ふかひれは、種類が不明だったことや、その値段からリスクを避けてあきらめらめた。といって、例湯もなし。点心をすすめられましたが、興味なし。
「なら、点心代わりに前菜からなんか選びましょう」と私を誘ってくれたテーブル仲間の提案に、焼き物2種にくらげ添え、というのを選びました。
「湯」が決められないとなると「菜」、野菜です。
「野菜は何があります?青菜類がいいんですが?」と私。
「豆苗なんかないの?」と尋ねると、「あの、今の時期、ございませんので。旬でもありませんし」と、黒服の女史はきっぱり。
「え~? 豆苗って、秋から冬にかけてのもんだし、旬には入りかけてんじゃないかな」と、言いたいところをぐっと我慢。
三生(中国野菜を扱う業者名、です)から台湾産を入れてる店もあるけど、(ヘイフンテラスは)そうじゃないんだね、と思っても、押し黙る私。
そうか、日本の食材から選ぶってことからすると、台湾産だと、問題ありだったのかもと、今になって思い当たる私です。
「空心菜なんか…」と仲間が言いかけたら、すかさず「今の時期、ございませんので」と、またもや黒服女史はきっぱり。
「なの、わかっております」と、言いたいのをぐっと我慢。
「あの「菠菜」ならご用意できますが、いかかでしょう?そこに紹介されてます「金銀蛋上湯浸」などで」と、メニューを指差す黒服女史。
「ほうれん草」ではなく「菠菜」と口にし、「金銀蛋上湯浸」を薦めてくれたのに、一挙に盛り上がりました。「これよさげだね」と仲間と目星をつけていた一品です。勝ち誇ったような黒服女史の笑顔も忘れられません。
料理を決める際、香港あたりでは最初に「湯(スープ)」、それから「野菜」の有無、種類を尋ね、調理方法、味付けを考えて注文、というのは至極当たり前。
日本の中国料理店でも、野菜の有無、種類などを尋ねてみれば、店の、料理人の、素材への探究心、料理にかける熱意、意欲、意気込み、知識や度量がわかります。
それに、野菜、ことに青菜の炒めものは、店の料理の良し悪し、料理人の技量を知るには格好なもの。
素材の種類、選別、切り分けの処理、素材の持ち味、クセ、状態に応じた調味、香味野菜、調味料の使い分けなどの下拵え、といった「板」のワザ。
油脂を媒介に野菜に火を通し、最後の仕上げに煮含めるだしの分量など、調味の加減、按配、調理する鍋の火の扱いの「火路」。それが生み出す「鍋」の「気」の「鑊気」をどれだけ生かすか、という「鍋」のワザ。
いずれにしろ、料理人の技量、センスが明らかになる料理のひとつです。
ふかひれをあきらめ、「例湯」はなしと知って、いささか意気消沈。野菜のやりとりにうんざりしはじめて、内心「青菜の炒めものは危ういかも…」と、疑心暗鬼状態。
というところに「金銀蛋上湯浸菠菜」という提案。「皮蛋」と「鹹蛋」入りのほうれん草の上湯の煮浸し、です。
救いの神が現れた。一条の光、明るい希望と明日が見えはじめた。
「危ういかもしれない!」という青菜炒めへの不安を解消してくれるかもしれないばかりか、そのチョイスは無難な安全策、かも!」と思い始めた。
それに「上湯」の質、レベルがわかる。煮浸しではあるけれどスープあり、ってことからすれば「湯(スープ)」代わりにもなりそうだ。でも、ないか。
ともあれ、前菜に続いて「金銀蛋上湯浸菠菜」が決定。
画像は、「あの、お客様~」ということで禁止ですから、今回もなし。
というわけにもいきませんから、別の店の「金銀蛋上湯浸菠菜」です。