで、全員(ひとりマイナス)固唾を呑んで私の一挙一動に注目。
口にして、私は絶句。なんと評していいものか、言葉を見つけられずに、しばし沈黙。ようやくのことで「このマヨネーズ、酸味が利いてていいんじゃない?ダーキーかな?」。
その後、マイナス一人、以外、誰ひとりとして、その皿に手をつけるものはいませんでした。
「沙律醤」、ことにマヨネーズを調味に使った料理を斬新で奇抜な「新派広東」として売り出したのは、実は、流行に便乗した2番手、3番手の店。それを間に受けて「最新の料理です」と紹介してくれた通訳&コーディネイトのTさん。香港における、そして、中国に「沙律醤」、ことにマヨネーズがいつ、どうやって持ち込まれ、どうやって浸透していったか、なんて知識、まったく持ち合わせていなかったのですね。
それにフルーツ、東南アジアのトロピカル系のそれや、日本、欧米からの輸入ものが広東料理で使われるようになったのは近年になってからですが、それ以前、地元、広東及びその周辺、中国各地の果物は、とっくに料理に使われ、日常化していた、ということもご存知なかったという次第です。
マヨネーズと中国、中国料理の関わりということについては、中国におけるトマトケチャップとの関わり、その歴史にも関係して、実は面白くて興味深いテーマです。そもそのも発端は上海にあり、というのは、近代、現代における中国料理の変遷をテーマに研究を重ねる人々の間での研究課題のひとつになっている、なんて話も耳にします。
香港の場合、ことに第二次世界大戦後、日本の統治から英領に復活して以後、自由主義社会として欧米の生活物資が輸入され、一般化していった。というような歴史的背景もあって、マヨネーズ、ま、最初は富裕階層などを中心に、後には中産階級家庭においてもキッチンの必需品ともなり、「マヨネーズ和え」というのはすでに馴染みの料理となり、だった、という事実もあったわけです。
それが、広東料理店で「新派広東」の料理の一品の調味料として脚光を浴び、表舞台に登場。そんなところでそれを最初に起用した料理人、やはり「沙律醤」をそのまんま料理にかけて提供したわけではありません。
素材の調理、組み合わせ、さらに「沙律醤」にひと味、ふた味、工夫を凝らした。「沙律醤」だけじゃなくって「千島醤」、そうです、サザンアイランド・ドレッシングですね、そういうのにも着目して、調味に工夫を凝らした。そんな工夫のもとに生まれたソースを様々に活用。 そういえば周富徳さんが看板料理のひとつにした「蝦のオーロラソース和え」、なんていうのはそんな香港の創作的な志向による「新派広東」をヒントに生まれたものだったのは明らかです。
かつて「沙律醤」といえば、すなわちマヨーネーズ、だった状況は、現在では一挙に様変わり。それに大きく貢献してきたのが、実は日本から輸入した各種の市販のサラダ・ドレッシングの類。「胡麻風味」なんて、「芝麻醤」があるんだから、香港人がとっくに工夫、創作してよさそうなものなのに、日本製の市販品が登場するまで、生まれなかったなんてところが面白いです。