2007/01/24

蟹黄魚翅撈飯(25)

 はたして香港のふかひれ料理事情の歴史はいったいどのようなものだったのだろうか。
 
 先の呉昊著「飲食~香江」、また、同著がしばしば引用している子羽著「香港掌故」、あるいは陳謙著「香港舊事聞見雜録」などにそれらが紹介されている。

 香港で最初に創業した料理店、というよりも料亭は「杏花樓」だったことはすでにふれてきた。
 「杏花樓」が創業した水杭口は、もともとは「妓院」が数多く存在した地域である。「杏花樓」も、もともとは富裕層を顧客とする「妓院」に飲食を供応するための料亭として創業を開始したようだ。燕窩と魚翅の酒席で知られ、順徳人の料理人を抱え、「鳳城風味」を特徴としていた、と記されている。

「鳳城」とは広州の南西部に位置する順徳、太良地方の旧名で、魚米の郷とされ、数多くの名菜があり、数多くの名料理人を生んできたところだ。

 その後、水杭口には数多くの料亭が誕生するが、1903年、香港政府は「妓院」に水杭口での営業を禁止し、上環より西に位置する石塘咀への移転を指示する。

 「妓院」の移転にともない多くの料亭が同地に移転した。当時、石塘咀は未開拓な地域であったことから、広大な敷地を持ち、様々な趣向を凝らした料亭が相次いで誕生することになる。

 さて、当時の料亭では「四局」、つまりは「雀局」(麻雀)、「花局」(芸妓との遊興)、「響局」(芸妓などによる歌舞)、「煙局」(阿片の吸引)の場が設けられ、それらを楽しんで後、宴席がはじまるという次第だった。

 宴席の内容だが、当時は「八大八小」による構成が流行していたという。

「八大」というのは「八大件」、つまり八種の大菜を意味する。その内容は以下の通りだ

 「蟹黄鮑翅」(蟹みそあんかけ仕立てのふかひれの姿煮込み)
 「紅焼網鮑」(干鮑(まだか鮑)の醤油煮込み)
 「片皮乳豬」(子豚の丸焼き)
 「大響螺片」(ほら貝の薄切りの湯びき)
 「高湯魚肚」(魚の浮き袋の上湯仕立て)
 「蒜子瑶柱」(にんにくと干し貝柱の煮込み)
 「清蒸鱖魚」(けつ魚の蒸し物)
 「甜燕窩羹」(甘味仕立ての燕の巣の羹)

である。

 「八小」というのは「四熱葷」、つまりは四種の熱い小菜と四種の冷菜のことである。
 まず「四熱葷」だが

 「竹笙雞子」(衣笠茸と鶏肉の煮込み)
 「香糟鱸魚球」(すずきのぶつぎりの糟汁煮込み)
 「炒田雞扣」(蛙の腿肉の炒め物)
 「滑鮮蝦仁」(小蝦の炒め物)

 そして「四冷葷」は、以下の通りだ

 「瓜皮海参」(瓜と干しなまこの和え物)
 「涼瓜肚蒂」(苦瓜と豚の胃の先端部分である肚尖の和え物)
 「冷拼賢肝」(家鴨の肝の冷製)
 「八珍焼蝋」(八種の焼き物)

 以上の料理以外に宴席前にはつまみ、付き出しとして「二京二生」が用意されていた。
 「二京」とは北京風の甘味のつまみである准山(干した山芋)のシロップ煮込み、南方の棗や胡桃の揚げ物、「二生」として、水菓子、新鮮な果物、たとえば柚子や橙などだったという。

 「八大」の大菜のうち「蟹黄鮑翅」、「紅焼網鮑」、「大響螺片」などは現在の香港の広東料理の高級宴会料理の主菜となっている。また「片皮乳豬」も前菜として登場する。
 その一方で、魚の浮き袋を戻し、上湯の澄まし汁仕立てにした「高湯魚肚」などは、今では事前に注文しない限り、お目にかかれない。

 そして、「大響螺片」のほら貝、「香糟鱸魚球」での鱸(すずき)などは海水魚だが、宴席を締めくくる魚料理「清蒸魚」の素材は淡水魚の「鱖魚」であるのが興味深い。

 「鱖魚」はハタ科の魚で「桂魚」あるいは「桂花魚」の名称を持つ。広大な河川や湖沼で生息する淡水魚であり、中国では最も高級な魚とされ、宴会料理の華となってきた。
 先に紹介してきた『香港・台北いい店うまい店』に紹介されている高級料理店のメニューの中にもみつけられるように、香港では海鮮の流通が盛んになる70年代になるまで、宴会料理では大きな位置を占めていた。それは、海鮮の魚介の入手が難しかった当時の事情を物語るものでもある。

 「八大八小」、「四大四小」を構成する料理の数々、また、宴会料理における料理構成は、現在の香港の広東料理の宴会料理に受け継がれている。現在の香港の広東料理の原点にもあたるものだが、それらはすべて広州の宴会料理の様式にならっていた。つまりは、広州の宴会料理こそ、香港の広東料理、それも宴会料理の源流にあたるものだったのである。