2009/09/08

発見!寧波風味の家庭料理!「蔡菜食堂」は楽しくて面白くて奥深い!のおまけ

 「寧波」は中国中部、浙江省の北東部、杭州湾をはさんで上海とは対岸に位置する所です。かつては上海などよりも港湾都市として開け、日本とは唐時代から交流があり、元寇、倭寇、さらには日明貿易の拠点にもなったところ。もっとも、19世紀末から20世紀初頭、交易都市として上海がとって代わり、都市としてた時代、多くの寧波人が上海に進出。上海の都市建設、繁栄に関わってきた、なんてこともあります。

 そんな上海の食、上海料理については、これまでにも触れてきたとおり、都市建設の過程で上海周辺から流入してきた労働者への簡易食、と同時に、周辺各地の特徴ある料理が持ち込まれ、形成されてきた、という歴史があります。

 簡易食の代表的なものは「上海小吃」として語られる「湯包」、それに生湯葉の「百葉」、小麦粉から作られた「面筋」。それにかん水などを使わない麺類の「饂飩」などがそれ。

 「湯泡」というのは餡入りの蒸し饅頭で、スープ入りの「小籠包」はまさにその代表的なもの。ですが「あれ(小籠包)は「南翔」のもの。断じて上海の「小吃」ではない!」とし、それより、餡入りの「湯包」、それを煎り焼きにした「「生煎包」こそが上海の「小吃」だ!」なんて主張する向きも。

 そんな上海の都市建設を担う最中に発達し、発展した簡易食も、多くは上海周辺の人々が上海にもたらした地方食を土台に誕生したもの。と言うことに関しては、異論の向きもないようで。同時に、上海周辺の地域から、それぞれ独自性のある食文化が上海に持ち込まれ、そうした料理店が相次いでうまれて、混在。それが、いわゆる上海料理を形成した、ということになるわけです。

 それにしても、面白いことには、上海周辺の地域、たとえば寧波が属する浙江省に点在する都市ごとに、その距離、わずかなものながら、それぞれ独自性のある食文化を形成。
 そうです、ほんの少し隔たりがあるだけで、まるっきり調理方法、味付けが違ったりするからです。

 たとえば、浙江省、最大の都市は杭州。洗練された独得の調理、味付けによる食文化がある。さらに、温州や紹興酒の本場である紹興、金華火腿で知られる金華など、それぞれ特有の食文化が存在という具合。

 さらに、上海周辺の地域ということでは江蘇省の存在も見逃せない。かつて都だった南京、塩を中心に物流の中心地として栄えた揚州、さらに、蘇州、無錫、醋の産地として知られる鎮江など、これまた、それぞれに特色のある食文化が存在。

 という中にあって「寧波」は、沿岸部に存在することから、海産物を素材する歴史があったこと。長江の河口周辺の地域に特徴的な醤油、味噌などの醗酵調味料を味つけの主体にしたこと。

 さらに、江蘇省に点在する都市などで嗜好された砂糖などによる「甘味」は控え目。どちらといえば塩味主体の料理が発達。それに、素朴でひなびた味、というのもその特徴に挙げられるかも。というは、私の個人的な見解も加味してのものですが。

 強引な例えですけど、かつての江戸、現在の東京の庶民の味、一般的には醤油に甘味が加わった甘辛の味がその典型じゃないと、と言う印象。しかも、昆布ではなくてかつおだしが主体。そば汁こそがその典型、ですよね。

 そういや、過日、神保町の鮨屋の若い親方、おかみさんとの話。 ひいきにしてる油揚(お揚げ)があって、川越の小野食品のそれ、なんだそうで。しかも、胡麻油仕上げのみ、花生油が入んないのが好みなんだとか。

 それはともかく、その油揚げ(お揚げ)でお稲荷(あ、稲荷鮨です)を作るとき、煮含めるだし、かつおだしだけ!なんて話を聞いて、驚きました。なんせ、神戸と大阪出身の我が家で、稲荷鮨にするにしろ「きつねうどん」の具にするにしろ、昆布とかつおのだしで煮含める、というのが基本ですから。カルチャー・ショック。

 話戻して、かつての江戸、現在の東京を支える労働力などの源になった簡易食、それに日常の食の味、東京と関東周辺のそれとはいささの差異があるようで。
 江戸の、現在の東京の一般的な庶民の味、その嗜好、傾向は甘辛味。東京周辺の関東地方の味、風味って、醤油と同時に味噌などがふんだんに使われ、甘味よりも塩味が立っていて、素朴、朴訥な趣がある。

 「上海」の料理と「寧波」の料理、その味、風味の違いは、そんな風に例えられるのではないか、なんて思ったりして。