続いて「喬菜頭炒蝦仁/ラッキョウと芝エビ炒め」。
日本語の料理名に「ラッキョウ」とあるのに「そうだ、ラッキョウの季節!」なんて思い浮かべました。
はたして、目の前に現れたのは「ラッキョウ」じゃなくって「エシャロット」。中国料理名を再確認したら「喬菜頭」とあります。
昨年の9月に食べた「喬頭泡干魷/一夜干し烏賊とエシャロットの炒め」の「喬菜頭」のことを思い出しました。 http://kitami.blogspot.com/2008/09/blog-post_30.html
この「喬菜頭炒蝦仁/ラッキョウと芝エビ炒め」、芝海老、エシャロット、大蒜の茎の「蒜苗」、紫たまねぎ、エリンギが素材。
塩味炒めで、いたってオーソドックな海老の炒め物。エシャロット、大蒜の茎、紫たまねぎにエリンギという素材の組み合わせ。なんといっても芝えびの旨さが際立ってます。
芝エビのぷりっとした噛み応え、噛み締めると浮きたつ甘味、旨味。芝エビそのものの旨さ、その持ち味、旨味を引き出す下拵え、火の通り。ジャスト!の調理が施された芝エビの火の通し加減の見事さ。
おまけにエシャロット、大蒜の茎、紫玉葱、エリンギのそれぞれの個性、持ち味、旨さ、風味が生かされてます。
主素材と副素材の組み合わせも重要ですが、一気呵成に炒めるわけですから、素材の火の通りを考えた素材の切り方などの下拵え。主素材と副素材、香味野菜の分量とバランス、按配の見極めも中華料理の炒め物で最も重要なポイント。しかも、ひと皿に盛り付ける際、過不足ないバランスの取れた素材の分量が中華で大事な「色・香・味」を生む要因のひとつになるからです。
なんでもかんでも鍋にぶち込んで一気呵成に炒め合わせも、「色・香・味」の三拍子、鍋の気の「鑊氣」のある美味しくて香り豊かな炒めものは作れません。しかも、火の通りや見映えを考えて、素材の厚みや細さ、長さなどを丹念に切り揃え、素材によっては下茹でしたり、油を通した上で、火の通りに難いものから順に素材を炒めあわせるにしても、やはり、素材の分量、バランスを見極めておく必要があります。
家庭なんかではちょいと余分に材料を用意したり、余分に切り過ぎたりすることも多いはず。そんな時、余すのは無駄、もったいないからって「ま、いいか!」と、分量を多めのまま炒めあわせると、火の通りが狂います。素材の分量の組み合わせも狂って「色・香・味」を損ねる結果になります。
素材を余分に切り過ぎたからといって、余分な素材をそのまま加えてしまうのは、ぐっと我慢。な~に、他に使い道、必ずあるはずですから。そのぐっと我慢の分量の按配、バランスが、美味しい炒め物を生み出します。
「こういうエビと野菜の炒め物って、ここで食べるといつも感心しちゃいますよね。すごくオーソドックスな料理だし、家でも出来そうなんだけど、素材を揃えてやってみても、こんな風に上手くいかない」
「エビのぷり感とか、甘味、旨味の引き出し方とか。炒め方だけじゃなくて、下拵えも肝心なのかな」
「エシャロットのヒリっとした感じとか、玉葱の甘味とか、大蒜の茎のクセのある香りとかも、はっきりわかりますね!」
「けど、このエリンギ、きのこだけどそんなに香りとか風味ないね」
「そそ。でも、触感と味、他の野菜とのバランス、組み合わせからすると、スンナリ収まってる感じじゃない?生椎茸やしめじだと、独特のクセがあるし、舞茸なんかだと香りがあるけど、炒めるとあくがでませんか?それからすると、エリンギ、触感が良いし、他の素材、味つけに寄り添う感じで……」とまあ、皆さん、観察が実にするどい。
いたってオーソドックな芝エビと野菜の炒めもの。ですが、その味わい、旨さ、香りに、皆さん感心。またまた袁さんの腕、技、力量を見せつけられた一品でした。