2009/10/23

「カフェ・ル・モンドのメニュー」

 加藤和彦の訃報を知ったのは先週の土曜日の昼過ぎ。通信社からコメントを求められてのことでした。それも「自殺されたようです」との話に、一体、何があったのか訳がわからず、言葉も出ない。というより、信じられませんでした。

 ちょうどこの2日、松任谷由実のコンサートに出かけた際、サプライズ・ゲストで登場し、新作「そしてもう一度夢見るだろう」の収録曲の「黄色いロールス・ロイス」をデュエット。終演後、バック・ステージに赴いたところ、石川セリさんと歓談中に「やあ、やあ、やあ、エージ、エージ!」とにこやかに声をかけてきたものです。セリさんとの話は中断して、しばし歓談。

 今年の初めに発表された坂崎幸之助との「和幸」の第2弾だった『ひっぴいえんど』は、はっぴえんどをはじめ60年代末から70年代初頭にかけてのロック、フォーク、ポップスを下敷きに、作品、歌、コーラス、演奏、サウンド作りにひとひねりもふたひねりも工夫を凝らした作品。当時の事情を知る、なんてことからインタビュー、解説に引っ張り出されてお手伝い。

 前後してアルバムを発表し、ライヴも実施したのがVITAMIN-Q。ユーミンの「黄色いロールスロイス」はその流れをくむもの。併せて「和幸」ともども、昨年来、バンド活動、ライヴ活動に意欲的。
 そんなことから、ユーミンのバック・ステージでの再開での話の中身は、ここ最近の動向やこれからのことについて。ことに気になるのは「和幸」のこと。

  そしたら「う~ん、あれは、仕掛けを入念にやんないとね。準備も必要だし。ま、それ以外にいろいろ、考えてることがあるんだけど……」なんてことでした。

 加藤和彦が鬱病を患っていたとは知らなかった。それは私だけでなく、内々の関係者のみが知ることだったらしい。日を追って、様々な報道がなされ、遺書の一部なども報じられ、自ら命を絶つに至った理由、経緯、事情が少しずつ明らかになったものの「何故?どうしてまた?」という疑問が頭の中を渦巻くばかりです。

 知り合って40年あまりの長きの間、常に身近にいた親しい友人ではなく、疎遠だったことの方が多い。が、時に出会って、親しい付き合いを重ねたこともあります。
 はっぴいえんどのデビュー・アルバム、通称「ゆでめん」が出来上がった日の夜、はじめて関係者以外の人間としてそれを聞かせたのは加藤和彦であり、絶賛してくれるとともに大いに勇気付けられたことは今も忘れ難い。後年、私がTVの「男の食彩」のキャスターを務めることになった際、最初のゲストとして迎えたのも加藤和彦だったが、その依頼を即座に引き受けてくれました。「和幸」の『ひっぴえんど』の解説やインタビューに借り出されたのも、そうした長年の付き合いあってのことです。

 加藤和彦が日本の音楽界、ポップ・シーンに残した業績。それを改めて振り返ってみたいと思っています。
 今、思い浮かぶ私にとって加藤和彦が生んだベスト・ソングといえば「カフェ・ル・モンドのメニュー」。「和幸」の「ひっぴえんど」のインタビューの際、さすがの坂崎幸之助もその存在を忘れていたレアな作品です。